蝶屋敷のあの子【完結】 作:トマトのトマト
真魚は一人で歩けるにまで回復し、屋敷を出る準備を進めていた。アオイとの
実際のところ、屋敷まで歩いてこれる距離である。それなのに、不思議と寂しさがあった。これまで毎日、屋敷に足を運んでいた彼にとって、自宅よりも思い入れがあったのだから。
綺麗な夜空に星たちが散らばっている。大きな満月が地上を照らす。一人、縁側で眺める空。
「――――お待たせしました」
全ての仕事を終えたアオイが、彼の前に。
隊服ではなく、着物で髪の毛も結っていない。何度見ても破壊力抜群の彼女の姿に、真魚は恥ずかしくて視線を逸らした。裏腹に、鼓動が高鳴る。真魚の隣に腰掛けるアオイからは、石鹸の甘い香り。彼の鼻孔を抜け、頭がジンジンと痺れるような。
「それで、話というのは」
アオイは、単刀直入に問いかける。彼女がここに来たのも、真魚から呼び出されたため。ではあるが、真魚は回復してから毎晩、縁側で夜空を眺めていた。ここに来れば彼と話すことができる。呼び出されなくても、来るつもりだったのは内緒の話である。
「……明日、家に帰る。だから二人で話したくて」
任務がある頃は何かと理由を付けてアオイに会いに来た彼。しかし、鬼殺隊士で無くなった以上、無闇に屋敷へ出入りするのは気が引けた。最愛のアオイがいるとしても、彼女は彼女で解毒剤作りで慌ただしくなる。邪魔するわけにはいかなかった。
しのぶには「連れ出してくれ」なんて言われたが、彼女の邪魔だけにはなりたくなかったのだ。
――――それでも。
「……俺と一緒に来てくれないかな」
「えっ……」
それでもやはり、彼はアオイの側に居たかった。
しのぶや女中たちから聞いたのだ。自身が目を覚ますまで、彼女がどんな思いをしていたのか。誰よりも涙を流し、手を握り、目を覚ますと信じ続けた。そんな彼女を、一人にはしたくなかった。かと言って、いきなり一緒に住むことを提案するのにはかなり勇気が必要だったようで。軽口を叩く真魚も、顔を赤くしてそれ以上何も言わなくなった。
一方のアオイ。彼の言葉を頭の中で噛み砕く。そして、意味を考える。それはつまり「一緒に住む」ということ。
体温が上がっていく。恥ずかしさと嬉しさ。あまりにも急展開すぎる、そんな思いとともに。
でも、その前に彼女にもすることがあった。あの日、彼に言われた言葉に対する返事。彼が目を覚ます前に、こっそりと言った言葉であるが、今の彼に伝えたい――――。これまで恥ずかしがっていた自分が嘘のように。
「真魚さん」
すぅ、息を吸う。綺麗な空気。頭が冴えていく。真魚の顔を少し見上げて、彼女は言う。
「――――私も、貴方のことを愛し続けます」
「返事が遅くなってごめんなさい」アオイは恥ずかしそうに続ける。だが、胸が張り裂けそうだった。二人とも。
ようやく、ようやく、ようやく言えた。最愛の彼に、最愛の言葉を。
ようやく、ようやく、ようやく聞けた。最愛の彼女から、最愛の返事を。互いの顔を直視できないほど、二人の顔は紅潮していた。しかしこれでは話が進まない。
「どうしたのさ……急に」
口ではそんなことを言うが、彼は嬉しかった。恥ずかしさを隠すため、ついそんなことが口から出る。雲の上にいるような、ふわふわとした感覚。まるで現実ではないみたいに。
「……あ」
あの時と同じように、真魚はアオイの肩を抱き寄せた。
彼女からは驚きと安堵感で、甘い言葉が漏れる。あの時とは違って、彼の胸の中はすごく暖かくて、幸福感に満ちている。それがアオイは嬉しかった。
ギュッと強く抱き寄せる。彼女の小さな肩が壊れそうな。アオイはそんな心配をすることもなく、やはり、心地が良かった。
「もう、君を置いて何処にも行かないから」
「はい……」
「もう、君を不安で泣かせないから」
「はいっ……」
優しい声。全てを終えて帰ってきた彼。本当に穏やかな雰囲気で、今まで感じたことのない感情がアオイの胸を覆う。
不安で泣かせない、なんて言われた早々、嬉しくて涙が出そうになる。ここで泣いてしまえば、また彼に心配をかけることになりかねない。アオイは必死に堪えて、彼の胸に顔を埋める。自身の大好きな真魚の匂い。幸福感が増していく。
