ロイヤルより愛をこめて   作:加賀崎 美咲

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2話

 がらんとした母港の中をベルファストは歩いている。まだ明け方であるため、誰も起きてくる気配はなく、周囲に人影はない。そんな時間にベルファストが起きてしまったのも、ひとえにこの母港の状況と指揮官から下されたメイド業務の一切の停止が原因だった。

 

 要するに何もすることがない。この一言に尽きる。

 

 朝目覚めて、適当に一日を過ごして、消灯時間になれば就寝をする。そんな一日の繰り返しが何度も続いた。

 

 出撃がないのだから仕方がない。全てのKAN-SENに特別休暇が出されていた。来る決戦のために出撃どころか、燃料の一滴、弾丸の一つすら温存する方針をアズールレーンは選び、暇を持て余すKAN-SENたちはただ指揮官が出撃を命じるその時まで沈黙を守り続けていた。

 

 ベルファストもそんな暇人の一人であった。KAN-SENとしての出撃もメイドとしての奉仕もなく、生活習慣が改善されるばかり。

 

 自分が何のためにこの母港に来たかも分からない始末。そんな自分の体たらくに腹が立つ。

 

「ロイヤルのメイドでありながら怠惰をむさぼるなど言語道断。しかしどうすれば……」

 

 自分はどう行動するべきなのか。明確な答えはどこにも示されていない。ベルファストが自分で決めなければならなかった。

 

 自分はメイドとして必要とされていない。それは明白だった。その上で私はどう行動するべきなのか。

 

 ベルファストは自問する。目を閉じて、思考を重ねて、納得のいく答えを求める。自分は今、何をするべきなのか。どうあるべきなのか。

 

 思考を深くしていたからか、何かに導かれるようして、気がつけばベルファストは官舎の裏隠れるように設けられた中庭にいた。

 

 雑草が自由に伸び、荒れ放題となった中庭。それはメイドの誰もが働かなくなった母港によく似ていた。

 

 あの横たわる雑草の一つが自分なのだとベルファストは自嘲する。伸び放題となっただらしない雑草、そんなものにロイヤルのメイドが身をやつして良いものだろうか。

 

 微笑み。答えなど、とうの昔に出ていた。自分は誇りあるロイヤルのメイド。主人に請われる前に、その要望を達成する十全にして。それこそが至上。それこそが私のあり方。それは主人であろうと変えられることは叶わない。ロイヤルへの責務であり、その帰属の愛。

 

「私はエディンバラ級二番艦のベルファスト。ロイヤルのメイドであり、指揮官のKAN-SENであり、そして私はメイド。主人のご要望に応える者」

 

 他に誰もいないはずの暗い中庭でベルファストはまるで誰かに宣言するかのように、自己の在り方をはっきりと言葉にする。

 

 決意は静かな朝日に照らされながらきつく固く結ばれる。やるべきことが決まったのならためらう間などなく、動き出し、味方のいない孤軍奮闘を強いられようと関係なく、主人のためという決意一つでベルファストは無敵になれた。

 

 

 

 ●

 

 

 

 指揮官は一日のほとんどを執務室で書類の相手に追われていた。

 

 

 

 長年の人類の目的であったセイレーンとの戦いに一つの決着がつこうとして、その準備のために綿密な作戦の計画が母港の垣根を越えて、アズールレーンという巨大な組織単位で進められていた。

 

 ゆえにそのやりとりや申請をはじめとする書類は膨大な量であった。これまでの戦いを無駄にないためにも、そのすべてを片づけていく。

 

 

 

 しかしそればかりをやっている訳にもいかない。一日中椅子に座っていても、常に集中していられる訳でもなく。だからこうして指揮案は外の空気を吸うために母港の中を散歩していた。

 

 

 

 時間にして十分ほど。正確なルーチンワークで行われる休憩という名の作業は今日も変わらず行われていた。

 

