「お前、昔はもっと活発な感じだったよな」
後に魔法省の警察部隊で働くことになるスリザリンの少年が、レイブンクローの制服を着ているジェーンに言った。所属している寮も学年も違うが、時間と機会があれば、図書室で一緒に勉強をすることもあったのだ。その日も、二人は図書室の一角で隣り合って座り、それぞれに課せられた宿題を片付けていた。何のレポートを書いていたかまでは覚えていない。
だが、雪が降っていたことは覚えている。秋から冬に移り変わろうとしている、狭間の季節だった。
「……何の話?」
突然何を言い出すのだろうと思い顔を上げると、少年は机に頬杖をついた格好でジェーンを見ていた。
「ホグワーツに入学する前の話だよ。散々やめろって言われてるのに、庭を裸足で走り回った挙句、すっころんで怪我をしてもへらへらしていたようなやつが、今じゃ何かに憑りつかれたみたいに勉強してる」
「それ、何年前の話だと思っているの?」
「あのな、人間なんて生き物は、何年経っても根本的なところは何も変わらないもんなんだよ。ほら、俺を見てみろ、どこか変わったか?」
「全然変わらない」
「だろ?」
たとえ何があっても変わらずにいられるのは、人間としての強さがあるからだ。確かに、この少年は出会った頃から何も変わってはいなかった。だが、あえてそのように振る舞っているということに、ジェーンは気づいている。
厳格な父親は、息子が魔法使いだと分かると、途端に態度を一変させた。息子が魔法使いであるという事実を認めようとせず、それどころか、突き放すような態度を取ったのだ。ホグワーツから届いた入学許可証は何度も破り捨てられた。破り捨てられるたびに、また新たな入学許可証が送られてきたが、同じことだった。ジェーンの両親は、決して入学を認めようとしない父親の説得を試みたが、最後まで首が縦に振られることはなかった。
最終的にはホグワーツの教授が自宅を訪ねてきて、魔法の力を保持した子供が、魔法学校で教育を受けることの重要性を説いた。力の制御を学びそびれた魔法使いの子供が、マグルの学校でどれだけの問題を起こすかを力説して聞かせたが、それでも、少年の父親は書類にサインをしようとはしなかった。
困り果てていた教授に助け舟を出したのはユアンだった。自分が少年の後見人になると申し出たのだ。少年がホグワーツで学んでいる間のすべての問題は、自分が請け負うと約束をした。誰も反対はしなかった。
しかしながら、少年はホグワーツ特急の切符を手にすると同時に、実の父親からの愛を失った。その数年後、魔法使いの兄が年に一度だけ帰ってくることを、家族の中でただ一人心待ちにしていた妹が、病死した。
そうしたことのショックはあまりに大きかったはずだ。だが、少年はそれでも、何も変わらなかった。
「まあ、組み分け帽子がレイブンクローに入れたんだから、そういう気質は元々持ち合わせていたんだろうけどさ」
ホグワーツからの手紙が届いたとき、ジェーン・スミスも、人並みにはドキドキ、ワクワクしたものだった。それはそうだろう、親元を離れる不安はあるにせよ、これから新しい生活が始まろうとしているのだ、期待の方が大きいに決まっている。
だが、ジェーンの希望はあっという間に失われた。ジェーンの頭に乗せられた組み分け帽子が「レイブンクロー」と声を上げたそのときから、ハッフルパフの寮監ポモーナ・スプラウトが「スミス家の血筋がハッフルパフ以外の寮に選ばれるなんて前代未聞だ」と大勢の前で言い放ったときから、希な望みを抱くことさえなくなっていた。
ジェーンにとって最も望ましかったのは、ハッフルパフに所属することだったはずだ。組み分け帽子は当初スリザリンに入れたがったが、最終的な選択は、適性とは程遠いレイブンクローだった。それがそもそもの間違いだったのだ。組み分け帽子は当人の素質よりも、当人が重んじていることを尊重するという。でも、まれに面倒臭くなって、適当に組み分けすることもあったのではないかと、ジェーンは真面目に考えていた。
フィレンツェはまたケンタウルスについて知りたいことがあれば呼んでくださいと言い残し、禁じられた森に帰っていった。
話が済んだら戻ってくるように言われていたジェーンは、森のような教室を後にすると、おそるおそる大理石の大階段を上って、律儀にも校長室に向かっていた。しかし、ちょうど廊下を曲がったところで、ガーゴイル像の間から出てくるマクゴナガルの姿を認め、少しだけ歩みを速める。すると、マクゴナガルはジェーンを視界の端に捉えたのか、身体をゆっくりとこちらに向けた。
