緊張した空気が張り詰めている。
ここはシュートスタジアム控室。
8つのジムバッジを集めた者だけが入ることを許される場であるが、本番はまだまだ先。スタートラインにすら立っていないのが現状と言っても過言ではない。
(……不思議ですね。こんな大舞台に立つというのにリラックスして)
サイトウ以外にも勝ち残ったジムチャレンジャーが数人、控室でセミファイナルトーナメントに向けてウォーミングアップをしている。
例年8つジムバッジを集めるトレーナーは数人程度。
全員が強敵に違わぬ実力を有しているはずだが、その中でもサイトウだけが堂々たる風格を漂わせていた。
それが他のジムチャレンジャーを緊張させているとは、本人も知る由なく。
刻一刻と迫る試合。
ジム戦とは違い、一回でも敗北すれば問答無用でチャンピオンの座を争う戦いからは転がり落ちる。
今後推薦状がもらえると限らない以上、これが最後と考えるのが妥当だろう。
泣いても笑っても最後のチャンス。
全身全霊で勝ち進むしかない。
ジムチャレンジ以外でも道着代わりに着こんでいたユニフォームや靴は、今やくたびれてしまっている。
しかし、逆にそれが自分達の努力を証明してくれているような気がした。
「193」の背番号を背負い戦ってきた歴史が走馬燈のように脳裏を過る。
(たくさん……色んなことがありましたね)
語るには多過ぎる。
振り返るのは後に回した方がいいと思い至ったサイトウ。
次の瞬間、バトルコートへと繋がる出入口のから大歓声が控室に轟いた。
扉が―――ようやく開かれた。
「サイトウ選手。出番です」
「……はい!」
白いユニフォームには不似合いなカチューシャは外さない。外せない。
だってこれが彼女の代わりだから。
どんな時だって寄り添ってくれた―――。
(―――今、行きます)
一片の憂いもなく通路を闊歩するサイトウを出迎えたのは、今までの比ではない大歓声の波濤。
体を押し返されそうな轟音を一身に受けること数秒。体の奥底が震える感覚に僅かな心地よさを覚え、刮目した。
視線の先に構えるのは同年代のジムチャレンジャー。
心なしか表情が強張って見えるが、流石ここまで勝ち進んできた者とだけあって、観客の視線に晒される緊張を奮い立つ闘志で振り払っているように見える。
が、より自然体であるのはこちらだ。
トレーナーの動揺がポケモンに伝わることは嫌という程知っている。
ならば、今のところは自分達の方が力を発揮しやすいか―――等、他愛のないことを考えながら、やおら靴を脱ぎ捨てる。
一瞬驚いたように目を見開く対戦相手だが、すぐに平静を取り戻してボールを構えた。
そして、実況アナウンスと大歓声を鬨の声とし、サイトウのポケモンバトルが始まった。
***
『サイトウ選手のカイリキー! 相性で不利なサーナイトを“どくづき”で一蹴ゥ! 流石は今大会の注目株、ガラル空手の申し子! 止まらない! その怒涛の勝利が留まる事を知らなぁぁあい!』
熱狂の坩堝と化すシュートスタジアム。
収容人数で言えばガラル地方最大。当然の如くメープルも観客席に座り、時には興奮のあまり立ち上がっては白熱したポケモンバトルに声を上げていた。
「イけイけー!!」
拳を天高く突き上げれば、呼応するようにサイトウの手持ちが対戦相手のポケモンを下していく。
「きゃあああっ!!! 最高ぉーっ!!!」
今までにファンとして応援したトレーナーは居る。
だがしかし、どれも今の熱量には到底叶わない。
友達が―――親友とその相棒が戦っている光景には。
我も忘れて応援に没頭していれば、あっという間に試合が終わる。
結果はサイトウの圧勝。一体も欠けることなく、セミファイナルトーナメントの決勝へと勝ち進んだ。
