筒井が生徒会に提出した部活申請書は目の前で承認の判を押された。なんでも生徒数の減少に伴い部活動の数も減っており、部の新設は大歓迎らしい。
つい先日まで筒井ひとりだった囲碁部にギャル子が入り、オラ子が入り、あっという間に正式な部になったのだ。夢のようなトントン拍子で頬をつねりたくなる。
昼休み、3階生徒会室からの帰りの廊下は学年クラスの教室から離れているので人の姿が見られない。
窓の外からは校庭で遊ぶ生徒達の声が届いて来る。そしてもう一方、筒井の目の前、曲がり角の先から男女の会話が耳に入って来た。
「ど、どうしてもダメ? 友達からでも全然構わないんだけど……。せめて今度一緒に映画とか……」
「ごめんなさい。私、誰ともお付き合いするつもりありませんので」
「そこを何とか! 好きなんだよ!」
筒井は曲がり角直前で足を止めた。男子の声が大きいので、女子に告白して振られている最中なのだと、すぐに察する事が出来た。
(何だよ、通れないじゃん……)
遠回りするのも面倒なので少しだけ息を潜めて待ってみる。だがそこからさらに男子が粘りを見せ始めたので、結局遠回りルートに足を向け掛けた時だ。
「んだよブスッ!」
粘った挙句、酷い捨て台詞と共に駆け出した男子が曲がり角から姿を現し、筒井は強めに肩がぶつかってしまった。鍛え方が足りないゆえに、そのまま尻餅まで着くという体たらく。
「どけよッ!」
筒井は床に座り込んだまま「何だよもうっ」と小さな怒りを覚えて遠ざかる背中を睨みつけた。
幸い何処も痛くしていないのだが──、
「筒井君、大丈夫?」
黒いリボンがアクセントを与えるブロンドヘアーの美少女が、心配顔で少し膝を曲げて手を差し伸べてくれている。代表である。告白されていたのは彼女だったようだ。
「あ、うん……」
差し出されている綺麗な手を掴もうとしたが、床に着いていた手で触れるのも気が引けるので、急ぎ制服でゴシゴシ拭いてから彼女の手を握った。
「何処か痛くしてない?」
「平気平気っ。代表こそ酷い事言われて災難だったね。告白しておいてブスだなんてさ」
「あんなの気にしてないわ」
代表に引っ張られて立ち上がったものの、握った手が離れない。筒井という人間を構成する全ての細胞が、本能が、魂が「離したくない」と言っているのだ。
(やっぱりメチャクチャ可愛い……)
特に好意を寄せていなくとも締まりの無い顔になってしまう筒井。まだ入学2週間ちょっとにも関わらず、代表へ告白したくなる気持ちもわかってしまう。
「で、でも凄いよねっ。もう随分たくさんの人から告白されてるんでしょ?」
「おかげでしょっちょう呼び出されて大変よ。そろそろ他の女子に疎まれそうだしさ」
代表はため息交じりに小さく嘆いた。そのうんざりとした表情から一転、今度はパチッと男の心を鷲掴みにするようなウインクを決められ、
「それより部活申請して来たんでしょ? 認めて貰えそう?」
「うん、バッチリだったよ。て言うかもう承認の判子も貰っちゃったしね」
「へぇ〜、そんなに早いものなんだ。良かったわね」
小首を傾げる仕草を交えた笑顔を向ける代表。ギャル子達の親友だからだろうが、囲碁部の事を気に掛けてくれていた事は正直嬉しい。
かと思いきや、口角は上げたまま目を細めて、
「んー、ところでキミはいつまで手を握ってるつもりかな? 女の子と手を繋ぎたいって気持ちはわかるけど、これじゃあ歩けないよ?」
2人はずっと握手をしたままだ。と言うより筒井が一方的に握り締めたままだ。ハッとした筒井は「ご、ごめんっ」と慌てて手を離した。
雑談──、主に午後の授業についての話をしながら一緒に階段を降り、1年生の廊下に近づくに連れて知った顔が増えていく。何で筒井ごときが代表と……! という、男子達による嫉妬や憎悪の視線も増えていく。
