魔法省大臣は人使いが荒い   作:しきり

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地下室の思い出

 このイギリスに生息しているケンタウルスの群は数十あるという記録が担当室には残されている。だがしかし、それは十年以上も前に調査された情報なので、正しい記録であると言い切ることはできない。聞いた話によると、ケンタウルスの頭数は年々減っているというので、群れが減少していることはあっても、増えているということはなさそうだ。

 ジェーン・スミスが魔法生物規制管理部の部長室を訪ねると、そこには酷い仏頂面の部長が山積みになった書類に埋もれ、それらに目を通しているところだった。闇の帝王や死喰い人、スナッチャーらの所業が尾を引き、魔法生物規制管理部はこれまでにない忙しさだと聞いている。もちろん、ケンタウルス担当室に配属されたジェーンにはまったくもって関係のない話だ。

 部長はジェーンが部屋に足を踏み入れると一瞥をくれるが、すぐさま手元の書類に視線を戻した。

「ケンタウルス担当室の室長が一体何の用件だ?」

 私はこの通り忙しい――とでも言うふうに、部長は手に持った書類を僅かに掲げて見せる。

「配属に関する不平不満ならば聞かんぞ」

「不満はありません。それどころか、私のような者を魔法生物規制管理部で引き受けてくださって感謝しているくらいです」

 その言葉を受けた部長は皮肉っぽく鼻で笑い、小さく肩をすくめた。

「では、何の用があるというのだ?」

「実はお願いがありまして」

 ちらり、とこちらを上目遣いに見る表情はとても訝しげだ。お前の身柄を引き受ける以上の面倒事はごめんだと言いたげな顔を目の当たりにし、ジェーンは微かに苦笑を浮かべる。

「部長にご迷惑をおかけするようなことではありません。ただ、出張の許可を頂きたいのです」

「出張だと?」

 部長は眉間のしわをますます深くさせ、今度こそジェーンをまっすぐに見据えた。ただでさえ仕事のないケンタウルス担当室の室長が、なぜ出張に行きたいなどと言い出すのか。部長は甚だ疑問で仕方がないという面構えだ。

 ジェーンは更に部屋の奥まで進み出ると、机の前でぴたりと足を止めた。そして、持参したファイルを差し出す。部長は手にしていた書類を机に置くと、無言のままファイルを受け取った。

「ケンタウルス担当室に異動してきてすぐに、前任者たちがまとめた資料に目を通しました。どれもよくまとめられているのですが――」

「日付が古いようだな」

「はい。ご覧の通り十年近く前の記録が最新の状態です。以降は情報の更新がされていません。いくらケンタウルスが私たち人間に比べて長命とはいえ、個体数の増減は免れません。ましてや先の戦いの後ですから、巨人族とのいざこざに巻き込まれた群もあるのではないかと推測しています」

「だから君は自分の目でケンタウルスの生態を確認しに行きたい、というわけか」

「はい」

「やめておいた方がいいと思うがな」

 それは予想できた返答だった。もし自分が魔法生物規制管理部の部長だったとしたら、同じように言うだろうとジェーンも思う。

 基本的にケンタウルスは人間を嫌っている。魔法省の人間は特に憎まれているはずだ。人間が勝手に決めたルールを押し付け、その中だけで自由に生きろという、酷く理不尽な命令を下している。

 本来、ケンタウルスは人間の作り上げたルールに従う必要はない。魔法界の法律はヒト族にのみ効力を発揮するものであり、動物には適用されるものではないからだ。だがしかし、人間はケンタウルスが自然豊かな森でしか生きていけないということを知っている。マグルの目に触れずに生きていくためには、そうする以外他にない。だからこそその生態を逆手に取り、魔法界の法律で、あの神話の時代から生き続けている神聖な生き物を縛り付けているのだ。彼らの尊厳が守られているとは到底言えない状況だろう。

「ケンタウルスは子供相手には寛容だが、大人相手には容赦というものがない。ケンタウルスの縄張りに無断で足を踏み入れようものなら、無事に帰れる保証もないのだ。それどころか、我々の方が彼らの法律で裁かれることにもなりかねん」

 ケンタウルスは神話の時代から粗野で乱暴な生き物として知られている。星座となったケイローンは別として、ジェーンが禁じられた森でちらと見かけたことのあるケンタウルスは、確かに荒々しい雰囲気があった。だがしかし、人間にも一人一人個性があるように、ケンタウルスにも個体差はあるはずだ。

 例えば、アルバス・ダンブルドアの要請を受けてホグワーツの教授となったケンタウルスならば、多少は話ができるのではないかと考えている。ジェーンがそのように告げると、部長は呆れたように息を吐きながら、手にしていたファイルを机に放った。

