「椛、ありがとう。団子、助かったよ」
「ああ、気にしないで。私も人里に寄る用があったから」
近頃、私は三ツ葉と話すようになった。
以前は顔を合わせることも稀だったのが、声をかけあうような仲になっている。
そんな私達の関係を目にした同僚の一人が、「仲良いならちゃんと仕事しとけって言っておいてよ」と私に言伝を頼んできた。
言伝ならばと快く頷いたんだけど、「冗談よやめてよ馬鹿」と撤回された。
私が何をしたというのだろう……いや、もちろんからかったんだけどね。
三ツ葉は白狼天狗の中でも孤立した奴で、長らく誰とも関わりがなかった。
けど長くいる割に強いわけでもないそうで、恐ろしい話とかは聞かない。走るのが少し速くて、杖の扱いが上手いとか、そういうのは聞いてたかな?
そんな噂話もあるけど、三ツ葉は仕事に本気で取り組まない奴なので実力を見定める機会はない。
同僚の天狗たちも、三ツ葉が下手に長生きしてるせいもあってか、注意しづらいそうだ。
うん。でも確かに、ある程度話すようになった私が注意してやるのが一番か。
団子を買ってやったのだから、そのくらいのお小言は刺しといてやろう。
……そう思っていたんだけど。
「……あれ」
「ん? どうかしたか、椛」
三ツ葉に近付いてみるとどうも、気掛かりな匂いがした。
……人間の匂いである。
「三ツ葉、ちゃんと仕事してる?」
「ああ。まぁ、ほどほどにな」
私達の仕事は哨戒だ。山に不届きものが立ち入らぬように警戒するのが任務である。
人間を見つけたならば、丁重に怖がらせてお帰りいただくのが決まりだ。当然、そういうことがあれば上に報告するのも任務の内。
「最近は村の退治屋も活発に動いてるそうだから、気をつけなよ。そっちの区域では見てない?」
「いいや、見てないな。こちらは里から離れているし、迷い込むこともないだろう」
そうか。
でも、ならばどうして……三ツ葉。お前からは人間の匂いがするのだろう。
訊くべきなんだろうか。知らぬふりをすべきなんだろうか。
……嫌な予感はしない。でも、気になるな。
私は明くる日、自由な時間を使って三ツ葉の哨戒範囲を探索することにした。
古びた山にはこれといった特徴的な地形もなく、平凡な山の景色が続くばかり。
ごく普通の、一般的な山の風景だ。
……わざわざ他人の仕事を奪って、私は何をしているんだろう。
変に勘繰って……性格の悪い真似をしてしまったな。
さっさと帰ろう。
そう思った矢先だった。
「……ん?」
気配を感じた。
森の中を歩く気配。私がその一瞬の、とても小さな違和感に感づくと……気配は静まった。
まるで、こちらの視線に気がついた……頭の良い獲物のように。
「これは……まさかね……」
一度気付けば、後は芋づる式だった。
いる。間違いなくいる。それがわかる。
天狗の私からでさえ、隠れるのが上手いと感心するほどだが……不十分だ。
熱量、息遣い、僅かな音、霊力……。
「……そこにいるのは誰だ?」
辿った先は、深い森の中。
そこに……潜んでいる。上手く隠れているが、私にはわかるぞ……その気になれば、姿を見破ることも難しくはない。
剣を構えて少しすると……茂みの中から、一人の男が現れた。
「……人間?」
そいつは人間だった。強張った顔をした、凡庸な男。
古びた着物に、外来品らしき背嚢。しかも手には杖を持ち……その姿はまるで、かつての山伏のようだった。
そして何より……。
「この匂いは……」
男から感じる匂い。それは紛れもなく、三ツ葉から幽かに感じ取れたものと同一のもの。
「お前は……何者だ?」
人間。山伏。そうか、そんな手合も、まぁいないことはないだろう。
だが、気配を絶つその力。そしてその匂い。……問いたださなければなるまい。
「これも仕事のうちなのだ。話してもらおうか」
威圧するが、男は表情を変えない。こちらの圧には応えず平然と……何を言うべきか、それだけを悩んでいるように見えた。
「三ツ葉という白狼天狗を知っているか」
「やはりか。あの天狗は……」
「彼女から杖の教練を受けている。俺の杖が不出来なのを見かねて、世話を焼いてもらったんだ」
「……なるほど、師弟関係だったと。あの三ツ葉とね……」
意外だ。いや、しかしそういう間柄であったのなら納得もいく。
……そうか。三ツ葉はこの人間の世話を焼いていたんだな。なるほどねぇ……。
甲斐甲斐しいところもあったんだな……いや、今はそんなことよりも。
……どうしたものかなぁ。三ツ葉めぇ、厄介なものを野放しにしちゃって、もう……。
「……すまない。俺はこの山に詳しくないから、もし禁足地に踏み入ったのであれば謝らせて欲しい」
