蝶屋敷のあの子【完結】   作:トマトのトマト

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 早速の感想、評価ありがとうございます。




第二話 蝶屋敷、夕日

 

 

 

 

 

 

 

「死ぬかと思った。というか死にました」

「そんな報告は必要ありません。そしてここに来るのやめてください」

 

 一日に二度も彼の顔を見てしまうと、胸焼けした気分になる。何度目か分からないため息を吐くが、その意味は真魚に通じるわけもなく。むしろ彼の頭の中はアオイの身体から香る甘い匂いで痺れていた。

 時刻はすでに夕方。外を見れば夕陽が顔を覗かせている。朝から働きっぱなしのアオイが縁側で一息ついていた時、彼が姿を見せたのだ。気のせいか、朝より顔がゲッソリしたようにも見える。だがアオイは気付かないフリをして何も言わなかった。

 

「あの人本当に鬼だわ。平気で俺を実験台にするんだよ? アオイちゃんからも何とか言ってくれよ」

「自業自得です。真魚さんがあんな事を言うから」

「地獄耳というか何というかだよなぁ……」

 

 真魚は彼女の隣に腰掛ける。横目で彼を見ると、相当参っているようだった。アオイは朝との違いに笑ってしまいそうになるのを堪えた。

 二人で夕焼けを見つめる。別にこれが初めてではない。真魚も朝のように口撃することなく、何も言わずにただ夕日に染まる空を眺めていた。アオイの中で、今日初めてのゆったりとした時間が流れている。

 

「そう言えば、休暇を貰ったようですね」

「あぁ知ってたんだ。そ、()のご厚意で。でも何するか決めてないんだよね」

「一人で買い物でも行ったらどうですか。中々出かける時間もないでしょう」

「物欲はないんだよね。アオイちゃんは欲しいけど」

「あぁそうですか」

 

 適当な返しになってしまったが、彼女は後悔なんてしていない。まともに受け答えをすれば、余計に疲れるだけなのだから。一方の真魚はそういうわけにもいかないらしいが。

 どうすれば彼女は振り向いてくれるのだろう。毎日毎日彼女の元を訪ねてはみたものの、どうも効果は無いように見えていた。だが、彼はこれを止めるつもりは無かった。

 今は休暇を貰ってはいるが、任務に出るとそれこそ命懸け。死んでしまえば、もう彼女には二度と会えないのだ。そう思うと、会えるうちに会っていたいなんて考えが彼の心を支配する。しかし、それにはアオイも勘付いていたのだ。

 

「……任務は怖くないのですか」

 

 どうしてそんな言葉が漏れたのか。アオイ自身、よく分からなかった。

 怖くないのか――――。でもそれは彼女の心にこびりついている疑問でもある。最終選別の時を思い出すだけで今でも震えが止まらない。刀を握るだけであの時の禍々しい記憶が蘇るのだから。

 

「怖いよ。すごく」

「……ならどうして、貴方は鬼殺隊に」

 

 彼と知り合って一年が経つが、彼女は初めての質問をぶつける。

 鬼殺隊に入隊してくる人間は、大抵が鬼に身内を殺されたり、代々鬼狩りの家系だったり、あるいは単純に金銭目的だったり。それ以外の目的を持った隊士をアオイは見た事がなかった。

 

「鬼は嫌いだから。幼い頃色々あって」

 

 そして真魚も例外ではなかった。色々あって、と言葉を濁したのは何かしら理由があるからだろうか。彼女は少し考えて、問いかけることはしなかった。

 自分より二つ年上というだけなのに、彼女から見た彼はどこか達観していて。本当に二つしか歳が変わらないのだろうか。そんなことが頭をよぎる。

 そもそも、アオイは刀を振るう真魚を見たことが無かった。歳は真魚の方が上だが、入隊したのはアオイが早い。彼女は屋敷で仕事をしているため、外に出て任務に当たる彼の様子を見たことないのは当然と言えば当然だった。調子の良い彼しか知らないこともあって、「怖い」と言った事が少し意外でもあった。

 

「そう言うアオイちゃんはどうして?」

 

 彼が聞き返してくるとは思わなかったのか、彼女は少しだけ目を見開く。思い返せば、確かに彼にそんな事を聞かれたことも無い。会うたび茶化され、冷やかされ。そんな軽い関係だと思っていただけに、真面目な彼の表情を見るのは少し恥ずかしい。

