クイナ剣客伝   作:藍上 尾

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第二話

 

 

 

 恐るべき実力を匂わせる少女との邂逅から一時間ほど。勿体無い事をしたか、と後悔の念に苛まれながら歩いていたムサシは、いつの間にか目的の場所へと到着していた。

 

「ここ、か」

 

 ヤルキマン・マングローブ。複雑に絡まり大地と平行に伸びた巨大な根、直径にして十メートルはくだらない極太のそれの上に居を構える小さな喫茶店。そこが青年の目的地であった。

 

 入口のドアに『準備中』と小洒落た文字で書かれた木札を認め、ムサシは軽い調子で扉を叩く。

 

 さて、彼女に直接会うのは久々のことである。今はどんな姿をしているのだろうか、なんて考えていると、扉から顔をのぞかせたのは何処か見覚えのある、しかし、記憶よりも一回りは幼い少女の姿だった。

 

「もう来る頃だと思ってました。お久しぶりですムサシさん」

 

 小麦色に色付いた健康的な肌、星空を切り取ってきたかのように煌やかな黒を宿した髪と瞳。黒い布地に白いフリルを縫い付けた……メイド服、とでも言えば良いのか……服装に身を包んだ十代半ばほどの少女だ。

 

「お、おぅ。久し振りだな、ユウ……だよ、な?」

 

 感情を伺わせない氷のような無表情。自身よりも頭二つ分は低い位置から見上げてくる相変わらずのポーカーフェイスに気圧されて、思わずよろけた。

 

 この、いかにも喫茶店の看板娘らしさに満ち溢れた服装をした少女が、ムサシの訪問相手にして取引相手である。

 

 まず大抵の人間が十代半ばに見えるユウが己と同じ三十路手前であると信じないだろう。変装術の達人であり、優れた諜報能力を持つ東国の隠密が一人。それがユウの正体だ。

 

 ミヤモト家は将軍指南役であると同時に、軍にも幅を聞かせる大家である。その伝で知り合ったのが、目の前の彼女だ。有り体に言ってしまえば幼馴染みと言う奴か。

 

 どうにかして父を斬った弟子の行方を追いたいムサシは、外海にて活動している隠密の友人を頼ったのだ。

 

「どうぞ、上がってください。例の件は中で……」

 

「あぁ……」

 

 扉の向こうへ消える背を追いながら、骨格レベルで別人のような変装ぶりに、流石はプロフェッショナルだな、なんて思うムサシだった。

 

 歓迎と様々な説明と言うことで、ムサシとユウは店内で昼食を取ることとなった。ここ数ヶ月は大味な手料理やら買い食いやらで凌いでいたためか、運ばれてきた料亭並みの料理の数々に思わず唾が垂れそうになる。

 

 艶々に輝く白米。美しい色合いの小鉢にはユウが気を使ってくれたのかムサシの好物ばかりが並び、東国風の食事が久しぶりなのもあって、みるみる箸が進んでいく。

 

 そんな食べっぷりに、目の前のテーブル席に同じく座るユウが常とは異なる柔らかな笑みを浮かる。

 

「ムサシさんがお元気そうでなによりです。修行の旅はどうでしたか?」

 

「ふむ……まあ、そこそこ波乱万丈ではあったな。と言うか、今回はその姿でいくのか?」

 

 なんて嘯きつつも、湯呑みに注がれた濃い緑茶を啜り、これまでを振り返る。

 

 我ながらかなりの無茶を潜り抜けてきた気がするが、ここ数年は外海の調査に駆り出されていたユウの耳に入るほどの大事となると、さて。心当たりが多すぎて分からぬ。

 

「ふふ、わたしの耳にも入っていますよ。東西南北、数多の道場破りを繰り返し、大きな裏組織を相手取って叩き潰し、またある道場では百人斬り、森の主と恐れられる古い時代の化け物を追い払った話やら。まったく、幼馴染みのわたしとしても、ホントに鼻が高いですよ」

 

「う、こ、ここまで話が届いてたのか?」

 

 大したことをしたつもりでは無かったが、なかなか大きな噂話になっているらしい。かなり遠方での話まで出されたとあっては、些かばつが悪い。

 

「いえ……別に調べさせたわけじゃ……」

 

「? 何か言ったか?」

 

「な、何でもないです。それよりも、そろそろ本題に入りましょうか」

 

 食事も終わり、意識を切り替える。

 

 旧交を暖め直したところで、話は自分の父、剣鬼を屠った剣客の話題へと移る。

 

