砂煙が晴れると、街の一画は崩壊していた。
風の刃によって深々と抉られた地面。その被害は狙い打たれたクイナだけに留まらず、周囲の屋台や通行人までも巻き込んでいる。怒号と悲鳴と泣き声、唐突に発生した襲撃事件は昼下がりの街並みにとてつもない混乱を巻き起こしていた。
「まったく、とんだ邪魔がはいったものよね」
混乱の中、風刃が最も集中して着弾した爆心地の真っただ中から、当然のように無傷のクイナが歩み出る。着物につく砂埃を苛立たし気に払うと、周囲を見渡してそう呟いた。
並みの武芸者では肉片になっていただろう奇襲ではあったが、少女を傷つけるには不足も不足であったのだ。命を狙うつもりならば、この十倍はなければ話にならないだろう。
せっかく楽しくなってきたのに、と先ほどまで何故か自分を殺害しようと襲い掛かってきた売り子を一瞥する。倒れ伏すその姿は、人の形を留めていることが不思議なほど傷だらけであった。大量の出血におそらくは内臓を痛めているであろう腹部の裂傷。すでに死にかけだ。
ひとつ、息を吐いて頭を振るう。
なかなかの強者ではあったが、死にかけの者に興味はない。すぐさま思考を切り替えると、クイナは見聞色の覇気を広く薄く周囲に広げる。索敵、一瞬の邂逅で風を操っていた男の気配は覚えた。この場所から直線距離で二キロほど無法地帯へ踏み入った場所に気配を捉える。
「まあ、結果オーライということかしら。見つけたわよ、風使い……いえ、新世界へのチケットさん」
☆
昼下がりの街中で起こった凶行だ。ムサシがその現場を見つけるのに、大した時間は必要なかった。
ぼろぼろに切り刻まれたその姿。手を下したのが誰かなど、一目見て見当がついた。ついてしまった。
居合わせた医者らしきものが、手の施しようがないと匙を投げ、それを処分しようと担架の準備を始めている。
呼吸が乱れる。
喉の奥が妙に乾く。
信じられない。信じたくない。だが、鍛え抜かれた観察眼が、いやが応にも感じ取ってしまう。全身傷だらけの痛々しい姿。眠るように目を閉じるその口元には、呼吸の気配がない。それどころか、心臓すらその鼓動を停止している。
あいつは変装術の達人だ。鼓動すら止めて見せているのだろう、なんて馬鹿げた希望に縋ろうとしている自分に気づき、乾いて掠れた笑いが空気に溶けて消えた。
涙は出ない、出せるはずもない。こうなることも予想していた筈だ。最悪を考えた上で、あれを見逃したのだから。全ては己の技量の向上の為。その為に……
☆
こんな筈じゃなかった。
こんなバカげた光景が現実の筈がない。
そう己に言い聞かせ、しかし、昨日の刀使いの男に斬られた傷の疼きが目の前の光景は夢ではないのだと、現実逃避を許してくれない。
「なんだ。なんなんだよ、テメェはッ!?」
血を吐くような悲痛な叫びと共に放たれるのは、無数の風刃。ヤルキマンマングローブの太い根も容易く切り裂くそれは、ちゃちな家屋なら数発で倒壊する威力だ。
大気を操り圧縮し、刃として解き放つその姿はまさに風の神。男は自然現象の化身、生ける台風と化していた。常人など千人いようが相手にならぬ莫大な力。それこそが悪魔の実の中でも頂点に立つ自然系《ロギア》が一つ、『カゼカゼの実』の能力だった。
人間程度がその身一つ、大自然に立ち向かえるものか。
「くたばりやがれっ!!!」
答えは否、断じて否だ。だと言うのに何故、目の前の女は未だ健在なのか。
鋼の刃が不気味に閃き、呆気なく風が散る。
ひらりひらりと風に乗る木の葉が如く、十重百重と折り重なる風刃の檻が体捌きのみで潜り抜けられ、気づけばもう目と鼻の先に、
「ぬるいわね」
それはまるで、出店の店員に文句でも言うような軽い口調で、
「がぁっ!?」
視界に星が散る。
砲撃じみた廻し蹴りが男の脇腹にめり込む。
メキメキと全身が軋み、衝撃が突き抜けようとしてどう言う訳か突き抜けずに身体の中で爆発し、代わりに血飛沫が穴という穴から噴き出した。
浮遊感が数秒後に無くなれば、喉の奥からせりあがってきた鉄の味。冗談みたいな量の喀血と吐血。呼吸器系と消化器系が軒並み大ダメージを受けたのだろうと、むしろ冷静に、