 アオイは視線を落とす。風に吹かれて地面が震えている。あぁなんだろうか。鬼殺隊に入った理由を話すだけなのに、喉が震えて言葉を紡げない。

 決して隠しているつもりは無かった。無いのだけれど、その頃の気持ちと自身の現状を比べてみると、入隊した時の気持ちはどこに行ってしまったのだろうか。そうやってまた自分を責めたくなる。

 

「……大した理由はありません。お金が必要だったので」

 

 そうしてまた嘘を吐く。鬼殺隊に入隊してから、嘘を吐いてばかりだ。人にも、自分にも。

 鬼が許せないから、なんて言葉は言えない。戦いにいけなくなったのだ。そんな事を言えば、自身最後の存在価値を真っ向から否定することになるのだから。

 

「そっか。いいじゃん。鬼殺隊はかなり高給与だし」

「え、えぇ。その通りです」

 

 真魚は素直に彼女の言葉を受け取った。そして優しく声を掛ける。

 だが彼もそこまで鈍くはない。それが彼女の本心だなんて少しも思っていなかった。

 そう思っている人が、あんなに丁寧に、負傷した隊士の治療に当たるはずがない。アオイの仕事ぶりを見れば、その言葉が嘘だということはすぐに分かる。きっと彼女も自分と同じで鬼が憎い。きっとそうなのではないか。限りなく確信に近い自己完結。だが、これ以上この話は彼女にとっても酷だろう。そう思い、再び夕日に視線を送る。

 

 二人の間に沈黙が訪れる。これ以上ここに居ても、きっと会話にならないはずなのに。それでも真魚はその場を離れようとはしなかった。

 アオイにしてもそうだ。このまま一人になれば、遣り場の無い苛つきに苛まれるだけだと分かっていた。それを緩和してくれるのは、隣に居る真魚だということも、分かっていた。

 

「……夕日が綺麗ですね」

 

 どうしてだろうか、そんな言葉が漏れる。しのぶがよく「月が綺麗ですね」と言っていた。その真似事。もちろんそんなことを言ったのは、アオイ自身初めてだった。

 慣れないことはするべきではないとよく言う。言ったはいいが、彼女の顔が熱くなる。やはり自分にはそんなことを言うのは向いていない。

 

「急にしのぶさんみたいなこと言うんだね。アオイちゃんも」

「わ、笑わないでください……。私にもよく分からなくて…」

 

 自分で言っておきながら「分からない」とは。アオイは苦笑いするしか無かった。一方の真魚は、彼女が思っている以上に優しく微笑んでいた。彼からしても、彼女の新たな一面を見る事が出来たのだから。

 俯いたアオイを見つめる真魚。なんと愛おしくて可愛らしい子なのだろう。そんな純粋な想いを毎日のようにぶつけているのだから、アオイが胸焼けするのも無理はなかった。

 

「朝、アオイちゃんに言ったこと覚えてる?」

「……さあ。忘れました」

「そのままで居てって話だよ」

 

 覚えているに決まっている――――。あんな言葉を言うのはこの目の前に居る男だけなのだから。

 急にそんなことを言い出したのは、何故だろうか。考えたところで、アオイの固い頭では分かるわけもなく。息を呑んで彼の言葉を待つしかなかった。

 

「俺はいつ死ぬか分からない。でも、ここに来れば君が居る。それだけで『生きて帰って来よう』って思えるんだ」

「……そんな大袈裟な」

「大袈裟なわけあるもんか。安心するんだ。ここに来て、アオイちゃんの顔を見ると」

 

 顔を見ていないのに分かる。真魚の眼差しはとんでもなく真っ直ぐで、心の中まで見透かされたような。でもそれは、しのぶのモノとは違って、優しくて暖かくて。抱きしめられているような不思議な感覚。アオイは顔を上げて、彼を見る。今日初めて、二人の目が合った。

 

「あはは。目が合ったね」

 

 本当に、どうしてこの人はここまで一途なのだろう。彼女は考える。

 真魚は顔を赤くして笑う。照れているのだろうか。それとも、夕日のせいだろうか。

 こんな捻くれた自分に、真っ直ぐで優しい言葉を投げかけてくれる。それが私に対する好意というもの、言葉で片付けるのは簡単だ。今のアオイにそれを理解するだけの経験も無い。

