「……うん?」
アリシアはのっそりと首を持ち上げた。
月が昇り、雲が重なる空の下。
アリシアが手間をかけて作り上げた街の中央の、いつもの一軒家。
この森にも訪れ始めた冬の寒さに耐えかね、暖炉の炎で体を温めていた。
いつも通りの平穏な時間が流れている。
ただノミを振るい、槌を打ち付け、剣を振るう。
大多数の肉体はこの街に暮らし、幾つかの限られた器は外界の土地で目的に応じた十色の振る舞いを為している――いつも通りだ。
――だというのに。
チリチリ、チリチリとうなじが焦げ付く。
窓の向こうで輝く月の様に、ひどく匂い立つのだ。
脳漿を冒して止まない怖じ気がアリシアの筋を強張らせた。
ギィコギィコと揺れる安楽椅子から少し体を起こし、視線をぐるりと回転させ広く周囲を見渡す。
「……なんだ」
いつもの光景。
アリシアは、ゆっくりと流れるこの時間が大好きだった。
――けれど、穏やかさの影に違和感がちらつく。
おかしい。
おかしい。
おかしい。
おかしい。
おかしい。
おかしいのだ。
何が?
……何が、おかしいんだ?
40万の首を動かし前を見れば、いつも通りの平穏な風景が広がっている。
木を彫るノミや木槌、あるいは灼熱の炉や赤い鉄。銭を稼ぐ為に華やかな人間達の街を歩き、商売相手と舌戦を繰り広げている。はたまた、この街の練兵場。ひたすらに自身を鍛える為、剣や槍を握り締め――そんな、そんな景色。
当たり前という日常が40万の視界に広がっていた。
そして――ああ、愛しき我が子。
アダムは暖炉が生み出すぬくもりにうつらうつらと瞼を落とし、つい先程毛布をかけてやったばかりだ。
常と変わらず、安心しきったように気の抜けた表情をしている。
くるりと視界を裏返すと、大事な同盟者であるスレープだっている。
彼女も厩舎に備え付けた防寒具――『火の魔石』などという魔術品に歓喜の嘶きを上げていた。
――けれど、匂い立つ。
どうしようもない熱が脳の奥底を侵していく。
いつかの日にも、こんな香りを感じた事があったような……硫黄の雨が、塩の柱が――?
――はて。
そんな事があっただろうか?
アリシアは思わず首を傾げた。
けれどそれでも、こんなものを放っておけぬ。
ヒリヒリ、ヒリヒリと引き攣って仕方がない。
街を駆け回る肉体が。
剣を打つ肉体が。
仏を無心に彫る肉体が。
板金を貼り付け鎧を作る肉体が。
金銭を稼ぐ肉体が。
ただただ戦闘技能の習熟のために剣を振り続ける肉体が。
――実体無きアリシアの魂が。
あらゆる場所に偏在する――自我無き、けれど意識を映す総身を熱が侵す。
思わず、常に腰に帯びている剣に手を伸ばした。
「……母さん?どうしたの?」
アダムは眠そうに目をこすりながら、暖炉の揺らめく光の中で起き上がる。
暗闇の中でもキラキラと煌めく虹色の瞳は、どこか不安そうに細められていた。
「ああ……いや、なんでも……ない。うん、大丈夫、大丈夫だ……アダムは寝ていな」
アリシアは自分に言い聞かせるように言葉を繰り返した。
……けれど、不安だ。どうしようもなく。
いくら言い聞かせても脳髄が焦げ付いている。
カチャカチャと剣の柄を弄うアリシアを見て、アダムがのそりと立ち上がる。
その上背はすでにアリシアを追い越し、徐々に男らしい造形に近づき始めていた。
もとが早熟であることも相まってか、肉体と精神の成り立ちは青年のそれと言い換えてもおかしくない程だ。
――とはいえ、それもそうだろう。
育て始めてから、9年だ。
9年もの月日が経った。
それだけの時があるのなら――もう、アダムは守られ導かれるだけの赤子ではなくなる。
自分の意志によって動き、母の焦燥を感じて両手を伸ばす。