「がっぁづ、げふぇ……」
なれる筈もなく、男はただただ苦痛から逃れようと蹴られた腹を抑え、血を吐き蹲るのみだ。
一体何メートル蹴り飛ばされたのか、歪む視界の先、三十メートルは離れた位置でゆっくりと脚を下す少女の姿。
「ちょっと期待外れかしら。ロギアって聞いてたからどれほどかと思えば」
ため息混じりの言葉と共に近づいてくるその姿は、十代半ばの可憐な少女ではない。男にとってその姿はなにか別の、おぞましいナニカに見えた。
「まあいいわ。両手両足折っておけば、流石に逃げられないでしょ?」
「ぐぞ、あばがぁ……」
こんな筈じゃなかった。
悪魔の実の、それも自然系だ。歴史に名を残すような超人達と同じステージに立ったのだ。ならば、この大海賊時代に俺の名を轟かせて然るべきじゃないか。
恐怖と苦痛に折れそうになる心を、野心でもって奮い立たせる。
「……〜〜、なめ、やがっ、て」
見れば、小娘はもう刀を鞘はしまってやがる。いずれ大海賊となるこの俺を見下しやがって、と。
男は己の状態など一瞬で忘れ、怒りに頭を沸騰させた。
それはある種の才能だったのかも知れない。意志の力で肉体の限界を超えてみせたのだから。
風が集う。
小型の台風すら彷彿させる、強力な暴風が球状に圧縮されていく。
「へ、へへ」
勝てる。
己の成した想像以上の力の発露に血だらけの口元をだらしなく歪め、眼前で恐怖に慄いているであろう小娘を見据える。
少女の口元もまた笑みを浮かべていることに、そして、自身の背後に歩み寄る二刀を携えた男の存在に最期まで気付くことなく、
「消し飛べ、クソあ「邪魔だ」ま、が……、?」
瞬間、視界がズレた。
脳天から真っ二つに裂けて、男は死んだ。己の力に酔ったまま、雑草の如くその命を刈り取られたのだった。
制御されていた暴風が弾ける。
爆発的に広がる破壊の領域を前に、小躍りしそうになる身体を必死でなだめ、クイナは音越えの斬撃を鞘より放った。一定以上の斬撃は、虚空を渡る。瞬時に鋭利な剣圧と化した一閃が暴風を斬り開きながら二刀の男へと向かい、同じく強烈な剣圧と衝突することで暴風に倍する爆裂を引き起こした。
耳を打つ轟音。
肌を打つ衝撃。
辺りのジャポン玉が軒並み弾け、砂煙が治れば、そこには己が待ち望んだ強敵が佇んでいる。
「……あは」
思わず、声が溢れた。
全身を叩く強大な闘気と、殺気に頬が緩む。
クイナにとって名も知れぬ剣客、強者の乱入は思いもよらぬサプライズプレゼントだった。幼い頃、父から誕生日プレゼントとして木刀を贈られた時よりも、死闘の末に師匠を斬り殺したあの瞬間よりも。
なんと現金な人間だろう。だが、これでいい。過去は大事だが、それよりも今の死合いだ。本当に久方ぶりの、一対一で純粋に技量を試し合える相手なのだ。
愉しみ、糧としなくては余りにも勿体ない。
「……それで、どんな風の吹きまわしかしら? あれだけ誘っても応えてくれなかったのに、今はそんなに猛っちゃって」
肉へ鋼を馴染ませるように右手の村正を上下させる。
男の気に反応するように刃が震える。嬉しい嬉しい、とクイナの鋭利が刃鳴りを散らす。
「言っただろう。お前とはまた会う気がする、とな。それがたまたま今だっただけのことだ」
「よく言うわよ。私の獲物を横取りしてくれちゃってさ……まぁ、貴方と死合えるなら」
結局、風使いの男が死んでしまった以上、コーンバートからの依頼は失敗だ。これでは新世界への護衛仕事の斡旋の話もどうなるかわからない。だが、そう……
「どうでも良いことだわ」
この強敵との戦いこそが値千金、遥かに重要なのだから。
故に、言葉の交差はここまで。これより先は刃にて、
「我流刀術、クイナ。最上大業物が一振り『初代村正』にて……」
「……双天一流、ミヤモト・ムサシ」
太陽が地平の彼方へ沈み始めた、斜陽が照らすヤルキマンマングローブの森の中、
「「参る」」
無法地帯の一画にて、二人の剣客による死合いが静かに幕を開けた。
