誰が為のツバサ   作:パンド

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ツバサが羽ばたく時

 

 

 誰か、この状況を説明してくれ。

 

「ユーゴ先輩!! 見てくださいっ、おっきな文字ですよ!!」

「あぁ、そうだな……デカいな……」

 

 六月頭の土曜日。

 春の麗かな天気から一転、ジメジメとした空気が東京を覆ったその日。

 僕──岩根勇吾は、学園トップクラスの人気者であるところの美少女、伊吹翼と横並びになって歩いていた。

 それも二人で。

 なんというか、決してそうではないと自分では理解していても、言い訳のしようがない絵面である。

 先程から、つまり伊吹さんと合流してから、彼女は目の前の建物にいたく感動したようで、キラキラと輝いた瞳で見えるもの一つ一つにリアクションをとっていた。

 対する僕は、そんな彼女へのレスポンスすらままならない有様。我ながら無様であった。

 今だって、伊吹さんが建物の屋上辺りに設置されている巨大な文字看板を指差しはしゃいでるのに、しょうもない生返事しか出来ずにいる。

 ちなみに文字看板は『765 LIVE THEATER』と書かれており、ここが天下の765プロダクション肝煎の、新しい劇場であることを示していた。

 そう、僕は今日、伊吹さんと二人で765プロライブ劇場を訪れているのだ。

 

「なぁ伊吹さん、凄く今更なのは承知の上で聞くんだけどさ。僕いなくてもよくないか?」

「え〜? よくなくないですよー、ちゃんと責任取ってください」

 

 責任。

 責任か、確かにアイドルを勧めたのは僕だから、そういう意味でなら僕には責任がある。

 だだ、こういう責任の取り方をすることになるって分かっていたら、僕はもう少し躊躇っていたと思うぞ。

 僕が伊吹さんの、面接の付き添いだなんて。

 

「そーれーに!! 私がアイドルになるところ、ユーゴ先輩には見てて欲しいんです」

「……自信満々って感じだな」

「当たり前じゃないですかー。昨日ダンスも覚えたし〜、それに……」

「……それに?」

「えへへっ、なんでもありませ〜ん♪」

 

 そこまで言ったのなら聞かせて欲しいもんだが、人の顔見て何を思っていたんだろうか。

 何にしても、彼女の顔は清々しく見えた。

 自分は受かると信じて疑わない笑顔。

 そして、伊吹翼という少女はそんな笑顔の似合う人だ。

 

「じゃあ、もし落ちたら。その時は慰めてくださいね♪ わたし駅前のクレープが食べたいなぁ〜」

「それは単に伊吹さんが今食べたいだけなんじゃ……」

 

 まぁ、こんなことを言ってる余裕があるなら、きっと大丈夫だろう。

 さて、なぜ僕がこうして伊吹さんと二人で765プロライブ劇場へ来ることになったのか。

 つい先程、この状況を説明してくれと言ったばかりだが、考えてみれば僕以上に現状を把握している人がいるわけもなく。

 きちんと頭から解説するならば、話は昨日の夕方まで遡る。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

 『39プロジェクト』

 それは日本有数のアイドル事務所、765プロダクションが打ち立てた新規プロジェクトである。

 その名の通り39人のアイドルを、同期として新たにデビューさせようというものであり、所属アイドルをこれまでの13人から一気に52人まで増やしてしまう辺りから、765プロの勢いや本気度が窺えた。

 しかし39プロジェクトの、39人の枠はまだ埋まり切っておらず、新メンバーは今も募集中であるとのこと。

 なんて説明をプロジェクトメンバーである馬場さんから受けたばかりであった僕は、チラシを片手に事のあらましを、なぜ僕が彼女にアイドルを薦めたのかを語っていた。

 

 彼女──伊吹翼は、魅力的な人だ。

 

