蝶屋敷のあの子【完結】 作:トマトのトマト
アオイちゃんって絶対面倒くさいタイプの子ですよね。だがそれがいい!!(迫真)
一ヶ月後。アオイの怪我はすっかり癒え、いつも通り蝶屋敷での仕事に励んでいた。まだ無理をするなと周りは気にかけているが、当の本人はそれがむず痒かった。
不思議なことに、あの時の恐怖もだいぶ癒えていた。アオイ自身、心の傷が深くなってしまったと思っていたばかりに、悪夢を見ることもなく、ただ右腕の可動域が日に日に元通りになっていくだけだった。
真魚も休暇を終え、任務に繰り出す日々が続いていた。傷こそ負うものの、毎日蝶屋敷にやってくる日課を欠かしたことはなかった。
そして全集中・常中を完全に習得。元々比較的多くの鬼を狩っていた真魚だったが、鬼狩りとして、大きな一歩を踏み出したことに変わりはない。昇進も目の前まで迫っていた。
そんな中、初めて真魚が姿を見せなかった。もう日は暮れて、満月の夜。その月がぼやけてしまうほど、霧の濃い夜だった。
「……はぁ」
アオイは自室でため息を吐いた。年頃の女の子の部屋とは思えないはど質素な部屋。机に座って裁縫に励んでいる。仕事でもない。ただの暇つぶし。勤務時間は終わっていたこともあり、髪を下ろして青色の着物を羽織っていた。
アオイは嫌な予感がしていた。あれだけ毎日来ていた真魚が突然来なくなるのだ。逆に気味が悪い。もしかしたら、ただ事ではない何かに巻き込まれたのではないか、と。しのぶも任務に出ていて、彼のことを確認しようにも何も出来ない。
とは言っても、わざわざ確認できるほど素直な性格でも無かった。そんなことを言えば、茶化されるに決まっている。だから素直に黙って待つしかなかった。
(……別に待ってなんか)
彼女は鼻で笑った。そんな心とは裏腹に、右手に持った針を上手く進めている。手先が器用なアオイにとって、これは造作の無いことだった。
ふと、一ヶ月前のことを思い出す。目の前に現れた真魚のこと。今さらではあるが、どうして彼が姿を見せたのだろう。他の鬼殺隊士じゃなく、彼が。いずれにしても命を助けてくれた恩人でもある。以前よりも強く当たれなくなっていた。
あの時の真魚は、まるで別人だった。もう一人の彼を見たような、そんな気分がアオイの心を染める。
――――彼女を傷つけた貴様を許さない
消えかけていた意識の中でも、ハッキリと聞こえた言葉だった。
思い出すだけで心臓が跳ねる。裁縫を進めていた手も止まる。今度は彼の声と表情で心が染まっていく。本人は気付いていないが、アオイの心はすでに彼に奪われていた。
それからは何も考えず、ひたすら裁縫を進めた。気が付いた頃にはすでに日付も変わっていて、かなり久しぶりに夜更かしをしてしまっていた。結局、真魚は来ないままで。
やりきれない気持ちを抱いたまま、アオイはベッドに横になった。干したばかりの布団だというのに、心地良さは全く無くて。再びため息を吐く。何に対してのため息かは自分でも分からなかった。
「……ばか」
うつ伏せになって、枕に声を染み込ませた。
誰にも聞こえないそれは、ただアオイの不満をぶつけただけの言霊となって。彼女自身、今ぐるぐる回る感情が気持ち悪くもあり、心地の良いものだった。
もうこのまま眠ってしまおう。部屋の明かりを消そうと起き上がった時、部屋の外から声が聞こえた。
「アオイさん。夜分にすみません。起きてますか?」
「えぇ。どうかしましたか?」
自身と同じ、屋敷に住み込む女中の声だった。聞き慣れた声に少しだけ安堵する。彼女が聞き返すと、扉越しの彼女は少し間を置いて話し始める。
「梅咲さんから預かり物です」
「……へっ?」