「まず始めに聞かせてくれ。あの男は……ミヤモト・ジュウゲエは本当に死んだのか?」

 

「弟子に村正を受け継いだようです」

 

「なに? と言うと……」

 

 一拍の間をおき、ユウは頷いた。

 

「はい。ミヤモト・ジュウゲエが東国から姿を消した八年前のあの日から、わたしたち隠密もそれとなく情報を集めていたのです。ある時を境に弟子らしき少女が確認されて、消息が途絶えたのは四年前。そして、三年前から各地で名高い高額賞金首や武術家が斬殺される事件が発生しています。発生した地には必ずと言ってよいほど、弟子と目されていた少女の姿が確認されています。そして、腰にはかの剣鬼が携えていた村正が」

 

「そうか……村正は、とくに初代ともなれば、真の持ち主以外が扱えば死に至ると聞く。本当に死んだ……いや、殺されたんだな、己の弟子に」

 

 剣鬼の弟子。幾度も御前試合を制した男に師事したいと群がるものは数多いが、実際にその教えを受けた者は数少ない。息子であるムサシや門下生の一握り。もっとも、あの刀狂いとの鍛練を経て生き残っているのは自分と現当主の弟くらいだが。

 

 闘いこそが日常であり、自己を高める事を何よりも重視する究極の自己中心主義の塊。まともな感性の者がそんな人間に師事して生き残れるはずもない。ましてや剣鬼を越える剣客ともなれば、一体どんなバケモノの類か想像もつかない。

 

「そして一月前、グランドライン前半で最高と謳われる剣術道場『ヤギュウ』がたった一人の少女に破られたとの噂も耳に入っています。……その少女が手にしていた刀が、初代村正だった、とも」

 

 初代村正。剣客を終わりなき闘争に巻き込むとされる呪われた妖刀は、剣鬼が得物としていた筈だった。故に、その少女こそが彼の剣鬼を屠った弟子、と言うことになるのか。

 

「……少女、か」

 

 驚きはない、と言うのは嘘になる。だが、何処か納得する己もいた。

 

 話を聞いたムサシの脳裏に浮かんだのは、先程の邂逅。血の気配が染み付いた着物に袖を通し、無邪気な狂気に身を浸した恐るべき剣客。黒塗りの鞘に眠る鋭利は、もしや妖刀・初代村正だったのではないか。

 

「何か心当たりでも?」

 

 首を傾げるユウに、苦笑混じりに先ほどの出来事を伝える。

 

「……なるほど。その方が、或いはミヤモト・ジュウゲエの弟子である、と」

 

「恐らくだがな。まあ、あれほどの猛者だ。誰の弟子だろうと構わないが」

 

 一息吐いて、ムサシは腰を上げる。

 

「もう行かれるのですか?」

 

「もう少しその弟子についての情報を集めておいてくれ。もう日暮れ時だ。明日、また来ることにしよう」

 

「…………、了解です」

 

「すまんな」

 

 何処か残念そうに顔をしかめたユウに、そう声を掛ける。

 

 流石に幼馴染みといっても、女一人の家に泊まり込むつもりはない。ユウとは昔、肉体関係もあった。知らない仲ではないが……自分のような人斬りが、今さら普通の幸せなど求められる訳もないのだ。

 

 いざとなれば己の欲求を優先してしまうヒトデナシなのだから。と、何処か言い聞かせるように内心で呟き、背を向ける。

 

「……そう言えば、治安は大丈夫なのか。ここは無法地帯なのだろう? お前に武芸の心得が無いわけでなないだろうが」

 

「はい。一応、このエリアは他の地区よりも比較的治安は良いんです。……ホントに泊まっていかないんですか?」

 

「ああ。また今度な」

 

 ふぅ、と背後でユウが深く息を吐く。そして、

 

「……この諸島には天竜人も彷徨いています。無茶は禁物ですよ、ムサシさん」

 

 どうやら、こちらの心などお見通しらしい。次にあの女剣客と出逢い、もしも彼女が剣鬼の弟子だと言うならば……追い求めていた好敵手を前に、先程のように滾る欲を抑えるつもりは無い。

 

 苦笑いを浮かべながら幼馴染みの心遣いに感謝しつつ、ムサシは店を後にするのだった。

 

 店から出て感じたのは、少し肌寒い夜風だった。思っていたよりも長い時間を過ごしていたらしい。陽は地平線の向こう側へ既に隠れている。青藍色の着物の袖をつまみ、もう少し厚着をしてくるべきだったか、と考えてから頭を振るう。

 

