筒井とギャル棋士   作:ようぺい

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1話 筒井と黒ギャル

 葉瀬中でたったひとりから囲碁部を創設した初代部長筒井公宏(つついきみひろ)

 

 初めて部員が入ったのは彼が3年生になった年だった。孤独で2年間も活動していた分、最後の1年は本当に楽しかった。出来る事ならずっとここにいたいとさえ思える最高の場所だ。

 

 しかしそうもいかない。卒業、そして進学と、彼は次なるステージへ進まなければならないのだ。

 

 

 桜も散り始めた4月の中旬、ここ葉瀬高の校門で朝からビラ配りをしている生徒がいた。黒縁眼鏡にきっちりホックを止めた学ラン姿、マジメを絵に描いたような彼、当校1年の筒井である。

 

「囲碁部でーす。部員募集中でーす。よろしくお願いしまーす」

 

 この高校には囲碁部が無い。つまり彼はまたひとりでスタートなのだ。そんな訳で、入学してからほぼ日課となっている朝のビラ配り中である。

 

 だが登校する生徒達は面倒臭そうに遠回りに避けて行く。

 

 最初の頃は受け取っては貰えた。あくまで受け取ってはだが。しかしもう誰ひとりとして、筒井の差し出すビラに手を伸ばそうとする者はいなくなっていた。こう毎日毎日なので皆見るまでもなく知っているからだ。

 

「初心者歓迎でーす。よろしくお願いしまーす」

 

 慣れたものとは言え筒井も人間だ。途中酷く寂しい気持ちになり、息苦しさを覚える事もある。

 

 もはや誰にも受け取って貰えないビラ配りなど無意味な行為かもしれない。それでもいつかきっと芽が出てくれるはず、そう信じて何とか踏みとどまる。

 

 そしてそんな下がり掛けていた視線に写ったのは、小麦色のお腹だった。

 

「おーっす、メガネ。調子はどう?」

 

 誰も相手にしない筒井に声を掛けてくれた生徒がいた。同じクラスの黒ギャル、通称ギャル子である。

 

 金髪ポニーテールに大きく開いた胸元、そしてシャツを縛ったヘソ出しルック。スカート丈も短く、どこからどう見てもギャルだ。

 

 入学当初は「うわ、この人お腹出てる……」と思いもしたが、そんな中坊上がりには刺激的な姿もすっかり慣れてしまった。見慣れた訳ではない、派手な外見以上に彼女の内面を見るようになったのだ。

 

 毎朝こうしてわざわざ足を止めて、自分の部でもない勧誘の進捗状況を尋ね気に掛けてくれている。直接手を貸してくれなくとも、孤独な戦いをしている筒井はとても勇気付けられていた。

 

 視線を彼女のお腹からパッチリとした瞳へ移した筒井は、気落ちなど微塵も感じられない爽やかな笑顔をしている。

 

「全然だよ。でもまだ4月だし、これからこれから。そのうち部活入りそびれた人も出てくるだろうし」

 

「そっか。よく知らないけど、大会? とかまでには何とかなると良いね」

 

 スタイルの良さもあり、ギャル子はどちらかと言えば大人っぽい。そして整った顔立ちに完璧に仕上げたメイクは可愛いよりも格好良い印象がある。

 

「う、うん。大会も出たいけど、今はやっぱりちゃんとした仲間が欲しいかな。部室に行って誰かいるのが凄く嬉しいって言うか、中学で後輩が部に入った時そう思ったんだ」

 

 少し気恥ずかしそうに語る筒井。目を閉じればあの楽しかった日々が蘇る思いだ。だがもうあそこに自分の居場所は無い。ここだ。ここでまたあんな毎日を過ごせる場所を作らなければならないのだ。

 

 ギャル子は「何かひとり暮らしの人みたい」と笑いを零した口を手で隠した。ピンク色に艶めいたネイルが筒井の目を惹く。

 

「へ、変かな」

 

「ううん。でもウチの高校って凄いよね。部になればちゃんとした部室が貰えるんでしょ? あたし他所の部室見たことあるけど、溜まったりするの楽しそうだなーって」

 

 筒井は部室と言ったが、正確には理科室を練習場所として使わせて貰っていただけだ。なので高校では部室を貰えたらこうしよう、ああしよう等と想像が膨らみ、考えただけで胸が弾む。おかげでさらに気合いが入り、もうひと頑張り──、と思ったところで予鈴の音が響き渡った。

 

 

 他の生徒達の流れに乗るように、並んで昇降口へと歩き始めた2人。大体ギャル子が予鈴少し前に来るので、こうやって一緒に教室へ向かうのはよくある事だ。

 

 と、急に冷たい風が吹きギャル子がブルっと震えた。

 

「さっむ〜!」

 

「お腹しまったら?」

 

「えー、何か負けたみたいで嫌だ。ギャル舐めんなっつーの」

 

 筒井から細めた目を向けられ、ピシッと背中を伸ばしたギャル子。寒さに負けないアピールなのだろうが、ふとそのまま隣の筒井を見上げた。

 

「そういやメガネ、身長いくつだった?」

 

「172センチだったよ」

 

 入学してすぐの身体測定の話題だ。中学時代より5センチ以上伸びている。

 

「私は162だった。あ、体重はもちろん、スリーサイズも秘密ね?」

 

 にしし、とイタズラな笑みを浮かべるギャル子。筒井は眼鏡を持ち上げる仕草を交え、

 

「いや、僕はそういう数字とか特に興味無いし」

 

