「むっ」
薬の調合中、魔理沙の勘に何かが引っかかった。
自宅中で何の報せもあったわけではない。それでも、長年(数年)異変解決に携わってきた魔法使いとしての勘がざわめいているのだ。
「多分、何かの事件だな!」
自分でも不思議になるほどの直感に突き動かされ、魔理沙は鍵も掛けずに家を飛び出した。
向かうは人里。そこに何かがあるのだと、彼女の第六感は告げている。
果たして魔理沙の予感は的中した。
「こんな不吉な勘が当たるなんて、不気味だな」
人里では殺人事件が発生していたらしい。
魔理沙は半日も経たないうちに現場へ急行できた形だが、死の報せを受け取れる能力が身についたとして、それは素直には喜べない。どうせなら儲け話を察知できる力が欲しかった。
「……ふう」
などと、他愛ないことを考えてしまう。
きっと、死後間もない死体を目の前にしているからだろう。
自分の心が無意識のうちに自衛していたのかもしれない。
「下手人は見つかっていないんだな?」
「おうよ、今の所はな。聞き込みに人を出しちゃいるが、どうだかな。よほどの不意打ちだったんだろ。旦那は声を出す余裕もなかったに違いない」
「……妖怪の仕業じゃない?」
「だろうとは思っとる。確証はないけどな。不思議と、見分けがつくもんでよ」
死体には深い斬り傷が刻まれていた。
「人のつけた傷ってのは、悪意が滲んでるからな。妖怪が残すもんよりずっと、胸糞悪く見えるもんだ」
妖怪だらけの幻想郷で、人の犯罪を取り締まることに半生を捧げた男。
「……なるほどな」
自分とは違った道を歩んできた男の横顔に、魔理沙は神妙に頷いた。
妖怪が起こした事件ではない。しかし、捜査は迷宮に入りかけているらしい。
妖怪退治が専門の魔理沙ではあったが、彼女は博麗の巫女ほどドライに公私を分けたりはしない。自分にもできることはないものかと、独自に動いてみることにした。
殺害されたのは小さな骨董屋の主人だ。
規模は大きくなく、香霖堂のようにハイカラだかなんだかよくわからないものを扱う店であるらしい。
知る人から聞き込んで見ると、主人はいくつかの店と関わりがあったようで、その中には香霖堂の名も挙がっていたようだ。
もっとも、取引らしい取引はほとんどなかったようであるが……香霖堂の店主のやる気なさを思えば、それも不思議ではない。
「ここらへんかな?」
魔理沙は空から、一軒の屋敷に目をつけた。
どこか実家を思い起こさせる、大店と呼ぶにふさわしい佇まい。
立ち並ぶ蔵と、行き交う下働き。
むずがゆい懐かしさを覚えそうになる前に、魔理沙は岸辺屋敷へと舞い降りていった。
「お邪魔するぜ」
「うわぁ」
箒で降り立つと、近くで荷物を運んでいた女が尻餅をついた。
「あ、ごめんごめん。でもちゃんと見ながら降りたから、危なくはないぜ」
「そ……そうですか。びっくりしました」
「ほら、手」
「ありがとうございます……」
魔理沙に助けられ、女性は起き上がった。
切り揃えた髪と、野暮ったい眼鏡。歳こそ魔理沙より十は上だろうが、小柄な立ち姿は貸本屋の子鈴を思わせる可愛らしさがあった。
「……なんだかあなたの姿、魔女みたいですね」
「おっ? わかるか? へへ、だろう? わかりやすいはずなんだけどなー、里の連中にはあんまり伝わらないんだよ、これ」
「あ、あはは……」
「でもほんと珍しいよ。いや、自分で言うのも恥ずかしいけど、魔法使いやってるのは結構有名なんだけどさ。どうして私が魔女ってわかったんだ?」
「えっ」
小柄な女性は狼狽えた。
「それは……この岸辺屋敷では、舶来品も多く扱っていますから。自然と勉強になるんですよ」
「ああ、それもそっか」
魔理沙は辺りを見回し、納得した。
