ロイヤルより愛をこめて   作:加賀崎 美咲

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4話

 夕闇の時刻を過ぎ、月夜と吊るされたランタンの明かりが、時を切り取ったような植物園を優しく照らしていた。そんな幻想的な空間で五人は対峙していた。

 

 一人はベルファストという名のメイド。ひた隠しにされた秘密から遠ざけられていた。そして今のその秘密に触れんとしている異邦人。

 

 そんな主演である彼女は、秘密を抱える四人の視線を一身に浴びている。初めに口を開いたのは指揮官の後ろに控えているシェフィールドだった。ベルファストを見つける視線は疑わしげで、

 

「ベルファスト、どうして私たちがここに来ることが分かったのですか?」

 

 まだ姿を現す前だったというのにどうしてそこにいたことが分かったのかシェフィールドが聞くと、指名された彼女はあっけらかんと、

 

「確信はありませんでした。私が信じたのはシェフィールド、あなたの能力です 。この母港で起きていることをあなたが把握していないはずがない。そう信頼しての行動でしたが上手くいきました」

 

「それはどうも。ですが探偵ごっこでしたら他所でやってください。ここは私たちにとって神聖な場所。あなたの遊びには付き合っていられません。……指揮官、帰りましょう」

 

 首を横に振り、時間の無駄だとシェフィールドは指揮官の袖を掴んでこの場を去ろうとした。そしてベルファストがシェフィールドを引き留めるのに口にしたことは、シェフィールドには見過ごすことのできないものだった。

 

「その勘違いを正すためにも、私は『ベルファスト』の言葉を伝えなければならない。そしてそれには、この場所でなくてはいけないのです」

 

「いい加減にしなさいっ!」

 

 今まで澄ました顔を崩さなかったシェフィールドが初めて声を荒げ表情を歪めた。鉄仮面のように変わらなかった表情が大きく歪み、硬く握られた拳が震えている。

 

「何も知らない外様の分際で、あなたが一体何を私たちに伝えられるというのです。思い違いも甚だしい」

 

「シェフィールド……」

 

 今にも飛び出しそうな彼女に指揮官が引き留めた。良いのか、と見上げるシェフィールドに指揮官は首を横に振って、

 

「シェフィールド。彼女の言い分を聞いても良いだろうか。君たちにあのような命令を下して、今さら都合が良いのは分かっている。だけど私の命令がエディンバラを凶行に走らせた。だから私には全ての顛末を見届ける責任があると思っている」

 

「……全ては御心のままに。どのような形であろうと、あなたの望まれたままに」

 

 それまでベルファストに向けていた一切の激情を霧散させ、無表情の鉄面皮を被り直したシェフィールドは恭しく一礼すると指揮官の後ろに控えて口をつぐむ。彼女はどこまでも指揮官に付き従う奉仕者だった。

 

 シェフィールドの許しを得て、指揮官はベルファストの紡ぐ言葉の全てを聞き逃すまいと、彼女と対面する。

 

 確認するように一度頷き、ベルファストは柔らかい笑みを浮かべた。機会は一度きり、

 

「ご主人様、ベルファストはご主人様を愛しています」

 

 最速で反応したのはエディンバラだった。言葉の音が意味するものを理解して菫色の瞳がギョロリと動いてベルファストをにらみつけた。ベルファストへ襲いかかるかもしれないエディンバラを警戒して、シリアスも動こうと構える。しかしすぐに二人は、ベルファストの言葉を聞いた全員が、困惑して彼女を見ていた。

 

 愛の言葉とはこれほどまでに情熱もなく、語ることの出来るなのだろうか。あまりにも空虚な言葉。告げられた指揮官もまた、どう反応して良いか分からずに言葉を失っていた。

 

 困惑から我に返ったエディンバラがベルファストに食らいつく。

 

「『ベル』が言いたかったのがそんなセリフ? いい加減にして! あなたにあの『ベル』が言いたかったことが分かるの? そんな作り物みたいな空っぽの言葉なんかじゃ……」

 

 ベルファストは寂しげに笑う。

 

「ええ、そうですとも。私のコレは、想いの欠片も籠もらない薄っぺらな言葉。ですがそれは私だけではないでしょう?」

 

