互いの囲碁部への入部、復帰を賭けて対局をする事になったオラ子と三谷。駅前繁華街にあるビル地下の碁会所へ訪れようとしていたのだが──。
三谷の前を行くオラ子が、階段を下りてすぐの『囲碁さろん』の札が付いた木製ドア前で立ち止まってしまった。
何やら緊張した面持ちだ。碁会所未経験の彼女には、この場所も雀荘のように、いかにも大人の遊び場に思えるのだ。
見た目も気も強そうなオラ子だが、先月までは中学生、無理もない。
が、リアル中学生の三谷の手前怖いなどとは言っていられない。
「ア、アタシが付いてるからな。ビビるなよ?」
「……早く入れよ」
オラ子から少し震えた声が出たところで、舌打ち交じりに後ろからドアノブに手を掛けた三谷。心の準備をする間も無く、さっさと入店されてしまった。
おっかなびっくり後に続いたオラ子。思った程人はいない。片手で数え切れるくらいで、煙草を咥えた厳ついパンチパーマの店員の姿も見えなかった。
そしてやけに嬉しそうな声が耳に入った。
「おや、三谷君。夏休み以来だね〜」
「ども」
白髭のお爺さんだ。お茶を運んでおり、この店の席亭らしい。ニコニコとした笑顔で三谷のそばまで歩み寄って来た。
席亭へ軽く頭を下げたそんな三谷へと、他の中年男性客達から「久しぶりだな、あんちゃん」と言った声が掛かり始める。
「まさかお前、ここ常連なの?」
「まあね。夏休み終わってから来てなかったけど」
オラ子は年下ながら大人の遊び場で堂々としている三谷に感嘆の声が漏れそうになった。
「そちらは三谷君のお姉さんかい? 確か高校生のお姉さんがいるって言ってたものね」
「いや、先輩の高校のクラスメイト。ちょっとあって、打つ事になってさ」
「ほお、そうかい。そうだ2人とも、お菓子食べるかい? 美味しいのがあるんだよ」
可愛い孫に接するような物腰の席亭。その様子にオラ子はすっかり緊張が抜けてしまった。
早く対局を始めたい三谷は「いいよ」と言うのだが、返されたのは「本当に美味しいんだって」という弾んだ声。
棚を漁りながら色々尋ねて来る。
「学校はどう? 部活頑張ってるかい? お友達とケンカとかしてないかい?」
本当に久しぶりに会った孫のようだ。三谷も邪険にせずに適当な返事ながらも相手をしている。部を辞めた事は言っていないらしく、きっと余計な心配をさせたくないのだろう。
そんなのどかな光景にフッと小さな笑いを零したオラ子は、少しでも勘を取り戻しておこうと他の客達の対局を覗かせて貰う事にした。
「お、こりゃ参ったねぇ。美人のお姉ちゃんが見に来ちゃったよ」
「だはは、スカート短過ぎて集中出来ないなぁ」
笑う中年男性達のいやらしい視線は相手にせず、盤上石の並びをジッと見つめる。自分が打っているつもりで、競り合い交差する石の変化を考えられるだけ考える。
(おっさんって言っても大した事ないな。どっちも互いのミスに助けられてら)
碁は小学生以来全く打っていない。はたから見るのと実際に打つのは違うかもしれないが、それでもこの2人には負ける気はしなかった。
彼らの対局に興味を無くしたオラ子は手近にあった店が置いている囲碁雑誌へ手を伸ばした。パラパラとめくっていると目に入ったのは毎日見ている人物の顔だ。
(これ、アニキの打ったやつか。プロの碁なんかイマイチわかんねぇけど、やっぱ強いんだな)
棋譜と一緒に掲載されている記事には『倉田圧勝!』だの『タイトル射程圏内か!?』だの、兄を褒め称える文字がやたらと並んでいる。
少しばかり誇らしい気持ちになっていると、着いていたテーブルにお茶と和菓子が運ばれて来た。
「お姉ちゃんもお菓子お食べ?」
軽く腹ごしらえ、そして今後の学校生活を左右する対局の開始である。
◆
「アタシが黒だな」
手番を決めるニギリを終え、オラ子は黒の碁笥を手元に寄せた。
早速打ち出さんと石を掴み取ろうとした時だ。
「お願いします」
三谷がペコリと頭を下げて来た。
「ん? あ、ああ。お、お願いします? 何かお前、変なところで礼儀正しくてウケんな」
当たり前の作法なのだが、オラ子がこれまで打った相手は児童館で碁を教えてくれた小学校高学年の子供2〜3人と、自分の兄だけ。誰もそんなご丁寧なマネをしなかったので面食らってしまった。
そして三谷は「おいおい」とオラ子の言葉に嫌な予感がして眉を寄せる。もちろん勝つつもりだが、オラ子があまりのヘボで瞬殺では興醒めだ。
「まさか人と打った事無いとか言わないよな。碁会所も初めてみたいだし」
「ちゃんとあるって」
「……ここまで来といて、あんまがっかりさせんなよ?」
対局が始まった。あまりにも久しぶりなので戸惑う様子が見られたオラ子であったが──。
「小学生の途中で辞めたってのが本当なら大したモンだ。……て言うか結構やるじゃん」
ひと通りの布石を終えた時点での優勢は三谷。が、まだ全力でないにせよ、もう少し差を付けられると思っていた。
「お、上から言うね。もう勝った気か?」
ハハッ、と笑ったオラ子。勘を取り戻しつつあるのか、三谷相手にどうにか喰らい付いていく。
(そうそう、こんな打ち方だ。しゃっ、勝負はこっからよ!)