「フィレンツェとのお話はもう済んだのですか?」
「はい、先生」ジェーンはマクゴナガルの前で足を止めた。「どちらかへお出かけですか?」
「修繕作業の進捗状況を確認に参ります。あなたもご一緒にいかがですか?」
「いえ、私は結構です」
咄嗟に首を横に振るジェーンを見て、マクゴナガルは微かに苦笑いを浮かべる。今でもまだ大臣室付きの補佐官であったならば同行する義務が生じるだろうが、そうではない。今はケンタウルス担当室の室長に過ぎないのだ。自分には関係のないことだという言葉が、瞬時にジェーンの脳裏を過った。
「では、校長室で待っていてください。すぐに戻ります」
「え、あの、私はもう――」
しかし、マクゴナガルには取り付く島もなかった。ガーゴイル像に合言葉を伝えて道を開かせると、ジェーンが校長室に向かうまでここを動かないと言わんばかりの表情を浮かべ、睨むように見てくる。
そうまでして、一体自分に何の話があるのだと思いながらも、ジェーンは言われるがまま校長室に足を向けざるを得なかった。こんな自分にも親切にしてくれている、魔法生物規制管理部の部長の顔に泥を塗るわけにもいかないからだ。
動く階段に足を掛けて後ろを振り返ると、マクゴナガルはいかにも満足そうな顔をして一度だけ頷き、ローブの裾を翻して廊下を歩いて行った。
足を踏み入れた校長室は、例によって例の如く威厳と荘厳さを漂わせていたが、ジェーンが肌で感じていたのは、喧騒の後の一瞬の静寂だった。寸前までは大勢の人間が会話を交わしていたのに、部外者が現れた気配を察して全員が口を噤んだような、そうした違和感を覚えている。視線を方々から感じるのは、壁という壁に飾られている歴代の校長たちが、薄目を開けてこちらを観察しているからなのだろう。
ジェーンは大きくため息を吐きながら後ろ手に扉を閉め、校長室の中程まで進み出た。辺りをぐるりと見回してみると、見慣れたものはもちろんのこと、見たこともないような魔法道具の数々が、棚の中に収められている。おびただしい数の蔵書があり、それらがまるで壁紙のように壁を覆っていた。
ほんの少し前までは、セブルス・スネイプがこの校長室を使用していたはずだが、かの男の肖像画はどこにも掲げられていない。魔法省はスネイプを正式なホグワーツの校長とは認めておらず、また、歴代の校長と肩を並べられる存在ではないとも断じている。
だが、ジェーンが調べられた範囲では、スネイプは十分に校長としての責務を全うしていた。少なくとも、セブルス・スネイプが校長に就任してから、その任を放棄する瞬間まで、ホグワーツに身を寄せていた生徒たちの命は護られていたのだ。
「――君は自身の組み分けに不満を持っていたそうじゃのう、ミス・スミス」
その言葉は最も真新しい肖像画から聞こえてきた。ジェーンにも耳馴染のある声だ。そちらに目を向ければ、半月型の眼鏡越しに、青い色の目がこちらを見ていた。その目は生前と変わらない輝きを放ち、悪戯っぽく細められている。繊細な刺繍が施されたローブを身にまとう老人――アルバス・ダンブルドアが、目を覚ましていた。
「君は実に優秀な生徒じゃった。天才ではないが、万能じゃ。努力を惜しまず、勉学に励んだ。ああ、いや、今でも熱心に励んでおるのじゃろう」
魔法族の肖像画には様々な形態があり、自我を持つと同時に、記憶の持続性が認められることもあった。だが、そうした肖像画を完成させるためには、描かれている当人の並々ならぬ努力が必要だ。描かれた肖像に自らの言葉と記憶を記録する作業のすべては、生前に時間をかけて行われる。
もしこのダンブルドアの肖像画が、本当に自分のことを覚えているのだとしたら、一体どれほど膨大な量の記憶をこの肖像画に与えたのだろう――そう考えると、ジェーンはその肖像画に恐れを覚えずにはいられなかった。
「フィレンツェとの会話は有意義なものだったかね?」
「はい、先生」
「ふむ」ダンブルドアは柔和そうに笑った。「この通り、君には知に対する探究心がある。機知も備わっておる。賢さはレイブンクロー生の特権ではないが、君自身が間違いなくそれらの気質を有していたからこそ、組み分け帽子はレイブンクローに導いたのではないかな?」
