伊吹さんが喫茶店に来ない。
というのは、実際のところそこまで珍しい話でもない。
立場上、僕が語り部であるためにあたかも伊吹さんが毎日欠かさずこの喫茶店に来ているように見えていたかも知れないが、彼女は華の現役女子中学生であり、同時にデビューしたての現役アイドルなのだ。当然、学友と放課後を過ごすこともあるだろうし、アイドル仲間と交友を深めている日もあるはずだ。
それを思えば、今日における今日までの、伊吹さんの喫茶店通いはどちらかと言えば例外で、例外的な出来事と言える。共に時間を過ごす相手に事欠くことのない彼女が、わざわざ僕目前の席に陣取っていたことが。
元より、ちょいと通い過ぎなのではと思っていたぐらいなのだし、たかが一週間丸ごと来なかったからと言って、それが何だというのだろう。
別段、不思議なことではない。
人には人の、彼女には彼女の生活があるのだから、それについて他人である僕があれこれと思考を伸ばすのは、寧ろ失礼にあたる行為ではないのだろうか?
「ははぁん、それで今朝からそわそわしていたんだねぇ岩根クン、青き春ってやつだ」
「あの、さも僕が冒頭からマスターに向かってつらつらと心情を明かしていたみたいな風にしないでくれません?」
それ、かなり恥ずかしい奴になっちゃうじゃないですか。
そしてサラッと心を読まないで欲しい。
「そうは言ってもだよ、岩根クン。私としても二ヶ月間通ってくれていた常連さんが来なくなってしまったんだ、そこで店主としてその子と仲のいい常連さんに話を聞いてみようと思い、思い立ったわけさ」
「…………」
すっごい説明口調である。
いや、僕もあまり人のことを言えないのだが。
でも常連さんが来なくなったから気にしてるってのは絶対に嘘だ。前に諸事情で一ヶ月くらい喫茶店通いを止めていた時期があったけど、久しぶりに行ったらマスターいつもと変わらない調子だったし。
だったらなぜ今は気にしてる風を装っているのかという話になるけれども。
まぁ、僕のことを考えてのことなんだろう。マスターは大人だから、ここ最近二人でいることの多かった僕が、また一人でいるもんだから、お節介を焼いてくれているのだろう。
それかマスターがロリコンかの二択だ。
「で、どうなんだい?」
「どうって言われましても、僕もよく分からないんですよ。伊吹さんの連絡先知りませんし」
そう思うと、僕が携帯を持っていないにしても、伊吹さんの連絡先くらい聞いておけば良かったのかも知れない。
ここに来れば話せるだなんて、それはあくまで伊吹さんが来るから成立するのであって、来なくなれば当然のように僕は彼女と連絡を取れないのだ。
「でも、学校は同じなんだろう?」
「それは、まぁ……そうなんですけど」
そうなのだ、連絡は取れない。連絡は取れないが、直接会うことはできる。
僕は伊吹さんのクラスを知っているので、そこに行って声をかければ良いのである。
ただ、もし、もしもだよ?
もし仮に、僕が彼女のクラスまで行って、「久しぶり。最近喫茶店に来ないけど、どうかしたの?」と、そんな感じに声をかけたとしてだ。
素っ気ない態度をとられたら、僕はその場で自我を崩壊させる自信がある。
具体的にどんな言葉を返されるのか想像するだけでも切腹ものだ。
我ながら情けない事この上ない。
これまで同年代と仲良くなったことのない僕は、適切な距離感ってものがまるで分からない。これまでの伊吹さんの喫茶店通いが普通なのか知らないし、こうして一週間来ていないのが不自然なのかも知らない。
だから、彼女のクラスへ押しかけるって行為に果たして正当性があるのか、僕は……自信が、ない。
自身の行動に、自信が持てないのだ。
「ま、私もあーしろこーしろと、そんな野暮なお節介を焼くつもりはないからね」
「これは違うんですか?」
「私はただ、事実の確認をしたってだけだよ。本当にどうしようもなくなったら、その時は頼って欲しいと思うけどさ」
結局のところ、マスターは僕を心配してくれてたってことだ。
大人が大人として、子供の面倒を見るように。
「なんか……すみません、ありがとうございます」
「構うことはないさ、私と岩根クンの仲じゃないか」
とは言ってもだ。と、マスターは店の扉に視線を移しながら。
「やっぱりこういうのは、本人同士で解決した方が良いよ」
「えっと、それってどういう──」
カランカランっ。
僕の言葉を遮るように、カウベルが鳴る。