「………母さん。大丈夫、だよ」
「アダム……?」
アダムは大きく育ち始めた腕で、アリシアを優しく抱きしめた。
トン、トン、トン。と背中を優しく叩き、子供をなだめる親のように頭をサラリと撫でる。
「僕はここにいる。母さんも、ここにいる。スレープだってすぐそばにいる。だから、大丈夫」
「……ああ」
優しく言い聞かせるように、アダムは言葉を連ねた。
アリシアはその言葉を必死に咀嚼して取り込もうとしているが、やはり――あぁ、これは。
カチャリ、と鞘の鯉口が高く鳴いた。
力の籠もった指先はちっとも力を弛めない。
アダムの胸の中で、アリシアは瞳を細めた。
じっとりと滲む汗を拭うこともできず、槌を持つ指を離し――代わりに剣に手を伸ばした。
これこそが危機、なのだろう。
迫りくる危機を、五感の枠組みから外れた知覚機能が感じとった。
嘗てから警戒し続けた
きっとそれだけの話。
――肥大化した自我から手を伸ばす。
形のないそれをもって森の表層にそっと触れた。
「……母さん」
広がる静謐はいまだ揺らぎ無く――しかし前触れなのか、人より鋭い感覚を持つ獣達はどこか浮き足立っている。
チリリ、と瞳の奥が疼く。
手を伸ばす。
手を伸ばす。
手を伸ばす。
四方に八方に感覚器を広げ続け、不安の元凶を求めて目を凝らした。
――ジリ、と瞳が灼けた。
「これ、か……」
――感覚器の片隅に映り込む、悍しい魔性。
喉元がせり上がるのを感じる。
迫る危機の予感。こいつがその発信元なのだろうか。
二つのそれは、アリシアの背筋に冷たい柱を突き刺していくようだ。
「アダム」
「何だい?」
「……来るよ。だから、隠れていて」
アダムは端正な顔をじっと歪めた。
前々から頻繁に言い聞かせていた通りだが、アダムはアリシアに戦わせることが嫌なのだ。
確かにアリシアは不死に限りなく近く、戦力に換算するなら恐ろしく頼もしいのだろう。
「アダム、早く」
けれど、たった一人の母に戦わせるというのは、アダムの心を酷く痛めつける。
愛しき人を守りたいが、アダムにその力は無い。
ただ言葉を投げかけることしか出来なくて――その投げかける言葉にも現実を変えるような力なんてありはしない。
なんと無力。
己は特別な存在と言うにも関わらず、ただの子供と同程度の能力しか有していない――全能ならぬ我が身が、どうしようもなく憎らしい。
「気を、付けてね……」
「ああ」
歯を食いしばり、アダムはアリシアに背を向けた。
この家の地下から伸びる複雑な地下通路、そこに潜み、必要であればこの拠点を捨てて移動する。
前もって決めていた。
決めていたが――その取り決めが、今になって嫌になる。
「……行ったか」
アリシアは床下に消えていくアダムを見送り、一軒家の隣にある厩舎に足を運んだ。
街のいたる所を走り回るアリシアの肉体が厩舎の前からでも見て取れる。
皆一様に剣を帯び、外壁にあるバリスタや大砲の弾丸を持ち運び――はたまた、既に白兵戦を見据えて鎧を着込み、装備品が詰まった木箱を両腕に抱えている。
アリシアはその様に背を向け、スイングドアを通り抜けた。
スレープはまだ寛いでいるだろう――アリシアはそう思っていた。
しかしスレープもまた魔物である。
その鋭い野生本能が故か、何かを察知していたスレープはその巨体を起こしてアリシアを待ち構えていた。
「ブルル」
「……スレープ、アダムと一緒に逃げろ」
月明かりとランタンが照らす中、フェンスの向こうに声を飛ばす。
室内の明かりの下で、スレープはのっそりと立ち上がった。
のっそのっそとアリシアに歩み寄り――
「ブフッ!」
「うお!?」
ベシン!