 宿に預けてある替えの着物を含めて、三着ほどしか持ち合わせがない。故郷を出てからこのスタイルを貫いてきたが、そらそろ外海の服装に買い替えるべきか、なんて考えながら下駄の調子を確かめ、マングローブの根から地面へ……そこもまた根な訳だが……飛び降りる。

 

「さて、どうするか」

 

 宿を取っているホテル街へと歩を進めながら呟く。寝るにしては些か時間が早い気がする。だが、何か用事がある訳でもない。情報収集に長けたユウならば、剣鬼の弟子を見付けるのにそう時間は掛からないだろう。

 

 酒場で一杯やって寝酒としようかなんて考えていると、ふいに夜風に血臭が混じった。

 

 やはり、無法地帯は無法地帯と言うことなのだろう。闇の向こうで幾人かの気配を感じるものの、こちらへ手を出してくる様子はない。否、そんな余裕はないと言った方が正しいか。

 

 怒号。

 

 悲鳴。

 

 複数の男達の気配が、一人の気配に呑まれて消えていく。

 

 闘争の真っ只中か。荒々しく吹き荒ぶ風切り音や爆発音が轟くのを察し、気付けばムサシはそちらへ吸い寄せられるように足を向けていた。

 

 念願の相手ともう間もなく立ち合える。その事実が、自分の思っていた以上に剣士としての血をざわつかせていたようだ。

 

 自身の頬が吊り上がっていくのを自覚する。

 

 ようやくだ。ようやく、あの男を超えられるのだ。

 

『やはりお前では届かんな。期待外れだ』

 

 幼少の頃、遊ぶ間も無く死と隣り合わせの鍛錬を強制され、あの男をのぞいて敵なしの実力をつけた十八の誕生日。何の脈略もなくそう告げられ、姿を消した父。

 

 親子の情など欠片も感じたことはなかったが、あの言葉だけはどうしても訂正させたかったのだ。『期待外れ』その言葉に、剣に捧げてきた今までの人生そのものを、無為と断じられた気がしたから。

 

「……俺もまだまだ未熟だな」

 

 昂りを抑えるように息を長く吐く。

 

 修羅、と称されるような行き過ぎたニンゲンにとって、闘争とは則ち日常である。試合をするように気構え、重大な発言を前に緊張し、一世一代の博打を打つように鼓動を高鳴らせているようではまだ甘い。歩くように、飯を食うように、呼吸するように、そうすることが当然の如く闘い殺す。殺し合いと言う本来なら想像を絶するストレスが精神を苛む状況下に適応し、それを常とするのが理想だ。そうすれば何時如何なる時、場合であろうと、即座に万全のコンディションで戦闘に突入できる。

 

 そう言った意味では、骨の髄まで業に身を浸していそうなあの黒い着物の少女の方が、己よりも深みに居ると言えるかもしれない。まあ、だからなんだと言われればそれまでだが。精神構造が常人とはかなり異なるだけの話だ。

 

 故に、

 

「……シッ」

 

 突如、右斜め後方から飛来した巨大な風の刃。常人なら即死確定の不意討ちに反応し、斬り散らす程度の芸当を成したからと言って、ムサシにとっては驚くに値しないことだ。

 

 腰に下げた大小二刀の内、抜き放った大の刃を片手に、暗闇の向こうに潜む襲撃者へと向き直る。

 

「シュルルルル……てめぇ、運がいいなぁ~」

 

 現れたのは一人の男だった。

 

 裸の上半身に黒のジーンズ。無数のピアスにジャラジャラと貴金属の装飾品を身に付けた、そこらに彷徨く破落戸のような格好だ。身長は二メートルあるムサシと同程度か。ブロンドの長髪をオールバックに撫で付け、自尊心に満ち溢れたニヤケ顔を覗かせている。

 

 その周囲に渦巻く大気の流れ。並々ならぬ雰囲気を醸し出す男は尋常な人間では無いのだろう。現に、つい先ほどまで周囲にあった気配が消え、血の匂いが充満しているのだ。

 

「てめぇで十四人目だ~シュルルルル」

 

 血走った瞳。ともすれば狂気的とすら見て取れる笑みを浮かべる男を一瞥し、

 

「……はぁ」

 

 これはとんだハズレだとムサシは落胆を隠せなかった。

 

 どんな強敵、化け物が出てくるかと期待していたのに、これでは……

 

「……いや、まあ選り好みはするまいて」

 

「ぁん? なにさっきからぶつぶつ言ってっ!?」

 