「うわ、何その眼鏡キャラっぽいセリフ。メガネ可愛くない」

 

「あのさぁ、メガネメガネって……。そろそろ名前くらい覚えたら?」

 

「い、いや覚えてる……、けど? つーか! メガネこそあたしの名前知ってるの!? 知らないんでしょ!? マジ最悪なんですけどー!」

 

 誤魔化すように声を大きくしたギャル子。

 

「桑原だろ。出欠もあるし、入学して2週間も経てばさすがにクラス全員覚えたよ」

 

「桑原禁止ー。小学生の頃男子達に『霊剣ッ!』つっていじられたから」

 

 筒井も読んだ事がある昔の漫画の話だ。しかしそんな事よりも、筒井は見えない剣で斬り掛かって来るギャル子に戸惑ってしまう。斬るマネどころか普通にポカッ、と叩かれているのだが、女子とこういう触れ合い経験が無かったため、どちらかと言えば嬉しくもある。

 

 そんな中でどうにか口をついたのは囲碁バカの彼らしいセリフだった。

 

「ぼ、僕としては碁のタイトル持ってる桑原本因坊のイメージが強いんだけど……。って言ってもギャル子は知らないか」

 

「知ってるよ? それウチのお祖父ちゃんだし」

 

 はいはい、と全く感情の入っていない返事を返し、ギャル子が上履きに履き替えるのを待っている筒井。

 

 その際、前屈みで片足を上げ靴を履く姿に、開いた胸元の谷間がバッチリ目に入ってしまった。一瞬の硬直の後に慌てて顔を逸らそうとするも、先にギャル子の細めた目と視線が重なってしまった。

 

「あ、今見たっしょ。エロ」

 

「ご、ごめん、見ました……」

 

 素直に謝る筒井。見ようと思って見た訳では無いが、それでも見られて良かった物は良かった物なので、対価は払わなければならない。

 

 ところが睨んでいたはずのギャル子の顔は、イタズラっぽい笑顔と変わり、

 

「嘘々、今のは仕方ないし怒ってないよ。メガネって誤魔化したり言い訳とかしないんだね。そういうバカ正直な奴って人生損しそうじゃない?」

 

「そんな大袈裟な……。ギャル子こそ色々お節介でっていうか。この前お婆さんおんぶして信号渡ってるの見たよ」

 

 入学して数日経った頃だ。高校の最寄り駅近くにある開かずの信号に等しい大きな横断歩道で、その光景を目の当たりにした筒井。電車で席を譲るのさえ迷ってしまう自分ならば、絶対マネの出来ない行為だ。まだギャルという生き物に偏見を持っていた彼は小さな感動を覚えたのだ。

 

 見返りなどを求めず他人に親切に出来る奴──。筒井はギャル子に対してそんな印象を持っていた。

 

 実際学校生活の中でも面倒見が良く親切なのだ。なので腹を出した派手な格好をしてても、少なくともクラスメイトからは変な目で見られてはいない。

 

 そして筒井から「見たよ」と言われたそんなギャル子が照れ隠しに脚にカバンをぶつけてきた。

 

「な、何かお婆ちゃん一生渡れなそうだったからさ。つーか見られてたとか恥ずかしいんだけどっ! もうストーカーっぽいし!」

 

 そのお婆ちゃんに感謝しない訳にはいかない。お陰でこうしてギャル子と友達になれたようなものなのだ。筒井はそんな事を思いながら「あはは」と笑い声を上げた。

 

 

 教室へ着いた頃にはホームルーム直前。早足で自分の席へと着いた筒井は、減っていない大量のビラを机の中に折れないようにしまった。

 

「でもさぁ、そろそろ他の方法も考えたら? 毎朝ビラっていうのもウザいって思う人いるかもよ?」

 

 ギャル子は隣の席だ。なので良く話す。たまに昼も一緒に食べる。そんな見た目マジメ君とド派手ギャルが一緒にいる光景を、クラスメイト達はいつも不思議そうな顔で眺めている。

 

「でもビラとポスター以外に何か出来る事あるかな?」

 

 あるなら是非聞きたいと、ギャル子に対して若干の期待を寄せる。

 

「……いや、そう言われるとわかんないけど。あ、ちょっと待って……。ああ、ごめんやっぱわかんない」

 

 しばらく腕を組み首を傾げていたギャル子。一応頭を悩ませてはくれたらしく、豹柄の下着を着けていそうな派手な見た目に寄らずに良い奴だ。

 

 そんな良い奴なので、筒井も淡い期待を抱いてしまう。

 

「あ、あのさぁっ」

 

 隣からやけに真剣な目を向けられたギャル子に「へっ?」と緊張が走った。

 

「い、囲碁部入らない?」

 

「……悪いけど、貴重な放課後に石並べとかマジでないから。て言うかさ、いきなりマジな顔すっからビックリすんじゃん」

 

 口を尖らせたギャル子はまるで碁には興味無しと言わんばかりに、何度か手の平を返しながら自慢らしき爪を色々な角度から眺め始めた。

 

 やっぱりなぁ、と筒井が肩を落とす姿を横目に、

 

「でもさ、メガネも勧誘ばっかじゃなくて、たまには高校生らしく青春っぽい事しようぜ?」

 

「だから囲碁部作って青春しようとしてるんだろ。そう言うギャル子は何かしてるの?」

 

「あたし? あたしは放課後はカラオケ行ったりしてるよ? もう思いっきりJKの青春でしょ?」

 

