「困りましたね」
途方に暮れた少女が一人立ち尽くしていた。
しかしながらも平然としたような面持ちはうら若き少女に似合わぬ凛々しさを覚えさせる。
それはさておき、状況を整理しよう。
少なくとも分かることは、彼女がラテラルタウン出身のポケモントレーナー・サイトウであること。
そして現在地がエンジンシティから西に出た3番道路から外れた場であることだ。
「タクシーを呼ぶにももう日が暮れてしまいましたし……」
ここガラル地方では空の便として、アーマーガアと呼ばれるポケモンに乗り込んだゴンドラごと運んでもらうという手段がある。
しかしながら、道路沿いならばともかく道路から大きく外れた場所にやって来てくるのには途轍もない労力を要するだろう。
それについて厳しい教育を受けた身であるサイトウは、自分の不手際によって生み出してしまった状況に他人を巻きこめないと考えていた。
融通が利かないと言うべきか、四角四面と言うべきか。
どちらにせよ日が落ちてから動くのは賢い行動とは言い難い。
「仕方ありません。野宿しますか」
思い立ったが吉日と言わんばかりの迅速な切り替えでキャンプ設営に取り掛かるサイトウ。
そのまますぐさま組み立てられたキャンプの傍で夕食を―――と思いきや、
「えーと……ッ」
目を見開くサイトウが、視線だけで穴が空くと錯覚するほどの目力で説明書を食い入るように眺める。
何を隠そう、彼女はキャンプ設営など初めてだ。
表情にこそ出ないものの、割と焦燥感を覚えているのだった。
「こんなことなら、ジムチャレンジの前に練習をしておくべきだった……」
輝かしい晴れ舞台の前に万全を期すべきだった―――。
どうにもならない後悔と悪戦苦闘しながら組み立てに勤しんでいた彼女は、背負っていた大きなリュックを木の幹に立てかけ、キャンプ設営へ命を賭さんばかりのオーラを漂わせながら作業に戻る。
ガチャガチャと骨組みがシートと擦れる音が、夕暮れの下で響く。
熱心に組み立てるサイトウの集中力は凄まじいものだ。
だからこそ、背後に忍び寄るコソ泥の影に気が付くことはできなかった。
「ふー、終わった。ん……?」
気が付いたのは、ようやくテントの設営が終わった後。
額に滲んだ汗を手の甲で拭って一息ついてから、背後から響いてくる物音へ振り返った。
少女が背負うには些か武骨―――もとい、機能性を重視したリュックに群がっていたのは茶色い毛並みに黒のコントラストが特徴的なポケモン。
きつねポケモン、クスネ。ふかふかの肉球が足音を消す特徴があり、主な餌を得る手段が他者から掠めるというもの。
五体程リュックに群がっていたクスネは、今まさに中に入っていた数日分の食糧を掠めようとしていたところだった。
「あ、あ、あーッ!!」
柄にもない慌てふためいた声を上げれば、それに驚いたクスネが飛び上がるようにして逃げていく。勿論、掠めた食糧を加えたまま。
大急ぎでリュックの中を確認すれば散々たる有様だった。
「そ、そんなぁ……」
情けない声を漏らすサイトウ。
何かあった時の為にと多く用意した食糧を掠められた今、残された食糧は微々たるものだ。
これでは手持ちのポケモンにひもじい思いをさせてしまうことだろう。
彼等の主人として不甲斐ない。そう思わざるを得ないサイトウであったが、過ぎてしまったことをいつまでもクヨクヨする訳にはいかないと切り替えようする。
その時―――。
(ん? この匂い……カレー?)