音に釣られて、マスターの視線に導かれて、僕は扉を見る。正確には、扉の向こうから入ってきた人物を。
「あの、こんにちは〜」
一週間ぶりにやって来た、伊吹さんを。
■ □ ■
さて、一週間ぶりの伊吹さんである。
六月の頭にこの店で再会して以来、中三日空けることなく話していたせいか、上手く言葉が出てこない。
なんだか初めて会った時みたいだ。
あの時は口下手な僕の代わりに、伊吹さんが会話を回してくれたのだが。
「………………」
そんな頼れる伊吹さんも、今回はどういうわけか入店してからあまり口を開かない。
マスターも例によって、例の如くカフェオレを置いて裏に引っ込んでしまった。
というか、あの口振りからして、マスターが僕に声をかけたのは窓の外に伊吹さんの姿を見つけたからで、あれは僕のためというより伊吹さんのためだったように感じる。
そう考えると、伊吹さんがいつも通りでないことをマスターは見抜いていたって話になるわけで。
思えば時間も不思議なのだ。
現在僕たちの通う星見ヶ丘学園は夏休みに突入しており、伊吹さんがここに来るパターンとしては、レッスン終わりに来るか、朝から居座るか、もしくはそもそも来ないかの三択である。
今日は、そのどれにも当て嵌まらない、実に中途半端なタイミングだった。
こんな時間に来たことは今まで一度も……あ、いや、一回だけあったな。
「なんだ伊吹さん、今日はサボりかい?」
そうやって、いつぞやのマスターよろしく僕は声をかけてみる。前に伊吹さんがレッスンをサボって喫茶店に来たことがあり、その時がちょうど今ぐらいだったなと思い出したのだ。
そんな軽口をジャブ代わりに、僕は会話を始めようとした。
「違いますよー、今日はちゃんとレッスンしてきたもん……」
始めようとして、頬を膨らませた伊吹さんの返事を聞いて、言葉のチョイスを悔いた。
まるで、別人みたいじゃないか。
伊吹さんは、多分自分では普通に言葉を返したつもりだったんだろうけど、ちっとも勢いがない。
「……あー、ごめん伊吹さん、今のは僕が悪かった」
「ユーゴ先輩?」
パチンと手を合わせて頭を下げて、伊吹さんに詫びを入れる。すると首を傾げる伊吹さんに、改めて切り出した。
「だから、ちゃんと話を聞くよ。何かあったんだろう?」
そしてそれを、誰かに話したくて来たんだろう?
別に推理も推測もへったくれもない、単なる感覚で、当て勘だ。ただ何となくそう思ったから、言ってみただけ。別に違うのならそれで良いし、違っていないのなら、話し相手くらいは務まるだろうと思っての発言だ。
だから、伊吹さんがなにも言わないのなら、それでも良かった。
しかし、彼女は暫く間を置くと──
「──────」
■ □ ■
伊吹翼は悩んでいた。
普段から悩みとは無縁に思われがちで、実際そんなに悩んだことのない翼であるのだが、この時ばかりは悩み迷っていた。
一体なにを迷っているのかというと、行きつけの喫茶店に入るか否かでだ。
ここに来るのは一週間ぶりになるのだが、別にだからといってそれが気まずいという話でもなく、悩みの原因は他にある。
先日の話だ。
翼が所属する『39プロジェクト』のうち四名を、『プロジェクト・フェアリー』が行う全国ツアーのバックダンサーとして採用する、という通告があった。
憧れの美希先輩と共演する、又とないチャンスが降って湧いてきたのだ。
当然、翼は燃えに燃えた。
オーディション当日も、今までの1番のダンスを披露できたと彼女は確信している。
しかし、翼はオーディションに落ちた。
ただ落ちただけではない、無論それだってそれなりにショックではあったが、落ち方が問題だった。
「翼はミキたちのダンサーに似合わないって思うな」
他ならぬ美希先輩に、星井美希に、翼は自分たちのダンサーに似合わないと言われてしまった。
どちらかと言えば、こちらの方が余程ショックだった。
で、それから暫くして、というか今日。
翼は同僚である、39プロジェクトきってのギタリスト兼ボーカリスト、ジュリアにバックコーラスを頼まれた。
ジュリアの曲は好きだし、ちょうどパーッと歌いたかったこともあり、翼は快諾。
同じようにバックコーラスを依頼された、人呼んで劇場のマジシャン真壁瑞希と共に練習を始めたのだが──結論から言うと、上手くいかなかった。
翼はジュリアに「メインの自分に合わせてくれ」とダメ出しされるばかりで、練習はちっとも進まない。