そして打ち放つのは宣戦布告──、白の陣地を踏み荒らさんとする1手だ。
気になっていた薄みをドンピシャで突かれ、三谷の瞳に苦しさが映った。
(……良い所打たれちまったな。こちらが好形を気にしてゆるめればワタられる。悪形で癪だがグズんで攻めてやる!)
働きに乏しい悪形を打たされながらも、自陣に飛び込んで来たオラ子の黒石を攻めに掛かる──。
地を減らされた。何もしなければ三谷の丸損だ。だったら三谷はこの敵陣へ単身突入して来た脆弱な黒石をいじめ抜いて、減らされた地以上に何かしらの儲けを得なければならない。
対してオラ子は出来る限りいじめられない様に石の安定を図る。ここで始まったのはそんな戦いだ。
そしてここからが超接近戦、読み同士のぶつかり合い──。
(気合いでグズんで来たか! 上等ッ!)
歯を見せた不敵な笑い。始まったケンカに胸を
互いに思考をフル加速させ、相手の読みより一歩でも、半歩でも前へ出ようとする。
双方互角の競り合いが続き、より前へとその身を出したのはオラ子だ。
(そのコスミじゃアタシにゃ響かないぜ! 伊達にアニキのサンドバッグにされてた訳じゃねぇんだ!)
碁を覚えあっという間に初段、高段、院生、そしてプロへと駆け上がったオラ子の兄。互先では勝負にならなくなってからも、その間彼とは毎日打っていた。
そして毎日ボコボコにされ泣かされていた。ハンデの置石を置いた事もある。それでも置石が減るどころか増えていく始末。碁が嫌になる程の連敗に次ぐ連敗──。
そんな兄の攻めに比べれば、三谷のそれはヌル過ぎた。
攻撃的な性格とは対照に、オラ子の棋風は相手の攻撃をかわす事に特化した超防御型──。
それは荒らしに生きる。敵陣に飛び込んだ脆弱な自石に、好手、妙手たる打ち筋で生命の息吹を与え、相手の攻めを許さない。
(あ、あっさりと眼形を作りやがった……! このまま中央に突き抜かれては大損だ! この女、序盤とはまるで別人のように巧い!)
見事な手順を目の当たりにし、口元を押さえた三谷の頬を汗が伝わる。まだ中盤戦の始まりが終わったと言っていい局面、先は長い。それでも全力を出さねばならない相手だと思い至るには十分な打ち筋であった。
(マ、マジかよ……!)
激化する中盤戦の戦い。その中で、盤面をそのまま写すかのように、三谷の表情に陰が見えている。
(あっちもこっちも根こそぎ荒らしやがって……! これじゃ地が足りねぇ……!)
目を見張る巧妙な手筋の連打で三谷の攻めをかわしつづけるオラ子。しかしその反面、あまり他は得意ではないらしく、そのため総合的にバランスの良い三谷は何とか投了寸前の崖っぷちで踏みとどまっている。
(つっても、こいつブランク何年だっけ……? 5〜6年……? 何だそれ、ふざけやがって……!)
才能の塊に目眩がしてしまう。不得意と思われる分野も勘が鈍っているだけで、少し練習されたらもうわからないかもしれない。それでも賭けはこの1局のみ。今、ここで勝ってしまえば先の事など関係無い。
(こいつが囲碁部に入れば大会でも成績が残せるだろう。そうしたら少しは注目され人も集まる。……1回くらいは後輩として頑張ってやるか)
三谷は猫のような目を見開き、深く息を吸い込み、止める──。
探すのは勝機へと繋がる隙。いや、針の穴程度さえあれば無理にでもこじあける。
息苦しさを奥歯を食い縛って噛み殺す。ただ意識を盤上だけに注ぎ込む。
(──ッ!)
