ロイヤルより愛をこめて   作:加賀崎 美咲

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3話

 明くる朝、ベルファストは寮舎の中にある医務室にいた。首の怪我に処置をするため訪れていた。首に紙がくっきりと残った手形は痛々しくもあり、すれ違い注目する皆にどう説明をしたものかと考えながらの移動は気が重くなるものだった。

 

 医務室に到着すると、当直らしいシリアスが退屈そうに文庫本へ目線を落としていた。医務室に訪問者がやって来たこと自体に驚いた様子で、ベルファストと目が合うと彼女は持っていた本を落として、静かだった医務室を騒がしくする。

 

 ベルファストがそんなおっちょこちょいなメイドを半目で見ていると、失敗を誤魔化すように、ぎこちなくはにかんだシリアスが彼女を招く。

 

「ようこそ、医務室へメイド長。……あっ。い、いえ、べ、ベルファスト」

 

 どこか抜けていておとぼけたシリアスのキャラクターにベルファストは、やっとこの母港で不自然でないKAN―SENに出会えたことにホッと安心感を覚えていた。

 

 部屋に入って来たはずのベルファストが立ち止まりジッと自分の顔を見て、もしかして怒られる前兆かと恐る恐ると言った様子のシリアスは妙に明るくなって彼女に入室するように勧めた。

 

「ほ、ほら、メイド長。……じゃなかったベルファスト。そのようなところに立っていないで入って来てください。今日はどうされました? 不肖シリアス、精一杯の看護をさせていただきます」

 

「いえ、それほど大したものでもありません。この通り、アザが残っているだけで、包帯と湿布薬だけいただけたら……」

 

 ベルファストはメイド服の襟を下ろして首筋を見せた。そしてそこに残った手形の出血の跡を見てシリアスは目を丸くする。座ってください、表情が変わったシリアスに促されてベルファストは診察台の横に用意された椅子に座らせられる。先ほどのおとぼけた様子から打って変わり、鋭い目つきに変わったシリアスがテキパキと触診や記録を進めていく。

 

 彼女らしからぬ機敏さに面食らうベルファストは、診察される暇を持て余して気になったことを聞いてみることにした。

 

「シリアスはこの医務室の当直が長いのですか? ずいぶんと手慣れているように見えます」

 

「……ええ、この母港に着任して、……その、しばらくは暇を持て余していましたが、……シェフィールドの勧めでここを任されています」

 

 どこかシリアスの歯切れが悪い。言葉を慎重に選ぶような印象、そしてその度にベルファストを探るように見て、言いつけを守っているのだとベルファストは理解した。そして同時に他のKAN―SENと違い、シリアスの態度はどこか違うのように見えて、ようやく見えた突破口に逃さないよう食らいつく。

 

「シリアス、一つだけ答えてもらってよろしいでしょうか?」

 

「はい? どうしました?」

 

「あなたが来る直前、この母港で何があったのですか?」

 

「——っ!」

 

 表情に緊張が走る。それだけでシリアスにはベルファストが言わんとすることへの心当たりがあることは明らかだった。

 

 シリアスと他のKAN―SEN、ベルファストと距離を置きたがる態度の違いは着任の時期に起因しているのだとベルファストは判断した。同じ秘密を共有しながら、後からやって来たシリアスはそれを口伝で聞いただけだから、その秘密を守る姿勢に脅迫的なものがないのだと、彼女のベルファストへの柔らかい態度から予想する。

 

 よそよそしいKAN―SENたち、ベルファスト突き放した指揮官、そして昨晩遭遇した自分と瓜二つのベルファト。おおよそ答えは出ていたけれど、ベルファストにそれを裏付ける確証は無い。だからここで何が起きたのかをシリアスから聞き出す必要があった。

 

 迫られ、逃げられないことを悟ったシリアスは困った顔から黙ってしまう。それは葛藤だ。シリアスの中でベルファストの知らない幾つもの判断基準がせめぎあって、打ち明けて良いのと判断を決めあぐねていた。

 

 そして長い沈黙を見せてシリアスが出した結論は、それまでベルファストが聞いたものと同じだった。

 

「……すいませんベルファスト。やはりシリアスに話すことは許されません。これは指揮官がまだ、誇らしきご主人様でいてくださった時に出された最後の命令、……ですから」

 

