時間樹エト・カ・リファ。それは数多の
その異邦人たる少女の名はユーフォリア。きょろきょろと辺りを見渡す少女からは、見知らぬ土地に初めてやってきた幼子といった雰囲気を隠せてはいない。実際には、父親の出身地であり幾度か来たことはあるのだが、一人でやって来たのは初めてなのだからそれも仕方ないことと言えるかもしれない。
「あ、時深さん。お久しぶりです!」
「ええ、久しぶりですね、ユーフォリア」
辺りを見渡していたユーフォリアは、その視界に両親の友人であり、小さい頃からお世話になった倉橋時深を認めてそちらに向けて走る。挨拶を交わせば嫋やかな笑みを浮かべてユーフォリアを受け入れてくれる。しばらくの間世話になるので挨拶はしっかりと。その辺りの教育は行き届いている。
今回、ユーフォリアに与えられたのは休暇。普段から両親の任務に同行するユーフォリアだが、前回のそれで怪我をしてしまったので、療養のためにも戦いのない平和な世界にやって来たのだ。そのために選ばれたのが父親の故郷である、彼女の母親が言うところのハイペリア。母親の出身世界の言葉で”天国”を意味する言葉の通り、この世界では彼女のような存在はほとんど知られておらず、また戦いもこの地域では存在しない。それは、少女の療養という点では、あまりにも都合が良かった。
そしてそれは、時深にとっても同じように。
「時深さん、りょーよーってどれくらいの期間になるんですか?」
「それは貴女次第ですね」
くすりと笑う時深。それを綺麗だなぁとぼんやりと思うユーフォリア。
「”療養”なんですから、貴女が無茶をしたりしたらもちろん伸びますし、逆に治療が終わってリハビリも終わればそれこそ一月で戻ることもできます」
「だったら、頑張らないといけませんね!」
むん、と握り拳を作るユーフォリア。可愛らしい子だな、と彼女が生まれた当初から知っている時深は思う。以前出会った時より愛らしくなったのではないか、とも。
「そこまで気を張る必要はないですよ。貴女が望むなら、療養の最中に料理などを教えてもいいですし」
「本当ですか!」
時深の作る料理は美味しい。未来視という能力を生まれつき持っている時深は1000年以上ユーフォリアの父親を想い続け、そして失恋した。1000年という時間は、花嫁修行をするにも十分な時間だ。そのため、『ぱっと見真面目でしとやかだが、いい加減で無精者、基本的に能天気である』と称される彼女ではあるが、そういった諸々は別にできないわけではない。そして、ユーフォリアはそれを振舞われる機会があった。だから、教えてもらえる、ということが嬉しかった。ただそれだけ。
時深からすれば、真面目なユーフォリアに息抜きをさせてあげたい、というだけ。だからユーフォリアが興味を持ちそうなことを教える、という餌を垂らしたのであり、彼女がとても興味津々なのでそれなら教えてあげないとなぁ、程度。ただ、手を抜くことはない。
しばらくの間の共同生活に二人とも想いを馳せながら、歩を進めれば目的地に到着する。倉橋時深が拠点とする『出雲』の土地。そこに時深が先に入り、ユーフォリアを迎え入れた。
「それじゃあ、よろしくお願いします」
「ええ、療養の間はここを家と思ってくれてもいいですからね」
ユーフォリアの『出雲』での、新しい生活が始まった。
「あれ……? ここ、どこだろう?」
ユーフォリアが『出雲』にやってきてから数日。郷に入っては郷に従え、という言葉の通り、『出雲』の住人と同じ巫女装束に身を包んでの『出雲』での生活にもようやく慣れてきた頃、気がつけばユーフォリアは迷子になっていた。『出雲』の敷地は古風な屋敷と、現代日本ではもうなかなか見ることが叶わないであろう清浄な空気に満ちた広大な森林から成る。屋敷での生活にはどうにか慣れてきて、早朝、これまでは足を踏み入れなかった森林を朝の散歩ということで歩いてみようと思った時のことだった。
(ねえ、ゆーくん。ここ、どこなのかわかる?)
