蝶屋敷のあの子【完結】 作:トマトのトマト
感想と高評価ってめちゃめちゃ書く意欲上がるんですよね。お待ちしています(貪欲)アオイちゃん可愛い
真魚を風呂場まで案内したアオイは、もう一度部屋に戻った。残された羽織をシワにならないよう、壁に掛けようとしただけの目的で。
だが、彼の羽織を手に取った瞬間。彼女の中で何かが切れた。わずかに残る暖かみと、彼の匂い。心からの安堵感。
生きて帰ってきてくれた。私に会いに来てくれた――――。彼女の心を優しく覆っていく感情。
どくん、どくん、どくん。鼓動が早くなっていく。羽織を壁に掛け、そのままベッドに腰掛ける。これから彼が寝るであろうベッド。干したばかりでとても心地が良い。彼の匂いを嗅いでしまったせいか、頭がぼんやりと働かない。甘く、痺れるような。こんな感覚は初めてだった。
今この瞬間。扉の向こうから彼が目の前に現れたら、何と言い訳をすればいいのか。いつもならそんなことを考えるアオイだったが、今は違う。きっと今なら、彼に
早く来ればいいのに――――。心の中で悪魔のような微笑みが浮かぶ。私は一体何を考えているのだろう。私にとっての彼は? 一体どういう存在なのか。彼女は自問する。
(………はぅ)
少しだけ平静を取り戻したアオイ。自身が考えていたことを思い返し、恥ずかしさで穴があったら入りたいぐらいだった。
きっと私はそうなのだろう――――。そんな経験が無い彼女も、こんなことを考えてしまうのだ。それはもう、この感情はもう。きっとそうなのだろうと言い聞かせた。
そのまま、倒れ込むように横になる。彼が戻ってくるかもしれない。そんなことを考える余裕なんて既に無くなっていて。普段なら既に眠っている時間帯。眠気がこれでもかと彼女を襲う。その波に飲まれるのに時間はかからなかった。
〜〜〜〜
そして現在に至る。任務を終えた蝶屋敷の主、胡蝶しのぶは毒を含んだような笑顔を梅咲真魚に向けていた。
真魚の背中には冷や汗が浮かび上がっている。どうしてこの人が、今この目の前に居るのだろうか。辺りを見渡しても、昨日の部屋と変わらない。ベッドには……アオイの姿は無かった。
(ど、どういうことだ? アオイちゃんから何も聞いてないのか?)
真魚は分かった。明らかにしのぶは怒っている。それも猛烈に。ここまで恐ろしい彼女を見たのは初めてだった。
しのぶは鬼殺隊のトップである柱。その威圧感とやらは人間離れしていた。彼も鬼を相手にしてきたが、それ以上の恐怖。このままでは不味いと頭が警鐘を鳴らしていた。が、身体が恐怖で動かない。
「朝起きたらご挨拶ですよ。おはようございます」
「ど、ど、どうしてしのぶさんが」
「おはようございます」
「に、任務からお帰りだったんですね……あはは…」
「おはようございます」
「………はい。おはようございます…」
彼の問いかけを全て無視するしのぶ。挨拶を返したところでようやく、彼女の挨拶が止まる。ほんの少しの安堵も束の間。彼女はそのまま立ち上がって、彼を見下す。
表情こそ微笑んでいるが、額には血管が浮き出ていた。真魚は諦めと後悔の念がぐるぐると巡る。何に対して怒っているのだろうか。そんな自問も無駄なこと。きっとこれから絞られる。男の勘がそう告げた。
「聞きたいことは沢山あります。まず一つ目。どうして君がここに居るのでしょう? 怪我をしたわけでもなさそうですし」
「え、えっと――――」
「二つ目。ベッドからアオイの匂いがするのはどうしてでしょう? 二人同じ部屋で夜を過ごしたということですか?」
「い、いやだから――――」
「三つ目。どうして君から私が使う石鹸の匂いがするのでしょう? まさか新しいモノを貴方が使ったのでしょうか?」
「ちょ、ちょっと待ってください」
「待ちません。説明していただけます? 分かりやすく、簡潔に」
矢継ぎ早に言葉を繰り出すしのぶ。彼が回答する間も与えない。