それはまるでホグワーツの学生に語り掛けているかのような口振りだった。優しく諭すような物言いだ。もしかしたら、学生の時分であれば、ジェーンもその言葉で納得していたのかもしれない。少しは穏やかな学校生活を送ることができていたのだろう。だがしかし、今となってはダンブルドアの言葉を盲信できるほど子供ではなかった。
「あの帽子は――」ジェーンはそう言って、校長室の高い場所で鎮座している、組み分け帽子を横目に見た。「私にはスリザリンが相応しいと言いました。でも、途中で考えを変えたのです。そして、私をレイブンクローのテーブルに向かわせました」
「もちろん、覚えているとも。スプラウト先生が酷く嘆いておったのう。これまで、ヘルガ・ハッフルパフの系譜を辿る者は、その多くがハッフルパフに所属していたものじゃが」
「スリザリンに所属していたとしても、いばらの道だったのだとは思います。ですが、きっとレイブンクローよりはよかった」
ジェーンにはそう言い切ることができる。スリザリンには家族のように思っている人がいた。寮監はなぜか馬が合うセブルス・スネイプだった。少なくとも、幾人かの味方がいた。だが、レイブンクローにはそれがなかった。全員が敵のように感じられていた。
「私が他の誰よりも勉強に熱心だったのは、私を見下していた寮生たちに劣等感を植え付けるためでした。陰口を叩く愚かな人より賢くあるために、必死に勉強をしたのです。そうすればあの人たちを黙らせることができるだろうと思いました。でも、彼らは――彼女たちは、より陰湿でした」
レイブンクロー生は異質を排除したがるのだ。横並びであることに安堵している。ずば抜けて優秀な者は、まるで抜け駆けをしたとばかりに敵視され、落ちこぼれは自らの安心のために利用されて、嘲笑の的となった。特異性は受け入れられない。ただ自分たちとは違うというだけで、当然のように否定をされた。
おそらく、ジェーンが他の寮の内情を知り得ないのと同じように、他の寮生には分かりはしないのだろう。レイブンクロー特有のぎすぎすとした人間関係は、その後の人生に影響を及ぼすほど、時に酷く残酷なのだ。
もちろん、すべてのレイブンクロー生がジェーンのような七年間を過ごすわけではない。むしろ、その方が少数だろう。レイブンクローで一生の友人に恵まれ、出会った誰かと結婚をし、幸せな生涯を送る者の方がずっと多いはずだ。
だが、もしかしたら寮生たちはジェーンが思っていたほど、こちらのことを気に留めていなかったのかもしれない。ただの自意識過剰を拗らせて、自分の殻に閉じこもっていただけなのかもしれない。そう考えてみようとしたこともあったが、当時のことを思い出すほどに不快感が込み上げてきて、嫌な気持ちにさせられるのだ。
「非常に皮肉なことじゃが、そうした君自身の猛りすら感じさせる気概が、組み分け帽子にレイブンクローを選択させたのかもしれぬ」
「……組み分け帽子が選択を誤ることはないのですか?」
ジェーンは、かつてスネイプにしたのと同じ質問を、ダンブルドアにぶつけた。まっすぐに向けられる真摯な眼差しを一身に受け止めたダンブルドアの肖像画は、たっぷりとしたあごひげをゆっくりと撫でながら、小さく唸り声をあげている。
「ここだけの話じゃが、わしも何度か組み分け帽子の選択に疑問を抱いたことはある。しかしな、ジェーン。あの帽子はいくら問い詰めても、自らの非を認めはせんのじゃよ。創設者らから与えられた自らの仕事を誇示すると同時に、絶対的な自信を持ってしまっておる。百有余年ほどしか生きなかったわしでさえ、多少は自分の行いに対して得意になってしまうことがあったのじゃ。千年以上も生き、同じ数だけ繰り返してきた自らの役割を否定されるというのは、想像を絶するほど腹立たしいことなのじゃろう」
その言葉を聞きながらジェーンが頭上を見上げると、そこにあった組み分け帽子が、何か物言いたげにもぞもぞと動くのが分かった。寸前までただのしわのように見えていた場所に目や口の形を浮かび上がらせ、人間が伸びをするように帽子を縦に伸ばすと、これ見よがしに咳払いをした。
「私が組み分けを誤るか?」帽子は、ふん、と不満げに鼻で息を吐いた。「そんなわけがない。私の組み分けは常に正しい。創設者たちの意向を汲み、子供たちを然るべき寮へと組み分けているとも」
「なぜそう言い切れるのです?」
「では、私以外の誰に公平性のある組み分けができるというのだね?」
「公平性」
果たして、歌って喋る魔法の帽子に公平性があるのかどうか、ジェーンには分からなかった。だが、それがホグワーツの伝統だということは理解している。駄々をこねたところでどうしようもないのだ。レイブンクローは嫌だと泣き叫んでも、組み分け帽子の決定が覆されることはなかっただろう。
