クイナ剣客伝   作:藍上 尾

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第一話

 

 

 

 刀を振るう。

 

 さして工夫を凝らした訳でも無い、単純極まる動作。唐竹割り、左右袈裟、刺突、斬り上げ……まるで気の抜けた素振りでもするような心地で放った斬撃は、しかし、敵と呼ぶには余りに脆い弱者の命を掻き消して余りあるものだった。

 

 珠のような白肌に、襟首で揃えられた艶やかな黒髪。まだ幼さすら匂い立たせる少女、クイナの周囲には、いつの間にか血生臭い修羅場が完成していた。

 

 巨大なガレオン船の船橋が赤黒く染まるほど積まれた死体の山。それは強者の噂を頼りに世界中の海を渡っていたクイナが偶然遭遇した海賊団のものだ。一刀の下に容易く斬り伏せられ、首が跳び臓物を溢した死骸の群れ。辺り一面に倒れるそれらを数えることすら億劫だが、少なくとも五十は優に上回っているだろう。

 

「…………」

 

 鼻に纏わり着くような死臭に、思わずクイナは眉間にしわを寄せた。別に、己の残虐行為に嫌気が差した、なんて事ではない。ただ、

 

「こんなんじゃ、つまんない」

 

 それだけである。

 

 心が躍らないのだ。師を斬ったあの死合から既に三年余り。武術家、海賊、果ては海王類のような巨大生物。強者を探しては違法に手を染めてでも死合って、その悉くを斬り捨ててきた。悪魔の実の能力者、珍妙な武術、経験こそ積めたものの、クイナの望む極限へ至った強者との出逢いはなかなかなかった。

 

 クイナは別に斬殺を成したい訳ではないのだ。殺人が犯罪であり、いけないことだと言う自覚もある。だがそれよりも、己を高めることの方が重要だからこそ、こうして斬って捨てていると言うのに、これでは余りにも無意味ではないか。

 

 互いの生命を燃え上がらせ、削り合うような壮絶な死闘の果てに更なる高みを、その先にある『世界一の大剣豪(さいきょう)』に臨みたいだけ。

 

 常人には理解し難い狂気ともとれる思考だが、クイナにとっては年相応、夢見る乙女の恥ずかしくも尊い夢に他ならない。

 

 と、

 

「ぅ、ぉ、おおおおおおっ!!!」

 

 そんな少女の内心の揺れを隙と見たか、最後に一人だけ残った海賊団の船長らしき男が吼えた。

 

 一瞬にしてトップスピード。海軍が誇る戦闘術『六式』における高速移動『剃』にすら届くだろう超速は、常人の目には映らぬ程。その手に握るカットラスを頭上から渾身の力で振り下ろし、

 

「遅い」

 

 りぃん、と鈴音の如き金属音が男の身体を通過する。

 

「がっ、あ、ぁあああ!?」

 

 得物を握り締める右手が、その腕ごと跳ぶ。

 

 男の踏み込みを容易く見切ったクイナの斬撃は、鮮血の付着すら許さぬ神速でもって振り抜かれている。

 

「ぐ、ォオオァアアアッ!」

 

 鮮血と共に虚空を舞う男の腕。止血を要する致命的な傷を負いつつも、船長としての矜持だろうか、男は残る左拳を握り締め、少女目掛けて止まらず拳を振りかぶった。

 

「その意地だけは認めてあげる」

 

 腐っても一海賊団を統べる者、と言うことだろう。僅かな賞賛の言葉と同時に、退屈そうに鈍かった眼光を鋭く光らせ、手に持つ鋭利を取り落とす寸前まで少女は脱力。

 

「ガアアアアアアアアアッ」

 

「我流刀術、クイナ。最上大業物が一振り『初代村正』にて」

 

 それは嘗て師が振るった刀。鋼色である筈の直刃の刀身は、頭上に輝く太陽の陽気を反射しているにも関わらず、斬ってきた亡者の念が染み付いたかの如く濡れ滴る鮮血の赤に煌めく、正しく妖刀。

