蝶屋敷のあの子【完結】 作:トマトのトマト
「……どういうつもりですか」
真魚を見たしのぶは、少しだけ驚く。何かに怒っているその表情。自身に覚えがなかったせいで、頭を巡らせる。
自室で薬の調合をしていた彼女。障子越しに声をかけられ、そのまま部屋の中に招き入れた。軽い気持ちだった。だと言うのに、姿を見せた彼は、しのぶの思惑を超えた雰囲気を醸し出していた。
「どうしたのですか。そんな顔をして」
かと言って、しのぶは手を止める様子も無く、茶化すように問いかける。馬鹿にされたような感覚を覚える真魚。感情のままに口を開きそうになるが、そうなると彼女の思う壺なのだ。拳に力を入れてグッと堪える。
余裕のあるしのぶに対して、何をどう言えばいいか。彼は分からないまま彼女の部屋に上がり込んだ。やはり屋敷の中でも広い部類に入る。しのぶの向こう側には、仏壇がある。彼は察したが、何も言わずにしのぶに視線を送る。
「カナヲちゃんから聞きましたよ。今回のこと」
真魚は空気を裂く。ピタッと彼女の動きが止まる。核心を突かれたように、一秒、二秒。やがて手に持っていた道具を置き、彼を見つめ返す。と言っても、空気が割れそうな視線。ビリビリと身体に痺れが走る感覚を彼は覚えた。
「それで? どうして真魚君が?」
カナヲから聞いた、ということはきっとあの事だろう。彼女はすぐに察する。
誰にも言うな、と釘を刺していたにも関わらず、あのカナヲが自身のことで彼に相談したのだろう。それはそれで悪い気分ではないが、相談相手が梅咲真魚ということに引っ掛かりを感じていたのだ。
「しのぶさんは、本当にそれでいいんですか」
「いいですよ」
断言。分かってはいたが、ここまでハッキリ言われると狼狽てしまうのが真魚。一呼吸置いて、反論を考える。だが、先に口を開いたのはしのぶだった。
「わざわざそんなことを言いに来てくれたんですね。ありがとうございます」
「……貴女は何も分かっていない」
「どういう意味でしょう」
「残される人の立場も分からない大馬鹿者ってことですよ」
しのぶの身体に痛みが走る。電流が流れているような。慣れたつもりだったが、どうやらそうでもないと初めて自覚する。
彼女の身体は、毒に冒されている。自らの復讐のための手段。自身より力のある仇を撃つための、苦肉の策なのだ。それが今、痛みとなって現れただけ。彼女はただそれだけだと考えていた。
ところがだ。彼の言葉に反応したように、身体の痛みが治まらない。何故だ。しのぶは思考を巡らせるが、珍しく答えが出なかった。残ったのは痛みと、侮辱された彼の言葉だけ。少しだけ頭に血が上る。
「そう言われるのは心外です。それが私たちの役目でしょう?」
「貴女のそれは、ただの私怨です」
私怨。確かにそうだ。
最愛の姉を殺されたことを、ずっと根に持っていたしのぶ。彼女を殺した鬼を殺すことだけを考え、これまで任務にあたってきた。自らの命を捨ててでも、復讐を果たすことだけ考えて。
私怨の何が悪い、しのぶは喉まで出かかった言葉を慌てて飲み込む。鬼殺隊の柱として、そう断言するのは気が引けたのだ。だからか、真魚の指摘は痛いところを突いたことになる。
「鬼殺隊の役目は、どんな手を使ってでも鬼を滅すること。これからの敵は、これまでの常識が通用しないこともあります。念には念を入れて用意は必要かと」
理屈を並べて反論する。しかし、真魚はそんな言葉を聞く耳を持っていない。
「しのぶさんは、生きる気が無いんでしょう?」
痛い。身体が痺れる。真っ直ぐな目で、真っ直ぐな言葉。図星だった。そう、しのぶはこれから先を生きるつもりがなかった。姉を殺した鬼に復讐できさえすれば、それでよかったのだ。
真魚も彼女の思いを薄々感じていた。先を見据えることなく、目の前の鬼を殺すことだけを考えていた彼女。先ほど、門の前で話した時に感じた感覚。その正体はこれだと一人で納得する。