 そんな不変であった習慣に変化が現れたのは、指揮官が官舎の奥にある中庭に足を踏み入れた時だった。

 

 変化は明らかで、察した指揮官は眉をひそめた。昨日まで庭草が伸び放題に放置され、錆びついていたテーブルが全て手入れされている。庭草は芝生程度にまで切りそろえられ、テーブルも錆とりがされて、テーブルクロスまで敷かれている。

 

 そして横にお茶会の準備を載せたカートを待機させたベルファストを見つけて指揮官は怪訝そうに彼女を見た。

 

「ベルファスト。これはどういうことだ。私は君にメイドとしての業務停止命令を出したはずだ。あれでは足りなかったか?」

 

 問われたベルファストは優雅に一礼をして見せ、悪びれた様子など欠片も見せずに不敵に微笑み主人を見つめた。

 

「不肖、ベルファスト。ご主人様が要望を出される前にその要望を叶えさせていただきました」

 

「要望など出すはずもないだろう。言ったはずだ。私にメイドは不要だと。君たちは兵器としての役割だけを成していれば十分だ」

 

「この身はロイヤルのメイドでございます。主人へ仕えてこそ、メイドの本懐。それこそがこの身が成せる、ロイヤルの一員であることを明らかにする有り様。いわば愛国心も同じこれを、ご主人様であろうと妨げることは認めません」

 

 てこでもベルファストが自分の言葉を聞き届ける気がないことが分かり、提督はその表情を冷めていく。彼はそれこそ的をにらみつけるようにベルファストを見て、視線を可能が用意したティーセットへ移す。

 

「だがなぜ紅茶を用意した。君も顔合わせの時に見ただろうが、私は紅茶を飲まんぞ」

 

「いいえ。先ほども言ったように私はご主人様のお求めになったものを用意しました」

 

「何を言って……」

 

「ご主人様、無理に好きでもないコーヒーを飲む必要などございません」

 

 ベルファストは当然のことだという調子で言い放った。その口調に問いかけるような自信のなさは微塵も聞こえず、そこで初めて指揮官は敵愾心を失せ、純粋に驚きに顔を歪めて。

 

「どうしてそんなことが分かる。表情には出ていなかったはず。君にそれを伝えてなどいないのに」

 

「仕草でございます。空いた手を強く握りしめて、耐えるように飲んでいらっしゃればすぐに分かります」

 

 言われ、指揮官は自分の手のひらを開けてそれを見ていた。言われるまで気づきもしなかった自分の癖を見つけられ、目の前のメイドを彼はもう一度見る。

 

 それを一つの同意と受け取ってベルファストは動き出した。カートに載せられたティーセットをテーブルに移し、茶会の準備を始める。

 

 

 

 何もなかった白い平面の上、焼き色のついた茶菓子や純白の器が並べられて、その最後に主役であるティーポットが持ち上げられた。

 

 傾けられ、注がれる中身はベルファストの髪色と同じ絹のような白だった。

 

「ご主人様も重なる書類仕事でお疲れのご様子。ベルファスト、体の温まるシチュード・ティーを用意させていただきます」

 

「——、っ!」

 

 指揮官が小さく悲鳴のように息を飲んだ声がした。ベルファストにはこれが予想外の反応であったから、少し不思議そうに見上げて。

 

「どうなさいましたご主人様?」

 

「……ああ、いや。何でもない」

 

 言葉に歯切れはなく、うつむいた指揮官の表情をベルファストは読み取れない。そんな小さな間を置いて、アフタヌーンティーの準備は全て終わっていた。

 

「さあ、ご主人様。準備は整ってございます。どうぞ、こちらの席へ」

 

 主人の座る席を引き、手招きするベルファスト。正面に立った指揮官は彫刻のように固まり、ベルファストに聞こえないような小さな声で何かを呟いていた。

 

「ああこれはあの時の——。……、でも彼女は違って……」

 