 自信満々なギャル子。バカっぽいが、とても幸せそうなので筒井は呆れを通り越して羨ましくも思えた。

 

「カラオケかぁ。僕、こないだ初めて行ったんだ」

 

「マジで? 楽しいっしょ?」

 

 囲碁バカポジションの筒井であるが、クラスには一緒に昼を食べたり遊べる友人はなんとか存在する。なお、彼が行ったのは入学して間も無くの男子オンリーのクラス会みたいなものだ。

 

「そうだね。でも大勢で行ったからあんまり歌わなかったけど」

 

「えー、じゃあ今日ウチらと行こうよ。人数少なければいっぱい歌えんじゃん」

 

「う、うんっ」

 

 さらりと誘われてしまった筒井は、驚きと喜びが混ざり合い声が裏返りそうになった。そしてウチらと言われて、ギャル子がいつも一緒にいる2人を思い浮かべるのであった。

 

 

 ◆

 

 

 昼休み。教室の真ん中で、2人の女子が机を3つくっ付けて昼食中である。

 

「代表遅くね? あたしら食べ終わっちゃうよ?」

 

 弁当箱だけが乗っている空席。箸を止めたギャル子が代表と呼ばれる者の席に視線を送った。待ってようかな、どうしようかな、と頭を悩ませる。

 

 一緒に食事をしているもうひとりの女子は食べ終わってしまい、爪楊枝を咥えている。金髪ショートカットで背が高くスタイルの良い、目付きの鋭いおっかなそうな黒ギャルだ。

 

「いつもの事だろ。つーか代表って入学してから何人くらいに告られたんだっけ」

 

「さあ? て言うか本人も知らないんじゃん? それよりオラ子のアスパラベーコン超美味しかったよ? また作ってきてよ」

 

 背の高い女子、オラ子はオカズ交換した自作弁当を褒められ「ああ」と頷いたが、

 

「あのさぁ、JKとして恋バナより弁当の話ってどーなんだよ」

 

 ずいっと前のめりに顔を近づける。友人が告白されているのに、もっと興味を示せとオラ子は言いたい。

 

「んー、そう言われてもあの代表だしね。ウチらも今さら告白イベントとかじゃ盛り上がんないっしょ」

 

「ま、そりゃそうだ。つーかさぁ、ギャル子はどうなんよ。筒井に気があるわけ?」

 

 軽く周囲を見渡し、声を小にして尋ねたオラ子。

 

「ん? 筒井って誰?」

 

 ところが思い切って尋ねた質問はその言葉だけであっさりと否定。こりゃ無ぇな、とつまらなそうな顔をしていると、空席の椅子がガタッと音を立てて引かれた。

 

「あんたがメガネって呼んでる男の子よ」

 

「お帰り代表。あー、そういやメガネって筒井って言うんだっけ」

 

 疲れたようなため息を吐き出し腰を下ろしたのは代表である。長い金髪に黒いリボンが映え、黒ギャル2人とは違い綺麗な白い肌だ。

 

 何故代表なのかと言うと、別にギャルサーでも何でもない。メチャクチャ可愛いくて頭が良く、何となくリーダーっぽいから代表と呼ばれているだけだ。

 

「代表、どうだった? 今日はバスケ部のキャプテンだっけ」

 

「お断りしたわ。そんな暇無いし」

 

 代表の言葉に「もったいねー」という声は上がらなかった。2人とも暇無しの事情をわかっている様子で少し目線を下げた。

 

 どことなく空気が沈んでしまい、やや眉を下げて困ったように微笑んだ代表は、ようやくのお弁当を口に運びつつ、逸れた話を元へ戻そうとする。

 

「それよりギャル子と筒井君の話してたんでしょ? あんたら怪しいよね〜」

 

「そうそう、しょっちゅう一緒だしな。アタシはああいう『やさしいだけ』な草食動物は好みじゃねぇけど」

 

 代表達に言われて、ギャル子は頭を捻って自分の気持ちを言葉にしてみた。

 

「でも付き合う的なのとは違うかな。今んとこドキドキとかは無いし。メガネって変な下心とか無さそうだし、他の男子と違ってちゃんとあたしの目見て話してくれるから一緒に居て安心っていうか。それに──」

 

 ギャル子が教室の隅に目をやれば、そこには筒井が男子達と昼食中の姿。楽しそうに何か話しているのを見て頬が緩んでしまう。

 

「アイツひとりで頑張ってんじゃん。そういうの見ると助けてあげたくならない? だから多分そんな感じかな」

 

 ギャル子がそういう奴だと同じ中学だった2人は知っていた。なので何か良さげな事を言われても「あんたって子は……」などとほっこりとはせずに、JKの大好物である恋愛話になりそうになく「はぁ? つまんね」であった。

 

 

 ◆

 

 

 ホームルームが終わった放課後。筒井はこれからギャル子とカラオケに行く。しかしその前にギャル子が掃除当番なので、筒井は教室にて待機中である。

 

 同じように誰かを待っている者、特に意味もなく残っている者、そんな者達の中で筒井は廊下側寄りの自分の席にて詰碁本を眺めていた。

 

 が、まるで上の空。女子と放課後お出掛けするなど人生初なのだ。それもそれ程自信があるわけでもないカラオケ。時間が経つに連れて緊張も高まっていく。

 

 せめてもの救いは、筒井には妹がおり、そのおかげで囲碁バカの彼でもどうにか流行りに着いて行けている事だ。

 

「だーれだ?」

 

 頭上からの女の声と共にふいに視界が真っ暗に──、いや眼鏡があるので指の隙間の向こうはハッキリ見えているが。

 

