S.O.N.G.本部発令所 17:30
「ちょっと司令! どういうこと!?」
総司令からの非公式アドバイザーの就任発表に、まっさきに気色ばんだのはマリア・カデンツァヴナ・イヴ。
―――こんな変態吸血鬼を身内に入れるなんて正気!?
そう声には出さないものの、全身のオーラでそう訴えているのが分かる。
「しかし、今のところ、ダイステイラー氏は何も実害を出していないしな…」
珍しく歯切れの悪い弦十郎の横で、渦中の吸血鬼は、ごく自然な動作で立花響の手を取っている。
「弦十郎の言うとおりぞ、ピンク頭。吾は響とも和解したしな。そうであろ?」
「え、え? あ、はい…」
いきなりの展開に面食らってしどろもどろの響の手の甲に、吸血鬼は軽く口づけをする。
「今日から吾らは
「は、はい。こちらこそ、ゴンタさん…」
頬を真っ赤にした響にそう呼ばれた吸血鬼は柳眉を顰めた。
「そう、それよ。そのような不躾な呼び名は止めてくれんか?」
「なら、鼻血ブースケ?」
「余計不躾だわッ! …ごほん、もっとこう、親しみのある呼び方をだな」
「でも、ドラゴンさんとかタイガーさんとかだと何か違うと思うし、ダイステイラーさんじゃ長いし…」
響は人差し指を下あごに付けて考えることしばし、
「じゃあ…ダイスさん?」
すると吸血鬼はにっこりと笑った。
「良き呼名かな。今後もよしなに」
優雅に一礼し、次に吸血鬼にしてS.O.N.G.非公式アドバイザーとなったダイス氏が向かい合ったのは、風鳴翼と雪音クリス。
両名とも泰然自若を装っていたが、内心では穏やかではない。
そんな二人を眺め、ダイスは目を細めた。
なんとも形容しがたい視線に、先にクリスが牽制する。
「なんだよ、なんかあたしらの顔についているのか?」
「いや、ふと懐かしさを覚えてな。なるほど、ここにあったか」
「…なにいってんだ?」
「ああ、すまんすまん」
ダイスは軽く謝罪する。それから臆面もなく言った。
「しかし、ほんにおぬしら二人も美しいなあ」
「は、はあああッ!? 何言ってんだよアンタは!?」
露骨に顔を赤くして動揺するクリス。
対して表面上は動揺する素振りすら見せない翼は、長いアイドル稼業の賜物だろう。
「いかな叔父上のお墨付きとはいえ、正直に申せば、私はまだ貴方を信用したわけではない。されど、よろしくお願いする、ミスター・ダイス」
「うむ。その歯に衣も着せぬ物言いも清々しいぞ、ミス・ウイング」
差し出した手をお互いでしっかりと握り合う。
「歌姫としての名声も見知っていたが、守り人の刃としての研ぎ澄ましも申し分なし。威風凛凛というやつだな」
「フッ、賛辞として受け取っておこう」
次にダイスに視線を転じられたのはクリスで、彼女はその不思議な紺碧の瞳になにやら見透かされるような感覚を味わう。
「なんだよ? あたしは握手をしてやるほど、先輩みたく優しくはないぜ?」
「…ずいぶんと苦労をしてきたようだな、雪音クリスよ」
「!?」
「機会があれば血の一滴でもくれんか? 朱玉の如き美しき魂の雫、味わってみたいものだが」
「なななに気持ち悪いこといってんだよ!? そんなのお断りだッ!」
「まあ、いつでも心変わりしたら教えてくれ。吾は当面ここにおるでな」
小柄な身体を自分で抱きすくめるようにしているクリスから離れ、次にダイスが立ったのは暁切歌と月読調の前。
「こちらの美しいレディたちもよろしく頼むぞ」
「は、はいデス!」
頬を紅潮させる切歌。
一方、じーっという眼差しで見てくる調に、ダイスは優しい笑みを投げかける。
「どうした、
「男は見た目で信用しない方がいいって」
「ほう。しかして、ぬしには吾はどのように見える?」
「…分からない。悪い人じゃないような気もするんだけど…」
首を振る調に、ダイスは哄笑する。
