S.O.N.G.内発令所 AM10:00
風鳴弦十郎は腕組みをして、正面のモニターに見入っていた。
その隣ではエルフナインがコンソールを操り、反射するブルーライトが彼女の顔を染め上げている。
「…つまり、未来くんの身体は、ほとんど生身の人間そのものだと?」
「はい。バイタルデータ上、まったく普通の人間そのものです。しかし唯一…」
「なにか変化が?」
弦十郎に問われ、エルフナインは僅かに口ごもる。
「テロメアの消耗が観測できないんです」
「…なんだとッ?」
テロメアとは、染色体の末端に位置する遺伝子情報を内包しない構造体だ。
ざっくりいえば、そのテロメアを消耗することによって、新たな細胞が分裂し続ける。
すなわちこれが新陳代謝だ。
テロメアが無くなれば、それ以上細胞は分裂することが出来ず、命の代謝はなくなり生物的な死を迎えることになる。
そんなテロメアが消耗しない?
にも関わらず、小日向未来の生物としての生命活動は維持されている。
その意味するところは―――。
「未来くんも、吸血鬼と同様に不死性を手にしたということか…?」
弦十郎はうめき声を出すも、この展開は想定内だ。
なにせ、かの吸血鬼ドラゴンタイガー・ダイステイラーに未来は血を吸われている。
古来伝承より、吸血鬼により血を吸われたものは、また吸血鬼になるという。
しかし、弦十郎の言に、エルフナインは小難しそうに眉根を寄せたまま呟くように言う。
「ですが、果たしてこれを〝吸血鬼〟の特性と明言してよいものでしょうか…」
現状、小日向未来の日常生活に全く変化はない。
普通の食事を食べ、リディアン音楽院にも登校している。
夜な夜な出歩くわけでもなく、棺ではなく布団で眠っているらしい。
日光を恐れ、血液以外を摂取できない吸血鬼の伝承とあからさまに矛盾していた。
「…もっとも、あのドラゴンタイガー自身が、巷間の吸血鬼と自分は違う存在だと明言していたな…」
弦十郎も眉間に皺を寄せた。
であれば、小日向未来は、いったいどんな存在になったというのだ?
「もはや埒外生理学とでもいうべきか…」
「いえ、どちらかといえば、一種の呪いのようなものかも知れません」
弦十郎はエルフナインと顔を見合わせ、どちらともなく溜息をつく。
実際、現S.O.N.G.には、呪いを〝浄化〟する手段は存在した。
神秘殺しの神獣鏡。そのファウストローブ。
しかし、その纏い手が、呪いを患っているらしい未来本人であれば手詰まりだった。
「まさに、錠前のついた宝箱の中に、その鍵が入っているような状態だな」
呟きつつ、弦十郎はエルフナインの肩を優しく叩く。
「とりえあえず未来くんに劇的な変化が認められない以上、この問題の優先度を下げることにしよう。当面、経過を観察しつつ対応を検討していくしかあるまい」
超常の力が働いた結果、小日向未来は命拾いをしている。
間接的とはいえ彼女を殺しかけた弦十郎にとって、いまの未来の状態は否定出来るものではなかった。
自らの拳がこの少女の命を奪ってしまった可能性を思えば、豪胆な肝も冷えてしまう。
さらに、そこから派生させた、想像することすら恐ろしい結末。
もしあの時、立花響が最愛の人小日向未来を喪失していたら―――?
