筒井とギャル棋士   作:ようぺい

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10話 筒井の碁

 筒井の部屋にて始まった筒井vs日高の一戦。

 

 筒井が大会でも何でもないプライベートの一戦にここまで「負けたくない」と思ったのは初めてだ。

 

 去年の夏、中学囲碁大会で日高に葉瀬中をバカにされて「舐めるなッ!」と言い放った事があった。

 

 しかしその時は結局口だけに終わってしまった。海王には0ー3で敗れ、悔しさに涙を堪えきれなかった。きっと連中は「そら見た事か」と笑い、葉瀬など視界の彼方へと追いやってしまっただろう。

 

 だがもう1度だ。

 

 筒井はあの時と同じ想いを──、葉瀬を舐めるなッ! という叫びを石へと込めて、盤上へ打ち下ろす。

 

 打音の後にはカシャッ、という対局時計を押す音。この対局は大会試合と同じく時計を取り入れている。より本番に近づけようという趣向だ。

 

 

 気迫溢れる筒井の1手1手に冷静に応えていく日高。彼女は1年女子のトップであるが、男子を交えても海王中時代はナンバー3だった青木とも渡り合える実力者である。

 

 筒井をコテンパンにするのは気が引けるが、勝って当たり前の海王囲碁部に身を置く者として、この対局も一切手を抜かず全力で打つだけだ。

 

(去年の夏の大会から1年近く。久野君との副将戦の1局は見たけど、アレに毛が生えた程度じゃ勝ち目はゼロよ)

 

 

 途端、まだ30手も進んでいない序盤から日高の手が止まる。見つめるのはたった今筒井が打った黒石だ。

 

(配石から定石の型では甘いと見て、ヒラキではなくハサミか。なるほど、厳しい手ね)

 

 筒井が取った選択は、自身の安定を蹴ってでも相手の安定を許さないハサミ。それ即ち戦いの意思である。

 

(望むところよッ!)

 

 盤上へ叩き返す白石は受けて立たんとする1手。序盤から定石を外れての読み合いが始まった。

 

 両者の意地がぶつかり合い、反発が反発を呼ぶ戦いの中、日高が筒井に持った印象は、お? あれ? おやや? と──。

 

(意外とやる……?)

 

 まだ判断を下すには早い局面だ。しかしここまで甘いと思わせる手を打たれていない事も確か。

 

(隙が見えない……! て言うか見せればやられる……!)

 

 黒と白が競り合う最中、筒井の置いた黒石が日高に困惑を覚えさせた。

 

(急所を手抜いてボウシ? だったら遠慮無く打たせて貰いたいけど……)

 

 急所とは文字通り自分にとっても相手にとっても急いで打つべき所。オセロの角のように重要な場所だ。それを打たずしての露骨過ぎる緩着に、日高が訝しげにジッと盤を見下ろす。

 

 一見一気に流れを引き寄せる好機にも思えるが、ここまでの打ち方からしてどうにも罠っぽい。口元を隠すように指を当て、深く読みに入る。

 

(──ダメ、急所打ちに対してはオサエで間に合ってしまう。構わず切っても、ツケコシからの反撃でこのボウシが絶好の位置ってわけ……。公宏、よく読んでるじゃない)

 

 弱い奴が打てる手ではない。この時日高は筒井が夏の大会とは別人のように強くなっている事を確信した。

 

 顔を上げれば、その先にあるのは真剣な顔で盤へ目を落としている筒井。彼の成長ぶりを目の当たりにし、気持ちが抑え切れずについ声を掛けたくなってしまった。

 

「正直驚いたわ。ここまで打てるだなんて思ってもいなかった。舐めていた事謝らせて?」

 

「…………別に謝って欲しい訳じゃないよ。ただ葉瀬だってキミ達海王にも勝てる事を証明したいだけなんだから」

 

 余程集中していたのか、少しの間を置いて目を合わせた筒井。彼の剥き出しの闘争心に日高は口角を上げて応える。

 

「あらそう。でもさすがに勝てるは言い過ぎだと思うけど。公宏こそ海王を舐めてない?」

 

「これっぽっちも舐めてないよ。それでも勝つさ」

 

「威勢が良いのは相変わらずね。だったらここから先、私をガッカリさせないでよっ?」

 

 小さく「ふっ」と笑みを零した日高は、再び盤に視線を落として石を掴み取った。

 

 

 

 ここらで互いに矛を収めませんか? などと言う手はどちらも打たない。妥協などしない。その両者の強い意思が盤面全土に戦火を拡大させていき、戦いは変化複雑な大乱戦へと突入した。

 

 石が複雑に絡み合った目まぐるしい盤面だ。これが打ち手の精神をすり減らす。戦場が広まれば読まなければならない場所も増えていくからだ。

 

 難解な盤面をそのまま写したように、日高の表情は険しい。だがその理由はもうひとつあり──、

 

(難しい形をあっさり……! しかもどれも厳しい……!)