「仕事熱心な君のことだ、私が許可を出さなければ、休日を利用してでも自主的に調査へ出向くつもりなのだろう?」

「魔法生物規制管理部の部長からホグワーツの校長宛に申請書を送っていただけると、私の膨大な手間が省けるのですが」

 こちらをじっと見つめてくる眼差しを真正面から受け止め、自分にとって好ましい返答が聞けるのを待っていると、部長は根負けした様子で厳めしい表情を僅かに和らげた。

「分かった、校長宛に申請書を送付しよう。だが、ミネルバ・マクゴナガルはアルバス・ダンブルドアほど寛大ではない。快い返事があるかどうかは、蓋を開けてみなければ分からないからな」

「ありがとうございます、部長」

「ホグワーツから返答があり次第追って飛行機を飛ばす。それまでは大人しく待機しているように」

「はい」

「それから」一度は放ったファイルを取り上げ、それをジェーンに手渡しながら部長は続けた。「ビル管理部からケンタウルス担当室の窓取り付けについての問い合わせがきている。君がその足で管理部に出向いて話を聞く方が早いだろう。この忙しい時期に部屋の模様替えとは、良いご身分だな」

「模様替えが済み次第お披露目パーティーを行うつもりなので、部長も是非いらしてください」

「馬鹿を言え」

 ふん、と不愉快そうに鼻で笑った部長は、野良犬を追い払うような仕草でジェーンを部屋から追い出した。

 ジェーン・スミスをケンタウルス担当室に押し込む計画がウィゼンガモット法廷の決定事項だったとしても、それにはこの魔法生物規制管理部の部長の協力が必要不可欠だったはずだ。いくら魔法省大臣からの要請があったにせよ、部長が良しと言わなければ、これほどスムーズに異動が行われることはなかっただろう。厄介者を押し付けられるのだ、良い気分はしなかったに違いない。

 ジェーンは閉じた扉に向かってそっと目礼をすると、くるりと踵を返してその場を後にした。

 

 

 ホグワーツで過ごした日々を面白おかしい気持ちで懐古したことはない。あの七年間を輝かしい年月であったと振り返る者は少なくないだろうが、そうした人々はただ単に、恵まれていただけに過ぎないのだ。

 多かれ少なかれ友人に囲まれ、教授たちには気に入られ、色恋に頬を染めて、寄宿学校の生活を満喫していた者たちだ。根っからの面倒臭がりであったはずのジェーンが勉強や仕事だけに打ち込むようになってしまったのも、そうした人々とある程度の距離を置く口実を作るためだった。

 自分のことだけに集中していれば、周囲の雑音は届かない。余計なものをその目に映さなければ、それらとかかわらずに済むと思っていた。自分勝手だったことは否めない。だが、どうしても馴染めなかったのだ。

 特にレイブンクローの寮の雰囲気は、ジェーンにとっては苦痛を感じさせるものでしかなかった。ルームメイトたちとの、互いの腹を探り合うかのような上辺だけの付き合いも、ジェーンの胃をきりきりと刺すように痛ませるだけだった。しかし、今になって思い返してみれば、ルームメイトたちも同じように、自分に対して嫌悪感を募らせていたのだろうとジェーンは思う。

 ジェーンは基本的に人付き合いが苦手だった。自分の周りに引いている一線を越えられてしまうと、どうしても身構え、防衛本能を働かせてしまう。そこに悪気はないのだ。だが、反射的に身を引いてしまう行動がより一層、相手に不快感を与えてしまうのだろう。

 近づいてほしくない。触れられたくない。無暗に同意を求めないでほしいと思う。仲の良いふりをすることが友情ならば、そんなものは不必要だと、当時のジェーンは考えていた。もちろん、今も同じ思いだ。

 そんなジェーン・スミスの存在が、他の寮の寮監であるセブルス・スネイプの目に留まるようになったのは、先日店に現れた家族ぐるみの付き合いがある男のせいでもある。もともと魔法薬学の成績は良かったジェーンだったが、授業中に進んで挙手をするということもなかったので、スネイプにしてみれば、いつも教室の隅で黙々と大鍋を掻き混ぜている、根暗な生徒という印象しかなかったはずだ。

 ある日、悪戯の片棒を担がされたことがあった。正確にはアリバイ工作に利用されただけなのだが、ジェーンはいつものことだと思いながら、適当に話を合わせて男の窮地を救おうとした。