「はっはっは! そもそも吾は人ではないからな。人品を見定めようとしているところが矛盾しておるわ」
そういってダイスはポケットから取り出したものを調へと渡した。
「ほれ、飴ちゃんでも食べておれ」
「…あ、ありがとう?」
訝しげに、それでも素直に調が受け取ったことを確認したのち、ダイスは笑顔を浮かべたまま後ずさり。
司令席に立つ弦十郎の横まで戻り、小声で言う。
「あれがザババの加護を受けし娘御たちか?」
「あ、ああ。そうだが?」
「…いつの間にザババが女神になっておるのだッ! 吾の記憶にあるザババは逞しき男神ぞッ!?」
「いや、そこをオレに言われてもな」
困惑する弦十郎。
「それと、あの月読調とかいう娘ッ! 貴様等、あんな年端もいかぬ幼子も戦わせておるのかッ!?」
「はあッ?」
「あんなエトルタの断崖のような体躯をしてからに! 奇厳城が建つではないかッ!」
「い、いや、ああ見えても彼女はもう16歳だぞ?」
ダイスは目を見張る。
それからマジマジともう一度調を見てから、悲しそうな表情になる。
「なら、あの娘に肉とパンと牛の乳を。吾の給金から天引きでかまわぬ」
「…よく分からんが、分かった」
そして最後にダイスが視線を向けたのは、腕組みをしたマリアだった。
威圧的な空気を隠そうともしない彼女の目前へ立つと、吸血鬼は唇を斜めに釣り上げる。
「おぬしとしては不本意の極みと察するが…」
「あら? お気遣い感謝するわ。でも、翼の言った通り、わたしも貴方を信用してない。これは最初にはっきり言っておくわね」
「これはなかなかに手厳しいこと。しかし、吾に対して臆面もないとは並みの胆力ではないな。名にし負う世界の歌姫よの」
「ふんッ」
「さすが世界中継で裸んぼうバンザイ! をしたことだけはあるわ―――」
「な、なにを言っているのよ!?」
しみじみ言う吸血鬼に、マリアは激昂。
「狼狽えるな。おぬしが崇高な理念のもとに行動を起こしたのは承知しているぞ。それにしても、さすがにあそこまで恥を投げ捨てられるものかと感心しておる」
「………」
「どうした? 吾が人の行動を褒めることなど滅多にないぞ? 誇るが良い」
発言自体はマリアのトラウマをえぐり出して塩をかけてこねくり回すかのよう。
しかし、胸を張る吸血鬼は本気で称賛しているようで余計タチが悪い。
他の装者たちがハラハラとして見守る中、マリアはこめかみに青筋を浮かべながらも笑顔で返す。
「お褒めにあずかり恐縮だわ、ミスタードラゴンタイガー・ダイステイラー、で良かったかしら?」
「うむ。如何にも」
「長いから、わたしはイニシャルで呼ばせて頂くわ。そうね、ドラゴンタイガーだからD・T。ドーテーでどう?」
「…いささかアルファベットの発音が異なるような気がするのだか?」
「そうかしら? 気のせいよ、ドーテーさん」
「ほうほう、世界的な歌姫という割には、訛りが酷いようだの。お里が知れようぞ」
「そういう貴方こそ、どれだけ女性に免疫がないわけ? お臍を見たくらいで鼻血を噴く人が夜の王なんて、名前負けしているんじゃない?」
「ふ、ふははははッ! 夜の王にして
「そうかしら? とてもレディーの扱いは熟れているようには思えないんだけど?」
「侮るなッ! 吾とて夜会―――現代風に言えば合コンくらいの経験はあるわッッ!!」
室内の過半数の人間が、
「あ(察し」
となる中で、マリア・カデンツァヴナ・イヴは火の玉ストレートを全力投球。
「…もしかして、貴方、本当に童貞?」
「ど、ど、ど、ど、童貞ちゃうわッ!!」
目に見えて狼狽する吸血鬼に、マリアの口元が邪悪なほどに三日月を描く。
「あらあらまあまあ。何千年も生きていると、魔法使いを通り越して吸血鬼になれちゃうってわけね? 新説発見だわ」
「だから童貞ではないッ! そういうキサマは耳まで年増かッ!? その実はまだ