 

 吸い付くような鮫皮の感触を右手で感じつつ、

 

「参る」

 

 一閃。迸る紅色の太刀筋。

 

 音すら両断し、男の胴が上下に断ち斬られる。

 

 断末魔すらなく、上半身が地面へ落ちるまでに絶命した船長の最期を確認するまでもなく、少女は解き放った己の鋭利を鞘へと戻した。

 

 

 

 

「……やっぱり、つまらないわ」

 

 心は躍らない。

 

 一海賊団を丸ごと相手にして、クイナの負った傷は皆無。息が乱れる予兆もなく、むしろ精神的な落ち込みの方が肉体に重くのし掛かる。

 

 常に絶やさぬ快活な笑みは、何処と無く暗かった。

 

 所詮は木っ端の海賊風情、と言うことなのだろうか。死線の狭間に身を滑り込ませ、絶技を駆使して削り合い、限界を超えるような、少女の臨む死闘には程遠いものだった。

 

「…………ふぅ」

 

 さてどうするかな、と空を見上げて息を吐く。少女の憂いを映し出すように、つい先ほどまで顔を出していた太陽が曇天によって隠れていた。

 

 ぽつり、と空よりこぼれ落ちる涙。身体を叩く雨脚は次第に激しく変わり、クイナの頬を滑り落ちていく。

 

「…………」

 

 血の臭いが雨の香りと混じり合い、少女の周囲は戦場跡地の如き様相を呈していた。そんな地獄絵図の中を暫し無言で佇み、辺りを見回す。

 

 この調子では、凡百の雑魚を幾人斬ったところで余りにも無意味。まだ己自身に埋没して鍛練に励む方が有意義だ。

 

 ならばどうする。師曰く、世で最も頂きに近い強者は新世界を統べる海賊『四皇』、世界政府直属の軍隊である『海軍本部』、そして世界政府に公認された七人の海賊『王下七武海』。世界のバランスを保つ三大勢力とやららしい。

 

 強大な敵へ身一つにて挑む。それはとても心踊ることだろう。しかし、クイナは己が身一つで一勢力を相手取り、勝利できると思い上がるほど馬鹿ではなかった。

 

「……今はまだ、ね」

 

 小さく、嘯く。

 

 何れにせよクイナにとって、今居る偉大なる航路(グランドライン)前半の海は不足も不足。三大勢力が腰を据える後半の海へ足を踏み入れるべきであろう。否、師を斬ったあの時点で乗り込むべきだったのだ。

 

「でも……」

 

 問題が一つ。それは、偉大なる航路(グランドライン)がこの世のモノとは思えぬ悪天候、奇想天外な人外魔境だと言うことだ。さしものクイナとて、大自然と言う世界そのものに勝利することは叶わない。前半の海を渡り歩いてきた今までですら、ひとつ間違えば大変な事態だった。ましてや後半の海など、遭難でもすれば一溜まりもない。

 

「むぅ」

 

 だが、このままでは己の更なる飛躍を望めないこともまた事実。故に必要なことは決まっている。

 

「……足、ね。それも比較的安全かつ確実な」

 

 安全に海を渡れる(あし)。言葉にすれば簡単なそれが、難しいことだと言うのは分かっている。

 

「さてと、どうしようかしら」

 

 空回りする思考に身を委ねていると、騒動が一段落したことにようやく思考が追い付いたのか、船人達が慌ただしく帆を張り、ガレオン船がゆっくりと動き始めた。

 

「いやまったく、こんな港の近くで襲われるとは思いませんでした。助かりましたよ、用心棒さん」

 

 そう、薄ら笑いを浮かべながら歩み寄ってきたのは、小柄で小太りな中年男性。このガレオン船の船長で、西の海随一の商人を自称する男だった。確か名前は、

 

「え~っと、コーンビーフさん、でしたか?」

 

「コーンバートですよ。ふう……やはりと言いますか。失礼ですが、クイナさんは興味ないことにはとことん無知とお見受けします……」

 