運ばれている品々には海外からのものも多く、屋敷も瓦などは日本家屋だが、壁や一部の窓などからは紅魔館に違い異国情緒を感じる。
これならばなるほど、確かに魔女やら何やらに詳しくなっても不思議ではない。
殺された店主の雑貨屋と取り引きがあるのも納得だ。
「何か、お話でしょうか?」
「ああ、うん……最近起きた事件で、聞き込みしたくてな。知ってることだけで良いんだ。あんたの時間を貸してくれないか?」
「はぁ……そうですね、わかりました。ちょうど時間もありますので、構いませんよ」
人の良い笑顔で、女は快諾してくれた。
「ありがとな。私は霧雨 魔理沙、普通の魔法使いだぜ」
「私はつい最近になって岸辺屋敷に務め始めたばかりですが……
話を聞くと、岸辺屋敷と雑貨屋の間には定期的な取り引きがあった。
距離はそこそこあるものの、かなり頻繁に人が行き来しているようで、岸辺屋敷から使いに出される者も多いのだとか。
しかし両店のやり取りは梱包のための桐箱だったり、筆で名を入れたりだとかがほとんどで、肝心の品物のやり取りは珍しいそうだ。
小さな雑貨屋では用立てることが難しい箱や手のかかる付属品を融通するという、小さな内容ばかり。
「私たちは雑貨屋まで遣いに出されても、寄り道せずすぐに戻るよう言われてますから……その、事件が起きたという離れた路地へ寄る暇はないと思いますよ。それに、使いで帯刀なんて許されてませんし……」
「だよなぁ……」
聞くには聞いてみたが、岸辺屋敷が事件に関わっているということはなさそうだった。
怨恨らしい話も聞けないし、完全な空振りである。
「魔理沙さんは、このような事件の調査もされているのですか?」
「ん? ああ、たまにな。けどいつもは妖怪専門だよ」
魔理沙は出されたお茶をせかせかと飲み、すぐにでも立ち去る構えだ。
ここがダメならダメで、日が落ちる前にはもう一軒ほど聞き込みをしたいと考えていた。
「そうですか……では……あの、最近……身の回りで、おかしな事件などはなかったでしょうか?」
「んー……そんな事件あったかな……? いや、無いな。最近は平和なもんだよ」
「……そうですか。【ダウト】」
「え?」
何か一言、単語が聞こえた気がした。
だが言葉はぼやけており、魔理沙の頭でははっきりと認識できない。
「……本当みたいですね。残念です、何かお屋敷の商売に繋がるようなことがあればと思ったのですが……」
「ん、ああそういうこと。ははは、商売人ってみんなそう前のめりなんだよな。私のやる気のない知り合いにも見習わせてやりたいぜ」
「ふふふ、そんな方がいらっしゃるんですか? 成り立つのでしょうか……」
「ほとんど趣味みたいなもんだよ。むしろ客が多すぎると店を閉じるタイプだね、あれは」
などと談笑していると、店の奥から声が聞こえてきた。
「貨川ー、貨川いないかー?」
「あっ……はーい!」
若い男の声である。名を呼ばれ、貨川の表情は見るからに明るくなったように見える。
「……誰だ? 店の人か」
「ここの若旦那様です。色々とお世話になっているんですよ」
「ふーん、そうかぁ」
商売人としての笑顔とは全く違う、素顔の笑み。
魔理沙は貨川という女についてあまり多くを知らなかったが、好奇心旺盛な年頃の少女として、そこに察するものはあった。
「んじゃ、お邪魔な私はそろそろ帰らせてもらうぜ。話、聞かせてくれてありがとう!」
「あ、はい。また、今度は是非お客様としていらしてください」
「前向きに検討する。じゃ!」
魔理沙は箒に跨り、岸辺屋敷を去っていった。
高速で飛び去る後ろ姿を見送り、貨川はほっと息をつく。
「……あれが霧雨魔理沙。人里の英雄……かぁ。あんな小さいのに、すごいなぁ」
「貨川ー?」
「あっ!? はぁーい! 今行きますー!」