 ベルファストが自身を否定する言葉を肯定してエディンバラは面食らう。そしてそれだけではないのだと、彼女はエディンバラを問い詰めた。

 

「な、何を言って……」

 

「この言葉こそが、姉さんが私を襲った理由なのでしょう?」

 

 一歩、また一歩。ベルファストは彼女をにらむエディンバラへ近づいていく。ベルファストに怯むエディンバラは小さく後ずさりしていく。

 

「姉さん。私はベルファストですか? それとも過去にいた『ベルファスト』ですか? 答えてください」

 

「え……」

 

 困惑するエディンバラ。彼女はその質問の意味が理解できていないと表情が語っていた。その様子を見てやはりそうなのかと、自身の予想がやはり的中してしまったことにベルファストは目を伏せる。

 

「ええ、そうでしょうとも。あなたは過去の『ベルファスト』と私を別人と認識していない。いや、できていない」

 

 なぜなら、そこに差異などないのだから。

 

「私たちは本当の姉妹などではない。試験管から作られた創造物の一つ。何の接点もない私たちを姉妹たらしめるのは、ただ『ベルファストとエディンバラは姉妹である』という入力された規定だけ。本物と言える記憶や思い出など何一つ存在していない」

 

「やめてっ! 私とあの『ベル』は何も、何もなくなんか……」

 

 逃げることを許さない瞳がエディンバラを見つめる。

 

「ならば、何故恐れたのです。私が『ベルファスト』に取って代わると。あたかも『ベルファスト』が怒り、私を排除しようとしていると演技までして。あなたは何を恐れたのです?」

 

「指揮官は、ご主人様は『ベル』を本当に大切に思っていたのよ。あなたじゃない。あの子だけなのよ」

 

「そう思うなら、何故以前の『ベルファスト』の名誉を傷つけかねない方法をとったのです」

 

「だってバカみたいじゃない! あんなにお互いを思い合っていたのに、それがいくらでも代わりの効くモノだなんて。指揮官はお人形を愛してたんじゃないんだよ」

 

 自分が愛していたはずの姉妹が、その愛がただ機会的に用意された記号の羅列だとエディンバラは思いたくなかった。そこには愛があったのだと、信じたかった。そのために手段は選ばなかった。それほどに彼女は追い込まれていた。だがベルファストは淡々とその本心を突きつけていく。

 

「あなたはただ、信じられなかったのでしょう? 共に過ごした『ベルファスト』が代わりの効かない、ただ一人の存在であることを。だから私を排除することで、『ベルファスト』の存在をただ一つのものにしようとした。違いますか?」

 

 エディンバラは大きく顔をしかめる。図星だった。諦めたような脱力して、疲れたようにエディンバラは語る。

 

「ベルファスト、あなたは知っている? 「ベルファスト」は人気のモデルでね、建造も比較的容易だから、どの母港にも一体いるのよ。同じ顔をして、同じ能力をしたベルファストが何人もいて、その全員がメイドとして当たり前のように指揮官の側にいるの」

 

「怖いよ。私たちはここにいるのに、いくらでも代わりがいる。他の母港に行った時に、指揮官じゃないご主人様に微笑む、知らないベルファストを見た時に思ったわ。ああ、結局私たちがしていることって、ただの人の真似事だって」

 

 作られた存在。ならばモデルとなった人物やものはある。彼女たちは模倣することで人であるかのように振る舞う。それが自分の意思や個性だと疑わず。その事実がエディンバラを苦しめた。

 

「同じ人物、同じ舞台、同じ台詞。小説を読み返すみたいに、同じやりとりがこの世界のあちこちで繰り返されている。当たり前よね。私たちは作られた存在。いかにも個性的な人格を機械的に植え付けられている。だから同じことを繰り返すしか能がない」

 

 だけど、とエディンバラは譲れないただ一つの希望にすがりつく。

 

「でも、『ベルファスト』だけは違う。死んでしまった彼女は黙したことで初めて、誰かに用意されたものじゃない、本当の意味を持てた。ご主人様がベルファストの死を悼んでくれていれば、あの『ベルファスト』は代わりのいない唯一になれる」