 なんて言いずらそうに顔をしかめるコーンビーフに手を振って応える。どうでも良いと言うのがクイナの本音だった。

 

 と、そこで少女はふと名案を思いつく。

 

「そうだ、コーンバートさん。この襲撃での追加報酬はいらないので、グランドライン随一の商人にひとつ、頼み事を聞いてもらえますか?」

 

「ふむ? どう言ったことですかな」

 

「それは……」

 

 なんてことはない。大商人のコネで新世界にまでパイプを持つ商人の輸送船か何か、護衛役でも募集していないか、と考えたのだ。

 

 幼い頃から剣術尽くし。師に拐われてからも大自然で生き残る術と斬る事しか学んでこなかった。そんな学の無いクイナがぱっと思いついた方法としては、なかなか良い感じのではないか、と自画自賛してみる。と言うか、考えれば考えるほど、他に方法は無いように感じられた。

 

 最悪、海賊の仲間になるなんて手もあった。が、いつ襲い掛かってくるか分からない無法者など、どんな拍子に斬り殺してしまうか分からない。気付いたら首を跳ねていた、なんてことが普通にあり得るのだ。

 

「ふーむ、まあ良いでしょ。今回の積み荷は大変高価な品を取り扱っていましてね。もしもクイナさんが居なければ、奪われていたやも知れません。それを思えば、その程度の頼み事は任せていただきたい。どれ、港につくまでに紹介状の一つでも用意しておきますよ」

 

「感謝します。いやー、どうやって新世界まで行こうか悩んでたんですよ。助かりました」

 

「いえいえ、では港に着くまでよろしくお願いしますよ」

 

 そう言って、コーンバートは船内へと戻っていった。薄ら笑いを常に浮かべる、あまり気持ちの良い人物とは言えない男だったが、どうにも海賊による襲撃を一蹴したクイナの実力をいたく気に入ったらしい。少女の願いを快諾してくれた。

 

 行き当たりばったりにも程があるが、運もまた実力の内だ。ニヤけそうになる頬を撫で、腰に下げた愛刀の柄を撫でる。新世界。強者との死闘の予感に、己の妖刀もまた愉しげな妖気を溢しているようだった。

 

 ふいに、雨が止んだ。

 

 暫くすると今までの曇天が嘘だったかのように晴れ渡り、少女の目には幻想的な光景が飛び込んできた。

 

 巨大な樹木、ヤルキマン・マングローブの集合体『シャボンディ諸島』。世界を一周するグランドライン前半と後半の海を隔てるレッドラインに程近いあの諸島は、特殊な樹脂が織り成すシャボン玉文化が栄えていると言う。

 

 日光を反射した無数のシャボン玉が煌めき、百メートルを超える巨大樹木の群れを包み込む光景は正しく絶景。グランドラインの外から来た者が見れば、思わず目を見開き、暫し言葉を失うことだろう。

 

「まぁ、私としては面白い出会いがあると嬉しいんだけど」

 

 シャボンディ諸島の正面。44と刻印されたヤルキマン・マングローブにある港へと船は進んでいく。

 

 吹き抜ける潮風。

 

 柔らかく髪を揺らしたその流れに混じる闘争の気配に、少女は浮かべた笑みを更に深めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 剣鬼が倒された。

 

 その報を宿屋に設置されたでんでん虫越しに耳にしたあの時、胸の奥に走った得も言えぬ感情を青年、ムサシは今でも覚えている。

 

 まだ可能性に過ぎない、と続けた現当主である弟の言葉で落ち着ける筈もなかった。慌てて身支度を済ませる中、部屋の姿見に映った己の姿に、思わず頬に活を入れた。

 

 簡素な藍青色の着物。ボサボサの黒い長髪を後ろで縛り、腰には大小二本の太刀。筋骨粒々の身長二メートル、今年で二十五にもなる大の大人が動揺を露にしていたのだ。しっかりしろ、と思いもよらぬ一報によって乱れる心に筋を通して、宿を後にした。