撓った首がアリシアの額を打ち据える。
思わずたたらを踏んでしまった。
「いたた……あのなぁ、スレープ。お前……!」
「ブルル!」
「ちょ、おまっ、ま!」
ベロンベロンとアリシアの顔を舐め回す。
ガクガクと首が揺れ、スレープの不満を物理的に訴えかけた。
「うおおおお!?」
――と思えば、今度はアリシアの襟元を咥えて持ち上げ、のっそのっそと歩き出す。
その巨体に持ち上げられてしまえばアリシアの足が地につくはずもなし。
ぶらぶらと衝撃に揺らめくばかりで、申し訳程度に抗議の声を上げるしかない。
「下ろせスレープ!お前は戦力外だぞ!だから早く逃げろ!!」
「ヒヒィン」
「ちょ、おまえ――っ!……っ……う、えっ……なんか気持ち悪いの街の前まで来てる……!スレープ!!お前はアダムのところに行け!!」
「ブフッ……」
スレープは小馬鹿にするように鼻を鳴らした。
咥えたまま、外壁への道を歩き出す。
……彼女に逃げる気は欠片もない。アリシアだけに戦わせる気もない。
馬鹿な子供だけ残して逃げる――それは『死運び』と呼び恐れられた魔性の血が、誇りが許さない。
そんなみっともない真似、
――双方共に言葉は通じず。
けれど、その赫灼と燃える心はアリシアにも伝わった。
まるで空気さえも焼き尽くすような熱意は、アリシアの膨れ上がった自我さえも炎で炙る。
……だから、嫌でも分かってしまった。
スレープの意志は硬い。
「……………本気?」
「ブルル」
アリシアは天を仰ぐ。
キラキラと輝く天上の星々が今は憎らしい。
彼女の顔は見えないが、きっとテコでも動かないような頑固な瞳をしているのだろうとアリシアは確信した。
事実その通りで、スレープは鋼のように揺らがぬ瞳を――あるいは、頑固な子供を見つめる母の様に前を見つめている。
ぶらぶらと揺れる景色の中、必死にスレープを押し止めようと言葉を練った。
アダムを一人にする気か?
――駄目だ。俺の肉体を指し向ければいいだけ。
お前の命は一つだけ。
――駄目だ。そんな言葉で下がる様な玉じゃないらしい。
戦力外。
――『死運び』は高名な魔物だ。俺よりも強い。
あれは駄目だ。これも無駄だ。
アリシアは必死に思考を回す。
くるくるくるくると思考回路に熱を通すが、どの言葉も無為に過ぎる。
――そうしている間にも嫌な感覚は止まらない。
時間は絶えず流れ、刻一刻と驚異とアリシアと――スレープは近付いて行く。
呼応するようにうぞうぞ、うねうねと蠢くような魔性はじわじわと外壁へ近付いてきていて、もうじき姿が見えるほどに距離が縮められるだろう。
――覚悟を決めるべきは、アリシアだった。
「……………はああああああぁぁあぁ……」
深く、大きく息を吐く。
萎んでいく肺と一緒に、どうにか言い聞かせようという義務感も小さくなっていってしまう。
もはやどうしようもない。
どうあってもスレープはついてくるだろう。たとえその先に、
「………絶対に……いいか?絶対に、死なないように立ち回れよ」
「ヒヒィィン!!」
仕方なく――本当にいやだが、仕方なく条件を付けるとスレープは心得たというように力強く声を上げる。
スレープがアリシアを思いやって共に戦おうとするように、アリシアもスレープの事が大事なのだ。
だからこそ、後方でアダムと共にいて欲しかったが――こうなってしまえば仕方ないだろう。
「……………着くぞ。外壁だ」
暗闇の向こう側。