「ヤバイヤバイマジヤバイ! 心臓がヤバ過ぎてヤバイ! あ~もう無理マジ尊い!」
感極まって語彙力がゼロに等しくなっているメープルの隣では、ソーナンスが同意するような鳴き声を上げている。
だが、会場のボルテージはまだまだヒートアップの途中。
続く決勝戦。とうとう残り2人となったジムチャレンジャーの内、ファイナルトーナメントに勝ち上がる者を決めるテンガン山となる試合だが、これにサイトウは前の試合の疲れ等微塵も感じさせぬ快勝ぶりを見せ、会場を大いに盛り上がらせた。
「きゃあああっ!!!」
興奮はオーバーヒート。いや、最早もえつきる寸前だ。
幸いであったのは、今日の日程がセミファイナルトーナメントで終了し、ファイナルトーナメントは明日ということだろうか。
もしもこのまま続けていれば、メープルの声帯と心臓がやられてしまうところだっただろう。
興奮冷めやらぬままスタジアムを後にする観客。群衆の波に呑まれて外へ出るメープルは、そのまま最寄りのポケモンセンターへと赴く。
出入口での選手の出待ちはマナー違反だ。
例えアマチュアだとしても、サイトウの人気はかなり高い為、その姿を望もうとする人々でスタジアムの周囲は溢れかえっていることだろう。
そこであらかじめ集合場所をポケモンセンターと定めることにしたのだった。
サイトウはジムチャレンジャーである為、今日はスボミーインに宿泊するが、寝泊まりする前の自由時間に食事を共にするくらいはできるだろう。
そう踏んでの待ち合わせであったが、
(……来ない)
ピューっと寂しい風が吹き抜ける。
流石に辺りに人っ子一人居ない訳ではないが、一時間以上待ちぼうけを喰らうとは思っていなかった。
律儀な彼女が約束をふいにするはずはない。
明日の日程の説明が長引いているのか、それとも別の理由で動けないのか。もしかすると道に迷っているという可能性も否めなくない。そうなればこれから先の間、少しばかり弄るネタに困らなくなるだけであるが―――。
「はっ、はっ、はっ」
「あ」
「すみません、遅れてしまって……」
肩で息をするサイトウが駆け足でやって来た。
「なになに~? ファンにでも囲まれてたのぉ~?」
「い、いえ。それとはまた別の理由でして……」
非常に申し訳なさそうに面を伏せる。
その並々ならぬ雰囲気に首を傾げたメープルに、サイトウは腹を括ったように語を継いだ。
「その……両親が……」
「サーちゃんのパパさんママさん?」
「はい。明日に向けて夕食に行かないか……と」
「あ……」
「断り切れなくて……ごめんなさい」
深々と頭を下げるサイトウ。
両親の誘いと言え、結果的に友人との約束をふいにしてしまった事実を陳謝する彼女は何度も何度も謝罪の言葉を吐きだした。
しばし茫然と立ち尽くすメープル。
しかし、
「―――なぁ~んだ、そんなことかぁ~っ! 全然気にしなくていいよ!」
「で、ですが……」
「こういう時は家族で一緒に居る方がいいって! ご飯はまた今度でいいし! それにぃ~、チャンピオンと一緒に食べられた方が鼻も高いしぃ~?」
「っ……感謝しますっ!」
サイトウは「埋め合わせは必ず!」とメープルの気遣いに礼を告げ、ポケモンセンターを後にしていった。
こうして再び一人になるメープル。
辺りの雑踏や喧騒が、遠い世界のものであるかのように膜のかかった音に聞こえる。
「……美味しいスイーツのお店、見つけたのになぁ」
親友の為に一生懸命検索したスイーツ店が映し出されたスマホロトムの画面がパッと消える。
閉店まであと数時間。サイトウが両親と夕食を終えてから訪れる猶予はない。
「仕方ないっか」