『もう、ユーフィーってば。ちゃんと確認しておかないと……一応、僕にはわかるけど』
(うん、ごめんね)
自分も時深もエターナルなので、その気になれば相手のマナを感知することで戻ることは可能なのだが、それを過信しすぎていたのかもしれない、と自らの相棒の声を聞いてユーフォリアは気を引き締める。そろそろ戻らないと朝食に間に合わなく成るし、時深にも心配をかけてしまうかもしれない。前者はエターナルであるために必ずしも必要というわけではないのだが、後者に至っては大変だ。その焦りと、舗装されているわけではない悪路を巫女装束で歩き慣れていないこと。
「あっ……」
どちらが原因なのか、あるいは両方か。ユーフォリアは足を木の根に取られて転びそうになった。別に転んだところで彼女に傷がつくわけではない。そういう意味での心配はする必要がない。だが、この服に関しては話が別だ。汚れがつかないわけではないし、洗濯をするのはユーフォリアではなく別の人なのだからその人の負担が増える。
「わ、わわ……っ」
『ユーフィー!』
転ばないように数歩足を踏み出して、そこで今度は木の根を踏んでしまう。相棒たる神剣『悠久』の叫び声ももう遅い。彼女に待ち受けているのは顔を地面にぶつける未来だけであり、その数秒後の未来を彼女も理解して目を閉じる。そうすれば、少なくとも土が目に入ることだけは避けられるからだ。
わずかな浮遊感。そして地面への激突。
「……あれ?」
そのはずだったのに、なぜか激突の衝撃が来ない。閉じていた目を開くと、地面は少し遠い。すぐに激突するようなところにはない。襟を誰かに掴まれているのか、ぐいっと圧迫感を首元に感じていた。けれど助けられたことは事実であり、どうにかこうにか態勢を整えたユーフォリアは、礼を言うために後ろを振り返った。
(うわぁ……綺麗な人……)
そして、振り向いてそこにいた人間を見て抱いた感想はそれ。時深と同じ、色素の薄い艶やかな髪。目はぱっちりとしていて、鼻もスッとしている。美人ということははっきりとわかるが、どこか中性的な見た目であり、男性的にも見える。一体どこが、と言われるとユーフォリアには返答に困るのだが、戦巫女と同じように、あるいは今のユーフォリアと同じように、巫女装束に身を包んでいるのに、女性、と言い切ることができそうになかった。
「君、何やってるの」
「あ、えっと、その……ちょっと迷っちゃいまして……」
「そう」
どうせ屋敷の方でしょ、とその人物は口にして歩き出す。ユーフォリアは、ついていくべきか悩んだ。少年が歩く方向は、ユーフォリアがやってきたと思しき方向とはまるで見当違いで、けれど少年がここの住人ならばもしかしたら近道を知っているかもしれない、と。
(ゆーくん、どうしたらいいと思う?)
『ユーフィーがしたい方でいいと思うよ。もしもこいつがユーフィーに手を出そうとしたら僕が守るから』
(──うん、ありがとうゆーくん)
その言葉で、どうするのかは決まった。ユーフォリアは決意を新たにその人物の後をついていく。身長は頭一つ分だけ差があって見上げなければ表情は見えないが、そもそもユーフォリアはついていく側。後ろをちょこちょこと歩くだけの彼女は真正面から相対することはない。木々の隙間から差し込む朝日だけが照らす空間を慣れた風情で歩いていくその人物に、どうにかこうにかついていく。
どうしてこんなところにいたのか、そもそも歩いている方向は本当に正しいのか、信じて歩いて来たのは事実だが、それでも話もせずにただついていくだけだと不安になってくるのか、ユーフォリアは気がつけば話しかけていた。
「あのー……」
「どうかしたの?」
「名前、まだ聞いてなかったなって思って」
「ああ、そういえばそうだっけ」
まず初めに問いかけるのは、当然のことながら名前。それがわからないことにはどう呼びかければいいのかすらもわからないのだから。ちょうど運良く、問いかけたところで少し拓けた広場のような場所に出た。天幕のようになっていた枝葉もそこには存在しない。陽光によって照らされた空間に入り込んだその人物は、色素の薄い髪をたなびかせて振り向いた。
「俺は──」
その出会いは劇的なものではなかったけれど、それでも出会いは出会い。
ユーフォリアにとっては、初めての同年代の友人だった。