魔法省大臣は人使いが荒い   作:しきり

1 / 28
謹慎処分

 イギリスはロンドンの魔法省には、魔法省大臣以外にはその存在を知られていない部署が存在する――とは言っても、その部署は立ち上げからまだ僅か数年といったところで、名簿に名が記されている職員はたったの一人きりだ。

 立ち上げからこちら、毎日のように職員の補充を嘆願しているが、残念なことにその頼みが聞き入れられたことは、今の今まで一度としてない。その最も大きな要因は、彼女の人並み外れた能力の高さにあるのだが、大抵のことならばそつなくこなしてしまうが故に、本来ならば分散されて然るべき苦労を、たった一人で抱え込む羽目になってしまっていた。

 要は、器用貧乏というやつだ。

 そうした彼女の表面上の肩書きは、魔法省大臣付き下級補佐官となっている。

 本来の仕事に加えて、補佐官としての仕事もこなせというのだから、今度の魔法省大臣は恐ろしく人使いが荒い。これまでの大臣とは違い、優秀であるという点も彼女は気に入らなかった。少なくとも、これまでの魔法省大臣が相手ならば、多少仕事の手を抜いてもそれが露見することはなかっただろう。しかしながら、今度の魔法省大臣――キングズリー・シャックルボルトは、こと仕事に関することとなると、人が変わったように厳しくなる。

 

 

「――それで?」

 魔法省大臣室の玉座のような椅子に、まるで本物の国王のような風格で腰を下ろしたシャックルボルトは、上目遣いでこちらを見上げながら、低く落ち着きのある声音で言った。

「君は今は亡き闇の帝王が裏で支配する魔法省の中枢で、当時の魔法省大臣パイアス・シックネスが服従の呪文で操られていることに気づいておきながら、それでも自らに与えられた魔法省大臣付き下級補佐官としての役割を忠実にこなしていたと、そういうわけか」

「ええ、そうです」彼女は言う。「何か問題でも?」

「いいや、何も問題はない」シャックルボルトは答えた。「君が常に魔法省に対して忠実であるという事実は揺るぎないものなのだろう」

「何やら含みのある物言いですね、魔法省大臣」

「いやなに、先だって新制ウィゼンガモット法廷にかけられたばかりのドローレス・アンブリッジの証言によれば、君は随分とよく働いてくれる部下だったそうだからな。マグル生まれ登録委員会と直接のかかわりはなかったようだが、実に協力的だったと話してくれたよ」

「あの人は元上級補佐官の立場にかこつけて、下級補佐官である私を、屋敷しもべ妖精の如くこき使いました。言う通りにしなければ、お前もアズカバン送りにしてやると脅されたので、仕方なく言われた仕事を処理していただけのことです」

「ほう?」

「私の言葉をお疑いなら、同僚のパーシー・ウィーズリーにお尋ねください。まあ、彼は選ばれし者の親友の兄君ですので、何があろうと処されることはないのでしょうけれど」

「安心したまえ、私は皆平等に対処するつもりだ。身分も立場も関係ない。全員から話を聞き、公正な判断を下す」

「この魔法省に勤める全員と面談を行うおつもりですか?」

「必要があると思う者とだけ直接話をする――そうしなければ、いくら時間があっても足りないからな」

「それでしたら、私は大臣のお眼鏡に適ったということですね」

「そうして減らず口を叩いていられるような状況かどうかは、今後の調査と返答次第だ」

 この男は何も知らない。早々に魔法省を離れ、選ばれし者――ハリー・ポッターの軍門に下ったキングズリー・シャックルボルトには、あの頃の魔法省を理解することはできないだろう。あまりに窮屈で、息苦しく、不平等で、滑稽――毎秒ごとに憎しみが増し、怯えが広がっていく。あの場にいなかった者に、あの悪夢のような魔法省を、理解できるはずがないのだ。

 毎日生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされていた。

 マグル生まれの母親が数年前に病死していたのは、不幸中の幸いと言わざるを得ない。半純血の父親は、一人娘のために一族の財産のほとんどを魔法省に寄付し、賄賂を贈って、どうぞ寛大なる処置をと遜った。金品をせびりにやって来る死喰い人の下っ端のために、家財を売り払い、金を工面して、どうにかこうにか生き延びることができたのだ。