 だがそこにそれまでと違う、手がかりがあった。ロイヤルの主人でなくなった指揮官、それが下した最後の命令。その言葉はベルファストを強く引きつけて離さない。

 

「ご主人様の最後の命令? 私に話すことが、その命令に反してしまうというのですか?」

 

 問いかけるベルファストへの返答は包帯を軽く締める音だった。話している合間に全ての処置が終わったのだった。

 

「……はい、処置が終わりました。私はこの後用事がありますから、御退室願います」

 

 ぴしゃりと拒否されて、きっと問い詰めても頑なに、これまでと同じようにはぐらかされてしまうのだろう。言われるままに部屋を追い出される。最後、扉を閉める際に扉が閉まる音に重なってシリアスの独り言が聞こえた。

 

「この母港にいる誰もが触れることすら恐れ、このままで良いと停滞を選んでしまった。こんな幼稚な芝居に巻き込んでしまったことは申し訳なく思います。けれどもう、みな傷つくことに疲れてしまったのです」

 

 だけど、そうして皆で傷を慰め合う隣で和から外される人はどうすべきと言うのか。どこに居場所を見いだせるのだろう。

 

 

 

 ●

 

 

 

 医務室を出て、廊下を歩いている最中に指揮官とすれ違ったのは全くの偶然であった。首に巻かれた包帯を見て目を丸くする指揮官。この母港にいて初めて、指揮官からベルファストへ会話が生まれた。

 

「……その怪我は?」

 

「その、お恥ずかしながら、不注意にてぶつけてしまいました」

 

 自分と同じ顔をした何者かに組み伏せられて怪我をしました、と事実を伝えて、果たして正気を疑われない確率はどれほどだろうか。

 

 とっさに出た嘘もずいぶんと苦しいものだ。ずいぶんと古典的な誤魔化し方を選んでしまった。

 

「本当に?」

 

 憂いていたことは的中した。指揮官は疑わしそうにベルファストを見ている。ベルファストの怪我をよく確かめようと指揮官は二人の間にあった距離を自分から縮めた。

 

 高鳴る心臓の原因が、ついてしまった嘘を疑われる居心地の悪さと、伸ばせば手が届いてしまう距離のどちらなのかベルファストにはよく分からない。

 

 そんな甘いかゆみを忘れようとベルファストは話題を探すことに意識を割く。

 

「……おや、ご主人様。その花は一体?」

 

 目に入ったのは指揮官が手に持った小さな花束だ。小さな白い花いくつも咲かせた花を束ねて作られたそれにベルファストは違和感を覚えた。

 

 そして違和感の正体はその咲いた花、それ自体だった。花の名はトネリコ。モクセイ科に属する落葉樹であるそれは本来、春先に花をつけるはずの植物だ。しかし今の季節は夏も気配を潜め、木枯らしが吹き始めた秋の直前。そんな咲いているはずのない花を指揮官は手にしていた。

 

 ベルファストが指さすトネリコを眺めて指揮官は緊張した頬を緩ませる。無意識からの反応だったのだろう、ベルファストはこの母港に来て初めて指揮官の笑った顔を見た。

 

 自分の表情が緩んだことを自覚して我に返った指揮官は帽子をかぶり直し、目深に被った軍帽が表情を覆って隠す。

 

「……片付けをしていて、余ったものを束ねたんだ。そうだ、ベルファスト。これをどこかに処分しておいてもらって良いだろうか」

 

「よろしいのですか?」

 

「もともと官舎の医務室にでも置いておこうと思っていた。君に任せる」

 

「承りました。どうぞベルファストにお任せください」

 

 母港に来てから初めて指揮官に必要とされ、ベルファストは舞い上がっていた。頬を紅潮させて返事の声は張っている。

 

 そんなベルファストに会釈して指揮官は執務右室の方へ去った。残されたベルファストは両手でトネリコの花束を胸に抱いてその後ろ姿を見送りながら深々と頭を下げていた。

 

 

 

 ●

 

 

 

 医務室に戻ると先ほどと同じようにシリアスが文庫本を読んでいた。医務室の扉を開いたのがベルファストだと分かると、彼女は不思議そうに首をかしげて眉をひそめた

 