真魚の右手が、アオイの頭に乗る。そして、丁寧に丁寧に撫でる。その行為が余計に泣きたくなるとも知らずに、ただアオイは、うっとりと、幸せに身を委ねるしかなかった。
「……月が綺麗です」
「しのぶさんみたいだね」
「今は……違う人の名前出さないでください」
「ごめんごめん。今も昔も、アオイちゃんだけだよ」
「それならいいんです」彼女は笑う。真魚の胸にあったアオイの顔は、彼の左肩に寄りかかる。
コツン、と全体重をかけても、彼はびくともしない。安心感と余韻に浸っているようで、まるで酔っ払っているかのようだ。
晴れて恋人関係になった二人。今は周りの音も聞こえず、ただただ互いの心音を感じていた。
ずっとこの時間が続けばいいのに、なんてありきたりな感情。でも、もう彼は鬼と戦うことはない。一人の男としての生を歩んでいくのだ。この時間はずっと続くのだから。やはりアオイは、それだけで泣きそうになってしまう。
「真魚さんの手、大きくて暖かい」
「アオイちゃんの手が小さいだけじゃない?」
ペタペタと真魚の左手を触り、やがて繋ぐ。普段はそんなことをするような彼女ではない。まるで自分に素直になったかのような行動。真魚はそんなアオイが微笑ましく、優しく彼女の手を握り返した。
虫の鳴き声と、少し冷たい風。ずっとここに居たら風邪をひいてしまいそうな。しかし、二人の間には確かな熱がある。身体が勘違いしてしまうほど。だから動くつもりにはなれなかった。
「……私は、貴方に出会えて良かったです」
「俺もだよ。君が居なかったら、俺はきっと――――」
「死んでたと思う」それは口から出ることなく、グッと飲み込んだ。生きて帰ってきたのだから、彼女を変に心配させたくなかった。それが分かっていたからか、アオイも何も言わない。
真魚が怪我を負って、この屋敷に運ばれて来なかったら。二人は出会うことすら無かった。
そんな蝶屋敷のあの子が今。自らの恋人になったのだから。人生とは不思議で、いつどこに分岐点があるかなんて分からない。それが、生きていくということなのだから。
「私も、貴方について行っていいですか?」
ここで最初の問いかけに戻る。
順番がおかしくなってしまったのは仕方ないと、彼女は笑う。真魚もしっかりとアオイの想いを聞くことが出来たからか、感謝の言葉とともに、素直に頷いた。
屋敷を出る不安というのは、無かった。しのぶの推察通り、隣に真魚が居てくれるだけで良かったのだ。
「それなら準備しないとだね」
「はい。でも、もう少しだけこうしていたいです」
「……うん。俺もだよ」
今はこうして、二人だけの時間を過ごしていたい。
そんな単純で、真っ直ぐな想い。これまで自分たちで我慢を強いられていたのだ。心を縛るものが無くなった今、その分のわがまま。
「真魚さんはこれからどうするのですか?」
「しばらくゆっくりするよ。それから仕事探そうかな」
ゆっくり、というのは至って単純な理由。これまで厳しすぎる日常を送ってきたのだ。少しは穏やかな時間を過ごしたいという願望。それに、真魚は給料を使う機会が少なかったせいか、貯蓄は十分にあった。しばらく働かなくても、ある程度の生活は保証されている。
「……危ない仕事はやめてくださいね」
「分かってる。言ったじゃん。アオイちゃんを一人にはしないって」
それは二人の間で約束事のようになっていた。
生きていくためには、お金が必要になる。これまでは鬼殺隊として生計を立てていたが、収入源が無くなってしまう以上、新たに職を探す必要があった。鬼殺隊の給与は他の職に比べても段違いで高い。それだけ危険を伴っていたのだから、当然と言えば当然である。
しかし、アオイは給与以前の問題で、ただ純粋に、安全に働いて欲しかっただけなのだ。二人で働いて一緒に生活する。それだけで、彼女は幸せだった。
「でも、ダラダラするのはいけません。規則正しい生活をしてくださいね」
「えぇ〜……。偶には昼過ぎまで寝て過ごしたいのに」
「いけません。その場合は私がしっかりと起こしますので」
