――くそ、何で俺がこんな目に……!
狭く薄暗い何処かで、ソレは蠢いていた。
――今頃は俺が闇の書の主になっている筈だったのに!
ここは海鳴臨海公園からほど近い民家の敷地内にある物置小屋の中。
本来ならばそこにある筈もない、黒く蠢く拳大の肉片がデレックの核であった。
――だがまだバレていない、ここをやり過ごせば俺の勝ちだ。
隠蔽した魔力のパスを通じて怪物の視界が彼の脳内には映し出されていた。
スパイラルシュラークによって怪物の体は削られて行くばかりではあったが、元々痛覚も持たない文字通りの肉人形だ。
肥大化した怪物の腕は回転するドリルを素手で抑え、タコを模した触手がハンマーの全体に纏わり付き、回転を止めようと足掻いていた。
本来はもっと盛大に暴れまわり、可能であれば管理局を含めた敵の勢力を全滅させてやろうと思っていたが、現状それは難しい。
今や怪物の体はヴィータの攻撃で完全に固定されており、抜け出す事が出来ない。
……いや、正確に言えば抜け出す事は可能なのだ。
だがその際、怪物として実体化している魔力を一度バラさなくてはならない。
クロノ達に怪物の正体がバレていないと思っている彼には、その選択を取る度胸は無かった。
――大丈夫だ……計画は少し狂ったが、俺はこんなところで終わる器じゃない。
苛立ちに焦る心を根拠の無い自信で支えながら、彼は転送の術式を構築していく。
しかし怪物の操作と並行している為か、その作業の進みも遅々として進まない。それが更に彼の心に焦りを生む……
――今に見てろ管理局、ヴォルケンリッター、八神はやて……お前達の表情が青褪めるのが楽しみだ……!
自らの望む未来の光景が虚像でしかないのだと、彼はまだ知る由も無かった。
「――見つけた!」
神場のサーチに引っかかった反応に向けて飛翔していたフェイトは、その対象であった少女の姿を路地裏の陰に確認し、直ぐに念話で付近の魔導士に念話を飛ばす。
「うぅ、何処に行ったの……?」
「君、そこで何してるの!?」
フェイトが少女の目の前に着地すると、少女は目を見開き空とフェイトを交互に見て呟く。
「え!? お姉ちゃん、今空から……」
「ここは危ないから、直ぐに避難所に行こう?」
急いでいる為、申し訳なく思いながらも少女の言葉を遮り、しかし出来るだけ穏やかなトーンでフェイトは尋ねる。
「で、でも……」
目に涙を浮かべた少女が言うには、彼女のペットの子犬が居なくなったので探していたという事らしい。
日課の散歩の帰り道、気が付いたら突然子犬が消えたのだという。
<姉さん、これって多分……>
<うん、リインフォースが言ってた『人以外は弾く結界』が原因だと思う。
いくら探しても見つからないんじゃないかな……>
原因に心当たりがあっても、どう説明した物か。
いや、そもそも説明している暇も惜しいのだ。
「大丈夫。
貴女のワンちゃんは後で私達が見つけてあげるから、今は安全な所に行こう?
名前は?」
「……どっぐたろう……」
「……ん……?」
「どっぐたろう……ワンちゃんの名前。」
「…………そっか。」
<いや、凄い名前だね……地球じゃ普通なのかな。>
<少なくとも私の前世の地球では中々付けない名前だよ。
……本当は女の子の名前が聞きたかったんだけどな。>
避難所に家族が居れば良いが、別の避難所に連れて行ってしまった場合は親御さん達も不安だろう。そう考えての質問だったが、仕方ない……
≪フェイト! 多分近くに付いたと思うんだが、何処だ!?≫
≪あ、待ってて。直ぐに飛翔するから。≫
<じゃあ、姉さん。お願い。>
<はいよ!>
体の主導権を任されたアリシアは、直ぐに少女を抱えて飛翔する。
飛翔時に雷を纏ってしまうフェイトでは、女の子を抱えて飛ぶなんて出来ないからだ。
「す、凄い……お空飛んでる!」
「危ないからあまり動かないでよ?
……さて、と。そろそろ向こうからも見えると思うけど……」
「フェイト!」
アリシアの予想通り、建物の陰から出た途端に声がかかった。
振り向くと銀髪オッドアイの少年が浮かんでおり、判別の付かないアリシアは彼の名前を思い出すのを直ぐに諦めた。
「あー来た来た、お疲れ。
……ほら、この子で最後だよ。」
「あー、そうか。そりゃアリシアの方だよな。」
「何? 文句ある? 何ならフェイトの真似でもしてあげようか?」
怒っているような素振りを見せるが、その実質アリシア自身はそれほど怒っていない。
フェイトの
「いや悪かったって。マジに他意とか無いから……
で、この子の名前は?」
「聞く前に君が来たから分かんない。
でもペットの名前はドッグ太郎だって。
この件が終わったら探してあげて。」
「……は? えっ? 何て? ちょ、待てよ!?」
呼び止める声を無視して、アリシアは再び戦場に向けて飛翔する。
≪クロノ、こちらアリシア。
最後の子も向こうの魔導士に任せて来たよ。≫
≪感謝する。では早速凍結封印のチャージに入る!