 

 一歩間違えば谷底の、細く高い道を駆けるような乱戦。日高はじっくり時間を使いたいのだが、筒井の早打ちに焦ってしまう。

 

 その気持ちごと抑えるように、左手で右の二の腕を掴み押さえる。

 

(落ち着け……。だけどこんなに早く打てるものなの……? もっと長考タイプかと思ってたけど……)

 

 時計に目を向ければ、日高は筒井より倍以上の時間を使っていた。というより、筒井が日高の半分しか使っていなかった。まるで早碁だ。

 

 筒井は石の形で判別し、読まなくても良い場所を切り捨てるのが日高より格段に上手く、なおかつ読み自体のスピードも速い。それは本当に必要なところでじっくり時間を使えるという有利性を生み出す。

 

 そんな早打ち技術を自分の物に出来たのは極々最近だ。

 

(代表と昼休み打ってたおかげだな……)

 

 昼食を食べてから、残り少ない昼休みでこなしていた代表との対局。普通のスピードでは途中で時間切れになってしまう。1局打ち切ろうとするために筒井は早く、それでいて丁寧に打つ事を心掛けていた。

 

 だがそれだけではない。ただ早く打つ練習ならば他の者もいくらでもやっているだろう。違うのは、代表と打つ時間は筒井にとって特別だったという事だ。

 

 今でこそ放課後も代表とは打てているが、ほんの2〜3日前までは昼休みにしか打てなかった。

 

 呪いとも呼べる訳のわからない制約を課してしまった彼女自身にとって、昼休みは普通に過ごせる大切な時間だったはずだ。筒井はそんな彼女に打って貰える数十分を1秒足りとも安く使いたくはなかった。そして楽しい事など全て放棄していた彼女にも対局を楽しんで欲しかった。

 

 1局に込めるエネルギーがまるで違うのだ。極限まで集中し、思考を最大限まで加速させ、読みの精度を維持したまま速度を上げる。呪いに縛られていた代表相手だからこそ得られた莫大な経験値が、この複雑な局面で活かされている。

 

 広く、深く、早く、正確に読む──。

 

 言うなれば筒井は見た目や性格に反して、乱戦になればなるほど強さを発揮する剛腕タイプへと成長したのだ。

 

(よし、上辺は取られたけど小さい。中央に出来た厚みで僕にやれる展開だ!)

 

 筒井が乱戦の末に主導権を掴み取った。残された手付かずの戦場を見据え、このまま積極的に戦いを仕掛け勝利も掴み取る勢いだ。

 

 

 

 読み負けた展開に、日高の顔から血の気が引いていく。

 

(まさかここまで……。悔しいけど海王(ウチ)の1年女子じゃまず歯が立たない、男子でもどれだけいるか……)

 

 流れは完全に失った。突けそうな弱点も見当たらない。だが薄っすらとだが光が見える。淡く、頼りない、しかし残された唯一の光。

 

(右辺、いけるか……? けどさすがに中央が厚過ぎて……)

 

 目を伏せる日高。強大な厚みを持たれた上に、日高に読み勝った事で流れに乗った筒井相手には厳しい選択だ。

 

(ダッサいなぁ……。公宏を散々雑魚扱いした挙句このザマって……)

 

 自分が筒井ならばザマアミロと笑ってやるだろう、と形勢の悪さ以上にその恥ずかしさが日高の闘争心を失わせていく。投げるには早過ぎる局面にも関わらず、投了へと心が傾いていく。

 

 チラリと上目使いで筒井を見れば、尚もプライベート対局とは思えぬ真剣な表情を保っている。対局時計を持ち出した事もそうだし、まるで大会のような雰囲気だ。

 

 そういえば、とふと思い返す。

 

(今朝走った時に言ってたっけ。海王に勝ったとか……)

 

 普段特に走っていないと言っていたにわかランナー筒井があれだけ走れていたのは、海王を倒す事にやはり特別な思い入れがあるのではないだろうか、と日高はそんな気がした。

 

