S.O.N.G.内士官用病室 AM10:30
「よう。息災そうじゃの」
吾の声に、ベッド上の弦十郎はぺこりと頭を下げてくる。
「このたびの協力、感謝する。組織を代表して礼を言わせてもらう」
その物言いに、吾は眉を顰めるしかない。
「大仰な。むしろ少々やりすぎたと自戒しているわ」
「そうは言うがな…」
「あのような若僧に、神代の力を欠片でも行使してしまうとは、つくづく大人げないことをした」
「…おまえにかかっては、オレの親父も子供扱いか」
苦笑する弦十郎に、吾は微笑と沈黙を持って答える。
確か、風鳴訃堂といったか?
人類にも稀に彼奴のような常識外の、特異点の如き存在は生まれることがある。
歴史には非業の英雄、もしくは世紀の大罪人と記される輩で、大抵は周囲の人間も一切合財巻き込んで、派手に爆散する始末が多い。
なんにせよ、七十億もいれば規格外の人間もいるということだ。
案外、かつての神々の血を微量なりとも受け継いでいるやも知れん。
感慨を振り切るように吾は視線を巡らす。
「にしても、甲斐甲斐しいのう、雪音クリスよ?」
弦十郎の隣でリンゴを剥いていた小柄な肩がいきり立つ。
「かか勘違いすんなよ!? おっさんの唯一の身内の先輩がどうしてもこれないっていうから、あたしが付き添いの代理をしてるだけだかんなッ!?」
「うむ。そういうことにしておこう」
「不承不承だ、不承不承ッ!」
「わかったわかった」
全く初々しい娘よの。あまりからかっては気の毒か。
吾と同様に苦笑していた弦十郎だったが、ふとこちらを向いて眉根を寄せる。
視線の先にいるのは、生憎と吾ではない。吾の隣に立つ娘だ。
「はい、弦十郎さん、これお見舞いです」
「う、うむ、ありがとう、未来くん」
未来より見舞いの菓子折りを受け取った弦十郎の横で、同じく不可思議そうな表情でクリスが尋ねてきおる。
「おい、あのバカはどうしたんだ?」
「響のこと? 響だったら、他のみんなと食堂へいるけど…?」
小首を傾げてみせる未来に、顔を見合わせる弦十郎とクリス。
二人の反応はさもありなん。
なにせ、響と未来は始終べったりと二人でいるのが当たり前だったと聞く。
「…な、なあ、おい。もしかして、あのバカより、こっちの吸血鬼、いや、ダイスの方が好きなのか?」
「何いっているの、クリス?」
未来は吾の腕に腕を絡めてくる。
「響は響で、ご主人様はご主人様だよ? そんなの比べられるわけないじゃない♪」
「………」
満面の笑顔で答えられ、クリスは口を噤むしかない様子。
かくいう吾も、こう敬われ慕われるのは悪くない。
数千年もの時を
「ご、ごほん! ともあれ、怪物の件も片付いたことだし、ひとまず安心といったところかな」
「実の親を怪物呼ばわりとな」
弦十郎の言に突っ込んではみたが、先述したとおり、風鳴訃堂が人類としては破格の怪物性の所持者であったことを認めるは吝かではない。
「いや、おっさんには悪いけど、マジであの爺様は化け物だって…」
しみじみとクリスも同意してくる。
「百歳越えてんだろ? そのくせあれだけボコボコにされて命には全く別状がないっておかしいだろうよ」
吾としても殺すつもりは毛頭ないので、それなりに手加減をしている。
だとしても平凡な老人と比ぶれば、その回復力は尋常ではない。
「命に別状はないといっても、当分はベッドから動けないそうだからな。今度こそ大人しくしてくれるだろうよ」
苦笑と呼ぶには複雑すぎる表情を浮かべ
「そういうおぬしは、どれくらい療養が必要なのだ?」
「俺か? 俺は肋骨が三本ほど砕けていたが、整骨してもう繋がったようだ。明日には退院するつもりだが」
「…僅か二日でそれとは、おぬしも十分に化け物染みているぞ?」
S.O.N.G.内大食堂 PM12:20
食堂の椅子に腰かけ、立花響はカレーとご飯をスプーンでかき回す。
非常に、非常に珍しいことに、あまり食欲が沸いてこない。
これは、普段の彼女を知る人間にとっては驚天動地の出来事であり、事実、響から少し離れたテーブルに陣取ったレセプターチルドレンの三人組は、思いきり目を剥いていた。