瞬間、目に映ったのは逆転の兆したる細く、弱々しい光明。三谷はそれを掴み取るように、鋭く盤上へ石を撃ち放った。
交点で小さく揺れ動き、やがて静止したその白石にオラ子の口元が緩む。
(……白3子を捨て石にして下辺の一団を攻め合いに持ち込むつもりか? かと言って、マゲて反発しても急所に置かれて要の黒の5子が取り込まれる──。きっついなぁ、こりゃ一本取られたわ)
打たれたそれは、見えていたゴールを打ち崩す痛恨の一撃だ。一気に形勢を戻されたにも関わらず、ショックを受けるどころかワクワクしてしまう。
(さーて、どうすっかなー)
そしていつの間にかそんな楽しげな気持ちになっている自分に「あれ?」と思い始めた。
碁などつまらないはずだったのだ。それでも三谷との、勝つか負けるかわからないこの対局は心が踊って仕方がない。
そうだ、勝つか負けるかわからないから楽しいんじゃないかと──。
(……こんな対局が出来るなら、あいつらに付き合ってやっても良いかもな)
◆
「約束だからな。ちゃんと筒井さんの囲碁部に入れよ」
「わかってるよ。つーか碁、面白かったし、賭けが無くなったって入る気だけど」
階段を上がり地上へ出ると、夕陽も半分沈んで薄暗くなっていた。
オラ子は惜しくも負けてしまった。囲碁部に入るのは構わないのだが、三谷を囲碁部に戻せないのは残念に思っている。
「なあ、腹減ったんだけどメシ食わね?」
「奢りなら」
「まあ良いけど。こんな美少女にメシ奢らせようとか、お前ジゴロの素質あるな」
淡々と答えた三谷と共に、オラ子は足を繁華街通りへと向けた。
すると──。
「三谷……」
繁華街を歩き始めたところでバッタリ出会した少年。前髪だけ金髪の私服姿である。本屋の袋を下げており、買い物帰りらしい。
気まずそうだ。三谷が舌打ち交じりに目を逸らすと、少年も次に続く言葉が出て来ない様子だった。
「学校の友達?」
「こんな奴友達なんかじゃねぇよッ」
きょとんとしたオラ子へ返されたのは、三谷による強い否定を感じさせるセリフだ。
「ああ、お前たちケンカしてんだろ? もしかして三谷を囲碁部に誘っといて、先に辞めた奴ってお前?」
「そ、そうだけど……。て言うかあんた誰だよ」
「アタシ? 葉瀬高のモンで、今日たまたま三谷と知り合って、流れで碁打って来たとこ」
「碁? ああ……」
言われ、碁会所のあるビルを一瞥した少年。どうやらそこに店がある事を知っているようだ。
「で、何で辞めたんだっけ? 人誘っといて辞めたからには、それなりの理由があるんだろ?」
「い、院生になるから……。院生だと学校の大会とか出られないから、それで……」
「へぇ、院生か。なるほどなるほど。だったらしょうがねぇじゃん。そんな理由だったら、お前も意地張ってねぇで囲碁部に戻ろうぜ?」
三谷の肩に腕を回したオラ子。そのまま抱き寄せられた三谷はムスッと顔を歪めている。
「三谷、戻って来てくれるのか?」
辞めた自分が言うのも何だが、という遠慮の中にも少年の声には期待が込められていた。
オラ子は陽気な笑顔で、
「戻る戻る。実はさっき、部に戻るか戻らないかを賭けてコイツと対局してたんだよ」
「……戻らねぇよ。大体賭けに勝ったのは俺だぞ」
「カマかテメーは、グダグタ抜かしてんじゃねぇ。お前ら、奢ってやるから今からメシ行くぞ。一緒にメシ食って、それでさっさと仲直りしろ」
男2人が「えっ?」と驚きの声を上げたが、ほとんど強引に目と鼻の先のラーメン屋に連れて行かれてしまった。
部活帰りの学生や、サラリーマンで賑わうラーメン屋。4人掛けテーブルに餃子、八宝菜、エビチリなどなど大皿料理が運ばれて来る。オラ子が言うには「単品料理より、同じ皿の料理を取り分けて食べた方が仲直りしやすいだろ」との事。
そのかいもあってか、隣の少年に「フンッ」と不機嫌そうにしてしていた三谷も「ほらよ」と醤油の小瓶を取ってあげたりと、徐々にトゲが薄れ始めていった。元々少年を心の底から嫌っていた訳ではなかったようで、きっかけさえあればと言ったところであった。
「……で、どうなんだよ。院生の方は」