 死地に立っていると言うのに隙だらけの阿呆につける薬など無い。目算十メートルの距離を認識の合間を縫うように踏み込みながら瞬時に塗り潰し、袈裟懸けに一閃。先の奇襲から能力者であることも折り込み、武装色の覇気を纏った斬撃は風へと化けた肉体を容易く引き裂く。

 

「ぎっ、ぁひゃぁあああああああ!?」

 

 喚き散らされる奇声。転がるようにその身が掻き消え、後方、間合いの外にて再集結する。恐らくはロギア系に属する稀少な能力なのだろう。さぞかし強力な力を持つ筈だ。だがそれだけ。使い手があまりにもお粗末すぎて、これでは闘いにもならない弱いものイジメだ。

 

 噴き出す鮮血。袈裟懸けの太刀筋に従い、致命的な重傷を負ったニヤケ男はそのまま倒れ、

 

「む、能力に救われたな」

 

 なかった。

 

 涙と鼻水、そして流血に塗れて傷を抑える男はしかし、死ぬどころか憤怒に顔を歪めている。

 

「くそっ、くそっ、クソガァッ!!! 痛テェッ! てめぇ、よくもやってくれたな、クソッ」

 

 思った以上に傷が浅い。骨を断つどころか、軽く肉を斬った程度だ。認識の間隙を突く踏み込みに、あんな雑魚が反応出来たとも思えないが、五感以外に周囲を認識する方法があるのだろう。無意識に踏み込みに反応し、身を引いたのだ。

 

「ふむ。だが、その程度か? ならば次で終わるぞ」

 

「っ……か、刀使いがぁ、覚えてやがれよ」

 

 集結した男の肉体が、今度は逆にほどけていく。

 

 怯えと、そして確かな怒気がこもった表情。体液に濡れる無様なそこにはしかし、鋭い眼光が宿っていた。

 

「絶対、切り刻んで挽き肉にしてやる。絶対にだ」

 

 怨嗟の言葉を捨て残し、その身体が風のように掻き消える。

 

 逃げるつもりなのだろう。斬り捨てようかと踏み込みかけ、男の眼光にムサシは思い直した。逃げ出した男に追い付き、斬り殺すのは簡単だ。だが、あえて見逃す。誰彼構わず襲い掛かり力に溺れた阿呆な破落戸。しかし、その力だけは本物なのだから。

 

 己の一刀を紛いなりにもその身に受け、それでも怒りに震えるプライドがあるのならば。

 

「やれるものならな」

 

 わざわざ敵を作る馬鹿の所業だと知りつつも、止められないし止める気もムサシにはなかった。それが彼が自己中心主義の塊たる所以なのだろう。それで死ぬようならばそこまでのこと、と思えてしまうのだから業が深い。

 

「精々、俺の糧となるだけの力はつけてくれよ」

 

 そう嘯いて、ムサシは宿へ戻ろうと踵を返した。

 

 その業が齎す災厄に、己どころか自身の身内すら、焼かれかねぬと知りつつも。

 

 

 

 

 

 

 ベルセルク海賊団の壊滅。その報がシャボンディ諸島を駆け巡った翌日の昼。

 

「ぁ~、鳥だ……」

 

 七十番台のヤルキマン・マングローブを利用して建造されているホテル街。壊滅させた当の本人は、その一画にある公園のベンチに腰掛け、意味もなく頭上を通り掛かった影を見上げて呟いた。

 

 公園内ではシャボン玉文化による賜物だろう、ボンチャリと言うふわふわ浮き上がる自転車のような遊具を乗り回す子供たちの姿が見て取れる。他にも欠伸混じりに辺りを見渡せば、様々なアスレチックで追いかけっこに夢中の子供たちもいた。

 

「はふぅ~」

 

 平和だ。

 

 ここが人外魔境のグランドラインであることを忘れてしまいそうな程に。そんな中でゆっくりと日向ぼっこに興じていると、ついつい自分も調子が狂ってしまいそうだった。

 

 昨日、無法地帯を彷徨き、聞き込みがてら何十人か斬り捨てたクイナは日暮れを境に早々に捜索を切り上げ、宿のあるホテル街へと戻っていた。ベルセルク海賊団と名乗った海賊達、その中でも頭の大男が非常に手応えのある相手であったことも原因の一つであろう。思っていた以上に手強い彼らの連携に興が乗り、一人残らず平らげてしまった。

 

 走り回る十歳ほどの子供たちや、流行のファッションやらスイーツについて笑いながら立ち話をしている自分と同年代ほどの少女たち。

 

