蝶屋敷のあの子【完結】 作:トマトのトマト
原作読んで思います。アオイちゃんの出番少なすぎませんか? 私は怒っています。
「え、この部屋で寝ていいの?」
「ここは誰の部屋でもありませんので。少し散らかってますが、布団も今日干したばかりのモノです」
蝶屋敷に戻ってきたアオイは、真魚が寝るための部屋を案内していた。彼女の言葉通り、普段は誰も使っていない部屋。たまに屋敷の人間が休憩用に使っているらしいが、わざわざそれを真魚に言う必要もなかった。だが、たまたまここの布団を干したばかりだったことを、アオイは内心喜んでいた。
真魚は真魚で、病室に案内されるとばかり思っていただけに、一つの部屋を使っていいと言われたこと自体が驚きだった。だが心のどこかでアオイの部屋で一緒に寝ることを期待していた自分もいて。そうなると間違いなく理性は崩壊する。彼女を傷付けたくない気持ちもあるが、どこか残念な気分もあった。
彼は羽織と日輪刀を脱ぐ。ようやく今日一日が終わったような気がして、脱力感が襲ってくる。そこで初めて、自身が疲れていたのだと理解する。
「疲れているでしょう。湯を張ってますので、よければ」
今この状態で、湯船に浸かればどれだけ心地が良いか。真魚は頭に浮かぶ光景だけで全身の筋肉がほぐれていく感覚を覚えた。このまま綺麗なベッドで眠るのが申し訳なかった真魚にとっても、アオイの提案は素直にありがたかった。
「……なんですか」
「えっ。な、なにが?」
「何か言いたそうな顔をしていたので」
真魚はアオイをぽかんとした表情で見ていた。そういう時は、大体何か言いたいことがある時の顔である。これまで彼と接してきたせいで、そんなところまで気がつくようになっていた。いや、なってしまっていた。
かたや真魚。彼女からそう言われると思わなかったのか、少し目を見開いて驚く。アオイの言葉は決して間違いではない。ただ言う必要も無いようなこと。そう思っていただけに、言葉を紡ぐか否か。少し考える。
「いや、いつもより優しくない?」
「……へっ?」
「泊まっていいとか、湯張ってるとか。普段なら絶対言わないじゃん。それどころか、追い出すのに」
素直に言葉を紡いだ。素直な疑問に素直な声。
アオイは少し固まって、次第に血液が沸騰していくようで身体が熱くなる。改めて言われると、恥ずかしさでまともに彼の顔を見ることが出来なかった。今日初めていつもの自分に戻ったような感覚。彼女は震えた声で真魚を促し、そのまま部屋を出る。
(やっぱり言うべきじゃなかったな)
彼はそんな思いととともに、彼女の後に付いていく。風呂場へ向かう途中、下着の替えも無いことに気付くが、まぁなんとかなるだろうと自分に言い聞かせた。
屋敷の中は静かだった。深夜であるためそれは至って自然なことだったが、賑やかな屋敷しか知らない真魚にはそれが新鮮だった。足音を立てないようにゆっくりと歩く。
やがて風呂場に着くと、アオイは近くの棚から怪我人用の服と下着を取り出した。
「この服しかなくて。すみません」
「い、いや。ありがとう」
それを受け取ると、見慣れた薄緑色の服。よく見ると下着も一緒だ。何というか、何というか。真魚は今まで感じたことがない感情に苛まれた。
やっぱり、今日のアオイはいつもと違った。普段はハキハキとはっきり言葉を紡ぐ彼女が、今はどこか
彼が風呂場を覗くと、檜の香りが鼻腔を抜けた。優しい匂い。石鹸の香りも残っていて、身体の汚れと疲れがそれだけで洗い流されそうな。
「……ねぇアオイちゃん」
「なんでしょうか」
「ここのお風呂場って、屋敷の人たちみんな使ってるの?」
「え、えぇ。そうですが」
「アオイちゃんも?」
「もちろんです」
風呂場を覗いたまま、彼はアオイに問いかける。そして答えを聞くと、彼女にバレないよう固唾を呑んだ。
ここには自分の知らない世界が広がっている――――。口元が緩むのを堪えきることが出来ず、慌てて手で隠す。背中を向けてコソコソしている真魚に、アオイはため息をついた。きっと良からぬことを考えているのだろうと。
生憎、彼の考えているようなことは一切ない。お湯も夜中にしのぶが帰ってきた時のため、アオイが張り直したもの。誰が入った後のものでもない。
「では。上がったら先ほどの部屋でお休みください」
