……後日タイトルが「起」「承」に変わっていたらお察しください。
それは遡ること11年前――
輸送中だった『闇の書』の浸食により制御を奪われた次元空間航行艦船エスティア内に、ただ一人残った者が居た。
「――これで、闇の書の脅威はまた一時的にだけど防がれる。
後、他に今出来る事は……」
そう呟きながら機材を操作する青年の名はクライド・ハラオウン。
正にいま沈まんとするこのエスティアの艦長であり、時空管理局の提督にまで上り詰めた男だ。
彼の指示で、既に他の搭乗員は退避済み。
闇の書により起動させられたアルカンシェルのチャージに割り込み処理もかけ、数分間ではあるが時間稼ぎもした。
……後は彼自身が撤退する事が出来れば被害は0に留められたのだが、状況はそう都合よく進んではくれなかったようだ。
「……やっぱり、殆どの機能の制御が奪われているな。
脱出用のポートも既に機能を停止している、か……ッ!?」
何らかの気配に気づいたのかクライドがパネルから手を離した直後、操作していたパネルから突如として火花が飛び、木の根を思わせる触手が機材の隙間から溢れ出した。
それは、とうとうこのメインシステムも闇の書の手に落ちてしまったと言う証明だった。
「……ここまで、か。
済まない、リンディ……クロノ……」
次々と溢れ出す触手が艦長席を侵食していく中、クライドは触手の波から救い出すかのようにして一つの写真立てを手に取った。
そこに映っているのは彼が何よりも大切にしている存在……妻であるリンディ・ハラオウンと、息子であるクロノ・ハラオウンだ。
二人の笑顔に触れるように写真を一撫でし……写真立てから取り出したソレを胸元にしまう。
出来る事ならば、今直ぐにでも逃げ出したい。
何が何でも家に帰って、もう一度二人の笑顔に触れたい。
そんな衝動が胸中で激しく渦巻いているのを実感する。
もうここには誰もいない。通信手段も今さっき闇の書に奪われた。
例え衝動のままに叫び、泣き喚いたとしても咎める者はいない。
――だけど、僕にはまだやる事がある。
しかし、彼は最終的に最後まで時空管理局提督である事を決めて立ち上がった。
既に機能していない自動ドアを魔法で破壊し、警告音が鳴り響く通路の中、彼は目的地へと歩を進めていった。
「……酷いな、こいつは。」
再度ドアを吹き飛ばし、彼が辿り着いたのは『闇の書』を安置してある一室だ。
闇の書の触手により壁も床も覆われており、かつての姿は見る影も無い。
そしてその中心に、この惨状を生み出した元凶があった。
「コレが暴走状態の闇の書か……」
妖しく輝きを放つ闇の書に、彼は一歩ずつ近づいて行く。
手元にはデバイスが握られており、一つの魔法が既に待機状態となっていた。
――さっき確認したカウントから考えて、この船にアルカンシェルが撃ち込まれるまでそれほど時間は無い。早く仕事を終わらせよう。
「……出来る事なら一矢報いてやりたいが、僕が出来るのはこれが精一杯だ。
――“解析開始”。」
≪Analysis.≫
彼の指示により、簡易的な解析魔法の光が闇の書を照らし出す。
可能な限り情報を集め、グレアム提督の端末に送信できれば、『闇の書事件』の恒久的な解決につながるかもしれない。
少なくとも何もせずに死を待つよりも、下手な攻撃魔法で無駄に闇の書を刺激するよりも有意義な時間の使い方だ。
――そんな彼の判断が、彼の運命を変える切っ掛けとなった。
「……!? なんだ、この光……!」
突如として闇の書から光が飛び出し、彼の前で人の姿に形を変えた。
「……君は、何者かな。」
「……私はヴォルケンリッター、湖の騎士シャマルです。
闇の書に敵対する貴方を排除する為、蒐集した魔力により顕現しました。」
「ヴォルケンリッターか……話は聞いているよ。
古代ベルカに於いて並ぶ者無しと謳われた4人の騎士……」
クライドもヴォルケンリッターの存在は知っていた。
古い文献にもその姿に関する記述は残っており、闇の書事件で彼女達の姿が目撃される事も多かったからだ。
それでもその正体を尋ねたのは、偏に時間稼ぎが目的だ。
チラリとデバイスに目を遣り、彼は考える。
――まだ12%……! 思ったよりも解析の速度が遅い。抵抗されているのか……?
いや、闇の書の特徴を考えれば、単純に情報量が多すぎるのか……!
こうしている間にも解析は進んでいるが、それでもその進捗は芳しくない。
解析魔法の性質上、攻撃魔法や拘束魔法に割けるリソースは無いし、この場を大きく離れる事もままならない。
彼が目の前のヴォルケンリッターに対して出来る抵抗は、話術による時間稼ぎしかないのだ。
「君が顕現できる程の魔力……蒐集したのはこの艦からかな?」
「……」
「……黙っていては分からないよ。
この艦の状況を見て貰えば分かると思うが、もう僕は助からない。
冥土の土産くらい貰っても罰は当たらないだろう?」
出来る限り情報を引き出し、グレアム提督に送らなければ……そんな緊張と焦りが、再び彼の視線をデバイスに誘導した刹那――
「ぐっ……!?」
「すみませんが、時間稼ぎに付き合うつもりはありません。」
一瞬で間を詰めたシャマルに組み敷かれ、床へと叩きつけられてしまう。
肺が圧迫され、空気が締め出される。手首を捻られた際に、デバイスは彼の手元を離れてしまった。
――万事休すか……!
