自分にはあくせく働いている方が性に合っていると気づいたのは、それほど後のことでもなかった。
だが、死ぬまで仕事をしていたいとは思わない。かといって、老後はマグルのいない片田舎で静かに暮らしたいという願望もないので、適当なところでぽっくり死にたいというのが、ジェーン・スミスの密かな願望だった。もちろん、その願いは誰にも打ち明けたことがない。父のユアンにはこの先も話すことはないだろう。そんなことを言わないでくれと泣き出す姿が目に浮かぶからだ。
「――そんなことをして、あの女に知られたら自分がどんな悲惨な目に遭うか、君なら分かっているはずだ!」
そう大声を上げるウィーズリーに向かって、ジェーンは人差し指を立てた。補佐室には他に誰の姿もなかったが、今は誰がどこで聞き耳を立てているか分からない。
「大きな声を出さないで」
「だが、君のやっていることは――」
「これは私の独断で行っている。だから、あなたには何の関係もない。あなたは何も知らないの。迷惑はかけない」
「僕が言いたいのはそういうことじゃない」
ウィーズリーは苛立たしげに赤い髪を掻きむしってから、書類の続きを書こうとしているジェーンの手首を掴んだ。
「この僕が保身のためにこんな忠告をしているとでも?」
「違うの?」
「君がどうなっても構わないと思っていたら、わざわざ横から口を挟んだりしない。アズカバンに送られるのを黙って見ているさ。僕には大勢の家族がいるんだ、君の巻き添えになんかなりたくない」
「だったら――」
「娘のために必死になって金貨を工面する父親の気持ちは考えたのか? 君がアンブリッジに逆らうような素振りを見せれば、すぐに大臣へ報告が行くだろう。もしそうなれば、アズカバンに送られるのは君だけじゃない。そのときは父親も一緒だ。君は魔法省と父親を同時に裏切り、何もかもを失うことになるんだぞ」
何をそこまで熱くなっているのだろう、というのがジェーンの印象だった。
巻き込まれたくなければ、見て見ぬふりをしていればいいのだ。何を聞かれても知らぬ存ぜぬを貫き通していれば、告発する証拠もないのだから、共に罰せられることはない。
パーシー・ウィーズリーは当初から生真面目で、半ば融通の利かない、見るからに優等生といった風貌の青年だった。上からの命令は常に厳守、逆らうこともなく、疑うことさえせずに従っていた。自分とは根本的に違う種類の人間であると感じ、ジェーンはある程度の距離を置いて付き合うことを心掛けていたが、その相手から懐かれるというのは、実に想定外のできごとだった。
ウィーズリーはことあるごとに指示を仰ぎ、意見を求めてきた。のらりくらりと逃げ回るよりも、求めに応じる方がいろいろな意味で楽だったというのも、懐かれる要因の一つだったのかもしれない。自分で考えさせ、その結果無駄なことをされるより、答えを示し、正確な仕事を行わせる方がずっと時間の短縮にもなり、覚えも早いのだ。
とはいえ、もともと優秀であることは確かだったので、使い勝手の良い部下ではあった。ジェーン・スミスにとってのパーシー・ウィーズリーとは、その程度の存在だった。
それがいつ頃からだろう、今度は突然意見するようになり、反論まで出てくるようになった。元グリフィンドール生の習性である、勇気という名の無謀さが顔を覗かせはじめていたのかもしれない。
パーシー・ウィーズリーはジェーンとは違い、心の底から、ただ純粋に魔法省に忠誠を誓っていたのだ。しかしながら、そういう者ほど一度芽生えた疑念という感覚を拭い去ることは難しい。おかしいぞ、と思いはじめたら最後、疑いの気持ちばかりが増していく。
結局のところ、こういう人物が一番厄介だ。自分の親切心が受け入れられないと分かると、よりむきになって責め立ててくる。受け入れられないことを理不尽に思い、力づくでも分からせようとしてくるのだ。押し売りともいう。相手がどのように思うかなど関係ない。こうするべきだと思った自分の意思が最重要で、優先されるべき感情だと信じている。いずれにせよ、友達にはなりたくないタイプの人間だ。
