蝶屋敷のあの子【完結】   作:トマトのトマト

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第三話 裏路地、月夜

 

 

 

 

 

 

 

「今度は女子(おなご)か。へへっ、悪くない」

 

 身体つきは細く、声もよくありそうな男の声。しかし、これは人間ではない。間違いなく、鬼だ。身体の震えが止まらない。今にもしゃがみ込んでしまいそうになる感情を無理やり押さえつけて、彼女は鬼と向かい合っている。

 そんな中でも、アオイは冷静に辺りを見渡す。先ほど聞こえた声の主が居ない。どういうことだ。

 

「ヒッヒッ。お前も声を辿ってきたんだろう?」

「……」

 

 彼女の思考を読んだように、鬼は笑う。彼女は何も言わず鬼と向かい合う。

 人間を貪り喰う存在。その瞳孔は開いて、今はアオイを捕食することだけを考えている。口元は人の血で赤く染まっていた。

 

「あれは俺の声なんだよ。俺が喰った人間の声。ヒッヒッ」

「……悪趣味」

 

 彼女は足が震え、身体が震え。今すぐにでもここから逃げ出したい。丸腰のまま鬼に敵うはずが無かった。だがこのまま路地を飛び出せば、大通りの人々に危害が加えられかねないのだ。

 腐っても鬼殺隊士なのだから、何とかここは食い止める必要がある。そんな感情を絞り出して、鬼を睨む。

 空気が割れそうだ。この鬼、最終選別の鬼とは比べ物にならないほどの雰囲気を纏っている。少なくとも雑魚ではない。喰った人間の声を出せると言ったが、それがこの鬼特有の能力なのだろうか。

 

「人間の声で助けを求めれば、人はホイホイやって来る。来た奴を喰えばわざわざ動く必要がないわけだ。へっ、効率的だろう」

「……黙りなさい」

「次はお前の声で助けを求めてやるよ。女なら馬鹿な男どもがやって来るに違いない」

 

 近くまで鬼の気配がしなかったのは、そういうことなのだろう。アオイは頭を巡らせる。むしろ鬼と遭遇したことがない人間ならば、全く気付かないかもしれない。

 この裏路地に潜んで、確実に人を喰っていく。効率性重視のこの鬼は、そうやって確かに力をつけてきた。

 そう言えば噂で聞いたことがある――――。この町で失踪事件が相次いでいると。真魚の言葉と、目の前の鬼。点と点が線になって結ばれていく。

 無用心すぎた、そう悔いても今この瞬間どうすることもできない。アオイに出来ることは、せいぜい時間を稼ぐこと。日輪刀以外では鬼を殺すことができない。だが今のアオイは丸腰。どうしようもなかった。

 

「ま、大人しくそこに居ろや。……喰い散らかしてやるからよぉ!!」

 

 それまで比較的ゆったりとしていた鬼は気配を変え、アオイに飛びかかる。先ほどとは全く違う俊敏な動きだ。

 

(……っ!!)

 

 アオイは反射訓練を思い出す。負傷した隊士の機能回復訓練を担当することもあり、最低限の身体の使い方は出来る。幸い、鬼の動きは単調。これぐらいなら私でも躱せる――――。鬼の爪を間一髪で躱し、すぐに体勢を整える。

 動く! 動ける! 身体は震えていたというのに、しっかりと訓練通りに身体は反応した。少しの安堵感が筋肉をほぐしていく。

 

「……あ?」

 

 鬼は空振りに終わった自身の右手を見る。

 想定では彼女の血で塗れているはずだったが、何も変わっていない。不健康そうな褐色のままだ。アオイに視線を送る。目を細め、彼女の様子を観察する。年の割には所々筋肉が発達しており、先ほどの動きを可能にしたのだろう。

 何より、彼女の目だ。鬼に対する嫌悪感が溢れ出したその瞳。鬼は苛つきを隠せなかった。

 そしてもう一つ。アオイが着ている隊服には見覚えがあった。

 同じような服を着た人間と戦闘になり、そのまま喰らったことを思い出す。いつの話だったか、大昔の話ではない。割と最近の話。

 

「……お前、鬼狩りか?」

 

 だが彼女は日輪刀を携行していない。それが鬼の言葉に疑問符を付けることになった。鬼としても理解できなかったのだ。刀を持っていない鬼殺隊など、ただの人間でしかない。恐怖心なんて微塵もなく、小さな興味でしかなかった。

