蝶屋敷のあの子【完結】   作:トマトのトマト

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第十話 梅咲邸、試練

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あれ……き、き、昨日ぶりですね……あ、あはは…」

「あらぁ不思議ですね。どうして声が震えているのでしょうか?」

 

 しのぶは笑う。屈託のない笑顔。真魚は逆にそれが恐ろしかった。

 そもそもの話、何故彼女が自分の家に居るのか。だがそれは後回しにして目の前の状況だけを考える。今の真魚には分かった。自分が置かれた状況がいかに不味いかを。

 

――――あの鬼に伝えとけ!

 

(あぁ)

 

――――胡蝶しのぶの馬鹿野郎!!

 

(うわぁ)

 

 昨日の話。鎹鴉に勢いのままぶつけた言葉が頭をよぎる。と、同時に背中から吹き出る冷や汗。目覚めがいいなんてありゃしない。今目の前には、本当に笑った鬼がいた。

 真魚は明らかに狼狽えた。昨日とは訳が違う。自らの口で彼女の悪口を言ったのだ。そりゃしのぶも額に青筋を立てるはずだ。

 

「そうそう梅咲真魚君。昨日鴉から可笑しなことを聞いたんですけど」

「へ、へぇ……あはは…」

「改めて梅咲真魚君の口から聞きたいんです」

 

 何ちゅうこと言うんだこの女――――! 真魚は心の中で毒づく。これを口にしてしまえば、それこそ刃が彼目掛けて飛んでくるかもしれない。自身の呼び名も可笑しなことになっていて、彼はパニック状態。どうすれば悲劇を回避できるのか。必死に頭を巡らせるが、良い案なんて今の彼には思い付かなかった。ただ沈黙だけが二人を包む。

 一つ気掛かりなのは、寝室にいるアオイの気配が無かった。しのぶがここに居る時点で既に可笑しな話なのだが、彼女にはある種の常識は通用しないことは彼も分かっている。しのぶが連れ帰ったのだろうと真魚は自己完結させた。

 

「教えろと言ってるんですよ?」

「え、えっと……」

「どうして狼狽えるのですか? そんなに言いづらいことなんですか?」

「い、いやそういうわけじゃ……」

「早く教えてくださいよ。ねぇ、ねぇ、ねぇ」

 

 段々と顔を近づけてくるしのぶに合わせ、真魚は後ろに下がる。それだけ彼女の圧が強かった。微笑みを絶やすことのないしのぶ。額からも汗が止まらない真魚は、彼女から視線を逸らす。

 このまま黙っていると、彼女に何をされるか分からない。そう判断した真魚は懸命に頭を働かせた。冗談で逃げるべきか、それとも、真実を彼女に直接言うか。

 

「そ、そんなに怒らないでくださいよ。冗談だったんですよ。冗談」

 

 彼は前者を選んだ。後者であれば、間違いなく彼は刈り取られてしまうと考えた。前者であれば、まだ猶予のある、そんな淡い期待を抱いて。

 しのぶは彼の発言に左の眉をピクッと動かす。同時に浮き出る血管。あぁ駄目だわこれ――――。真魚は絶望感に苛まれる。

 

「私は怒ってなどいませんよー。ただ純粋な興味なんです」

「とてもそうとは思えませんが……?」

「仮に怒っているとしたら、何に対して怒ってると思いますか?」

「……最早質問の意味が分かりませんね」

 

 階級ではしのぶの方が上。だが年齢で言えば真魚が一つ上になる。元々柱と接しているつもりの無かった真魚であるが、周囲にも気を遣って敬語で話すようにしていた。

 ところがだ。今この状況。揶揄われているようで、そんな彼女に少しだけ腹が立ってきたらしく。恐怖心よりも苛つきが真魚の心を覆っていく。彼女の良い加減な会話に付き合うのも億劫になってきた。

 

「あの、しのぶさん。そんな怒ってたら綺麗なお肌が荒れますよ?」

「誰のせいでしょう? 貴方にそんなことを言われる筋合いはありませんよ?」

「そもそも何でここに居るんですか。ここ、僕の家。分かります? 僕の家なんですよ?」

「あぁそれでしたら。戸は閉まっていたので刀で斬りました」

「はっ!?――――ってほんとだ!! 何してくれてんだこの(あま)!!」

「あらぁ? そんな口の利き方していいんですか?」

「えぇ結構です!! 何してんだよほんとに!!」

 

 真魚は真っ二つに斬られた戸のもとに歩み寄る。そして言葉の応酬。自宅の戸を壊されたのだから、彼が怒るのも真っ当。だが元はと言えば、しのぶに対して暴言を吐いたことが原因であることには変わりない。それでも今の真魚に冷静な判断を求めるのは酷だった。

