桃は久々に自宅に戻り、午前中いっぱい掃除と風通しをしていました。家というものはたまでも手入れをしないとすぐに傷んでしまうのです。
一仕事を終え、息抜きでもと思った時です。あるはずのないものがそこにありました。
それは書き置きでした。
「桃へ
これを見ているということは、私はそばにはいないでしょう。でも心配はいりません。
訳があって吉田優子ちゃんの中にコアとしています。
本当はちゃんと説明しないといけないのですが、長くなるので今は姉を信じてください。
あなたのことですから生活はできていると思いますが、体には気を付けてくださいね。
それとメタ子には口止めをしてあったので怒らないであげてください。
この書き置きは、優子ちゃんを何度か家に招くことを条件に現れるようにしてあります。
なので……きっとその子と仲良くなっているのでしょうね。でしたら本当に嬉しいです。
姉より」
長年探し続けてきた姉の所在が分かりました。ですが桃が真っ先に感じたのは困惑でした。
姉がコアになって吉田優子……シャミ子の中にいるというのは、もちろん困惑の原因の一つです。
ですが、それ以上の原因があります。
桃はシャミ子のことを愛しています。ですがそれは無意識のうちにシャミ子の中に姉の存在を感じ取っており、シャミ子自体は何とも思っていないのかも知れないということです。
もしシャミ子の中に姉がいなければ、初めて会ったシャミ子がトラックにはねられそうになったのを助けたでしょうか?
シャミ子のことをいろいろと構っていたでしょうか?
不吉な想像は続きます。
もし今後シャミ子に会ったらどうなるでしょうか?今まで通りにシャミ子のことを見ることができるでしょうか?
それどころか、姉を取り戻そうとシャミ子に危害を加えて……
桃は息を詰まらせます。そして結論を出します。
シャミ子と会うことはできません。この街にはいられません。シャミ子を守るためにすぐにどこか遠くに行かなければいけないのです。
ですが、往々にしてタイミングというものは悪いもので、この時もそうでした。
「桃~お片付け終わりましたか~」
シャミ子の声が玄関口から聞こえます。いえ、もう上がり込んでいました。
「シャミ……」
言葉を続けられません。
「あれ?元気ないですよ桃?昼ご飯ちゃんと食べましたか?おなか減っているんじゃないですか?」
事情を知らないシャミ子はいつものように桃に近寄り、そして桃の空腹度合いを調べようと、全く悪びれる様子もなく桃のシャツの下に手を入れ直にお腹をさすります。
「お腹いっぱいということはないですね」
状態を把握したのかしなかったのかよくわからないまま、なおもお腹を触り続けています。
桃はシャミ子を抱きしめました。
理由なんて必要ありませんでした。
「ほ、ほわっ、も、桃~」
シャミ子が慌てて何やら口走ります。それがまた愛らしいではありませんか。
何を難しいことを考えていたのでしょうか。シャミ子のことを二人分愛して、二倍かわいがって、三倍甘えればいいだけなのです。
「なにも断らずに私のお腹を触っているお返しだよ」
とりあえずの理由っぽいのも言ってみます。それが効いたのはシャミ子が黙りこくってしまうのからもわかります。
おとなしくなったのをいいことに、シャミ子の両脇に腕を伸ばして持ち上げます。
小柄なシャミ子を持ち上げるのは桃にとってとても簡単です。そしてゆっくり下ろします。
シャミ子の胸が顔に当たるように。
「きゅわー、きゅわー」
さすがに慌てるシャミ子ですが、少々暴れてもどうにもなりません。
「シャミ子は私のお腹に興味あるんだよね?だったら私がシャミ子のお胸に興味があっても問題ないよね?」
またもシャミ子の癖をダシに理由をでっちあげます。
シャミ子のでたらめに早い鼓動が聞こえます。柔らかくて温かい感触に包まれて、桃は高揚感と幸福感に満たされました。
姉の胸に顔をうずめて甘えていた昔を思い出しますが、シャミ子と姉の存在が重なろうと重ならまいと関係がありません。ただただシャミ子のことが、シャミ子のすべてが愛しいのです。
「昼はちゃんと食べてなかったから、夕飯は豪華にお肉食べよう」
余りシャミ子をいじりすぎると怒られそうですので、名残惜しいですがシャミ子を床に下ろしながらごまかします。
「お肉ですかっ!?」
正直なところ少々食生活が残念気味の吉田家にとって、お肉といえばかなり高級品なのです。シャミ子の食いつきはよく簡単に話題を切り替えられました。
「シャミ子の家でみんなで焼き肉パーティーしようよ」
「う、家には人様にお出しできるような物はございませんー」
シャミ子が卑屈になってしまいます。尻尾もうなだれています。
「私が食費全部出すよ」
「そ、そんな、申し訳ないです。うちの家族いっぱい食べちゃいますよ!」
「シャミ子……お金のことなら心配ないよ。ほら、限度額『買いたいもの全部』のブラックカードだよ」
財布から黒光りするクレジットカードを取り出します。五枚あるうちのとりあえずの一枚です。経済力を誇るのはあさましい気もしますが、シャミ子を説得させるのには必要悪でしょう。
「じゅ、十万円くらい使えるんですか!?」
経済感覚がかなり寂しいシャミ子が驚き尋ねます。
「最低限のカードでもそれくらい使えるよ。もっと使っても平気だよ」
「じゃあ十二万円くらいですか?」
とても小刻みに刻んでくるシャミ子。だいぶ貧困です。それでも以前の月四万円の三倍なのです。高嶺の花なのです。
「えっと……一万倍どころ……ともかく全部私が出すよ。いくら食べるといってもそんなにいらないよね?ご家族にもいつもお世話になっているお礼もしたいし」
話が長くなりそうなので適当に切り上げます。そこまで言われシャミ子は納得しました。
「家に電話します。お肉パーティーの連絡します!」
気合いを入れたシャミ子がちょっと離れてスマフォを操作します。
「あっ、お母さん……それでね……お肉です……桃が……ブラックだからクレジットカードは平気っぽくて……それで……」
後で訂正が必要になりそうな会話を聞き、吹き出しそうになりながら通話を待ちます。もし桃にも尻尾があれば、きっと振り回しているくらい機嫌がよかったでしょう。目の前のシャミ子のように。
「さあ特訓しよう!特訓してからお肉を食べると筋肉つくよ。それに空腹は最高の調味料だよ」
「わかりました!お肉のためにも頑張ります!」
そうして上機嫌な二人は明日へ向かって走り出しました。