奴が妙な動きをするとしたらそろそろだ。各自、奴の動向に注意してくれ!≫
クロノの念話で周囲に緊張感が走る。
この後もしも俺がミスするような事があれば、それが原因で世界が滅ぶ事だってあり得るのだ。
誰かが唾を呑む音が聞こえた気がした次の瞬間……
「悠久なる凍土……」
魔力のチャージが終わったのだろう。
クロノが掲げる杖に、眩い輝きが灯る。
「凍てつく棺のうちにて……」
詠唱が進むにつれて輝きは増し、少しずつ空気が冷えていく。
既に冬だからという理由だけでは説明のつかない気温だ。
「永遠の眠りを与えよ……」
怪物の方も周囲の異常に気付いたのか、その目がクロノの方を向いた。
「――凍てつけ!」
≪Eternal Coffin!≫
「ッ!!」
変化は顕著だった。
ドリルを止めようとしていた腕が、ハンマーに巻き付いていた触手が、焦りを滲ませた表情が、黒い液体のように溶けだし、膜のように広がりながら一直線に飛んでいく。
魔法の構造を理解したのだろう。
やがて怪物だった物は一つの民家を守るように殻を構成し……その全身が巨大な氷像となった。
怪物だけではない。この周囲一帯が巨大な氷に覆われ、最早街としての機能を失っている。
――もしもまだ民間人が居たら……
そんな考えがつい浮かんでしまった時、近くで交わされた二人の会話が聞こえた。
「――神場、大丈夫か?」
「っ! あ、あぁクロノか。
……なんつーか、いざこうなってみると怖いもんだな。
もしも俺が誰かを見逃してたらって、どうしても考えちまう……」
「神場……済まない、本来民間人である君が背負う必要のない不安を背負わせてしまったな。
だが全ての責任は指示を出し、魔法を作らせ、使わせた僕にある。
凍結魔法を使ったのだってこの僕だ。
……だからあまり考えすぎるな。それは僕の役割だ。」
「クロノ……ありがとな。」
胸にこみ上げた不安を飲み込む。
そうだ、
不安に思う気持ちは寧ろ、俺よりも神場の方が大きい筈……今俺達が出来るのは、この光景を生み出してでも辿り着きたかった結果に向けて進む事だけだ。
「――さて、結果は出たな。」
神場のフォローを終えたクロノが、先程の結果を睨むように見据える。
一つの民家を守るようにドーム状に凍り付いた元・怪物の氷像……奴が身を挺してまで守る物なんて一つしかない。
「あの民家の何処かに奴の本体がある。
一体どうやって移動したのかはこの際どうでも良い。
この隙に確実に奴を叩く!
総員、砲撃準備!」
そう……ここからは俺達の出番だ。
「レイジングハート!」
≪Stand by ready!≫
レイジングハートの穂先に光が灯る。
街中である事を考え、選択した魔法はディバインバスター。
しかし、その威力に手加減はしない。正真正銘、全身全霊、全力全開の一撃だ。
「ディバイン……バスター!」
そして光の奔流が怪物の氷像毎、民家を飲み込んだ。
――≪Protection Powered.≫
「!?」
レイジングハートの言葉に振り返ると、恐らくこちらを突き刺そうとしたのか、
「今のは……?」
≪気を付けろ、なのは。
どうやらクロノの凍結封印……
怪物の全身を使って守った訳だからな……クロノも当然、その可能性は予期していた。
問題は……
≪レイジングハート、さっきのアレは何?≫
≪分からん……ただ言える事は、今度こそ本体のお出ましって事だな。≫
今の攻撃で受けた衝撃はかなりの物だった。
なにせ、プロテクション・パワードが軋んだのだ。それほどの威力の攻撃を受けた事は今までなかった。
直後、煙が内側から爆発するかのように散らされる。
その内側から現れたのは……
≪また随分、分かりやすい姿になったね……≫
≪ある意味お約束だな。見た目のリスペクト元は夜天の主かはたまた悪魔か……≫
長身痩躯の人影、手元には本、背中に生えた3対の翼……
体格を除けばそのシルエットは夜天の主、八神はやてに似ているところが多い。
だが翼ははやての様なカラスを連想させる羽ではなく、蝙蝠を思わせる飛膜……
手に持つ本の表紙に剣十字は無く、ページを含めて真っ黒で材質も分からない不気味な物だ。
その本体の身を守るのは騎士甲冑ではなく漆黒の鱗……今度はご丁寧に頭まですっぽりと覆っており、表情すらも判別できない。
「エイミィ! 奴の中に核はあるか!?」
『バッチリ確認できたよ! 位置は丁度心臓付近、リンカーコアの位置とほぼ一致!』
「でかした!」
クロノとエイミィの会話から、今度こそアレが本体で間違いないらしい。
自然とレイジングハートを握る手に力が籠もる。
やがて鱗に覆われたデレックの顔が裂け、声が響いた。
「貴様ら……尽く僕の邪魔しやがって……! そんなに死にたいなら直ぐに僕の手で殺してやる!」
決戦が始まる。
アンケートの結果、IFは日常回に決定しました!
ご協力ありがとうございました!
犬の名前は単純に誰かのペットと被らないようにしようとした結果です。私のネーミングセンスではありませんし、伏線でもありません。