BLACKSOULSⅡ腹パンRTA 0:19:19:19   作:メアリィ・スーザン・ふ美子

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実走者視点4

 

 

 ウサギ穴を抜ければ、そこはラドウィッジ市街だった。

 

 不思議の国の中心に位置する大規模な街。

 あらゆる建物が無茶苦茶に積み木のように重なっているのは、大工が狂気を得たからだ。

 彼が狂気を失い正気に触れるまで、その建築は続いたという。

 

 死体の点在する高台を駆け抜けた私は、右手側にこの街の造りにそぐわないほどキレイな鏡がかけられた通路を左に曲がり階段を下る。階下にある開きっぱなしの鉄格子を潜った直後、ガシャン、とひとりでに鉄格子が閉まり鍵がかかった。

 こいつも狂った扉の一つか? 結構。引き返すつもりはない。

 私はちょっとした広場にある神がかった配置をしているアイテムをすべて拾い集めると篝火に手をかざし、市内へと入り込む。

 

 ……神がかった配置?

 なんだそれは。

 ああ、私は本格的に狂い始めてしまったのか?

 体感時間で十分にも満たない間に何度も意識を失い、そして気がつけば見覚えの無い場所にいる。

 

 きっともう、正気が狂気でどうかしているのだ。

 

 いや……まだだ、私の正気はまだ終わらん。

 正気の残滓があるうちに、狩りを全うしなければ。

 アリスはどこだ?

 

 市街の十字路にたむろする紳士のコスプレした変態どもの間をすり抜け、私はまっすぐ進み階段を降りる。その先は下水道、降り階段を勢いにのって駆け抜け、柵無き高所から足を踏み外さぬよう直角カーブし梯子を降りる必要がある。

 下水道を行く道中で役に立ちそうなアイテムを拾いながら、私の思考はその腐臭に刺激されハーメルンの笛吹き男のことを思い出していた。

 

 ハーメルンの笛吹き男。

 初めて彼と会ったのはこのような下水道であった。

 お前は、初対面の私に高名な騎士のソウルを気前よく渡してくれたいい奴だったよな。

 

 そうだったか?

 

 鼠を操り街の住民を殺し、疫病を流行らせ、やがて鼠の王国を作って支配者になろうとしていた悪鬼のような輩ではなかったか?

 

 いやいや。

 

 そもそもハーメルンの笛吹き男とは、ハーメルンの町に大繁殖したネズミを一掃し、ハーメルンの町を疫病から救った英雄だ。しかし町民に裏切られた彼は、復讐として町の子ども達をネズミを一掃した方法と同じ手口で始末したのだ。いや、別の手口で? 別の結末? あれ? あれれ? なんだっけ?

 

 でもあいつのネズミはエルマを殺した。生かしてはおけない。

 エルマ?

 エルマとは、誰だ?

 

 うっ……頭が……ハッ!

 

「ヂュヂューッ!」

 

 下水道を彷徨く鼠人間の短槍が繰り出した一撃を、私は紙一重でかわした。

 胴を突く槍に対してクルリと回転。ロールターン。胴体を回転させながらも足のステップを駆使し走行速度と身体バランスを崩さず駆けぬける。あんな無防備なまま真直ぐと槍に突かれればただではすまなかっただろう。果たして[ドードー走り]を身につけていなかったらこんなに軽やかに抜きさりきれたかどうか……

 

 やはり鼠は害悪だ。

 鼠は絶滅させるに限る。

 今度笛吹き男を見かけたら殺す。いや、エルマが殺されたから次は事前に殺しておいたんだったか……なんだったか、はて、忘れた。

 

 ……あ?

 私はいま、何を考えていた?

 

 今宵は天高く狂気舞い踊るビースト狩りの夜。

 死地において悠長に長考している余裕があるわけがなかろうに。

 愚かだ。それも底抜けの。

 一瞬の油断をするほど、私に時間がありあまっているのか?

