誰が為のツバサ   作:パンド

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その物語のプロローグ

 

 

 

 3月19日。

 特にこれといって祭日なわけでも、記念日でもないこの日は、しかし僕にとって大きな意味を持つ日付けだった。

 僕にとって。

 そして、僕たちにとって。

 岩根勇吾と、伊吹翼にとって。

 大きな意味を持った、大きな節目の日だ。

 この日、3月19日は。

 

 ──私立星見ヶ丘学園中等部の、卒業式であった。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

「お邪魔しま〜すっ!!」

「ん、いらっしゃい。伊吹さん」

 

 すっかり馴れた手つきでハンガーに上着をかける伊吹さん。

 その様子を、僕はもはや傍観の目つきで眺めることしかできなかった。

 いや、僕だって最初は止めたのだ。

 いくら好き合っているからって、現役のアイドルが男の部屋に来るのは流石に不味いと、そう言って止めたのだ。

 なのに、伊吹さんときたら。

 

『ユーゴ先輩。次ダメって言ったら、わたしユーゴ先輩のことシアターの皆んなに話しちゃうかも〜、えへへっ♪』

 

 えへへっじゃないが??

 しかも父さんは伊吹さんにいつでもおいでと言って、あろうことか合鍵を渡してしまう始末だ。

 外堀は人質に取られ、内堀が自分から埋まりにいった本丸は、悲しいほどに無力だった。

 基本的には喫茶店で落ち合う僕たちだったけれど、少しずつ僕の部屋に上がる頻度が増えて、オフの日曜日になれば彼女は朝一から押しかけてくる。

 なので、僕は中途半端な抵抗を、反撃不可能な篭城をするのは止めたのだ。

 ……まぁ、僕も口ではあれこれ言いはしたけれど、彼女の気持ちが分からないでもなかったから。

 少しでも長く、二人でいたいという彼女の気持ちが、その言い分が。

 

「じゃあ、その辺にかけててよ」

「は〜い、じゃあユーゴ先輩のベッドに──」

「分かった、僕の言い方が悪かった。言い直そう、そこの椅子にかけててくれ」

 

 油断の隙もない伊吹さんを椅子に座らせ、僕はコップと麦茶を用意すべく、台所へ向かう。

 すると、まだ着替えていなかったらしい、珍しいスーツ姿の父さんが、ちょうど携帯電話を仕舞うところであった。

 ……ははぁん?

 

「なにさ父さん、また母さんと電話?」

「む、勇吾か。そうだ、母さん卒業式の様子を気にしていたからな」

「別にわざわざ電話しなくたって、今晩にでも直接話せばいいのに」

 

 すると、父さんは眉間にシワを寄せて──最近気が付いたのだが、これは父さんの照れているという合図である。兎も角、シワを寄せてこう言った。

 

「式が終わったら、すぐ電話するように言われててな……」

「相変わらずだけどさ、母さんに弱過ぎない??」

 

 父さんは、母さんに弱い。

 いや、弱いというか甘い。滅茶苦茶に甘い。今日も母さんに頼まれたとかで、何枚もの写真を撮られる羽目になったし。

 

「ふっ……勇吾もいつかはこうやって、伊吹さんに振り回されることになる」

「すでに振り回されっぱなしだからなぁ、僕の場合」

 

 これ以上振り回されてしまうと、そのまま空へ飛んでいきそうなくらいだ。

 そいつは勘弁願いたい。

 コップと麦茶のボトルを盆に乗せ、部屋へ戻ろうと歩き出す。

 

「勇吾、分かってると思うが──」

「うん、大丈夫。5時には出られるように準備しておくから」

「……そうか。いや、ならいいんだ」

 

 なにかを言いたげな父さんの視線を背に、部屋へ戻る。なにを言いたかったのかは、だいたい分かっているけれど。

 そして部屋に戻ると、椅子に座っていたはずの伊吹さんの姿はなく。

 

「……なにを、しているのかな。伊吹さん?」

「えへへっ、ユーゴ先輩の布団に包まってま〜す♪」

 

 僕のベッドの上に敷いてあった掛け布団が、不自然に盛り上がっており、その中から聞き覚えしかない声が返ってくる。

 

「包まってまーす、じゃない!! 今すぐそこを退きなさい!!」

「え〜、でも──」

「でももだってもあるかーっ!!」

 

 言いながら、僕は布団をひっぺがした。

 そして、その勢いのままに伊吹さんへ一言物申そうとした。

 申そうとして──布団の下で膝を抱えた伊吹さんが、眉を八の字にしているのを見てしまった。

 

「でも、今日が最後なんだもん……」

「別に、最後ってわけじゃないだろ?」

「この家で会えるのは、最後じゃないですか」

 

 確かに、そのとおりだ。

 今日この日、僕と父さんは北海道へと引っ越す。

 必要な荷物は既に送った後だし、大きな家具やら家電やらは、後で業者さんに頼む手筈となっている。

 なので、この家で、そしてこの部屋で伊吹さんに会うのが最後だというのは、間違いではない。

 

「……はぁ、分かったよ。僕もベッドに座るから、とりあえず起きてくれ」

「やったぁ〜、ユーゴ先輩大好きっ!!」

「だからって隣に密着して座ってとは一言も言ってないぞ!!」

 

 さっきまであんな寂寥感溢れる顔をしていた癖に!! また演技力に磨きをかけおって、さっき父さんにはあぁ言ったが、僕も人のことを言えないな……

 グイグイ迫ってくる伊吹さんから、なんとか拳一個分の距離を確保した僕は、持ってきたコップに麦茶を注ぎ彼女へ差し出す。

 でも伊吹さんは左手でコップを受け取ると、空かさず右手もこちらへ伸ばし。

 