☆
戦いにおいて重要な要素は数知れない。
日々の鍛錬、体調、地形、敵との相性、武器の状態、etc……だが、その中でも最も重要なことはなにかと問われれば、己自身の得意を如何に相手に強いるかだ、とクイナは考える。
自身の得意。クイナにとってそれは刀の間合いだ。殺傷範囲に如何に素早く相手を捉え、こちらの必殺を叩き込むか。先の先を取る、と言い換えても良いかも知れない。能力者などと言う珍妙な存在が跋扈する世の中なのだから、受けに回れば苦戦は必然。故に、クイナの操る刀術には、当然のように先の先を取る技術が存在した。
「……、ッ」
ムサシと名乗った男との彼我の距離、凡そ十メートル。倒れ込むように脱力し、踵で瞬発力を爆発。零から百の振り幅を限界一杯まで利用した超速の踏み込み、と同時にムサシが意識しているようでしていない、無意識の死角へと肉体を滑り込ませる。
視界のみならず、意識の上からすら搔き消える少女の肉体。
並みの武術から隔絶した超絶の技巧が、真正面からの奇襲という矛盾を成立させた。
空間を跳ぶが如く、瞬時に男の背後へ回り込んだクイナは、その首筋へ己の鋭利を走らせる。如何な達人であろうと、意識していない死角からの攻撃に反応することは出来ない。
まあそれは、
「……ふふっ、やっぱり」
同種の技術を相手が会得していない場合の話だが。
空を斬る。当然のように反応された。
「むんッ」
お返しとばかりに返される腹の底に響くような重い呼気。円を描くように体を捌いたムサシは既に、クイナの右方へ回り込んでいる。
煌めく白刃、左の小刀。僅かな差で右の大刀。身体を逸らして躱せば、右の大刀に即座に首を狩られる。刹那の思考からほぼノータイムで踏み込み、震脚。
大陸拳法にある発勁の如く、全身の筋にて増幅した力を余すことなく愛刀の柄へと集中。今まさに迫る小刀の柄を目掛けて弾き上げる。次いで、その瞬き数十分の一の差で面を裂きにきた大刀を、弾き上げた勢いのまま刀身で以って受け流す。
跳ね上がった村正の切っ先。澄んだ金属音が響き、流した刃が頬を掠めるなか、男の左体側を抜けるように胴切りへ。
「っ、……」
「……、!」
ムサシの右による唐竹、クイナの胴切り、共に皮一枚を掠めるに止まり、小さく赤の雫が散るのみ。すれ違うように距離を取った二人の間合いは再び十メートル。
振り返ったクイナは、己の頬を伝う微かな血を拭う。僅かに切れた男の着物の脇腹を眺めると、その口元に幼子のような笑みを浮かべた。
そうでなくては、と。
「はっ、笑うか。この死合いの最中にあってなお。はは、そうさな。それでこそ……」
脱力、瞬発。
空間に引かれる無数の太刀筋。無数の剣圧が鋭利な刃となって放たれ、歪みとなって視界を埋める。風使いの風刃が子供のままごとに思える程の密度。そこを、
「斬りがいがある!」
突き破ってムサシが踏み込んできた。
「っ!?」
礫の如く飛散する衝撃波が肌を、服を、浅く傷付けるが、そんなことに気を取られていては死ぬ。自身の放った剣圧に己自身で飛び込むという離れ業によって、虚を突かれたのだ。
クイナを見据える情熱的で野生的な鋭い眼光。
一刹那、対応が遅れた。
「オオオオォッ!!」
上下、左右、右上左下、右下左上、右上左上、右下左下、右左下、上右下、右右左左上左下右上下下右左下右上下下右上右右左上……………
男の操る二刀は正に嵐のようだった。覇気を纏った黒き鋼の暴風だ。
「くっ……!」
連続し、もはや間断すら区別できぬ金属音と、宙に散る無数の火花。その中に混じる赤はクイナのものだ。
頬を、肩を、腿を、致命こそ避けているものの、捌き切れぬ鋼の鋭利が確実に少女の柔肌を裂いていく。
「……ふ、ふ」
斬撃による熱を帯びた鋭い痛み。紙一重の防御に徹しながらも、その苦戦を味わうように、クイナの頬は笑みを深くする。
予想に違わぬ、素晴らしい使い手だ、と。
今までに二刀を扱う者との戦闘経験は無論ある。それどころか、永遠のライバルであるゾロは三刀流だし、八刀流などと嘯く蛸のような魚人族を斬ったこともある。だが、完成された二刀流がこれ程まで厄介とは思わなかった。