アオイは素っ頓狂な声を出した。起き上がり、部屋の扉を開けると女中が一つ差し出す。小さなビンに紫色の液体が入っている。なんだろうか、自問したところで、答えはすぐに出た。
香水なのだろう。おそらく。彼がどういうつもりかわからないが、女中を困らせるわけにはいかない。アオイはそれを素直に受け取った。
「彼が来たのですか?」
「ええ。今さっき。今日は遅いからということみたいで」
「……そう、ですか」
良かった、彼女は安堵する。そして、会えなかったことに寂しさを覚えてしまう。それが歯切れの悪い言葉になる。
女中はそのまま立ち去ったが、アオイはそのまま立ち尽くす。どうする、今ならまだ間に合うのではないか、頭の中でそんな言葉がぐるぐる回る。
結論が出る前に、彼女はそのまま部屋を出る。そしてそのまま急いで屋敷を出た。するとすぐ、彼の後ろ姿を見つける。ゆっくりと道を下っている。桜色の羽織は汚れていて、後ろ姿には疲労の色。きっと任務を終えたばかりなのだろう。アオイは勇気を振り絞って彼の名前を呼ぶ。
「――――真魚さん!」
彼と出会ってから、一番素直で、甘く作った声だった。自身の声だというのに気色悪くて、アオイはつい顔が強張った。
振り向いた真魚は、少し驚いた顔をしている。アオイが近づいてくるにつれ、その顔は赤く染まっていく。結果、彼女の顔を見つめることになってしまったが。
「……なんですかその顔は」
「……」
真魚は何とも間抜けな顔をしていた。言葉を失った。髪を下ろしたアオイを見るのは初めてだったからだ。彼にとってその破壊力は言うまでもなく。みるみるうちに体温が上がっていく。身体を巡る血液が沸騰しているよう。
何も言わない真魚に対し、少しだけ冷めた視線を送るアオイ。自分なりに愛想良く彼の名前を呼んだつもりだった。それだというのに、拍子抜けな反応。彼の分かりやすい反応を期待していた証拠だった。
「ご、ごめん。その……見惚れてた」
そんなアオイの思いは杞憂に終わる。
見惚れてた、と言われたことが無かったこともあり、彼女の心拍数はみるみる上がっていく。とくん、とくん、と身体を叩く。すでに塞がった右手の傷が開きそうな、そんな痛いようで甘い鼓動となって。
「……そ、そういうことでしたら」
なんて、らしくない台詞が彼女の口から飛び出した。
やっぱり、今の自分は可笑しい。アオイは心の中で自嘲する。彼の真っ直ぐすぎる言葉が心に刺さった気がして。うん、そうだ。きっとそのせいで可笑しいんだ。
「ど、どうしてこんな遅くに」
「それはこちらの台詞です。……こんな遅くに来られると迷惑なんです」
「でもアオイちゃんにそれを渡したくて」
真魚はアオイの持っている香水を指差してそう言う。それは彼女も分かっていた。痛いほど分かっていたのだ。でも、それはアオイの本心でもなんでもなくて。会えたことに対する照れ隠しだということは真魚も彼女自身もよく分かっていなかった。
「しのぶさんが居なくて助かったよ。あの人が居たら色々と面倒になる。もう存在自体が面倒な気もするけどね」
「本当に懲りませんね……」
真魚が言うように、しのぶが居たらまず追い返されていただろう。嫌味たっぷりの言葉を平気で漏らすあたり、彼は完全に油断していた。アオイはそれ以上何も言わず、意識を手元のソレに戻した。
「そもそもこれは何なんですか」
「香水。藤の花のいい匂いがするんだ」
アオイは何となく予想はしていた。この色には見覚えがある。
鬼が嫌う匂いなのだ。藤の花の香りは。それをわざわざ寄越すということは、それだけ彼女のことを守りたいという気持ちの表れでもあった。
「……私が弱いからですか」
アオイは捻くれた考えしか出来ない自分が情けなかった。
これは真魚の厚意なのだ。それは本人も分かっている。しかし、自分を蔑むがあまり、それを素直に捉えることが出来なくなっていた。
