蝶屋敷のあの子【完結】 作:トマトのトマト
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「へぇ、珍しいなぁ。愛の呼吸なんて」
恐怖で身体の筋肉が痙攣している。真魚はそんな感覚に陥っていた。隣にいるカナヲも同じ。実力がある二人がかりで戦いに臨もうとしているのに、手も足も出ないような絶望感。少しでも気を緩めれば、底の無い沼に引き摺り込まれる。
童麿は再生した右腕を動かしながら、真魚の様子を伺う。しのぶを傷つけないために、器用に肩から切り落とされた。気配を消していたとはいえ、上弦の腕を落とすだけの力がある持ち主。彼は笑いながら扇を開く。しかし、攻撃する素振りは無かった。
(こいつは……不味い)
真魚の刀を構える両手に力が入る。上弦の鬼に初めて遭遇したのだ。これまで下弦の鬼を倒したことはある。しかし、その時とは比べ物にならないほどの恐怖。
それに腕を斬るだけで、かなりの腕力が必要だった。愛の呼吸は全ての形に共通して、
「三の形 真心の涙」で頸を狙ったにも関わらず、童麿は近づいてきた彼の僅かな気配を察知し、咄嗟に右腕で頸を守った。しのぶを手放すことになったが、その瞬間だけは命の危険を感じたが故の行動だった。
「柱でもないのに俺の腕を落とすなんて、すごいよ」
「……それはどうも」
真魚は童麿の嫌味に嫌味で返すことが出来なかった。今の彼は完全に空気に呑まれていた。鬼殺隊に入隊してから初めての感覚だった。
そもそも上弦の鬼は他の鬼と根本的に違うのだ。今の力で本当に奴の頸を落とすことができるのか。悪い方、悪い方へと思考が進む。
一方のカナヲ。二人のやりとりを眺めながら、童麿の姿形を頭に焼き付ける。微かな筋肉の動きも見落とさないように、周りの音を遮断。集中を高める。
「今日はツイてる。御馳走ばかりやって来て」
「……気持ち悪い」
「えーっ。ひどいなぁ。信者なら喜んでくれるのに」
口ではそんなことを言うが、その言葉に起伏が感じれない。真魚はそれを見抜いた。それが不気味なのだ。これまで彼が倒してきた鬼にも感情はあった。しかし、目の前の鬼にはそれが無い。まるでカラクリ人形と話しているような。ただ彼は「信者」という言葉が引っかかる。
「万世極楽教」
そんな新興宗教が巷で話題になっていた。童麿はその教祖として人間社会に潜伏している。だがその実態は、信者を喰うただの隠れ蓑である。
真魚はその団体を知っていた。寺院に入った人間が帰ってこないと街で噂になったことがあったのだ。一度鬼殺隊として調査をするべきだと議論になったものの、結局、そのまま話は立ち消えとなった。
教祖である童麿のことを見たことはない。しかし、そんな噂が真実味を帯びていく感覚。彼は固唾を飲む。
「お前みたいな奴が教祖だって言うのか」
「そうだよ。万世極楽教。聞いたことない?」
ドンピシャだった。寺院に消えていった人間の噂は事実。自らの疑問を解くように問いかけた真魚だったが、素直に答えてくれた童麿に驚く。からかっているのだろうか。少なくとも怯えたり警戒している様子は無かった。真魚は刀を握る手に力が入る。
これがこの鬼の性格なのだ。人間社会では人当たりも良く、信者には人気があっても不思議ではない。しかし感情を知らず、言葉にも起伏がない。真魚とカナヲ、そしてしのぶもそれに気付いていた。
「お前が極楽を説くのか。笑えるな」
「命って素晴らしいんだよ。それなのに、人間は生きることも死ぬことも恐れる。だから、俺が喰べてあげるんだ。そうすれば、信者たちは苦しみから解放される」
「……笑えないなこれは」
真魚たちから見ると、自己中心的な考え方。当の本人からすれば、実に合理的な考え方だった。互いに分かり合えることはない。この瞬間。真魚は構え、カナヲもそれに合わせて意識を更に集中させる。
しのぶは横になったまま、二人の後ろ姿を見つめている。呼吸で全身の出血を止める。カナヲが縛ったところは完全に止血されていた。肺が凍っているせいで、息が苦しいのは変わらない。呼吸で何とかならないかと考えるが、こればかりは溶けるのを待つしかない。可能な限り筋肉を温め、体温を上昇させる。
彼女は祈ることしか出来なかった。
柱であるというのに、隊士の戦いを見守ることしか出来ない。そんな自分が情けなかったのだ。もしもの時は、無理矢理でも身体を動かし二人のことを守るつもりではあったが。
「……っ!」