 うつむき、動こうとしない指揮官をベルファストは待つ。求めには応えた。だから後は受け取ってもらうだけ。

 

 ゆっくりと、だが確実に、それこそ爆発物を取り扱うように、恐ろしさを隠せずに、指揮官は両手でカップを持ち上げた。

 

 白い水面に指揮官の顔が写る。写った顔の表情は硬く、苦い思い出を振り返る影が張り付いていた。

 

 震える手に水面が小さく波打って、強張った表情が歪まされて、指揮官が笑ったようにも、悲しんでいるようにもその形を何度も、何度も変えていく。

 

 長い間、指揮官はその白さに隠された向こう側に魅入られていた。そして顔を上げた。今にも泣きそうな目がベルファストを捉えている。彼は手に取っていたカップを元に戻して、ベルファストから顔を逸らした。

 

 

 

 空いた手は固く握りしめられ、どこか弱々しさを想起させて、ベルファストは自分の用意したものが指揮官を不快にさせてしまったのかと自身の失敗を悟った。

 

「ご主人様。もしや、こういった紅茶はお好みではなかったのでしょうか。そうでしたら別のものへ、すぐにお取り替えしたします。ですから、しばしお待ちいただければ」

 

「いや、そうじゃない。そうじゃないんだ。……ベルファスト。一つ聞いても良いだろうか」

 

「はい、なんなりと」

 

「どうして君はこれを、この紅茶を用意しようと思ったんだ。言っては何だが、これはロイヤルとしては紅茶というよりも料理の類いだろう? 正式なもてなしなら、君はきっとごく普通のストレートを持ってきたはず。どうして他のどれでもなく、この紅茶を選んだんだ?」

 

 指摘されてベルファストは判断が何時もと異なることを自覚した。こういったお茶会でシチュード・ティーを用意するのは確かにロイヤルの正式な作法からは外れていた。

 

 だが確かにベルファストはこれがきっと良いと思って用意した。しかしそこへ到達した、思考過程の一切が思い出せない。無意識で選んだとしか言いようがなかった。

 

 淡く言葉をためらい、しかし続く言葉はよどみなく発される。

 

「それが良いのだと、ベルファストが感じ、それを実行しました」

 

「……そうか」

 

 力なく零れるため息と息苦しさによる呻き声。指揮官は静かにテーブルの席に座り、組んだ手を頭の支えにして小さく嗚咽を漏らし、それはまるで懺悔を行う罪人をベルファストに想像させる。

 

「もう良いんだ、ベルファスト。君はメイドの仕事をする必要なんかない。ここに君の主人にふさわしい人間なんていやしない」

 

「何を仰るのですかご主人様。ベルファストの主人にふさわしい方など、あなたを置いて他にいるはずもありません」

 

 ベルファストの否定に指揮官は弱々しく、だけど間違いなく首を振った。絞り出すような悲鳴にも似た声で指揮官は声を上げる。

 

「ふさわしいものかよ。私には、何があったってその資格がない。君に私はふさわしくない」

 

「どうしてそのようなことが言い切れるのですか。なぜそのように思うのです? 私に何を隠して、そのように仰るのですか」

 

「……私が側にいても、きっと君の忠義を私は裏切る。君の誇りを傷つける。そしてあまつさえ、君自身を壊してしまう」

 

「……それはどういう意味でしょうか。ご主人様はそのようなことをなさる人物だとは感じませんでした」

 

 ベルファストが問いかけても指揮官は答えようとしない。顔を伏せ、恐ろしいものから逃げるように顔を隠して黙ってしまう。手に塞がれた口からくぐもった声で後悔が毒のように滴っては溢れていく。

 

「僕はきっと、また君を……」

 

 ベルファストを意識の外に追いやり、指揮官は誰に向けたか分からない言葉を吐き出し、小さく嗚咽をこぼして会話もままならない。

 

 目の前にいてしかし、指揮官はベルファストを見ていない。彼女を通じてダレカを見ている。それがどうしようもなく気持ち悪くて、らしくもない苛立ちを抱えてベルファストは指揮官を問いかける。

