夢の王   作:せいたろう

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「小説家になろう」で投稿したのものを移植しています。



プロローグ

―『明晰夢』。自分で夢であると自覚しながら見ている夢。明晰夢の経験者はしばしば、夢の状況を自分の思い通りに変化させられると語っている。

 

 

 

 

 凍てつく水の中に、体を放り出された。

 

 痛みに似た冷たさが、一瞬で体を包み込み、

 指の先から心臓まで、全てを凍りつかせる。

 

 体から離れた空気達が、

 気泡となって上へと離れて行く。

 

 海面が遠ざかる…。光が失われる…。

 感覚が薄れていく…。意識が霞んでいく…。

 

 これが死ぬという事なのか…。

 

 怖くはない、

 

 ただ、

 

 …少し悲しいだけ。

 

 

 

 

 

 岡野《おかの》 春一《はるいち》は、いつも同じ夢を見ていた。そして、いつも同じところで目が覚める。

 

 

 

 ― だが今回は違ったようだ。

 

 肺にたまった水を吹き替えし、春一は意識を取り戻した。乱れた呼吸の中、ぼやけていたピントがゆっくりと合い、視界に照明もない無機質な天井が映し出される。

 うちっぱなしのコンクリートに囲まれた六畳ほどの部屋に、春一は仰向けで倒れていた。そして、何故か体は上から、バケツの水をひっくり返したかのようにずぶ濡れだった。

 春一は体を起こし、周りを見回した。その部屋は、鉄製のドアと格子のみの窓があるだけの殺風景な場所だった。春一の知らない場所だ。

 まだ夢の中にいるのか…。春一はそう思った。ついさっきまで見ていた水の底に落ちていく夢、濡れた体、身に覚えのない場所、ここが夢だと思えば全てに納得がいく。

 ただ、同時に違和感も覚えた。この夢は、意識と感覚が妙に現実味を帯びている。部屋の中に立ち込める湿気独特の嫌な匂い、濡れて体に引っ付いたシャツの気持ち悪さ、五感から感じるどの感覚をとっても、夢とは思えないほど鮮明だった。

 考えても仕方がないか…。春一は、とりあえず濡れた服を乾かすか、着替えるかする事にした。たとえ夢だとしても、濡れて気持ちの悪い服を着たままというのは嫌だったからだ。

 部屋の中には何もないようなので、外に探しに行くしかない。鉄製のドアに近づき、ドアノブに手をかける。

 

 …カチャカチャ…カチャカチャカチャ…

 

 「あれっ?」

 思わず声がもれた。

 ドアには鍵らしきものは見当たらない。それだというのに、いくら回そうとしても、ドアノブは施錠されたようにひっかかって動かなかった。春一はそれから一分間ほどドアと格闘したが、結局は無駄に終わった。

 諦めた春一がドアの前から一歩引いた。

 ― その時だ。

 「開かないのかい?」

 突如、背後から誰かが声をかけた。春一は肩をギュッと上げて驚いた。

 確かに、さっき部屋を見回した時は誰もいなかったはずだ。

 ……だが、これは夢の中、何が起きても不思議ではない。春一はそう自分に言い聞かせ、ごくりと生唾を飲んでから、恐る恐る後ろを振り返った。

 そこには、黒い木製の椅子に座った一人の男がいた。黒椅子はピアノに付属するものによく似ている。男はその椅子に逆向きでまたがり、背もたれの上部で頬杖をついてこちらを眺めていた。背格好は春一とよく似ており、同じ学校指定のYシャツとスラックスを着ている。

 「怖がらなくていい」

 男がまた口を開いた。春一はその声を聴いた途端、背筋がゾッとした。男の声は大勢の人物が同時にしゃべったような不気味なものだった。その声は、春一にこれが夢であることを忘れさせ、理屈のない本能的な恐怖を抱かせた。