うへぇ、と恐怖を覚えている筒井は、思い出したように口を開いた。
「あ、そうだ。早く若鶏戦にエントリーしないと」
「若鶏戦? 何だか美味しそうな名前ね」
ペロリと唇を舐める仕草を見せた代表へ「あはは」と苦笑いで返す。
「海王が主催する1年生だけが出られる団体戦さ。もう来月なんだけど、締め切りまでに部の設立が間に合って良かったよ」
「ふーん。若獅子戦のパクリかと思ったけど、中身は違うみたいね」
「若獅子戦? 何それ」
きょとんとする筒井の顔を見上げる代表。
「院生は知ってるでしょ? その院生上位16名と20歳以下の若手プロによるトーナメント戦よ。そう言えばそれも来月ね」
「ああ、そう言えば囲碁雑誌で見た覚えが……。で、でもどうしてそんなに詳しいの?」
ギャル子もオラ子も、何処で覚えたのか碁を打てる事に筒井は驚きの連続だった。そこへ囲碁バカの自分でもほとんど知らないような碁界知識を持っている代表だ。もしかしたら彼女も碁を打てるのだろうか、と予想したのだが──。
返って来た答えは筒井の予想をぶち抜くものであった。
「だって私去年まで院生だったし」
「い、院生ッ!? 本当ッ!?」
廊下に筒井の大声が駆け抜ける。耳元で叫ばれた代表は「うるさい……」と筒井から傾け遠ざけた頭を元の位置へ戻した。
「驚きすぎ。ギャル子達から聞いてなかったの?」
「全く……。でも辞めたって事はプロを諦めたって事……?」
「そうね。それに私、プロには向いてないみたいだから」
「へぇ〜。でも凄いなぁ、もうビックリだよ……」
向いてないの意味がよくわからないが、筒井は代表のまさかの正体に浮足立っている。学生囲碁界では元院生というステータスは聞いただけで相手を戦意喪失させる程の破壊力がある。
そして筒井はパッと目を輝かせる。代表が院生だったのならば、聞いておきたい事があるのだ。
「去年までっで事は、秋に院生になった進藤ヒカルって中学生の子知ってるかな? 葉瀬中の僕の後輩で、同じ囲碁部だったんだけど」
「秋かぁ。なら丁度私と入れ違いね。私が院生やってたのはプロ試験までだったから」
「プ、プロ試験!? プロ試験にも出たんだ! いや、もう本当凄いとしか言いようがないよ! そんな人と同じクラスだなんて信じられないなぁっ!」
「大袈裟っ。院生は皆出るんだから騒がないっ」
大興奮の筒井の額が、つんっと代表の指先で押された。美少女だから許される行為に筒井の心拍数がさらに上昇。
そんな何もかもがバラ色に見えてしまうような気分の中、脳裏によぎったのは今朝の代表の顔だった。
入学して知り合ったばかりだが、心を奪われるような笑顔が印象の女の子。だが今まで見て来たそれが、全て作り物の仮面だったのではと思えてしまう程の空虚な表情だった。
朝のホームルーム前、オラ子が代表にケンカを売る感じになっていたが、その後は仲直りの言葉を交わす訳でもなく、いつも通りであった。筒井にはそれが逆に不気味にも思えた。
自分の事が嫌いだと言っていた。楽しい事をして良い人間じゃないとも言っていた。
今肩を並べて歩いているにこやかな彼女からは、やはり想像もつかない。もし聞けばまた同じ事を言うのだろうかと、今度は別な意味で心拍数が上がってしまう。
気が付けばもう自分達の教室だ。元院生の彼女に是非とも教えを請いたかったのだが、そういう事も言い出し辛くなってしまった。
◆
そしてその翌日、土曜日の午前中の事である。
筒井が葉瀬の自宅マンションにて自室の掃除をしている。掃除機を念入りに、コロコロも徹底的に──。