 そしてベルファストがトネリコの花束を抱えていることに気がつく。あぁ、と状況を理解したらしい声を出してシリアスは棚の一つから大きい花瓶を取り出し中に水を注ぎ始めれた。先ほどシリアスの言っていた彼女の用事というのはこの花束のことであったようだ。

 

 ベルファストが花束を差し出すとシリアスは花束の包みを解いて机の上にトネリコを並べていく。

 

「指揮官からですね。もうそろそろ来る頃だと思っていました。ありがとうございましたベルファスト」

 

「指揮官がこの花を?」

 

「はい。毎週の掃除や枝切りの時に出た半端なものを花束にしてこちらに。……今のは失言でした。忘れてください」

 

 言い過ぎたことに気がつきシリアスはベルファストに背を向けて作業を続ける。これ以上は失言をしたくないという分かりやすい意思表示だった。

 

 ベルファストは軽い足取りでテーブルを挟んでシリアスの向かい側に躍り出た。突然ベルファストが視界に現れたことでシリアスは驚き身を跳ねるが、ベルファストが黙々とトネリコを花瓶へ移す手伝いを始めると、退けるわけにもいかず二人は花束を移し替えていく。

 

 長い沈黙の中でハサミが枝を切る小気味良音が医務室で鳴る。作業を手伝ってもらった負い目か、それともただの気まぐれからか、黙っていたシリアスがトネリコから視線を外さないまま口を開いた。

 

「ベルファスト。指揮官はメイドとしてのあなたを求めていません」

 

「分かっています。この母港に来て数日、痛いほど理解しました」

 

「それなのにあなたはメイドでいようとする。それは誰のためですか?」

 

「無論、ご主人様のため。それ以外の理由などありません」

 

 シリアスの手が止まった。彼女は何をするわけでもなく、手元のトネリコを眺めているいる。唇を淡く噛み、シリアスは確かめるように問う。

 

「……シリアスはもう指揮官のメイドではありません。しかし指揮官がまだ誇らしきご主人様でいてくださった時、シリアスにいくつかの指示を下しました」

 

 過去を懐かしむような口調。しかしそこに喜びはなかった。

 

「シリアスは安心しています。他の子と違って指揮官から何か指示を受けていられることに。シリアスというKAN―SENに付与された性質が命令されることを至上の喜びと思わせるんです」

 

 命令されることへの喜び。ベルファストも他人事ではなかった。

 

「けれどこうしていることが本当に自分の意思なのか、最近分からなくなってきました」

 

 シリアスは医務室をぐるりと見渡す。部屋は掃除されているから綺麗というよりも、使われていないから新品のままというもの寂しさを思わせる。

 

「この官舎はKAN―SENを人と同じように扱う、という名目で建築されましたが、KAN―SENはヒトと違って、そうそう怪我などしません。だから本当は、ここに誰かが常駐する必要などないのです。そう頭で理解していても、毎日のようにシリアスはここを守らねばと気持ちを何度も新たにしてしまう」

 

 そしてここが本題だと、シリアスの剣呑な視線がベルファストを見た。同情するような悲しさを抱いた口調で静かにシリアスが問いかける。

 

「ベルファスト、あなたにも心当たりがあるのでしょう?」

 

 自分の中の歯車がかみ合わせを外し、崩れたような感覚があった。

 

 初めてに顔を合わせて、冷たい栄養食を食べる指揮官を見て何かもっと良いものを作らなければと思った。

 

 メイドは要らないと言われて、それでも何か力になろうと昼食を用意しようと思った。

 

 丹精込めて用意した茶菓子を残されて、それでもまた何かしようと思った。

 

 自分と同じ顔をした何かに襲われて、しかしくじけることもなくまた今日もやれることをしようと思った。

 

 それらの意思の全て、どうしてそう思ったのだろうか。メイドだから? ベルファストだから? 問いかけが生まれると、いくつも連鎖して疑問が尽きることない。

 

 私はどうして、あれほどまでに誰かに仕えようとしていたのだろう。分からなくなる。自分が何を気にして、何を悩んでいたのか、その過程のすべてが抜け落ちて仕えようとする意思という結果だけが頭に残っていた。

 

 自分の意思が自分のものでないかもしれない、そんな無気味な可能性に気がつき、背筋が寒く震える。

 