ガラル地方の国民食としても馴染み深いカレーの香りが、どこからか漂ってきた。
こんな森深くの中でここまではっきり嗅ぎ取れるとなると、香りの下はそう遠くないはず。
この時ばかりは、理性が食欲に勝ることはなかった。
今にでも腹の虫が鳴りそうなのを手で押さえながら、香りの下へ足を進める。
だんだんと香りが濃くなっていくにつれ、誰かが居ると確信した彼女の歩みは次第に速くなっていった。
すると、不意に木々の影の間から朱い光明が差し込んできた。
「あ―――」
「ふんふんふふふふ~♪ ……ん?」
鍋の中身をお玉で混ぜていた少女がサイトウに気が付いた。
突然茂みから現れた見知らぬ人間に驚いたのか、一瞬硬直していたものの、敵意のない同年代の少女と分かるや否や、フッと柔和な笑みを零す。
「どうしたの?」
それは出会いであり始まり。
不思議な不思議な生き物、ポケットモンスター―――縮めてポケモンが住んでいる世界で紡がれるほんの短い物語の……。
*
「あたしはメープル! 貴方は?」
「ラテラルタウンのサイトウです」
「サイトウ……分かった、サーちゃんね! よろしく」
「サーちゃ……!? よ、よろしくお願いします」
初対面にしてフレンドリーと言うべきか馴れ馴れしいと言うべきか。
それはともかく、メープルと名乗った少女のキャンプに合流したサイトウは、成り行きで夕ご飯をご馳走してもらう流れになっていた。
まさに一宿一飯の恩を受ける訳だ。この期に及んでまで呼び名にこだわるサイトウではない。寧ろ、今までこのように距離の近い友人と交友した経験もなかった為、あだ名で呼ばれるというのは非常に新鮮な気分であり、悪い気もしなかった。
「それでメープルさん」
「さん付けしなくていいよー。歳近そうだし」
「いえ、そんな……これは私なりの礼儀ですから。改めまして、夕ご飯をご馳走していただき誠にありがとうございます」
「いいよー、そんな堅苦しくなくて。よく言うじゃん。困った時はお互い様。旅は道連れ世は情けってー」
生真面目なサイトウに対し、メープルはとても鷹揚とした人柄であった。
聞けば、ガラル地方には観光ついでに旅に赴いたとのことで、今までにもいくつかの地方を渡り歩いたポケモントレーナーでもあるらしい。
ジムリーダーに推薦をもらいジムチャレンジに挑むこととなったサイトウにしてみれば、圧倒的に旅における経験値が違う―――いわばベテランだ。
若年ながらも相手への敬意を忘れぬサイトウからしてみれば、メープルは敬うべき存在。自然と畏まってしまうのも致し方のないことなのかもしれない。
「あの……私に出来ることがあるなら言ってください。何でもこなしてみせますので」
「さん付け禁止」
「へ?」
「何でもこなすんじゃないの?」
「あッ……」
言質を取られた上での発言だったことに一瞬遅れて気が付いたサイトウは、ニマニマと笑うメープルを前にし、喉に小骨が刺さったような違和感を覚えつつ、なんとか言葉を絞り出す。
「メ、メープル。こ……これでいいですか?」
「オッケーオッケー!」
ぎこちない喋り方にオーケーサインを出すメープル。
その様子に安堵を覚えたサイトウは、ホッと一息吐いてから、再び皿によそわれたカレーに手を付ける。
甘口だ。家で食べるカレーより口当たりがまろやかで、一緒に煮込まれたきのみの風味がカレーのスパイシー感を損なわぬ程度に鼻を吹き抜けていく。
「おいしい……」
「でしょでしょ? 我ながら完璧な出来! さしづめ、リザードン級のおいしさってとこかな!」
「はい、リザードン級です……」
得意げな笑みを湛えるメープルに、サイトウもまた笑顔で返す。
次第に打ち解けて来た二人。他愛ない話を続けていく内にカレーは冷めていくが、それに反比例するように話は熱を帯びていく。
「ジムチャレンジ! だからエンジンシティがあんなに盛り上がってたんだ」
「一年に一度のお祭りみたいなものですから」
「そういうサーちゃんは参加してる訳でしょ?」
「はい。ジムチャレンジは推薦権を持った人から推薦状を貰わなければ挑戦できなくて……なんとか今回挑戦する機会をいただきました」
「他の地方と違うねー。向こうは『いつでもバッチコーイ!』みたいな感じなんだけど」
「そのようですね。こちらとは大分形式が違うと言いますか……」
ガラル地方におけるジム挑戦は競技的側面が大きい。