「……人間よ。妖怪の山はその名の通り、妖怪が暮らす山だ。修験者であろうと、天狗の領域に人が踏み入ることは許されない。場所が悪かったな、としか……」
禁足地というなら、山全体がそうだ。
そして哨戒天狗として、不審な者を山で見つけた以上は、捨て置けない……。
けど……三ツ葉の弟子か。それに、人間とはいえ山伏。……うむむむぅ。
ここは……そうだな、こうする他ないか。
「……私は哨戒天狗の犬走 椛。だから私は職務上、お前に言わねばならない。いい? 私の言うことを聞くように。今すぐ道を引き返し、さっさと住処に帰りなさい」
山に踏み入った人間を追い返す。それが私の仕事だ。
だから一応、こうした言い方でも職務を果たしたことにはなる。
従えないなら実力で捻じ伏せるしか無い。素直に従ってくれよ、人間。
三ツ葉の知り合いなんだろう? 手荒な真似は嫌だぞ。
「わかった。言葉の通りにしよう」
ああ、よかった。聞き分けの良い素直な人間で……。
「それでいい。名も知らぬ修験者よ、さらばだ」
後は、勝手にやっていればいいだろう。
名前は訊かないぞ。この件はただ私が散歩をしていた時、偶然居合わせた男を追い払った。ただそれだけのことなのだからな。
男は言葉に従って、山を引き返していった。
……しかし風変わりな人間だったな。気配が薄いというか、読みにくいというか。
あそこまでの希薄さともなると、さぞ長年山で修行を積んだのだろう。……なるほど、物好きな天狗なら確かに気に入りそうな奴ではあるな。
「しかし……三ツ葉めぇ。不真面目だとは思っていたけど、まさか山で人間と戯れていただなんて……」
男は背嚢の横に竹水筒をぶら下げていた。
最近見覚えがある。あれは三ツ葉のものだろう。僅かながら彼女の匂いもした。
他人に、自分の水筒を使わせるって……あいつ、そういう関係なわけ?
……気になる。気になるし、こうしてあの男の存在を知った以上、この件には私が深く関わるだけの義務があるはずだ。
私はその晩、三ツ葉を見つけ出した。
呑気に草笛なんか作っている彼女を手招きでちょいちょいと呼び出すと、はてどうしたのかみたいな顔をするのだから少しイラッときてしまった。
「なにかな、椛」
「山伏の男」
その一言だけで、三ツ葉はピシリと固まった。
……隠し事、下手ね。
「今日の昼過ぎ、悪いとは思ったけど三ツ葉の様子が変だったから、そっちの哨戒区域に足を運んでみたらあの男と会った」
「……鈴木にか」
「……あのね、三ツ葉。私は訊いてもいないんだから、そうやって迂闊に口を滑らせるもんじゃないでしょ」
「そ、そうだな。すまない椛……」
いや、どうして私が隠蔽の手伝いをしてやらなきゃならないのか……。
「聞いたよ。杖の師弟なんだって? よく人間を相手にそんなことをするね」
「ああ……鈴木には恩があるものでな。どうにか、それを返そうと私なりに……あっ、も、椛! 鈴木は!? 鈴木は……どうしたのだ?」
「……さあ。適当に追い払っただけよ。その後どこにいったのかまでは知らない。私の哨戒区域ではないし、一応その時は仕事中でもなかったから」
これが私の仕事中だったら、そこまでぞんざいな対応にはできなかった。
今回のは……どうだろう。あいつは脅されて山を降りたのか、それとも留まっているのか……?
……鈴木ね。報告には上げないけど、名前は覚えておこうかな。
「怪我はさせてないから、そう慌てないで」
「そ、そうか。なら、良かった……いや、ありがとう。椛」
「お礼なんていらないわよ。ただ、白狼天狗としてはこの件、ちょっと考えものだわ。……人間に愛着を持つのも良いけれど、程々にしておいた方が良いよ。私が知らんふりするのにも限度はあるし、他の奴だっていつ気付いてもおかしくはないから」
「……うん、わかってる」
三ツ葉は寂しそうな顔をした。
彼女も長く生きる中で、色々と経験したのだろう。もちろん、人間たちとも。
「……大丈夫。鈴木は腕の良い男だ。そう急かされなくとも……すぐ、私のもとから巣立っていくはずさ」
「……何かあったら、責任は貴女が取るのよ。わかっている? 三ツ葉」
「当然。何かあれば、椛。私を斬ってくれてかまわない」
「いや、それは極端すぎるから」
「ただし、私の杖捌きに勝てればの話だがな」
「いやいや反撃するの? やめてよ極端な上に好戦的なのは……天狗の一人として、できるだけ大人しくしてって言ってるの」
「そうか……わかった。努力は……してみるよ。ありがとう」
……三ツ葉。悪いやつじゃあないんだけど……。
大丈夫なのかなぁ……。