 まさかそんなはずはない。

 アリスだ。

 アリスのことだけを考えろ。

 正気を保つにはそれが一番だ。

 私は下水道を上がり、目に付いた小さな門を潜る。

 

「やあ! こんな所で君は一人かい?」

「アリスはどこだ」

「いや、知らないが?」

 

 じゃあいいです。

 どこからか聞こえてきた声を無視し、私は橋を駆け抜け「おーいちょっとちょっとー」た先には兎の鍵が入った宝箱があるだけ。アリスは入っていない。箱入り娘だから中に入っていてもおかしくなかったが。

 

 橋のその先に道はなく、作りかけたまま放置されている。未完の大作というわけか。

 仕方なく私は来た道を戻り「おーい聞こえてるー?」広場にあった階段を登った。

 路上で四つん這いになった娼婦など相手にしない。

 とてもこの街の住民だったとは思えない巨人も無視する。

 階段を登った先には薄く霧が立ち込めていた。

 

 ハイドパーク。

 

 ラドウィッジ街有数の広さを誇る公園跡地。

 未来では霧の公園と呼ばれることになりそうだ。

 公園の入り口の扉には鍵がかかっている。

 下水道で拾ったばかりの万能鍵を使い、開ける。

 

「人の呼びかけを無視するとは感心しませんな」

 

 ばさり、ばさりと羽ばたき飛来し、街灯の上に腰を降ろしたのは空駆ける翼を持つ女騎士であった。鷲獅子の騎士、か? 見え……見え……一体何者なんだ? アリスはどこにいる?

 

「先に名乗らせてもらおう。私の名はグリフィ。

 ハートの女王陛下より外征の任務を与えられ、各地を飛び回っているんだ。

 で、君はだれだい? 街では見ない顔つきだが」

「アリスはどこだ?」

「いや知らないってば」

 

 じゃあいいです。

 私は公園入り口すぐのところにあった篝火に手をかざして火をつけ「おーいちょっとちょっとー」るとアリスを求めて周囲を見回した。

 霧が公園を薄く広く覆い、なにがなにやらよくわからない。私が何を考えているか、なにがなにやらよくわからない。アリスがわからない。アリスはどこだ?

 

「もー。ちょっとくらい話聞いてよー。

 まいっか。ふっ。義を見て為さざるは勇なきなりと言うではないか!

 君さえ良ければ、私も手伝おう」

「いやいい。アリスを見つけるのはこの私だ」

「……あっ。ふーん……(((訳注・何かを察する呟きの意)))

 いや失礼した。うん、この街も平常だしもう用は無いかな!

 君も死んでいなかったらまた会おうっ。

 もし時間があれば、一度精神病棟に行って集中治療を受けたほうがいいよっ」

 

 余計なお世話だ。

 アリス欠乏症の特効薬は精神病棟には置いてない。あるのは処方箋ばかりだろうに。

 ああ、それにしても、アリスが足りない。アリスを補充する必要がある。アリスの声が聞きたい。アリスの肌に触れたい。アリスと愛し合いたい。アリスとしたい、したい、したい。したいよう。

 

 ああ、アリス、どうか頼む、教えてくれ……俺はあと何人殺せばいい? 俺はあと何回、あの娘とあの小猫を殺せばいいんだ……ノーデはいつも俺に時を遡れとしか言ってくれない……教えてくれっ! アリスっ!

 

 

『猫』

 

 

 アリスだ!

 聞こえたぞ! たった一言だが聞こえたぞ!

 私は霧の公園(アリス)にいるだろう(アリス)を探す。

 絶対にいる。いるはずだ。

 アリスが言ったんだ。いるんだ。

 果たして、チャシャ猫娘(アリス)はぽつりぽつりと並んだ街灯に沿った先にあるベンチに寝そべっていた。

 

「そろそろ退屈してきたにゃ?

 ならチェシャー猫と遊ぼうにゃ

 何で遊ぶ? 何を遊ぶ?