 自分にこんな事する女子はギャル子しかいないので「指紋付くだろ」と付け加えて回答を告げたところ、

 

「ぶー、違いまーす。正解は代表さんでしたー」

 

 視界が開き振り見上げれば、言葉通りにそこにいたのは代表であった。

 

 筒井は意外な人物に目と口を丸くしたマヌケ面。筒井と代表は今のところ友達の友達みたいな関係なので、あまり話した事はないのだ。オマケに彼女は既に高嶺の花ポジションなので余計に話し掛けづらい。

 

「ああそっか。代表もカラオケ行くんだよね」

 

 こんなマネをした理由を自分で導き出した筒井であったが、

 

「私は用事あるから行かないよ? んん? 私と一緒じゃなくて残念?」

 

「う、うん。まあ……?」

 

 にんまりとした笑顔を向けられた筒井。クラスメイトとして親しくなれたら、とは思っていたが、素直に残念だと答える事にはいくらかの躊躇いを覚える。

 

「じゃあそのうちね。今日はギャル子とオラ子、美少女2人をはべらせてらっしゃい」

 

「は、はべらせッ!? 人聞きの悪い事言わないでよ。……て言うか何か用だった?」

 

 まだ「だーれだ?」をした理由を聞いていなかった筒井。どうしても「何でこんな高嶺の花が自分なんか」と思ってしまう。

 

「いや別に。筒井君が緊張してるからリラックスさせてあげようかなって」

 

「ぼ、僕緊張してるように見えた……?」

 

「うん。詰碁に全然集中してなかったし」

 

 言われて視線を手元に移せば、そこにあるのは最初の問題ページから全くめくられていない詰碁本だ。

 

「実は女の子と遊びに行くの生まれて初めてでさ……。楽しませるコツとかわからくて」

 

 入学してから大勢の男に告白されたモテモテの代表に、わざわざ自分から非モテ野郎と白状するのもバカにされそうで気が引けたが、筒井は変な見栄を張りたくなかった。

 

「ふぅん。あの子達あんなナリしてるけど、男の子と出掛けた事あんまり無いと思うよ? だから別に気にしなくて良いと思うけど」

 

「そうなの? ちょっと意外だなぁ、モテそうなのに」

 

 代表は腕を組み「私に全部来ちゃったから」とうんざりと小さく首を横に振った。

 

「それにギャル子って世話焼きのおせっかいだから、中学の時ならともかく、高校生にもなればその内悪い奴寄って来て騙されそうじゃない? だから筒井君みたいなのがそばにいてくれたら、私も安心かなって」

 

 知らない内に代表から評価されていたようで、筒井は小さな驚きを見せた。どうせ人畜無害とか、そんな男として嬉しくない評価なのはわかっているが。

 

「あ、やば。私行かなきゃっ。じゃあまた明日ね?」

 

「うん。さよなら」

 

 教室の時計を見上げた代表は、ふわりと後ろ髪をなびかせ廊下へと足を向けた。

 

 優しくて可愛くて、他にも何拍子揃っているかわからない代表。もっとお高く止まっても良さそうなものなのに、全く気取らず友人想いの良い奴じゃないかと思いながら、筒井は彼女の背中を見送った。

 

 

 

 

「おーい、メガネー」

 

 代表と別れて15分程が経ち、掃除を終えたギャル子が教室に再び姿を見せた。しかし何故か後ろには別のクラスの男子を2人連れている。言っちゃ何だが、いかにもクラスカースト最下層住人のオーラを纏っている。

 

 筒井が少し訝しげな顔を向けると、返って来たのは「にしし」という笑顔とVサイン。

 

「こいつら囲碁部に入っても良いって!」

 

「ほ、本当ッ!?」

 

「うんっ。さっき廊下で部活どうする? みたいな話聞こえてさ、誘ったら良いってっ。見た目も囲碁部っぽいし!」

 

 ギャル子の失礼交じりの言葉にコクリと頷いた男子達。

 

「うわぁ、ありがとう! やったぁ! ついに部員だ!」

 

 喜びを全身で表現する筒井は、その目にはうっすら涙まで浮かべている。

 

「良かったね〜。これで3人、って事は部に出来るじゃん」

 

 自分の事のように喜ぶギャル子であったが、その発言を耳にした男子達が「え?」と眉をひそめ、2人でヒソヒソと会話を始めた。まるで「おい、話が違わないか?」といった相談をしているようだ。

 

 しばしの密談を経て男子が、

 

「3人……? い、囲碁部って全部で3人、なの? ぼ、僕達いれて?」

 

「うんっ! キミ達が初めての部員だよ! それでどのくらい打てるの? あ、初心者でも全然っ! 一緒に頑張ろうね!」

 

 大興奮の筒井に対して、男子達はどういう訳か物凄く冷めた目をしている。

 

「そ、そっちの女の子は、ぶ、部員じゃないの?」

 

「あたし? 部員じゃないよ?」

 

 視線を送られたギャル子は自分の顔を指してきょとんとした表情。その言葉を受けた途端、男子達の露骨な舌打ちが重なった。

 

「……じゃ、じゃあ、やっぱり入らない」

 

「ど、どうして!? 僕、何か気に触る事でも言った!?」

 

 耳を疑った筒井。突然の手のひら返しに目を白黒させている。

 

 男子達は睨みつけるような上目使いで、慌てている筒井へと口を開く。

 