今日はこれからギャル子とオラ子が来るのだ。そして碁を打つのだ。部は承認されたが部室の鍵は月曜まで貰えないので、ここで一足早く囲碁部としてのミーティングを兼ねた初練習を行うのだ。
「ふんふふーん♪」
鼻歌が出てしまう程楽しみで仕方がない。女子2人が部屋に来るという一大イベントよりも、初練習の嬉しさがまさっているのは囲碁バカの彼らしい。
だがそんな彼に水を差すように母親がドアを開いて顔を出した。パーマヘアーの見たまんまおばちゃんである。
「
「今から? 囲碁部の人達が来るって言ったじゃん」
「ハゼショーならすぐじゃない。もしお友達が先に着いちゃったら、あんたの部屋に通しておくから」
ハゼショーとは筒井家から徒歩数分にあるスーパーである。
「じゃあ終わったら買いに行くよ」
「何言ってるのッ! 特売品なんだからすぐ売り切れちゃうでしょッ! ホントにバカな子だねッ!」
キレた母親には逆らえず、筒井は渋々ながらも買い物へ行く事になった。
部屋を出て廊下を抜けた先のリビング。そこにはソファにてテレビ鑑賞中の妹の姿。
「お兄ちゃーん、ついでにコーラとポテトチップ買って来てー」
「それが人に頼む態度か?」
小6の妹がテレビに顔を向けたまま振り向きもしないので、兄としてムッとしてしまう。
「うっさいな、囲碁やってるくせに」
「それ何の関係があるんだよっ」
「だってダサいじゃん。お兄ちゃんが囲碁やってるとか、恥ずかしくて友達に言えないもん。ミホちゃんのお兄ちゃんはサッカーでしょ? ヨッちゃんのお兄ちゃんは軽音のギターでー」
やたら碁を舐めてる妹。クラスでもそこそこイケてるポジションらしく、兄を全く尊敬していない。
その上、
「公宏! あんたお兄ちゃんなんだから買って来てあげなさい!」
後ろからは母親の怒鳴り声。筒井は「わかったよ」と不貞腐れ気味に家を出ていった。
ガチャンッ! と玄関のドアが閉じられた音の後に、
「宏子、お兄ちゃんの部活のお友達が来たら、ちゃんとご挨拶するのよ?」
「えー、どうせこんなんでしょー?」
妹は人差し指を立て、原理は不明だが頭の上に白いモクモクした物体を出し、その中に飛び切り冴えない男子の顔をパッと表示させた。
母親もそのイメージを否定はしないようで「そうね。でも失礼な事言ったらダメよ」と言ってドスンッとソファに腰を下ろすのであった。
それからしばらく、2人で特に面白くもないテレビをだらだら眺めていると、インターホンの音がリビングに響き渡った。
「来たんじゃないの? 宏子、出てあげなさい」
宏子は「はいはい」と重たそうに腰を上げ、受話器を取らずに玄関へ直行。兄のダサい友人達に舐められないようにと、玄関前の鏡で軽く髪を直し、ドアノブに手を掛けた。
「こんちゃー。メガネ──、あれ? メガネの下の名前何だっけ。まあ良いや、メガネ君いますか?」
「何お前、筒井の妹? マジウケんだけど。ガム、食う?」
筒井家に緊迫したBGMが流れ始めた。
肩まで開いた緩めのニット、ショートパンツ、ブーツスタイルのギャル子。こちらはエロ可愛い。
高校生離れした身体のラインを思い切り出し、長い美脚が際立つタイトワンピース姿にヒールを履いたオラ子。こちらは単純にエロい。
平凡我が家に突如襲来した、ギャル雑誌から飛び出して来たような黒ギャル2人に、妹は口をパクパクさせたまま中々言葉が出てこなかった。
「ど、ど、どどどちら様でしょうか……。い、家、間違えてませんか……?」
「え? ウチら囲碁部の活動しに来たんだけど。あたしギャル子ね? 妹ちゃん、よろー」
「イゴブ……? 囲碁部ッ!? ウチのお兄ちゃんの高校の囲碁部の人なんですかッ!?」
勝手に膨らませていたイメージとは真逆過ぎて頭が追い付かない。
「そうだよ?」
「えっ? えっ?」