 ……なんだか誤解を招きそうな言い方になってしまった。

 これは容姿に優れているだとか、声が良いとか、そういった次元の話ではない。

 無論その点についてもポテンシャルの高さに疑いは無いけれど、それだけなら僕は彼女にアイドルの話をしようとは思わなかっただろう。

 だったらなぜ、なにゆえ、僕は彼女にこんなスカウト紛いのことをしているのか。

 伊吹さんの笑顔には、不思議な力がある。

 見た人を巻き込んで笑顔にしてしまう、そんな力が。

 自分で言うのもなんだが、僕はあまり笑う方ではない。そもそも笑いかける相手が少ない。それは顔の火傷痕が原因であったし、僕自身が顔のことを理由に人付き合いを避けていたのもある。

 客観的に見て、境遇を考えれば仕方のないことだと自分では思っているし、間違いであったともそれほど感じてはいない。

 そうやっているうちに一人が好きになっていった自分もいるし、今だって無理してクラスに馴染まなくてもいいやと、一般的な充実した学校生活ってやつを諦めているのも事実だ。

 だから、彼女の笑顔に釣られて笑ってしまった時、僕は僕が笑っていることに驚いた。初対面の相手に笑いかけて驚いて、驚きはしたけれど、同時になぜか明るい気分にもなれた。

 僕のようにヘソと根性のひん曲がった人間にだって通じたのだ、これが他の人に通用しないなんて道理はあるまい。

 まぁ、その辺の理由まで赤裸々に語るわけにもいかないので、僕はあくまでアイドルという選択肢を提示し、765プロが丁度プロジェクトのメンバーを募集中である旨を告げたわけだ。

 この先は、伊吹さんが決めることだから。

 そして一通りの説明を聞いて、聞き終えて、伊吹さんは既定路線を行くかのようにこう言った。

 

「じゃあ、わたし電話してきまーす」

「へっ?」

 

 え? どこに? というか、誰に?

 その返答の意図を解せずに、混乱する僕を他所に、伊吹さんはスマホを片手に店の外へと出て行ってしまう。

 一応、鞄は置きっぱなしであるので、そのまま帰ってしまうというわけでもなさそうだ。

 けれど、置いて行かれた僕の心は疑問と不安で一杯であった。

 まさかとは思うが、学校の先輩におかしな勧誘をされたと、そんな話を親御さんにしているのではあるまいか。はたまた交番に通報を。なんて、嫌な予感が脳裏を過ぎる。

 仮に僕の予感が当たっていた日には、すでに半分終わりかけていた僕の中学生生活が完全に、完膚なきまで終わってしまうだろう。

 流石にそれはないだろうと、僕は信じたい。

 彼女は最後まで僕の説明を聞いてくれたし、話終えた後の伊吹さんからもこれといった悪感情は感じ取れなかった。

 だから、きっと大丈夫。

 などと一人虚しく、自分で自分を落ち着かせること10分。

 

「お待たせしました〜♪」

 

 伊吹さんは、やたらといい笑顔を浮かべて戻ってきた。

 どうなら、通報していたわけではないらしい。この様子なら、親に言いつけていたという話でもなさそうだ。

 なら一層、どこに電話をかけていたのか気になってしまうのだけれど。意識し過ぎだろうか、いや自分の会話との途中で電話のためにと席を外したのなら、この程度の疑問はもって然るべき……の、筈だ。

 

「いや、お構いなく。なにか用事でも?」

 

 だから、まるで気にしていない風を装って、僕がそんな問いを投げかけたのも、仕方のないことだと言い訳させて欲しい。

 

「えーっと、お母さんに電話してて、それから……」

「いや、違うんだ伊吹さん。確かに急な話だったかもしれないけど、決して邪な想いで提案したわけじゃなくて、僕なりに真剣に考えた結果なんだよ。タイミングとか、そういうのもあるけど、あれは勢いだけの発言じゃあなくて──」

「……先輩、わたしの話聞いてました?」

 

 どうやら自爆じみた弁解を散らかしているうちに、伊吹さんの言葉を聞きそびれてしまったようだった。

 じーっと覗き込まれて、僕は耐え切れずに視線をそらす。

 

「ごめんなさい、聞き逃しました……」

「も〜、ちゃんと聞いてくださいよー」

「わ、悪かったよ。今度はきちんと聞くから」

 

 反省の意を示すと、彼女は膨らませていた頬を萎ませ不敵に笑う。

 

