「多分、今日もあそこにいるよね?」
(うん、時深さんもそう言ってたし、あそこにいると思うよ)
ある日、ユーフォリアはまた一人で森の中を歩いていた。今度の徒歩は初めての時とは違って迷いなく。目指す場所ははっきりとわかっている。しばらく歩けば、あの時名前を聞いた広場が見えてくる頃合いになった。それを示すように、この数日で慣れ親しんだ野生動物たちの声が聞こえてくる。ユーフォリアはそれに笑みを浮かべて、小走りになって広場に向けて進んでいく。その途中で、一つの鳴き声が聞こえた。
「あ、ぬこちゃん」
聞こえたのは足元。そちらに視線を向ければ黒猫がいる。この時間樹の理によって生み出された、永遠神剣の意思とでも呼べる守護神獣である。ユーフォリアの持つ『悠久』も、この世界に入ったのと同時に守護神獣は発生しているが、この猫はユーフォリアの守護神獣ではない。『悠久』の守護神獣は双子龍であり、かなりの巨体を誇っている。では、これが誰の守護神獣なのかというと、彼女が探している人物のそれである。
「ぬこちゃん、案内してくれるの?」
にゃー、と肯定の返答を返してくる猫。主人である人物ほどではないが、簡単な意思程度であればユーフォリアにも読み取れる。彼、あるいは彼女、性別については知らないが、とある方向を向いて勝手に進んでいくその姿は主人そっくりであり、尻尾をゆらゆらと揺らしながら時折ユーフォリアの方を振り向いてついてきているのか確認するところは似ていない。それでも一人と一匹が優しいことは共通していて、普段とは少しでもずれた場所にいる場合は必ずこの猫が遣いとしてやってきて、主人の元へと連れて行ってくれた。
「えへへ……ありがとう」
感謝の言葉を口にすれば猫はふてぶてしく鳴いて、一際大きな木の中にある樹洞へととん、と軽やかに飛び込む。別に樹洞に猫の主人が存在するわけではなく、その樹木の根元にいたのだ。陽光に照らされながら、まるでお姫様か何かと見紛うような姿で眠りについた人物が。その周囲には、まるで無防備に眠るその人物を守るかのように野生動物たちも集まっている。その姿を認めて、ユーフォリアの笑みが柔らかくなる。それを当人が自覚しているのかはわからないが。
周囲に集まっている野生動物たちは、ユーフォリアが彼に近寄ろうとしていることに気がついたのか道を開ける。たったの数日ながらももはやお姫様のような扱いになっているのだが、ユーフォリアはそんなことは知らない。ありがとう、と笑顔を浮かべて眠っている人物の元にまでたどり着いた。
「ほら、
その人物……倉橋未来の肩を揺すって起こそうとするが反応は芳しくない。口の中でもごもごと何かを発しているのだがユーフォリアの耳にまでその声は届かない。未来は男ではあるのだが、時深と似ていて、どちらかといえば女性らしい見た目である。それも相まってか、どこかの絵画のような光景だった。
「もう……時深さんが呼んでるんだよ。朝ごはんだからーって。早く起きてよー」
けれど、綺麗だなぁ、とぼんやりと見ているわけにはいかない。初日にはそうやってぼんやりとしてした結果、二人揃って怒られることになったのだ。自分が怒られるのは嫌だし、自分がちゃんと起こさなかったせいで彼まで怒られるのはもっと嫌だ、と、ユーフォリアはそんなふうに考える女の子だった。
なかなか目を覚まさない未来にしょうがないなぁ、なんて思いながらもどこか楽しそうなユーフォリア。そもそも彼女はエターナルであるせいでまともに同年代の友人を作れた試しがない。友人を起こしたり、友人と一緒に怒られたり、そんなことはここ数日が初めての経験なのだ。”初めて”ばかりのこの生活を、彼女が楽しく感じてもおかしなことではない。
「……ユーフィー?」
「もう、やっと起きた」
そうして、ユーフォリアの呼びかけが何度か行われた頃、ようやく未来の瞼がもぞもぞと動き始める。ユーフォリアはそれに嬉しそうな声をあげて、自分の愛称を呼んでくれた友人に手を差し伸べる。ユーフォリアの手を取って立ち上がった未来は手を離そうとしたのだが、ユーフォリアは嬉しそうに繋いだ手に視線を向けているので、ため息ひとつでそれを諦めて、ユーフォリアのことを引っ張るように歩き出す。