 

「だったら、なんです」

 

 流石に気付かれるか、アオイは心の中で苦笑いする。

 人間だと思い込んでいてくれれば、先ほどのような緩い攻撃を躱し続けられたかもしれないが、これからはそういうわけにもいかないだろう。

 

「いや……なら全力で殺してやるよ」

 

 彼女の予感は的中した。また鬼の雰囲気が変わる。

 空気が重く、重力に押さえつけられそうな。棘のある空気に皮膚が切れそうだ。鬼は再び体勢を変える。中腰になり、アオイを一撃で仕留めることだけを考えた。

 一方の彼女も神経を極限まで集中させる。どんな攻撃が来ても躱せるように、血を巡らせて筋肉を温める。

 

 瞬間、鬼は姿を消す。アオイも目で追えない速度だった。

 しまった――――! そう思った時には右腕に激痛が走る。爪で切られたのだ。目に止まらぬ速さで。声に出すのは再び鬼が彼女の前に姿を見せてからだった。ニタッと薄汚い笑みを見せた。

 

「はぁっ……! はぁっ……!!」

 

 右腕の腱を切られたらしく、力が入らない。出血量も多く、このままだと数分後には気を失ってしまう。そう分かっていても、今のアオイに為す術は無かったのだ。

 

「いや、気が変わった。お前はもう少しいたぶって殺す」

 

 そんな鬼の言葉も、彼女の耳には届かなかった。痛みでそれどころでは無かったのだ。

 ここまでの怪我を負ったのは、初めてだ。任務に出ている隊士は、こんな危険と常に隣合わせ。それを分かっているようで分かっていなかった。アオイは自身の考えがどれだけ甘かったかと悔いる。もう、後悔にもならない。

 

「鬼狩りは嫌いなんだよ。悔いるなら自分の不運さを悔いれ。鬼狩りの女よ」

 

 彼女は足から崩れ落ちるように倒れた。薄れていく意識の中で、彼女はこれまでの人生を回顧した。これが走馬灯というものなのか。

 さっきまで死ぬほど痛かった右腕も、今は痛くない。もしかしたら死というのは、生きて苦しむより楽なことなのかもしれない。もうこのまま、鬼狩りになれなかった鬼殺隊士としての人生に幕を引けるのなら、それはそれでいいのではないか。

 

 

――――アオイちゃん

 

 

 そんなことを考えて、真っ先に出てきたのは真魚の顔だった。走馬灯の中での彼はいつも通り、優しく微笑んで手を差し伸べている。でも死んでしまえば、もう彼のその姿を見ることは出来ない。

 

「………ま……お…さ、ん」

 

 涙とともに、彼の名前が溢れた。死ぬことへの恐怖より、彼に会えなくなることが辛くて辛くて仕方がなかった。

 どうして彼の名前が出てきたのだろう。もう薄れてしまった意識の中で、答えのない問いかけを自身に投げかける。こんな姿を見られるぐらいなら、いっそ鬼に形無くなるまで喰われてしまった方がいいのではないか、とすら思って。一歩一歩、鬼は自身に歩み寄ってくる。きっと痛みつけられて喰われるのだろう。途方もない悲しみが彼女を襲う。

 

 瞬間、また空気が変わった。より重くヒリつくものに。でも、どこか優しさを含んだモノ。

 アオイの消えかけた意識を引っ張り出すような、甘い匂い。その香りには覚えがあった。

 

「……なんだぁ? てめぇ」

 

 誰か来たのだろうか。アオイの意識が少し覚醒する。残った力で顔を上げると、鬼の後ろに誰か居る。刀を携行していて、それは隊士だとすぐに察した。鬼がアオイを攻撃したせいで、その気配が大きくなったのだろう。

 その隊士は鬼の上へ飛び、アオイを庇うように鬼と向き合った。

 月夜でも分かる、桜色の羽織りをしていた。やがて、その隊士はアオイを見る。

 

「…ま……お……さん……?」

「今日初めて名前で呼んでくれたね」

 

 自身の全てを包み込んでくれる優しい声だった。そして優しい笑顔。恐怖で覆われていたアオイの心に太陽が差し込んだような、そんな感覚に陥った。

 

「助けに来た。よく頑張ったね」

 