 数秒の沈黙の後、

 「あ、あんた…誰だ…?」

 震え声で春一が尋ねる。恐怖の中、絞り出した精一杯の声だった。

 だが、男は答えようとしない。

 男の後ろには窓があり、そこから差し込む逆光で顔がよく見えなかった。春一は、怖がりながらも光を手で遮り、男の顔を除こうとする。

 

 ― しかし、何かがおかしい。

 

 …顔が見えない。

 今、男の顔は確かに春一の瞳に映っているはずだ。だが不思議な事に、男がどういう顔をしているか、春一には理解が出来なかった。見えているのに、頭が男の顔を認識しない。そう言った感じだ。

 春一は、そのまま男の顔を見続けようする。すると、頭の中を掻き毟られるような奇妙な感覚に襲われた。それは痛みとは違うが、とても耐えられるようなものではなく、春一はすぐに男の顔から目を離した。

 「あぁ、だめだめ。私の顔を『見よう』としない方がいい。顔を認識できないようにしているからね、あまり無理にやると頭の中が壊れてしまうよ」

 男が優しい口調で告げる。

 「顔を認識できな…え?」

 訳もわからず、春一はとにかく男の顔を見ないよう必死に手で遮った。

 その様子を見た男は、仕方ないと首を横に振ると、右手を自分の顔に当てる。

 「これなら大丈夫だろう…」

 たちまち、祭の屋台で見るようなチープな天狗の面が現れ、男の顔を覆った。その動作はマジックのように鮮やかな早業だった。

 「ほぅら、もう顔を合わせても大丈夫だよ」

 春一はビクつきながらも、かざしていた手を下げ、天狗の面と向き合う。

 それから、またしばらくは沈黙が続いたが、今度も春一の方から口を開いた。

 「…あんた、何者なんだ?」

 そう尋ねると、男はバツ悪そうに天狗の面をポリポリとかいた。

 「う~ん、それは教えられないね。だいたい、顔を見られないようにまでしているのに、そう易々と正体を明かすと思うかい?」

 「……」

 春一は黙ってしまう。

 男は気を取り直してと言わんばかりに、パンッと手をたたき、

 「そんな事よりほら!君はいつまで、そんなびしょ濡れの服を着ているつもりなんだい?」

 わざとらしい口調で言った。

 「え?あぁ、いや、だから外に出て着替えを…」

 「そんな必要はないよ」

 「え?」

 「ここは夢なんだから、着替えなくてもすぐに乾くさ。ほら、こうやって目を閉じて、かわいた服をイメージして…」

 男は天狗の面の目の部分を両手で覆った。

 「何を言って…」

 「いいから」

 男にせがまれるまま、春一は半信半疑で目を閉じた。

 「さぁ、頭の中をまっさらにしたら、次に乾いた服をイメージして…アイロン掛けされた生地が肌に触れる気持ちのいい感触を…」

 男の言葉はすうっと春一の脳内に入り込んでいき、無理矢理に頭の中にイメージを浮かばせた。その直後、体と服の間に温かい風が駆け巡り、春一の衣服は、裾の先まで一瞬で乾ききった。

 「…!」

 春一は驚きのあまり言葉を失う。

 「君はもうわかっているだろうけど、ここは夢の中だからね。強くイメージしたことが現実になるんだ。普通、服ってのは濡れたのじゃなくて、乾いたのを着るだろう?だからイメージがしやすいんだよ」

 「…夢?」

 「そう、あれ?君もそうだと感じていたのだろう?まぁ、ただの夢じゃないんだけどね。これは明晰夢だから」

 「明晰夢…」

 「知っているだろう?」

 春一は狐につままれたような気分だった。男は不気味な声をしているものの、態度はとても友好的で、最初に感じた恐怖は消え始めている。ただ、今起こっている奇妙な出来事については違和感を捨てきれない。それが、夢…明晰夢とわかっていても…だ。