『不出来な娘を持つ親は不幸だとも。なあ、そう思わないか?』

 その言葉を投げつけられた父親は、血が滲むほど強く唇を噛んでいたが、何も言い返しはしなかった。だが、死喰い人の使いとしてやって来た下っ端が立ち去った後、さめざめと泣いていた姿は記憶に新しい。気の優しい、怒るということを知らない父親は、自分が情けないと言って、自らの頬を何度も叩いては、うわ言のように謝罪の言葉を口にしていた。その姿は、あまりに痛々しかった。

 けれど、彼女は自らの父親を情けないとは思わなかったし、母親はそうした父親のことを「仕様がない人ね」と言って受け入れ、深く愛していた。

 第一、自分のためにグリンゴッツ銀行の金庫を空にし、家財どころか家まで手放そうとしてくれた父親のことを、どうして情けないと思えるだろう。あの父親にはそれが最善だと思えたのだ。それ以上でも、以下でもない。

 だから、彼女は父親のために、誠実に働いた。魔法省に忠誠を誓った。そうすれば、不出来な娘のために最善を尽くしてくれた父親を生かすことができると、そう信じたからだ。母親が心から愛した男を、守らなければと思った。

「君は数日の内に査問会にかけられることになるだろう。逃亡の恐れがある場合は投獄をする必要があるのだが――」

「……そうしてあなた方がやっていることは、例のあの人と何が違うのです?」

 彼女――ジェーン・スミスは思わずそう口にしそうになるが、自らに不利となる発言は控えるべきだと思い留まり、寸前のところで口を噤んだ。シャックルボルトはそれを従順な態度と捉えたのか、目を通していた書類から顔を上げると、ジェーンを見上げる。

「――魔法省からの召喚状が届くまで自宅での謹慎を命じる」

「分かりました」

「落ち着き払っているな」

「今更慌てて何になります?」

 もしこの一年間の魔法省のすべてが悪と断じられるのなら、ジェーンには言い逃れのしようがなかった。

 パイアス・シックネスが何者かに操られていると気づいていながら、その事実から目を逸らし、見て見ぬふりをし続けていた。誰かの命を犠牲にして、自らの命を生かそうとしたのだ。それは、一般的に考えれば酷く罪深いことなのだろう。誰かのために自分の命を犠牲にするくらいでなければ、正義の人とは認められない。正義として認められない者は、大勢の人間の前に晒され、裁かれることになる。正義に敗れた悪は、断罪されなければならないのだ。

「では、もうよろしいでしょうか」ジェーンがそう言うと、シャックルボルトは僅かに首を傾げる。「とりあえず、向こう一週間分の仕事の引継ぎが済んだら帰宅します」

「ああ、そうしてくれて構わない」

「ただいま本部署には上級補佐官がおりませんので、これまで通り下級補佐官のパーシー・ウィーズリーが魔法省大臣のお傍に仕えます。その間の細々とした事務仕事はすべて私が片付けておりましたが、まあ、その程度は些末な問題でしょう」

 上級補佐官とその周辺を陣取っていた、いわゆる魔法省大臣室付きの職員の多くは汚職によってその任を解かれ、ドローレス・アンブリッジと共にアズカバンに送られてしまっている。そうでない者は辞職し、既に魔法省を離れていた。

 故に、残された数人の職員で、次から次へと飛び込んでくる書類を精査し、分類し、魔法省大臣に提出――他にも、魔法省大臣のスケジュール管理から外交関係、マグル関係の問題まで、その多岐にわたる仕事の数々をこなしていたのだが、こうなってしまったからには致し方ない。

「他に何もなければ、話はこれで終いだ。君はたまの休暇を楽しむといい」

「ええ、そうさせてもらいます」

 顔の前でひらりと手を振ってみせたシャックルボルトは、再び手元の書類に目を落とすと、真剣な面持ちで文面を追いかけはじめる。

 いずれにせよ、自分はアンブリッジと同じようにアズカバンに送られるか、辞職、もしくは首を切られるかのどれかだ、とジェーンは思った。

 その書類よりも先に目を通すべき重要案件が目の前にあると指摘しなくても、恐らく一時間以内には魔法省大臣が自らその重要性に気づき、大なり小なり慌てながらも、何とか事なきを得ることができるだろう――今まさに謹慎を言い渡された者としては、ご丁寧に教えてやる謂われはない。