だが、ウィーズリーが自らの家族について語るのは初めてのことだったので、些かの興味は引かれていた。ジェーンは自分の手首を一瞥してから、ウィーズリーを見上げた。
「痛いんだけど」
「あ、ああ」ウィーズリーは慌てた様子で手を離すと、敵意はないとばかりに両手を顔の高さまで上げた。「すまない」
「あなたのところは純血の家系なのでしょう?」
「純血かどうかはもはや問題じゃない。それに、今では血を裏切る者と呼ばれている。父は昔からマグルに対して好意的だったし、母や兄弟たちもそうだから」
「あなたは違う?」
「僕は――」
本来であればこのような場所でする話でないことは分かっていた。危機意識が足りないと言われてしまえばそれまでだ。だが、結果的には誰にも盗み聞きをされていない。口煩くは言いっこなしだ。
「――僕の家はいろいろと込み入っていて、なんていうか、詳しくは話せないんだけど」
ウィーズリーは歯切れの悪い物言いだった。それでもジェーンが見つめていると、居心地が悪そうに視線を彷徨わせてから、大きく息を吐き出した。
「コーネリウス・ファッジに引き抜かれたとき、僕はそれを嬉しく思った。自分の能力が正しく評価されたんだと思ったよ。だから、両親も一緒に喜んでくれるはずだと信じて疑わなかった。でも、僕の報告を聞いた父は激怒したんだ。お前はただ、ウィーズリー家のスパイとして利用されようとしているだけだってね」
ああ、とジェーンは小さく同情の声を漏らす。確かにその通りだったのだろう。その父親の言う通りだ。パーシー・ウィーズリーは正しく能力を評価されたわけでも、特別な能力を買われて召し上げられたわけでもない。
ウィーズリー家はハリー・ポッターと懇意にしているから――パーシー・ウィーズリーが選ばれた理由は、ただそれだけだった。
父親のアーサー・ウィーズリーはマグル製品不正使用取締局、及び偽の防衛呪文ならびに保護器具の発見ならびに没収局の局長を務めているが、存外慎重な男のようで、コーネリウス・ファッジとは馬が合わなかったようだ。しかも、アーサー・ウィーズリーは当時ファッジが敵視していたアルバス・ダンブルドアの知己でもあった。それ故に、父親の方を味方に引き入れることは不可能であると、ファッジは理解していたのだ。だからこそ、仕事一辺倒な息子の方が選ばれた。
だが、ファッジの思惑は大きく外れた。パーシー・ウィーズリーはスパイの役割を果たさなかったからだ。実家住まいだったウィーズリーはすぐに家を出て、ロンドンのアパートで一人暮らしをはじめた。おそらく、父親との口論が原因だったのだろう。ジェーンはそれが適切で、賢明な判断だったと評価している。
コーネリウス・ファッジの考えは安易だったと思うが、万年人手不足の大臣室付きにしてみれば、猫の手程度の増強にしかならないにしても、人員の追加はそれなりに喜ばしいことだった。ファッジはウィーズリー家の息子から早々に興味を失っていたように見えたが、意外に使える人材だったということもあり、補佐官たちから苦情が出なかったことは、この青年にとっては幸いだったといえるだろう。
「あの頃の僕には、恥ずかしいことだけど、魔法省が世界の中心みたいに思えていたんだ。魔法省大臣の言葉こそ信じるに値する――まるで洗脳されるみたいに、ファッジの言葉だけを信じた。ハリー・ポッターよりも、アルバス・ダンブルドアよりも、家族の言葉よりも、権力に阿ったんだ。例のあの人が復活したなんて話は、信じたくもなかったし」
「何があなたの目を覚ましてくれたの?」
「何がということはないよ。徐々に、少しずつ、違うんじゃないかと思いはじめた。事故では片付けられない事件が増えはじめて、その火消し作業に追われ、適当な理由を探し、いよいよ疲弊しはじめていたところに、例のあの人が姿を現した。そこで完全に目が覚めた。愚かなのは僕の方だったんだって」
