鈴木に杖を教えはじめて幾日か。
わざわざ過ぎ行く日々を数えたりはしない。だが、片手で数えきれるほどであることは間違いなかった。
鈴木は強くなっている。
才能がある。それだけでは説明がつかないほどの早さでだ。
思えば、最初の手合わせからそうだった。
鈴木は確かに杖が不慣れだったが、攻めるべき所と守るべき所はわきまえているように見えた。
杖の技術はないが、闘いの技術はある。そんな動きだ。
私が刀剣の扱いに明るくなくとも、それなりには闘えるのと同じようなものだろう。鈴木は杖の勝手など知らなかったが、下地による応用は最初から出来ていたのだ。
そして、彼は今や杖の技術をみるみる吸収しつつある。渇いた水苔が本来の瑞々しさを取り戻すように貪欲に、私から技術を吸い取っている。
まだまだ技術で負けはしない。
だが、どうだろうか。あと数ヶ月……いいや、もしかすると、もっと早く。
鈴木は今のまま、驚くべき早さで成長を続け……私を超えてしまうかもしれない。
それでも、肉体の差がある。人間と妖怪だ。当然力は私の方に軍配が上がるだろう。
だがそれも、奴の成長によっては遠からず……。
……子は親を離れるものだ。
師を超える教え子もいる。
鈴木がそれなのだ。不思議なことではない。ただ、あいつが秀でていただけのこと。
けれど、久々に人間にものを教え、言葉を交わし……ここ最近の毎日は、私にとって久しく感じることのない輝きに満ちていた。
団子にこれほど金をかけたことなどいつぶりだろうか。箪笥にしまい込んでいた古銭を何年振りに漁っただろう。
人に買い物を与えたり、薬を与えたり……そうして世話を焼く日々が、とても愛おしく感じられる。
この日々が、いつか終わるのか。
遠からず。一年もせず。
だとしたら、少し……いや、とても……寂しいものだが。
……ああ。だが私は鈴木にとって、杖を教わるだけの白狼天狗に過ぎない。
偶然に住処に転がり込んできては、看病させ、くっついてまわる……そのくらいの、ひょっとすると迷惑な相手と思われているのかもしれない。
いや、どうかな……さすがにそれは、ちょっと暗い考えだったかな。
そこまで嫌われてはいないはずだ。
だって、鈴木は……どういうつもりかは良くわからないけれど、私の使った水筒が欲しいなどと……。
……嫌いな相手の水筒など、わざわざ求めはしまい?
いや、どうなのだろうか……ううん……。
……鈴木の思惑がどうであれ、私は鈴木が憎からず思っていることを期待している。
淡い、バカみたいな期待だ。自分でも少し、どうかと思う。
今もこうして、新しく作っている竹水筒を、わざわざ丁寧にこさえている……単純なものだよな。
「鈴木……」
それとなくねだって譲り受けた服の端切れには、彼の匂いが染み付いている。
……ああ、そうだ。
この端切れを何に使うのか、考えなくてはならないな。
どうしよう……。
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私の名は犬走 椛。
三ツ葉という白狼天狗が、知り合いにいる。
同じ白狼天狗ではあるが、彼女と話したことはあまり多くない。
彼女は私よりも年上で、性格上もあまりそりが合わないからだ。
三ツ葉は仕事に熱心でなく、将棋も下手だ。対局したことはないが、以前彼女が指す姿を見たとき、あまりの下手さに本当に天狗なのかと疑ったものである。どうして私よりも長く生きているくせに、あんなに下手なのか……。
お互い衝突を好む性格ではなかったので険悪な関係にはなったことがないが、無理に関わろうとする仲ではなかった。
だから、これからも適度に距離を置いた間柄が続くと思っていたのだけど。
「椛。近頃は人里に足を運ぶそうだな」
「え? ぁあ……三ツ葉。まあ、確かに……?」
ある日、三ツ葉に声をかけられた。
珍しくというよりは初めてのことだったので、困惑したのをよく覚えている。
しかし、お互いほとんど話したこともないのに、なぜ私が人里に行くことを知っていたのか。
「いや、この新聞に書いてあったのを思い出してな。人里へ行くのに苦ではない椛なら、頼みごとを請け負ってもらえるかと」
三ツ葉が懐から取り出したのは、茶けた古新聞の記事だった。
そこにはいつぞやの、私が人里で将棋の対戦をした時のものが載っている。
なるほど、これを見て私にあたりをつけたわけか。
実は彼女が言うほど、私もそう頻繁に人里に赴いているわけではないのだけど……頼みごとがあるというならば、わざわざ話の腰は折らないでおこう。
「それで、頼みというのは」
「うむ。草団子をいくつか、美味いやつを見繕ってもらえないかと思ってね」
……私は犬っ走りか?