何人も拒まぬ他地方のジムに比べれば、挑戦できるトレーナーの数は少なくなるものの、彼等は人を見る目に長けた者達が才能を見出した、いわば優秀なトレーナーばかり。
彼等の若く熱い青春の模様こそが、ガラル地方のジムチャレンジを熱狂させる理由の一旦だ。
サイトウもまた、その才能をリーグ関係者―――もとい、ジムリーダーに見出された訳である。
「挑戦できるジムに順番なんてあるんだー」
「はい。まずはターフタウンのヤローさんのジムに……」
「何タイプのジム?」
「【くさ】です」
「サーちゃんの手持ちは?」
「【かくとう】寄り……というか、【かくとう】だけですね」
とっくにカレーを食べ終えたサイトウの手持ち。
その面子はバルキー、ヤンチャム、ワンリキーと見事なまでに【かくとう】タイプばかりだ。
「好きなの?」
「好きと言いますか、気が付いたら囲まれていたようなものですが……」
少し考え込むように唸っていたサイトウであったが、腹を膨らませて満足そうに笑っているポケモン達を眺め、頬を緩ませた。
「道を究めるなら彼等と一緒がいいですね」」
「……」
「メープル?」
「かっこいいじゃ~ん、サーちゃ~ん」
「ちょっ……からかわないでください! 私は真面目です!」
「分かってるよ~。そういうところが可愛いなぁ~♪」
「どこが可愛いんですか!? 理解できません!」
「愛いの~愛いの~」と為されるがまま突っつかれるサイトウ。
メープルのリアクションはまったくもって理解できない。小さい頃から両親には、常に冷静沈着で整然たれと厳しく教えられたこともあり表情の変化が乏しく、他人から可愛いともてはやされた経験は余りない。それでも同年代の女の子がどのような物に可愛さを見出すかは理解しているつもりだった。
だからこその困惑。
「私なんて可愛くありません!」
「……フンッ」
「今何を鼻で笑ったんですか!?」
「いや、何も。ただまだまだ楽しめると思って……」
「私はオモチャじゃありませんよ!」
うがあああ! と気合い一発。
すると膂力の差で振りほどかれてしまうメープル―――であったが、
「“まとわりつく”!」
「はっ!?」
「“しめつける”!」
「うっ!?」
「“ほっぺすりすり”!」
「きょ、距離が近いです! 離れてくださ~い!」
ポケモンの技をもじったスキンシップを図られる。
夕ご飯の恩もある為、そこまで実力行使が叶わないサイトウは相棒であるポケモン達に視線で助けを訴えかける。
だが、何を勘違いしたのかポケモン達は目を輝かせては、二人のスキンシップに混ざるような形でサイトウに抱き着くではないか。
「み、みんな!?」
「ほーら、皆! 【かくとう】タイプのサーちゃんには“じゃれつく”が効果抜群だぞー! かかれー!」
「誰が【かくとう】タイプですか!!」
年不相応に鍛え上げられた筋肉を撫でまわされ赤面するサイトウ。
しかし、その筋力を発揮できぬ彼女は、羞恥心より噴き出る汗まみれになるまで一人と三体にもみくちゃにされるのだった。
***
ジムチャレンジの開会式が行われるエンジンシティから、第一のジムスタジアムが存在するターフタウンまでは、3番道路からガラル鉱山を抜け、さらに4番道路を北に進んだ先にある。
サイトウにとっても初めて赴く土地。高鳴る鼓動を感じ取りつつ歩みを進めるが、どこか緊張が緩んでしまうのは隣に付いて来る少女が原因だろうか。
「サーちゃん……は、速い……!」
「大丈夫ですか?」
その場でタッタッと足踏みするサイトウに対し、メープルは息も絶え絶えとなりながら、どこからか拾ってきた木の枝を杖代わりにして後を追って来る。
「少しゆっくり行きますか?」
「ぎゃ、逆になんでサーちゃんはそんな平気なの……?」
「鍛えてるから……ですかね?」
「何も言えねえ」
「はぁ」
幼い頃より英才教育を受け、尚且つ伝統あるガラル空手を学ぶ上で体力作りをしていたサイトウとメープルには隔絶した体力の差があった。
サイトウはガラル鉱山を平然とランニングで走り抜けたが、辛うじて付いてきたメープルは瀕死も瀕死。ちょっと小突かれただけでも崩れ落ちてしまうほど疲弊していた。
「でも、ほら。ターフタウンまでもうすぐですよ」
「ターフタウン……ブティックあるぅ?」
「ブティックですか? まあ小さなお店くらいならあると思いますけれど……」
「ホント!? ブティックブティックブティック~!!」
「えっ、ちょっ……!?」