ウィーズリーの曇りきった表情を見れば、まだ何の問題も解決してはいないのだということが分かった。近しい者との間に入った亀裂は、だからこそ修復しづらく、そう簡単には埋められない。魔法省が正しかったわけではなく、ファッジの言葉が間違っていたと理解していても、認めたくはなかったのだろう。プライドというものは、いつだって理性の邪魔をする。
「気づいたときに謝ればよかったんだろうけど、僕には無理だった。でもせめて、家族の身の安全くらいは護りたい。僕がここで踏ん張っている間は――こうして魔法省に忠誠を示しているうちは、おそらく家族に手出しはされないはずだ。まあ、言い方を変えれば人質みたいなものなんだろうけど」
この話を聞いていなければ、ジェーンがウィーズリーを見る目は、今も変わってはいなかっただろう。生真面目でつまらない男だと思っていたが、実際にはそうではなかった。当初はその通りの男だったが、少なくとも今は違うと分かる。
ジェーンは少しだけ笑うと、再びペンを走らせはじめた。それを目の当たりにしたウィーズリーは、驚愕の表情で机を叩く。
「どうしてそうなるんだ?」
「何が?」
「家族を護るためにはまず自分の身を案じるべきだという僕のありがたい話を聞いていただろう?」
「まあ、そうね、それはその通りだと思う」
だが、ジェーンは黙ってはいられなかった。見て見ぬふりをしていれば、何も知らなかったことにできる。何も知らずにいれば、巻き添えになることもない。自分の言葉がブーメランのように戻ってきて心臓に突き刺さるようだ。黙っていればよかったものを、ジェーンは相談を持ち掛けてしまった。自分がやろうとしていることを父親に打ち明けてしまったのだ。
案の定、ユアン・スミスはいつものように優しく笑って、好きなようにしなさい、と朗らかに言った。
分かっていた。妻に続いて娘まで失ってしまえば、父親はもう生きてはいられないだろうと。ジェーンはそれを逆手に取ったのだ。ジェーンが死ねば、ユアンも死ぬ。それでいいと思った。母親が死んだという絶望はジェーンの頭上からも重く垂れこめていたのだろう。だから、これは断じて正義のためなどではない。もしかしたら、心のどこかでは生に対する執着を失くしていたのかもしれないとさえ思う。遠回りな自殺のようなものだ。
これは明らかな矛盾だった。自分の中に相反する感情が混在している。生きていたいという思いと、死んでもいいという思いが、同時に存在していたのだ。だが、そうでもなければ、あのようなことはできなかったのかもしれない。
ジェーン・スミスは人を生かすために殺した。そして、死にたいとは思わないが、死んでも構わないとは思っていた。父親を置いて逝くくらいなら、一緒に死んだ方がいいとさえ考えていた。今になって思うと常軌を逸しているとしか言いようがないが、これがすべてのことの顛末だ。
以上から、ジェーン・スミスは人に褒められるようなことも、ありがたがられるようなことも、何もしていない。あれは自己満足の結果でしかなかった。精神の均衡を保つために必要なことだったのだ。誰かの役に立ちたいなどというような思いも、命を救うのだという使命感も、ましてや正義感など持ち合わせていようはずもない。
故に、ジェーン・スミスは絶対に認めない。口止めの呪いを施してあるので、生きて戻った者たちの口からジェーンの名前が出てくることはないはずだ。ウィゼンガモットの中には何かを察している者もいたようだが、あの場で明言しなかったとなると、今後も口を開くことはないだろう。パーシー・ウィーズリーや同僚たちには、他言すれば家族諸共呪ってやると脅してあるので――もちろん冗談だが――心配はしていなかった。