この男、二本の刀を用いながら、一刀の如く操っている。
片方で敵の攻撃を防いでからもう片方で斬りつける、のではない。二カ所同時に刃を打ち込み、片方で敵を斬りつつ片方で敵の刃を抑えるのだ。攻める際も守る際も、二振りの刀を付かず離れず同時に操る。魚人空手にある両手を攻防同時に使う技法、夫婦手すら思わせる操刀術であった。
頬を伝う鮮血を舐めとり、ムサシの眼光に己の視線を返す。
これほどの乱打、斬撃を繰り出しながらも、男の呼吸に乱れはない。まだまだ余裕と言ったところか。
……ありがとう。これほどの技を研鑽してくれて。これで漸く
次に進める、と。
関節の動き、重心移動、視線を逸らし、動きの随所に偽りの初動を織り交ぜ、男の読みを撹乱し、後ろへ飛び退くと見せかけて前方へと踏み込んだ。
「っ!?」
「ふふ、あはは……」
首筋の数ミリ先を突き抜けて行く死風に微笑みかけ、クイナの身体はムサシの左側方へ。
虚実に織り交ぜたピースが噛み合わさり、既に構えは大上段。
しゃん、と澄み渡る音色が如き風切り音。
空間すらも断たれた後で裂けるような、クイナ全霊の振り下ろしが視界を左右に割断した。
地を濡らす赤い鮮血。
薄っすらと立ち込める鉄の匂い。
羽虫すら逃げ出した一帯に広がる不気味なまでの静寂に、夜風が一つ吹き付ける。太陽は今まさに地平へ沈み、月明かりが薄く顔を覗かせる。
黄昏時。いや、逢魔が時とでも言うべきか。怪異に出逢うような時間なのだ。差し詰め、自分たちは剣の鬼か。
「……お見事」
思わず、賞賛の言葉が溢れた。
最上大業物である初代村正に強力な覇気を纏わせた一閃。鋼鉄の塊であろうと紙のように斬り捨てる必殺のそれをして、右肩の肉を僅かに斬り跳ばすことしか出来なかったのだから。
「……そちらこそ」
苦々しげにそう返すムサシ。その背後の森は、確認できる範囲で地平の果てまで深い斬撃の痕が続いている。比喩ではなく正しく、クイナの一閃はヤルキマンマングローブの樹海を両断していた。噂に聞く世界最強の剣士、ジュラキュール・ミホークの一刀すらも思わせる魔の業であったが、敵を斬り裂けなければ無意味も同然だ。
全身に負った浅い切り傷。身体はまだ動く。寧ろ、まだまだこれからだと余計に滾るばかりだ。一つ息を吐き、余分な熱を放出する。
愉しかった。
浅いとはいえ、これ程まで斬り刻まれたのはいつ以来か。とてもとても愉しかった。これまで過ごしてきた時間は何だったのかと吐き捨てたくなるほどに。
だから、もっと。もっともっともっともっと、と。
村正を頭上へと掲げる様に右上段。本来ならクイナにとって構える行為は不要なれど、久方ぶりの好敵手だ。火の構えとも呼ばれる攻撃的なそれを無意識の内に選択していた。
少女の攻め気に応じるかのように、ムサシもまた中段で二刀を重ねる独特な十字の構えを取る。
薄く、長く、息を吸う。
彼我の距離は八メートル余り。
丹田に気を貯め血潮に乗せ総身へと循環させる。
小手調べはここまでだ。すう、と世界が緩やかに遅滞する。思考速度、反応速度が天井知らずに跳ね上がり、知覚精度が通常時とは比較にならぬほど上昇。暴走じみていて、されど緻密に制御された見聞色の覇気が、一段上の領域へとクイナを押し上げる。
無論、今までも覇気は扱っていた。だが、この状態のクイナが用いるそれは、控えめに言って覇気使いと呼ばれる者たちとは隔絶した域にあった。
「くふ、ふふふっ」
いつ動いたか自身でも分からぬ、ぬるりとした挙動。袈裟懸けに放たれた太刀筋が鮮血の如き赤に染まる。
防がれた。十字の構えが円の如く衝撃を流してくれた。
百分の数秒、袈裟懸けからの切り上げ。
咲き誇る、鮮血と火花の花束。
されど浅い。ムサシはまだ、クイナの動きに反応している。二刀による鉄壁の守りが絶殺の鋭利を致命から逸らしている。
「、……!? ぐぅっ、がぁッ!!」
「は、ひひひゃっ」
遅れて響く鋼の悲鳴。音が遅い。構うものか。