「しょうがないなぁ〜。で、ユーゴ先輩、明日って土曜日じゃないですか」

「そうだね」

「時間、空いてます?」

 

 あんまりにもサラッと聞かれたものだから、僕は問いかけの意味をよく考えずに答えてしまう。

 

「うん、空いてる……けど」

「良かった〜!! じゃあじゃあ、明日は私に付き合ってください♪」

 

 そこまで言われて、ようやっと、僕の頭に伊吹さんの言葉が浸透し始めた。

 どうやら彼女は明日、土曜日になんらかの用事があるらしく。その用事とやらに、僕が同行することを希望しているようだった。

 なぜだか、僕はその時点で嫌な予感が、いや悪寒がした。

 伊吹さんとの付き合いはまだまだ浅い僕だけど、この付き合ってくださいからはハプニングの香りがプンプンする。

 しかし事前に言質を取られてしまった以上、僕に拒否権はないわけで。

 

「分かった、付き合わせていただくよ。ちなみにどこで何をするかくらいは、聞いても構わないだろ?」

 

 せめてそれだけは聞かせて貰いたかった。

 すると伊吹さんは右手でピースサインをキめ、僕に突きつけ言い放つ。

 

「どこって、765プロに決まってるじゃないですかぁ〜」

 

 この言葉を耳で咀嚼し、脳みそに取り込むまで、僕は30秒ほど用するのであった。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

 その結果がコレである。

 

 あの日僕の提案を受けた伊吹さんは、迷わず親と話し合い、許可を得たと思ったらそのまま765プロダクションに連絡を入れ、翌日のアポを取ってしまった、らしい。

 なんというか。

 迷わず諸々を決めてしまう伊吹さんも伊吹さんだし。

 5分もせずに娘のアイドルデビューを承諾する親御さんも親御さんだし。

 翌日に面接をセッティングした765プロさんも765プロさんである。

 揃いに揃って、なんというフットワークの軽さと決断力の高さだろう。

 どうすればそういった諸々の能力が身につくのか、僕には不思議でならなかった。

 もっとも、一番の不思議は僕が今ここに、すなわち765プロライブ劇場にいるって事実なのだけど。

 僕、いる??

 伊吹さんの希望通りに、要望に従って来たは良いが、完全に場違いな気がしてならない。当の伊吹さんは受付のお姉さんに連れられてどこかに行ってしまったし、僕はエントランスホールで待ち惚けだ。

 首から下げた入館許可証が、居心地の悪そうに揺れている。

 なんて、僕が一人で彼女の帰りを待っていいた、その時だった。

 あの二人が現れたのは。

 

「いやっふーー⤴︎⤴︎ 亜美が一番乗りだぜぇ〜!!」

「ちょいちょいちょい!! 今のはパッチの差で真美の勝ちっしょ〜?」

 

 それを言うならタッチの差、と思いつつ僕はババンと開いた扉を見やる。正確には、扉を突き破る勢いで現れた二人の少女を。

 そっくりさんな二人だ。

 落ち着いた茶髪に、落ち着きのない活発そうな瞳。パッと見で分かる違いといえば、髪の長さと、髪留めの色、後は髪を纏めている位置だろう。

 ていうか、双海亜美と双海真美じゃないか、あれ。

 バラエティ番組でよく見る顔なので、ついでに言うと昨日チラシで見たばかりの顔だったので、名前がスムーズに出てきた。

 突然のエンカウントに、思わず肩が上がってしまう。

 当たり前っちゃ当たり前だが、ここは765プロ劇場なのだから、765プロに所属するアイドルが来ても何もおかしくない。むしろ当然のことだ。

 とはいえ、予測の範疇とはいえ、目の前にアイドルが飛び出してくれば、こんな反応になるのも仕方がないと思う。

 そして僕はエントランスホールのベンチに腰掛けていた為、これまた当然のようにダイナミックなエントリーをしてきた二人とバッチリ目が合ってしまった。

 彼女たちは一瞬固まり、僕の頭のてっぺんから足元までを確認し、ちょうど入管許可証がぶら下がっている辺りで視線を合わせると。

 

「「んっふっふ〜♪」」

 