問題は、この魔法省大臣だ、とジェーンは思う。アルバス・ダンブルドアが立ち上げた不死鳥の騎士団などというものに属し、最後まで闇の帝王に抗い続けていた人物ともなれば、諦めが悪いことは目に見えていた。そもそも、一体何のために連日ケンタウルス担当室に足を運んでいるのかも、ジェーンには定かではない。
何を考えているのかまでは分からないが、嫌な予感だけはひしひしとしていた。魔法省大臣は何かを企んでいる。そしてそれは、自分にもかかわりのあることだ。そうでなければ、連日に渡ってケンタウルス担当室を訪ねてくるわけがないのだから。
これは何か妙なことを言い出す前に追い返した方が良さそうだとジェーンが考えていると、急に口を噤んだきり目を伏せていたキングズリー・シャックルボルトが顔を上げた。これはまずい、話をさせてはならないと瞬間的に思うが、ジェーンの判断はコンマ一秒遅かった。
「大臣――」
「大臣室付きに戻ってくれないか」
その言葉を耳にした瞬間、ジェーンの背筋にはぞくりと悪寒のようなものが走った。心臓が、どくどく、と素早く不自然に鼓動し、元に戻る。表情は引きつり、固まった。不思議と吐き気が込み上げてきて、顔から血の気が引いていくのが分かった。後頭部を後ろに引っ張られるような感覚の後で意識を失いそうになるが、机の下で手の甲を強く抓り、何とか平常心を取り戻す。
「君は何の罪も犯してはいなかったと、私からウィゼンガモットに事情を説明する」
拒絶反応が全身に現れていた。これは想定外の事態だ。魔法省大臣が直々に戻ってきてくれと頭を下げているというのに、少しも嬉しくはない。それどころか、全身に鳥肌が立つほどの嫌悪感が、ジェーンを襲っていた。
なんだかんだと言いつつも、異動させられたことにショックを受けているのかと思いきや、そうでもなかったようだと自分自身でも意外に思う。少なくともこの身体は、魔法省大臣室から遠く離れたがっているということだ。もう戻りたくはないらしい。
ジェーンはローブの上から鳥肌の立った腕を擦り、シャックルボルトを見た。
別にこの男が嫌なのではない。あの激務の只中に戻されるのが嫌なのだと、今ならば分かる。充実からは程遠い、ただただ仕事に忙殺されるだけの毎日だ。数日離れただけで多くを理解する。あの場所はおかしい。パーシー・ウィーズリーのように出世を望んでいるのであれば別だが、ジェーンはそうではないのだ。普通に暮らしていけるだけの収入さえあれば、それでいい。今更戻ってくれと言われたところで、当初からそのつもりは微塵もないのだから。
「せっかくのお誘いではありますが、謹んで辞退させていただきます」
ジェーンが感情を抑制したような声でそう言うと、シャックルボルトはそれを覚悟していたと言わんばかりの顔で、小さく息を吐き出した。しかし、その表情に落胆の色はない。
「どうぞ他を当たってください。わざわざ私のことなど呼び戻さずとも、大臣補佐の席を望んでいる方は大勢おりますとも」
「君が魔法省大臣に期待をしていないことは知っている。悲観していることも、失望していることも知っている。コーネリウス・ファッジ、ルーファス・スクリムジョール――私が彼らより優れた大臣であるという保証はないが、良き大臣でありたいとは常に思っている」
だからどうした――そう口に出さなかっただけ、褒められて然るべきだ。
「それに、補佐が他に何人増えようと、君一人の働きには到底及ばないだろう」
机に両手をついて身を乗り出し、そのようなことを口走るシャックルボルトを見て、ジェーンは思わず目を丸くする。有無を言わせない迫力のようなものを感じて開いた口を塞げずにいると、シャックルボルトは更に続けた。
「他の補佐官たちからも君の働きぶりは聞き及んでいる。全員が口を揃えて、君を手放すのは愚か者のすることだと話してくれた。そうでなくとも、君がまとめた資料の数々は非常に見事だ――ああ、いや、それだけじゃないぞ、君が諸外国と綿密に連絡を取り合っていた成果が形になって表れている。君が査問会にかけられたという話を聞きつけた合衆国の議長室とフランスの大臣室から、抗議の文書が送られてきた。君を失うことは他国との外交関係にも悪影響を及ぼすことになるだろうとな。それは避けなければならない事態だ。イギリス魔法界の現状を踏まえれば、他国からの支援を受けなければならない可能性は否めない」