「い、囲碁部に入れば、そ、そのギャルと仲良くなれると思ったのに、さ、詐欺じゃないか……!」

 

「えぇっ? な、何それ……」

 

 筒井は全く予想していなかった理由に顔をしかめた。しかし何て事はない、ただの女目当て。何処にでもある話である。

 

 だが実際本人を前にそれを言えるかと言えば、普通は恥ずかしいやら、みっともないやらでとても言えたものではない。それでも口に出したという事は、相当頭に来ているようだ。

 

「んー。あたしと仲良くなりたいっていうのは、まあありがたいけどさ、折角なんだし入部しちゃいなよ。他に入りたい部活ないんでしょ?」

 

 ギャル子は困り顔をしつつも粘ってみる。このまま部員を逃して筒井をガッカリさせたくなかった。それも一度てっぺんまで上げて落とされるような思いをさせたくなかったのだ。

 

 が、男子達の次のセリフで全てが崩壊してしまう。

 

「じゃ、じゃあ……、や、やらせろよ。そうしたら入部してやるよ」

 

 何を──、とは言わないが、ギャル子も筒井もハッキリ意味が理解出来た。

 

「キ、キミ達頭おかしいんじゃないか……!? そんな無茶苦茶な話があるかよ!」

 

 筒井の声が大きくなり、まだ教室に残っているクラスメイト達の注目が集まる。だがお構い無し、男子達の暴走はさらに加速──。

 

「ど、どうせ色んな男とやりまくってんだろ……! だったら僕達だって良いじゃないかっ!」

 

「そ、そうだ! そんな男に媚びるような格好した股ゆるビッチのくせに!」

 

 本格的にギャル子を侮辱する発言が飛び出すと、遠巻きに眺めていたクラスメイト達、特にギャル達が「お?」とか「あ?」とか凄みを見せ始めた。

 

 だがギャル子は違った。俯いて足を震わせているのだ。彼女自身、こういう事を言われた経験はあった。それでも嫌な思いをするのは自分だけ、だったらどんな格好しようと勝手だろうと、そう思っていた。

 

 今も正直腹は立っている。だがそれ以上に筒井に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。この格好のせいで、結果的に筒井にぬか喜びさせてしまったのだ。それが堪らなく苦しかった。

 

「メガネ、ごめ──」

 

 だがギャル子の謝罪は途中で遮られ、かき消されてしまった。

 

「何ふざけたデタラメ言ってんだよッ! 彼女に謝れッ!」

 

 筒井の怒号が教室に響き渡ったのだ。普段温厚な彼からは想像も出来ないキレっぷりであるが、実は元々カッとしやすい性格である。皆も「お、おお、囲碁バカがキレた……」と固まっている。

 

「ギャル子はなぁ! こんな格好してるけど、メチャクチャ良い奴なんだぞ! 優しくて面倒見が良いし、それに困ってる人を放っておけないおせっかいで! こないだなんてお婆さんおぶって横断歩道渡ってたんだぞ!? そんなの実際見た事あるか!? 無いだろ!? 彼女はそのくらい普通にやっちゃう奴なんだよ!」

 

 もう筒井には部員がふいになった落胆など無かった。あるのはただ悔しい気持ち。ギャル子は自分のために部員を見つけて来てくれた。そんな純粋な親切心から起こした行動で、本人がこんな目に遭うなどあってはならないのだ。

 

 そんな筒井の熱い叫びは続けられる──。

 

「僕は感謝してる! 彼女は自分の部活でもないのに、囲碁部の事心配してくれてるし、応援もしてくれてる! だからめげずに頑張ろうって思える! 今だって頼んでもいないのに部員の勧誘して来てくれたんだ! 彼女の事全然知らない癖にバカにするなよ!」

 

 筒井の迫力に後ずさった男子達が空席にぶつかり大きくよろめいた。

 

「な、何だよ、もう頼まれたって入ってやらないぞっ! ぼ、僕はなぁ、昔は囲碁教室に通っていて、今もネット碁だってたまにやってる上級者様──」

 

「関係ないッ! お前らなんかいるもんかッ!」

 

 後悔しろという男子達の言葉を粉々に打ち砕くのは、ダメ押しの怒声──。

 

 最後に彼らが見せた抵抗は、空席をガターンッ! と押し倒し教室から逃げ出す事だけであった。

 

 

 

 筒井は大きく息を切らしながら、ギャル子へ深く頭を下げた。

 

「ギャル子、僕のせいで嫌な思いさせてごめん」

 

 まさか謝られるとは思っていなかったギャル子は、小さく上げた両の掌をブンブン左右に動かし、

 

「あっ、あたしもっ。余計な事してメガネをガッカリさせちゃって、ごめんっ。ごめんねっ?」

 

 顔を上げた筒井はギャル子の奥が揺れている瞳を真っ直ぐ見据える。

 

「全然余計じゃないって。感謝してるって言っただろ」

 

 ギャル子は「そっか」と安心したように呟き、

 

「あたしもね? メガネが怒ってくれて嬉しかったから、トータルはメッチャプラスだよ? だから謝らなくて良いから、マジでっ」

 

 嘘ではないらしく、ニヤけるのが抑えきれない様子であった。そして思い切るように口を開いた。

 

「あたし、囲碁部入っても良いよ?」

 

「え……っ? ……いや、いいよ」

 

 小さな驚きの後に少しの間を置いて首を横に振った筒井。てっきり大喜びしてくれるものかと思っていたギャル子であったが返されたのはまさかの返事だ。

 

「ど、どうして?」

 