バックダンサーはダメだった、バックコーラスもダメと言われるばかりで、無意識に気持ちが下向きになっていたのかも知れない。
一時間の休憩を挟んだ後も、なにも変わらなかった。
ジュリアは出来るようになるまでトコトン付き合うと言ってくれたが、レッスン自体は早く終わることになって、翼の足は自然とこの喫茶店へ向かっていた。
けれども、店の前まで来たはよいものの、前述の通り翼は入るべきか迷っている。
入れば、きっといつもの席に彼は座っているのだろう。そして自分は彼の前に座ったら、ここ最近のことを話すはずだ。
憧れの先輩に駄目って言われたこと。
次の仕事もあまり上手くいっていないこと。
言ったら多分、彼は親身になって聞いてくれると思う。なんなら彼なりの言葉で慰めて、励ましの言葉の一つもくれるかも。
だから、そんな予感がするから、翼は迷っていた。
そういうところを、見せたくないと、なんとなしに思ってしまったからだ。
見せたら最後、根本的なところで対等じゃなくなってしまう、そんな気がして。翼本人、そこまで考えた上での迷いではなく、あくまで無意識であったはずだ。でなければ、そもそもここまで来たりしない。
それゆえに。
翼はマスターに目配せされて入店し、彼──岩根勇吾に何かあったのかと聞かれても、何があったのかは話さなかった。
代わりに、彼女の口から出たのは──
「ユーゴ先輩は、なんで小説を書いてるの? 楽しいから?」
そんな、客観的には突拍子のない問いかけだった。
■ □ ■
僕がまだ12歳の時。
僕の肩書きが小学生六年生から、中学一年生になって間もない頃の話だ。
僕は担任であり国語教師でもある永吉先生から、一冊の小説を薦められた。
その小説はとある女性作家の書いたファンタジー小説で、色々とお世話になっている永先の薦めということもあり、深く考えることもなく僕は本を開いた。
そして、実に陳腐な言い回しになってしまうが、僕はそこに広がる世界に、すっかり魅了されてしまったのである。
生き生きとした、もはや常軌を逸したリアリティーある異界の存在に。
僕にもあんな世界が創れたらと、思い始めたのはいつであったか、気がつけば僕は原稿用紙を前にペンを持っていたのだ。
と、如何にもな口調と文調で語って見せたは良いものの、速い話がファンタジー小説に嵌って創作活動を始めたという、さして珍しくもない中学生にありがちな行動だ。
なので「なぜ小説を書いているのか」という伊吹さんの問いに対して、僕はそれほど深い答えを返せそうにもない。
ただ一つ言えることがあるとするなら、それは。
「そうだな……僕は別に、楽しいって理由で、小説を書いてるわけじゃないんだ」
楽しい。を理由にしていると、楽しくないと感じてしまった時が最後になってしまうから。僕にとっての小説は、それで終わらせてしまって良いものではない。
「なんでまぁ、楽しくない時もある。それはあるんだ、思うように文章を形にできなくって、辛いと思う時もあるよ」
上手い言い回しが出てこないとか、登場人物の動機が実際描いてみると思っていたより薄いとか、頭の中にある光景を文章に落とし込めないとか、そんなことばっかりだ。そんなことばかりで、ホント嫌になってしまう。
でも。
「それでも、気がつくとペンを持っている。だから、きっとそういう事なんだと思う」
だから、あの時。
ノートを探していたあの時、僕は諦めきれなかったんだ。
心が諦めるなと言うから、そして心で決めた行動になら、僕は納得できる。
正直、伊吹さんがどんな意図で、この質問をしたのかは分からない。
別に無理に聞き出そうとも思わないし、彼女も話すつもりはないのだろう、それで構わないと僕は思っている。
ただ、もし、もしもだ。
伊吹さんが今の自分に、なにか疑問を抱いていて、心がモヤモヤしていて、僕に問いをぶつけてくれたのだとしたら。
「…………ユーゴ先輩は、」
「うん」
「ユーゴ先輩は、小説を書くのが好きなんですね」
「あぁ、実はそうなんだ」
茶化すように、僕は笑った。
「伊吹さんだって、きっとそうだよ」
「え〜、私もですかぁ?」
「アイドルが、好きなんだろ?」
好きだからこそ悩むし、真剣に、夢中になれる。何かを好きになるってことは、そういうことだと、僕は思う。
僕の問いかけに、伊吹さんは笑った。
「はい、実はそーなんですっ♪」
ニッと笑って僕を見る、いつもの伊吹さんだった。
翼パートの続きが気になる方はゲッサン『アイドルマスター ミリオンライブ!』三巻を(ダイマ