2人の頭のてっぺんから足の先まで何度も見上げたり見下げたり。嘘だ。こんなギャル達があのダサいボードゲームをするはずがない。
「お、お兄ちゃんをどうするつもりなんですかっ? ぶ、ぶったり、お金とか取ったりするんですかっ?」
ドアに身を隠すように警戒する妹に、ギャル子とオラ子は腹を抱え笑い始めた。
「何それウケるっ。あたしらメガネと超仲良いよ? て言うか入って良い?」
「あ、は、はい。ど、どうぞっ」
まだ何がなんだかわからない。ギャル子に言われるがまま、妹は2人を招き入れると「おかーさーん! おかーさーん!」と助けを求めるような叫びを上げながらリビングへ繋がる廊下を駆け出した。
「ドタドタやめなさい! 下の階に響く──、あらッ!? あららららッ!?」
リビングから顔を覗かせた母親は口元を手の平で隠し、ひたすら驚いている。
そんな母親へと歩み寄るオラ子。
「あ、お母さんスか? アタシ、オラ子っついます」
「は、はい。公宏の母です……」
「まあちっと今回初めてお邪魔させて頂くんで、まあちっとお母さん的にはサプライズかもしんねぇんスけど、軽く手土産持ってきたんスよ。まあちっと全然つまらねぇもんなんスけどね」
「あ、あら? そんなに気を使わなくても良いのに……」
見掛けによらずしっかりした(?)オラ子に感心してしまう母親であったが、ピラリと差し出されたチケットサイズの数枚のカラフルなイラスト紙に目が点になってしまう。
「な、何かしら……?」
「ウチらが行ってる日サロの割引券ッス。良かったらどうぞっス」
「ひ、日……、サロ……?」
「そッス。あそこ最近新しいマシン入れたんでマジおすすめッス。んでそれがマジヤバイんスよ。何つーんスかね、結局アレなんスけど、ハイプレッシャー感が違うっつーか? やっぱパワー違うんスよね、パワー。まぁでもそれが逆にサプライズ? みたいな。お母さんわかります?」
オラ子が何を言っているのか全然わからない母親は、口を閉じるのを忘れたまま壊れた玩具のようにコクコク頷いている。
「あ、あらそう……。あ、ありがとう……」
「ッス。あ、ガム食います?」
喜んで貰えたと思って満足げなオラ子。続いてギャル子も、
「これウチのお母さんからです。美味しいから食べて下さいねー」
出したのは菓子折りだ。その和紙包みに記載された店名が目に入った母親は驚愕──。
「あら!? あらあらあら!? これって銀座の有名な老舗和菓子屋さんじゃない!?」
「はい。あたしもここのお菓子超好きなんですっ」
常識知らずのオラ子のせいでどうなる事かと思われたが、掴みはオーケーのようだ。
どうぞごゆっくり、と筒井の部屋に案内した母親はリビングへ急ぎ足で戻った。
「ひゃー、もうビックリしたっ。公宏ったら女の子だって言わないんだもの。それにあんな派手な子達でっ。お母さん心臓止まるかと思ったわよ!」
「ねー! あんなの絶対ドッキリだと思ったもん! お兄ちゃん、あんな人達と部活とか大丈夫なのかな!?」
母親と妹はまさかの黒ギャルに大興奮である。
「でもああいう子達って何食べるのかしら? お昼簡単にソーメンにするつもりだったのに」
「ソーメンかぁ。インスタ映えしないし、タピオカとか入れないと食べてくれなそうだよね。わかんないけど」
それから少し経って筒井が帰宅。両手で抱えた重たい段ボールの上にコーラとポテトチップ入りの袋を乗せ「ひぃひぃ」と声をあげている。
「ちょっと公宏ッ。あんたねぇ、女の子なら女の子ってちゃんと言っときなさいよ!」
「そうだよバーカッ!」
筒井は帰るなり母親と妹からペチペチ身体を叩かれて「え? え?」と目を白黒させていた。
◆
自室のドアを開けた筒井の口から「うげ」と嫌な物を見てしまったような声が漏れた。