 

 結局、超えること叶わなかった。

 

 己の技量の不足と超える機会を失った不運を嘆き悲しみ、そして、剣鬼を倒したかも知れないと言うまだ見ぬ剣客の情報に期待し、ムサシは三年ぶりとなる東の都への帰郷を決断した。

 

 東の都で執り行われる四年に一度の御前試合。強者共の中から将軍指南役を決める大一番に参加するため、実家の近くまで来ていたことは幸いだった。

 

 『剣鬼』ミヤモト・ジュウゲエ。

 

 門下生四千人を抱える将軍指南役筆頭にして東の都を治めるミヤモト家前当主であり、己の実父であり、ムサシの知る限り最強の剣客。

 

 御前試合にて指南役を勝ち取ること五度。その全てにおいて圧倒的実力差を見せつけた、天才にして鬼才。家に戻るのは数年に一度、それも御前試合のある年がほとんどだった。修業の旅と嘯き、ついには祖国からも姿を消した、当主としても父としても最低な人間であったが、それでも、剣客としては何時か超えるべき相手だとムサシは考えていた。

 

 家を出て道場の看板を集めて回っていたのも、少しでも父を超える技量を身に付けんが為だと言うのに。まさか、外海で倒されるとは。噂に聞く四皇とやらか、或いは王下七武海、もしくは海軍本部とやらか。仮に三大勢力と謳われる強者の一画とぶつかったとしても、あの剣鬼が倒される光景が思い描けなかった。

 

 ……あの時の、茫然と自問自答を続けていた己を客観視すれば、さぞや滑稽に映ったことだろう。そして、帰郷した青年は剣鬼を斬った者が彼自身が見出だした弟子である、と知るのだった。

 

 

 

 

 ぞわり、と背筋を走る悪寒。瞬時に意識が現実へと引き戻される。

 

「っ!」

 

 鋭利な気配が迫る。

 

 脳天からの唐竹割り、ではない。

 

 そこに刃は無い。空想の斬撃を幻視させる程の殺気が、ムサシへ叩きつけられたのだ。そう察知した時には、既に肉体が反応していた。あえて逆らわず自然な動作で半身になって幻想の刃を躱し、その殺気の主を探る。

 

「……面白いな」

 

 父を斬った弟子とやらを探し、外海へ足を踏み出して既に二年余り。これほどの気当たりを操る強者とは久しく出会っていない。

 

 好奇心を刺激され、道の先へと向けたムサシの目に飛び込んできたのは、五人組の男と一人の少女だった。

 

 薄手のシャツから分厚い筋肉を覗かせる筋骨粒々の男達が、各々の得物をひけらかしながら二十にも満たぬ一人の少女を道の隅へと追いやり、下卑た笑みを浮かべている。手馴れた挙動を見るに、人拐いか一時の楽しみか、はたまたその両方か。つまりそう言うことなのだろう。完全な犯罪行為だが、ここは24番グローブ。無法地帯に位置する治安の良いとは決して言えぬ場所である。器量の良い少女一人を職業斡旋屋(ヒューマンショップ)に売り渡すなど、平気でやってのける事だろう。

 

 囲まれている少女は状況が理解出来ているのかいないのか、怯えた表情一つ見せていない。むしろ、珍しい玩具を見付けた子供のように笑みを浮かべ、ムサシへ黒真珠のように輝く目を向けてくる。

 

 着古した黒い着物に真紅の帯、その隙間から覗く白く珠のように瑞々しい肌。夜空を思わせる艶やかな髪と瞳。護身用に下げているのか、腰には一振りの刀。なるほど、相当な美人、もとい美少女と言えるだろう。男達が獲物にするのも分かると言うものだ。そう、その外見のみを見たならば、だが。

 

「さて、どうするか」

 

 一端の剣客として、こんな挑発じみた挑戦状を無視するわけにもいくまい、と。

 