「なあッ! そんなわけないでしょうッッッ!?」
「嘘つけ! 貴様は生まれこのかた男と付き合ったこともあるまいッ!」
「冗談じゃないわ! 彼氏いない歴=年齢なんてあるわけないじゃない! 処女賭けてもいいわよッ!」
マリアの台詞に、室内のほぼ全員の人間が凍りつく。
その反応に当の本人はようやく自分が何を口走ったか悟ったが、遅い。
「はっはっは、こやつめ、自分で馬脚を現しおったわ!」
「う、うるさいッッ! この童貞吸血鬼! いえ、童貞の中の童貞、童帝よッ!」
「やかましいッ! この口だけアイアンメイデンがッ!」
「誰が拷問器具よッ!?」
低俗かつ低レベルな罵り合いへの推移を、半ば呆れ顔で眺める他の装者たち。
そんなクリスの傍に、切歌と調がやってきた。
「ねえねえクリス先輩。『どーてい』ってなんのことデスか?」
「ああッ!? そ、そんなの知らねえよッ!」
「女子大生の先輩でも分からないことあるんだ…」
飴をカラコロと舐めながら言ってくる調に、クリスは女子大生は関係ねーだろ、と呟いてから咳払いを一つ。
「ごほん。それでも、先輩としておまえらに教えてやれることはあるぜ?」
「それは何デスッ?」
興味津々の瞳を向けてくる後輩二人に、クリスはなお言い争いを続ける童帝とアイアンメイデンを指さしていった。
「あーゆーのを泥仕合ってんだ」
私立リディアン音楽院 翌日PM16:18
昇降口を出た小日向未来は、さっそく隣の最愛の人へと声をかけた。
「今日も一日お疲れさま、響」
「…うん」
答える響の返事は冴えない。
「まだ昨日のこと気にしているの?」
先日、S.O.N.G.に非公式アドバイザーとしてあの吸血鬼が着任したことは伝え聞いている未来である。
「そうなんだよねー。もう、マリアさんと凄いケンカしたみたいになっちゃってさあ」
愚痴る響。
爪先で小石を蹴飛ばすして、
「二人とも仲良くしてくれればいいのに…」
その主張は、未来にはとても良く理解できた。
立花響という少女は、手を取り合えば誰とでも分かり合えると心の底から信じている。
ある意味究極の博愛主義であり、見方によっては歪に映るかも知れない。
しかし未来は、そんな彼女の主義と心根を、心の底から愛していた。
「そうだ、響。マヨネーズってどうやって作るか知っている?」
「え? 知っているけど…」
「あれはね、水と油で、本来は絶対に混じり合わないものだったんだって」
なのに、水と油が結びつき、マヨネーズとなった。
その媒介となるのは卵。
響の顔に、みるみると理解の色が広がっていく。
「そっか。わたしが仲立ちして、二人に仲良くしてもらえばいいんだねッ!」
「むしろそれが響がずっとやってきたことでしょ?」
お互いに顔を見合わせ、うふふと笑いあう。
「よーし、やるぞー!」
「でも、ほどほどにね。迷惑になる一線を見誤っちゃ駄目だよ?」
「ありがとう。本当に未来に相談して良かったよ~」
そのままイチャイチャしながら校門を出ようとする二人の前に、一台の車が緩やかに停車。
黒塗りの圧倒的な存在感に、さして車に詳しくない響も未来も足を止めた。
二人は知らなかったが、車の名はトヨタ・センチュリー。日本国のやんごとなき方々の御料車ともなった国産高級車である。
パワーウインドウが開く。
運転席から見えた顔は。
「ダイスさん!?」
「おう、響、未来」
サングラスをかけて笑う吸血鬼に、響は尋ねる。
「どうしたんですか、一体?」
「なあに、デートに誘いに来ただけだ」
「デ、デートぉ!?」
あからさまに狼狽する響。彼女ほどではないが、未来の反応も準じている。
「親しくなった男女は逢瀬を重ねるものではないか?」
響と未来が顔を見合わせる。どうしよう? 彼女らをしてお互いの考えが一致することも多いが、逡巡することまで一致するのは珍しい。