 ここで投了してあっさりと勝ちを許せば、喜びの一方で「海王はこんなもんか」と思われてしまうだろう。

 

 少し歯を食いしばる。嫌だと思った。舐められる事に対してではない。思い入れだか何だか知らないが、筒井を大切にしたい日高は、筒井にとって大切であろうそれを「自分が目指したのはこんなもんか」という安いモノにしてしまう事を嫌だと思った。

 

 だったら負けられない。全力を──、死力を出し尽くしても、届かない壁でありたいと思った。

 

 弱々しかった右手が強く握り込まれた。両の瞳は鋭い眼差しを形取り、盤上に残された勝機を真っ直ぐに見据えた。

 

(右辺──、ここしかないッ!)

 

 白の碁笥から掴み取ったのは覚悟──。

 

 盤上へ打ち下ろすのは不屈の意志を込めた覚悟の一撃だ。

 

(勝負ッ!)

 

 元より盤上に流れなど無い、あるのは石だけだと言わんばかりに己を奮い起たせた怒涛の猛追が始まった。

 

 海王の部員の数は他を圧倒する。それだけ様々な碁、感性に触れる機会があるという事だ。それは同じ相手ばかりや、打って終わりのネット碁では到底得られない経験値となる。

 

 読み合いでは筒井に遅れを取ったが、中学からおよそ3年強、3桁以上の海王部員達に磨かれた感性は筒井など足元にも及ばない。

 

(右辺はシノギ切った! これでまだ届く!)

 

 日高の巧みな打ち回しに、勝勢だった筒井の表情に暗雲が立ち込める。

 

(う、上手く攻めをかわされた……。これじゃあせっかくの厚みが囲うだけに終わってしまう……)

 

 筒井は大金払って銃を買ったのに弾が盗まれたような状態。弾が無いので銃でぶん殴るしかないという、支払った大金に釣り合っていない損な展開だ。

 

 筒井は全力で打ち合うが、もう戦いの場は限られており、得意とする盤面広範囲に及ぶ乱戦は起こらない。そうなるとこの中盤戦、総合力で劣る筒井が不利だ。

 

 日高の持ち時間は既にゼロ、1手30秒以内に打たなくてはならない。しかし追い詰められたからこそなのか、ここに来てさらなる強さを発揮している。

 

 両者の差がぐんぐんと縮まっていく──。

 

(並んだ! いや、私の方が少し厚い! このままゴールまで駆け抜ける!)

 

 局面は終盤戦に突入、この時点で日高は9割方勝利を確信していた。

 

 しかしそれは筒井を知らな過ぎるゆえの甘い見通しだ。

 

(い、いけない……ッ!)

 

 彼女の目を大きく見開かされたのは、見事と言うべき筒井の圧巻のヨセ手順であった。

 

(何て正確なヨセ……! 不味い、離される……!)

 

 筒井にはこれだけは負けないという武器が2つある。第一の刀、乱戦時の読み、そしてこの終盤に抜いたのは第二の刀、他の追随許さぬ正確無比のヨセだ。

 

 身を断ち切らんと食い込んでくる第二の刀に、日高の頬を汗が伝わり落ちた。

 

 手番が回って来ても何も出来ない。ただ刀がこれ以上食い込まぬようにするだけで精一杯だ。筒井を咎められる手は皆無──。

 

 

 

「3目半……!」

 

 (こうべ)を垂れた筒井が噛み締めるように口にした。これが持てる力全てを出し切った結果だ。

 

 膝の上で拳をギュッと握り締める。掴み取ったのは勝利──。

 

「僕の3目半勝ちだ……!」

 

 喜びに弛緩せず、真剣な表情のまま顔を上げた筒井は、日高へと対局結果を突き付けた。どうだ! 参ったか! これが葉瀬だ! 舐めるなよ! とその目が語っている。

 

「ここの所は失敗したわ。先に利かしを打っちゃったけど、こうしてサガリを打った方がヨセで得してたのよね」

 

 ふんっ、と少しふてくされた感じで盤上の石を動かす日高。その様子は筒井としては意外であり、思わずきょとんとしてしまう。

 

「あ、あれ? 僕なんかに負けたら、もっと悔しがるかと思ったのに」

 

「悔しいわよ。負けたら悔しいに決まってるじゃない」

 

 ちゃんと悔しがってはいるのだろうが、釈然としない。何故なら筒井は、

 