どういうこと? え? なに? わざわざ私に団子……ええ、それだけ?
「すまない。私が行けばいいのだろうが……私は店に詳しくないんだ。ここ数十年は足を伸ばしていないし、どこの物が良いかもさっぱりで……」
「ああ、そういうこと。びっくりした……」
何かの宣戦布告かと思って驚いたよ。悪気はなさそうで安心した。
……悪い人じゃないんだろうけどなぁ。話していて不快ではないし……でもやっぱり、仕事で合わないというのは惜しい。
「その程度の遣いなら、請け負うよ。もちろんお金は用意して欲しい」
「当然だな。相場がわからんが、これでいいか」
「ちょっ……こんなにはいいよ。多すぎる。何本買わせるつもり?」
「草団子をとりあえず10本ほど」
「それでも多いよ。お代はこれで十分」
「そうか」
うーん、雑だ……。
仕事が適当だとは聞いていたけど、絶対にこういう性格が出てるんだろうなぁ……。
……ああ、そうだ。
「……三ツ葉。最近そっち側の哨戒区域に、烏天狗がいるって話を聞いたんだけど」
小耳に挟んだ話だ。なんでも、私達の領分で好き勝手に飛び回る烏天狗がいるとかなんとか。
悪いことではないが、わざわざ白狼天狗の仕事を横取りするような動きをされるのは、聞いてて気持ちの良いものではない。
たしか、三ツ葉の担当する場所の近くだったはずだ。
「ああ……そう、だな。私もそれは、少し困っていてね……どうにも私は、件の烏天狗に目をつけられているらしく」
「どうしてまた。三ツ葉が何かしたの?」
「さあ、なんとも。憶測で語るのは彼女の不名誉になるかもしれないから。だが、向こうが私を嫌っているのは間違いない」
なんとも変なところでお堅い天狗だ。私もあまり人の事は言えないらしいけど。
「三ツ葉があまりに迷惑しているようなら、大天狗様にでも相談しておくべきだと思うよ。今は人里に、新たな英雄になるのではないかと……そう噂されている人間もいるみたいだから。山の裾に、あまり不和を持ち込むべき時じゃない」
「英雄……博麗の巫女のような?」
「そう。ま、空も飛べないし、刀しか扱えないそうだけど。腕が良いんだって」
「ほーう……」
三ツ葉は興味深そうに聞いている。
古そうな考えを持っている割に、「人間ごときがなにするものぞ」とは言わないんだ。少し意外かも。
「三ツ葉も人間に興味があるなら、自分で人里に降りたらいいのに」
「わ、私が? いや……私はいいよ。私は……天狗だから」
「今の時代、そんなこと言うのは年寄りばっかりだよ」
「……いいさ。年寄りなのは事実だもの」
三ツ葉は古い白狼天狗だ。
本来なら、何十年も何百年も前に、人間に斬り殺されるか退治されて死んでいるような……そんな終わりを自ら望むような、そんな時代の、典型的な天狗である。
けど、そんな妖怪が今の、悪く言えば生ぬるい時代に生き残っているのは、不本意なのかもしれない。
私にはそれをどうすることもできないんだけど。
「では、頼むよ。椛」
「はいはい。すぐに買ってきますよ」
私はこの日から、なんとなく三ツ葉のことを気にかけるようになった。
特に深い理由はない。強いて言うなら白狼天狗の野生の勘だ。
けどその勘が、あながち鈍いものでもないことを、私は数日後に察することとなる。