切り上げを辛うじて流しつつ迫る二刀の反撃を体捌きで躱し、更に重ねる斬撃の澄んだ音色。斬り殺し、積み上げてきた屍の怨念を貪り喰らう妖刀は、いつしかその刀身に鮮血の如き紅い念を帯びた。
空間に引かれる真紅の太刀筋。
縦横無尽の斬撃空間。
この域に踏み入った途端、敵はみんな死に絶えてしまう。先日斬ったベルセルク海賊団、手練れの覇気使いの集団であろうとも、一人一刀持てば良い方だ。これまで、この域の攻防に着いてくる者は、着いてきてくれる者は存在しなかった。初めて領域に踏み入れた、師匠との死合いが最初で最後の剣戟だったのだ。
そう、これまでは。
自分に向けられる黒色の双眸。
そこに宿る壮絶な闘志。
これは蹂躙などではない。剣客と剣客による業の応酬。これこそが、探し求めていた生命を削り合うような死闘なのだ。
斬。
斬、斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬、と。
刹那の内に疾る太刀筋は十を越え、されどその悉くに男の二刀は喰らい付いてくる。覇気によって超常の域へと達した、互いの得物が奏でる音色。物理法則の悲鳴が如き金属音が、逢魔が時の薄闇に無数の火花と共に散る。
見聞色の覇気により高次元へ突入した虚実の交差、同時並行して進む未来予測。白と黒、二色に分かれた影法師の世界に広がる無数の剣戟の中を幼子の遊戯の如く、笑みと共にクイナは跳ねる。
「くふふ、あはははははははひゃひひ!」
「ぉ、ぉおおオオオオオオオオオ……、!!!」
すう、とムサシの巨躯が薄れて消えた。
目前に居るのに消えるような挙動。無意識の隙間へ入り込もうとする男の動きを呼吸を合わせることで認識し、閃く二刀を流して一閃。首の薄皮一枚を代償に男の左二の腕を深く斬るが、骨までは断てない。一瞬の十分の一程の差で体が捌かれ、鮮血を撒き散らしながらも躱された。
……あと、七手
未来予測に浮かぶ王手。
視えた終焉に久方ぶりの愉しい死合いを名残惜しみながらも、 クイナはムサシを追い詰めて行く。
鳩尾、眉間、喉を狙った三連突きが、辛うじて二刀に受け流される。
重心が乱れたように見せかけ誘い、反撃の刃を更に倒れ込むことで躱し、すれ違い様に男の右脇腹を深々と薙ぐ。
噴き出す鮮血が地を濡らす前、倒れかけた体勢を恐るべき体幹のバネで以って持ち直し、振り向き様に一閃。 衝撃。同じく振り向き様に描かれた二条の黒。右の大刀が村正と弾き合い、左の小刀が首を裂かんと迸る。
無防備な少女の首筋。致命の隙が斬り裂かれる瞬間、弾かれた反動のまま引き戻し、刹那の前にクイナは愛刀、初代村正の柄を差し込んだ。柄受け、右手と左手の僅かな隙間で凶刃を防ぐ、一歩間違えば手を失う危険な防御だが、勿論ここまで読み通り。
……これで、詰み
七手目。柄受けの形がそのまま右八双の構えだ。ムサシの右大刀が引き戻されるが、こちらの一刀の方が速い。肩口から脇へと抜ける袈裟懸けが凜と刃音を奏で、
「ぉおおおおお!!」
ムサシが、刃へ向けて踏み込んで来た。
「、っ!!」
予想外、未来予測を上回る動きに目を見開く。
愛刀が、止まる。返ってきたのは硬質な手応えだ。
「捕まえ、たぞッ!!」
武装色の覇気をクイナの太刀筋に合わせて凝縮して肉体に纏い、更に自ら距離を詰めることで力が乗り切る前に受けられた。刃は藍色の着物を裂き、肉を切り、骨を断つ前に止められた。筋肉が刃を噛み、ピクリとも動かない。
見事、と言う他ない。肉を切らせて骨を断つ、と言う策をこれほど言葉通りに実行してくるとは予想外だ。
返ってくる右の大刀。柔軟な手首が超至近距離にも関わらず、十分な力を乗せて頭上より落ちてくる。
だが、
「……、残念」
捕まえたのはこちらの方だ。
ほぼ接触状態の両手。刀を引き抜くには一呼吸は必要だろう。得物を手放し回避しようにも、間に合うまい。なるほど絶体絶命とはまさにこのことだ。それがクイナでなかったら、だが。
両手で握っていた村正の柄から右手を離し、男の腹部へその掌を添える。
刹那、ムサシの身体が吹き飛んだ。