「へへ、やっと俺1組に上がったんだぜ?」
「1組とか言われてもわかんねぇって」
嬉々として話す少年に三谷は肩を竦める。そんな光景を対面のオラ子は「うんうん」と頷き満足そうだ。
「1組2組って、25人くらいで分けられたクラスが2つあるんだよ。まだ1組のビリだけど、今月の残った対局頑張って、1組16位目指してるんだ」
「ふぅん。で、何で16位?」
やけに具体的な目標に三谷が小首を傾げる。
「若獅子戦? 1組16位までが出られるとか言う」
三谷の疑問に答えたのは少年ではなくオラ子であった。
「え? 知ってるの?」
「倉田さん、あんた元院生とか言わねぇよな」
目を丸くした少年。三谷は先の対局で、碁を辞めた小学生時点であの強さだったならば、その可能性もあると踏んでいた。
「アタシは違うよ。アニキがプロ棋士なんだ。倉田厚五段」
「ウソ!? ってよく考えたらプロの名前言われても全然わからないや」
えへへ、と頭を掻いている少年に、オラ子から冷ややかな視線が送られる。
「何だお前、そんなんでプロ目指してんのか?」
「コイツは塔矢アキラを追ってんだよ。囲碁部辞めて院生になったのも結局は全部それさ」
「塔矢アキラ? ああ、あの名人の息子の。確かアタシの2つ下か」
「そうそう! だからプロと院生が戦える若獅子戦に絶対出てやるんだ! それで今の俺の力を見せつけてやる!」
両の拳を強く握り締めたポーズを決める少年。目標に向かって突き進まんとするその真っ直ぐな瞳は、見る者に眩しささえ感じさせる。
「燃えてんなー。よっしゃ、頑張れよ!」
「じゃあラーメンも頼んで良い?」
「おう頼め頼め!」
盛り上がるオラ子と少年。その傍ら、三谷が口にしていた餃子をゴクンと飲み込むと、
「俺も明日から頑張ってみっかな……」
「何を?」
オラ子と少年の声が重なった。ジッと見つめられた三谷は、恥ずかしそうにこう言うのだ。
「……打倒海王」
◆
翌日金曜日。筒井とギャル子か朝のビラ配りに精を出している。土日は高校が休みだ。勧誘活動が足止めされてしまう故に力も入る。
そんな中で、誰にもビラを受け取って貰えない状況に、ギャル子の目線が下がり始める。同じ学校の人間なのにシカトされ続けるのは想像以上に寂しかった。
(メガネは凄いな……。こんな事、ずっとひとりでやってたとか……。マジ鋼鉄の心だし)
数メートル離れた場所で、懸命に声を出している筒井に目を向けたギャル子。よし! と心の中で気合いを入れて背中を伸ばす。
「囲碁部でーす! 部員募集中でーす!」
手当たり次第に声を掛けまくる。結果は変わらないが、今出来る事を精一杯やるしかなかった。
と、ようやく1枚誰かに受け取って貰えた。昨日も含めて初めてだ。
「ありがとうござ──、って何だ、オラ子かよ。おはてーん」
ビラを受け取った人物の顔を見るやいなや、喜びに満ち溢れた表情はがっかりを露わにしていった。
朝イチから露骨な態度を取られたオラ子はムッとして、
「何だはねぇだろ? アタシが部員になってやるって言ってんだよ」
「マジでッ!? で、でもオラ子、碁嫌いっしょ? 嬉しいけど、そんな無理してくれなくても……」
「いや、昨日やったらそうでもなくてな。だから入りたいから入部するわ」
ホームルーム前の教室にて、昨日の話を聞かされた筒井が涙ぐんでいる。
「そっか、三谷が……。うぅ〜……。あの三谷が〜……」
「ったく筒井オメェよぉ。良い後輩持ちやがってよぉ、えぇ? コラッ」
眼鏡を外し涙を拭おうとしたところへオラ子によるヘッドロック。とてつもなく痛いのに加え、部活申請に必要な人数が集まった事と、三谷の件が嬉しくて「うへへ〜ん」と気持ち悪い泣き声を出している。
と、そこへ──。
「もう、朝っぱらから何してるのよ。筒井君泣いてるじゃない」
席通路を塞いでいるオラ子の悪ふざけへ、呆れた声を掛けて来たのは今しがた登校して来た代表。黒ギャルのギャル子とオラ子と違い、清楚感溢れる美少女だ。
「違うって、コイツのは嬉し泣きだって。アタシ、囲碁部に入ったんだぜ?」