 クイナはふと、自分にもあんな風に過ごす日常が有り得たのだろうか、と思った。あんな風に噂話やら何やらを友達同士で笑いあう日常が。

 

「……わかってるわよ、村正」

 

 腰の愛刀が苛立たしげに震えた気がした。どうにも、こんな平穏な空気は闘争を呼び込むと謳われる妖刀には合わないらしい。そして、自分にも。日に一度は刀を振っていなければ、肉が疼いてくるのだ。もっと、もっと、もっと壮絶な剣戟を、と。

 

 強くなるのは楽しい。クイナにしても、いつの日か剣の頂きに足を踏み入れたい。だが同時に、強くなればなるほどに退屈になっていくのだ。振るう相手が居なければ、高めた技量は糞の役にも立たない。もし仮に三大勢力を斬り伏せられたとしたら、その先に何が待っているのか。

 

 なんて、こうのんびりしているから馬鹿な事を考えてしまうのだろう。

 

 自分には最大の好敵手も居ると言うのに。

 

「ゾロ、どうしてるかな……」

 

 かつて世界最強を競い合うと誓った親友にして宿敵。緑髪の少年を思い浮かべて、クイナは楽しげに笑う。

 

 心配させてしまっただろうか。刀狂いの師匠が無理矢理連れ出すものだから、なんの宛もなく出てきてしまった。だけれど、きっと。彼なら今も研鑽を積んでいるに違いない。

 

 そんな親友に遅れを取るわけには行かないだろう。

 

「さて、と。今は強盗犯ね」

 

 そう呟きながら、座っていたベンチから立ち上がる。

 

 一段一段登っていこう。きっとその先で、アイツが待っててくれるから。

 

 先ずは依頼を片付けよう。気持ちを切り替えて公園から出ると、向かう先は無法地帯だ。昨日の聞き込みでは結局、手掛かりは掴めなかった。対象がまだシャボンディ諸島に居れば良いのだが。

 

 ホテル街から歩き始めてしばらくすると、無法地帯の手前ほどで屋台が立ち並ぶ通りに出くわした。食欲を誘ういい香りに、思わずクイナは足を止める。

 

 そう言えばもうすぐ昼飯時である。

 

 腹の虫が泣き出す前に出店に寄ろう、と少女は懐の財布に手をやりながら並ぶのぼりの数々に目をやった。ヤキソバ、オコノミヤキ、ステーキ串……

 

「む、むむむ」

 

 こう見えてクイナは食にうるさい。泊っているホテルも食事が美味いと評判の場所だ。それもこれもあの師匠のせいだ。あの剣鬼は二十四時間三百六十五日闘争のことしか頭にない狂人ではあったが、意外にも食事に関しても博識であったのだ。肉体を形成する上で食は欠かせぬ要素じゃ、とか言っていたが、はた目から見れば愉しんでいたことは一目瞭然で、唯一の人間らしい趣味だった。

 

 そんなこんなで、不味い物を食す気はさらさらない。

 

 注意深く屋台を吟味していたクイナは、ふいに鼻腔を刺激した一つの店舗に目を止めた。

 

 なんの変哲もない店だ。のぼりも何も立ててはおらず、客の呼び込みすらしていない。お昼時だというのに道を行きかう人々は、まるでそこに屋台があることに気づいていないように前を通り過ぎていく。

 

「……面白いじゃない」

 

 気付かないならそれまでだ、と言わんばかりの雰囲気を感じて、クイナはなんとなくその店に決めた。

 

 簡素な木製の屋台の奥に座っていたのは、ゆるくカールした白髪の少年だった。まだ十歳に満たない白いエプロンと前掛けを身に付けた子供が一人だけ。どうにも親の手伝いというわけでもないらしい。

 

 正直に言って論外にもほどがあるが、クイナの直感は美食の気配を確かに感じていた。

 

「……おすすめを一つ頂けるかしら?」

 

「いらっしゃい。ここはホットドッグしか置いてないけどいいのかい?」

 

 返ってきたのはそんな挑発じみた言葉だ。

 

 思わず子供へ目を向ければ、灰色の瞳がこちらに笑いかけてきた。猫のような気まぐれさと好奇心、自信に溢れる光を感じ取れた。なんとも自信に溢れた様子だ。そんなに自信がある一品ならば、さぞかし舌を唸らせてくれることだろう。驚かせるものなら驚かせてみろ、と言わんばかりに頷く。

 

「美味しければなんでもいいわよ」

 

「はい、まいど。少々お待ちを」

 

 手慣れた動きで少年は一分足らずで紙に包まれたホットドッグを差し出してきた。

 