 真魚は鬼への警戒を緩めることなく、アオイの右腕に布を巻きつける。彼女はあまりの激痛に顔を歪めるが、止血のためには仕方がない。

 

「ほぉ、()()()鬼狩りか」

「どういう意味だ」

「逃げることしか出来ない奴とは違うみたいだな」

 

 真魚は何も言わずに日輪刀を抜いた。

 月夜に映える薄紅梅色の刃。アオイはその美しさに思わず見惚れてしまった。今にも意識が飛んでしまいそうなのに、真魚の姿を見た途端、生きる気力が湧いてきたのだ。ここで死ぬわけにはいかないと。

 

「彼女を仕留めるため、お前は行動を起こした。それが自身の気配を大きくすることとも分からずに」

「……何が言いたい」

「分からないか。お前は彼女に踊らされたんだよ。隊士を呼び込もうとする彼女の術中に」

 

 鬼は舌打ちする。これ以上、名前も知らない鬼狩りと会話をする気にはなれず、身構えた。見たところ、柱ではないらしい。一般隊士ならこちらにも十分余裕がある。鬼はそう考えていた。

 だが真魚は違った。アオイの治療のため、一刻も早くこの鬼を片付ける必要があった。それに、戦闘に巻き込むわけにはいかない。一撃で仕留めるつもりだった。

 

「俺は、彼女を傷つけた貴様を許さない」

「うるせえ雑魚が!!!」

 

 力のままに飛び込んでくる鬼に、怯むことなく、右手に持った日輪刀を真っ直ぐ突き出す。

 空気を吸い、神経を集中させる。一撃で仕留めるのなら、より集中するんだ――――。

 

 

「愛の呼吸―――― 一ノ(かたち) 純真」

 

 

 一歩だけ踏み出しただけで、構えは一切変わっていない。右手に持った日輪刀を突き出しただけ。

 鬼は気になったが、ここで攻撃を止めるつもりにもなれず、そのまま真魚に爪を伸ばした。

 瞬間、慣れない痛みが自身を襲う。やがて視界に入ったのは、薄汚れた地面だった。そこで鬼は察した。頸を斬られたのだと。

 

「なっ――――」

 

 そんな馬鹿なことがあるはずがない。真魚はあれから構えも刀も動かしていない。それだというのに、頸を斬られる意味が分からなかった。

 地面に転がり、真魚を見上げる。憎しみと哀れんだ感情が混ざったような瞳で鬼を見ていた。

 

「純真無垢な愛は、周りの空気すら変えてしまう。俺の間合いに入った瞬間、貴様は()()に斬られたんだ」

「な、なんだそれは……!!」

 

 鬼殺隊士は、鬼に対抗するため様々な呼吸法を扱う。始まりの呼吸から派生した独自の呼吸法。そして、この梅咲真魚は『愛の呼吸』。彼もまた、独自の呼吸法を編み出した育手の元で剣技を磨いた隊士なのだ。

 真魚は刀を納める。鬼の身体は消え始めている。もうここまで来れば後は消滅するだけ。

 彼は鬼に背を向けてアオイの怪我を確認する。彼女は鬼が消える安心感と真魚の存在で気が緩んだせいか、気を失っていた。止血の効果もあって、先ほどよりは出血量が少ない。真魚は少しだけ安心する。

 

「くそっ、くそっ、くそっ!!」

「お前みたいな単純な奴で良かった。これは攻撃範囲が狭いから」

 

 一ノ形 純真

 

 薄紅梅色の刃に彼自身の呼吸を纏わせ、それを空気にまで侵食させる。その空気は日輪刀の刃となって、近づいてきた鬼を切り刻む。ただ彼が言うように攻撃範囲は狭く、()()()()向かってきた相手にしか使えない形でもある。しかし、確実に鬼の頸を斬ることができる技でもあった。

 

 鬼は叫びながら消滅する。何事もなかったかのように、彼はため息をつく。

 もっと早く来ていれば、最愛の彼女が傷付かずに済んだのに。後悔の念に駆られていても仕方がない。今はアオイの治療が最優先なのだ。

 真魚はアオイを背負い、彼女の傷が広がらないよう慎重に移動を始めた。向かう先は、先ほどまで気を許していたあの場所まで。

 

 

 

 





 恋の呼吸があるなら愛の呼吸があってもいいよね(開き直り)

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