ベッドの下から尻が2つ出ているのだ。何やらベッドの下を漁っているらしいが──。
「な、何やってんのキミ達……」
筒井から呆れた声を掛けられた2人はもそもそとベッド下から出て来たのだが、何故か不機嫌そうな顔で筒井を睨んでいる。
「筒井、何でエロ本ねぇんだよ。早く出せよ」
「そうだよ、何処に隠したの? 部員としてメガネの性癖を把握しておく義務があるんですけど?」
顔を合わせた早々、訳のわからない事を言われ眼鏡がずり落ちそうになる。
「最初から1冊も無いよ! て言うかいきなり何なんだよ! 勝手に人の部屋漁るなんて非常識だぞ!」
筒井の言葉を受け、この世の終わりのような表情へと変わっていった彼女達。
「マジかよ……。じゃあもう今日ここ来た意味無くなっちまったじゃん……。他、何かやる事ある……?」
「だよね……。エロ本見つけられて慌てふためくメガネを見に来たのにね……。あたし昨日それが楽しみで中々眠れなかったのに……」
「囲碁部の活動しに来たんだろッ!?」
まったくもう、とため息交じりに座布団へ腰を下ろした筒井。今さらながらであるが、ふと2人が私服姿だと気が付いた。まだ学校の制服姿しか見た事がないため新鮮だ。
「そう言えば2人の私服初めて見るけど、よく似合ってるね」
ニコッと笑顔で言い放った筒井にギョッとした顔が向けられた。
「お、おお……。筒井が服褒めたよ……! しかもさらりと……!」
「絶対あたし達が『どう?』とか聞いても『え? 何が?』って感じだと思ってたのに……!」
囲碁バカ鈍感朴念仁のイメージが強かったらしく、全く期待していなかった彼女達。いきなり褒められたので照れ臭そうに笑い始めた。
「ウチ妹いるし、あいつそういうのうるさいからさ。じゃあ早速ミーティングから始めようか」
気持ちを切り替えるためにパンッと手を叩いた筒井。だが彼女達は不満げな顔だ。
「えー、まだ早くない? 何かして遊ぼうよ」
「そうそう。折角こうして男と女が集まったんだから、もうちっと何かあんだろ? テメェ、服褒めたからって調子乗ってねぇか?」
ギャル子に同意したオラ子が舌舐めずりをして四つん這いで迫って来る。
「く、くっ付くなよッ!」
首に両腕をまわされ抱きつかれた筒井がビクッと震えた。さらに脇腹に柔らかい物が当たりドキドキしてしまう。
「くっ付いたら何だよ? 何か文句でもあんのか? んん? 折角気合い入れて来たのにオメェが余裕かましてっからよぉ、ちったぁドキドキして貰わねぇと女のコケンに関わんだよ」
「オラ子だけズルイんですけどー。あたしの方が先にメガネと仲良くなったんですけどー。ねぇメガネ、もっとあたしと友情深めようぜ?」
さらにはムスッとしたギャル子まであぐらを掻いた脚の上に
「どうやったらこんなんで友情深まるんだよッ!」
女の子の甘い匂いに囲まれ、色々柔らかい物も押し付けられ、さすがの筒井も変な気分になり掛けた時であった。
「お兄ちゃーん。お母さんがお友達はお昼何食べたいか聞い──、ごごごめんなさいッ!」
ノックも無しにドアを開けてきた妹。そのとんでもない光景に驚き、すぐにバタンッ! とドアを閉めてしまった。部屋の外、廊下からは「おかーさーん! おかーさーん!」という声が届いて来る。
後が怖いが、取り敢えず家族のおかげで冷静さを取り戻した筒井。
「ちょっとホントやめてって! はいミーティングミーティングッ! ミーティング始めるよ!」
「はーい。逆に聞くけどー、ミーティングって何するんですかー?」
膝枕状態のギャル子が口を尖らせている。
「そうだね。練習内容とか、部室をどんな感じにするとかも決めたいけど、まずは僕らの近い目標、若鶏戦について確認しておこうか」