ころころと表情を変えるというのは、ここ数日で未来が知ったユーフォリアの一番大きなことである。例えば友達になった、というだけでとても嬉しそうな笑顔を浮かべる。友人なのだから愛称で呼んでほしい、という言葉を断ればとても悲しそうな顔をする。そうして気がつけば彼女の言葉を受け入れてしまうのだ。ある意味では魔性の女と呼べる存在なのだが、その資質が完全に開花しないことを祈ることしか未来には出来そうもない。
「今日の予定って何があったっけ。……ユーフィーはもう聞いてる?」
「ううん、あたしもまだ聞いてないよ」
「そっかぁ。……うん、それならちょっと”視”てみよっか」
「こらっ、ダメだよそんなことしちゃ」
足を止めた未来のことをユーフォリアが叱る。彼が持つ時深と同じ未来視の眼を使おうとしたのを止めたのだ。彼はその力を使うためには集中する必要がある。そこまでして調べないといけないことではないのだから、それよりも急いで帰って怒られる可能性を減らしたほうがいい、と。それはそうだ、と未来も納得してユーフォリアとともに歩き続ける。
「でも、ユーフィーは別にしないといけないことはないよな。療養中なんだから」
「それはそうだけど……何をしてもいいって言われるのも、結構大変なんだよ? 何をすればいいのかわからないし」
二人が仲睦まじく歩く姿を、猫は樹洞から眺めていた。
『出雲』の本拠地はなかなか広い。創設者である永遠神剣第一位『叢雲』の化身、ナルカナによって生み出された組織なのだが、その組織を構成するのはナルカナに力を与えられた人間やエターナルばかり。そのため、無数の人間が集まって”人間としての生活”を行うための場所が必要となってくる。それが本拠地に存在しないなんてことはなく、さらには協力者を歓待するための場所も必要なので、実は結構な面積を持つ土地なのだ。
その中の一室、客を歓待するための部屋に、未来は時深によって呼び出されていた。呼び出しは内密に、とのことだったのでユーフォリアに今日は何をするのかと問われた時にも未来は答えられなかった。
「来ましたね、未来」
「はい、どのような御用でしょうか時深様」
襖の開く音に時深が視線を向ければ、そこには頭をわずかに下げて決して時深を視界に入れないようにしている未来の姿がある。未だ『出雲』の中で修行に励むだけの未熟者である未来と、エターナルとして幾度も最前線で戦って来た時深とでは、その階級にとても大きな差がある。実際にはナルカナに選ばれたという点で同一なのだが、それを未来当人が認められていない。
「とりあえず、まずは中に入りなさい」
その言葉に未来は部屋の中に入るが、それでもまだ顔を上げることはない。時深もそのことは知っているため、言及することはしない。ため息をつきそうになったが、それでも時深はいっとき彼の養育者ではなく上司として告げるべきことを告げる。
「貴方には、これから任務についてもらいます」
「……はい?」
未熟者。それゆえに未だ任務を与えられたことのない未来。それに任務を与えるという。任務を与えられるに値する者たちは『出雲』から出ていたり、任務を与えられていなくともこの『出雲』の守護を行なっている。そのどちらにもなれない未来に、実力に劇的な変化が起きたわけでもないのに任務を与えられるということを聞いて、彼の中に生まれたものが疑問以外にあるわけがない。
「お言葉ですが、今の私には『出雲』の任務は荷が重いかと」
「ええ、そのようなことは私も知っています」
「では、何を……?」
自分にできる程度の任務。それもこの時期にやって来た、ということが多少は気にならないわけではない。未来にできるのであれば彼にさせることで他の人間は他の任務に当てたい、ということなのだろうが、では未来にもできることとは一体何なのか。
「貴方に今回、任務としてやってもらうことは──」
その言葉の続きは、思ってもみなかったことで、聞き届けてからぱちぱちと、思わず瞬きを数回するのだった。