文句の一つも言いたいところだったが、アオイはそう言って脱衣所から立ち去った。ここで嫌味を言えば、また彼に余計なことを言われるかもしれない。彼女なりの理性が働いた結果であった。
アオイが居なくなったことを確認した真魚は隊服を脱ぎ、風呂場に足を踏み入れた。いきなり湯船に浸かるのは気が引けて、しっかりと石鹸で身体を洗う。その際、横腹にチクッと痛みが走る。わずかに負傷していたようで、それに気づかぬままここまで来てしまったようだ。
任務をこなしてきたせいか、身体つきは入隊時より明らかに変わっていた。筋肉が隆起した腕と脚。調子の良いことしか言わない彼だが、その身体には鬼殺隊として積み上げてきた実績が確かにあった。
このまま鬼を狩り続ければ、真魚はいつか柱になる。全集中・常中を習得してからというものの、戦いが明らかに楽になった。基礎体力が向上し、それに伴い戦闘力も上がる。順調にいけば柱に――――。周囲はそう思っていた。蟲柱のしのぶだってそう思っているぐらいだ。
(柱だなんて、別に興味はない)
彼は頭を洗いながらそんなことを考えた。そう、真魚にとって階級はどうでもいいのだ。
彼の願いは、人々を襲う鬼を滅すること。アオイを守り続けること。そして――――この戦いを終わらせること。鬼と人間との戦いは、長い。それは鬼殺隊の歴史でもある。自分が現役の間に、その終わりを迎えたい。こんな不毛な戦いは一刻も早く終わらせないといけないのだ。
頭の汚れを浮かび上がらせた石鹸を、彼はお湯で洗い流す。どこかで嗅いだことのある甘い匂い。
身体を洗い流した彼は、いよいよ湯船に向かい合う。スーッとゆっくり深呼吸。
「いただきます」
これまで生きてきた中で、湯船を前に一度も口にしたことがない言葉が漏れた。心の中で苦笑いする。これじゃまるでただの変態ではないか。さっきの間抜けな顔を彼女に見られていたら、まず間違いなく引かれていただろう。
ゆっくりと湯船に足から入る。瞬間のぬくもり。真魚は身体の芯から崩れていくように、そのまま肩まで崩れ落ちた。そして力が抜けるようなため息。蝶屋敷特有のぬくもりなのだろうか。自分の家では感じられない感情が彼の心を覆っていく。
「髪下ろしたアオイちゃん可愛かったなぁ……」
独り言。つぶやくように漏れる。湯気と一緒になって天井に登っていく。夜道での彼女のことを思い返していた。
その破壊力とやら。思い出すだけで心臓が高鳴る。よく自分でも理性を保ったと心の中で自分を褒める。あれが二人きりの部屋だったどうだろう。きっと獣になっていたに違いなかった。
長湯が得意なタイプではない彼は、名残惜しさを感じつつ風呂場を出た。脱衣所で身体を拭き、彼女が用意してくれた服に着替える。身体が軽くなったような感覚だった。
さっきまで着ていた隊服を持ち、先ほどの部屋に戻る。場所はしっかりと覚えている。真魚は、もうほぼ屋敷の住人と言っても過言ではない。部屋の場所なんて間違えるはずがなかった。
戸を開けると、バッチリ案内された部屋。だが明かりは付けっぱなしで、彼女にしてはうっかりだなと思いベッドに視線を送ると、明らかに可笑しな状況だった。
(…………)
真魚は言葉を失った。案内された部屋のベッド。そこにアオイが横になっていたのだ。
どういうことだ、どういうことだ、どういうことだ――――。彼は頭を巡らせる。部屋を間違えた? いやそれはない。部屋を見渡して確認しても、確かに見覚えがある。案内された場所であることには間違いなかった。
では、どうしてアオイが横に? 次の疑問。これがどうしようもなく彼の頭を悩ませた。
そもそも彼女がこの部屋に居ることが分からなかった。脱衣所での会話を思い出す。
――――上がったら先ほどの部屋でお休みください
いや休んでるのは君なんだけど? どうも彼は理解できない。
だがここでずっと突っ立っているのも問題有り。屋敷の人間に見られれば、それこそ変に誤解されるに違いない。彼は意を決して、部屋に入りしっかりと戸を閉めた。
横になっている彼女。壁の方を向いていて、よく分からないが間違いなくアオイだった。
「……アオイちゃん?」
真魚は声を抑えて問いかける。反応は無い。思い切って顔を覗き込むと、すぅすぅと決まった呼吸。彼女はすでに深い眠りに落ちていた。穏やかで美しい寝顔。
どうしてここで眠っているのか。どうして彼女なのか。そんな全ての疑問は吹き飛んだ。
(可愛い! 可愛い!! 可愛い!!! あぁぁぁぁぁ!!!)