何も出来なかった事を悔やみつつ、諦めて目を瞑ろうとした瞬間……ぼやける視界にひらひらと舞い落ちる物が見えた。
――写真……二人の、写真……
思わず伸ばした手は、即座にシャマルに抑えられて届かない。
代わりにそれを手に取ったのは……
「コレは……写真ですか。推察するに、貴方の家、族……ッ!!」
シャマルがその写真を確認した瞬間、その目を見開いた。
彼女は慌てた様子でクライドの顔を覗き込み、写真と見比べる。
――どうしたんだ、急に血相を変えて……?
状況が飲み込めないクライドだったが、それでもせめてもの望みを込めて口を開いた。
「ああ、僕の何よりも大切な二人さ……
これで最期だと言うのなら、せめて僕に手渡してくれないか。
写真だけでも一緒に居たいんだ……」
「貴方は……! 貴方の名前を教えてくれませんか!?
そうしてくれれば写真はお返しします!」
今更名前を聞いてどうしようと言うのか……そう思いつつも、写真を返して貰う為に答えた。
「クライドだ……クライド・ハラオウン。時空管理局の提……ッ!?」
自己紹介の途中で胸ぐらを掴まれ、強引に立たされる。
急な事に呆然とする彼の耳元にシャマルが口を近づけ、小さな声で語りかけた。
「時間がありませんので、手短に話します。
私が貴方をこの艦から逃がしますので、抵抗はしないでください。」
「な、急に何を……」
「静かに。闇の書に……
いえ、
そうなれば私は貴方を助ける事も出来なくなる。」
「く……分かった、どのみち死を覚悟した身だ。どうとでもしてくれ。」
シャマルの言葉を全て信じた訳ではなかった。しかし彼女の切羽詰まった表情に嘘は感じられず、また元々助からないと思っていた命であった事もあり、クライドは彼女の要求に従う事にした。
「ありがとうございます。このお写真はお返ししますね。」
胸元に滑り込む手の感触。
写真が帰って来たと言う些細な安堵を感じたのも束の間、周囲に展開された多数の術式に目を奪われた。
――何て複雑な術式だ……!
これは、超長距離転送……それに魔法と転移先の両方を隠蔽しているのか!?
しかし、そう見とれてばかりもいられない。彼が術式から読み取った情報によれば、この転送魔法の行き先は彼も知らない次元世界である可能性が高いのだ。
「僕をどこに転送するつもりか聞いても……?」
「私達がずっと昔に蒐集に使用した無人世界の一つです。
人間が生活する事が可能な環境と、食料となる動植物は確認しています。」
「どうしてそこにするんだ? そこでなくても、もっと近い所に……」
「すみません、まだバレる訳には行かないんです……!
彼にだけは……!」
シャマルのその言葉に、クライドは先程彼女が話していた『夜天の魔導書の中に居る彼』を連想して闇の書をチラリと見遣る。
……彼は知る由も無い事だが、この時シャマルが話した『彼』はそちらではなく『グレアム提督』の方だった。
そもそもシャマルがクライドを助けたいと言うのは、何も善意ばかりではない。
ここでクライドを救う事が出来れば、クロノやリンディ……ひいては管理局からの心象が多少なりとも改善され、彼女たち自身の未来に良い影響を与えるのではと踏んだからだ。
しかし、シャマルとしては可能な限り未来を変えたくないと言う考えもある。
仮にグレアム提督や管理局がクライドを見つけてしまえば、グレアム提督の取る行動は間違いなく変わる。
もしかしたら、地球にある闇の書の発見が遅れるかもしれない……
もしかしたら、デュランダルの開発がされないかもしれない……
もしかしたら、地球が滅んでしまうかもしれない……
所詮は可能性だ……そう考えて無視するには大きすぎるリスク。
だからこそ彼女は選んだ。
『クライドを救い』、それを『管理局から隠蔽する』と言う選択肢を。
やがて術式は完成し、クライドの転送が始まる。
「君が何に怯えているのか僕にはわからないけど……ありがとう。
どうやら君のおかげで、僕はまだ家に帰る事を諦めずに済むらしい。」
「……貴方に感謝される資格は、私にはありません。
貴方を助けたのは、あくまで私達の都合でしかないのですから。
それに、ここを生き延びても、あの世界で貴方が生き延びられる保証は……」
「それでも、ありがとう。
可能性が残されていれば、僕は生きていける。
君が繋いでくれた可能性の糸を辿って……僕は必ず、あの家に帰るよ。」
「……はい、私もそう願っています。
その時が訪れれば、きっと貴方を迎えに行きますから……
ですからどうか、諦めないでください……」
そして彼の姿が艦の中から消えた数秒後……エスティアにアルカンシェルが直撃した。
最後の通信の後のクライドの行動は完全に捏造です。
もしかしたら生存を諦めていたのかもしれませんし、抗おうにも通路自体が塞がれていたかもしれませんが、この小説では彼はこう行動したと解釈しております。