 チェシャー猫はこう言った。

 間違い捜しなんてのはどうだい?」

「アリス」

「にゃっははははは♪ こ、こんのキチガイ、こんなとこで……くくくっ。

 じゃあ、全部見つければ豪華賞品をあげるにゃ。

 目を離さず、よーく凝らして見比べるにゃ」

 

 チャシャ猫娘(アリス)はおもむろにノート(アリス)を取り出し、中身(アリス)が良く見えるように私の顔の前に突き出して広げてみせた。

 

 左右のアリスを見比べて間違いを探す。

 左のアリスは生きて(アリス)いるが右のアリスは死んで(アリス)いる。

 右のアリスに五体(アリス)はないが左のアリスに五体(アリス)はある。

 左のアリスには白猫(アリス)二匹(アリス)右のアリスには血に塗れ(アリス)猫一匹(アリス)

 右のアリスはDIE(アリス)とあるが左のアリスはDAI(アリ)に゛ゃーーっ!!

 

「うおあっ!!」

「悪戯大好きしま模様~っ♪」

 

 こンのクソ駄猫がっ!

 私が獣狩りのノコギリを振り上げた時には、猫は霧に紛れるようにして姿を消した。それはチェシャ猫の異能。自分の身体を自由に消したり出現させたりできる不思議な性質、体質だ。

 さきほどチェシャ猫娘は突然ノートのど真ん中を突き破り、顔を飛び出させてきたのだ。まったく、なんてやつだ。心臓が止まったかと思ったぞ。

 

『――――ますかー?

 おーいほもー。聞こえてるー?

 私の声が聞こえてますかー』

 

 アリスだ! 聞こえる! 聞こえるぞ!

 

『やっと繋がったぁ……ほもぉ~♡

 ちゃ~んとチャート通りに走っててえらいぞ~♡

 じゃ、チェシャ猫の指輪つけて下水道から飛び降りて♪』

 

 アリスに褒められた!

 ああ、私の全身にアリスが駆け巡るかのような快感。

 私はここでまず達した。

 ぶるぶる。もっとだ。もっと褒めてくれ。

 

 ……もう大丈夫だ、俺は正気に戻った!(((訳注・彼は狂っていた)))

 

 さぁ、立ち止まっている暇はない! 走るんだ!

 

 私は今来た道を戻りながら貪欲な金の指輪を外しチェシャ猫の指輪を嵌めた。

 この金の指輪は一番価値がありそうな素材と造詣をしているから、再会できたら一番初めにアリスにプレゼントしよう。きっと喜んでくれるだろうから。

 

 ラドウィッジ下水道。ここの汚水はラドウィッジ市街中の汚物が集まり、形容しがたい異臭を放っている。その腐臭をものともしない鼠人間と蛇人がうろつき、お世辞にも安全とは言いがたい。排水箇所の最後には滝のように底の深い縦穴があるが、なんとそこには梯子がない。

 まあ当然といえば当然だ。その先には狩人の未来の末路を暗示する【深きものども】の植民地支配地、ビリングズゲート魚市場に繋がっているのだから。

 

 当たり前だが何の工夫もなく縦穴に飛び降りれば墜落死は避けられない。

 だからチェシャ猫の指輪が必要だったんですね。

 アリスは賢いなぁ。

 

 私は指にチェシャ猫の指輪があることを再度確かめ、投身自殺でもするかのように下水道の崖を飛び降りた。

 ……しかし飛沫のひとつもあげることなく、ひたりと静かに着地する。

 チェシャ猫の指輪の性質……それは、墜落死することなく、高所から着地できること。不思議な性質もあるものだ。

 ここで一つ、にゃあ、とでもチェシャ猫めいた声をあげてやろうか?

 戯言はここまで。さあ、走ろう。アリスのために。

 

 ビリングズゲート魚市場。

 

 噎せ返る潮風と雨が降り続ける陰鬱な港町。

 腐り余る魚の海に半漁人達が我が物顔で蔓延っている。

 

 おさかなを漁るもの、漁師……彼らはおさかなによって人となり、人を超え、また人を失った。

 漁師よ。かねておさかなを恐れたまえよ……そして、おさかなを恐れず海の恵みと称した結果がこれだ。

 

 魔獣化ならぬ半漁人化した者どもで溢れかえった狂った不思議の国の中でも有数の危険地帯。

 狩人はこの前例を倣わぬよう、改めて掟を戒めなければならない。汝、血に溺れること無かれ。

 

 まあ、私のようなフシシャテンセイカリウドモドキがこのようなことを嘯いても詮無き事。

 アリスはどこだ?