「どうぞ。お代はそうだな……お姉さんの出したい金額でいいよ」

 

「どうもどうも、それは随分な大口叩くじゃない。お手並み拝見させてもらおうかしら」

 

 紙に包まれ、端から顔を覗かせるホットドッグはまだ湯気を放っている。豚の腸詰を焼いたパンに挟み、赤いケチャップと黄色いマスタード、二色のソースで味付けされた簡素な料理だ。

 

 ここまで自信満々に出されて、出てきたのが何の変哲もないそれだ。最初からあまり期待していたわけでもないが、若干の落胆と共にクイナは口元へと運び、一息にかぶりついて、

 

「はむ……っ」

 

 瞬間、素晴らしい味に目を見開いた。

 

 最初に感じるのは焼かれたパンの風味だ。外は香ばしくパリパリで、中はふわっとほんのり甘い。このパンだけでも十分に一流と言える出来栄えだった。だがそれはほんの始まりに過ぎない。パンの風味の奥深さに感じ入る間もなく、豚の腸詰に行き当たる。固すぎず柔すぎずの絶妙な弾力を持った皮がクイナの歯によって押され、パリッと周囲に響くような食感と共に弾けたのだ。大量の肉汁と脂の旨味が暴力的なまでの破壊力を持って舌の上を蹂躙し、さらにケチャップとマスタードの酸味と辛みが手を取り合って噛み締める度にタップダンスする。

 

「~~~~……!」

 

 激しすぎる味の爆撃。

 

 旨味の爆発。

 

 そして、それらだけでは濃すぎてくどくなってしまう味の狂宴を優しく包み込むパンの風味の懐の広さ。

 

 この時点で少女が食してきたパンのジャンルにおいて、一二を争うレヴェル。だが、このホットドッグはさらに上を行った。

 

 ……これは、玉ねぎとキャベツね

 

 甘味が出るまで炒められた細切りの玉ねぎとキャベツ。豚の腸詰によって表面からは見えないそれらが縁の下の力持ちの如く、このホットドッグの味に奥行きを持たせているのだ。

 

 絶品、と。そう呼ぶに相応しい一品である。特別に高価な食材を使っているわけでもないのにこれ程の高みに至るとは、少年の腕の良さを嫌になるほど理解させられる。

 

 気づけば、ホットドッグは手の中から消えていた。

 

 完敗である。

 

「……受け取りなさい」

 

「ふふ、どうもお粗末様」

 

 一万ベリー紙幣。安いパンなら五十個は買える額だが、この一品に支払うならば惜しいとは思わなかった。

 

「いつも此処で屋台を出してるのかしら? 正直に言って、そこらの高級ホテルよりもよっぽど美味しかったわよ。なんなら毎日通いたいくらい」

 

「いや~、腕を褒められるのはありがたいけど、残念。ボクはさすらいの料理人だからね。今日はたまたま気分がのったから此処に居るけど、明日はどうかわからないな」

 

 不敵な笑みを浮かべる白い少年に対して、不思議とクイナは苛立ちを感じなかった。少し考えて、納得する。少年から己にも通じる『道』を窮めんとする者に特有の臭いを感じ取ったからであろう、と。

 

「……それじゃ、ホットドッグをあと二つもらおうかしら」

 

 もう二枚の一万ベリー札を取り出す。

 

 これ程の美味だ。一個で終わらせてしまうのは余りにも惜しい。むしろ腹の虫が余計に刺激されてしまったくらいである。

 

「はいまいどあり」

 

金を受け取った少年は作る手を止めずにクイナを一瞥すると、

 

「そうだ。一つ質問なんだけど、その腰の得物はもしかして『初代村正』かい?」

 

「ええそうよ。抜いてもいないのに良くわかったわね。刀剣の類にも詳しいのかしら?」

 

 特に隠すことでもない。首肯すると、何故か少年は驚いたように身体を微かに震わせた。

 

「いや、ちょっと縁があってね。……そうか、アイツは死んだか」

 

 数秒だろうか。黙とうするように少年は目を瞑ると、再び不敵な笑みを浮かべて完成したホットドッグを手渡してくる。

 

「ボクの名はシロ。今は、さすらいの料理人さ。お姉さんは?」

 

「……クイナ。これでも世界最強を目指す剣士よ」

 

 その時のシロの表情を言い表すとしたら、一番近いのは何だろう。面白いオモチャを見つけた子供、と言ったところか。

 

「ふ~ん、なんだかクイナさんとはまた会う気がするな。その時はもっとおいしいものを作ってあげるよ」

 