心底戦慄すべき仮定から目を逸らし、弦十郎は現実へと向き直る。
愛すべき陽だまりを救われた形となった響であるが、そんな彼女が最近精彩を欠いているとの報告が上がってきていた。
小日向未来が、彼の吸血鬼を主人と慕い、行動を共にしているのが原因ではないかと思われる。
元々、響と未来という二人の紐帯は完璧で余人の入る隙間など見当たらなかった。
にも関わらず、未来の心が変遷したのは、吸血行為によって生じる主従関係の影響ではないのか―――。
なるほど、と頷きつつも、弦十郎とて木石ではない。
響の内心を占める嫉妬が、最愛の人を取られたという単純色ではないことは薄々察していた。
しかし、だからといってなあ…。
「…弦十郎さん?」
疑問を瞳に浮かべて見上げてくるエルフナインに、弦十郎は大きな苦笑で応じた。
「いや、吸血鬼だろうと人間だろうと、心の動きはなんとも御しがたいものだと思ってな」
「…?」
S.O.N.G.本部内多目的トレーニングルーム PM14:00
「ハアッ!」
風鳴翼の裂帛の気合が迸る。
追随するように、凄まじい斬撃が地面ごと空間を切り裂いていく。
「くッ!」
対して、どうにかその一撃を受け流した響に、二の太刀、三の太刀が迫る。
「…先輩のやつ、ずいぶんと気合が入っているなあ」
隣室のモニタールームでその訓練を眺めるは雪音クリス。
「先日の件を、翼なりに不覚と思っている証拠じゃない?」
そう応じ、マリア・カデンツァヴナ・イヴは腕を組む。
―――先日の件。
深淵の竜宮における、風鳴赴堂叛逆未遂事件に他ならない。
もっともその経緯や結末は、公式に報告はなされていなかった。
彼の吸血鬼の活躍を詳やかにして良いのか現場の意見は割れた上に、赴堂の真の目的やその協力者のあぶり出しのためにも情報は秘匿する必要性があったからだ。
それはともかく、あの土壇場に於いて、やはり風鳴翼は思うところがあったのだろう。
赴堂の策略に嵌められたとはいえ、自分には何もできなかったという不甲斐なさ。
間一髪、あの吸血鬼の術にすくわれたが、目前で仲間を失う羽目になっていたと思うとぞっとする。
この心理的な動きは、叔父である弦十郎と全く同一のもの。
心の負い目を解消するように自身を鍛える―――もしくは肉体を苛めているのは、翼にとって当然の代償行為であり、同時に未熟さの発露であったかも知れない。
「…まあ、変に塞ぎこまれるよりは全然マシよね」
一緒にステージに立ったこともある相棒の胸の内を、マリアはほぼ正確に推察している。
精神と肉体は密接に結びついていることは言うまでもない。
無理やりでも身体を動かせば気は紛れ、夜も疲労で眠れるはず。
「するってえと、むしろ問題は…」
激しさを増す戦闘訓練を見つめ、クリスは苦い顔付きになる。
「ええ。翼より、むしろあの子の方が―――」
マリアが呟くや否や、盛大な土埃が巻き起こる。
そしてそれが収まった先に見えるシルエット。
片膝をついた響の首筋に、天羽々斬の切っ先を突きつける翼が立っていた。
「どうした、立花ッ。何を腑抜けているッ!?」
「いえッ、そんな…ッ」
言い差して、響は目を合わせられない。
逸らした視線の先ごと斬り捨てるように翼が叫ぶ。
「集中できなければ鞘走るなッ! これが本当の
「…ッ! も、もう一度お願いしますッ!」
立ち上がる響に、しかし翼は背を向けた。
「つ、翼さんッ!?」
「もう帰れッ。今のお前は完全に戦場に立つ覚悟を欠いているッ! そんな覚悟で相対されても、なんの腹の足しにもならんどころか業腹だッ!」
「…ッッ」
言い捨てて歩き去る翼の背中に何かを言いかけて―――響はシンフォギアを解除している。
そのままトボトボとシミュレーションルームを出ていってしまったのは、まったく普段の彼女らしからぬ姿。
そんな響の様子を一顧だにせず、翼もシンフォギアを解除。
隣室のモニタールームへと入れば、目前に飛んでくるハンドタオル。
「お疲れ」
「ッ。マリアかッ」
宙で受け止めたタオルで頬と額の汗を拭う。
「あたしもいるぜ?」
「なんだ、雪音もいたのか」