真魚は問いかけに一つ一つ、丁寧に答えた。アオイから泊まって行けと言われたこと。自分が寝るはずだった部屋にアオイが寝ていたこと。昨日使った石鹸がたまたまそれだったこと。どれも嘘偽りない事実だ。
しかし、こういう場合は男であるというだけで正常な判断が出来なくなるものだ。
「……本当でしょうか。アオイがそんなことを言うとは思えませんが」
「そ、そんなこと言われても」
真魚の言葉の通りである。そんなことを言われても、なのだ。いわゆる理不尽なだけ。だが今のしのぶにはそんな常識は通用しない。力のままに言葉を振るっているだけなのだから。
彼としても、これ以上何も言えなかった。下手に嘘を重ねるわけにもいかない。かと言って付け足すような情報も無い。八方塞がりだった。
「――――本当です。しのぶ様」
「アオイ」
タイミングを見計らったかのように、アオイが部屋の外から顔を覗かせた。しのぶと真魚は、予期せぬ本人の登場に少しだけ驚いた。
特にしのぶ。今この子は何と言った? 本当です? いくら何でもこの子がそんなことを言うとは思えない――――。彼女が思っていた以上にアオイは大胆なことをする。理解が追いつかない感覚はしのぶにとっても初めてだった。
「では本当にアオイが提案したのですか?」
「はい。夜も遅かったですし……それに」
「それに?」
「……に、任務でお疲れだったと思ったので」
あぁ嘘だろう。しのぶは考えた。提案したことは本当かもしれないが、その理由はどうだろう。アオイの様子を見る限り、きっと自分の気持ちに嘘をついている。しのぶは見抜いたことを告げるか迷ったが、彼の前でそんなことを言うのはさすがに可哀想でもあった。乙女心を揶揄う気がして。
「では、どうしてアオイはこの部屋に?」
「そ、それは……その」
アオイは困った。昨日のあの感覚を正直に話せるはずもなかった。同性のしのぶならまだしも、隣にはその彼が居る。真魚の耳だけには絶対に聞かれるわけにはいかなかった。
しのぶは身体は座ったままの真魚の方を向いている。だが、顔はアオイの目をじっと見つめていた。彼の時よりは穏やかな笑顔。それでも今、この場の雰囲気がとんでもなく淀んでいるように見えたのは誰の目で見ても明らかだった。
アオイは何も言わない。いや、言えなかったのだ。下手な嘘を吐くことが苦手な彼女らしいと言えばらしい。普段なら事実だけを淡々と述べるのだが、今回ばかりはそうもいかない。その違いに、しのぶは小さくため息を吐いた。何を考えていたのか、彼女なりに察したのだ。
「――――お、俺が誘いました」
「へっ!?」
「……真魚君?」
静寂を切り裂いたのは、真魚の嘘だった。
驚いたのはアオイ。しのぶはゆっくりと彼に視線を送る。真っ直ぐな目をしている。先ほどとはまるで別人のよう。
誘った、というのはきっとそういうことだろう。しのぶは頭を巡らせる。仮にだとしたら、何故彼は床に座ったまま眠っていたのだろうか。新たな疑問が浮かび上がる。
一方のアオイ。目を見開いて彼を見ている。真魚と違って分かりやすい反応である。そんな彼女を隠すように、真魚はアオイの前に立つ。まるでしのぶからアオイを守るかのように。
(ちょっと待って。これだと私が悪者みたいじゃない)
彼を問い詰めていただけなのに、どうしてこんな状況になったのだろうか。自問する。アオイの登場により、明らかに彼の中で何かが変わったようだ。……そう。まるで彼女を守ろうとするみたいで。
あぁ、そういうこと。しのぶは一人で納得する。だとすれば、彼は嘘をついている可能性が高い。きっとこれを真魚に問いかけても無駄だと考えたしのぶは、その後ろにいるアオイに声を掛けた。
「……本当なのですか? アオイ」
「………」
「アオイ」
「…………はぃ」
あら、想定外。しのぶは首を傾げた。アオイは消え入りそうな返事。まるで恥ずかしさを誤魔化すような声だった。
アオイはそんな嘘に乗っかるような子ではない。それはしのぶがよく分かっていた。それだというのに、わざわざそんな