床が沈むほど右足を踏み込む。縮んだ筋肉を爆発させたように、自らの身体が弾丸となって童麿へ飛び込んでいく。
童麿はしっかりとその姿を捉えていた。速さはしのぶに及ばない。彼女の攻撃を受け流したのだから、真魚のそれは回避出来ないはずもなく。しかし、敢えてそれをしなかった。
「血鬼術――――粉凍り」
凍らせた自らの血を霧状にし、自身の周囲に撒き散らす。この技でしのぶの肺胞は凍ってしまった。呼吸を制限されるため、真魚たちにとって圧倒的に不利な技。
しかし、真魚は冷静だった。カナヲから技の特徴を聞いていたこともあり、振りまかれる霧氷に向かって突き進む。そして僅かに息を吸い、刀を突き出す。
「愛の呼吸 一の形――――純真」
刃となった空気とともに、霧氷を切り裂いていく。自らが進む道を作る。前だけを見据えたそれは、まるで片道切符のよう。彼の後ろには、霧氷が迫っていた。
(集中しろ、気を緩めれば一瞬で凍る)
自らの技が通用することに安堵する間もなく、再度意識を集中させる。前に進む分には問題はない。だが、後ろから追走するそれは、彼に油断を許さない。気を抜けば、一瞬で霧氷が全身を包み込むことになる。それは自身の終わりを意味していた。
真魚が作り出した道に、カナヲも続く。花の呼吸で彼を援護。カナエから引き継いだ技で、仇へと向かう。そんな彼女の姿を後ろから見つめていたしのぶは、思わず二人の姿を重ねてしまった。不思議に、姉が生き返ったような、そんな感覚。
「愛の呼吸 五の形――――
桜色の斬撃を飛ばす。直感的に距離を取る童麿。それを見計らったように、真魚は加速する。一気に距離を詰め、刃を振るう。
扇で防ぐ童麿に、背後からカナヲが頸を目掛けて斬撃を加える。しかし童麿は寸前のところで回避し、肩に傷が入る程度に抑えた。しかし、見事な連携に、二人は心の中で笑う。
それ以上に、驚きを隠せなかったのはしのぶだった。
二人の実力は、すでに柱と肩を並べていると言っても過言ではなかった。自身が近づくのにも苦労した童麿に対して、いとも簡単に攻撃を加えることができている。視線だけで連携をとっている様子を見ても、並大抵の剣士にできることではない。
――――上弦は柱三人分の力がある
いつの日か、誰かに言った言葉が頭をよぎる。
今のこの場には、柱であるしのぶ。そして、真魚とカナヲの三人が居る。言葉の通り行けば、決して不利という状況ではなくなったのだ。
童麿は二人の相手をしながら、横たわっているしのぶの警戒も怠っていない。それだけ余裕がある、真魚たちはそう思わざるを得なかった。しかし実際はそういうわけでもなく、童麿は今まで感じたことがない窮屈感があった。
真魚の呼吸法と自身の血鬼術。その相性の悪さが否が応でも分かるのだ。本来であれば、自身に近づかれることなく隊士を殺してきた童麿にとって。
「………あ、思い出した」
再び距離を取った童麿が呟く。真魚とカナヲは蔑んだ視線を送りながら、彼の言葉に耳を傾けた。
「そういえば信者に居たなぁ。愛の呼吸を教えてたって人。でも大勢の教え子が死んでしまって、生きる気力を失くしたって」
ドクン、と心臓が跳ねる。刀を構えている両手に力が入る。
真魚を包む空気が変わったことに、カナヲとしのぶは気付いた。
「可哀想だなって思ったよ。まるで死に場所を求めていたみたいで」
「……黙れ下衆!!」
カナヲは直感的に察したのだ。だからそんな言葉が出てくる。
今、童麿が話しているのは真魚の育手のこと。カナヲは彼にどんな過去があったのかは知らない。もしかしたらアオイも知らないことかもしれない。童麿は動揺させる気なんてサラサラ無かった。ただ思い出したことを彼に伝えているだけ。その彼の悲しむ顔を見たかっただけなのだ。
「……で? 俺には関係ない」
「そうなの? てっきり君の育手なのかなぁって」
あぁそうだ――――。喉まで出かかった言葉を飲み込む。
自身の記憶が蘇る。懐かしく、虚しいあの時の記憶。育手のことを忘れるはずがない。だって、彼自身の父親なのだから。
童麿の言うように、真魚の父親は教え子たちが死んでいくことに精神を病み、救いを求めて彼のもとを訪れた。たった一人の教え子であり息子の真魚を残して。彼は、童麿が鬼であるというのに、それすらも判断出来ないほど衰弱していた。その先のことは、真魚も知らない。
真魚が生きることに執着していた理由。それは自身の父親にあった。あんな哀れな最期を迎えるのであれば、トコトン生き抜きたい。アオイと出会い、恋をして、その思いは顕著になった。だから、しのぶのことも止めたのだ。自ら命を投げ出す父親に姿を重ねてしまって。