「とりあえず、立ち話は通行の邪魔であろう? まずは乗れ」
促され、二人とも素直に後部座席に乗り込んだのは、思い返せば不思議である。
走り出したセンチュリーは、驚くほど振動もなく滑らかな乗り心地。
それもそのはず、この車は鎌倉の風鳴本邸より接収されたもの。
かの風鳴赴堂の外出の際に使用されたもので、その静粛性、居住性、防弾、対爆といった強靭性は、御料車の数段上を行く。
本部より無断で持ち出したダイスのせいで一悶着が起きるのだがそれはまた別の話で、響も車の出所よりも別の疑問を口にしている。
「ダイスさんって車の運転出来るんですか?」
「ジェット飛行機の操縦も出来るぞ。自分で飛んだ方が速いからせぬがな」
呵々と笑う吸血鬼に目を白黒させる響と未来。
「でも、デートって…」
そう口にする未来の声は、自覚はないが新鮮だ。
なぜならこの彼女らにとってのデートとは彼女ら二人で行うもの。
異性とのデートは、生まれて初めての体験である。
「まずは服を物色しに参ろうぞ」
バックミラー越しにダイスは言う。
ちらちらと視線が二人のスカート付近を撫でる。
「まったく、おぬしらと来たら、この寒いのに素足を剥き出しにしおってからに…」
いかにも、けしからん! といった口調に、響も未来も少し吹き出してしまう。
マリアさんが言っていたからってわけじゃないけれど、本当に奥手というかウブな人なんだ…。
響自身、妙にこの吸血鬼に対して親しみを持ってしまっていることの自覚はない。
安定した滑らかな走りで高級車はやたらと格式高そうな洋装店の前に停まる。
一目で若年の客はいないと思われる佇まいは、もちろん響も未来も来るのは初めてだ。
「さあさ、降りてきたまえ」
後部席のドアを開け、優雅に外へ誘うダイス。
彼に手を取られ、未来、響の順で車外へと出る。
いつのまにかこじゃれたスティックをもってクルリと回す吸血鬼を先頭に、店内へと入る。
店内の雰囲気は一言でいえば荘厳。
落ち着いた照明もあり、いかにも歴史を感じさせる。
「今日は吾に見立てさせてもらって良いか?」
「は、はあ…」
重厚な服に圧倒された響と未来は、次の呟きを聞き逃している。
「ほぼ百年ぶりに来たが、まるで内装も変わってないようでなによりだの」
「いらっしゃいませ」
燕尾服を着て、豊かな白髭を蓄えた老人が恭しく礼をしてくる。どうやら彼が店主のようだ。
「それでは、彼女にはこちらを。向こうの娘子にはこれが似合うかの」
「承りました」
すると、奥の方から、お針子らしき年季と恰幅のたっぷりとしたご婦人たちがそろそろと出てくる。
「え? え?」
響、未来とも、何がなんだか分からないまま奥へと連行。
そして数十分後。
椅子に座って高々と足を組み優雅に紅茶なんぞを嗜んでいる吸血鬼の前に、まるで別人のごとく着飾った二人が戻ってくる。
「おお! 思った通りよう似合っておるわ!」
ダイスの忌憚なき称賛に、響も未来も戸惑うしかない。
なんせ二人して着せられているのは、手首から首まできっかりと覆ったビクトリア朝風のドレス。
完全に足を隠す長いスカートの裾は、床の上を引きずらんばかりである。
「そ、そうかな…?」
自分で自分を見回して、響。
黄色を基調とした優雅なデザインのドレスであるが、もちろんこんな服なんて着たことはない。
ネイビーブルーのドレスを着た未来も同様だが、「うん、響、似合っているよ」と相手を称賛出来るあたり、まだ余裕があるのかも知れなかった。
「いや、本当に似合っているぞ」
立ち上がったダイスは、響の後ろ髪を梳くようにする。
「ひゃッ!?」
思いがけず可愛い声を出して仰け反る響に、
「す、すまぬ」
謝罪をして、ダイスは老店主へと向き合う。
「相も変わらず良き仕事だな」
「ありがとうございます」