「…無理もないわね。最愛のあの子を、エロ吸血鬼に取られちゃったんだから…」
しみじみというマリアだったが、常にあの吸血鬼に向けている険は感じられなかった。
先日の、深淵の竜宮での赴堂の叛逆。
あの修羅場において、まさに死にかけようとしていた小日向未来を救ったのは、あの超常存在であることは否定できない。そして、彼が動かなければどれほどの惨状の発展していたかと思うと、空恐ろしい。
ぶるる、と身体を震わせるマリアの対面の席で、月読調と暁切歌も小声で会話を交わす。
「それで、未来さんも吸血鬼になっちゃったんデスか?」
「どうなんだろう? 普通に学校にも来ているし…」
「つまり、未来さんはダイスさんに寝取られたんデスね!!」
「…それ、意味分かっていってるの、切ちゃん?」
そんな元F.I.S三人娘の会話を背に、響は自身の考えに没頭していた。
彼女にとっての最愛の陽だまりである小日向未来。
未来が見舞われた惨状は、思いだすだけで冷や汗と寒気を催すほどだ。
―――左腕を千切り飛ばされ、血だまりで息も絶え絶えな未来。
そんな未来を救うために、赴堂にクリスと切歌、調を殺すように教唆された。
あまりにも非道な選択を迫られ、窮地に追い込まれるも、全てを一瞬で回天せしめたのは、かの吸血鬼に他ならない。
最愛の未来の命を助けたどころか、あの場にいた全員を救ってくれたことに対し、感謝の念しかなかった。
最愛の人が彼によって血を吸われたことなど、些末なものだとすら思っている。
未来が生きてさえくれれば。
前向きな思考を寄りあわせ、真正面から叩き付けて現状を打破していくのが立花響のスタイル。
にも関わらず、響は精彩を欠いていた。
そんな彼女の脳裏には、昨晩の寝床での会話が浮かんでいる。
『未来、もう腕は大丈夫なの?』
『うん、
『え、と。そのダイスさんは未来にとっての…?』
『そうだよ、ご主人様だよ!』
『………』
『どうしたの響、そんな顔して? うふ、安心して、私にとって響は響だから』
それから二人して、いつも通りに身を寄せ合って眠った。
あれほどの大怪我をしたにも関わらず血の匂いを全く感じさせないことに安心し、常日頃と同じお日様の匂いに包まれて幸福な眠りに落ちた響だったが、ふと気配を感じて目を覚ましたのは夜半すぎ。
『………未来?』
薄目を開ければ、優しい香りのする黒髪が目前で動いている。
くすぐったく首筋を行き来するのは、鼻息か吐息か。
続いて。
『ひゃッ!?』
首筋に甘やかな感触。
『ちょ、未来やめてよ…』
スキンシップなど日常茶飯事だが、こうもダイレクトにキスの雨を降らせられるのは、あまり記憶にない。
しかも、首筋といった敏感な部分になど。
『うふ、響の首、とっても綺麗だよ』
囁くような声を出しながら未来は上目使い。蠱惑的な瞳が闇の中で光っている。
『もういっそ、食べちゃいたいくらい…♪』
甘い吐息と一緒に唇から零れ落ちたものに、響は目を見開く。
あれ? 未来の歯ってそんなに尖って…?
『コラ、やめんか』
『あいたッ!?』
唐突な男性の声。
ポカリと叩かれて小さく上がる未来の悲鳴。
思わず跳ね起き、パジャマの襟首のボタンを締め直す響の前には黒衣の吸血鬼の姿が。
『だ、だ、ダイスさん!?』
『おう、響よ、眠っているところ申し訳ない。…それにしても吾の許しもなく節操がないぞ、未来や?』
『ごめんなさい、ご主人様』
睨まれ、可愛らしく舌を出して謝罪する未来。
『おぬしの気持ちも分からんでもないが、自重せい』
『は~い』
手をあげて元気よく返事をすれば、霞のように消え去る吸血鬼。
その後、何事もなかったように同じ陽だまりの笑顔を向けてくる未来がいる。
『ご主人様に怒られちゃった♪』
『未来…』
『ごめんね、もうしないから、寝よ、響』
スプーンでなお執拗に皿の上のカレーをかき混ぜながら、響の表情は冴えない。
それは、最愛の人の態度の変化ゆえ? それとも彼女の唇に尖った牙を見たせい?