 

 私は[ドードー走り]を駆使して魚市場を駆ける。膝下の脛ほどまでに浸かる海水に、海面下にところどころ敷き詰められた腐った魚の死骸を踏みぬく感触がなんとも気持ち悪い。水しぶきをあげながら走れば必然、サハギンどもを呼び寄せる文字通り呼び水となる。対応するために足を止めていては漁られるのみ。彼らもまた、その出自を正せば漁師なのだろうから。地の利は……否、水の理は敵にある。ここでは戦わないに限る。

 道中、比較的安全な位置にある役に立ちそうなアイテムを拾い、市場屋外を進んでいくと、やがて屋内市場についた。ここは浸水していない。

 篝火だ。

 手をかざし、火をつける。

 

『屠殺場に用はないよっ。

 このまま強化石売り場に行ってね♪』

 

 アリスだ!

 っと、なになに?

 ソウル量ギリギリだから忘れ物がないように。ですって!

 こんな注意事項を教えてくれるなんてアリスは優しいなぁ!

 私はこの屋内市場で目に付いた、腐った魚以外のアイテムを根こそぎ回収して先を急ぐ。

 

【アリスの導きのあらんことを。】

 

 屋内市場には私は一人ではないと思わせてくれる心温かいメッセージがあった。

 はて、メッセージの評価とは一体どうやるんだったか……思い出せない。

 すまない。先を急がせてくれ。

 

 別の出口から再び屋外市場に出る。

 強化石売り場の場所も、アリスが脳内地図を送ってくれる。

 こんなに心強いものはない。

 体が軽い。

 こんな幸せな気持ちで走るだなんて初めてだ。

 ああ、そうとも。

 もう何も恐くない――――!

 私は一人ではないのだから!

 アリス!

 

「ギョォォォオオオオオ!!!」

 

 バリーン。

 と。

 緑色の妖精(羽虫)の像が崩れるような強いイメージが叩きつけられた。

 なんだこいつ。

 

 魚市場に乱立する建物の曲がり角。

 その死角の更なる死角、海面下からマーメイドが飛び出してきた瞬間に起こった出来事だ。

 世界が静止するかのような回想の時間は終わり、そして致命的な現実の時間が動きだす。

 

 ――――疾いっ!「あっ」

 

『ちょっと待ってください! 助けて! ああああああっ!』

 

 マーメイドは既に。

 全身を使っての体当たりを繰り出しており。

 その敏捷性は。

 私の反応速度を圧倒的に上回っていた。

 この速度差。

 鼠人間の短槍のようにはいかない。

 回避不能。

 防御不能。

 ……生存不能。

 強烈な衝撃とともに転倒。

 跳ね上がる水しぶき。

 死に体の私になすすべなく。

 全身を齧りとられるような感覚とともに視界が闇に染まっていった。

 

 

 

 

 

 

 暗転した視界は、数度のまばたきという僅かな間であっさりと光を取り込み晴れていく。

 そこにあるのは篝火。

 堕落部屋の、篝火だ。

 

 どこからか、手拍子が聞こえる。いや、手拍子の幻聴が聞こえる。

 

もーいっかい。もーいっかい(次死んだらリセットしまーす)。』

 

 そう何度も口にするアリスの声色は死んでいた。

 ソウルの奥底から深い哀しみが滲み出て伝わってくる。

 ああ。私はなんということを。

 私はなにか、とりかえしのつかない……とりかえしのつかないことを、して、しまった、のではないか?

 ああ、こんなとき、全てを始めからやりなおせたら……っ!