妖怪のようにまとわりつくギャル達を引っぺがし、筒井はミニテーブル上のノートパソコンを起動させた。少しの待ち時間と操作の後、表示されたのは海王高校囲碁部のホームページ上にある若鶏戦特設サイトだ。
記載されているのは概ね以下のような内容である。
海王高校主催、若鶏戦(5/10)
・出場出来るのは1年生のみ
・1チーム3名による団体戦(男女同チーム可)
・1校4チームまで登録可能
・予選はブロック分けによるリーグ戦形式
・決勝は各ブロックのトップチームによるトーナメント形式
「1校4チームまで? 1年が12人も入ってくる高校なんてあるのか?」
「海王が主催だからね。あそこは新入部員が多いし、対外試合の経験を積ませるのが目的だろう。決勝トーナメントは全部海王って事もありえるね」
オラ子の疑問にクイッと眼鏡を上げて答えた筒井。そのまま言葉を続ける。
「海王で要注意人物は岸本薫。海王中では部長にして大将を任され、何と言っても元院生だ。1年生じゃなくても彼に勝てる高校生が果たしているかどうか……」
「あいつは? この清潔の化身を汚ギャル扱いした日高とか言ういけ好かない女」
「岸本は別格にしても、彼女も相当やるはずだ。海王中では副部長、女子チームの大将だったからね。他には気は優しくて力持ちっぽい青木、囲碁部なのにロン毛で甘いマスクの美和。さらには僕の後輩にして院生である進藤君家のはす向かいに住んでいる高田──。特に高田は二年前の大会で僕ら葉瀬中の優勝を一瞬でひっくり返した男。皆高校囲碁界では名の知られた打ち手、他の高校なら余裕で大将を任せられる実力を持っているはずだ」
指で眼鏡をくいっと上げ、情報通気取りで長々と話す筒井。
「女子の情報少なくない? カラオケに日高の手下とかいたじゃん」
「普通の大会は男女別なんだからしょうがないだろ。女子の事まで詳しかったら僕ヤバイ奴じゃないか」
筒井の言い分にギャル子はしぶしぶ納得。
「つってもそいつらの棋譜なんかねぇんだろ? だったらアタシらがやる事はひとつしかねぇじゃん」
途中から聞いていなかったオラ子が
「ああ、練習あるのみだ。大会まで時間が無い、一時も無駄には出来ないぞ」
普段とは打って変わって、凛々しく頼もしい顔付きを見せた筒井。碁盤の前に座り直し、
「ミーティング途中だけどやっぱり先に打とうか。キミ達の実力を知っておきたいし、打たなければ僕達は何も始まらない。そうだろ?」
「メガネがカッコ良さげな事言ってる……。頼れる男っぽい……」
「んー。カッコだけにならなきゃ良いけどな」
ほえ〜、と目を輝かせているギャル子であったが、反対にオラ子は胡散臭い目を向けている。この3人は互いに碁を打っているところを見た事が無い。しかしオラ子は三谷から筒井は弱いという情報を入手しているのだ。
ところがどっこい──。
(およ? しっかり読んでるし判断も悪くねぇ。三谷が言う程弱くもねぇな)
筒井とギャル子の対局を観戦しているオラ子。負ける気はしないが、予想以上の強さなのは確かだ。
(ギャル子も小2で辞めたって割には石の筋はしっかりしてる。初めからプロの祖父さんに教わっていただけの事はあるな。読みはまだ甘いが盤全体を見渡せる感性は大したもんだ)
中盤を終えた時点で形勢は筒井が少し良い。ここからは互いの陣地の境界線をハッキリさせるヨセに突入──。
そして差が開く。まるで機械のような正確さで筒井が上手くヨセを進めていくのだ。ヨセは彼のもっとも得意な分野である。
「んはぁっ❤︎ そこダメなのぉっ❤︎ そんなトコまで侵しちゃらめなのぉぉぉっ❤︎ 」
「親いるんだからやめろよ!」
ギャル子は筒井のなすがまま、されるがまま地を削られていく。常に後手後手にまわされ何も出来やしない。