『バ、バカな……!? こんな事ありえないわッ! 私は、私は海王なのよ……ッ!? そうよ、これは何かの間違い、そうに決まっているわ!』

 

 みたいなのを本気で期待していたからである。

 

 そんな勝手な事を考えられているとはつゆ知らず、日高は短く息を吐いて言葉を続ける。

 

「……悔しいけど、公宏が強くて嬉しいって気持ちもあるわ。あなたとは碁以外で仲良くなろうって思ってたくらいだし、ますます好きになっちゃった」

 

「す、好き……?」

 

 ポカンとする筒井に日高は柔らかな表情で頷いた。

 

「ええ。好きよ、公宏。私はあなたが好き」

 

「そ、そんないきなり……! からかってる……?」

 

 筒井は赤くなった顔を右手で隠すように何度も眼鏡をくいくい上げる。

 

「ううん。本当に大好き。好きで好きでたまらないわ。ああ、念のため言っておくけど友達としてね」

 

 最後の念押しで勢い余って眼鏡がおでこまで上がってしまった。しかしたとえ友達としてでも、女子どころか誰かに「好き」と言われた事のない筒井は悪くない気分だ。

 

 それなら僕も友達として好きって言った方が良いのかな、と筒井がドキドキしながら迷っていると、日高にしては珍しく遠慮気味にぼそぼそと喋り始めた。

 

「……教えたくなければそれでも構わないけど、あなたの腕は部の中でどのくらいの位置かしら」

 

 筒井にはその質問に、葉瀬も警戒しなければならないという日高の意思が見えた。まだ創部ひと月にも満たない葉瀬を海王が気にしているのだ。部長としてたまらなく嬉しい。

 

 どのくらいの位置かと聞かれれば、まず代表は論外だが、筒井はオラ子にも勝った事がない。囲碁部に入ってからとてつもない早さで成長し、代表も「あの子は天才」と称している。

 

「4人中、僕は3番目かな。4番目の子には3回に1回負けるくらいだから、抜かれちゃうかもしれないけど」

 

 その言葉は日高に衝撃を与え、表情に緊張が広がった。筒井が大将を張るチームであったなら、1年生のみが出られる若鶏戦でも海王の敵ではない。

 

 だが今自分に勝った筒井が三将クラスという事になれば話は別だ。実際は代表が「私は出るつもりないから補欠にして」と言っているので少し違うのだが、どちらにせよ楽観視出来る相手ではない。

 

「……何よ、ちゃんと強いチームじゃない。それに、カラオケにいたあの子も戦力になったみたいね」

 

「ギャル子? うん。キミを倒すって燃えてるよ。そう言えばあの時わざとギャル子を挑発したんだろ?」

 

「あら、気が付いてたのね。部申請の頭数になれれば儲け物くらいに思ってたんだけど、やりたくもない悪役を買って出たかいがあったわ」

 

 ニヤリと怪しげな笑みを浮かべる日高の顔は本当に悪役っぽい。

 

「でもどうしてそんな事を? 葉瀬に囲碁部が出来ようと出来まいと、キミには関係ないのに」

 

「大いにあるわよ。自分のやってる競技の人口が増えたら嬉しいでしょ? 大会だって参加校が多い方が盛り上がるし」

 

 なるほど、と筒井は納得。碁の人気が下火なのは勧誘の日々で骨身に染みている。

 

「それもそうだね。でもあれは悪役を買って出たって言うより、キミって元々あんな感じな気がしたけど……。他の女子達と一緒に僕の事笑ってたし……」

 

 海王女子達による「クスクス、キモいねー」だのの嘲笑は今でも忘れない。

 

「わ、私は笑ってないわよ? そう、囲碁部でもないあなたなんかに何の興味も無かったものっ! あなたなんてバカにする価値すら無いゴミクズだと思ってたの! 本当よ! お願いだから信じて!」

 

 日高が必死に何の弁明をしているのかさっぱりわからず、筒井は心底嫌そうな顔をする。

 

 が、次の瞬間には日高は「ふっ」と笑い、

 

「でもそれも遠い過去の事。今は掛け替えの無い友、いずれは互いに全てをさらけ出せる親友になりたいとさえ思っているわ」

 

「し、親友……。ゴミクズから随分上がっていくなぁ……」

 

「そういう訳で、休憩挟んだらもう1局だから。洗濯物取り込んで来るわ」

 

 言いながら立ち上がった日高。ところが何故かドアではなく、筒井の後ろへ回り、突然ギュッと首に腕を回し抱き着いてきた。

 