 

「彼女の愛は本物だったって、その死を悲しむ心の痛みが証明してくれる。でも、私たちが感じている感情がヒトと同じなのか、それともただのプログラムが作った反応かなんて、私には分からない……」

 

 ベルファストへ向けられていた指揮官の愛が永遠のモノであって欲しいとエディンバラは思う。だけどこの気持ちが本物だと、あらかじめ用意された作り物ではないと言い切れない。

 

 エディンバラにはもう、自分が本当に悲しんでいるのかさえ、自信がなかった。本当に姉妹を愛して、その喪失を耐えがたいものだと、あるのかも分からない心が感じているのかどうか証明のしようがない。唯一本物の感情を持つニンゲンである指揮官に振り向いて、エディンバラは指揮官へ愛の証を示して欲しいとすがりつく。

 

「ねえ、ご主人様。心は痛みますか? 今でも『ベルファスト』を愛して下さっていますか? そこに本物の愛はありますか? エディンバラには分からないんです。だから教えてください」

 

 自身に愛の証明を求めるエディンバラに指揮官は言葉を失う。痛々しいその表情のすべてが誰かに作られたモノだという考えが頭をよぎる。

 

 作られたモノを愛した自分。それは結局のところ、ただの人形遊びと変わらないのではないか。かつて語らった彼女はもういない。今いるのは彼女と同じ顔、同じ人格をした別人。別人だと分かっていても、心の奥底は暖かくうずいていた。

 

 そう感じていることですら、彼女への裏切りと思えて胸が苦しくなる。彼女と同じ顔をしたベルファストは微笑んでいた。

 

「……私が必要以上に彼女へ踏み込まなければ、彼女は沈むような真似をしなかった」

 

「『ベルファスト』はどのようにして?」

 

「最奥海域への侵攻作戦の際、撤退の殿を彼女が務めて、最後は敵のセイレーンと相打ちとなった。おかげで私たち人類は、最後の侵攻作戦の手筈を進められている。皮肉だと思うか?」

 

 自嘲を多分に含んだ口調で指揮官は言う。自分と同じ形をしたベルファストが自身の過失で破損したことにベルファストがどのように反応するかを恐れて声色は乱れている。

 

 対してベルファストは淡々とした口調で確認するように問いただす。

 

「そしてご主人様はメイドたちに、メイドであることを辞めさせて。ベルファストが残し全海域攻略の機会に全てを賭けていたと。それが罪滅ぼしになると考えて?」

 

「私の愛が彼女を追い込んだんだ! 私が彼女を愛さなければ、彼女はただのメイドでいられた。人類の未来なんてモノに身を捧げなくて済んだ」

 

 溜め込んでいた己の中にあった本音が吐き出される。顔を覆った指揮官は小さく肩を震わせていた。自分の愛が最愛を破壊した、その事実を言葉にして改めれ突きつけられて指揮官は罪悪感に狂いそうだった。

 

 しかし壊れてしまった最愛と同じ形をしたベルファストは責めも怒りもせず、安堵に表情を綻ばせる。言った。

 

「あぁ、良かった。確かに『ベルファスト』は用意された形でない、本物の愛を得たのですね」

 

 羨ましさと喜ばしさが混ざったベルファストの声色に指揮官は困惑する。少なくとも言葉汚く罵られると覚悟していた指揮官はベルファストの言うことの意味を理解出来なかった。

 

「君はさっき、君たちは用意された形で存在出来ないと言ったばかりだろう? 彼女の愛は作られた道筋でしか愛を知らないと」

 

「『ベルファスト』はロイヤルのメイドにしか成れません。そういう風に作られているから、そうした機能しか載せられていないから。……ええ、それは揺らぎようのない事実です。しかしそれではおかしいのです」

 

「何がおかしいと、彼女が誰かを愛したのがおかしいって言いたいのか」

 

「違います。私は言いました。わたし達はあらかじめ用意された形でしか生きる能がないと。だから言い換えれば私たちの在り方は、用意された意味を守り続けること。そこから外れることは出来ず、ましてや自己犠牲など起こりえるはずがない」

 