 

 ――――悩むな。

 後悔は心が死んでからすればよい。それが不死者のやりかただろうが。

 私は篝火に座りこみ、目をつぶってビリングズゲート魚市場を思い浮かべる。

 目を開けば、そこには篝火。

 ビリングズゲート魚市場の、篝火だ。

 

見えざる胡椒使っていいよ(ここでオリチャー発動)

 ただ強化石売り場近くのソウルは回収してね(安定重視のチャートに切り替えます)

 

 私はアリスの導きに無言で答え、魚市場の別口から屋外に出てすぐに、ラドウィッジ市街で拾った見えざる胡椒を使った。

 

 見えざる胡椒。

 

 それは身体に満遍なく振り撒くことでその姿を隠すという不思議な道具。

 くしゃみ地獄に陥らぬよう、目を閉じ手で鼻や口元を隠して使うのが肝要だ。

 頭上から順に小瓶一つすべてを全身に振り撒き、そして走る。

 変わらず水しぶきがあがるが、サハギンどもはちらりと目を向け――それ以上気にした様子は無い。

 見えない何かが水しぶきをあげたところで、同類かマーメイドか上位者かのいずれかだと思っているのだろう。

 マーメイドはヒラタイ人魚、否、魚人であった。

 膝下程度の水域では海面下になにも潜んでいないという思い込み。

 思い込みが私を殺した。

 同じ場所で、二度死ぬつもりはない。

 もう二度とアリスを悲しませないためにも。

 私は血溜りに残る自らの遺志を引き継ぎ、示された強化石売り場を目指した。

 

 途中、倉庫からそう遠くない建物の裏手にある力尽きた戦士のソウルを回収する。

 

 あれからアリスは、再び黙り込んでしまった。

 私のせいだ。

 私のミスだ。

 ごめんなさい。

 もしもアリスに嫌われたら。

 私に生きている価値などないではないか。

 

「うわっ! あ、ああ……。

 脅かさないでくれ、ベルマンかと思ったじゃないか。

 君、標準語はわかるか? そもそも喋れる? 靴を磨いて欲しいのか?

 悪いけど……君の靴は腐ってるみたいだからもう手遅れだよ」

「強化石を売ってくれ」

「ほう。ブローカーの置き土産のことを知ってンのか。

 何がいくつ欲しい?」

『手持ちの強化石が九個ずつになるように』

「手持ちの強化石が九個ずつになるように」

「いやお前の手持ちなんざしらねーよ」

 

 ああ、確かに。

 そしてその前に、ここまでの道程で手に入れたアイテムの大半を売り払う。

 その後は単純な引き算。

 九から私の手持ちの強化石を引いた数をそれぞれ買う。

 強化石の欠片。強化石の大欠片。強化石の塊。それぞれだ。

 この売買で所持ソウルは相当量失われてしまった。

 

「毎度。

 ……なんつーかよォ……オメー腐った亡者みたいな顔してやがんなあ。

 まともに口が利けるだけのソウルがあるならしゃんとしな」

 

 売人の言葉に答えず、私は無言で強化石売り場……倉庫を出た。

 

『左に真直ぐ。死体を探って骨粉』

 

 左に真直ぐ。死体を探る。指輪だ。

 見えざる胡椒による透明化が時間切れとなっているいま、何を思うところがあるのかその死体をじっと見つめていたサハギンが私に気付くのは道理。

 迫るサハギンの三叉槍が私を貫く前に、私は帰還の骨粉の袋を吸引し、愛しい少女と暖めあった篝火のぬくもりに思いを馳せた。

 

 

 

女を性欲の捌け口にするのは

どう考えても愛ではない

 

 

 

 目を開ければ、そこは篝火。

 ビリングズゲート魚市場の、篝火だ。

 しかしなにかいま、骨粉が妙にキマったような気がしたが。

 珍しいことだが、何故だろう。とても胸が痛い。

 

『図書室の夢に戻って。準備するよ』

 

 アリスの導きに従い、篝火に座りこみ、図書室の夢を思い描く。走り続けた疲れからかぼんやりとした意識で揺れる篝火を見ていると、私はどこか夢見心地となって、そのうち篝火の向こう側がヴェールのように透け、まるで地下牢のような場所を見せた。

 

 

 

あんたは……多くの女子を監禁し、女体天国を築く心算か?