 そう言って一つ頷くと、少年は屋台の奥に引っ込んでいった。

 

 なんだか不思議な雰囲気の出会いであったが、思っていた以上に美味いものが食べれて大満足である。踵を返し、次なる美味を求めてクイナは歩き出すのだった。

 

 やはりと言うべきか。そのあと何件か屋台を見て回ったものの、シロのホットドッグに匹敵する一品は見つからなかった。まああんなレベルが普通であったなら、今までクイナが美食として食べてきた物はなんだったのだと言うことになる訳だが。

 

 だがあんな美味ではないにしても、当たりと思える店はちらほら在った。この諸島は全体を見渡しても質の高い店が多いのが印象的だ。やはり『世界貴族』の天竜人といった世界のVIPが顔を出すこともあって、目につく範囲で変なものを置くことはできないのだろう。なんせ、彼らの機嫌を損ねれば海軍本部の大将が動かされることもあるらしいのだから。

 

「わざわざ大将が出張ってきてくれるなんて、ありがたいことだけど……」

 

 クイナが周囲を見回せば、人々は活気溢れる陰で何かにおびえているようにも見受けられた。

 

 ちょっと治安の悪い場所に足を踏み入れれば、職業斡旋業者を騙る人攫いが目を光らせている。人間屋(ヒューマン・ショップ)なんて店が堂々と居を構えているのだから、社会の歪み、仄暗い闇を感じざるを得ない。少女にとってはどうでもいいことだったが。

 

「さてと。そろそろお腹も満たされたことだし、今日も犯人捜しと行きましょうかね……あ」

 

 時刻は十三時を少し回った昼時真っただ中だ。そろそろ無法地帯へ本格的に足を運ぼうとしたクイナの視界に飛び込んできたのは、『グラマン』とデカデカとのぼりに記された文字だった。小麦色に日焼けしたエプロン姿の少女が、道行く人々に笑顔を振り撒いている。

 

「おひとついかがですかっ! 偉大なる航路饅頭、通称グラマン! お安くしますよ!」

 

 グランドライン饅頭『グラマン』……実に香ばしい響きである。ついでに店頭にチラつく『グラチョコ』と『グラせん』もなかなかのクオリティと見た。甘いものは別腹という言葉もある通り、クイナも甘味に滅法弱い質だ。

 

「あ、それじゃあ一箱貰えるかしら?」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 代金を支払い箱を受け取り、一口摘まむ。

 

 モチモチの食感と中に包まれたこし餡のほどよい甘さ。中々いける味わいだ。

 

「これも当たりね」

 

 美味美味、と呟きながら屋台へ背を向け歩き出して、

 

「……よっと」

 

「っ!」

 

 背後から高速で飛来した棒手裏剣を武装色の覇気で硬質化させた紙製の饅頭箱で遮るようにクイナは防いだ。耳障りな金属音を唸らせる棒手裏剣が箱の半ばで貫通して停止。次の刹那で売り子の少女に背後へ回り込まれた事を察知するのと同時に箱を投げ捨て、背後へと身体を滑らせるように回転しながら左肘を繰り出す。

 

 少女の右手、逆手に握られ振り下ろされる小刀を打撃し、弾く。売り子は刃が後方へ弾かれたことに動揺することなく更に間合いを詰めて震脚。霞む速度で螺旋を描く左掌底が突き出され、その側面へ肘打ちの勢いを殺さず体捌きにて加速した右掌を添えるように捌く。と、同時に左腰に下げた愛刀の柄へ手を掛けて抜き打ち。鞘の中で加速した刃が音を裂いて迸った。

 

「ちっ」

 

 舌打ち、歪む売り子の表情。

 

 刃が鞘より解き放たれるより先に神速を予期した売り子が、エプロンの袖からもう一振の小刀を取り出し受ける。

 

 鈴のように澄んだ音色。

 

 咲き乱れる深紅の花。

 

「おっ」

 

 武装色で強度を上げた小刀を熱したバターを断つように容易に斬りはしたものの、その一瞬の抵抗によって首元を狙ったクイナの斬撃は、少女の頬を浅く裂くに止まった。

 

 僅かな称賛の呼気と共に、バク転で後方へと逃れる売り子へ返す刀の一閃。脱力、からの爆発的力み。零から百の振り幅を活用した踏み込みは、瞬時に開いた間合いを塗り潰す。

 

 斬、と閃く太刀筋。

 

 右袈裟、肩から脇へ抜ける筈の一刀はしかし、最初に弾かれた小刀を掴み取った売り子によって再び防がれる。

 