 常人なら躊躇いもせず逃げ出す場面なのだろうが、己がそうである必要は何処にもない。それに、道を誤った若者だろうとやり直すチャンス位は与えてやっても良いだろう、なんて考えて、ムサシはその集団へ歩を進めていく。

 

「なんとか言ったらどうなんだぁ、お嬢ちゃんよ。折角、俺達が遊んでやるって言ってんだ、さっさと」

 

「ちょっといいか」

 

「……ぁあ?」

 

 苛立たしげにこちらへ振り向く男達。身長二メートルのムサシよりも更に頭一つ分は大きな体格、見下ろすようにこちらを凄んでくる眼光は、常人では肝を縮めて然るべきなのだろう。あくまでも、常人の範疇では、だが。

 

「……見てわからねぇのか? 俺達は今取り込み中だ。死にたくなけりゃ、うせ」

 

「ああ、そうだな。……死にたくなければ失せろ」

 

 言葉と同時、剣気を叩き付ける。

 

 悲鳴を噛み殺すような、微かな呻き声。

 

「っ、行くぞおめぇら」

 

 多少なりとも殺気を感じ取れたのだろう。男達は息を呑むと、先程までの強気な態度が嘘のように早足でこの場から逃げ出した。

 

 まあ、誰でも死にたくはあるまい。首を切り飛ばされる様でも幻視したのだろうが、その程度ですんで幸運だろう。

 

「……それで」

 

 何故なら、と逃げていく男達の背から頭を振るって視線を戻し、その眼を凝らす。

 

 目前の少女から匂い立つ、濃密な血の気配。常人では分からないほど微かな、しかし、命のやり取りを常とする剣客ならば悟れるその気配を、ムサシは敏感に嗅ぎ取ったのだ。

 

 身に付けた黒い着物は、どれほどの鮮血に塗れたことか。黒塗りの鞘に納まった鋭利は、どれほどの血肉を喰らってきたか。

 

 あのままなら、男達が確実に血の海に沈んでいただろうことだけは確かだ。無邪気な笑みをたたえるこの少女に斬られて。

 

「先程の挨拶はお前だな?」

 

 その言葉は問いではなく確認だ。噎せ返るような、これほど血の気配を纏う少女と、ただそこらにあふれる有象無象とを間違うほど耄碌していない。

 

 と、

 

「良かった」

 

 鈴を転がすような澄んだ声音が、少女の口から溢れた。

 

「つまらない雑魚ばかりかと思えば、貴方みたいな強者(ひと)も居るのね」

 

 微かに吊り上がるその口角。

 

 心の内に飼い殺していたか。純真無垢な微笑みに、狂喜の色が滲み浮かぶ。

 

 重心、気配、足捌き、一目見て窺い知れる凡その実力だけを鑑みても、己と同格かそれ以上。正確な力量すら掴ませてくれない。これ程の敵手との立ち合いは今だ嘗て無く、それこそ父である剣鬼との対峙すら思わせる領域にある。

 

「ふん、狂犬め……」

 

 目前の少女は、剣と言う業に身を浸した強きを求める修羅だ。

 

 そして、

 

「……はは」

 

 そんな強者との出逢いを神仏に感謝する己もまた、剣に狂った愚者に他ならないのだろう。

 

 鬼気すら匂わせる笑みを浮かべる少女は、同感だと言わんばかりに剣気を滾らせ、腰の得物へ手をかける。

 

 交わした言葉は少なく、出逢って間もない二人の男女。その間で交錯する熱を帯びた視線。まるで恋愛物の小説や劇に出てくる一場面のような、運命的ですらある邂逅はしかし、小説程に甘くはない。むしろ、血生臭く凄惨ですらあるだろう。なにせ、二人が二人とも、高きを臨む力の求道者なのだから。

 

 だが、

 

「……待て」

 

 だからこそ。

 

 ムサシは闘争の気配を霧散させた。

 

「ぇえ?」

 