はっ……。さぞ、気分がいいだろうな……っ?

 

 

 

 なんだ、この幻聴は。

 なんだこの幻覚は。

 やめろ。

 そんな声色で、私に語りかけるのをやめろ。

 ヴェールの向こう側の情景が変わる。

 目を背けたくなるような悲惨なありさまだった。

 

 

 

はー……はー……。

マッチ(クスリ)をくれ……頼む……っなんでもするから……

 

 

 

 やめろぉ!

 私は、そのようなことを女子に言わせるような下種ではないっ!

 しかしその声は、心から私に懇願するようで、ただの幻覚や幻聴だと切り捨てるにはあまりにも真に迫っていて……っ!

 

 まさか。

 そんな、馬鹿な。

 この、無限に繰り返される今夜には。

 私が淫獣と化した夜も、存在するとでも、いうのか?

 

 はっと我に返れば篝火。

 図書室の夢の、篝火だ。

 

 揺れる火の粉を見ていては、とても心中落ち着かない。

 心が折れそうだ……この先、アリスが必要だ。

 

『シロクマに強化石で盗賊の短刀+9まで強化してもらってぇ。

 帰還の骨粉二つ買ってぇ。

 地下牢に落ちてるモノ拾って暗い木目指輪貰ってから骨粉で帰ってきてー』

 

 アリスだ!

 しかし、その声色は投げやりなそれ。

 まったく期待されていないことは一目瞭然。

 そのことが、なにより苦しい。

 なにかが彼女の期待を壊したのだ。

 原因は明白。

 マーメイドに殺された事。

 あそこが分水嶺。

 そのときまさに態度が変わった。

 もう今夜、彼女が褒めてくれる事は、二度とないだろう。

 けれど。

 それが一分一秒でも速く彼女を救わない理由になるか?

 いや、ならない。

 だったらどうする?

 私は狩人。

 狩りの疾さを見せつけるしかない。

 覚悟の準備をしておく必要があるな。

 アリス。見ていてくれ。

 私の……ほもの狩りを知ってくれ。

 

「ねぇっねぇっ、あなたっあなたっ。

 ぺろぺろちょうだいっ。

 とっても甘いのちょうだいっ。

 ぺろぺろっ! ぺろぺろっ!」

「いつつか。いつつ欲しいのか。いやしんぼめ」

「欲しい欲しい! ぺろぺろっ!

 ……アンまぁぁあぁぁいーーーーッ!

 ありがとーっ! オレイにコレあげるねっ!」

 

 図書室地下。いや、地下牢。

 その片隅の地に巣を作る白鴉の雛に、アリスに食べてもらうために拾い集めていたキャンディーのうちの幾つかを譲ることで暗い木目指輪を手に入れた。

 帰還の骨粉の袋を取り出し、吸引する。

 

 ――――もしや私はこの地下牢に、女子を閉じ込めたりした今夜もあったのだろうか?

 ――――たとえば、愚鳥ドドや、エロ巫女ビル嬢、それに、グリ、グリ、グリなんとかという空舞うナイトを、白兎ノーデ(むしろ監禁者の管理を率先してやりそうだ)を、チャシャ猫娘(神出鬼没の性質を封じぬ限り不可能だろう)を、そして名も姿も思い出せぬ誰かを、性欲に身を任せて犯し、ここに閉じ込めた夜もあったのだろうか? 複数の女子を侍らせ、ハレムの紛い物のような行いをしていたのだろうか?

 

 分からない。

 いや、そんな誤魔化しは必要ない。

 あのような記憶が蘇ってきたということは、確実にあったのだ。

 いつの今夜までかは知らないが。

 この心に、アリスというものがありながら。

 

 確かにアリスの事を殿堂入りにして別格とするならば、いずれ劣らぬほど心惹かれる美女美少女であったことは認めよう。実に甲乙つけがたい。

 

 しかし今夜の私は、そのような不埒な真似をする淫獣には絶対にならない事を誓おう。

 この心にアリスある限り、例え百万回死んでも負けない。

 

 目を開ければ、篝火。

 再び図書室の夢の篝火だ。

 

『じゃ、いま拾ってきたものシロクマに売ってぇ。

 万能鍵三つと見えざる胡椒四つ買っといてぇ』

 

 そのようにする。

 いま気になったのだが。

 シロクマにはソウルは必要なのか?