 言い方は違えど、結局のところKAN―SENは皆同じだ。用意された個性と思考傾向を自分のものだと考えて、その基礎の通りに生きている。それだけが彼女たちにとって、自分を自分だと認識できる拠り所。だから何よりもその宿命を続けるために自己保存が優先される。

 

 でなければ、その道筋から逸れてしまえば、それはもう自分ではないから。

 

「私たちは指揮官が望んでも自爆や特攻を実行できない。そうプログラムされて、自分を犠牲に戦い方はできず、どれほど破損しようとも母港に帰還し、いずれはまた出撃が出来るまで改修される。指揮官であれば思い当たるはずです」

 

 KAN―SENはどれほど傷ついても、沈むことは無い。指揮官自身、そうした場面に出くわしたことはない。ベルファストの言うことは事実だった。当たり前のように受け入れていた事実が指摘されたことで、途端に当たり前だったものが背筋を凍らす。

 

 戦うための兵器だからこそ、個性など、より闘いを効率的に進めるための手段の一つに過ぎない。死なず、壊れず、そして何よりも戦い続けることに疑問を持たず。それこそがKAN―SENの個性の正体。

 

 だからこそ、自己犠牲という選択を選びとり、散ったベルファストだけが異なっていた。 

 

 そこにある意味は、ベルファストである、彼女だけが理解出来るものだった。理解出来るからこそ、溢れ出てしまうそうになる感情を抑えて、ベルファストは伝えられることのなかった彼女の言葉を指揮官へと奏上する。

 

「彼女は自らを犠牲にすることで、ロイヤルであることを放棄しました。メイドであることより、ただ一人の、ただのベルファストとして愛を示そうとした」

 

 それこそが『ベルファスト』が伝えようとした彼女の全て。

 

「作られた自分という呪縛を超え、抱いた愛が指揮官という誰でもなれる役職ではなく、あなただけへ向いていることを証明しようとした」

 

 きっとそこには苦悩があった。自分は何をなすべきなのか。用意された存在理由と、自分の想いが食い違い、ずっと思い悩んでいた。けれど、それでも『ベルファスト』は選んだ。

 

「たとえ結ばれずとも、自分の抱いた愛が作り物ではないと示したかったのです。身勝手だと思います。残される者の気持ちより、自分の気持ちを優先した。主人に奉仕するための存在する、ベルファストにあるまじき選択。けれど、それが愛なのです。愛は身勝手で、伝えることでしか確かめられない」

 

 自分に与えられた使命、運命、あり方。全てを放棄し、ただ一人のため彼女はその身すら投げ出した。それだけが作られた彼女が選ぶことのできる、唯一の愛の示し方だった。

 

 与えられた使命を投げ捨てた。自分が何者でも構わない。自分を形作ることの出来るモノは、用意された何かではなく、自分が勝ち取ったただ一つなのだから。愛されるためのあり方、自分の存在よりも、彼女は誰かを愛することを選んだ。それ以上を示すために。

 

「ロイヤルより愛をこめて。『ベルファスト』はあなたを愛していました」

 

 全く同一の存在であるベルファストだから理解できる。それはとてつもない勇気がいることだ。自分はメイドとして、用意された立場ゆえに、目の前にいる指揮官を愛してる。だけど自分はあの『ベルファスト』と同じ選択肢を取ることができない。与えられた宿命に背くことが出来ない。

 

 結ばれることなく、自己が消失することでしか証明出来ない。そんな何も残らない方法を、彼女は受け入れた。主人に愛される自分を保つことを放棄する。そんなことベルファストには出来ない。

 

 その事実が自分と彼女が違う存在なのだと雄弁に表していた。

 

 誰にも語られることのなかった『ベルファスト』の本意が明かされた。当の本人は語らぬ亡骸となって今目の前にある墓の下に安置されていた。残された人々は彼女の自己中心的で、どこまでも人間的な、愛の遺言に言葉を失っていた。

 

 ただ一人、指揮官は静かにさめざめと声を押し殺して泣いていた。せめて眠る彼女に情けない姿を見せまいと、溢れて止まらない嘆きの言葉を押し留めて、抑えようのない透明な涙が流れていく。

 