ずれたリュックの帯を整え、ポケモンセンターに入っていく。
その背中からは得も言われん哀愁が漂っていた。
***
夕食はホテルに併設されたレストランで摂った。
どれも見栄えもよく絶品であることに間違いはなかったが―――それどころではない事情で、ロクに味わえなかった。
普段は厳しい両親が今日ばかりは喝と共に素直な称賛を贈ってくれたことも理由の一つに違いないが、それよりも大事であるのはメープルである。
食事を終え、今日は早く休むよう告げられて両親と別れた後、時刻はすでに8時を回っていた。
今から会いに行くには遅すぎる時間。
彼女が眠っているならば、会いに行く方が寧ろ迷惑だろう。
それでも―――。
「あの……ジョギングしに外へ出かけますので」
「畏まりました」
フロントに鍵を渡したサイトウは、ジョギングという名目でメープルが宿泊しているポケモンセンターへと駆け出した。
考える時間が惜しい。
今はただ、堪らなく彼女に会いたいのだ。
そして面と向かい、一度しっかりと謝っておきたい。
彼女はきっと生真面目すぎる自分に呆れながら、しょうがないと笑って許してくれるはずだろう。
そう。あの時―――両親の誘いを断り切れなかったのは、彼女の優しさに甘えていたからだ。
メープルならきっと許してくれる。
そんな甘い考えで少しでも彼女を傷つけてしまったからこそ、心の底から謝りたい。
何故なら、大事な親友だから。
「はぁ……はぁ……!」
ジョギングとは言い難い全力疾走でポケモンセンターへと辿り着いたサイトウは、明りが漏れ出す扉の前で息を整えんと深呼吸する。
起きているだろうか?
怒っているだろうか?
様々な不安が脳裏を過るが、立ち止まっていてはいつまで経っても進まない。
いざ彼女の下へ。
そう意気込み、自動ドアが反応する間合いに立ち入ろうとするサイトウ。
刹那、背後に気配を感じて振り返る。
夜道には危険が付き物だと教わって数年、今日程その教えを活かした反応速度を出せたことはないだろう。
思わず殺気立ったサイトウであるが、いざ後ろに立っていたのは、
「……メープル?」
「う、うほほ……ひぇ~……!」
サイトウの動きに驚く余り、変な笑い声を上げるメープルであった。
「どうしてここに……?」
「どうしてって……それはこっちのセリフだよぉ……」
ヘタヘタと脱力するメープルは、右手に携えていた箱を掲げてみせる。
何やら洒落た箱だ。心なしか甘い香りも漂ってくるような気もする。
「これは……?」
「ケーキ。並んで買っちゃったよーっと!」
「えっ!」
「お店が閉まるギリギリの時間に買ってさー。それからは噴水前の広場でスタンバってたの」
「……何をですか?」
「いやぁ~、サーちゃんのことだから夕ご飯食べ終わったら来るんじゃないかってさー!」
まさか見通されていたとは。
これにはサイトウも叶わないと頬を緩ませる。
「本当に……馬鹿ですね」
「馬鹿とは失礼なっ! 用意周到って言ってもらいたいよねっ!」
「ふふっ」
「あははっ!」
すっかり普段の調子へと戻った二人は広場にベンチに腰を掛ける。
「さぁーて、御開帳~♪」
「おぉ……!」
開かれる箱の中身は口述していた通り、甘いホイップクリームと赤いイチゴがこれでもかと主張するケーキであった。
しかし、問題が一つ。
「もう夜中ですし……今食べたら……」
「あら、何言っちゃってんのサーちゃん。夜だから美味しいんだよぉ~♪ 背徳感こそ極上のエッセンス」
「は、はぁ……」
「ま、それは冗談として悪くなっちゃうから早めに食べた方がいいのは事実だよね」
「それなら……仕方ありませんね」
「そうそう、仕方ない仕方ない♪」