 幸い、人通りが多いわけではない。自宅を荒らされる心配はないが、一刻も早く修理する必要が出てきたわけで。彼は苛つきをしのぶにぶつけるしかなかった。戸を壊した張本人なのだから。

 

「あのですよ。聞きたい事だらけなんですが?」

「その前に言うことがあると思いますが?」

「俺が先です。いつからここに居るんですか」

「ついさっきですよ。十分ぐらい前です」

 

 昨日早めに眠ったせいで、早く目が覚めたとばかり思っていた真魚。だがそうではなく、それはしのぶの気配によるものだと気付いた。二日連続で彼女の顔を見ることになるとは思いもしなかったが。

 

「少しは反省してください。あんなことを言われるのは心外です」

「そ、それは……すみません」

「最初からそう言えばいいんです」

 

 立ち上がるしのぶ。先ほどよりは穏やかな顔にはなっている。鬼だったり、馬鹿野郎だったり。彼から浴びせられた暴言の数々。今に始まったことではないが、ここ最近の彼女はどうも苛ついていた。

 

「あの、アオイちゃんは」

「隠の方に頼んで屋敷に連れ帰りました」

「彼らをこき使わないでくださいよ……」

 

 現に戸を斬られたことも、アオイが連れ帰られたことも気付かなかったわけで。真魚は鬼殺隊士として情けなさを感じていた。だがしのぶも柱。気配を消すことぐらい容易かった。

 

「そんなにアオイちゃんのことが心配でしたか」

「……ええ。あなたより付き合いは長いですから」

「ですが「帰りたくない」と言ったのは事実ですよ」

「分かってます。最近のアオイはようやく素直になってきているみたいですね」

 

 「……まぁ」真魚は適当な相槌を打つ。ここで自分が言うことでもないと考えた。

 真魚とアオイ。昨日の夜の会話を見ても、もう二人の想いは同じ。今の状況で交際をしていないと言う事実がまた不思議な話だった。無論、アオイが素直になっていないだけで。

 これ以上この話は広がらないと考えたのか。しのぶは彼の方に近づきながら口を開いた。

 

「……これから戦いは一層厳しいものになるはずです」

「十二鬼月の上弦を倒したんですよね。しかも三体」

「鬼舞辻無惨は、確実に何かを仕掛けてくるでしょう」

 

 無惨直々の配下である十二鬼月。百年のもの間変わらなかった上弦を倒したのだ。倒した隊士は柱と少年の隊士たち。真魚は一度も会った事はなかったが、鬼を連れた隊士として鬼殺隊の中ではかなり有名だった。一人で倒したわけではないが、その実力は確かなもの。彼は純粋に興味があった。その鬼を連れた少年に。

 今自分が置かれている状況。百年止まった時計の針が動き出したような、まさにそのど真ん中に居る。しのぶの言う「一層厳しいものになる」という言葉はまさにその通りだった。

 

「下弦の動きは分かりませんが、上弦はまだ三体いるわけで」

「今回倒したとはいえ、またすぐに穴埋めはされるかもしれません。そうなると、キリがない」

「鬼舞辻を倒すしかない、ってことですよね」

 

 しのぶは頷く。先ほどまで口論していたとは思えない雰囲気。鬼殺隊である以上、真魚も真剣に彼女の話を聞いていた。

 まるで歯車が動き出したかのような、時代の流れの中に彼らは居る。真魚は外に出て、太陽の光を身体全体に浴びる。暖かくて、凍てついた心が溶けていきそうな、柔らかな感覚。日の光というのは不思議な力があった。

 

「……真魚君」

「なんでしょうか」

「あなたは、鬼殺隊を辞めるべきです」

 

 しのぶの声に、彼は思わず振り返る。

 神妙な面持ちの彼女は、どこか寂し気な瞳で真魚を見つめていた。そのせいか「冗談ではない」と彼は察した。だが、あまりにも唐突な言葉。真魚は何を言うべきか頭を回転させる。

 

「――――どうしてそんなことを?」

 

 至って普通の言葉になってしまった。それぐらい唐突だったのだ。彼女の提案は。しのぶも外に出る。人通りはない。二人きりで向かい合うこの状況。日の光は暖かい。彼女としても、咄嗟に口から出た言葉だった。

 真剣な表情の真魚。問いかけたとは言え、彼女の発言の意図を考える。何を思ってそんなことを言うのだろうか。どう考えても、柱である彼女が隊士に向かって言う台詞ではなかった。

 

「あなたも分かっているのではありませんか?」

「……アオイちゃんですか」

 

 やっぱり。そんな感情が彼の心を覆う。今朝のこともあり予想はついていたが、彼自身、ここで彼女の名前を出すことに気恥ずかしさすら感じていた。

 

「アオイは、本当に変わりました。真魚君のことを心から心配していて」

「それは……まぁ」

「もし、あなたに何かあったら、あの子は塞ぎ込んでしまうのではないかと」

 