 

「ソウルが必要かって?

 そりゃあ必要だろうよ。魂がないと手足も動かせんからな。

 ……俺よか女にソウルを分け与える時は注意しろ。

 奴らは見境無いからな。

 黄金の卵を産むガチョウみたいに腹を掻っ捌かれても知らんぜ俺は」

「シロクマさん?

 根も葉もない話を吹き込まないでくださいね」

「ほらやべーだろ……地獄耳だぜあれは……」

 

『じゃ、胞子の森行って西ねー』

 

 アリスの導きに従い、篝火の前に座り、胞子の森を思い描く。アリスにそっけなくされ陰鬱な気持ちでいたからかぼんやりとした意識で揺れる篝火を見ていると、私はどこか夢見心地となって、やがて篝火の向こう側がヴェールのように透け、胞子の森の一角らしきちょっとした広場が映った。

 

 

 

ここから西の館に、公爵夫人という女が住んでいる。

顔が広い上、懐も深い……すー……はぁ。

まーー……辿り着ければいいんだが、な

 

 

 

 広場の大きなキノコに腰掛けるのは、繭の代わりに水煙草の煙を吐く芋虫娘。

 故に蛹になることも、引いては蝶にもなれない少女。

 もはや作り手のいなくなった、買い溜めたマッチは後僅か。

 そこまで記憶していても、彼女の名前が思い出せない。

 私はほも。君の名は?

 その問いかけにヴェールが歪む。映るのはまた地下牢だ。

 

 

 

は………わしはシーシャ。

あんたの陰茎無しでは生きられない哀れな性奴隷……。

これで、満足か……っ? 下衆め……

 

 

 

 シーシャと名乗ったその幻覚は、どこまでも私に辛辣だった。興奮してきた。屈服させたい。あなたならどうする? 最高だった。

 ――――幻覚相手なら、浮気じゃない。

 

 

 

 

 

 

 再び訪れた胞子の森。

 最高にスッキリとした気分で篝火の前から立ち上がり、西に走る。

 ……見えざる胡椒を使ってから。

 ソウルの奥底から滲み出るのは、アリスからの導き。

 アリスはもう、私の走行技術を信用していないのだ。

 そのことが悲しい。

 透明となった私に森のキノコの異形たちは認識せず、私はジョギングのような気軽さで森の中を[ドードー走り]に駆け抜ける。

 やがて辿り着くのは濃霧の壁。

 チェシャ猫の警戒サインだ。

 濃霧の向こう側に行く前に、私はソウルの奥底から滲み出る装備変更指示に従って着替え始めた。

 

 まず服を脱ぎます。

 鉄の処女の指輪とチェシャ猫の指輪を外し、白鴉の指輪と暗い木目指輪をつけます。

 

 敏捷特化の装い。

 私は右手に獣狩りのノコギリ、左手に銀の短銃を携えて霧を抜けた。

 

 森の中にぽっかりと開いた広場。

 足を踏み入れれば、右手側にある大木を内から破壊し飛び出す者あり。

 現れたのは全身鎧を着込みグレートソードを担ぐ大柄な騎士。

 

 そう、お前の名は……老兵ウィリアム。

 アリスの諳んじる戯詩「ウィリアム父さん」を元に改変された存在。息子の問いかけに三度答え、そして詩の結末にはあまりしつこいと階段から突き落とすぞと息子を叱る……という程度では済まさず、その肩に担ぐグレートソードで直接叩き斬り潰し魔獣化したと書き換えられた者。

 

 原作改変。二次創作。いわば私の同類だ。

 私のソウルは、お前の存在を覚えているぞ。

 