 そう、不思議そうに目を丸くする少女の気持ちは痛いほど分かった。己が相手の立場でも、同じように納得いかなかっただろう。だがそれでも、ムサシには成さねばならない事があるのだ。

 

 剣鬼の弟子を斬る。己の頭上で未だに残る、父という重石を斬り捨て更なる高みへ。その為だけに母国を出たのだ。

 

 一時の感情に流され、命を失うようなことになれば、悔やんでも悔やみ切れない。この少女と死合うことになれば、『父親越え』と言う雑念が致命の隙となろう。そんな無粋な感情で、至上の剣戟に水を指したくなかったのだ。

 

「すまんな。俺の用が済んだ後、出逢うことがあれば、な」

 

「……フラれちゃったってことかしら?」

 

「十分に魅力的な誘いだったさ。だから、これ以上誘惑するな。堪えきれなくなるだろうが」

 

 拗ねた子供が駄々を捏ねるように、幻想の斬撃が頬を掠める。肉体が反射的に迎え撃とうとするのを抑え込み、背を向け歩み出す。

 

「……お前とは、また会う気がするな」

 

 根拠はない。だが確信をもって、ムサシは先を急ぐのだった。

 

 

 

 

 

 

 ……お前とは、また会う気がするな

 

 そう言い残して先ほど別れた男を思い浮かべながら、クイナは嘆息した。本当に惜しい。素晴らしい出逢いだったのに、と。

 

 鍛え上げられた肉体、無駄のない体捌き、そして並々ならぬ修練の跡が滲む剣ダコまみれの両の手。久々の大物だ。上質な食事を愉しむように、じっくりと斬り合いたいものだ。

 

 幸先の良い出会いに頬を緩ませる。

 

 新世界に近いシャボンディ諸島だと言うのに、無法地帯で斬った荒くれ者達は歯応えがなかった。故に、それほど期待はしていなかったのだが……良い意味で、あの男はクイナの予想を上回ってくれた。

 

「ふう。それじゃあ、強奪犯って奴に期待するしかないわね」

 

 そう呟いて、少女は聞き込みを再開しようと周囲を見渡す。

 

 そもそも、何故クイナがこんな無法地帯を彷徨くことになったのかと言うと、それはコーンバートによる依頼の為だった。ガレオン船にてクイナが斬り捨てた名も知らぬ海賊団。実はその中の一人が貨物庫内に侵入していたらしいのだ。そして、厳重に保管されていた宝物、悪魔の実が盗まれて(くわれて)しまったらしい。

 

 コーンバートは大激怒。物が物だけに盗まれた実の能力(たから)自体を取り戻すことは不可能だ。故に、報復を望んだ彼は盗人を生かしたまま連れてきて欲しい、と少女に依頼してきた訳だ。

 

 悪魔の実の能力者を相手に生かしたまま連れて来いなど無茶にもほどがある。対能力者用に海軍が開発した海楼石製の手錠でもあれば話は別だが、クイナが持っている筈もない。こんな悪条件で依頼を達成するなど不可能に等しいだろう。

 

 ……勿論、常識の範疇では、だが

 

 何れにせよ、報酬は新世界への足だ。クイナに断る理由は無かった。

 

「と、言うわけで知らないかしら? 『カゼカゼの実』の能力者らしいんだけど」

 

「……おもしれぇ事を言うな、お嬢ちゃん。オレらの仲間を斬っといてよ」

 

 怒気のこもる声音。四方を囲む海賊達。一人一人がなかなかの実力者。覇気使いを名乗れるだろう手練れもチラホラと含まれた男達が二十人程だ。

 

 その中でも際立った黒鎧の男、あれが頭だろう。過去の戦歴を物語るかのように古傷だらけの大男が、身長よりも巨大な大剣を片手に眉間の皺を深めた。

 

「俺の仲間に手を出して、ただで済むと思うな」

 

 噴き上がるような気迫。

 

 ふふ、と笑みが溢れる。

 

「いや、先に手を出してきたのはそっちからでしょ? それに私もちょっと滾ってて」

 