…ううん、違う。
自分でも良く分からないけど、どれもきっと違って…。
ポン、と肩を叩かれる。
振り向けば、マリア・カデンツァヴナ・イヴが不敵な笑みを湛えていた。
「どうしたの、そんなに肩を落として? あなたらしくもない」
「え、えへへ、そんなことは…」
振りかえって笑って見せるも、自分で分かるほどの明らかな虚勢。
そんな神殺しの拳を持つ少女を痛々しく見やったあと、ふっとマリアは頬を緩めて言う。
「あなたは午前中で終わりでしょうけど、午後からの私の訓練も見に来なさいな」
「はい?」
「少しくらい、気が晴れるかもよ?」
S.O.N.G.本部内多目的トレーニングルーム PM14:00
「だからって、なんてあたしまで…」
隣でブツブツいうクリスをマリアが宥める。
「そういわないで。あとはあなたと私だけが最後の砦みたいなものなんだから」
そんな彼女二人が向かいあう先にいるは、吸血鬼。
いまやS.O.N.G.内でもその活躍は周知され、なんと女性職員の間にファンクラブすら形成されつつある非公式アドバイザー、ドラゴンタイガー・ダイステイラー。
「…どうしても戦わなければならんのか?」
未だ彼が難色を示しているのは、マリアの操るアガートラームが、かのエンキの左腕であるがゆえ。
「別にいいでしょう? 未だ模擬戦をしていないのは私たちだけくらいだし」
マリアは言ってのけるが、模擬戦など成立していない。
さらに正確を記せば、いまだシンフォギアの着装シーンを披露していないのはクリスとマリアだけという話だ。
切歌の着装を見て、盛大に放血した吸血鬼の姿も記憶に新しい。
マリアが不敵な笑みを浮かべているのは、自身たちの姿も切歌にゆめ劣らないという自負があるからだ。
事実、スタイルの良さ―――胸部装甲の豊かさでは、マリアとクリスは装者たちの中でもトップ2である。
その二人が揃って目前で着装するのだ。
さぞかし盛大な噴血が見られることだろう。
―――その光景を見れば、あの子の溜飲も少しは下がるでしょう。
心中でマリアはそうほくそ笑んでいるものの、彼女は気づいているだろうか?
心のさらに奥底では、人ならぬ活躍を見せた吸血鬼に対する密かな怖れがあることに。
あまりにも超常な存在に無様を起こさせ、卑近なレベルに引き下げたいという彼女の心の変遷は、いかな理由に拠るものか。
自身の心の動きに無自覚なまま、マリアは聖詠を口にする。
「Seilien coffin airget-lamh tron …」
半瞬遅れて、クリスも不承不承追従する。
「Killter Ichaival tron …」
果たして、さんさんとライトの降り注ぐトレーニングルームに降臨するは、二つの豊かすぎる双丘…もとい、アガートラームとイチイバルのシンフォギア。
ふふん、といった表情で髪を跳ね上げるマリアに、何事かに備えるよう身構えるクリスに対し、肝心要の吸血鬼はというと―――。
「馬鹿なッ! なんで鼻血を噴いてないのッ!?」
マリアが吠えるも、
「といわれてもなあ…」
平然とした顔で頬をポリポリと掻く吸血鬼ダイス。
「くッ!」
なお信じられないのか、マリアはクリスの背後へまわり込んだ。
「ほら、見なさい、こんなにぼよよんなのよッ!?」
「ひゃあッ!? やめろぉッ!!!」
クリスの胸を盛大に揺らして見せるも、
「やめい、はしたないぞッ!」
対象の吸血鬼から冷静に叱責される始末。
「…いったい、いつの間にそんな耐性を…ッ!!」
がっくりと膝を折り呻くマリアに、吸血鬼は照れくさそうに言う。
「それは…吾も
顔を上げ、マリアはくわっとした表情で叫ぶ。
「やっぱりアナタ、童貞だったのねッ!?」
「だから違うとゆーとろうが!」
マリアに怒鳴り返しておいて、それから改めてダイスは二人を睨む。
「まったく、にしても二人してけしからん格好をしてからに」
その眼差しに、あたしはもう帰っていいのかな、なんて考えていたクリスは目を見張る。