点々と灯る篝火が照らす道の奥に聳える石の壁がアリシアとスレープを出迎えた。
アリシアの肉体は既に配備を終え、この街に留まっていた37万のアリシアは鎧を纏い剣を携えている。
この日の為に固め続けた防備を存分に活かさんと八方に散り、
組まれた戦列は街を埋め尽くし、各方面に最低限の人員のみを残して西に固まる。
跳ね橋を上げ、バリスタに矢を装填し、大砲に火薬を詰め込む。
アリシアは全力だ。
全力で、全霊をかけて、僅かな油断も妥協もなく必死に体制を整えた。
こんな悍ましい気配の持ち主――ほんのちょっとの綻びが命取りになる。
本能で感じ取った恐怖はアリシアの頬をじっとりと汗で濡らす。
……せめてもう少し早くに
それなら、地方に散らばっている残り3万の肉体も集められたが――もう、そんな悠長なことは言ってられないだろう。
木々の向こうで胎動する一対の気配は、今か今かと襲いかかろうと殺意を練り上げているように、ドクリドクリと脈動を繰り返す。
その鼓動がアリシアの感覚器を揺らすたびに、悍ましい気配は拡張と圧縮を繰り返していた。
「――すぅ、ふぅ………」
その気配はじっとその場に留まっている。
けれど――もうすぐ、来る。
間違いない。
来る。
来るぞ。
今に来るぞ。
アレらは牙を唾液に濡らして、獰猛な吐息を漏らしている。
ああ。奴等はアリシアの隙を無機質に見定めて、整った体勢のまま必死に堪えているのだ。
それはまるで、狂いに狂った闘犬が飼い主の号令をじっと待ち受けているようにも思えた。
どこから?
どうやって?
いつから?
それは分からない。
けれど、彼らはアリシアをひたすらに見つめ、読み取れぬ感情の塊は爆発の寸前。
恐ろしい。
悍ましい。
穢らわしい。
無機質なくせに感情は極大?
何だそれは、矛盾しているではないか。
人の精神とは思えない。
「…… 。」
――来た。
来た。
来た。
来た!!
――メキリッ!!
木々が歪み弾け、生まれた間隙にその
嘗て切り開かれた領域、およそ四百メートルの空間をひっきりなしに踏み荒らしていく。
それらはアリシアが知る限りの西洋甲冑の中でも見たことがない程に洗練され、美しい装飾の数々が施された2mほどの体躯を持つ白い霊体。
一つ、二つ、四つ、十六、百二十八――彼らは加速的にその数を
大きな剣を腰に佩き、長大なランスで空を貫き、それらを先導するのは旗を持つ騎士。
白く、または黄金に、麗しく輝き空を照らす旗――そこには栄光の『十字』が掲げられている。
蠢く魔性は未だ変わらず、そんな騎士達の後方に。
バックアップのつもりだろうか?
……なんと、気味が悪い。
「――バリスタ、装填」
「大砲、着火用意」
「投石機、発射準備」
「弓兵隊、射撃待機」
「投石隊、前列へ」
アリシアは、殺意を練り上げる。
愚かなる敵対者を、無形無情の視線で刺し貫いた。
白光の騎士達はその視線を受け止め――呼応するように再び増殖し、幾千の声音を重ねて世界に刻む。
『――おお、哀れなり』
『なんと哀れな魔性の娘』
『我らが救おう』
『我らがお前を迎え入れよう』
『その魔性も、祈るならば救済があろう』
『滅びの後にこそ、救われよう』
ギシ、ギシ、ギシ。
軋む具足は重なり合い、次第にその回転数を上げていく。
歩きから、早歩きへ。
早歩きから、駆け足へ。
――駆け足から、疾走へ。
「――発射ァッ!!!」
――豪、剛、轟ッ!!!
岩が飛ぶ。
大砲が火を吹く。
大小の矢が雨のように地に降り注ぐ!!