 脈絡の無い行為に筒井は驚きながら後ろを向こうとする。首の後ろには日高の頬が触れ、背中にはノーブラの胸の感触まで。しかし囲碁部で黒ギャル達に鍛えられている彼にとって、この程度屁でもない。

 

「何すんのさ。洗濯物取り込むんだろ」

 

「良いじゃない、友達同士のスキンシップは大切よ?」

 

「キミ、学校の男友達ともこんな事してるの……? 何か心配になってきた……」

 

 紳士かつ、精神鍛錬を積んだ筒井だからこそ何も起こらずに済んでいるのだ。痛い目に遭ってからでは遅いのだ。筒井以外の男は漏れなく怖いのだ。

 

 日高は筒井の言葉にムッとして、さらに体重を掛けてくる。

 

「まさか。こんな事するのは公宏だけよ。て言うか公宏からもこうやって気軽にスキンシップして欲しいんだけど」

 

「こうやってって……。女の子に抱き着くとか出来る訳ないだろ」

 

「女とかあまり気にしなくて良いのに。男女を超えた友情関係って素敵じゃない?」

 

「無理言わないでよ……。もう離れてってば」

 

 背中に女を主張するモノをむにゅむにゅ押し付けられては何の説得力もない。突き放すように言われた日高は「あら残念♡」と筒井の頬にチュッと音を鳴らした口付けをした。

 

 これには筒井も苦笑い。

 

「それはやり過ぎじゃないかな……」

 

「よし、友情パワー充電終わりっと。もう公宏の打ち方はわかったし、次は負けないからね」

 

 パッと体を離した日高は満足げな笑顔をして、今度こそ部屋を出て行った。

 

 筒井はバタンと閉められたドアを呆れた顔で見つめながら、

 

(やれやれ。大変な子と友達になっちゃったな……。もしかして欧米に住んでたとか?)

 

 と、呑気な事を考えていたのだが、ドアを挟んだ廊下では──、

 

(やっちゃった……。どうしよう、はしたない女だって思われたかも……)

 

 立っていられない程足を震わせている日高の姿があった。これ以上無いくらい両目を大きく開き、口を両手で覆い息を荒くしている。

 

 友達として好きという言葉に嘘はないはずなのに、心も体も筒井を求めてしまいどうしようもなかった。

 

(だって今日よ? 公宏とは今日やっとまともに話し始めたばかりなのに、こんな事ってあるの……?)

 

 自分の気持ちがハッキリしない。抑えきれない筒井への想いも、もしかしたら体目当てもといマッサージ目当てなのでは、とさえ思ってしまう。それは真面目な日高としては受け入れたくない答えだ。

 

(ちゃんと自分の気持ちと向き合って、まずはそれからよ。ああ、でものんびりしてたら他の女に取られるかも……)

 

 他の女という考えが出て、ふと思う。

 

(公宏ってやけに女馴れしてない……? さっきだってくっついても全然動じなかったし……。まさか意外とモテるのかしら……)

 

 見えない女の影が黒い渦となり、日高の胸を嫌な予感で埋め尽くしていった。

 

 

 その後は日が落ちるまで碁を打ち、夕食を食べ、リビングのソファでテレビを見ながら隣の筒井に軽くベタベタしていた日高。

 

 一緒にいればいるほど好きになっていく。その頃には、やはりこの気持ちは友達という枠の中では収まりそうにないと確信していた。

 

 告白する勇気はない。散々「友達として好き」と言ったばかりなのでなおさらだ。だが今度はその言葉を武器に「友達同士のスキンシップだけど? 普通だけど?」と筒井にしがみついたりと、仮初(かりそ)めの幸せに浸っていた。

 

 しかしヴーヴー、と先刻の嫌な予感が的中するかのように筒井のスマホが震え始めた。メールの受信だ。

 

 日高は筒井がポケットから取り出し操作するスマホをつい覗き込んでしまい、表情をハッとさせた。

 

(お、女……!?)