 震えを止めてくれたのは暖かいシリアスの手だった。彼女の両手がベルファストの手を取り、恐ろしい想像ばかりに気を取られないように気遣っている。

 

「ベルファスト、友人として忠告します。もしこれ以上指揮官へ、この母港の傷に近づこうと思うなら覚悟をしてください」

 

 

 

 ●

 

 

 

 何の覚悟なのかはシリアスは明言しなかった。結局、花瓶の飾り立てが終わるまでベルファストは座ったまま、行動を起こすことができなかった。

 

 指揮官に頼まれてトネリコを医務室を持って行ったことですら、自分の意思とは関係ない力が自分を働かせていたかもしれないと疑えば際限がなく、そんな不安が行動を止めていた。

 

 部屋まで送ろうかというシリアスを丁寧に断ってベルファストはぼんやりとした頭で、母港の中を彷徨っていた。このまま官舎に戻っても、昨日の夜のように襲われるかもしれない心配もあったが、それ以上に自分の部屋が自分の居場所と思えなかったことが理由としては大きい。

 

 時刻はすっかり夕方だ。座り込んで寄りかかった壁の向こう側で斜陽が照って、ベルファストを影の中に落とした。

 

 いつもの喟然としたメイドの風格はない。落ち込んで塞ぎ込んだまま動かない彼女は誰にも見つかることなくそこにいる。このような風体を普段なら間違いなく見せない。しかし気にする相手も存在しない吟味にどれほど意味があるのだろうか。

 

 折れることのなかったベルファストの意思が初めて揺らいだ。

 

 自分がどうすべきなのか分からない。もう一度立ち上がろうとする自分の意思が信じられない。また指揮官に拒絶され、悲しそうな顔をされたくない。

 

 主人のために動く自分が、一番その主人を傷つけているとはお笑い種だ。そんな一方的なことを自分はずっとやろうとしていた。一体、自分は何のためにここにいるのだろうか。

 

 自分の居場所が分からず、ベルファストの心は折れてしまいそうだった。

 

 風が吹いた。官舎の間を通り過ぎる風は強く、意思の折れかかったベルファストを腐った樹木のように倒してしまいそうだった。崩れかけた体幹を既の所で留まらせたのは鼻を掠る甘い香りだった。

 

 風に乗って、花の甘い匂い。控え目な金木犀に似た香り。間違いない、今日何度も嗅いだトネリコの花の匂いだ。

 

 どこからやって来たのだろうと周りを見渡した。しかし花の姿は見当たらず、夕暮れに照らされた光景があるばかり。

 

 その時だった。視界の端で、何かが動いた。慌ててそちらに視線を向ける。白いリボンの端が建物の向こうへ消えるわずかな後ろ姿が見えた。見間違えるはずがない。あれは自分の後ろ姿と同じだ。昨日の夜に自分を襲った、怨念のこもった表情の、あの『ベルファスト』だと。

 

「ま、待ちなさいっ!」

 

 実態があることに少なからず驚くが、あれが誰かであった事実に小さく動揺する。自分を害する誰かがこの母港にいる。その事実は軽く受け流せるものではない。しかしそうだとしても、それを放置しておくわけにもいかず、飛び出すようにベルファストは見えなくなった後ろ姿を追って駆け出した。

 

 曲がりくねった建物同士の合間を走る。時々見える後ろ姿と微かに香るトネリコがわずかな標となって見失うことは何とか避けることができた。

 

 人影を追って辿り着いたのは母港の外れにある曇りガラスの建物だった。ドーム状の建物は大きく、大きな門には持ち上げるほどの南京錠を立てかけてある。

 

 しかしよく見ると南京錠は解錠され、重い門は空いていた。あの人影はこの向こうへ行ったのだろうか。少なくともここまで他に入られそうな建物はなかった。ならばここなのだろうかとベルファストは門をくぐった。

 

「これは、花園?」

 

 思い曇りガラスの扉を押し開け、そこにあったのは春の暖かさだった。とうに晩夏の寒くなった季節だというのに、建物の中は初春を思わせる麗かな風が吹いていた。

 