終局。ヨセでさらに差を付け、筒井の大勝だ。
「ギャル子強いね、ビックリしたよっ」
「負けた……。あたしこないだ海王に『あ? だったらテメェのお得意な碁で勝負すっか?』とか言ったくせに弱いじゃん……」
勝てて部長の面目を保てた筒井はホッと息を吐き、敗れ去ったギャル子はぐったりと横になっている。
そして良い意味で期待を裏切られたオラ子がフッと笑みを零した。
「にしても、筒井強いじゃねぇか。三谷から聞いてた話とは大分違うぜ?」
「三谷が部にいたのは秋までだったし、僕だってちゃんと努力してるんだから。でもやっぱりノートパソコン買って貰って、ネット碁や囲碁ソフトで鍛えたおかげかな」
へへへ、とミニテーブル上のノートパソコンを見つめる筒井。
「おお、パソコン! 伊達に眼鏡掛けて無いねー。ちょっと触っても良い?」
「うん、どうぞ?」
がばっ、と起き上がったギャル子へ返されたのは屈託の無い笑顔。それを受けたギャル子はつまらなそうに再び倒れてしまった。
「……やっぱ良いや。見られて困るエロ画像フォルダーとか無さそうな反応だし」
「そういう事しか頭に無いのかよ……。さ、練習の続き始めよう! 次、オラ子の番だよ!」
「うへっ、今打ち終わったばっかじゃん。お前も囲碁の事しか頭にねぇよな」
やる気みなぎる筒井。中学ではここまで来るのに2年以上掛かった。それがどうだ、まだ高1の4月半ばなのだ。こんな楽しい日々が後どれだけ残されているのか考えるだけで、胸が弾んで仕方がなかった。
しかしそれも束の間──。
筒井はギクリとした。オラ子との対局中、ふと盤の外へ目を向けた時、ギャル子の目から涙がつぅ、と頬を伝わり落ちるのを見てしまったのだ。楽しそうな表情の中のそれは、この上なく異彩を放っていた。
「ど、どうしたのっ?」
対局の手を止め、思わず声を掛けた筒井。ギャル子は自身の顔に触れ、この時初めて自分が泣いていた事に気が付いた。
「あ、えと、楽しいなって。碁を打ったの、マジで久しぶりだったけど、やっぱ楽しいなって……」
床に目を向けたギャル子のセリフにほっこりと口元を緩めた2人。
だが涙の理由はそんなほっこり話とは真逆であった。徐々に涙が溢れ、小さな嗚咽を上げながら、
「こうやって皆で集まって楽しく碁を打ってるのに、どうして代表がいないのって……。一緒に打ちたいって思ってるはずなのに、仲間ハズレにしちゃってるよ……」
「あいつがいねぇのなんて今さらだろ」
「でも、代表の大好きな碁なんだよ……?」
オラ子は面倒臭そうに立ち上がり「ちっと休憩!」と筒井のベッドに横になってしまった。
「えっ? ちょっとキミ達一体何なの? いきなり訳がわからないんだけど」
動揺しまくりの筒井は彼女達へ交互に目を移す。しかし答えは返ってこない。
(やっぱり代表には何かあるんだ……)
首を突っ込まない方が良いのかもしれない。だがこのまま見て見ぬ振りで囲碁部をスタートさせてしまったら、ハリボテの飛行機で飛ぶように、いつか壊れてしまいそうな予感がしたのだ。
ギャル子はまともに話せそうにない。筒井はオラ子に力強い目を向けた。
「オラ子。ちゃんと説明してよ」
チッ、と小さな舌打ち。その後にオラ子から迫力ある睨みがぶつけられる。
「聞かない方が良いと思うぜ? 聞けば普通に接してやれなくなるかもしれねぇ。同情とか遠慮とか、代表はそういうの嫌がるから」
「……そうもいかないよ。こんなんじゃ、これから部活なんかやっていけないよ。僕にとって、キミ達はやっと出来た仲間なんだから」
互いの強い眼差しがぶつかり、先に目を逸らしたのはオラ子だった。筒井の固い意思に負けたと言わんばかりに「わかったよ」と身体を起こした。