賛辞とともにダイスが店主に渡したものに、響は目を剥く。
どう見ても封を切ってない一万円札の分厚い束。
「そ、それって…!?」
「支払いは誘ったものがするのが礼儀ぞ?」
「じゃなくてッ! そんな大金…ッ!」
「吾とて伊達に長くは生きておらん。蓄財はしておるで心配無用だ」
事も無げに笑って断言する吸血鬼だが、先日、S.O.N.G.に非公式ながらも着任するにあたり、土産だと無造作に本部の弦十郎へ提出したものがある。
数本のインゴット。刻印こそされていないものの、純度は99%以上の本物だ。
これにはS.O.N.G.総務部もニッコリ。しかし、その処遇を巡っても一悶着が起きるのだが、これもまた別の話である。
はっきりいって、貴族ドレスは慣れない人にとっては歩きづらい。
ダイスにエスコートされて再度車に乗り込んだ三人が向かったのは、郊外だった。
市街地から外れ、閑散とした住宅街に突如現れた洋館。
広い庭先に車を停めれば、ウエイターに出迎えられた。
「いらっしゃいませ、ダイス様」
「うむ。よろしく頼む」
瀟洒で歴史ある佇まいのこの建物はレストランのようだ。
豪華なアンティークの調度と煌びやかなシャンデリア。普通の女子高生には無縁の世界。
もちろん響も未来も圧倒されっぱなしで、着なれぬドレスでしゃなりしゃなりと案内され、着席。
大輪の花が置かれたテーブルの上で、食前酒替わりのアップルサイダーが二人の少女の前に供された。
間もなく運ばれてくるのは前菜で、そのタイミングでダイスは指を鳴らす。
すると、奥のカーテンが緩やかに割れ、菅弦楽器とチェロの奏者が姿を現す。
流れてくる穏やかなBGMはもちろん生演奏。
「…すごい…」
「欧州の宮殿の晩餐にはだいぶ劣るがな」
「ううん、それでも凄いですよッ!」
「確かに吾の前の二輪の花は、かつてのウィーンの名花にゆめ劣らぬな」
「そんなこと、ないです…」
「いや、二人とも、本当に美しいぞ?」
懐かしさを滲ませた物言いで少女二人を赤面させる吸血鬼。
次々と運ばれてくる料理を食べる様子も、非常に楽しんでいるようで屈託がない。
未来もしてどうにか料理の味を楽しめる余裕が出てきたが、そんな彼女が気になったのは最愛の響の動向。
非常な健啖家でも知られる響の食事の進みが、目に見えて遅いのだ。
とうとうデザートすら半分残してしまう響に、未来は思わず声をかけてしまう。
「どうしたの響。服がキツいの?」
「ううん、未来。なんだか胸がいっぱいになっちゃって…」
響の頬が赤く上気していることに、未来は悟らざるを得ない。
想い人がいつになく緊張していることを。
それはなぜ?
そんなの分かりきっている。響はここまで異性に女の子扱いされたことはないからだ。
長い間、響と一緒に過ごしてきた未来だからこそ、それは自明。
まったく免疫がなかったところに、今日の豪華絢爛たるデート。
衝撃に、一時的に食欲が減退するのも理解できる話だった。
一方、響にしても、未来に看破された通り、初めての体験に戸惑いっ放しである。
まず、響にとっての身近な男性と言えば父である洸しかいない。
中学生の多感な時期に迫害の波に翻弄されていた彼女が、当時の同年代の異性に関心を抱けるはずもなく。
シンフォギア装者となって、風鳴弦十郎を始めとした大人の男性との関係も構築。
特に師匠である弦十郎には憧れを持たなくもなかったが、それはやはり大人や父性に対する希求のウエイトが大きいような気がする。
そんな彼女の寄る辺となった小日向未来に対しては、同性であるものの、どちらかと言えば男性的な立ち位置で接してきていた。
ならば、やはり面向かってこのように一個の女性扱いされるのは、本当に初めてのこと。
―――胸と頭の奥がなんか熱くて、ふわふわって落ち着かない気分。
もしかして魅了の邪眼とか使っているのかな?