それに今朝の二人の様子を見る限り、
「あのですね。いつからこの屋敷は
もう嘘だろうがどうでもいい。任務帰りで疲れた頭。いつもより苛ついていた感情を彼にぶつけた。八つ当たりだろうがどうでもよかった。
「あ、逢引って……」
「違うのですか?」
「……い、いえ」
真魚は恥ずかしさで顔から火が吹き出そうだった。彼女のことを庇ったつもりで咄嗟に出た嘘。しかし冷静に考えればこれは非常に不味い事態になったのではないか。
しのぶの放った逢引という言葉。思わず言葉が漏れるが、ここで否定してしまえば全てが水の泡。嘘を認めることになる。
一方のアオイもそうだ。彼の嘘にこれでもかと心臓が高鳴っている。昨日のソレとは比べものにならないぐらいに。彼の口から出た言葉。――――俺から誘った。あぁなんと甘くて蕩けてしまいそうな響き。腰が抜けてしまいそうだった。
「これまで君の行動は黙認してきましたが、もう堪忍袋の緒が切れました。節度は守っていただかないとハッキリ言って迷惑です」
「……返す言葉もありません」
真魚は覚悟を決めた。きっとまた薬の実験台になるのだろう。いや、そうなることぐらい分かっていた。朝目覚めた時から。
彼は呼吸を整えて、しのぶの言葉を待つ。そしてまたアオイも同じように。
「真魚君はしばらく、この屋敷へ出入り禁止にします」
「……………えっ」
彼はしのぶの言葉を咀嚼する。
出入り禁止、屋敷に出入り禁止。屋敷に入ることが出来ない。ということは、だ。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください!! それだけは! それだけはぁ!!」
「いいえ駄目です。自らの過ちを悔いなさい。自業自得ですよ」
「そ、それだとアオイちゃんに会えなくなる……」
まさかの展開だった。そしてそれは、薬の実験台になるよりも辛く、恐ろしいモノ。だがしのぶは彼の命乞いを聞こうともせず、そのまま部屋を出て行こうとする。
「し、しのぶ……様」
「アオイ。貴女も今日は屋敷を出て行きなさい。頭を冷やして」
「…………は……い」
残された二人。あのしのぶの怒りようを見ても、非常に不味いことになった。アオイは彼に全力で頭を下げた。
「ごめん……なさい」
「い、いやいや。アオイちゃんは悪くないよ。俺が早起きして出て行ってればこんなことにならなかったんだから」
真魚も冷静に考える。そもそも逢引の事実なんて無いのだ。自分たちが落ち込む必要なんてない。ただ咄嗟に出た嘘は不味かったと後悔しているだけで。
二人に強く当たったしのぶにしても、驚いただけだった。彼がアオイに好意を寄せていることはもちろん知っているわけで、そんな彼があんなことを言い出したのだから。あのアオイが一人の女性として歩み出そうとしている。そんな優しさなのか、
「とりあえず、俺は屋敷を出るよ」
だがこれに困ったのはアオイだ。今日一日出て行けと言われても、出て行く先は無い。鬼殺隊とは言っても、まだ十七歳の女の子なのだ。下手に出歩くと余計なことに巻き込まれる危険すらあった。
真魚は考える。そう言われたアオイのことを見捨てるつもりは毛頭ない。下町の宿屋であればツテもある。そこに彼女を案内すれば良いだけの話だ。
「あ、あ、あの。真魚さん」
「ん? どうした?」
「その……どうせなら下町でお買い物でも……いかがでしょうか」
この展開。実はアオイの方が浮かれていたのである。今なら追い出されたことを言い訳に何でも言えるような気がして。
誤字報告もありがとうございました。
高評価してくださった方。
・syuiさん
・猫丸2号さん
・AMRAAMさん
・ぺんたこさん
・wotohumiさん
・けーぺーさん
・MinorNoviceさん
高評価してくださった皆様には、お礼の気持ちを込めて、ささやかではありますが後書きでお名前をご紹介させていただいております。