「おいおいおいおい、待ってくれ!」

 ジェーンが隣の部屋に戻って話をはじめると、それを聞き終えるより先に、顔面を蒼白にしたパーシー・ウィーズリーがそう声を荒げた。

 両腕で抱えるようにして持っていた書類をばらばらと足元に落とすと、それを大股で踏み越えるようにして目の前までやってくる。両方の肩をがっちりと掴み、鬼気迫るとしか言いようのない表情で、ジェーンの顔を覗き込んだ。

「君、それはこういうことか? 君はこのクソ忙しいときに――失礼、弟たちの口振りが移ってしまったようだ――大変忙しいときに、この僕の許しもなく仕事を抜けると? ただでさえ人手が足りないというのに、誰よりも君自身がそれを理解しているはずだと思っていたが、それでも、たかが魔法省大臣に謹慎処分を言い渡されたくらいで、君はこの通り山積している仕事を放り投げて、自分だけのうのうと休暇を楽しもうと、そういう魂胆なのか?」

「私だってこの忙しいときに机を離れるなんて正気の沙汰じゃないと思うけれど、魔法省大臣から謹慎処分を食らったら、それに逆らうわけにはいかないでしょう?」

「いや、いいや、君なら逆らえるさ。そうだろう? だって、君はそういう人間じゃないか。目上の人間にはことごとく逆らって見せる、そういう人間だったはずだ」

「……あのねぇ、ウィーズリー」

「この一年間、君のやることなすことに肝を冷やしてきた僕が言うんだ、間違いないに決まっている」

「だったら、あなたが魔法省大臣のところへ行ってきてよ。あなたは闇の帝王をうち滅ぼしたあの大英雄さんとお友達なんでしょう? 新しい魔法省大臣はあの大英雄さんのことが大好きみたいだから、そのお友達の言葉だったら耳を傾けてくれるかもしれないし」

「僕が彼と友達なんじゃない。僕の弟が彼の親友なんだ」

「似たようなものじゃないの」

「全然違う」

 至極真面目な面持ちでそう言い切ってから、今度は意気消沈した様子でがっくりと肩を落としたウィーズリーは、その場に膝をついて散らばった書類を拾い集め始める。

 何と悲しげで、哀れで、頼りのない丸まった背中なのだろう――ジェーンはそう思いながら、書類を拾い集めるのを手伝った。ばらばらになってしまった番号通りに並べ直してやってから手渡すと、ウィーズリーはずり落ちそうになっている眼鏡を直しながら感謝の言葉を口にした。

「君なしで明日からどうやって生きていけというんだ……」

「ちょっと、その語弊を生むような物の言い方はやめてくれない?」

「もう駄目だ、この世の終わりだ……そうだ、いっそのこと、この世が終わってしまえばいいんだ……そうしたら、明日なんて永遠に来ない……仕事をする必要もない……」

 闇の帝王が斃れ、乗っ取られていた魔法省が死喰い人たちの支配から解き放たれてからこちら、この組織は未だ元通りという状態には至っていない。それはそうだろう、職員の半数以上が混血の人間であったがために、大勢がマグル生まれ登録委員会によって謂れのない罪に問われ、その職を離れてしまっていたのだ。

 ある者は逃亡し、ある者はその末に捕縛され、運がよければアズカバンへ、悪くすれば殺されるか、吸魂鬼の口づけが行われた。早々に現場復帰をした者もいれば、怪我や精神的な病に侵され、今もまだ聖マンゴ魔法疾患傷害病院で入院、治療を行っている者もいる。魔法省は早急に不足している人員を補充しなければならず、それと同時に、ジェーン・スミスのような死喰い人に協力的な態度を取っていた職員の処遇も決めなければならないのだから、魔法省大臣は内心では頭を抱えているはずだ。

 パーシー・ウィーズリーを何とかなだめすかしたジェーンは、自分が受け持っていた仕事を少ない職員それぞれに割り振り、大臣補佐室を後にすることに成功した。感情を昂らせたウィーズリーの鼻を啜る音を聞きながら扉を閉じ、大きくため息を吐く。