 

 目の前に指揮官がいるというのに、その心はどこまでも遠く離れていた。その事実がどうしようもなくベルファストを苦しめて、息を詰まらせて苦しい。

 

「教えてくださいご主人様。あなたは一体何を隠していらっしゃるのですか。あなたは私を見ながら、私を見ずに誰を見ているのですか」

 

「……ベルファスト。私は——」

 

 必死に問いかけるベルファストに揺り動かされ、苦しそうな指揮官は耐えられず隠していたものを吐き出しそうになった。しかし指揮官の弁明をベルファストは聞くことがなかった。

 

「指揮官、既に午後の職務開始時間を五分ほど過ぎております。業務の多くが滞って……。——! これは……」

 

 指揮官を新たにやって来た声が遮った。そこにいたのはシェフィールドだった。片手に時計を持った彼女は指揮官を探しにやって来た様子で、少し汗をにじませている。指揮官とベルファスト、二人の間にある茶会の用意を見つけて驚いた顔を見せて、そして不愉快そうに眉をひそませた。ベルファストをにらみつけて、この状況を瞬時に理解した彼女は指揮官の手を取り立ち上がらせる。まるでベルファストから指揮官を守るように。

 

「指揮官、すでに通常業務から大きく逸脱しています。早急にお戻りください」

 

「——あぁ、すまないシェフィールド。余計な仕事を増やしてしまったね」

 

「お構いなく。これも秘書官の仕事のうちです。ではすぐにでも」

 

 指揮官の手を取り、シェフィールドは彼を急かす。手加減しているとはいえ、KAN-SENの膂力、ただの人である指揮官に逆らう余地はなく執務室へ向かって遠ざかっていく。離れながら指揮官は唐突に蚊帳の外に追いやられていたベルファストへ向かって声を張った。

 

「ありがとうベルファスト、気持ちだけは受け取っておく。だけど、もう金輪際こういったことは遠慮してくれ。それと紅茶を冷ましてしまってすまない」

 

 それだけ伝えて指揮官とシェフィールドの姿は見えなくなった。ベルファストはどうにか指揮官を引き留めようと声をかけようとしたが、シェフィールドの視線がそれを許さない。責めるような視線、それはまるで親の敵をにらむそれによく似ている。

 

 二人が去った後、残された紅茶はただ冷めていくばかり。その日はそれっきり、ベルファストが指揮官に会うことはなかった。

 

 

 

 ●

 

 

 

 ベルファストが無駄になった食器や茶器を片付け終える頃には日が落ちてすっかりと暗くなっていた。たかが片付け。それだけのことを終えるのにこれほど時間がかかってしまったのには訳があった。

 

 食器を洗い終えてベルファストは困ったため息をこぼした。

 

「まさか一口も食していただけないとは、流石に……」

 

 煎れた紅茶はまだいい。ある程度は自分で飲んでしまえば後は流してしまえばいい。問題は袋詰めされた茶菓子の並びだった。

 

 手をかけて前日から仕込みを行った菓子の全てが手つかずのまま寂しげに残っていた。どうにもこれだけはそのままゴミ箱に捨てることがためらわれる。

 

 いろいろ悩んで、ベルファストが出した結論はこれを周囲に配るという選択。そしてこれがちょっとした失敗になった。とにかく避けられている。

 

 他のロイヤルのメイドは元より、本来警戒心の薄いように思えた駆逐艦たちもベルファストと直接対面するのを避けているようだった。

 

 最終的にベルファストはKAN-SENたちの寮舎にある談話室にあるテーブルの上に、自由に持って行ってくださいというメッセージカードを置いて放置することにした。

 

 物陰から観察してると甘い匂いに釣られた何人かのKAN-SENたちが持っていってくれた。

 

 そして最後の菓子がなくなったことを確認したのがついさっきという訳だ。

 