 覇気を集中、自ら後方へ逃れることで衝撃を分散したのだろう。刃物の切れ味としては狂気の域にある村正の一閃が小刀に半ばまで食い込むだけで停止し、少女の身体を遥か間合いの外側へと吹き飛ばす。

 

 地面を転がり、その勢いで売り子の少女は膝立ちになった。

 

「うん、なかなか見事ね。私に襲撃の瞬間まで悟らせないなんて、並みの人間にできる事じゃないわよ?」

 

 なんて、気安い声をクイナは掛けた。そこに動揺の色は微塵も無かった。何故自分が襲われたのか、浮かんでしかるべき疑問は頭の中を素通りし、ただただ相手の技量を味わい尽くそうとするのみ。

 

 戦いに最適化出来るよう頭の中でスイッチを入れる、なんてこともしない。常に心身は戦闘に最適化され、それが平常と化しているのだから。

 

 闘争を仕掛けられたなら斬ろう。単純明快、それだけのことだ。

 

「……噂に違わぬ化け物ぶり。けれど、そこまでよ。その饅頭を食べた以上」

 

 言葉の最中にも弾丸並の速度で急所目掛けて投擲される棒手裏剣。一息に三本。頬を吊り上げ、一刀のもとに両断してみせる。奇襲を受けて平然と対応して見せたクイナは自身の異常さなど露とも気にせず、同年代ほどに見えるのに大した練度だ、などと思った。

 

「貴女は終わり」

 

「……毒でも入ってたのかしら?」

 

 クイナの言葉に、売り子もまた口端を吊り上げた。

 

 クイナの知る由もなかったが、先ほど口にしたグラマンには、致死量を遥かに上回る神経毒が含まれていたのだ。無味無臭で対象の体内へ入り、筋肉を弛緩させて呼吸困難を引き起こす。彼女の故郷である東国の暗部に伝わる秘伝のそれは、一滴で中型までの海王類なら死に至らしめる程だ。そんな毒が含まれた饅頭を口にした人間が、生きていられる筈もない。すぐさま全身が痙攣し、あらゆる体液を垂れ流しながら惨たらしい最期を迎えることとなるだろう。

 

 その筈だった。

 

 そう、それが最上大業物が一振『初代村正』の正当な保持者でなければ。

 

「残念だけど、私には病死とか毒による死が認められてないのよ。この子が許してくれなくてね」

 

 そう言って刀の鎬を愛撫するかの如く優しい手つきで撫でる。呼応するかの如く、村正の鋭利な刃が禍々しい刃音を奏でる。

 

 それは持ち主を破滅的闘争の渦へ引き込むものの、戦乱による死以外は決して認めぬ呪わしき刃の祝福。

 

「……っ」

 

「ありがとう。少しは楽しめたわ」

 

 動揺と驚愕。売り子の視線が僅かに揺らいだ刹那の瞬間、既にクイナは踏み込んでいた。感謝の言葉と正反対の無慈悲な斬撃が、深紅の太刀筋を虚空へ刻む。

 

「ぁ……」

 

 回避も防御も間に合わない。悟った売り子は、ただ呆然と深紅の斬光をその眼に焼き付け、

 

「ひひゃはははは! 死ね、刀使い!」

 

 それは唐突な乱入だった。

 

 少なくとも、並の武芸者では対処しようもない奇襲と言えただろう。叩き付けるように頭上から発せられたのは、鬼気を含んだ見知らぬ男の怒声、同時に出現した十を超える風の刃。

 

「あら?」

 

「っ!!?」

 

 高密度の風によって編まれたそれらが、少女二人を取り囲むように全方位から叩き込まれた。

 

 

 

 

 

 

 クイナと売り子の少女、ユウの接触より遡ること三時間。

 

「あいつ……」

 

 午前十時、約束通りの時間にユウの喫茶店へ訪れたものの、彼女の姿はなかった。訝しんだムサシが扉を無理矢理抉じ開けると、そこに残されていたのは一枚の紙切れだけ。

 

『ごめんなさい』

 

 と、ただそれだけ記された言の葉から、青年は幼馴染みの彼女が何を殺りに行ったのかを察する。

 

 もう遅い。結果がどうであれ、既に事は成された後だろう。そう悟りつつも、ムサシは慌ただしく喫茶店から飛び出した。

 

 何故だろう。

 

 天に燦々と輝く太陽。シャボン玉に反射したそれが生み出す幻想的である筈の光景が、ムサシには空に滲む鮮血のように思えてならなかった。

 

 

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