「……ギャル子はさっきの事に変な責任っていうか、そういう気持ちで入部しようとしてるんだろ? それはキミにとって良くないよ」

 

 筒井は声を震わせるギャル子の肩へ、そっと手を置いた。

 

「で、でもメガネの力になりたいっていうのは本当だよ? あんな風に言って貰えてマジで嬉しかったし、そういうのじゃダメ? て言うかさぁ、そんな選り好みしてる余裕無いっしょ?」

 

「そりゃ部員は喉から手が出るほど欲しいけど……。だからもし、ギャル子が本当に碁が打ちたくなったら入ってよ。それなら大歓迎だからさ」

 

「う、うん……。わかった……」

 

 釈然としないながらに頷いたギャル子。しかし筒井がどれだけ部員が欲しいかわかっている彼女にとって、自分の事を考えてくれた事が胸の奥を暖かな気持ちにさせた。

 

 そんな時であった──。

 

「ぐえ」

 

 漏れたのは筒井の変な声。何者かにヘッドロックを掛けられたのだ。いきなり何が何だかわからない。ただ苦しさを覚えながらも、甘い匂いと共に頬にとても心地良い柔らかな物体を感じていた。

 

「筒井テメェ! ナイス漢気だったぜ!?」

 

 オラ子だ。さらに「むぐぐっ!」と(もが)いている筒井の脳天に拳骨(げんこつ)がぐりぐりと押し付けられる。ギャル子のために怒ってくれた事を喜んでいるらしい。

 

 突然現れたオラ子とヘッドロック内の筒井へ、驚き交じりに交互に目を移すギャル子。

 

「オラ子……、いたの?」

 

「途中からね。本当はアタシもぶちかましてやりたかったんだけどさ」

 

 その必要は無かったと、オラ子は代わりにぶちかましてくれた筒井に、少しだけ柔らかな視線を送った。

 

 しかしそんな視線も、痛いやら苦しいやら、そして気持ち良いやらの筒井には全く届いていなかった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 狭い個室に2人掛けのソファが2つL字に置かれ、テーブルにはドリンクが3つと、紙皿に盛られたスナック菓子。駅前のカラオケボックスである。

 

 筒井、ギャル子、オラ子の3人で来ているのだが──、

 

「明日学校行きたくないなぁ……」

 

 時間が経過するに連れて、筒井がドーンと深い沈みを見せている。原因はクラスメイト達の前でキレてしまった挙句、どこかのドラマ染みたセリフまで吐いてしまった事だ。

 

「何でだよ。アタシはああいうの嫌いじゃないぜ?」

 

 言いつつ斜めからリモコンを押し付けて来るオラ子。筒井の右隣のギャル子は彼の手の中にあるリモコンをポチポチ操作しながら、

 

「そうだよ。あたしすげぇドキドキしたし。ねぇ、ムービー撮るからもう1回やって?」

 

「やだよっ!」

 

 ムービーと言われ、クラスの誰かが撮っていたらどうしようという嫌な考えまで浮かび始めた。

 

「はいメガネ。これ一緒に歌おう?」

 

 マイクを渡された筒井は何やかんやで楽しんでいる。代表の言葉通り、美少女2人をはべらせてのカラオケだ、当然である。入学してから囲碁部の事ばかり考えていた灰色の高校生活が、鮮やかに彩られた思いだ。

 

(楽しいなぁ。これがリア充ってヤツなのかっ)

 

 ちょっと調子に乗り始めた筒井。彼にはこういうところがあるのは昔からだ。

 

 

 皆のドリンクが空になり、ジャンケンで負けた筒井が廊下のドリンクバーを訪れた時だ。

 

 しかしタイミング悪く、何処かの私立らしき一風変わった制服を着た女子高生達で混雑していた。

 

 時間掛かりそうだな、と思いながらも順番を待っていると、彼女達の中に見知った顔を見つけてしまった。

 

「あ、海王の──」

 

 その際うっかり声を漏らしてしまい、ババババッ! と彼女達の視線が針のように突き刺さる。

 

「何? ナンパ? あの顔で?」

 

「あの眼鏡だっさ、絶対オタクだよね」

 

 オマケにそんなヒソヒソ話まで。筒井は顔を真っ赤にして視線を下げたところで、その見知った顔から「あら? あなたは葉瀬の──」と声が掛けられた。

 

「確か中学で海王(ウチ)にマグレで勝った人よね。えっと、筒井とか言ったかしら」

 

 マグレを強調するショートヘアーの彼女は日高由梨。去年、海王中囲碁部で副部長及び女子チームの大将を務めていた女である。

 

 本当は優しくて良い子なのだが、毒舌の持ち主で大会で1度しか顔を合わせていない筒井は彼女に良い印象を抱いていない。

 

「……名前、覚えててくれたんだ」

 

 どうにかそれだけ口にした筒井。自分からきっかけを作ったとは言え、別に用は無いのだが、日高の方からペラペラと話し始める。

 

「筒井君、高校はどちら?」

 

「葉瀬高だけど」

 

「また葉瀬? 芸がないのね」

 

「そんな無茶苦茶な……。大体キミも海王なんじゃないのか?」

 

 初めて言われたパターンの悪口に日高の毒舌さを再認識。海王高校の制服は知らないが、エスカレーター式なので間違ってはいないだろう。

 

 日高は淹れたてのコーヒーの香りをその場で楽しみつつ、

 

「もちろん。それで、高校でも囲碁部なんでしょう? 1年生はどのくらい入ったの? ウチは男女合わせて25人くらい入ったけど。ちなみにこの子達も囲碁部員よ、よろしくね」