称賛されることに慣れてはいなかった。それよりも妬まれることの方が多かったからだ。だからだろう、ジェーンはシャックルボルトの様相に驚いてしまい、言葉が出てこなかった。
悪い気はしない、などということはなく、それどころか、自分を称える文言に不快感を覚えている。褒められれば褒められるほどに、己の中にある意欲の欠片が減少していくようだった。求められているのはジェーン自身というよりも、そのスキルや人脈でしかない。
称賛を素直に受け入れ、喜ぶことができないのは、これまでの経験がそうさせているのだ。反吐が出るような思いになるのは、精神的に負った傷が癒えていないからなのだろう。
「……大臣が私のような者を評価してくださっていることはありがたく思います。ですが、私は大臣室付きに戻るつもりはありません。魔法省大臣には魔法省内の職員すべてを然るべき部署へ即時異動させる絶対的権力がありますが、それを行使するというのであれば、私は辞表を提出させていただきます」
「ミス・スミス――」
「補佐室には他にも有能な職員が幾人もおります。皮肉にも歴代の魔法省大臣が育てあげてきた古豪たちです。私が赴任する以前からいらした方々こそ、補佐室にあって然るべき存在です」
「その古豪たちが君を手放すなと言っているのだ」
「いいえ」ジェーンはシャックルボルトを見据えたまま、首を横に振った。「正確に言いましょう、大臣。私はあそこへ戻りたくないのです」
あの補佐室で何度心臓を握り潰されるような心地を味わったことだろう。何度己の死を覚悟したか分からない。
これまでの一年間を思い返していると、今頃になって、急に恐怖のような黒々とした感情が襲い掛かってくるのを感じた。そして、ジェーンは不意に理解する。この一年間、自分は何も恐れてなどいないというふりをしていただけにすぎなかったのだ、ということを。けれど、実際にはその感情に蓋をして、自分自身をだまし続けていた。
常に毅然とし、高尚であろうとしていた。気高くありたかった。だが本当は、いつだって何かに怯えていたのだ。おそらくそれは闇の帝王にでも、死喰い人にでもない。きっと、自らの高すぎる自尊心に戦慄していた。その場に膝をつき、頭を垂れることは何よりも、自分に対する裏切りなのだと思い込んでいた。
分かるだろうか。人は成功を一つ、また一つと積み上げていくうちに、より強く失敗を恐れるようになっていく生き物だ。
ジェーン・スミスは学生の時分からまっすぐな一本道を歩き続けてきた。何の面白味もない、これといった特徴もない退屈な道だった。だがしかし、この一年間は半歩先も見えないような暗闇の中、曲がりくねった落とし穴だらけの道を、這いつくばりながら進んできたのだ。そして、ようやく辿り着いた先にあったのが、ウィゼンガモット法廷だった。
これは、失敗とまでは言い切れないにしても、はじめての挫折とは言わざるを得ないだろう。崖の上から海に突き落とされ、運よく岩場を避けたはいいものの、荒波に揉まれているような状態だ。
そこへ魔法省大臣が現れ、溺れかけているジェーンに向かって手を差し伸べている。自分のところへ戻ってきてくれと、そう言っている。それは、また元の道に戻されるということだ。ただまっすぐに伸びているだけの一本道に。
それならば、とジェーンは奮起するだろう。差し伸べられている手を押し退け、小さな貝たちが巣食っているごつごつとした岩に手をかけて、手の平が切れて血だらけになったとしても、自力で陸へと這い上がってみせる。海の中へ引きずり戻そうとする力を振り切って、九死に一生を得てみせるのだ。