 そう言いながら、よからぬことを企んでいるのであろう悪い顔を二つ揃えて、僕の方へと駆けてきた。

 

「真美警部!! よーぎしゃを確保しましたっ!!」

「うむ、でかした亜美刑事。さぁじんじょーにお縄につけぇーい!!」

「それを言うなら神妙なんじゃ……」

 

 唐突な小芝居に思わず突っ込んでしまったが、なんだこれ、なぜ僕はベンチの両側に座った現役の女子中学生アイドルに絡まれて、両肩をしっかり抑えられているのだろう。

 

「なにを〜はいぼくしゃの癖に生意気な奴!!」

「えっと、それを言うなら犯罪者……じゃないって!! ちゃんと許可を貰ってここにいるんだよ僕は!!」

「ふもーちんたいしゃは皆んなそう言うんだ!!」

「それを言うなら不法侵入者ってもう絶対わざとだよなぁあ君らっ!!!!」

 

 息をつく間もない怒涛のボケに、僕のツッコミは早くも切れようとしていた。

 しかもその間にも二人がグワングワンと肩を揺らすものだから、目の前をお星様が回り出す。

 で、ひとしきり頭をシェイクされ終えて、僕は胸元の入館許可証をさながら印籠の如く掲げた。

 

「はい、これ!! 入館許可証!! オーケー?!」

「オーケーオーケー。嫌だなぁチミぃ、ちゃんと分かっていたとも〜」

「そうだぞチミぃ、マグネシウムが足りておりませんぞー」

「……一応ツッコミ入れるけど、それを言うならカルシウム不足だ」

 

 そう言うと、双子はケラケラと笑って僕の真正面に、鏡合わせのように立つ。

 この頃には、すでにアイドルへの配慮とか、初対面の相手への緊張感とか、その辺がまるっと抜け落ちいた。

 

「というか、僕のこと本当に何も聞いてないの?」

「……ねぇ亜美、この人あれじゃないの?」

「あれっていうと、このみんが言ってた……え〜と〜」

「ん〜と〜??」

 

 そうだよな、流石に劇場へ来る可能性のあるアイドルに、訪問者のことが全く伝えられていないなんて話はないよな。

 

「「ダメだぁ〜思い出せないZE☆!!」」

「もうちょっと頑張ってくれよそこは!!」

 

 ダメだはこっちの台詞である。

 これじゃあにっちもさっちも埒が明かない。僕は彼女たちにとって何故か入館許可証を持っている男子中学生のままだ。

 誰か、このよく分からん現状をまとめてくれる人は居ないのか。

 

「ちょっと二人とも、事務室で律子ちゃんが待ってるんでしょ? 油売ってると、約束に間に合わないわよー」

「げげげっ、そうだったそうだった〜。律っちゃんに呼ばれているんだった〜」

「こうしちゃいられないよ真美、事務室にのりこめー!!」

「わぁい!! サンキューこのみん、そこのチミもサラダバー!!」

 

 そんな願いが通じたのか、扉の向こうから現れた人影の言葉に慌てた様子でドタバタと駆け出していく双子。会話に出てきた人との約束がよっぽど大事なのだろうか、あっという間に姿が見えなくなる。

 

「大変だったわねー岩根くん。美咲ちゃんから連絡をもらった時はもしかしてって思ったけど、まさか昨日の今日でまた会うなんてね」

「あ、えと……昨日ぶりです、馬場さん」

 

 人影、もとい馬場このみさんは苦笑いを浮かべると、ベンチの空いたスペースに腰を下ろす。

 あぁいう別れ方をしておいて、間に何も挟まずに再会したのが少し気恥ずかしい。

 

「岩根くんは、えっと……付き添いなのよね?」

「はい。後輩が面接中で、なぜか僕までお邪魔することになってしまって」

「なぜかって、その子とは親しいんじゃないの?」

 

 そう言われると、どう答えるべきなのか。

 親しいと言い切れるほど、僕と伊吹さんの仲は深くないと思うし、だからといって親しくないと言ってしまえば、僕がここにいる客観的な理由がなくなってしまう。

 改めて問われてみれば、僕と伊吹さんの関係を、僕は的確な言葉で表現できずにいた。

 学校の先輩と後輩。

 だけだと物足りない、けれど友達ってわけでもない。

 うーーーーん、分からん。

 