 少し前までは気を張り詰めていたのか、緊張した面持ちを浮かべながらも背筋をしゃんと伸ばしていたウィーズリーだったが、魔法省の体制が元通りになり、喧嘩別れをしていたらしい家族との仲が修復すると、些か柔和な性格が顔を覗かせ始めたようだった。以前には感じられなかった、微かに甘ったれたような雰囲気が出てきたようで、どうやら人に頼るということを覚えはじめたらしい。まっすぐに突進し続けるイノシシのように、手柄を独り占めしようと躍起になっていた頃に比べれば幾分ましだが、誰かに頼りすぎるというのも問題だ。

 そもそも、パーシー・ウィーズリーは元々優秀な男なので、さほど心配する必要もないだろうが――そうして、数年後に入省してきた後輩のことを考えながらエレベーターに向かおうとしたジェーンは、思わず足を止める。たった今到着したエレベーターの戸が、がしゃん、と音をたてて開くと、中からひょろりとした背格好の人物が姿を現したからだ。

 その人物は、くしゃくしゃの髪を整えようと一生懸命に撫でつけながら、何やら自信のなさそうな足取りで歩いてきた。しかし、自分のことを不審そうに見ているジェーンの存在に気が付くと、頭を押さえていた手を離し、僅かに恥ずかしそうな様子で頬を赤らめる。整えようとしていた髪は残念ながら、再び四方八方に飛び散ってしまっていた。

「あ、あの、」

「はい」

「キングズリーは――い、いえ、あの、魔法省大臣は――」

「大臣室におりますが、お約束はしておいでですか?」

「午後三時に来てほしいと言われていて」

「では、そのまま大臣室にお入りください」

「あ、はい、分かりました」

 酷く礼儀正しいその人物は、ありがとうございます、と口にすると、正面の大臣室に向かって足を進めていく。

 すぐ隣を通り過ぎていくとき、真新しいローブの匂いと、男性がまとうには些か甘みのある香りが鼻をついた。反射的に送った眼差しが捉えたのは、前髪の隙間から覗いたあの有名な稲妻型の傷跡だ。

 ふむ、これはどうやら、あの噂話は本当らしい――ジェーンは反対方向に歩みを進めながら、そう思う。

 キングズリー・シャックルボルトは死喰い人、及びスナッチャーの残党を捕えるため、闇祓いの増強を急いでいるという話だ。そして、闇の帝王を討ち滅ぼした実力と功績を考慮し、異例ではあるものの、ホグワーツ魔法魔術学校の修了過程すら満たしていない者を、闇祓いとして迎え入れようとしている、という噂がある。

 魔法省でも保守派の一部はN.E.W.T試験の結果の重要性についてああだこうだと騒いでいるようだが、魔法省の最高責任者である魔法省大臣の言には遠く及ばない。ただ、最高責任者だからこそ冒してはならない領域があるのではないかと思うが、大臣の推挙する人物がハリー・ポッターだと聞けば、誰も否を唱えることはできなくなるはずだ。

 ジェーンがエレベーターに乗り込んでくるりと振り返ると、大臣室の扉の前に立っていた青年――ハリー・ポッターが、開いた扉の内側に向かって、機嫌良く挨拶をしているところだった。それを迎え入れたキングズリーは、ジェーンが聞いたこともないような気安い声でそれに応じ、ポッターを室内に招き入れようとしている。

 哀れな子羊よ、そう思いながらジェーンがポッターの後ろ頭を眺めていると、刺すような鋭い視線を感じた。見ずとも分かる、これはキングズリー・シャックルボルトのものだ。

 ジェーンはポッターの後ろ頭から視線を滑らせ、こちらを睨んでいるシャックルボルトを見た。そして、これ見よがしに笑みを浮かべ、まるで中世の貴族か何かのようにカーテシーの姿勢を取る。途端、シャックルボルトの表情が引きつったが、ジェーンは構わなかった。

 この期に及んで魔法省大臣に好かれようなどとは思わない。この最悪の一年間を生き抜いてきたのだ、これからは誰におもねることもなく、自分の思うがまま、好き勝手に生きていこう――そう決意を新たにしていたジェーン・スミスには、この後に待ち受ける忙殺の日々を想像することなど、できようはずもなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。