クリスからは冷たいスポーツドリンクを受け取りつつ、翼は椅子へと腰を降ろす。
「…ま、あんな緊張感のない訓練をしてちゃあ返って危険だわね。中止して正解よ」
「わざと憎まれ役買って出たんだろ? さすが先輩だな」
マリアとクリスの立て続けの称賛に、翼は一瞬目を丸くする。
それでも、ごほん、と軽く咳払いをしたあと、半ばそっぽを向きながら照れ隠しのような口調で答えた。
「ま、まあな。しかし、立花も何をあんなに精彩を欠いているものか…」
「そんなの、決まっているでしょう? ねえ?」
顔を見合わせ苦笑をかわし合うマリアとクリスを、翼は不思議そうに眺める。
「何が決まっているのだ?」
「小日向未来よ。あの子の最愛の陽だまり」
「…小日向がどうかしたのか? もう完全に回復したのだろう?」
マリアの言に首を捻る翼。
「先輩、それマジで言っているのか?」
「?」
「…もしかして、あの子がエロ吸血鬼の下僕になったこと、理解してないの?」
「えっ」
「えっ」
「えっ、て、おいおいッ!?」
親友である小日向未来との生活は、それほど変わっていないと思う。
一緒の寝床で目を覚まし、一緒に食事を摂り、学校へと通う。
学校でだって一緒に昼食のお弁当を食べて、放課後に補習に付き合ってもらうこともしばしばだ。
ただ、S.O.N.G.における戦闘訓練やミーティングにまで、彼女を同道することは出来ない。
なのでその時は、お互いに不承不承に別れるしかなかった。
それでも、家に帰れば、温かいご飯を作って未来は待ってくれている。
その事に関して、響は疑いを持っていなかった。
疑いを抱こうとしたことすらない。
しかし、今の彼女の内心を覗ける者が存在したら、直立不動とも思えた未来への想いが不様に揺れていることに驚いただろう。
「…今日も本部にダイスさん、いなかったな…」
最愛の陽だまりの恩人になった吸血鬼の名を呟く。
そしてその吸血鬼ダイスを主人と呼ぶ親友。
二人の姿が揃って見えないことが、響の心をかき乱している。
「わたしって、こんなに独占欲が強かったかなあ」
わざと口にした呟きは、独占の対象を指定していない。
自分でもはっきりと分かる誤魔化しの台詞。。
一度自覚した
それでも相手は吸血鬼。人間ではない超常的存在なんだよ?
そう自分を諌めるも、空しい。
例え相手が永遠の刹那を生きる巫女であろうと、人造人間であろうと、むしろ神様であろうと手を取り合っていくのが彼女スタイル。
胸に抱いた感情を捨てるのは、過去に積み上げてきた行動を否定することに等しいのだから。
さらに。
もし、二人が、わたしのいない間に―――!?
目をぐるぐるさせる響の頭に浮かんで消えるは、ティーン雑誌の益体もない記事の数々。
彼氏が出来たら。彼氏と初デートのあと。彼氏とのお泊りデートのあれこれ。
「響ッ!」
最愛の人の声が、響を現実に引き戻す。
見れば目前の道路に停まる一台の大きなワンボックスカー。
その助手席から手を振っているのは当然小日向未来として、その奥でハンドルを握るは、絵にかいたような美青年。
吸血鬼ドラゴンタイガー・ダイステイラー。
未来に応じようとした笑顔が曇る。
やっぱりわたしがいない間に、二人は二人きりで―――。
「響先輩! 早く乗るデスよッ!」
「!?」
後部座席の窓から身を乗り出す人物に、響の曇りが一気に吹き飛ぶ。
声をかけてくれたのは暁切歌で、後部ドアを開けてくれるのは月読調だ。
「ど、どうしたの、みんなして?」
「ダイスさんに誘われたんデスッ!」
「みんなで海に行こう、って」
立て板に水にいってくる切歌&調に、響の胸のモヤモヤは多少なりとも晴れて行く。
「OKッ! いいねえ、行こう行こうッ!」
無理やりテンションを爆上げし、勢いよく車へ乗り込む。
その後部座席の様子を吸血鬼ダイスは一度振り返り、臆面もなく言った。
「うむ、今日は両手に花どころではないな。綺麗どころでいっぱいではないか」
「………」
余人なら歯が浮く台詞をさらりと言ってのけ、耳にした少女の頬をすべからく染める技は、果たして吸血鬼のスキルなのだろうか?