千を超え、万に至り、さらにその桁を増やしていく波状攻撃が騎士達の進行方向から後方数百メートルに至るまでを埋め尽くした。
圧倒的人数から放たれる圧倒的物量の攻撃。
それは遺憾なく威力を発揮し、騎士達の装甲を止めどなく痛めつけていく。
――土埃が舞い上がる。
大地の息吹が空気を包み、騎士達の発する光を隠して守る。
「――発射!発射!!発射ァ!!」
しかしアリシアは、そんな事は知らぬと手を休めない。
バリスタは常に弦を張り続け、歯車は軋みという悲鳴を上げ続ける。
恐ろしいほどに高速で雨を撃ち続け、それと同速で失われる物資を後方と行き来する荷車が補給し続けた。
この日、この瞬間にこれまで溜め込んだ全てを放出する――そんな覚悟さえ抱いている。
――
アリシアは確信していた。
あれは、あれらはバケモノだ。
『――お、おぉ』
――不足。
土埃の内側。
白い光が粒子の隙間をすり抜け、アリシアの瞳へ輝きを届けた。
ギシ、ギシ、ギシ。
軋み続ける具足の音は、止まっていない。
止まらない。
走り続ける。
騎士達の集団、その先頭は確かに数を減らし、いくらかの個体の鎧には欠損が目立つ。
失われた四肢の先には肉や血は在らず、ただ解けた光輝が流れ出しているのみ。
――召喚物か。
アリシアは小さく口の中で呟きを転がす。
この世界に伝わる魔法は数え切れないほど多岐に渡り、アリシアは五大属性の魔法の存在しか知らない。
それ以上の知識を蓄えようとするには、あまりにもその数が膨大すぎるのだ。
もう少し財を蓄え、その金貨を用いて教材になるものを取り寄せようと考えていたが――今更そう考えたところで意味など無い。
故に今のアリシアが分かる事は、多くの市民や冒険者達が誰でも知っている程度のこと。
あれらは被召喚物であり、術者からの魔力供給によって存在が成り立つということ。
魔力さえ足りているのなら、あれらはいくらでも修復され、また召喚物そのものさえどんどん増やせるということ。
……そして、幾万の騎士を呼び出すような規格外が、『英雄』の一柱に存在しているという事。
「くそ、くそっ!英雄だと?何故あんな連中の一人がここに!?ああくそ!それほどまでに情報がバレて――!!?」
「ブルルッ!!」
スレープの嘶きがアリシアの鼓膜を叩いた。
アリシアは反射的に目を凝らす。
警告の意味を孕んだそれに従い、微かに揺らいだ自我の舵を取り騎士達の陣営に意識を向ける。
――瞬間。
『おおおおおおおおおぉぉおぉぉッ!!!』
ゴ。
乾いた音が響く。
一拍の間を開け、甲高く破裂する空気の悲鳴が大地を舐めた。
激しい風がアリシアの顔を打ち付ける。
――まて。なんだ、それは?
数瞬思考が止まる。
アリシアは、思わず我が目を疑った。
――騎士が。
一際大きな純白の騎士が、聳え立つ外壁の壁を殴りつけていた。
アリシアは油断していなかった。
アリシアは僅かたりとも綻びを許さなかった。
常に万の視界を集団に向け、揺らぎこそあれどもそれだけだ。
決して――決して。
断定しても良い。
決して、あの騎士の集団から
「基礎スペックの違いか……!!」
ならば。
あの騎士はアリシアの機能を大幅に上回り、その姿を視界に映すことさえ叶わぬほどの圧倒的な差が存在することになる。
そのスピードも。
大砲の降り注ぐ中を走り抜ける装甲も。
揺らぎ――大きな大きな、進軍の通り道となる程巨大な穴の空いた外壁から見て取れる怪力も。
その全ての能力が嫌がらせのように極まって高く纏まっている。
こんな大物を食い止めるのに――さて、アリシアの肉体は何千……或いは、何万必要なのだろうか?