 

「25人ッ!? すごいなぁ……。ウチは僕だけ……。て言うか囲碁部もまだ無い……」

 

 ちょっとくれよと思わざるを得ない格差に筒井の表情が暗くなっていく。

 

「囲碁部が無い? 何だ、折角だし他校の囲碁部と情報交換でもと思ったけど、話して時間の無駄だったわ。もう行っていいわよ」

 

「いや、飲み物入れに来たんだけど……」

 

 突っ込まれた日高は「あら」と不敵な笑みを浮かべ、連れ達がドリンクを入れ終わるのを待ち始めた。

 

 その間、後ろの筒井をチラチラ見てクスクス笑う彼女達。まるで下々の民を見るようなセレブ貴族だ。

 

 考え過ぎかもしれないが「どれにしようかなー、えーと、ちょっと待って」とわざと時間を掛けているようにも思えたり。

 

(早く部屋に戻りたい……)

 

 筒井がため息を吐き出したそんな時だ──。

 

「あー、いた。迷子になってんのかと思ったじゃん」

 

 姿を現したのは、筒井の帰りが遅いので様子を見に来たギャル子だ。しかし、見つかってホッとしたと言うより怒っているように見える。

 

「ああ、ごめん。もうちょっと待って」

 

 が、怒っている理由はそれではないらしく、ギャル子は筒井の隣で立ち止まるとドリンクバーに群れる女子達を睨みつけた。

 

「あんたらさぁ、メガネの事見て笑ってるように見えたんだけど」

 

 突然のヘソ出し黒ギャルの登場に、日高以外の海王の女子達に「な、何!? 誰!?」という緊張が走った。まるで豹に睨まれたカルガモの群れだ。

 

「何でもないって。ドリンク並んでるだけだから」

 

「何でもなくないし。友達笑われるとかムカつくじゃん」

 

 実際大した事ではないので筒井はギャル子をなだめるが、簡単に矛を収めてはくれる気配がない。ムカついてくれるのは嬉しくもあるが、囲碁部を作る前に他校の囲碁部と揉めるなど、益々先行きが見えなくなってしまうので本当にやめて欲しいところだ。

 

 そこで親玉のように、壁へ寄りかかりコーヒーを口へ運んでいた日高が面を上げた。

 

「筒井君、その子は?」

 

「クラスの友達だけど……」

 

 ふぅん、と意味深に口角を上げ、今度はギャル子に視線を送った。何か企んでいるような顔だ。

 

「ごめんなさいね? でもこの子達も悪気があって笑っていたわけじゃないの。ただ取るに足らない格下を相手にするのがあまり上手じゃないだけで。だから許してあげて?」

 

「はぁ? 何それ、結局メガネの事バカにしてんじゃん」

 

「そう──、なるかしら? でも事実を言ったまでよ?」

 

「え? あんたマジ何なの? つか何様?」

 

 まだ何処の誰かも知らないギャル子に日高から返されたのは、(あご)に手の甲を添えたお嬢様らしきポーズ。

 

「海王高校囲碁部1年、日高よ。よろしくね、汚ギャルさん♡」

 

「汚ギャルッ!? ふざっけんなッ! つかカイオーとか知らねぇし! つーかさぁ、あんたら碁が強いとか、たかがそんなんで偉ぶってるわけ!? マジさっぶ!」

 

「たかが? 私達の世界それが全てよ? 汚ギャルさんは碁は打てて? いや愚問だったわね、謝るわ」

 

 あくまで上から目線を崩さない日高。舐めに舐められたギャル子は殺意を込めた鋭い眼差しを叩きつける。

 

「あ? だったらテメェのお得意な碁で勝負すっか?」

 

 ここまでただオロオロしているだけの糞の役にも立たない筒井であったが、ギャル子のセリフに耳を疑った。

 

(え? ギャル子打てるの……?)

 

 聞くまでもなく打てないと思っていたので、これまで尋ねた事はなかった。しつこく入部を迫られたくなかったから隠していたのかな、と考えたり──、筒井は頭がゴチャゴチャし始めてしまった。

 

 予想外だったのは日高も同じようで、澄ましていた表情に驚きの色が映っている。

 

「あらビックリ。もしかして打てるの? でも残念、ここには盤も石も無いし、それ以前に歌いに来た私達にそんな無駄な時間も無いわ」

 

「逃げんのかよッ」

 

「逃げる? まさか。ただし、勝負したいのであれば、海王(ウチ)主催の新入生のみによる団体戦『若鶏戦』に出て来なさい。でも部すら無ければそれも無理な話ね、忘れて頂戴」

 

「はーん、じゃあ出るし。部作って出てやるし。そんでボコってやるし」

 

 ギャル子の宣言を受け、日高は満足げな表情で足を踏み出した。連れ達もカルガモのようにそれに続く。

 

「それは楽しみね。それじゃ、若鶏戦の詳細は海王(ウチ)のホームページに載ってるから」

 

 そして筒井の隣を横切る際に、

 

「良かったわね、1人入ってくれて」

 

 そっと耳打ち──。

 

(あれ? もしかして……)

 

 やけに挑発的だったのは、最初からギャル子を部に入れるためだったのでは、と筒井は考えた。

 

 そして離れた後に「ふう、世話が焼けるわね」などと漏らすのでは、とか考えたり。さすがにダメで元々のつもりだっただろうが、真相は本人のみぞ知るところである。

 

 