「死んで満足ですか? 鬼を滅して、平穏が訪れるというのに」
「私は姉を殺した鬼に復讐できれば、それでいいんです」
「貴女を慕っているカナヲちゃんにも、同じ思いをさせるんですか」
今日の真魚は可笑しい。しのぶは考える。
自分の心を痛いほど突いてくる言葉。トゲのあるそれは、彼女の心臓を抉り取るような刃となって突き刺さる。
淡々と、真っ直ぐな彼の言の葉。しのぶを前にして、ここまでハッキリと意見できたのは久しぶりの感覚だった。それも、核心を突いた話で。
(……カナヲ)
しのぶは思い返す。彼女がこの屋敷にやって来たあの日から、今日まで。
ゴミのような扱いを受けていた彼女は、いまや鬼殺隊の中でも期待の若手。真魚と同じく、次期柱候補にまで登り詰めた逸材なのだ。そんな彼女のことを気にかけての言葉。大した接点も無いと思っていたしのぶにとって、彼がそんなことを言ってくること自体不思議だった。だが、彼はアオイに会うためほぼ毎日屋敷に通っている。全く接点が無いのもあり得ない話だった。
「話はそれだけですか。私も作業に集中したいので」
視線を手元に落とすしのぶ。このまま彼と話していれば、自身の感情が思わぬ方向に傾いてしまいそうだった。自己防衛として紡いだ言葉は、彼の耳に確かに届く。
しかし、彼は聞く耳を持っていない。しのぶの心を逆撫でするように、畳に座り込む。流石の彼女も、その行為に若干の苛つきを覚えたようだ。
「……言葉の意味が分かりませんでしたか?」
「貴女こそ」
「一緒にしないでください。いい加減にして」
「俺は、未来を生きたいです」
「だからなんだ」そう言うつもりだったのに、彼女の喉はそれを許さなかった。キュッと締まって、明確な意思表示が出来ない。
こんな時に限って、彼と目が合う。自身の全てを見透かされたような瞳。逸らしたいのに、吸い込ませそうなソレから目を離さなかった。生きてきて初めての感覚だった。
「……やはりあなたは、鬼殺隊を辞めるべきです」
咳払いをして、二度目の提案を投げる。
正直、この鬼殺隊では彼のような思考の人間の方が珍しかった。金目当ての隊士も少なくないが、ほとんど鬼を滅することだけを考えている人間が集まっている。しのぶの考え方はこの鬼殺隊の中では至って普通なのだ。
「辞めませんよ。鬼が憎いのは俺も一緒です」
「……アオイのことを考えたら、あなたは戦場に行くべきではない」
「アオイちゃんを残して死ねませんよ」
「そんな甘い考えが嫌いなんです!!」
彼女の声が空気を切り裂く。
薄らと化粧をしているしのぶの顔に、苛つきが見える。甘い香りの中に微かにある怒り。真魚は身体が硬直していくのがわかった。
「……出て行ってください。もう話すことはありません」
しのぶは彼から視線を逸らした。そのまま彼に背を向ける。
完全に聞く耳を持たなくなった彼女に、彼は言葉を掛けることが出来なかった。止むを得ず、立ち上がる。
「……貴女もお姉さんと同じなんですね」
意味を含んだ言葉が漏れる。静まり返っていたせいで、部屋の中にソレはよく響いた。
顔を上げるしのぶ。視界には彼の背中。心なしか、落ち込んでいるように見える。今日何度目だろうか、彼の言葉の意味を考える。
「カナエさんと同じで、貴女も誰かを残して死んでいくんだ」
「………っ」
「最初から死ぬなんて言うのは、逃げですよ」
振り返る。瞬間。衝撃が全身を貫く。痛い――――。そう感じたのは真魚だった。
右頬に走る痛み。ジンジンと皮膚が痺れているような。自身の右手を頬にやる。あぁ打たれた、そう思うのと同時に無表情のしのぶが目の前にあった。
「あなたに……あなたに姉さんの何が分かるんですか。あなたに私の何が分かるんですか」
「……分かりませんよ何も」
「カナヲに止めて欲しいと言われたから説得しにきただけでしょう? 本心でも無いクセにそんな言葉を並べないで!!」