 成績が良く、品行方正で、加えて監督生をしていたジェーン・スミスは、教授たちからの信頼も厚かったのだ。

 だが、どういうわけかスネイプだけは、ジェーンの言葉に騙されることはなかった。自分の寮の生徒たちからしっかりと減点した後、教師に嘘を吐いた咎で、レイブンクローから十点減点されてしまったことは、今でも強く記憶に残されている。悪質な悪戯をした自分の寮の生徒からは五点ずつしか引かなかったのにもかかわらず、ただ利用されただけの自分からは十点も引くのはあまりに理不尽ではないかという思いが、後を引いていたのかもしれない。

 そしてそれ以降、スネイプはなぜかジェーンの動向に目を光らせるようになった。授業中はもちろん、大広間で食事をしている時や廊下ですれ違った時なども、スネイプの視線を感じていた。あの一件以来、ジェーンのことを要注意人物として監視しなければという、妙な使命感を芽生えさせてしまったのかもしれない。

 だが、フリットウィックに呼び出されなかったことを考えると、告げ口をしてやろうとは思わなかったようだ。しかも、普通に生活をしている分には何の害もなかったので、最初こそは気味が悪いと感じていたジェーンだったが、しばらくすると自分を睨む目を気にすることもなくなっていった。

 しかし、それから更に数日が過ぎ、ジェーンは不意に気づいたのだ。以前から何かにつけて自分に絡んできていた者たちが、声を掛けてくることは愚か、近づいてくることもなくなっていたことに。

「スネイプ先生」

 魔法薬学の授業が終わり、自分以外の生徒が全員いなくなるのを待って、ジェーンは提出された小瓶を整理しているスネイプに声を掛けた。スネイプは教卓越しに立っているジェーンをじっとりとした暗い目で見てから、再び作業に戻った。

「……お手伝いします」

 生徒たちは皆、仕上がった魔法薬を提出すると、逃げるように教室を出て行く。そのため、小瓶はいつもばらばらに置かれ、スネイプはその都度面倒臭そうに並べ直していたことを、ジェーンは知っていた。

 重いものなど持ったこともなさそうな細長い指先が、見るからに失敗している魔法薬の小瓶を汚らしそうに摘まみ上げ、それをハッフルパフの木箱の中に入れる。ジェーンもそれを真似て、貼られているラベルの名前を確認しながら、レイブンクローの生徒の小瓶を木箱に移していった。

 最後に自分の小瓶を箱の中に入れたジェーンは、微かに感じた達成感を胸に押し留めたまま、魔法薬学の教室を出て行こうとした。スネイプに対して問い詰めたいことはあったが、そんなことを訊ねるのは無粋なのかもしれないと、小瓶を仕分けているうちに考えが変わったからだ。

 だがしかし、スネイプはジェーンを逃がしはしなかった。カバンを背負い直し、そっと背中を向けて出て行こうとするジェーンを、陰鬱な声が呼び止める。

「ミス・スミス」

「……はい、スネイプ先生」

「戻ってきたまえ」

 ほとんど黒く染まっている爪の先で、こつこつ、と教卓が叩かれる。ジェーンは前を向いたまま息を吐き出すと、意を決してスネイプを振り返った。重い足を引きずるように教卓の前まで戻り、スネイプを見上げる。

「何か話があったのではないのかね」

「いいえ……あ、いえ、はい、先生」高圧的ともいうべき眼差しを向けられ、ジェーンの何とかごまかそうという気持ちは一瞬にして消え去った。「ですが、あの、もう結構です。大丈夫です」

「それで?」

「え?」

「話というのは?」

 もう駄目だとジェーンは思った。スネイプからはこちらの言い分に耳を貸そうという気持ちが一切感じられなかった。幸か不幸か、この日の授業は二時間続きの魔法薬学で最後だ。白状するまで解放されないに違いない。

 教授に嘘を吐くときでさえ震えない心臓が、どういうわけかいつもより早く鼓動していた。耳の先に熱が集中して、身体が緊張で強張るのが分かる。ジェーンは赤銅色の波打つ髪を撫でつけながら、ゆっくりと視線を泳がせた。

「ただ、あの、お礼を言うべきなのかと……」ジェーンがそう言うと、スネイプは不可解そうに眉を顰める。「私はよく煙たがられる性質なのですが、なんていうか、端的に言うと周りから快くは思われていないので、鬱憤の捌け口というか、喧嘩を売られるというか、そういう理不尽な目に遭うことが多くて……」

 だが、スネイプが目を光らせるようになってからは、そうした被害に遭う回数は明らかに減っていた。最初は偶然だろうと思っていたが、そうではなかったのだ。スネイプが見ていたのは自分ではなく、それにちょっかいをかけていた周囲の者たちだったのだと、ジェーンはそう考えていた。