 

 チラリと目に入ったのは津田久美子の名前。こうしちゃおれん、と思い切り体を傾けて、筒井の胸元とスマホを持つ手元の間に頭を割り込ませる。

 

「いくらなんでも覗き込み過ぎじゃないかな……」

 

「津田久美子……。女よね? 説明して貰えるかしら? 友人として公宏の女関係を把握しておく義務があるもの」

 

「義務って……。葉瀬中囲碁部の後輩だよ。明日ウチの囲碁部と練習試合するから『明日楽しみですね、よろしくお願いします』って、それだけ」

 

「ふぅん……」

 

 中坊か、と日高は少し安心。しかしその直後、再びスマホが震え始めた。

 

「あっと、今度はギャル子からメールだ。ふんふん、明日の待ち合わせ時間の確認か」

 

「ギャル子……。あのお腹出したギャルね。公宏はああいうエッチっな格好した子の方が好みなのかしら? 友人として公宏の好みを把握しておく義務があるもの」

 

「だから何その義務……。んー、エッチっぽいかはともかく、ギャル子は好きなタイプだけど……。えへへ、こういう事言うの照れるね」

 

 言われた日高は己の格好を再確認。色気ゼロの服装にふて腐れるように倒れこみ、筒井の膝に頭を乗せた。

 

「そうよね。私みたいに、こんなセンスのかけらも無いだぼだぼスウェットの生活感丸出しのイモ女より良いわよね」

 

「それ僕が貸した服なんだけど……」

 

「うるさいクソバカ」

 

「えぇ……」

 

 膝枕のままテレビに顔を向け、いじけた返事を返され筒井は戸惑うばかりだ。

 

 

 

 しばらく無言の時間が流れていた。

 

 やっている番組も微妙なので、筒井は日高の体で軽くドラムの真似事をして暇を潰していたのだが、それにも飽きたので大きく伸びをしながら大あくび。

 

「もうそろそろ帰りなよ。明日早いんでしょ?」

 

 筒井が時計を確認すれば夜の9時前。テレビにはスタッフロールが流れており、時間的に明日合宿の日高を帰らせようと思ったのだが、

 

「泊まる」

 

 早い返事だった。まだいじけているようで、ツンとした口調のままだ。

 

「ダメ。女の子は泊められないよ。友達でも親友でも、やっぱり男と女なんだからその辺はやっぱりケジメ付けなきゃ」

 

 真剣な眼差しに負けるように、日高は目を伏せながら頷いた。残念な反面、筒井が流されないしっかりした人間だとわかり嬉しくも思う。

 

 よいしょ、と体を起こした日高は眉を下げながらも笑顔を作っていた。

 

「わかったわ。次いつ会えるかわからないし、名残惜しいんだけどね」

 

「家近いんだからいつでも会えるよ。送って行こうか? 僕もちょっとコンビニ行きたいし」

 

 先にソファから腰を上げた筒井であったが、服を掴まれてしまう。

 

「でもその前に、何か忘れてない?」

 

「忘れるって何が?」

 

 日高は拗ねたように口を尖らせる。

 

「お昼にカレー作ったらマッサージしてくれるって約束でしょ? しつこいと嫌がられると思って黙ってたのに……。焦らし過ぎよ。マッサージしてくれなきゃ帰らない」

 

「あ、ああ、そうだっけ……。でも夜だしあんまり大声出さないでよ?」

 

「善処するわ」

 

 ハッキリ約束した訳ではないが、カレーの他にも作り置き料理を作って貰った恩はある。だったらまぁ良いか、と筒井は了承したのだが──。

 

 

いッ❤︎ おお゛ッ❤︎ あへッ❤︎ しんじゃうッ❤︎❤︎❤︎ あッ❤︎ あ゛〜〜ッ❤︎ 公宏ぉッ❤︎ 公宏好きぃ〜ッ❤︎ 公宏のお嫁さんにしてぇッ❤︎❤︎❤︎ ────

 

 

 筒井が玄関先で頭を下げている。筒井の前にいるのはお隣さんで、怖そうなおじさんだ。

 

「もう夜の9時過ぎてんだわ。わかるよな?」

 

「はい」

 

「スゲェ響くのな? 普通に大声とかなら多少は我慢するよ? だけどああいう声はダメだろ。子供に聞かせんのは良くないってわかるよな?」

 

「はい」

 

「俺の言ってる事間違ってるか? 間違ってないよな?」

 

「はい」

 

「お前さっきから『はい』しか言ってねぇけど、ちゃんとわかってんの?」

 

「はい」

 

「はは、お前面白い奴だな。なぁおい」

 

「あはは」

 

「何がおかしいんだよ。何も面白い事言ってねぇよな?」

 

「はい」

 

 日高の卑猥な喘ぎ声のせいで筒井は散々であった。そしてこう思うのだ。

 

(とほほ……。マッサージなんてこりごりだよ……)

 

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