「えぇと……どうも複雑みたいね」

「そうなんです、ちょっと複雑で。彼女にここを教えたのが、その……僕なんですよね」

 

 僕がうんうん唸っていると、何かを察してくれたようで、当たり障りのない馬場さんの返答に全力で乗らせてもらった。

 

「あら、そうなのね。でも自分の面接について来て貰うくらいなんだから、きっと信頼されてるのよ」

「そういうものなんですか?」

「そういうものよ。自分がアイドルになれるかどうかって時に、信頼している人が側にいるって思えば、それだけで力になるもの」

 

 馬場さん曰く、そういうことらしい。

 僕にはどうもピンと来ないけれど、馬場さんが言うなら正しいのかも知れない。

 

「じゃ、私もそろそろ行くわね。また会いましょ、岩根くん」

「はい。今度はちゃんと、客として来るつもりです」

「ふふっ、その時は私のアダルティーなステージでメロメロにしちゃうんだから、覚悟なさい?」

「アッハイ」

 

 最後にやたらシナっとしたポーズと共にウィンクを決めて、馬場さんは去っていった。

 ……なんだったんだろ、あれ。

 忌憚なき意見としては、絶妙にというか絶望的に似合っていなかった。

 自然体な馬場さんは大人の女性って感じなのに、これもまた不思議である。

 で、だ。

 僕は再びベンチの上で一人になりながら、さっきの会話を思い出す。思い出して、反芻する。

 馬場さんは、伊吹さんは僕を信頼しているから、ここに連れて来たんじゃないかと言ったが、実際どうなんだろう。僕は彼女に、信頼されているのだろうか。

 まぁ僕がいくら悩んでみても、こればかりは本人に聞かなきゃ分からない。かと言って貴女は僕を信頼してますか、なんて馬鹿正直に聞くわけにもいかないので、この疑問は先送りにするしかないのであった。

 ふと、腕時計の針を見てみる。

 伊吹さんの面接が始まってから大体30分が経過しており、受付してくれた事務員のお姉さん……確か、青羽さんだったか。青羽さんの話によれば、そろそろ面接が終わってもおかしくない時間だ。

 伊吹さんが戻ってくれば、この居た堪れない一人ぼっちからも解放される。今になって思うのは、それこそ今更なのだけど、部外者であるところの僕を一人にさせておくというのは、防犯上問題しかない気がする。この劇場のセキュリティはどうなっているんだろうか。

 などと、しても仕方がない他所の心配をしつつ、伊吹さんを待つ。

 伊吹さんを待つ。

 伊吹さんを……待つ。

 待つ。

 待つ。

 待つ……。

 戻ってこないな、伊吹さん。

 待つこと30分。

 予定時刻を30分過ぎて、僕は腰を上げた。

 じっとしているのが苦手、なんて性格ではない僕だが、じっとしては居られなくなってしまった。

 勝手に動き回ったら怒られるかも知れないけど、ちょっと確認をするくらいなら大丈夫……だと思う。

 予定時刻を過ぎてたので、心配になってしまったとか言えば許してくれる可能性に賭けよう。

 幸い、行き先はなんとなく分かっている。

 青羽さんが去り際、伊吹さんにレッスンルームがどうのこうのと言っているのが聞こえたのだ。場所の名前が分かっていれば、探し当てるはそう難しくないはずだ。

 そこまで考えると、僕はエントランスホールから伸びる廊下に足を踏み入れた。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

 はたして、お目当の部屋はすぐに見つけることができた。なんて事はない、教室の扉に『何年何組』と目印が付いているように、その部屋の扉には『レッスンルーム』と書かれたプレートが、廊下に対して垂直に付いていたのだ。

 

──────♫

 