「……やれ」

 

「っと」

 

 背後に気配。

 

 見分色の覇気がもたらす警告に逆らわず、振り向き様に迫り来る敵意へ指先を滑り込ませる。音速に迫る弓矢の狙撃を掴み取り、次いで左右から突き込まれる槍の穂先をしゃがみこむことで回避。後ろ髪に掠める感触を噛み締め、転がるようにしてその場から離脱する。

 

 起き上がり様、息吐く間もなく水平に構えられた刀の切っ先が、くいなの胸元目掛けて銀閃を煌めかせた。

 

「オラァッ」

 

「ひゅうっ」

 

 裂帛の気合いと共に迫る斬撃を、掴み取った弓矢の鏃の先で逸らす。

 

「なっ!?」

 

 鋭い斬撃を弓矢の鏃の先端、針ほどの先で受け流してみせる超絶技巧に男が驚愕を露わにしたその隙を逃さず、立ち上がる動作に連動して矢を首元へ滑り込ませる。普通ならば折れて終わり。

 

 だが、少女には普通の常識など通用しない。

 

 鮮血と共に跳ね跳ぶ生首。武装色の覇気で硬質化、すらしていないただの弓の一本が人の首を断つ不条理。首を断つ程度、クイナにとっては先端にある鏃の鋭利で事足りる。周囲の海賊は少女がなにかの能力者かと疑うが、それも仕方ないことだろう。

 

 止まらない。切り跳んだ頭部を蹴り飛ばし、次いで手の内の矢を投擲。閃光と見紛う二条の弾丸は、血飛沫の射線を空間へ残しながら周囲を囲む男達に着弾。鈍い音を響かせて骨と肉を砕く。

 

 瞬く間に囲いを破ったクイナは、怒声、悲鳴、その他もろもろの雑音を耳から締め出し、頭上から降り注ぐ矢の雨をその間隙に身を滑らせるようにして紙一重で躱し切る。

 

 僅かに崩れた重心。

 

 それを見逃さず二人の槍使いが踏み込んでくる。音に迫る二条の閃光のごとき突き。前から鳩尾、後ろから頭部。それぞれの狙いは正確無比、前後から挟み込むようにして形成された死地。

 

 咲き誇るような微笑みを口元に浮かべ、クイナは崩れたように見せかけていた重心を操り、倒れそうな動作のまま身を捻って躱す。同時に、鳩尾を狙った前方からの槍に優しく手を添えて、

 

「「!?」」

 

 衝突し、甲高い軋みを奏でながら弾かれ合う二本の槍。驚愕に目を見開き、息を呑んだ槍使いの首をクイナの手刀が打撃する。鋭い剃刀を思わせるそれが男二人の頚椎を砕き、倒れる屍がまた増えた。

 

 鮮血。

 

 死臭。

 

 濃密な殺気。

 

 一瞬の緩みが命を掻き消す、死線の牢獄。一人一人はクイナにとって木っ端だ。だが、これだけの人数、四方八方から間断なく攻められるとなると話は変わる。気の抜けぬ窮地となる。

 

 そして、その窮地を潜り抜けてこそ己の刃は更なる高みへ達する、と少女は考えていた。

 

 周囲を見回す。

 

 緊張に顔を歪めながらも、各々の得物を握り締め、クイナを囲う男達の姿。一人一人にそれぞれの物語があるのだろう。家族が、友人が、或いは恋人が居るのだろう。今まで斬ってきた人間、生物、全てに言えることだ。そんな数多の生活を、己の道は踏み潰してしまう。なんと恐ろしく、なんと残酷か。だと言うのに、更なる高みを目指すためには、更なる屍を積まねばならない。それはなんと哀しくそして、

 

「……ふ、ふふ、あはは」

 

 愉しいことなのか。

 

 罪悪感に苛まれる己、窮地を愉しみ業を振り翳す己。どちらが本当の自分だったのか。

 

 否、とクイナは内心で首を振るう。

 