 もちろん同情することはない。

 過程や方法がどうであれ、獣に堕ちた人間を、狩人は許しはしないのだ。

 

 血の追跡……状況を開始する。

 

 これまでにアリスが導いた結果を元に考えれば、アリスが何を望んでいるか分かる。

 いや、分からなければならない。

 

 長距離走が[ドードー走り]なら短距離走は[血の追跡]だ。

 狩人固有の走法は、狙った獲物を逃がさない。

 不思議な国の不思議な法則換算で、体感1.6倍ほど敏捷性が上昇する。

 

 右手武器を盗賊の短刀に持ち替える事で更なる敏捷速度増幅。

 盗賊の短刀は、持ち手に不思議な俊敏さをもたらす。

 

 暗い木目指輪の性質。

 軽業曲芸師の如く[アクロバット回避]の動きに目覚める。

 その軽快な動きに乗せて、左手の短銃を腰に提げ、私は投げナイフを投げる。

 

 投げナイフは、投擲者が素早ければ素早いほどその威力を増す。

 不思議な国の不思議な仕様の投げナイフ。

 

 果たして老兵ウィリアムがなにかしらの一手打たんとした瞬間には腕に投げナイフがやすやすと突き刺さり、何らかの挙動を阻害する。何もやらせるつもりはない。させることはもはやない。

 

 私の敏捷性はもはや!

 お前の挙動を圧倒的に上回っている!

 一挙手一投足全てに投げナイフを差し込み、完封させてもらおうか!

 

 時に近づき時に離れ、ウィリアムの周囲をパルクールしながら投げナイフを投げ続ける。

 一本一本は確かに軽症。致命傷には程遠い。

 故に死ぬまで投げ続ける。

 一度投げナイフで戦うと決めたなら、腕力や魔力に頼ってはいけない。

 持てる力の全てを敏捷性に賭けるのだ!

 

 

 ……だが。

 更なる速さで討伐しようと思ったら、これでもまだ足りない――――っ!

 

 

 私は成長しなくてはならない。

 ソウルレベル的に、という意味ではなく、狩人的に。

 アリスの絶望を裏切らなければならない。

 絶望は成長だ。

 その絶望を覆すために人は成長するのだ!

 速度のミスは速度で返す。

 私はここから加速する! してみせる!

 老兵ウィリアム! 申し訳ないが、私の成長のために、その胸をお借りする!

 

 私はこの投げナイフ戦法にかかる時間――必ず一手一投、毎回全力投擲する必要がある――を更に短縮する方法を思いついたぞ!

 

 右手武器の効力を維持したまま手を空けるため、アクロバット回避の挙動に織り交ぜて盗賊の短刀を鞘に収めず口に咥えた。そして両手で投げナイフを取り出す。両手合わせて、十二本だ。

 ……青ざめたなウィリアム老。

 戦場で鍛えたということになっている勘で悟ったようだな。

 自分が叩き斬り潰した息子よりも恐ろしい結末になるのに気付いたようだな。

 遅すぎるんだよ!

 

 留まる事無く前転側転ムーンサルトと決めて縦横無尽に翻弄し、対応できないまま固まるウィリアムの正面から両手の投げナイフを全力で同時に胴体目掛けて投げつけた。それらは全身鎧の中でももっとも頑強な箇所の一つである胸部をパピルスのように容易く貫き根元深くまで突き刺さる。フシギ!

 

 金属鎧の隙間から噴出する血液。

 返り血を浴びる私。

 数十の投げナイフを立て続けに浴びたウィリアムはもはや立ち続ける事はできず、仰向けに倒れて悪夢の夜から消え去った。

 

 ふと私は、退屈しのぎのゲームを提案してくれたチェシャ猫娘のことを思い浮かべていた。

 今度は的当てゲームでもやってくれないものか。目ン玉に当たったら百点満点ですわ駄猫が。

 

 さて、アリスはどこだ?

 この先か。

 一分一秒でも速く、アリスを助けに行くぞ!

 

 

 





今回はここまでです。
ご閲覧、ありがとうございました。



追記・2019/11/28誤字修正適応

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