「梅咲さん……」
「大丈夫だよ、カナヲちゃん。そんな顔したら彼が悲しむよ」
この状況だというのに、彼から出る言葉は軽く、優しかった。
カナヲは気を抜いたら笑ってしまいそうな、場にそぐわない感情。真魚の言葉のせいで、彼女の頭をよぎる例の少年。
彼は大丈夫なのだろうか。これまでも幾度となく上弦と遭遇し、そして生還してきた彼。今回も大丈夫、そう思いたくても、目の前の鬼を見れば分かる。それは甘い考えだと。カナヲは固唾を飲む。ここで死んでしまえば、もう彼に会えなくなる。そんなのは嫌なんだ。自らの心に素直に。
真魚にしても同じだった。童麿はこれまで二人が倒してきた鬼と比べても、明らかに次元が違う。大人と子供、それぐらいの差がある。ここにいる三人の仇だというのに、飄々としている童麿を見ても、常軌を逸しているのが分かる。
「血鬼術――――粉凍り」
再び同じ技を繰り出す。真魚も再び純真で自身の周囲を振り払う。カナヲが童麿に向かっていく。
しかし。彼女が間合いに入った瞬間、童麿はカナヲの前から消える。一瞬すぎて、彼女も真魚も反応することが出来ない。やがて気配は、二人の背後に。――――狙いはしのぶだった。
「血鬼術――――冬ざれ
空中で童麿は笑う。二度と同じ攻撃は通用しない。そう二人を嘲笑うかのように。今の二人は、しのぶを守る為に戦っている。仇などの問題ではない。であれば、動くことの出来ない柱の少女を先ず殺してしまえば、後は簡単な話。そもそも吸収するのを邪魔されていたせいで、変に焦らされていた感覚が童麿を飲み込んでいた。
横たわるしのぶの上空に、無数の巨大な氷柱が出現。やがてそれは、刃となって地面に向かい急降下する。かなり広範囲に広がっているのは、回避されることを万が一にも避ける為。
そんな童麿の狙いとは裏腹に「逃げなきゃ」と、しのぶの直感が警鐘を鳴らす。しかし、一度横になった身体は言う事を聞かない。少しも動かない。筋肉は痙攣し切っていて、氷柱を受け流す力も残っていなかった。
それがどういう意味か。カナヲと真魚。助けに行かないと行けない、そう思っているのに血の気が引いていく。その一瞬の硬直が命取りになることを二人は分かっていたというのに。カナヲの身体は動かない。
「師範ッ!!!!」
その声で真魚。技を止め、息を止め。粉凍りを潜り抜ける。身体に張り付く氷が皮膚を破いていく。痛い。だが、今はそんなことを言っている場合では無かった。
「愛の呼吸 四の形――――
自らの身体を
真魚は全力で息を吸い、空気の渦を広げていく。それは氷柱を破壊するのに十分な威力があった。
「血鬼術――――
追い討ちをかけるように、童麿は二つの女形を生み出す。そして、それらから放たれるのは強烈な冷気。二人を丸々飲み込んでしまいそうなそれは、冬ざれ氷柱と相まってより強化された攻撃になっていた。
愛の呼吸 一の形――――純真
咄嗟に地上へ降り、しのぶを庇う形で天井を見上げる。そして技を繰り出す。少しも気を抜けない。空気を刃とできる技であるが、先ほどよりも技の精度が落ちていた。真魚は氷柱と冷気、その全て受け切れることが出来なかった。
瞬間、衝撃音が響く。カナヲが援護に行く間もなく、砂と冷気の混じった煙が二人の空間を包んでいた。童麿はそのまま地上に降り、カナヲには目もくれず二人の方を見つめていた。やがて晴れる煙。
「………ま……真魚…君……」
しのぶの声は彼に届かない。真魚は立っている。あれだけの攻撃を受けたというのに、立つことが出来る彼に、童麿は素直に驚いていた。
「すごいねぇ。でも、もう限界かな?」
真魚の全身は冷気と氷柱によって切り裂かれ、頭、腕、脚。あらゆる場所から出血していた。幸い、腱は切れていなかったが。そのおかげで、しのぶは無傷で済んだ。
大丈夫としのぶに声を掛けたいのに、少しでも身体を動かせば全身に激痛が走った。意識が消えていく感覚。童麿は笑う。寄り添うカナヲと手を伸ばすしのぶ。
消えゆく意識の中。何も考えることが出来なくなった彼を呼び止めたのは――――自らの想い人だった。
ありがとうございました!
実は物語もそこそこ終盤です。少しずつ終わりが見えてきました。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
新たに高評価してくださった方々
・サンディエゴさん
・夜野桜さん
・バイターさん
ありがとうございました!