 朝のようにハッキリと否定したい――――。そう心の中では思っているのに、さっきのように喉が震えてしまって。感情を紡げない。恥ずかしさともどかしさが胸を覆っていく。

 

「ちゃ、茶化さないでください」

「茶化してなんかないよ。至って真面目」

「……それを茶化してるって言うんです」

 

 消え入りそうな声だった。弱々しい、というわけではない。否定の念が込められていない彼女の素直な声だった。

 誰にでもそんなことを言ってるのではないか。そんな疑問が彼女の頭をよぎる。真魚の顔立ちは端正というわけではないが、話しやすい部類の人間。頭も柔らかく、会話の相手を心地よくさせる不思議な魅力の持ち主だ。女子たちには人気が出るのではないか。なんて、()()()()()感情が湧き出る。

 

 気が付けば、夕日は沈みかけていて、すっかり空は暗く染まりかけていた。

 鬼が動き出す時間になる。きっとこれから、何の罪もない人々が襲われていくのだろう。アオイは考えた。

 鬼殺隊の役目は鬼を殺すこと。だが、全ての鬼を狩ることは物理的に不可能だった。隊士が抱いていい感情ではないかもしれない。でも、それは柱も、ましてや()()()きっと分かっていること。そう言い聞かせて。

 

「遅くなる前に帰られたらどうですか」

「もう少しここに居るよ。勝手に帰るからさ。相手してくれてありがとう」

「……別にしてあげたつもりはありませんが」

「あぁそう言えば。下町に鬼が出たって隊士が騒いでた。アオイちゃん、気をつけてよ」

「……心配には及びません」

 

 アオイはそう言い残して、彼の元から姿を消した。あまり長く話したつもりは無かったが、身体が疲れている。これから夜の炊事や行きそびれていた買い出しに行かないといけない。

 

(はぁ……ちょっと無理しすぎました)

 

 最近、屋敷に運び込まれる隊士が増えたように感じていた。

 一部では『隊士の質が落ちてきている』なんて声も聞こえるぐらいだ。そのしわ寄せが治療部隊に来ている。彼女は盛大にため息を吐く。

 身体に鉛が付いたように重い。やはり疲れている。あの時しのぶの言葉を素直に受け止めていれば良かったと後悔しても時すでに遅し。生真面目すぎる感情に動かされるまま、同じ屋敷で働く女中に一言告げて、彼女は屋敷を出た。すぐ近くの街まで降りて、買い出しをするだけ。

 

 その頃には、すっかり日も落ちていた。

 月の光が世界を照らしている。美しいのに、アオイは夜が嫌いだった。こんなに月は綺麗なのに、今でも鬼はのうのうと人を襲っている。そんな歪んだ世界が嫌いだった。

 

 街に出る。浅草のように賑やかではないが、人通りは少なくない。さっさと買い物を済ませて屋敷へ帰ろう――――。

 

 

「――――助け、て、だれ、か」

 

 

 身体が固まっていく。確かに声がした。千切れそうな声が。

 明らかに普通ではない。それはまるで、最終選別の時のような、喉がちぎれそうになりながら助けを乞うあの声。

 

――――下町に鬼が出たって

 

 真魚の言葉が頭をよぎる。間違いない、鬼だ。

 任務に出ている隊士なら、すぐ討伐に向かうはずだ。しかし、アオイは日輪刀を持っていない。助けに行ったところで、返り討ちに遭うのは目に見えていた。

 それでも、ここで見捨てていいのだろうか。彼女は立ち止まって考えた。

 

(私は……鬼殺隊)

 

 自身に言い聞かせる。恐怖で戦いに出られなくなった腰抜けだ。だが、目の前で助けを求める人を助けられないほど、私は弱くない。強く強く念じて、声のする方へ全速力で駆け出した。

 救出して蝶屋敷に運び込めば問題ない。絶対に戦闘は避けなければならない。まず勝ち目はないのだから。

 

 声がしたのは、人気のない裏路地だった。そこは明らかに禍々しい空気を纏っていた。アオイは身体の震えが止まらなかった。まだ引き返せる。戻って隊士を呼んだ方がいい。そんな心の声も聞こえるほど、神経が尖っている。

 だがそうした場合、負傷した人が助からないかもしれない。目の前の命を救うには、自分が行くしかない。覚悟を決めて、足を踏み入れた。

 

 しばらく進むと、やがて見える一つの影。――――鬼が笑っていた。

 

 

 





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