蝶屋敷のあの子【完結】 作:トマトのトマト
俺が十三の頃。突然、親父は俺の目の前から姿を消した。
でも不思議だった。突然と言いつつも心の何処かでは分かっていたのだから。唯一の肉親が蒸発して、その日から俺は一人だった。でもまた不思議で。親父のことを探しに行こうなんて思えなかった。
親父は元鬼殺隊士で「愛の呼吸」の育手だった。小さな家だったが狭い道場もあったし、教え子も四人通っていた。幼かった俺は親父の形が面白くて、遊び半分で真似事をしていたぐらい。だけど、時折「筋がいいな」と褒められたことはよく覚えている。それでも、深い意味なんて考えたことなかった。
ある日、教え子のうち一人が帰ってこなかった。
またある日、一人、二人と。三人とも「行ってくる」と言い残して。幼心なりに、もう二度と会えないんだなと感じたことを今でも覚えている。その頃から、親父は酒に溺れるようになった。
今になって思うと、あれはきっと最終選別に行ったのだろう。そしてある日の夜。森の中で男の死体が見つかった。唯一残っていた教え子の一人だった。鬼に襲われたらしいと隊服を着た青年が親父に話しているのを聞いてしまって。その時の親父は何を考えているのか分からないほど、視点が定まっていなくて。これが止めとなったらしい。
時折、教え子の死を伝えてくれた隊士が様子を見に来てくれた。その頃だった。鬼殺隊のことを知ったのは。
親父は呼吸法のことを教えてくれなかったし、俺も知るつもりも無かった。でも不思議と
擦れていた。鬼を狩るだけの人生。愛の呼吸、なんて使ってるくせに、愛なんて知らない。親父は俺のことを愛していてくれてたと思うし、俺も親父のことは尊敬していた。でもそれは幼心なりの気持ちで、歳を重ねるにつれて、それは虚しさとなって。
一年前。唯一の生き残りだった同期が死んだ。
同じ任務。鬼を殺すことには成功したが、その代償は大きかった。そのことを知ったのは、見知らぬ屋敷のベッドの上だった。
「――――気が付きましたか」
聞き慣れない声。顔を上げようとするとズキッと電気が走る感覚。身体のあちこちが痛かった。視線だけで声のする方を見ると、俺より年下らしい女の子がこちらを見つめている。
「無理に動かないでください。傷が開くかもしれません」
「あ、あぁ……」
彼女の声色のせいだろうか。素直に言うことを聞いてしまうような。説得力のある言葉だった。
蝶屋敷。柱である胡蝶しのぶが管理する屋敷だ。主に怪我した隊士を治療する場でもある。どうやら俺は隠によってここに運ばれたらしい。この部屋には俺と彼女しか居なかった。そこで彼が死んだことを察してしまった、とでも言えるだろうか。
あぁ、一人になってしまった。同期というつながりが途絶えたこの瞬間。俺は本当に独りになってしまった。寂しい、そんな感情。先のことなんて考える余裕も無かった。いや、考える気すらも無かったのだ。
「………同期の方は亡くなられました」
彼女はハッキリとそう言った。俺の目をしっかり見つめて。
彼が俺の同期だということは、恐らく誰かから聞いていたのだろう。それでも、誰かの死を伝えることは辛いはずだ。
でもその時は、そこじゃなくて。
親父だって、最終選別に行った教え子たちだって。死んだなんて一言も聞いていない。もしかしたら、何処かで生きているかもしれない。そんなことを思って、いや、思い込んでいたのかもしれない。
でも、今は違った。ハッキリと否定された。彼は死んだと。この世に居ないと。もう二度と会えないと。
面と向かってこんなことを言われたのは、初めてだった。自分はただ、思い込んでいただけだった。鬼殺隊。死というのは、すぐ隣で手を引いている。数時間前まで隣で笑っていたアイツが死んだのだから。
瞳が濡れて、彼女の顔を見ることが出来なかった。
涙。いつ以来だろう。変な感覚だった。血が流れるより痛い。命が削れていく感覚なんて無かったのに。大して面識もない彼女の前で泣くなんて恥ずかしい。そう思っていたのに、彼女は手拭いをそっと差し出してくれた。不思議だった。生まれて初めての感情。心が暖かくなっていく。
涙は止まって、視界が広がる。彼女は椅子に腰掛けて俺を見ていた。哀れむわけでもない。優しい。初めてだった。
女性に慣れていないわけでもない。鬼殺隊に入隊してからも女性の隊士と話したことはあるし、目の前にいる彼女だってそうだ。そうだというのに。
「その、気を落とさないでください」
「……ありがとう、ございます」
言い方は悪いが、きっとこういう状況に慣れていたのだろう。
しのぶさんは薬の調合ができると噂では聞いていた。それもあって、ここが治療の本拠地になっているということか。