「それじゃあユーゴ先輩──約束のアレ、見せてくださいっ」

「えっ、もう読むの?」

「だって〜、続きが気になって仕方なかったから」

「ははは。そう言ってもらえるのは、作者冥利に尽きるよ」

 

 そう言って、僕は引き出しに閉まっていたファイルから、原稿用紙の束を取り出した。

 これは僕が書いた小説の、その最終章にあたる部分である。

 これまで伊吹さんには自己採点ならぬ自己添削をした部分から順に読んでもらっていたのだが、ギリギリ最終章の添削が間に合った形になる。

 伊吹さんは原稿用紙を受けるや否や、いつものように黙々と目を滑らせ始めた。

 こうなると、多少の呼びかけには全く応えてくれない。ちょっとしたトランス状態だ。

 こういう異様な集中力を、彼女は時折発揮する。

 時間にして、1時間半ぐらいか。

 最後の原稿用紙をめくり終えた伊吹さんは、ポツリと。

 

「あの二人は、幸せになれたのかな……」

 

 言うまでもないことだけれど。

 僕は、この小説の作者だ。

 だから、伊吹さんが零した疑問に──感想に、正確な答えを出す権利がある。

 けれど、それはなんだか……とても、もったいないと僕は思ってしまった。

 彼女の前には、無限の選択肢が広がっているのだから。それを僕の決めた結末で、その一つに定めてしまうのは、やはり違う気がするのだ。

 僕にとっての、二人の結末はもちろん決まっているけれど。

 伊吹さんにとっての、二人の行く末が必ずしも僕と同じである必要は、ないと思う。

 

「幸せ、だといいな」

「……うん。きっと、きっと幸せなんだと思います」

 

 だったら、それが答えなんだ。

 他の誰が、なんて言おうと、きっと。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

 楽しい1時間は、体感5分で。

 退屈な5分は、体感では1時間になる。

 なんて話に当て嵌めるのだとしたら、僕らの時間はあまりにも短過ぎた。

 互いの気持ちを確かめ合ってからの、数ヶ月も。

 そして、今日だって。

 いや、そもそもこの1年間が。

 

「ホント、濃い一年だったよな」

「ユーゴ先輩は、楽しかった?」

 

 二人でベッドに座りながら。

 答えの分かりきった質問に、分かりきった答えを、僕は返す。

 

「あぁ、掛け値なしに。当たり前だろ、伊吹さんは?」

「楽しかったです、当たり前じゃないですかぁ〜」

「そっか」

「そうですよ〜」

 

 僕が決まりきった疑問を投げれば、伊吹さんは決まりきった返答を返してきた。

 だからこれは、確認作業みたいなものなのだ。僕と伊吹さんの、僕たち二人の。

 

「じゃあ伊吹さん。向こうでも応援してるから、しっかりな」

「ユーゴ先輩も、次回作待ってますからね」

「うん、期待して待っててくれ」

「…………」

「…………」

 

 もう本当に、時間がない。

 だから、話せることは話したつもりだ。

 話せるだけ、話してきたつもりだった。

 でも、いざ別れるってなると。

 最後の言葉を口にするのを、どうしても躊躇ってしまう、自分がいる。

 そんなことをしたって、飛行機の時間が遅れるわけでもないのに。

 

「ユーゴ先輩、わたし頑張るから……わたしが雑誌に載ったら、チェックしてくれますか?」

「あ、あぁ。もちろんだ」

 

 隣に座った伊吹さんは、僕の目を見上げていて……その目は、これ以上ないってくらいに潤んでいた。

 

「TVに出たら、ちゃんと見てくれますか?」

「あぁ、見逃さない」

 

 伊吹さんの手が、そっと僕の手に重なって。

 

「私のCD、ぜぇーったい聞いてくださいね」

「当たり前だろ、ファン第1号なんだから」

 

 僕も、彼女の手を握り返す。

 それだけで、彼女と心が繋がった気がした。

 ……いや、それは僕の思い違いで、思い上がりだったのかもしれない。だって、僕には分からなかったからだ。

 

 

「──ユーゴ先輩。キス、してください」

「伊吹さん、それは……」

 

 伊吹さんが、こんなことを言い出すなんて。これまで一度も、そういうことは言わなかったのに。

 したい、とか。

 したくない、とか。

 そんな選択肢以前に、突然の要求に固まってしまった僕へ、伊吹さんは完全に上半身を預けて──僕の肩へと、顔を押しつけながら。

 そして僕は、自分の肩が濡れるのを感じながら、彼女の言葉を聞いた。

 

 

「もう、ワガママは最後にするから──ダメぇ?」

「…………ダメじゃ、ない」

 

 そっと、伊吹さんの肩へ手を置き、ほんの少しだけ彼女との間に距離をつくる。

 至近距離で見た伊吹さんの顔は、相変わらず整っていた。

 長い睫毛に、真紅の瞳、鼻筋はとても綺麗で──その唇は、花弁のようだった。

 そうして作った距離を、今度は自分から狭めていき。

 

 ──やがて、僕らの距離はゼロになった。

 

 体と、そして心の距離が、ゼロになる。

 これから僕らの体は離れ離れになってしまうけれど。

 でも、きっと大丈夫だ。

 体は離れてしまっても、心までが離れてしまうわけじゃない。

 だから、僕たちは大丈夫。

 心が側にあれば、どんなに遠くにいたって、君を想えば隣にいられる。

 物語にはプロローグと、エピローグがあるけれど。

 これは決して、エピローグなんかじゃない。

 だってこれは、始まりだ。

 終わりではなく、始まり。

 エピローグではなく、プロローグ。

 僕たちの前に、無限広がる選択肢の、その物語のプロローグなのだから。

 

 

 

 

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