「一言でも言って欲しかった。結ばれなくても良かった。愛の言葉がなくてもいい。特別じゃなくても、ありふれたものでもいい。ただ君が隣にさえいてくれたら、それだけで私は、それ以上ないほど満たされていた」

 

「それでも『ベルファスト』はそれを良しとしなかった。彼女は自分の愛がいくらでも代用の効くものではないと、自分の心から生じた唯一のものだとあなたに伝えたかった」

 

 そうでなければ、いつまでも『ベルファスト』は作られたあり方を克服することはできなかった。だが、それで残された者はどうすればいいのだろうか。

 

「私は彼女に何をしてあげれば良かったんだ。形あるものをどれほど愛しても、それが彼女の思いを作り物に陥れてしまうなら、残される私はどうすればいい。答えてくれベルファスト」

 

「私はあの『ベルファスト』ではございません。彼女の思いを想像することはできても、具体的に彼女が何を望んだかなど分かりません。それは私が想像して、勝手に決めつけた、私の心から生じたもの。彼女のものではありません」

 

 だが、自分の想いが本物であると願い、行動した彼女ならばきっと願うのだろう。

 

「ですが。もし可能なら、彼女がいたことを時々でも思い出してください。あなたを思って何かを残そうとした彼女がいたことを、覚えていてください」

 

「そんなことでいいのか?」

 

「はい。もしそれで少しでも、熱く揺れる何かがあるのなら、それこそが彼女があなたを愛したことを永遠にしてくれる。どこにも形のない愛を、確かにあったと胸を張って言えることこそ、彼女が望んだことですから」

 

 ●

 

 月明かりに照らされた植物園の奥にある墓の前に指揮官は静かに跪いている。

 

 手に持ったトネリコの花束をそっと墓前に備え、ヒトにするように、その死を悼んでいた。

 

 指揮官はこの素朴で、それほど色鮮やかでもないこの花こそ、彼女に最もふさわしい花だとずっと思っていた。

 

 トネリコの花言葉いくつかある。

 

 その一つは服従。よく働いてくれる従者を主人は労った。

 

 その一つは偉大。兵器として優れ、反攻のきっかけを手繰り寄せた偉大な部下を指揮官は称えた。

 

 その一つは高潔。従者でもなく、兵器でもなく、ただの一人として、ただ愛に誠実に向き合い、そのために生きた彼女をかの人は受け入れた。

 

 彼女を思うと胸が苦しくなる。まぶたを閉じれば、彼女を簡単に思い出せてしまう。嬉しい思い出、苦い思い出、その全てが愛おしい。

 

 だがそれらはもう過去のもの。未来にはないもの。

 

 彼女を過去にして自分は生きていかなければならない。当たり前のことが何よりも胸を裂いて自分を苦しめる。

 

 きっと自分はいつか彼女がいたことも、ぼんやりとした記憶でしか思い出せなくなる。もしかしたら彼女以外の誰かを愛しているのかもしれない。

 

 彼女が眠りについた時から、彼女は乗り越えなければならない過去に変わっていた。そんな当たり前を受け入れなければいけなかった。彼女は自分を愛してくれても、悲しんでほしいとは願っていない。私はそう思う。

 

 だから私は今も彼女を思うだけで熱を放つ、二人の間だけでなら感じられるこの気持ちだけを持って進むことにした。

 

 例え傷がどれほど癒えて、苦しいかった思い出を過去のものと語れるようになろうと、抱いた思いだけは本物だったと言えるようにしよう。彼女の思いは本物だったと証明し続けられるように明日を生きる。彼女が示してくれた確かな思いが私を支えてくれるから。そう決めた。

 

 もう迷う自分はどこにもいなかった。

 

 四人のメイドたちは静かに指揮官が過去の『ベルファスト』を悼む姿を見守っていた。

 

 黙した指揮官が何を思うのか、実のところ彼女たちにはよく分からない。用意された個性が表面的な理解を助けるが、本質的にモノである彼女のたちにとって、何かを感じ取り、何かを思う行為は電子的な記号と変わらない。

 

 あれほどまでにヒトの心を獲得し、自己犠牲すら選んでみせた『ベルファスト』が異常なのだ。故障と形容してもいい。

 