 海王達が曲がり角に消えたのを確認したギャル子は筒井に強気な目を向ける。

 

「メガネ。そういう訳なんで。あたし囲碁部入るんで。ちゃんと打ちたくなったら歓迎してくれるんでしょ?」

 

「う、うん。でも本当に良いのッ!?」

 

「モチのロンだし」

 

 ギャル子がまだ鼻息荒い怒り顔のままなので素直に喜びづらいが、内心では夢のように嬉しい。実際、夢じゃないだろうかと頬をつねったり。

 

 思わぬ展開からであったが、とにかく筒井は囲碁部設立へ大きく1歩近づく事が出来た。

 

 

 

 2人とも忘れ掛けていたが、ここにはドリンクを入れるために来たのだ。やっとこさ筒井がドリンクバーにコップをセット、ボタンを押したところで、隣のギャル子がモジモジとし始めた。

 

「あ、あのさぁ、あたし毎日お風呂入ってるから。しかも朝と夜、2回入ってるから」

 

「そ、そうなんだ。て言うか急に何の話?」

 

「だってメガネがあの女の言った事信じてお風呂週1の汚ギャルだと思われてたら、あたし死ぬし。……確認としてちょっと嗅いでみて?」

 

 シャツの襟を外側へ引っ張り、綺麗な小麦色の首筋を見せつけるギャル子。

 

 ギョッと身を引きそうになったのをギリギリで抑え、筒井は平静を装って次のドリンクを入れ始める。

 

「バカだなぁ、そんな事全然思ってないよ。えっとオラ子はオレンジだっけ」

 

「ね〜え、メガネ〜❤︎ ちゃんと確かめてくんなきゃや〜だ〜❤︎」

 

 今度は甘えるような声を出し、筒井の学ランをぐいぐい掴みせがみ始めた。

 

(う……! 可愛い……!)

 

 普段の彼ならば、どれだけせがまれようと恥ずかしくて行動には移せないだろう。

 

 だがカラオケで上がったテンションに部員がひとり増えたテンションが上乗せされた結果、案外呆気なく折れてしまった。

 

「わかったよ。恥ずかしいなぁ……」

 

「あ……❤︎ 息、くすぐったい……❤︎」

 

「や、やめてよ、変な声出すの……」

 

 周囲に誰もいない事を確認し、ギャル子の首筋にゆっくり顔を埋めると、ふんわりとリンゴに似た香りが鼻腔をくすぐった。自分はこんな所で何をやっているのだろうか、と冷めた気持ちの中にありながらも鼓動が高鳴っていく。

 

 しばしの無言が続き、堪え切れなくなったギャル子が耳元で囁いた。

 

「ど、どう……?」

 

「うん……」

 

「うんじゃわからないんですけど……。ちゃんと感想を述べて欲しいんですけど……」

 

「感想って……。いや、その、ずっとこうしていたいくら──」

 

 その時、カランカラァーン! という金属トレイが床に落ちた音が響き渡った。

 

 2人が口から心臓が飛び出しそうな程驚き、音の方向へ顔を向けると、

 

「つ、筒井……。お、おま、お前、何やって……」

 

「げ、加賀……。これは違くて……」

 

 そこに居たのはわなわなと震えるエプロン姿の若い男性店員。筒井とは中学も高校も同じの将棋部の加賀だ。どうやらこのカラオケ店でアルバイト中らしい。

 

「ぐ……ッ! 筒井ィィィ、いつの間にそんな大人の階段を……!」

 

 マジメ君と信じて疑わなかった筒井が黒ギャルといかがわしい事をしていた光景に打ちのめされ、通路の彼方へ走り去って行ってしまった。

 

「うわぁ、やばいなぁ……。明日ますます学校行きづらいって……」

 

 変な所を見られてしまった事に頭を抱える筒井。しかしそんな彼の気持ちなど知らぬ存ぜぬのギャル子が、何やら勝ち誇った笑みを浮かべている。

 

「ずっとこうしていたいくらい、良い匂いした?」

 

「ああそうだよッ! したよッ! 悪いかよッ! こんなのしょうがないだろッ!」

 

「ウケる、メガネがまたキレた」

 

 真っ赤になって叫んだ筒井に、ギャル子は腹を抱え笑い始めた。

 

 

 

 そんなこんなもあり、部屋へ戻った2人。ドアを開けた途端、そこそこ長い時間ひとりにされていたオラ子からぶつけられたのは、ギロリとしたおっかない睨みだった。

 

「……あんたらさぁ、アタシの事ほったらかして何かやってただろ」

 

 さらには低くドスの効いた声。だが筒井は動じるどころかきょとんとして、

 

「何かって?」

 

「エロい事」

 

 テーブルにドリンクを運ぶ彼の手が一瞬止まるが、すぐに何事も無かったように再開。

 

「何言ってるんだよ、こっちは色々大変だったんだから。あー何にせよ、部員ひとり増えて本当良かった」

 

「はぁ? 誰? つーか、いつ?」

 

 眉間にシワを寄せたオラ子へと、ギャル子が「はい!」と真っ直ぐ手を挙げる。

 

「あたしです。さっき囲碁部入っちゃった。黒ギャル棋士爆誕! つって」

 

「何で急に? さては筒井に脅迫されたか?」

 

「違うしっ。倒したい奴がいる、みたいな?」

 

 拳を突き出すポーズを決めたギャル子。やる気に満ち溢れているその姿に筒井は涙をほろり、オラ子は「ますますわからん」と頭を傾けるのであった。

 

 

 

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