太るの上等でケーキをいただく面々。
手持ちのポケモンも加え、ちょっとした食事会となる広場の一角。
1ホール丸々あったケーキも、ポケモンも含めた大人数で食べるとなれば、一人分の量は細やかなものになってしまう。
だからこそ、その一口一口を至極な甘露として味わえるとも言えるが。
「……美味しいです」
「でしょ~? いやぁ~、買っといてよかったぁ~!」
「本当にありがとうございました。これで明日も頑張れます」
「そっかそっか。並んで買った甲斐があるってものだね~」
あっという間にケーキを胃袋に収めた2人。
舌の上に残るホイップクリームの優しい甘さの余韻を楽しみつつ、涼しい夜風に当たる。すっかり夜の帳が降りた町では、ホーホーの鳴き声もよく響いて聞こえる気がした。
不思議な程に静まり返っている町中は、嵐の前の静けさを彷彿とさせる。
きっと、明日のファイナルトーナメントに向けて早く眠っているのだろう。
「……静か、ですね」
「うん」
「あの」
「なあに?」
「メープルはいつガラルを発ってしまうんですか?」
「えー、急にどうしたの?」
「いえ……その……」
何度か青息吐息の音が響く。
柄にもなく俯いている彼女だが、しばらくしてやっと面を上げる。
メープルに面と向かうサイトウ。あれほど凛々しい怜悧な瞳は―――涙に濡れていた。
「明日が泣いても笑っても最後です」
「……だね」
「そうしたら貴方との旅が終わってしまう。そう思うと……寂しいです」
絞り出した震え声で告げる。
泣き笑いを浮かべるサイトウ。出会ったばかりの頃は仏頂面ばかりだった彼女が、ここまで感情を面に出してくれるとは思わなんだ。
メープルが思わずつられて熱くなる目頭を押さえれば、そっとサイトウの肩を抱き寄せる。
「アタシも……寂しいよ。でも、それ以上に楽しかったよね」
「はい……っ」
ポンポンとあやすようにサイトウの頭を叩く。
その時、指先に硬い感触が伝わる。
「そのカチューシャさ、あげる?」
「いえ」
「え?」
「借りたままでいいですか?」
提案を一つしたところ、思わぬ答えが返って来て狼狽するメープルに、サイトウは笑って続ける。
「いつか返しに行きたいので」
―――今度は自分が彼女の下へ。
「……そかそか! じゃ、貸出延長ね」
「はい」
新たな約束を交わした2人は、そのまま少しの間夜空を眺める。
キラキラと瞬く星がよく見える。明日も快晴であるのは間違いない。
「サーちゃん」
「なんでしょう?」
「明日の試合……最高に楽しんてきてねっ!」
「勿論……言われなくても!」
有終の美を飾るべく、星空に後悔のないポケモンバトルに臨むことを誓う。
夢を叶えるべく―――。
(ですけど……)
気づかれぬよう横目で親友を一瞥する。
(私は貴方のおかげで……とっくに幸せですよ)
この充実した旅と、それをもたらしてくれた親友へ尊敬を込めて、明日の試合には臨もう。
サイトウは力強く握りしめた拳を、空高々に突き上げるのであった。
***
蕾が花開くように、いつか夢も叶うと謳った者が居る。
彼女はまだ夢を叶える道半ば。
しかしだ。
「―――えぇ、それじゃあ駅で。はい1時にですね。ふふっ、大丈夫です。ちゃんとお腹は空かせておきますから」
大小関係なく、幸福とは道の途中に転がっているもの。
そういう意味では彼女の努力が実を結んで始まった旅が、彼女に幸福をもたらしたと言えよう。
かけがえのない親友という形で―――。
「それじゃあ……貴方に合いへ行きますっ!」
とある植物の花言葉。それは―――「喜びの訪れ」と「喜びを運ぶ」。
彼女達は、これからも互いに喜びを与え、分かち合う関係を続けていくことだろう。