……そんな騎士の同型種が、騎士達の背後から続々と姿を表した。
その数、およそ百。いいや、二百。四百――八百。そして、まだ増える。
――絶望。
そう言い表すべきだろうか。
なんと陳腐で――なんて、くそったれな。
「……バケモノめ」
「……ブフッ」
抜剣。
万の音が重なる。
全くの同時に引き抜かれた剣は一様に切っ先を騎士へ向け、前衛となるべく歩みを進めた。
外壁の上に立つアリシアは弓の弦を張り、いつでも一射を放てるように力を込めた。
……道具を駆使しろ。
使えるものは何でも使え。
常に効果的に立ち回って、徹底的に効率的に命を使い潰せ。
そうでもしなければ――アダムを、守れないぞ。
小さく声に出した言霊はアリシアの総身を震わせた。
ああ、ならば前に進もう。
無理だろうと押し通そう。
守る為に / ■る為に 。
アリシアにはその事実のみが戦意を奮い立たせる
だから、戦おう。
己の総身を以って。
――増える。
アリシアの肉体が、鎧を纏う戦士が姿を表す。
増える。
剣を持ち、槍を携え、弓を構える死兵が。
増える。
必ず殺す。
増える。
たとえ『英雄』が相手だろうと、諦めない。
増える。
殺す。
増える。
殺すぞ。
増える。
たった一つの
――増える。
増える。
増える。
増える。
増える。
増える。
増える。
増える。
増える。
増える。
増える。
増える。
増える。
増える。
増える。
増える。
増える。
増える。
増える。
増える。
―――増える。
未だ天を裂けずとも、そんなことは関係ないのだ。
麗しの月は俺達を見守っている。
守るべき
「ぉ」
ならば、無理だろうとも押し通す。
必ず。必ず。
「ぉおお」
我が子の、
「おおおおおおおおおオオぉォォオォッッ!!!!!」
鬨の声が大地を轟々と揺らす。
――開戦だ。
ああ、なんて愛らしい。
なんて愚かしい。
私に、私達に勝とうとするなんて。
我らが父に与えられた加護を貫こうなんて、なんて無駄な。
我らの
だからまずは四肢をもいで――?
あら?
あらあら?
何故そんな野蛮なことをしなくちゃいけないのかしら?
誉れ高き『第十三聖女』がそんな事をするなんて、民達に、信者達に笑われてしまうわよ!
だからしっかりと四肢をもいで――四肢を、もいで?あら?何故なのかしら?まったく野蛮ね!だから捕らえなきゃ!手足を奪って!
……ううん?
……うーん?
頭がぼんやりするわ……だから、まずは四肢をもいで……あら、あ――ら?
何故?
私は聖女なのよ?
痛みを無為に与えるなんて許されないの。
全知全能の父も――偉大なる
私達は私達の隣人を愛さなくては。
私達の家族を愛さなくては。
遍く衆生を救うために。
主の教えを広め、来たるべき日に備えて
だから、四肢を、四肢を――――。
ああ、ああ?
私は、何をしているのでしょう?
ええ、分かっておりますとも。
貴方様の命に応え――貴方様?貴方様?貴方様?貴方様?貴方様?貴方様?貴方様?貴方様?貴方様?だぁれ?何故、私に命令をををををを命令命令命令命令を――ああああああ?あなた、あなた?あなたが主?そうなのね?そうなのよ!
ああ、だからだからだからだからだから私は
あなたって、だぁれ?
<TIPS>
「聖女達の清衣」
帝都に坐す大宗派「明けの明星」が有する偉大なる聖女達が纏う衣。
それには彼らの信ずる唯一神の加護が込められ、生半な魔性の一切からその身を守る防壁でもある。
聖女とは信仰の拠り所。
過去に『第一聖女』から『第十三聖女』までが存在しており、彼女らは皆『主』の啓示を受け立ち上がった。
『主』の教えを広めるために、来たるべき日のより多くの人々を救うためにあらゆる試練に立ち向かった高潔なる乙女たち。
――しかし、今代の聖女の輝きは地に落とされた。
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