「確かに、君にはスリザリン生としてやっていけるだけの素質があった」帽子はほとんど言い聞かせるような口振りで言った。「それは認めよう。君にはスリザリンの多くの生徒が持ち合わせている狡猾さと野心があった。何かを成し遂げたいと願う気持ちを強く持っていた」
スリザリンに属する生徒の特性といえば、狡猾で野心家の他にも、臨機応変な行動力と決断力、鋭い洞察力を持ち、あらゆる事態に機転が利くなど、ジェーンの性質を言い表すような言葉が並べられている。対して、レイブンクローは知性を重んじ、独創性と創造力に優れた、孤高の魔女や魔法使いを受け入れるとされていた。
「だが、君がスリザリン生として七年間を過ごすためには、決定的に不足しているものがあった」
「それは?」
「それは――連帯意識だ」その思わぬ指摘に、ジェーンは目を丸くした。「君には絶望的なほどに協調性が感じられなかった。他者と力を合わせて何かを成し遂げることよりも、たった一人で成し遂げることを望んでいた。スリザリンは仲間意識が強い。しかしながら、君は馴れ合いを好まない」
「……たったそれだけの理由で?」
「重要なことではないか。七年間も価値観の違う子供たちと生活を送るというのは苦痛極まりないだろう。幸いにも、君には知性が備わっていた。レイブンクローは孤高であることも尊重している」
こじつけだ、とジェーンは思った。帽子はそれらしい理由を並べ立てて自らの過ちを正当化しようとしている。
そうしてジェーンが組み分け帽子に対して腹立たしさを覚えたのは確かだが、次に口を衝いて出たのは、大きなため息だった。
心底呆れ果て、しらけ切って、何もかもが一瞬にしてどうでもよくなるような、ある種の空虚感を抱いた。こんなちっぽけな帽子の選択に左右され、貴重な人生の半分以上を無駄にしてきたのだと悟った瞬間、その愚かさを自覚して、自分自身を嘲りたくなる。
イギリスの魔法界はあまりに狭苦しく、窮屈だ。人生のすべてがこのホグワーツで決まると言っても過言ではない。OWL、N.E.W.T試験の成績で将来が決定づけられ、魔法省でも花形と言われる職を得たものがエリートと呼ばれて、それ以外とは明確に区別をされる。安定などありはしないのに、大船に乗ったつもりになって、足許を見下ろしては安堵しているのだ。そうした者ほど、魔法省が陥落したときは脇目も振らずに逃げ出し、すべてが終息した後で、何食わぬ顔をして戻ってくる。
どちらも自らの過ちを認められない者たちだ。人間の手によって作られた組み分け帽子も、所詮は人間以上の頭脳を持ち得ず、同じように思考することしかできない。意固地になってしまうのだ。人に頭を下げれば、自らの自尊心が傷つけられ、尊厳を踏みにじられたと錯覚してしまう。たった数度の過ちに頭を下げたところで、品位が損なわれることなどありはしないというのに。
これ以上の議論は無意味だと判断したジェーンは、マクゴナガルが戻ってくると同時に口を閉ざした。組み分け帽子も沈黙し、ただダンブルドアの肖像画だけが、興味深そうにかつてのレイブンクロー生を眺めている。
「お待たせしてしまいましたか?」
マクゴナガルは戻ってくるなり僅かに含みを感じさせる物言いでそう言った。ジェーンは表情を変えずに首を横に振る。
例えば、生前のセブルス・スネイプが生徒の悩みをダンブルドアに相談していたのだとしても、ダンブルドアが死後肖像画になってまでその答えを導き出すための手伝いを買って出たのだとしても、それらすべてを理解した上でマクゴナガルが校長室に招き入れたのだとしても、ジェーンはそれに気づかないふりをする。
ジェーン・スミスはもうホグワーツの生徒ではない。だが、かつてレイブンクロー寮に所属し、そこで七年という決して短くない年月を過ごしたことは、まぎれもない事実なのだ。必要だったのは、ただそれを受け入れ、認めて、自らの意思で別の道を選択していくことだったのだろう。奇しくも、ジェーンは既にその道を歩きはじめている。
ジェーンの隣を通り過ぎ、ティーセットが揃えられたテーブルの前まで歩いて行ったマクゴナガルは、ポットを手にしてこちらを振り返った。
「お茶はいかがですか?」
Would you like to have a cup of tea――? その酷く丁寧な誘い文句に、ジェーンは思わず苦笑いを浮かべた。