魔法省大臣は人使いが荒い   作:しきり

17 / 22
対等

 ホグワーツを訪れてから一週間が過ぎた。その間、ジェーン・スミスは前任者たちが残した資料と風の噂だけを頼りに、ケンタウルスの群を探してイギリス中の森を飛び回り、簡単な調査を行っていた。

 フィレンツェにはやめておいた方がいいと言われてしまったが、それとこれとは話が別だ。ケンタウルスの再調査は必要事項であり、情報は常に最新の状態を維持しておきたいというのが、ケンタウルス担当室室長としての心情だった。魔法生物規制管理部の部長に言わせれば、そこまでする必要はないとのことだったが、仕事に関しては完璧を求めたがるジェーンにしてみれば、当然のことをしたまでと言わざるを得ない。

 とはいえ、ジェーンはケンタウルスと接触を図ろうとは思わなかった。精々森の入り口付近をうろうろし、近くに住居を構えている魔法族から話を聞いて、自分の存在を匂わせる程度の行動に留めておいた。いずれ何らかの理由で接触しなければならなくなった場合、何の努力もしていないよりかは、薄っぺらい既成事実でもあった方がましだろうと考えた結果だった。

「ケンタウルスはそういうヒト特有のずる賢さというか、計算高いところが好きになれないのだと思うの。中には変わり者もいるし、ヒトを好きだという個体も皆無というわけではないけれど、基本的にはそっとしておくことが一番ね」

 ケンタウルスが棲む森を領地に持つ女性はそう言ったが、何が本当に正しいことなのかなど、誰にも分かりはしない。

 

 ケンタウルス担当室はジェーンが思っていた以上に快適だったが、考えていた以上に退屈だった。

 この担当室は存在しはじめた瞬間から完結しているのだ。新たな進展は望めず、完結した状態のまま停滞し続け、それでも決して終わることがない。ここはまるで陸の孤島だ。朝から晩まで誰とも口を利かない日の方が多い。

 前任者は十年以上もケンタウルス担当室の室長を務めていたようだが、この退屈な時間をよく十年以上も耐えられたものだとジェーンは思う。一般的な神経の者ならば、まず一年ともたないはずだ。魔法省で最も落ちぶれた部署に送られ、給料泥棒と陰口を叩かれて、後ろ指を指される日々は苦痛だったに違いない。コーネリアス・ファッジの前、ミリセント・バグノールドが魔法省大臣だった時代に、魔法警察部隊からケンタウルス担当室に異動したと聞いているが、異動の理由は記録に残されていなかった。

 とてつもない不祥事を起こして異動させられたのだろうと考えるのが妥当だが、実際にそうならば記録が残されていないのは不自然だ。だが、どこを調べてもそれが出てこない。しかも、前任者は追い出されたはずの魔法警察部隊に十数年越しの帰還を果たしている。警察部隊からケンタウルス担当室に左遷されるような男が、再び警察部隊に返り咲くことなど、この魔法省では不可能に近いことだ。一度地に落ちてしまった評判は、そう簡単には覆らない。

 当のジェーン・スミスも、闇の魔法使いに屈し、金で己の命を買った意地汚い女、と陰口を叩かれていることは知っていた。どの面を下げて魔法省に居座っているのだと、陰口にもならない大声をエレベーターの中で浴びせかけられたこともある。罵倒など日常茶飯事過ぎて、いちいち気に留めることも億劫に感じていたが、そうした精神的苦痛は無関心を装っていても、少しずつ蓄積されていくものだ。

 魔法省は所詮ホグワーツの延長線上にある組織で、変に自信と知恵だけを身に着けた、プライドの高い集団が群れている職場だ。もちろん例外も存在するが、陰口を叩くような連中は総じて仕事のできない役立たずばかりだというのが、ジェーンの所見だった。

 

 魔法生物規制管理部の部長から、そんなに暇ならば手伝えと言われた仕事の書類に目を通していると、ジェーンは静まり返った廊下の先から足音が近づいてくることに気づいた。

 ジェーンはすぐさま放っていた杖を手に取り、乱雑に散らかっていた机周りを一掃して、外していた眼鏡を装着する。無意識に掻きむしっていたらしい赤い髪を撫でつけ、窓に映る自分の姿を見て、奇妙なところがないかを確認した。この数時間声を出すこともなく、自分の喉が正常に機能するかどうかも分からなかったが、その人物はこちらの都合など関係なく姿を現した。

「どうぞお入りください、大臣」

 案の定、少しかすれた声でジェーンがそう口にすると、丁度ノックをしようとしていたキングズリー・シャックルボルトは、その格好のまま僅かな間だけ身体を静止させた。解いていた髪を一つに結わえながら立ち上がるジェーンを見て目を丸くしていたが、すぐに苦笑いを浮かべる。

「君が千里眼の持ち主だったとは知らなかった」

「足音で察しはつきます」

「それは訓練次第で習得できる能力だろうか」ジェーンが指し示す簡素な椅子を一瞥してから、シャックルボルトは室内に足を踏み入れた。「大臣室を訪ねてくる相手によっては居留守をしたいときもある」