ブティックがあると知るや否や、どこからわき出したかもわからない力でサイトウの腕を引っ張って走るメープル。
あっという間にターフタウンにたどり着いた彼女は、そのまま住民に聞いたブティック―――と呼ぶには些か田舎感が否めない店にたどり着いた。
「あ、あの、私ジムチャレンジの受付に……」
「大丈夫、ちょっと見てくだけだから! ほら、折角だしサーちゃんも見て行こうよ。コーディネートしてあげるから!」
「え、えぇ……」
押すに押されて抜け出す訳にもいかなくなったサイトウは、不承不承といった面持ちでメープルの着せ替え人形と化した。
田舎の店ならではの質素でシンプルな品揃いであるが、サイトウに試着させているメープルはいちいち感嘆の息を漏らす。
「いいねぇ……やっぱり素材がいいと何でも着こなせちゃうんだなぁ~♪」
「は、はぁ」
ウールーの体毛から作られたニット帽やセーターを着させられるサイトウは、生まれて初めて女友達と一緒にブティックでファッションショー染みた試着をする行為に、どこか気恥ずかしさを覚える。
それに伴いキュッとセーターの袖を掴むが、その萌え袖もまたメープルの琴線に触れた。
「あぁ~、可愛い! 似合ってるよ! どうする買ってっちゃう?!」
「い、いえ! 私はこういう買い物をする為にお小遣いをもらった訳じゃないですから!」
サイトウも女の子だ。
可愛いと評された服が欲しいという欲は生まれているが、ストイックな彼女は欲を振り払うよう己に言い聞かせる。
「え~」
カチューシャを手に取っていたメープルは、足早に店内から立ち去ろうとするサイトウに残念そうな声を上げる。
が、続けざまに、
「ちょっと待って!」
ちょうど持っていた黒を基調とし、橙色も入っているカチューシャをカウンターに持っていき、そのまま購入したではないか。
紙袋に入れられたそれを手に、「お待たせ♪」とご機嫌な様子でやって来るメープル。
首を傾げるサイトウに対し、浮足立って店内から出た彼女は、何を思ったのか徐に紙袋の中からカチューシャを取り出し、
「はい! これ」
「? ……い、いやっ、受け取れません!」
「なんで?」
「なんでって、それは……!」
購入を渋る自分を見かね、わざわざメープルが贈ってくれたのではないか?
そう思い至ったサイトウは「受け取れぬ訳がない」と必死にかぶりを振っていたが、ニマニマと笑うメープルは「違うよ~」と応える。
「これはアタシのもの! でも、サーちゃんに貸してあげる」
「貸して……?」
「うん。アタシが着けたくなったら返してもらうから、それまで着けてていーよー」
「で、ですが……」
暫く手に持ったカチューシャを見つめ、もじもじとしていたサイトウであったが、満面の笑みで凝視してくるメープルに根負けする。
「分かりました。では有難く……大切に使わせてもらいますね」
「そーだよ、大切に使ってくれたまえー!」
アハハハッと高らかな笑い声を上げながらメープルが向かう先はターフスタジアム。本来、サイトウが真っ先に赴きたかった場所だ。
しかし、少しだけその場に立ち止まるサイトウ。
じっと見つめるのはメープルから
(目線……気づいていたんでしょうか)
先程の店内に入った時、ふと目について気になって仕方なかった商品でもある。
試着されている間も、口でこそ嫌々しているフリをしていたが、試着を口実に着けさせてもらえるのではと淡い期待を抱いていた。
「……気取られるなんて、私もまだまだですね」
彼女がどこまで気を回してくれたのか。
何にせよ、カチューシャは既に自分の手の中にある。
もしも先を行く彼女が、融通の利かない謙虚さと臆病な乙女心を察してくれたのであれば、今だけは自分の迂闊さを―――嫌いな自分を好きになってしまいそうになった。
「サーちゃん、スタジアム行かないの~!?」
「今行きますっ!!」
手を振って呼ぶメープルに応えるサイトウは、受け取ったカチューシャをようやく頭に着けた。
不思議な程にしっくりくる感触。
それでいて髪がまとまりキュッと頭を締め付ける感覚が、意識を鋭敏にさせていく。
今なら―――どんな相手でも負けそうにない。
高鳴る鼓動のままに駆けだすサイトウ。
どこか現実味を帯びていなかったジムチャレンジへの―――新たなる冒険へスタートする不安と期待が入り混じる興奮が彼女の足をどこまでも軽やかに、それでいて力強く突き動かすのだった。