 すっかり暗くなった寮舎の廊下をベルファストは歩いていた。ロイヤルの寮舎は木張りの床で歩く度に小さく、硬い靴底が木に当たる音がする。

 

 新入りであるベルファストの部屋は一番奥の部屋であり、移動にちょっとした手間があった。就寝時間を過ぎており、廊下には人の気配はなく、この建物には誰もいないのではと心細さが襲う。

 

 すでに季節は晩夏と言うべき季節であり、秋の訪れか夜中は肌寒さが顔を見せていた。裾の短いメイド服を着ているベルファストにはこの寒さが少しこたえる。だから早く部屋に戻って明日の備えようと、はしたなく足音を鳴らさない程度に急いでいた。

 

 長い廊下は消灯時間が過ぎているため、最低限の避難経路を教える薄暗い電灯だけが明かりとなって奥の方は良く見えない。そんな暗い廊下でベルファストは歩みを止めてしまう。

 

 これほど急いでどうするというのだ。自分は必要とされていない。張り切ったとしても、指揮官は傷ついたような表情ばかりしていた。それなのに明日もメイドとして頑張ろうと一人で息巻いて、それでどうしろというのだろうか。

 

 自問自答する。悩み、それでもベルファストはやめようとは思わなかった。理由は上手く言語化出来ない。しかしやらなければいけないと直感が背中を押していた。

 

 どれほど苦しくとも、諦めるということを、選びたくはなかった。

 

 決意を新たに、ベルファストは顔を前へ上げた。その時だった、肌寒い夜の風が首筋をなでた。よく見れば廊下の窓の一つが開け放たれ、夜風を招き入れている。

 

 見回りの担当は何をしているのだろうとベルファストは首をかしげたが放置するわけにもいかず、壁際に立って窓枠を掴んで下ろした。

 

 窓に映るベルファスト。そしてその後ろにもう一人、白い人影があった。

 

 驚きと共に小さな悲鳴がもれる。ベルファストはその場から跳ねるように、後ろの人影から距離をとった。しかし白い人影はその場から微動だにする様子も見せず、うつむいて顔亜見えない。

 

 それが誰か、ベルファストはすぐに理解して、その理解を拒みたくなった。純白のメイド服は裾やリボン、ところどころが煤けてたり破れていたが姿格好が誰であるかは明らかだった。

 

 奇妙な話だが、それはベルファストだった。ベルファストの目の前にベルファストが佇んでいる。ベルファストとベルファストの間に鏡はない。

 

 それが虚像である可能性はなく、確かに目の前に自分らしき誰かがいることはベルファストを酷く動揺させた。

 

 状況を飲み込めず、言語未満のうめきを漏らすベルファストに、うつむいて顔を見せないベルファストが消え入りそうな小さな低い声で言う。それはベルファストが聞き慣れた自分自身の声だった。

 

「どうしてあんなことをしたのですか……」

 

 呟く声は重く暗く、怨念がにじみ出していた。

 

「あなたはそんなことをしなくていいのに。あの人は私だけのご主人様なのに」

 

 ゆらりと、うつむいたベルファストが揺れる。一歩、また一歩とベルファストへ歩み、開いていたはず距離がなくなり、彼女から海風と硝煙の臭いがした。

 

「あの人には私だけがいればいい。そこは私の場所、私だけのご主人様、あなたのものじゃないっ!」

 

 怨嗟の叫び。先ほどまで幽鬼のように深閑として様子とは打って変わり、嵐のような激しさがベルファストを襲った。うつむいていた彼女はベルファストの肩を掴み、壁に押しつける。

 

 ボサボサの髪の間から覗く赤く充血した目がこちらをにらみつけて、ベルファストを離さない。

 

「あなたなんていなくなれば良いのに。そうすればあの人の隣を永遠に、独り占めできるのにっ!」

 