真魚は完全に忘れていた。普段のアオイはかなりしっかり者で責任感の強い人であることを。規則正しい生活を送れないのならば、無理矢理にでも矯正されるような力強い意志がある。
「(一緒に住むのは早すぎたかなぁ……)」
「なんです? その顔は」
「い、いや別に」
「へぇそうですか。なら先ほどの言葉は取り消されますか?」
「……滅相もございません」
「よろしい」胸を張るアオイを他所に、彼は苦笑いを浮かべる。
自身より年は二つ下だというのに、根は真魚よりも気が強い彼女。この瞬間、彼は尻に敷かれることを覚悟した。
――――でも、そういうところも全て。神崎アオイという人間なのだ。普段はしっかり者でも、こうして二人きりの時は甘く、抱きしめたくなるような雰囲気を醸し出しているのだ。真魚にとって、それは今更すぎる問題である。
だから彼は――――からかいたくなる。
「へっ……!」
いや、そうやって何かしらの理由付けをしたかっただけなのである。
彼はアオイの顎に手をやり、そして――――優しく口づけを。二秒もない優しいモノ。彼女の柔らかな唇の感触。からかったつもりが、自らの鼓動が高鳴って高鳴って仕方がなかった。
「い、今のは……」
「……お返し」
一言だけの会話。アオイは突然の出来事に頭の理解が追いつかなかった。それでも、何をされたかぐらいは十分に理解できている。
愛しの彼から口づけをされた。それだけで、顔は真っ赤に染まって、体温が上がっていく。血液が沸騰しているみたいに、身体が熱かった。
「そろそろ準備しないと」照れ隠しの言葉。それは真魚から。自分からしておいて、なんて彼女は心の中で毒づく。アオイは立ち上がる彼を追いかけるように続く。
「ま、真魚さん」
恥ずかしさで声が震える。部屋に戻ろうとする彼を呼び止めたアオイ。ついさっきまでとは全く違う人のようで、真魚は抱きしめたくなる感情。そしてそのまま行動に移す。
彼の腕の中に収まるアオイは、言葉が出ない。だから、抱きしめる彼を離して、黙って真魚の顔を見つめる。
おかわり、である。視線だけで訴えてくる彼女に、彼は見惚れる。上目遣いの破壊力は彼の想像以上。そのまま顔を近づけ、二度目の口づけ。
先ほどよりも長い。それでも、五秒ちょっと。しかし、二人にはその時間が永遠のように感じられて。真魚は誓う。一生をかけて、彼女を守り通すと。そんな彼の心を読んだように。彼女は改めて問いかけた。
「私を――――幸せにしてくださいね」
満月の夜に、少しのわがまま。
神崎アオイは、彼の目を見つめて、悪戯っぽく微笑んだ。
新たに高評価してくださった方々。
・クズもち。さん
・erojiさん
・オトイチさん
これにて完結でございます。これまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
後書きではありますが、最後に感想を。
「神崎アオイ」というキャラに魅力を感じ書き始めた小説ですが、正直「鬼滅の刃」の中でもあまり目立たないキャラクターでもありますので、完全に自己満足の作品でした。
しかし、これほど沢山の方に読んでいただけたことは本当に感謝しかありません。
アオイを可愛く描くことを第一に、魅力を引き出すためにはどうしたらいいか、実は探り探りで物語を進めてきました。プロットは一切作ってません。
結局のところ、重要なのはオリキャラではなく原作キャラなんですよね。鬼滅の刃に限らず、色々な二次創作を拝見しましたが、人気がある作品はやはり原作キャラの引き出し方が抜群に上手いと思いました。この作品がそこまでの領域に達したとは到底思えませんが、書いていて楽しかったので全て良しとします(笑)
二次創作はしばらくやってませんでしたが、これを機にもっと書きたいなぁなんて思ってたりします。もし投稿することになりましたら「トマトのトマト」をよろしくお願いします(笑)
長くなりましたが、ここまでお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました!また何処かでお会いしましょう。