「ダ、ダイスさん、ちょっと褒め過ぎっていうか…」
「世辞ではないぞ? 皆、本当に麗しい限りだ」
響のささやかな抵抗は一瞬で粉砕される。
見れば両隣の切歌に調も顔を真っ赤にして黙りこんでいた。
可愛いとは言われても、綺麗とはてんで言われ慣れていない二人である。
「もう、
「…別にからかってはおらぬ。思った通りのことを言っているつもりなのだが」
首を捻りつつ、ダイスはハンドルを手に前を向き直っている。
彼の腕を叩く未来の姿を見て、響は目を伏せた。
本当に恥ずかしかった。
いま、自分の目に浮かんでいるのは羨望という名の色だろうから、なおさら。
砂浜へ下りるなり、切歌と調は駆け出す。
その後に続く未来も見送り、響は独りアスファルトの階段へと腰を降ろした。
手には、途中のコーヒーチェーンのドライブスルーで購入したトールサイズ。
冷たい潮風を浴びながら飲むシロップたっぷりのコーヒーは、じんわりと身体へ染み込んでくる。
冬の夕暮れは早い。
しかし、その短い時間を謳歌するように、切歌たちははしゃいでいる。
靴の爪先を浸すギリギリまで波打ち際に行ったり、石を投げて水切りをしたり。
「どうした、響。おぬしは行かないのか?」
「ダ、ダイスさんッ!?」
気配も感じさせず、すぐ横にやってくる吸血鬼。
「え、えへへ、今日はちょっと訓練で疲れちゃって…」
「ふむ」
あからさまに狼狽える響に、吸血鬼は何も言わない。
黙って並んで横に腰を降ろすと、同じく海を眺めはじめた。
聞こえるは潮騒と切歌たちの笑い声。
そうやって二人で海を眺めていたのは、決して長い時間ではないだろう。
突然、吸血鬼は呟く。
「本当に、美しいな…」
「ッッ! だ、誰がですかッ!?」
反射的に食いついてしまう響に、吸血鬼ダイスは笑って水平線を指さした。
「あの沈みゆく夕日のことよ。紺碧の海の懐に抱かれながら、橙色の光彩を振りまく。実に美しいとは思わんか?」
「あ、は、はいッ」
「一歩星の外へ出て眺めれば、太陽など巨大な火球も同然ぞ? されば、まっこと世界とは不可思議なものだな」
「は、はあ…」
いきなりスケールの大きな話になってしまって戸惑う響。
彼女の様子に気づく風でもなく、吸血鬼の青い瞳は沈みゆく太陽へと注がれたまま。
その端正な横顔を眺め、響は盛大に動揺していた。
根本的に、吸血鬼が太陽を眺めているということに対する行動の違和感は無視しよう。
それを差し置いても、なんで心臓がこんなにドキドキとしているんだろう?
鼓動を抑え込むように、コーヒーをゴクゴクと飲む。
熱い液体が身体を温めてくれたらしい。暑い。
我知らず、響は自分のマフラーを外していた。
襟元を大きく広げ、冷たい外気に首筋を晒し、パタパタと仰ぐ。
ふと、隣の吸血鬼と目が合った。
ぐびり、と息を飲む響。
少しだけ顎を持ち上げ、そっと瞼を閉じてしまったのは、自分でもよく分からないアクション。
「―――響?」
吸血鬼の声。
潮風とは違う空気の動きが首筋を撫でる。
目を閉じたまま響は唇を噛みしめた。
ぷるぷると震える彼女は、何かを期待し、何かを覚悟している。
吸血鬼の顔の気配を、すぐ近くに感じた。そして―――。
「何をしておる? そんな格好をしていたら風邪を引くではないか」
丹念に首にマフラーを巻き直された。
「………」
響がたちまち顎を引いて頬を真っ赤に染めたのは、自分の行動を恥らっているのか、それとも。
「響さ~んッ!」
切歌の声。
そちらを振り向けば、夕日の最後の残照が一瞬明るくあたりを照らし出す。
続いて訪れた濃い暗闇は黄昏時。
その闇の中で、響は彼を見失う。
海岸沿いの街路灯が周囲を照らし出した時。
吸血鬼の黒衣は、彼女の親友の隣にある。
波打ち際で、ともあればそのまま闇に溶けてしまいそうに寄り添う二人のシルエット。
その光景を響は直視できなかった。
ただ唇を噛みしめ、脈打つ胸の上でぎゅっと拳を握る。
親友の幸せそうな様子。
ただ祝福してあげればいい。
…分かっているのに、こんなに胸が苦しいのは、なぜ?
一方の未来の方は、主人と慕う吸血鬼の腕に抱かれ、海を見つめていた。
彼女の海風になびく黒髪に涙の粒が混じっていたことは、親友すら気づかない。
「おう、泣くな未来」
吸血鬼の声が夜を誘う。
いまや全身を闇に染めて、夜の王は従僕となった少女を抱きすくめていた。
「でも…ッ!」
そういって見上げてくる白い頬の涙を指ですくう。
「案ずるな。決して悪いようにはせぬ」
安心させるための微笑。
続いての呟き声は、静かに闇へと染みこんでいく。
「いずれにしろ、決別の日は近い―――」
声を孕んだ闇は、誰に聞かれることもなく潮騒に飲まれて消えた。