 掴みかかる相手を振り解こうともがくが、尋常ではない握力で肩に指先が食い込み壁に押し付けられ、余りの激痛のためベルファストは息苦しさに苦しみながらも、相手は顔を背けさせようとしない。

 

 痛みに歪む視界の中で煤に塗れた美しさを髪が振り乱れ、その顔がありありと視界を埋めていた。

 

 そんな苦しさの中でベルファストは意識が落ちるギリギリのところで踏み留まり、自身を捕まえる腕を掴んだ。

 

 腕力が拮抗し、僅かだが言葉を話す余裕を取り戻して負けじと掴みかかったベルファストは理不尽への怒りに語気を荒げて相対する。

 

「何だと言うのですかっ! 黙って聞いていれば、勝手なことをごちゃごちゃと。一体何の権利があってっ!」

 

「お前が! よりにもよって、私と同じ形をしている、それだけの理由で私に向けられていた愛を奪うなっ! それは私だけのものだ! お前のものじゃない!」

 

 同じ顔をした二人が怒りに任せて拮抗する。鏡写しのような二人がその境界を超えて、相手を消し去ろうと苦しめ合う。

 

 鏡に映った虚像のような二人。小さな見た目の違い以外変わらない二人。

 

 拮抗を崩したのはひとえに感情の強さ、それだけの差が勝敗を決めた。相手を打ちのめして組み伏せ、両の手を相手の首にかけていたのは、汚れたメイド服のベルファストだった。

 

 首を締めつける痛みに意識が薄れる最中、意識が途切れるその直前に見えた。ぼやけた眼で見上げて目に映った顔はそれまでの怒りも憎悪もまるで初めから無かったように失せ、悲しそうに彼女を見下ろしていた。

 

 なぜあなたはそんなにも辛そうに私を傷つけるのですかと、言葉を伝える前にベルファストの意識は暗転した。

 

 

 

 ●

 

 

 

「——ファスト。ベルファスト!」

 

 怒鳴り声と共にベルファストは自分の世界に光が戻ったのを理解した。目を開いて周りを見回す。心配そうに自分の顔を覗き込む何人かのロイヤル艦、そして中央には顔をしかめたシェフィールドがいる。

 

 ベルファストは自分が寮舎の廊下で寝ていたことを理解した。慌てて立ち上がり、しかし貧血に似た浮遊感を覚えて立ち眩み、体がバランスを崩す。後ろから支えてくれたのはエディンバラだった。

 

 後ろからこちらを覗き込む姉妹は眉を潜めて心配そうにしていた。

 

「大丈夫、ベル? どうしたのこんな場所で寝てるだなんて、あなたらしくない。どこか調子が悪いの? もしそうならお姉ちゃんに教えて?」

 

 夜中に自分に瓜二つの誰かに首を絞められて気絶した、などと伝えても正気を疑われる。だからベルファストは背一杯の虚勢を張って心配をかけまいと笑みを浮かべた。

 

「大丈夫です姉さん。本当に、心配せずとも大丈夫ですから」

 

「……ベルファスト、あなた、もしかして気がついていないの?」

 

 そう伝えても、エディンバラは心配そうにした顔をやめない。それどころか、何かに気がついてしまったと、顔を強張らせて恐る恐ると言う様子で手鏡をベルファストに手渡した。

 

 彼女は指で首の周りを指し示すようなジェスチャーを見せ、ベルファストは受け取った手鏡で首元を見た。

 

 黒々とした鬱血の痕、人の手形の形が分かるほどくっきりとした痕がベルファストの白い首筋に残っていた。

 

 あの傷んだメイド服のベルファストが夢でも幻でもなく存在した確かな証拠がベルファストに刻まれていた。理解を超えた事態に脳裏が理解を拒み、冷たい汗が背中を伝う。

 

 自分が今、どのような状況なのか教えてくれる人など、いるはずもなく。ベルファストは正体の分からない何かの存在を感じながら、ただ沈黙を守るしかなかった。

 

 

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