 そんな空間の目的は明らかだった。建物に入って目に入った色とりどりの植物、花がベルファストを豊かな表情で出迎えていた。母港の外れに、隠れるようにして建てられたここは、戦うための最前線である母港に相応しくない温かな植物園だった。

 

 調整された室温は春先の暖かさに固定され、咲き散る花は全て時が止まったように春のものだけ。春の花園は手入れが良く行き届いて、石畳の通路は一本道で描かれていた。歩きながら、ベルファストはこれがある種の絵画のような、時間を切り取った

 

 敷かれた石畳に沿って進んでいくと少しずつ道が開いていく。見える花はそれぞれが手入れされ、持ち主の思慮が手に取るように理解できるほど美しく飾られている。あのぞっとするような恨み言を叫んだ『ベルファスト』を追って来たとは思えない人の温かい思いに満たされた場所であった。

 

 歩いていても誰とも会うことはなく。そのうち、ベルファストは突き当たりと思える場所にたどり着いた。花が壁となった向こう側が見えなかった通路と違い、そこは開け放たれた空間だった。

 

 丁寧に刈られた芝生、円を描くようにベルファストの背と同じ高さのトネリコが花をつけ、真っ白なクロスの敷かれたテーブルが椅子を空にして中央に鎮座している。それはまるであの中庭の再現のようだとベルファストは直感した。

 

 ただ一つ違うのは、控えるメイドがいるはずの場所には誰も存在せず、代わりに中庭にはなかった幅の広い石で作られた彫刻があった。よく見ると何か文字が彫られているようだ。

 

「あれは一体……。ここからでは良く見えませんね」

 

 トネリコが影となって刻まれている文字が良く見えない。ようやく見つけた何かの手がかりを確かなものにしようと、ベルファストは一歩芝生に足を踏み入れた。

 

「……何をなさっているのですか?」

 

 軽く芝生に足を置いた不安定な姿勢のまま、それ以上動くことができない。いつの間にか隣にいたその人物は手に持った装飾のついた儀礼用の長剣をベルファストの喉元に突きつけていた。

 

 顔を動かさずに目線だけを横へ。そこにいたのは昼間に会い、夕刻の前にどこかへ行ったシリアスだった。

 

 シリアスは敵意と困惑を両方含んだ表情でベルファストを見ている。長剣を動かさないまま、彼女は予定外の侵入者を問いただす。

 

「この花園は施錠されていて、鍵はもう私が持っているこの一つだけ。どうやって入りました? 事と次第によっては……」

 

 そう言うシリアスの腰には古めかしい南京錠の鍵が紐で吊り下げてあった。下手に刺激してしまうと、にべもなく切り捨てしまいそうな気迫に押されながら、ベルファストは正直に答えた。

 

「ここへ向かう人影を追ってやって来ました。鍵は開いていましたから、その方がきっと開けていったのでしょう」

 

「その方というのは?」

 

 きっとこう答えたら自分は頭がおかしいと思われるのだろう。だが紛れもない事実、そして嘘をつけば、この同輩は有無を言わせずに自分を斬り殺すだろう。

 

「私と同じ姿をした、……『ベルファスト』を追ってここまでやって来ました」

 

 息を飲む音と共に件を掴んでいた手が離れ、柔らかい土に剣が突き刺さる。弾けたようにベルファストは顔を先ほどまでベルファストが見ていた石の彫刻へと向け、驚きに目を見開いて口を手で覆って震えていた。

 

「そんなはず……、でも確かにそれなら鍵が開いている理由は説明出来て……、だけどそれは……」

 

「あれは一体何なのですか?」

 

 あれ、と言うのが何を指し示しているかは明白だった。二人は共にトネリコの木の下に建てられた石の彫刻を見ている。そしてゆっくりと、シリアスは口元を隠していた手を引いて、確かめるよう呟いた。

 

「あれは、ベルファストの、……前の『ベルファスト』のものです。あの下には、かつてわたし達と共に誇らしきご主人様に仕えて、そして帰らぬ人となった彼女が眠っています」

 

「前の……、ベルファスト」

 

 その言葉は単純でありながら、しかし大きくベルファストを動揺させていた。手が届くような距離に、自分と完全に同一の存在だったものが埋葬されているというのは奇妙な感覚だった。

 