 近づいていくと、部屋から微かに漏れた音楽が聴きとれる。

 どこかで、多分音楽番組で聞いたことのある軽快なリズムが耳を打ち、部屋に誰かがいることを教えてくれる。

 幸い扉には覗き窓がついていたので、僕はこっそりと部屋の様子を確かめることができた。

 最初に目に止まったのは、慣性の法則に従い動く明るい髪。

 彼女がピシッと止まるたびに、また体の回転を反転させるたびに、その艶やかな髪が舞う。

 スラリとした脚が生み出すステップはとても軽やかで、伸ばされた手と相まって、彼女の体を現実よりも大きく見せて、魅せていた。

 その淀みないダンスに僕は、彼女から──伊吹さんから、目を離せずにいた。

 「ダンスを覚えた」とか言ってたけど、こんな完成度、それこそど素人の僕でもレベルの高さがわかるようなところまで仕上げていたなんて。

 すると、どうやら目を離せずにいたのは僕だけではなかったらしく、やがて曲が終わり伊吹さんが最後のポーズを決めると、拍手の音が僕の耳にも届く。

 大きな拍手を浴びせていたのは、事務員の青羽さんだった。

 そして、僕が拍手する青羽さんを見ていると、彼女の視線が伊吹さんからそれて。

 バッチリ、僕と目が合う。

 僕の姿を確認した青羽さんは、慌てた様子で自身の腕時計を確認すると、顔を真っ青に染め、扉の方に駆け出し、バンッと勢いよく開き。

 

「ご、ごめんなさい〜!!」

 

 劇場中に響きそうな大声で、そう言った。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

 一応、話のオチとしてはだ。

 どうやら、面接の途中でダンスの話題になり、プロデューサーなる人物の要望で伊吹さんが踊り始め、気がついたらあの時間になっていた。とのことだった。

 

「でもそれだけ伊吹さんのダンスが良かったってことだよな。僕もチラッと見させてもらったけどさ、素人目にも凄いと思ったよ」

「本当ですか〜?! 今度はもっと大きい場所で踊って、先輩の目を釘付けにしちゃいますね♪」

 

 パチンとウィンクを決める伊吹さん。

 さっきも見た気がするな、この流れ。業界では挨拶みたいなものなんだろうか。

 釘付けになら、もうとっくにされているのだけれど。

 兎も角、帰り道である。

 あの後、僕が伊吹さん達に合流した後、面接の時間が押していたにも関わらず連絡を忘れていた旨を謝罪され、糸のように細い目をした男性──765プロのプロデューサーさんの一声で、その場は解散となった。

 無論、結果は合格。

 伊吹さんは晴れて、39プロジェクトの一員として採用されたのだ。

 あのダンスが、そうなる一因を担っていたのだとしたら、彼女の才能と実力をプロが認めたという話に他ならない。

 

「本当に、凄いと思うよ。プロの前で踊って、それを認められるってのは」

「えへへっ、ちゃんと練習した甲斐がありました〜。それに、ユーゴ先輩が待ってるって思ったら、なんだか失敗する気がしなくって」

「そうなのか?」

「そうですよー。だから、来てくれてありがとうございます、ユーゴ先輩っ」

 

 そっか、そうなのか。

 そういう、ものなのか。

 なんか、悪くないな、こういうの。人からそういう風に、思ってもらえるって。

 

「──駅前の、クレープだっけ」

「…………?」

 

 キョトンとした様子の伊吹さんに、僕はぎこちなく笑ってみる。

 

「合格祝いってことでさ……その、えっと……奢らせてもらっても、いいかな」

「やった〜〜!! 私アイスもついてるのが良いなぁ〜」

 

 これで断られていたら恥死ものだったが、どうやら喜んでくれてるみたいで良かった。

 すると、伊吹さんは名案を思いついたと言わんばかりに。

 

「あっ、ユーゴ先輩。別々の買って食べさせ合いっこしましょうよ!! スプーンであーんって……ダメぇ?」

「それは断固拒否する!!」

「え〜、直接かぶりつく方が良かったんですか?」

「食べさせ合いっこの手法に文句があるわけじゃないんだよ!!」

 

 

 こうして、伊吹翼はアイドルになった。

 最終的に、最後に決断したのは伊吹さん自身であったけれど、僕はその件に一枚噛むことになり。

 僕と彼女の縁は、もうしばらく続くのだった。

  

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