 もしかしたら、あの男がスネイプに事情を話したのかもしれない。悪質と言わざるを得ない、相手を医務室送りにするほどの悪戯に手を染めたのは、同じくらい陰湿な嫌がらせをしてくる者への仕返しだったのだと。何もせず、ただ受け身でいるジェーンの代わりに、やり返してやっただけなのだと。

 ジェーンにしてみれば、どっちもどっちだった。やる方も、やり返す方も、どうかしているとしか言いようがない。何かの選択を強いられたとき、ジェーンはいつだって、面倒臭くない方を選んできた。楽な道を選択してきたのだ。言い返すだけ時間の無駄、やり返すだけ労力の無駄――ジェーン・スミスはただ、興味のない相手と関わり合いになりたくないだけだった。

「……でも、最近はそうした嫌がらせも少なくなりました」

「まさかとは思うが、君はそれが私のおかげだとでも考えているのかね」

「あの、はい、そうです」

「勘違いも甚だしいな」

「でも」

「君の思い違いだ、ミス・スミス」スネイプははっきりとした口振りでそう言い切った。「私は他の寮の生徒の面倒まで見てやるほど暇ではない。だが、手伝いには感謝しよう」

 ぱち、ぱち、と瞬いて、眼鏡越しにその顔を見上げる。しかし、瞬いた勢いで目の中に異物が入ったのか、それが刺さる痛みに耐えきれず、ジェーンは眼鏡を外してしまった。そして、その目で、あろうことかその裸眼で、セブルス・スネイプを見てしまった。自分が立ち去る後ろ姿を、何かを懐かしむような眼差しで眺め、見送る姿を、視てしまった。

 片方の目を細め、自分を見上げる格好のまま微動だにしなくなったジェーンを見て、スネイプは仏頂面のまま手を挙げた。呆然としているジェーンの目元に杖先を突きつけ、軽く引っ張り上げるような動きを見せる。すると、右目に感じていた痛みは嘘のように消え、涙が一粒だけ遅れてこぼれた。

「睫毛が刺さっていただけだ。大事無いだろうが、気になるようなら医務室でマダムに見てもらうといい」

「ありがとうございます、先生」

 感謝の言葉を伝えるジェーンを、スネイプは半ば呆れたような目で見下ろしてくる。その言葉に込めた二つの意味を詳細に理解したのかもしれない。だが、それ以上は何も言わず、視線の動きだけでジェーンを教室の外へと促した。

 顔に合わない大きな眼鏡をかけ直しながら、ジェーンは廊下を歩く。途中、スリザリン寮の生徒とすれ違うが、互いに目をくれることもなかった。ジェーンは自らが視た光景を脳裏に思い描きながら、地下から大広間に続いている階段を上がる。玄関ホールに足を踏み入れると、変身術のミネルバ・マクゴナガルが正面玄関の樫の扉を閉じているところだった。土砂降りの雨音が遠くに聞こえていた。

 

 

「――いやあ、ここ最近は原因不明の雨続きで、本当に困ってるんですよね~」

 ジェーンはビル管理部の女子職員の声で我に返る。はっとしたように顔を上げると、正面に座っている職員はジェーンが家から持ってきていたマフィンをもぐもぐと頬張り、至福そうに満面の笑みを浮かべていた。今更それは賞味期限が切れているとも言えず、ジェーンは適当に紅茶を注いでやってから、新しく取り付けられた窓の外に目を向けた。

 場所は自然豊かな森の中にしてもらった。可能性としては低いが、もしケンタウルスがやってきたら、その方が少しは居心地がいいだろうと考えてのことだ。机のすぐ隣に設置してもらった窓の外は薄暗かったが、この部屋の向こう側には大きな森が広がっているのだと想像すると、この狭苦しい部屋の中でも息苦しさを感じないのが不思議だった。

「雨が長引くと苦情の紙飛行機が次から次へと飛んでくるんですけど、呪いか何かで天気を固定されて変えられなくなってるみたいで、こっちはもうお手上げ状態なんですよ~。上司は原因不明の病気で聖マンゴに入院中だし、同僚は苔を栽培するのにちょうどいい気候だとか言って、窓の近くに苔玉をずら~っと並べてるんです。ほら、ビル管理部なんて吃驚するほど暇なんでしょって良く言われるんですけど、実際は違いますからね。毎日毎日大忙しなんですから~」

 へらへらとしゃべり続けている声に返事をすることもなく窓の外を眺めていると、その職員はジェーンに向かって「もしも~し」と手を振ってくる。早く出て行ってくれればいいのにと思いながら視線を戻せば、女は不満そうな顔をしてこちらを見ていた。


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