そう言うアオイを他所に、真魚は優しく微笑む。まただ。突き放すようなことを言っても、いつもいつもそうやって。
「純粋に俺が好きな匂いだから。きっと、アオイちゃんにも合う気がして」
「……すみません」
「気にしないで。そもそもアオイちゃんは俺が守るから。香水の力なんて借りないよ」
守られる価値なんてない人間。彼女は常にそう思っていた。しかし彼と接し続けていれば、その考え方は大きく変わる。彼に
そんな嘘偽りない真っ直ぐな言葉。繰り返しになるが、すでにアオイは彼に心を奪われていた。
気が付けば、十分近く経っていた。こんな夜道で立ち話をすることになるとは思っていなかったのか、真魚は申し訳なさそうにアオイに視線をやる。
(……やけに今日は目が合うな)
彼はそんなことを考えた。アオイより十センチ近く背の高い彼を、彼女は見上げるように見つめている。上目遣いのようになったこともあり、真魚は今すぐ抱きしめてしまいたい感情を必死に堪えていた。
普段は全くと言っていいほど目が合わない。一日に一度合うか合わないか。それなのに、この十分間で何度目だ。そんな可愛い顔で見つめられれば、もう何がなんだか分からなくなる。無論、アオイは無意識であるが。
「そろそろ帰ろう。屋敷の前まで送るよ」
会いに来たくせに、そうやって切り出すのはどうなのか。アオイは心の中で毒づいた。いや時間も遅く、彼女のことを気遣っていたことには変わりないのだが、そんな判断も出来ないほどアオイの頭の中は甘く染まっていたのだ。
昼間に会えなかった反動が、今の自分を可笑しくしている。今のアオイがそんな考えに至ることはないが。
頷いていないというのに、彼は屋敷までの道を戻り始めた。このままでは彼と過ごす時間が終わってしまう。アオイは考えた。何とかする方法を。
普段であれば、そんなことが頭をよぎれば一瞬で我に帰る。だが、今は違った。まるで何かの匂いに取り憑かれたかのように、頭が働かなかった。
この香水のせいなのか。いや違う。やはり、この真魚の存在なのだ。任務を終えた彼の疲れと優しさが混じった匂い。頭が痺れて彼に身を委ねてしまいそうな。アオイの心臓は高鳴ることを止めなかった。
一方の真魚はどうだ。彼もまた、アオイに対する想いが溢れそうになったのだ。それを止めるために「帰ろう」と言い出した。
包み隠さず言えば、理性が働きかけたのだ。彼も年頃の男。今のままでは、色々と我慢できなくなりそうだった。彼女を傷付けないための最良の決断がこれだった。
真魚としても、無闇に手を出すのだけは嫌だった。それだけアオイのことを愛していたからだ。だが、それにも限度がある。命懸けの任務から帰ってきたこともあり、身体が子孫を残そうと働きかけているようだ。それが真魚は実に不愉快だった。
「……今日はそのまま帰られるのですか」
「うん。家も少し走ればすぐだし」
アオイが好きすぎて蝶屋敷の割と近くに越したぐらいだ。それについては何も問題は無かった。真魚は何も考えずに答える。ただの会話に過ぎないとしか思わずに。
やがて、屋敷の前に戻ってくる。彼は門の前で立ち止まって、アオイを促す。それに従うように彼女は門をくぐって彼と向き合った。何故か彼女の顔は赤い。真魚は疑問符を頭の上に浮かべながら、そのまま背を向けた。
「………今日泊まっていったらどうです」
「……………え?」
真魚は理性の糸が切れる音を、生まれて初めて聞いてしまった。
ランキングにも載ったようで。ありがとうございました。
特に高評価してくださった皆様。
・切絵さん
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ありがとうございました。