 これが夢なら、早く起きてしまいたい…。春一はそう思い始めていた。

 「…おや?何か聞きたいことがあるみたいだね?」

 春一の心情の変化を読み取ったかのようなタイミングで、男はそう口にした。

 「ここから…出たい」

 率直な要求をぶつける。

 「ん?この部屋から?」

 「違うよ。この夢から…出たい。起きたいんだ」

 春一の質問に、男は困ったなと、肩をすくめた。

 「悪いけど、夢から抜け出す方法を私は知らないんだ。私自身が夢のようなものだからね。ただ、この部屋から抜け出す方法なら…ほら」

 男は春一の後ろのドアを指さす。

 「そこから出ればいい」

 「…このドアは開かなかった」

 春一はふてくされるように言い返した。

 「鍵がかかってるからね」

 「鍵なんてどこにも…」

 春一が反発しようとすると、男はまたドアの方をちょんちょんと指さした。渋々と男の指す方を見てみると、ドアノブの下、さっきまでは確かに何もなかった場所に小さな鍵穴が開いていた。

 「鍵は…そうだ!君のズボンの右ポケットに入っているんじゃなかったかな?」

 男は、今まさに思い出したというような嘘くさい演技で言った。

 春一はズボンの右ポケットに手を入れた。指先が何か固いものに触れ、それを引き出してみると、親指大の古びた鍵が姿を現した。不信がりながらも、その鍵を鍵穴に差し込み、軽くひねってみる。

 

 ― カチャン。

 

 開錠の音が部屋に小さく響いた。

 「これも…夢だから?」

 春一はいぶかしげに目を細める。

 「そういう事」

 男が天狗の面の下で、にやっと笑った。顔は見えないはずだが、春一はなんとなくそう思った。

 春一は、何か言い返そう思ったが、止めて首を振った。そんな事より、早くこの部屋から出てしまいたかったからだ。

 ドアノブを回し、勢いよく開ける。

 

  ― だが、これが間違いだった。

 

 ドアが開いた瞬間、眩しいばかりの光が差し込む。それと同時に、部屋の中の空気が一気に外に吸い出された。

 「うわぁあ!?」

 奇声と共に春一の体は外に投げ出された。咄嗟にドアノブにしがみ付く。

 ドアの先に建物は続いておらず、どこかの上空、雲よりもはるかに高い場所へと繋がっていた。原色の青で塗りつぶしたような濃い空、下には見事な雲海の絨毯が広がる大絶景だったが、今の春一に風景を楽しむ余裕などはない。大空にポツンと書き足したようなドアに、腕だけでしがみ付いている春一は、少しでも手の力を緩めれば、見えない空底へと真っ逆さまに落ちてしまう状況だ。

 ドアは風に煽られ、パタパタと揺れる。

 「た…助けて!!」

 うわずった声で春一が叫んだ。もはや、自力で戻る事は不可能だった。それどころか、手が汗ばんできて滑ってしまい、今にもアノブを離してしまいそうだ。

 男は慌てることなく、ゆっくりと手を挙げる。そして、その手をこれまたゆっくりと振った。

 「な、なにしてんだよ…!?早く助けて…!」

 「心配ない、ここは夢の中だ。落ちてもまぁ、痛みはあるかもしれないが現実に戻るだけだろう」

 「そ、そんな…!!」

 「起きたかったんだろう?ちょうど良かったじゃないか。…あぁ、そうそう。ちなみにここで起こった事は、この先、むやみやたらに他の人に話さない方がいい。それが君の身を滅ぼすことに…」

 男の話の途中で、春一の手はドアノブからするりと抜けた。

 「うわぁぁぁぁぁ!!!」

 春一は辺りに絶叫をまき散らしながら落ちていった。しばらくは叫び声が響いていたが、やがてそれも聞こえなくなり、再び部屋の中に静寂が訪れる。

 男が天狗の面をはずし、ドアの外に目がけて投げ捨てた。天狗の面はカラコロと部屋の床を転がって外に飛び出し、春一の後を追った。

 「…まだ、その時ではなかったか」

 男がそう呟くと、ドアは独りでに閉まった。

 

 

 

 

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