誰も居なければのたうちまわって居たであろう一人の男。目の前で眠っているアオイを起こさないように、声にならない叫び声を上げる。
側から見れば、今の真魚は明らかに変態である。眠っている少女を前に頭を抱え、口を抑え、身体をよじれさせ。
頭を冷静に、冷静に。真魚は興奮しながらもそう言い聞かせる。ここで彼女に手を出すのは男として終わってしまう。そんな変なプライドが唯一の理性となって彼を引き留めた。
ふーっ、ふーっ、ふーっ。三回の深呼吸。そこでようやく落ち着きを取り戻す。ここでどうするのが一番の得策なのだろうか。真魚は考える。アオイを起こす……という選択肢は消えた。あれだけ穏やかな顔で眠っている彼女を起こすのは気が引けたのだ。
このまま隊服に着替え直して自宅に戻るのが一番なのではないか。そんなこともよぎる。だがそれではアオイの厚意を踏みにじる感じがして。彼は首を振る。
(やっぱりここで寝るしかないか……)
そして一つの結論。自身は床で座ったまま眠れば良いだろう。さすがにアオイと同じベッドに潜り込むわけにはいかない。いかないんだ。悪魔の囁きを踏み潰すよう、何度も何度も自分に言い聞かせた。
アオイに布団を掛けて、明かりを消す。生憎寒い季節ではないこともあり、そのまま床に座り込んだ。壁に寄りかかり、霧に隠れた月明かりが部屋に差し込んだ。
可笑しな光景に、真魚は笑う。まさか本当にアオイと同じ部屋で寝ることになるとは思いもよらなかったからだ。
きっと彼女も疲れていたのだろう。何か糸が切れたように眠ってしまう、その感覚は真魚も分かっていた。別にアオイのことを責める気にはなれなかった。
大きく欠伸をする。座ったままでも十分眠れそうだ。そのまま瞼を閉じて、俯く。そしてすぐに、眠気の波に飲まれていった。
〜〜〜〜
「……す。…お…よう…ご…ます。……おはようございます」
優しく諭すような声。とても心地の良いソレが真魚の頭に響く。そして比例するように意識が覚醒していった。
瞼を開ける。ぼやけた視界。見えるのは自身の膝だった。あぁ俯いたまま眠っていたようだ。意識は覚醒し、昨日のことを思い出す。よく何もせずに眠れたものだと密かに感心する。
「おはようございます」
ビクッと身体が反応する。同時に頭が警鐘を鳴らした。逃げろ、と。
声はすぐ目の前から。真魚は顔を上げるのを躊躇う。
「起きてるんですよね? おはようございます」
ただひたすら「おはようございます」を繰り返す。固唾を飲んで、覚悟を決めた彼は、ゆっくりと顔を上げた。
「おはようございますっ。真魚君」
彼にとって最悪の展開だった。どうして彼女がこの部屋に居るのだろうかと考える間もなく、彼女はしゃがみ込んで顔を真魚に近づけた。
綺麗な顔をしているというのに、今の彼にそんなことを考える余裕は無い。狼狽えるしかなかった。
「ずっと挨拶してるのに、どうして無視するんですか? おはようございます」
胡蝶しのぶは――――毒を含んだような笑顔で彼に問いかけた。
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