「あら、昨日の今日でどういう風の吹き回しかしら。でも良いんじゃない? 応援してるから頑張ってね」
ふふっ、と笑顔を向けられたオラ子とギャル子は眉をひそめ、やや困ったような顔。
筒井はその浮かない表情を見て、3人組の内2人が部活を始めてしまい、代表がひとりになってしまう事を気にしているのかな、と思った。
「代表も良かったら入部してみない?」
筒井の勧誘に少しばかり面を喰らった代表だが、すぐに柔らかな顔付きへと戻り、
「誘ってくれてありがとう。でも私、放課後は用があるから部活に入るつもりはないの」
「そうなの? こないだもカラオケ来なかったし、バイトとか?」
「ううん。お母さんが入院してて、そのお見舞い」
さらりと口にされて筒井から「えっ」と驚きの声が漏れた。ギャル子達は知っていたようで暗い顔をして沈黙を保っている。
「そ、そうなんだ……。全然知らなかったな……。じゃあ無理だよね」
「うん。だからごめんね?」
明るく言って皆の横を通り過ぎ、自分の席へ向かおうとした代表。だが腕をオラ子に掴まれた。
「……楽しんじゃうぞ? 良いのかよ」
「もちろん。そうしなさいって、いつも言ってるでしょ?」
オラ子の押し殺すような声に返されたのは、母親のような優しい口調。それに続くのはギャル子だ。
「あたしら青春しちゃうよ!? 練習したり、部室に溜まってダベったり、テスト前とか一緒に勉強して打ち上げもしちゃうよ!? そんで夏休みは海合宿行ってBBQして、メガネが間違って女湯入って来たりして、ヤバイくらい青春しちゃうよ!?」
「どうだ、羨ましいだろ! だからお前も入部しろよ!」
強引にでも入部させたい2人であったが、代表は首を縦に振る事はない。事情が事情なので、筒井は「そんな無理に誘わなくても」と困ってしまう。
「ありがとう。そうやって気に掛けてくれる2人の事好きよ? でもね──」
代表の笑顔がふっ、と消えた。筒井はその虚な表情にゾッとしてしまう。いつもニコニコしているのでその驚きは一層大きかった。
「私は私が嫌いなの。そんな楽しい事して良い人間じゃないの。だから囲碁部には入らないわ」
何だそれ、と耳を疑った筒井。お見舞いで忙しいからとか、それだけの理由じゃないのは明らかだった。
そんな心に闇を抱えたようなセリフに、オラ子の顔に苛立ちが見え始める。
「……そういうのマジうぜぇ。お前、エバンゲリヨン見過ぎなんだよ」
「何そのパチモノ。エヴァにケンカ売ってるの?」
「オメェに売ってんだよ!」
涼しげにしている代表の胸ぐらをオラ子が掴んだ。他のクラスメイト達も「何だ何だ?」と騒ぎ始め、教室が朝から不味い雰囲気になったところで、
「コラー、席着けー」
ドアを開けて入って来た担任の声に、その場は収まるに至った。
ハラハラしたまま席に着いた筒井。詳しい事情がわからないながらも、代表の気持ちに何となく察しがつき、隣のギャル子に小声で話し掛ける。
「もしかして、代表はお母さんが入院したのは自分のせいだって思ってる……、とか?」
娘を庇ってケガをしたとか、働き過ぎて倒れたとか、良くあるパターンと言っては代表にあんまりだが、良くあるパターンである。
が、顔を下に向けたギャル子から得られた答えは、
「……違うよ。代表は何も悪くないし、本人もそんな事思ってない」
あっさり予想が外れてしまった。じゃあ何なんだろうと頭を悩ませる。知ったところで何か出来るとは思わないが、気になるものは気になってしまう。
「メガネ、代表はそうやって心配されるのがマジで嫌いなの。自分に遠慮して楽しい事とか我慢されるのが本当に苦しいからって。だから今は囲碁部の事考えよ? 昼休みまでに部活申請の紙出さないとねっ」
「う、うん……」
明るい口調で話すギャル子の笑顔は何処か寂しげだった。無理矢理に作ったようなぎこちなさが所々に見え隠れしている。
お節介焼きのギャル子にしては意外だ。それは自分達では本当にどうにもならない事だとわかっているからかもしれない。
もしかしていつもの笑顔の下にはこんな表情を隠していたのかな、と筒井は部員が揃った喜びなどいつの間にか忘れてしまっていた。