 ベルファストはゆっくりと歩き出す。墓標へ向かうベルファストをシリアスは止めない。もうこれ以上秘密を隠し続けることは不可能だと、もう自分がここでやれることはないと、そう判断して彼女はベルファストを後ろから見守る。

 

 近くに寄り石の彫刻、『ベルファスト』が眠る墓標に手を触れた。磨かれ、毎日誰かが掃除をしていることが見て取れる。しかし完全ではない。そんな手入れのされた墓標に欠けているもの。

 

 花だ。死者を弔うために捧げられる花を置くはずの場所が空いている。それがベルファストにはとても大きな欠落に思えた。

 

 そしてそれが全ての答えだった。これまで母校へやって来て遭遇したいくつもの不可解な点、おかしな出来事。それらが全てベルファストの中で繋がり、大きな意味を浮かび上がらせる。

 

 ならば彼女がやって来るのは当然だ。来なければならない。ベルファストは黙り込む。そして音一つ発しない花園に気配が現れた。

 

「……やめて、そこは私の場所。あなたのものじゃない。それは私のもの。奪わせはしない」

 

 静かな墓前に低い声が響いた。二人しかいないはずの空間に、誰かがいた。後ろを振り返ったシリアスが息を飲む。そこに立っていたのは煤け、ほつれたメイド服をまとうベルファスト。

 

 血走った赤い目で『ベルファスト』の墓前に屈むベルファストをにらみつけた彼女はふらふらと幽鬼のような足取りで向かっていた。二人の間に挟まれたシリアスは手に拾った長剣を握りしめるも、自分が何をするべきなのか分からず、当惑っするその横を幽鬼が通り過ぎて、ベルファストの正面に彼女は音もなく立ちはだかっていた。

 

 二人のベルファストが向かい合う。鏡写しのように同じ姿でも、二人の様子は対照的だった。

 

「出て行け、どうしてあなたがここにいる。ここはご主人様が私にくださった、私の空間。お前が立っていて良い場所じゃない」

 

 幽鬼の恨み言にベルファストは何も答えない。立ち上がり、毅然とした面持ちで幽鬼と対峙した。自分を恐れた様子も、ここから出て行く様子も感じ取れなかったからか、幽鬼は苛立ったように握った拳を振るわせる。

 

「出て行けっ、出て行けっ、……出て行って! どうしてお前なの。どうして私を辱めて、私をめちゃくちゃにして、お前なんかっ!」

 

 叫び、襲いかかろうと怒りの感情のまま飛びかかろうとする。流石に見かねたシリアスが間に入って止めようと動き出そうとした時、ベルファストはただ静かに、一言だけはっきりと口にした。

 

「何時まで死んだ人間の思いを代弁する気なのですか、姉さん」

 

 その一言で幽鬼は殺された。

 

 先ほどのたぎる怒りも、叫びも、怨嗟も霧散して石のように硬直した幽鬼は、エディンバラは、酷く動揺している。

 

「どうして……」

 

「変装をすると、姉妹というものは驚くほど顔を似せられるんですね」

 

 ベルファストは感心したように呟き、そっとエディンバラの長い髪を持ち上げた。白い髪が外れ、下からエディンバラ本来の髪色が現れた。おびえた表情のまま、エディンバラはベルファストに問いかける。

 

「……その、いつから、気づいていたの?」

 

「気づいたのは昨日の夜、初めて会った時です。幽霊なんているはずもないのですから、顔立ちの似た姉さんが犯人であることはすぐに分かりました」

 

「そう、だよね……。じゃあどうしてあの時、すぐに誰かに言わなかったの?」

 

「理由が分からなかったのです。姉が死んだ以前の自分に変装して自分に襲いかかる、なんて妙なことを実行するに足る行動の理由が。それもここに来たことでようやく分かりました」

 

 だがそれを説明するには役者が不足している。自分とエディンバラ、ついでにシリアスだけではこの話は完結しない。必要な登場人物はあと二人だ。

 

「ですから、このシリアスの話を聞いていただけますかご主人様? そしてシェフィールド?」

 

 面を上げたベルファストが宣言する。エディンバラとシリアスがその視線の先へ顔を向けると名を呼ばれた二人、シェフィールドを引き連れた指揮官が顔を強張らせてベルファストを見つめていた。

 

 

 




次回最終話です
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