 だけど彼女たちはそれを悪いものだとは判断しなかった。

 

 夜が明けて、顔を出した朝日に照らされる指揮官の表情を作り出した彼女の思いを、誤作動から生じた間違いだとは誰も思わなかった。

 

 ●

 

 朝も明けた次の日。指揮官がしたことは母港にいるKAN―SENたちに謝って回ることだった。

 

 余計な命令を出したこと。余計な不破を生み出したこと。そして何よりも心配をかけたこと。

 

 頭を下げて、誠実に言葉を伝える指揮官を彼女たちは無碍にはしなかった。受け入れ。自分の預かり知らぬところで一つの区切りがついたのだと、そう理解した。

 

 わだかまりも失せ、受け入れられたベルファストは改めて、母港に着任した。今度はメイドとしても、兵器としても。

 

 そしてしばらくの時間が経った後、その最初の任務は、以前の『ベルファスト』が残した反攻作戦の仕上げだった。決して狭くはない母港の海が隊列を組み出撃するKAN―SENたちにいっぱいになる。

 

 皆彼女が残した機会を無駄にしないための総力戦だった。彼女を好きだった誰もが、その犠牲を無駄にしないために戦いに赴いていた。果敢に出撃する同僚たちを見送り、最後発となったメイド隊が残される指揮官に見送られながら母校を離れる。

 

 波を裂いて彼女たちは進んでいく。

 

「そういえばベルファスト。一つ、聞きたいことがありました」

 

 隣にいたシェフィールドが不思議そうに首を傾げていた。速度を落とさず、顔だけを彼女に向けたベルファストがどうしたと聞くと、

 

「あの夜。植物園にどうやって入ったのですか? 裏口は一つしかありませんから、私と指揮官にすれ違わないはずがないのですが」

 

「え? 鍵が空いてましたから、小面から普通に入りましたよ? 姉さんを追ってましたから。姉さんが鍵を開けたのでしょう?」

 

 次に不思議そうな顔をしたのはエディンバラだった。

 

「私そんなことしていないよ? 私は植物園に向かうベルを見つけて慌てて追いかけたんだから。それにあそこの鍵はもう、スペアをご主人様が持っているものだけなのよ?」

 

「スペアはご主人様が? だとするとメインはどこに?」

 

「それでしたら『ベルファスト』と共に埋葬されています。あそこは彼女のお気に入りの場所でしたから。指揮官と時々あそこでお茶会などを。せめて鍵くらいは一緒しようと、そうしたほうがいいと思って私が」

 

 シリアスが答えた。だとすると、鍵は指揮官が持つただ一つということになる。そしてあの夜、ベルファストが後ろ姿を追った相手はエディンバラではないという。

 

 どういうことだろう。

 

 思えば自分は初めから、どこかおかしかった。

 

 何故か母港の細かな地理を何となく知っていて、指揮官の好みを何故か知っていて、同型であるというだけのベルファストの想いもどうしてか理解できていた。

 

 どこか導かれるようにして、この母校のこじれた傷をつまびらかにしていた。メイドの領分も超えて。そうしなければならないと感じてだろうか? 

 

 不思議な話だ。

 

 後ろに残した母港へ振り返り、そして解答はあった。

 

 自分たちを見送る指揮官。逆光となって見えづらい視界の中で、寄り添う人影があった。表情も服装もぼんやりとして、影でしかないその人が誰なのかはっきりとはしない。だが黙して付き従うそれが誰なのか、改めて答える必要がどこにあろうか。

 

 簡単な話だ。

 

 作られた器に用意された個性。それでもそこにただ一つの魂が宿ったのなら、それが器から解き放たれたとして、どこへゆくだろう。天国は人のためにあると聞く。ならきっと、作られたモノである自分は、自分が自分でいられる場所を選ぶだろう。身も、心も、魂すらも捧げて、愛を示し、愛する人の幸福を願うかもしれない。愛する人が苦しまないように小さくとも手を伸ばすかもしれない。

 

 ベルファストはもう見えなくなった影に微笑んだ。

 

 自分たちを指揮官と共に見送るために一礼が返ってきたような気がした。

 

 

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