 ぐだぐだと思考を巡らせる今この瞬間こそが余分だ。やはり、どうにも自分は師の教え通りにいかないらしい。

 

 ……刃となれ

 

 師は言った。

 

 雑念を捨て去った先にこそさらなる高みあり、と。

 

 ……儂では届かん。だが、お主ならば或いは至れるやも知れん

 

 だが、刀を振るう事それ自体に愉しみを見出だしているクイナにとっては、なかなか悩ましい難題だ。

 

「ま、質は量で補いましょうか」

 

 そこまで考えて、ようやくクイナは愛刀の柄に手を掛けた。戯れはここまで。

 

 鯉口を切る。

 

「「「「「…………っ」」」」」

 

 刹那、音が死んだ。噴火の如き剣気の爆発に、周囲の動物、羽虫までもが逃げ出していく。結果、海賊の男達の恐怖に乱れる息遣いのみが辺りの静粛に木霊する。

 

 抜いた鋭利を垂らすように無形の位。両手で緩く握った刀の切っ先を下段へ構え、その場に佇む。内から溢れる熱を吐き出し、見分色と武装色、行使し得る二種の覇気を練り上げ纏う。

 

 ヤルキマン・マングローブの根が絡み合う樹木の中を吹き抜ける風。

 

 鼻腔を刺激する血の匂い。

 

 周囲で蠢く海賊達の呼気、握り締める得物の軋み。

 

 静かな心地でそれらを感じ、クイナは目を閉じた。まぶた越しに感じる赤黒い血潮の色。その暗闇の中で自己を研ぎ澄ます。実戦こそが最上の鍛錬。敵意に身を晒した最中でこそ、見える景色があるのだ。

 

 握る村正の鋼の呼吸を感じ、そこへ己の全存在を上書きしろ。

 

 風が唸る。

 

 波のように引いては押し寄せる闘気の奔流が、四方を囲む海賊達から渦巻き、そして、眼を開くと同時に、

 

「「「ォオオオオオオオオ!!!!!」」」

 

「……っ」

 

 弾けた。

 

 押し寄せるように踏み込んでくる海賊。視界に入ったそれらに色彩はない。

 

 刀が己で、己が刀。

 

 故に、この眼は敵を見据えればそれでよい。刀を握るために手はあり、敵へ踏み込むために足はあり、血潮はそれら全てを駆動させるためにある。

 

 白と黒、二色に塗り分けられた影法師のような世界の中で、妖刀の輝きだけが紅く煌めく。海賊達の首を、心臓を、急所を正確になぞるように、空間に太刀筋を引く。

 

 脱力。崩れる肉体の勢いを踵の力で転換し、間合いを塗り潰す。瞬き一つの内に、海賊二人の頭部を抵抗を許さず正確に切断する。

 

 輪切りにされた頭蓋が落ちる前、返す刀で振るわれた村正が、飛来する十の弓矢と二十の弾丸を斬り捨て流し、槍の刺突を捌きつつ間合いを詰めて敵手の背骨を臓物ごと切断する。

 

 刀を振るう、のではない。己を振るうのだ。

 

 無駄を削ぎ落とし、肉体、精神、その他一切合切を斬るためだけに注ぎ込む。だが同時に、楽しい愉しいと沸き立つ感情に身を任せている己が在るという矛盾。だけれど、それこそが人間なのだろうと思う。

 

 難しく考える必要はない。刀を振るうのは愉しい。強敵と闘い、強くなればなるほど更に高まった技量で愉しみが増す。だから、

 

「もっと愉しませて頂戴」

 

 そして、さらに高みへ。

 

 

 

 この日、シャボンディ諸島の不法地帯の一画を統べていた『ベルセルク海賊団』が何者かによって全滅した。グランドライン前半の海で武勇を馳せ、新世界でも四皇の勢力下にて猛威を奮う、と海軍本部でも注目されていた海賊団の突然の消滅は、しかし、これより巻き起こる大事件の、ほんの予兆に過ぎなかった。

 

 

 

 

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