そう思って顔を上げれば、吸血鬼のサングラス越しの瞳と目線が合う。
眼差しは優しく、浮かべる笑みも紳士的。
どうした?、と首を捻られ、動悸が跳ね上がる。
響はドレス越しに胸を押さえて思う。
あれ? わたし、どうしちゃったんだろ…?
「あ、あの!」
その声は、響ではなく未来が発したもの。
「そろそろ帰らせてもらっちゃ駄目ですか? 明日も学校だし、宿題もあるし…ッ!」
「お、そうか。おぬしたちはまだ学生の身だったな。ならば、遅くまで連れ回すは無粋か」
存外、あっさりとダイスは立ち上がる。
なぜかふらふらとする足取りになっている響を未来が支えレストランの外へ出た。
晴れ上がった空は星が澄んでいた。雪こそ降ってないが冬の夜風は刺すように冷たい。
「…ん、ありがとう未来」
冷気のおかげか幾分頬から赤みが抜け、しゃんと立つ響。
「大丈夫?」
その顔を覗き込む未来の視線は何か言いたげ。
「どうしたの、未来…?」
「響、あのね」
言い差したその時に、ダイスが戻ってきた。
「おう、済まぬ。レディたちに風邪を引かせるわけにはいくまいて」
車へ乗せられた。たちまち効いてくる暖房に、響がほう、と息を漏らしてから未来へ向かい合う。
「それで、未来。さっきはなんていいかけたの?」
「う、ううん。いいの」
「?」
緩やかに車は走り出し、公道へと出た。
その段になって未来は慌てて言う。
「あ、今日は、ご馳走さまでしたッ!」
「ご馳走さまでしたッ!」
追随する響の声に、ダイスは前を見ながら笑みを浮かべている。
「なに、吾も久々の晩餐は楽しかったぞ」
「それに、こんな凄い服まで買ってもらっちゃって…」
「次の機会もあれば、是非また着せてみてもらえるかの?」
「はいッ!」
意気込んで返事する響は、未来は明らかに妬心のような色を瞳に浮かべてるのに気づかない。
それどころか、響は彼女にしては珍しい質問を口にしている。
「あの、ダイスさん」
「なんだ?」
「その…師匠から聞いたんですけど…。昔、フィーネさんと付き合っていたって…」
立花響が他者の恋愛に疑問を呈することは殆どない。その珍しさを本人も自覚したらしく、慌てて言い添える。
「あ、その、フィーネさんとは闘ったことがあったから、昔はどんな感じだったのかなーって」
対して、ドラゴンタイガー・ダイステイラーの声のトーンは静かに下がっていた。
「おぬしらの尽力もあって、あやつの本懐を妨げ、そして遂げさせてくれたようだな…」
カ・ディンギルの砲撃の月破壊によるバラルの呪詛からの解放。
それは立花響、雪音クリス、風鳴翼の三名の活躍で一旦阻止されたものの、シェム・ハとの決戦前に結局解放されていた。
もっともその決戦後には、フィーネの魂はかつての想い人であったエンキの魂と共に浄化されている。
S.O.N.G.司令室の全ての資料を読了したダイスの声には、ある種の感慨が込められているように思えた。
その感慨の声音に、響の感性も呼応する。
…ひょっとして、迂闊な質問をして傷をつけてしまったんじゃ…?
「あの、ごめんなさ」
「あやつと吾の関係は、いずれおまえたちにも見せてやろう…」
響の謝罪の台詞はダイスの己の感情を韜晦するような言葉に遮られる。
「………」
あとは何も言えず、座席の背もたれに身体を預ける響。
そんな親友にして最愛の人に、未来は何か言葉をかけようとして―――結局どうでもいいことしか言えない。
「ダイスさん、見せてやろうっていってたけど、普通は、聞かせてやろう、じゃないかな?」
「え? …あ、うん、確かにそうだね…」
身の入らない返事をしてくる響に、未来は背中が寒くなるのを感じる。
それは、絶対と思っていた二人の関係に、微かな軋みが生じる音だったのかも知れない―――。