窓から日の光が部屋に差し込んでいる。暖かい空気だ。昨晩の記憶を消し去りたいというのに、日の光は何もしてくれない。虚しさが胸を覆っていく。虚無感のせいで何も話す気になれなかった。それだというのに、彼女は何も言わずに付き添ってくれていた。
一人になりたい、僅かにそんな感情が芽生えたが、不思議と彼女の存在が有り難かった。無言の空間。彼女は仕事で部屋を出ることもあったが、直ぐに戻ってきてくれて。かと言って、話しかけることもなく、黙々と部屋の片付けだったり、裁縫だったり。部屋の角にある机の上。俺に背を向けた形になっているが、時々見える彼女の手つきが綺麗で綺麗で。
何時間経っただろうか。もう夕陽が差し込んでいて。彼女は相変わらず黙々と作業をしていた。目が覚めたときからだいぶ落ち着いたこともあって、あの無言の空間が少しだけ気まずかった。
「あの……変なこと聞いてもいいですか?」
思い返せば、初めて君を見た時から。俺はもう惹かれていたのかもしれない。見た目もそうかもしれない。雰囲気、声。君の全てに。
目の前で涙を見せたというのに、ようやく口を開いた俺を見て、彼女はほんの少しだけ微笑んでいた。どんなことを思われたのだろうか。今まで気にもしてこなかった感情が湧き出る。
「愛って、なんだと思いますか」
「あ、愛……ですか」
今でもふざけた質問だったと思う。彼女は戸惑った。それもそうだ。自分で問いかけておいて、恥ずかしくて恥ずかしくて顔が紅潮していく。そんな俺を見て、彼女は小さく微笑んでいた。俺の問いかけに対して、彼女の答えはすぐに返ってきた。
「心が落ち着く瞬間、だと思います」
真っ直ぐだった。本当に、心を突き抜けていくような。
彼女の綺麗な瞳。綺麗な顔。綺麗な髪。鼓動が高鳴る。全身の血液が沸騰するように、身体が熱くなっていく。
言っておいて恥ずかしくなったのか。彼女は部屋を出て行ってしばらく戻ってこなかった。悪いことをしたな、と思ったけど、今日初めて口元が緩んだ気がした。
彼女にあんな質問をした理由。自分でしておいて、イマイチ分かっていなかった。でも、彼女に会う度に段々と理解できるようになった。彼女が見せる笑顔、困り顔、泣き顔。その全てが愛おしくて愛おしくて。
身体が万全になった俺は、彼女にひたすら声を掛けるようになった。用もなく彼女に会いに行き、彼女を困らせて、でも幸せで。しのぶさんに怒られることもあったけど、そんな日常が本当に穏やかで幸せだった。
正直な話、彼女に惹かれていたのも事実。でも、何より俺は不安だった。言葉を掛けないと、彼女がある日突然、どこか遠くに行ってしまいそうで。自分がこんなに面倒くさい男だとは思いもしなかった。
「……怖い………こわ………い……」
彼女が鬼に襲われた時。俺は鎹鴉から彼女のことを聞き、急いで現場に向かった。幸い、寸前のところで助けることが出来たが、彼女を背負って蝶屋敷に向かう時、痛みに堪えながらそんな言葉を漏らしていた。
その時、彼女は気を失っていた。だから、あれは彼女の心の声。普段はしっかり者の彼女。今にも消えてしまいそうな声でそんな呟き。治療している間も気が気でなかった。
月明かりが入る病室で、彼女の様子を伺う。いつの日かと逆の構図。怪我をしているとはいえ、穏やかな寝息をしていて、すごく安心したことを覚えている。
――――もう彼女を傷つけさせない
その時、彼女にしたかつての問いかけを思い出した。彼女は答えた。「心が落ち着く瞬間」と。今この瞬間、まさに正反対だった。でも、対極にあるからこそ、彼女の言葉がスッと胸に落ちていく。
それは、彼女が隣に居る時だ。彼女が隣に座っているだけで、心が落ち着く。穏やかになる。
俺の家に彼女が泊まった時だってそうだ。俺は約束したじゃないか。絶対に生きて帰ると。彼女が涙ながらに言ってくれたじゃないか。
この戦いが終われば、きっと平穏が訪れる。もっと生きたい。楽しくて、苦しくて、甘くて、優しい人生を歩みたい。隣にはいつも、彼女が笑っていて。
――――あぁ、そうか。誰かを愛することが愛じゃない。
――――俺にとっての愛は、
彼女のためなら、どんなに恐ろしい相手でも向かっていける。
彼女のためなら、どんなに辛くても刀を振れる。
彼女のためなら、必ず生きて帰ってみせる。
愛しい彼女は家族を亡くしている。だったら、俺が必ず支えてやるんだ。親父たちに向けられなかった自らの愛を彼女に。
苦しい時も、楽しい時も。喧嘩しても、仲良くしても。最終的にあの子が笑ってくれればそれで良い。それが俺の幸せなんだ。
――――真魚さん
彼女の声。少しふて腐れた顔。聞き慣れているのに、見慣れているのに、鼓動が高鳴る。
意識が覚醒していく。また君に助けられた。ごめんごめん。少し休みすぎたみたいだ。
待っててねアオイちゃん。すぐに帰るから。
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