次に起こったことは誓って一瞬のこと。
クリスの纏ったイチイバルの上から、高級そうなセーターとスカートが着せられていた。
「!?」
状況に理解が追い付かないクリスに、吸血鬼は声高に言い放つ。
「セーターは高級カシミアで、スカートはエルメスの逸品ぞ」
「って、セーターが伸びるだろうがッ!」
「まったく、年頃の娘は腹を冷やすものではないぞ?」
「うっ…、ありがと…?」
こちらを気遣う正論に、角張ったギアの形にセーターを伸ばしたまま、とりあえず礼を口にするクリス。
「うむ。重々気をつけろよ。丈夫な弦十郎の子が産めなくなると困るであろ?」
「おおおおっさんは関係ねーだろッッッ!?」
激昂するクリスを横目に、ダイスはマリアに視線を転じる。
マリアもアガートラームの上から衣装を着せられていた。
その格好は。
「…これは、なに?」
「モンペだぞ。ああ、言っておくが最近流行りのモンスターペアレントの略ではないぞ?」
一瞬で額に複数の青筋を浮かべるマリア。なぜなら、彼女が上に着せられているのは、見紛うことなき割烹着。
「ふははは、オカン臭いおぬしにはすこぶる似合っておるわ」
吸血鬼の哄笑を受け、銀の閃光が走る。
「…殺すッ!」
「ほほう? おぬしに出来るかな?」
一瞬でトレーニングルームは戦場と化す。
さっさと脱出してきて隣でカシミアのセーターと格闘するクリスに気づいた様子もなく、響はトレーニングルームの光景を見つめていた。
マリアの猛攻を、余裕の笑みを浮かべてかわし続けるダイス。
吸血鬼であり、超常的存在であるから、それは当然なのかも知れない。
しかしながら、彼ほど強い男性は、響の半生において記憶にない。
師匠である風鳴弦十郎より強い男など。
そこまで至り、いやいやダイスさんは吸血鬼だから! と思い直すも、続いて響の脳裏に浮かんだのは、キャロルの姿だ。
シェム・ハとの最終決戦の際、ダウルダブラを纏ったキャロルから問い掛けられたことは鮮やかに思い出せる。
『立花響、キサマは何を望む?』
同様の問いを吸血鬼からかけられたのは、つい先々日のこと。
だが、同じ問い掛けに思えて、その意味と内容は大きく異なる。
敢えて単純に行ってしまえば、キャロルからの問い掛けは、響自身がどのような決着を選ぶのかという意味だ。
対して、先日の吸血鬼ダイスからの問い掛けの際に、響自身に何も決定権はない。いや、あったにしても、何も選べないという二進も三進もいかない状況だった。
成す術もなく悪意に翻弄されるしかなかったあの瞬間に、彼女は過去のトラウマを重ねる。
スタジアムの惨劇で生き残った故に、周囲から向けられた有形無形の悪意の数々。
逃げることもままならず、助けの手を差し伸べてくれる人もおらず、ただやり過ごすしかなかった苦痛の日々。
―――それが、一瞬で吹き飛ばされた。
おそらく、あの時、もっとも望まれた最良の結末で。
その時の感動を思い出し、響は頬が熱くなるのを感じる。
いつの間にかトレーニングルームの喧騒は収まり、地面に倒れ伏したマリアのもとから悠々とダイスが立ち去ろうとする姿が。
そんな彼の背中にとびつくように近づき、タオルを渡しているのは誰であろう小日向未来。
その様相に、響の胸がチクリと痛む。
「…まあ、なんだ。アイツら、あんな風にイチャついてるけど、気ぃ落とすなよ…?」
珍しくクリスが慰めていた。
茫然と立ち尽くす響に、クリスは、あの子を取られたんだもんな、ショックだろうな、と切歌と調と同様の感想を抱いている。
その見解は大きく違っていることなぞ、露にも思っていない。
それは無理もないことだろう。
なぜなら、響当人も、今に至り始めてその感情に気づいたのだから。
ダイスと未来を見つめ、チリチリとした胸の痛みを覚えながら響は心の中でそっと呟く。
そっか。
わたしは、ダイスさんに嫉妬してたんじゃあない。
ダイスさんの隣に未来がいることに嫉妬していたんだ…。