姉を馬鹿にされたような発言が、しのぶは許せなかった。いくら真魚でも、我慢できなかったのだ。彼をぶった左手は痺れている。言葉の通り、今の彼の言葉は彼女にとって、余計なお世話でしかなかった。
しのぶがカナヲのことを考えていないわけがない。むしろ考えているからこそ、彼女だけに今回のことを打ち明けたのだ。カナヲが彼に口を割ったのはしのぶにとっても想定外だった。
「本心じゃない? 何を持ってそんなことが言えるんだ」
「だってそうでしょう。私が死のうがあなたの人生には何にも関係がない」
「そんなわけないだろう!!」
今日の真魚は、よく感情を表に出す。分かりやすい表情をしている。
しのぶは何も言わない。二人の間には沈黙。見つめることもなく、互いの向こう側を見ているような。外では雀が鳴いている。
「……俺は、あなたのことを仲間だと思ってます。もう、誰にも死んで欲しくないんです」
彼は言葉を絞り出す。それに想いが凝縮されていた。
真魚の同期は全員戦死し、鬼との戦いが激化していく中で、気心知れた隊士たちは次々と死んでいく。普段は明るく振る舞ってはいるが、時折胸が締め付けられるような悲しみが襲ってくる。
しのぶとしても、彼の経歴は頭に入っている。だからこそ、その言葉を蔑ろにはできなかった。
姉に言われた「普通の女の子として生きてほしい」。その言葉が今でも頭にこびりついている。それが実に不快だった。そして、今日の真魚の言葉は、それを助長させているようで、不愉快極まりない。
「出て行ってください」
一言。彼は何も言わずに部屋を出て行った。
廊下に出て、彼は縁側へと足を運ぶ。柄にもなく、空を眺めていたい気分だった。
しのぶはとっくに覚悟を決めていたのだ。自らの命を投げ捨てることを。それはきっとカナヲ本人も分かっている。でも、その事実を認めたくない気持ちも嘘ではない。だから、真魚に打ち明けたのだ。「彼の言葉なら届くかも知れない」そんな淡い期待を胸に。縁側で腰掛けながら、彼は心の中でカナヲに詫びる。
「……随分とお疲れみたいですね」
「アオイちゃん」
「しのぶ様、大分怒ってたみたいですけど。何しでかしたんです?」
「別に何もしてないよ。ちょっと喧嘩しただけ」
「十分しでかしてるじゃないですか…」
声をかけたのはアオイだった。仕事が落ち着いたようで、彼の隣に腰掛ける。前よりも距離感が近い。当の本人たちは無意識だったが。
庭を見ながら返答していた真魚。横目でアオイを見ると、どこか怒っている。心当たりは無かったが、念のため問いかけた。
「何か怒ってる?」
「別に。何でもありません」
「怒ってるじゃん。どうしたのさ、可愛い顔が台無しだよ。怒った顔も可愛けどさ」
「……もう」
問いかけたい気持ちはあるが、踏み出す勇気は無かった。
二人が何を話していたのか、何を持って喧嘩したのか。アオイは気になって仕方がなかった。だが問いかけてしまえば、自身の想定する最悪な展開が待ち受けている気がしていた。
「ちょっと見回り行ってこようかな」
そんな日に限って、彼は自身の隣を離れようとする。アオイと話に来た真魚だったが、しのぶを説得するのに時間を使ってしまった。任務を疎かには出来ない。まだ昼間。鬼が出る心配はないが、持ち場の様子を確認するのも立派な仕事である。
一方のアオイ。「もう少し側にいてほしい」素直に口にできれば、どれだけ楽だろう。いつもなら深く問いかけてきてくれるのに、今日はどこか興味がなさそうな彼。今のアオイはしのぶに嫉妬していた。
そのまま屋敷を出ていく彼を見つめ、彼女は祈る。また明日会えることを。
その晩。
何者かによって鬼殺隊本部である産屋敷邸が襲撃された。
集結する隊士たちは、血鬼術によって一斉に姿を消すことになる。舞台は、無限城へ。
一ヶ月ぶりでした。ありがとうございました。
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本当にありがとうございました!