 事実、アオイは真魚が任務に出ている間は気が気でなかった。しのぶはそんな彼女のことを見ていたのだ。長い付き合いになるしのぶだからこそ、アオイの幸せを願っての言葉。

 かと言って、愛する者を置いて戦いに行くのも心が締め付けられるのだ。死ぬかもしれない。もう会えないかもしれない。常にその想いを心に刻み、覚悟を持って戦う。それが梅咲真魚という人間だった。

 

「大丈夫ですよ」

「……そう言い切れるのは、どうして」

「昨日、約束しましたから。絶対に帰ってくるって」

 

 真魚は笑う。太陽のように輝いた笑顔。嘘偽りのない表情に、しのぶは少しだけ目を見開く。

 真っ直ぐだ。本当に真っ直ぐな、彼の愛。アオイは幸せ者だ――――。なんて思いがしのぶの頭をよぎる。こんな一途に人のことを想える人はそうそう居ない。だからこそ、彼女は彼に言ったのだ。「鬼殺隊を辞めるべき」だと。こんなに危険な仕事じゃなく、一人の男として幸せに過ごして欲しかった。

 

「それに、俺は鬼が許せませんから。滅するまで、俺は絶対死にませんよ」

「……そんな笑顔で言わないでくださいよ。説得力ありませんから…」

「真顔で言うよりいいじゃないですか。しのぶさんもこんな感じですよ」

「わ、私はそんなにふざけてません」

 

 そう言いながら、しのぶも笑う。どこか感情の奥底に沈んでいた何かが甦るような、そんな懐かしさに自然と表情が緩んだ。

 しのぶは姉を看取った時を思い出した。自身唯一の家族だった姉は、鬼に殺された。その最期、姉から言われた言葉は、今日真魚に言った言葉と全く同じもの。

 女としての幸せを掴んでほしい。姉・カナエの想いは純粋に本物。だが、しのぶはそんなことどうでも良かった。その日、心に決めたのだ。姉を殺した鬼に復讐すると。そのためなら、自らの命なんてどうでも良くて。

 

「だから俺は辞めません。鬼を滅するまで、彼女を守り続けます」

 

 まるで自分自身を見ているような、不思議な感覚だった。

 理由は違えど、鬼に対する想いは共通している。それに、真魚は柱に近い存在でもあるわけで。そう簡単には死なないだろう。安直すぎた提案に、しのぶは苦笑いをしてしまった。

 

「そうでしたね。さっきの言葉は忘れてください」

「それより、戸はどうしてくれるんですかね? もちろん弁償してくださいよ?」

「……何のことでしょうか? では、仕事があるのでこれで」

「お、おい! 待てやこらぁ!!」

 

 都合が悪くなると、人間は逃げ出したくなるもの。しのぶは蝶のように軽やかに舞い、彼の前から立ち去った。真っ二つに割れた戸を見て、真魚はため息を吐く。これでは下手に外出もできないではないか。

 戸を起こし、壁に立てかける。何か代わりになるものはないかと辺りを見回しても、特に良さそうなものは無い。またため息。

 

「――――真魚さん!」

 

 そんな彼の心に差し込んだのは、アオイだった。声のする方を振り向くと、彼女が走ってくる。間違いない。自分より愛し人だった。

 

「アオイちゃん!」

「きゅ、急に居なくなってしまってすみません……! 朝気付いたら屋敷に居て……」

「大丈夫。もう()なら居ないよ。それより、どうしてここに」

 

 彼女は苦笑いを浮かべる。流石のアオイも、今朝のしのぶの行動は受け入れ難かったようで、彼の発言を否定することなくそのまま受け流した。少し乱れた呼吸を整える。高鳴る鼓動を抑えるように、ゆっくりと深い呼吸。

 

「お礼を言ってなくて」

「そんないいのに。俺も昨日は楽しかったし」

「……私もです。本当にありがとうございました」

 

 律儀に頭を下げる。そんなことしなくてもいいのに、と言っても彼女には無駄だったようで。顔を上げたアオイは、少しだけ頬が赤い。走って戻って来たのだろうと彼は察する。

 

「……ねぇアオイちゃん」

「はい?」

「もう一度、貴女に誓ってもいいですか」

 

 真剣な瞳。アオイは顔を背けたくなる気持ちを抑えて、見つめ返す。熱い。熱くてとろけてしまいそう。日の光とは違うそれは、彼女の心を包み込む。こんな朝っぱらから。

 しのぶに心配されたことを打ち消すにはもってこいの機会だ。目の前の彼女に、もう一度。

 

 

「俺は絶対に、貴女の元に戻ってきます」

「………はい」

 

 

 この愛を誓えるのだから。

 

 

 





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