「相手の歩き方の癖を覚えることができれば」

「ほう?」

「大臣は身体の重心が僅かに左へ傾いています。左足に乗る体重が右足より僅かに重く、その分右足に対して左足を運ぶ動きが若干遅くなるので、足音が一定ではありません」

「……ほう」

 シャックルボルトはいかにも意味がありそうな険しい面持ちで相槌を打つが、すぐさま思い出したような表情を浮かべ、手に持っていた紙袋を差し出してきた。

「口に合えばいいが」

「ありがとうございます」

 ジェーンは紙袋を受け取りながら、もう一度キングズリーに向かってお座りくださいと椅子をすすめた。

 小洒落た紙袋にはイタリア語で店名が表記されている。ほとんど癖のようにお茶の用意をしながら袋の中を覗き込むと、ころりとした色とりどりのマカロンが、透明な容器の中に折り目正しく並べられていた。見るからに高級そうな菓子を持参してきたからには、ジェーンにとって何か都合の悪い話をけしかけてこようとしているのかもしれない。

 だが、前にやって来たときほど難しい表情はしておらず、むしろくつろいでいるようだ。新しく設置された窓の外に目をやり、何かを考えているような横顔は、どことなく何にも考えていないようにも見受けられる。

「それで、本日はどういったご用向きでしょうか」ポットからカップに紅茶を注ぎ、それを机の上に置きながらジェーンは問いかけた。「あの時計が故障していなければ、今はまだ執務の時間帯なのでは?」

 ケンタウルス担当室の壁に掛けられている時計の針は三時十五分を差している。アフタヌーンティーには丁度良い頃合いだが、そんなものは魔法省大臣室には無用の長物だったはずだ。

「質の良い職務のためには適度な休息も必要だろう」

「……冗談を言っているのですか?」

「いや、まさか」目を丸くするジェーンを見て、シャックルボルトは笑った。「私はまだ大丈夫だが、補佐官たちの疲労が日に日に色濃くなってきてな。書類のミスが目立つようになったので、今日はもう全員家に帰すことにした」

 それこそ何かの冗談だろうという顔でジェーンは愕然とするが、シャックルボルトは至って平然とした表情を浮かべている。

 まさか、それを本気で言っているのか、とジェーンは思った。大臣室がもぬけの殻になれば、魔法省全体の仕事の多くが滞ることになるというのに。

 そうした憤りの感情が顔に表れていたのか、シャックルボルトは小さく肩をすくめてから、目の前に出されたカップに手を伸ばした。

「そう怖い顔をしないでくれ、ミス・スミス。残りの仕事は私が責任をもって終わらせる」

「おひとりでですか?」

「他に誰がいるというのだね?」

 ふふ、と笑う顔を見ないようにして、ジェーンは手土産の紙袋をそっと引き寄せた。

 菓子を取り分けるための小皿を用意して戻ってくると、シャックルボルトはジェーンが机の上に置いたままにしていた書類を手にしていた。ティーカップを片手に書類を眺める様子はまるで、目覚めの紅茶を楽しみながらのんびりと新聞を読むような悠長さを感じさせる。

「これは君の仕事か?」

「ええ」

「そうは思えないが」

「お手伝いをしているだけです」

 ジェーンはシャックルボルトの手から書類を取り返そうとするが、目につく場所に置いていた自分が悪いのだと思い直し、出しかけた手を引いた。椅子に腰を下ろすと、透明なケースの中から鮮やかな色のマカロンを取り、それを口に運ぶ。

「それは実に興味深い」

 物言いたげな表情を浮かべつつも、シャックルボルトは一言だけそう言うと、書類を机の上に戻した。そして、自分の肌と同じ色のマカロンを指先で摘まみ、半分に割った一方だけを食す。それを吟味するようにゆっくりと咀嚼してから、もう一方のマカロンを口に放った。

「この一週間は出張続きだったそうだな」

「はい」

「何か収穫は?」

「各群れの個体数の増減に関しては何とも言えませんが、群れ自体の消滅は認められませんでした。とはいえ、私はケンタウルスが今も変わらず生活している痕跡を確認してきただけなので、報告書を提出するほどの収穫はありません。直接会って言葉を交わしたわけでもありませんので」

「調査はこれからも続けるつもりか?」

「可能であれば」

「そうか」

 ケンタウルスは難しい生き物だ。だが、人間が相手でもそれは同じだろう。どちらかといえば、対話の成り立たない人間を相手にする方が、ケンタウルスを相手にするよりも、ずっと厄介なのかもしれない。

 人間は一見同じ姿形をしているが、似て非なる価値観を持っている。たった一つの世界の中で生きているのに、それを見る目は千差万別だ。それならば、姿形が違い、まったく異なった価値観を持っている別世界の誰かとの方が、いっそ話をしやすいのかもしれない。自分とは何もかも違う存在だと分かっていれば、相手の態度に腹を立てることもないのだから。

「窓があるのとないのとでは、随分雰囲気が変わるな」

 シャックルボルトはこの場違いな世間話を楽しんでいる節があった。何か明確な目的があってやって来たのにもかかわらず、核心には触れまいとしているように感じられる。しびれを切らしてこちらから切り出すのを待っているかのような態度を目の当たりにし、ジェーンは内心でため息を吐いていた。

 ジェーンは橙色のマカロンを手に取り、シャックルボルトを睨むように見据える。しかし、シャックルボルトは素知らぬ顔で窓の外に目を向けていた。

「大臣はなぜ私を免職処分になさらなかったのです?」

「そうしてほしかったのか?」

「ええ」

 ジェーンが少しの躊躇いもなく、一拍の間も置かずに肯定する声を聞いて、シャックルボルトは改めてこちらに顔を向けた。その表情は不思議と穏やかに見える。

「仕事を辞められる良い機会でした」

「だが、君は辞めなかった」シャックルボルトは紅茶を口に含み、それを飲み込んでから続けた。「いつでも辞めることはできたはずだろう?」

 ああ、その通りだ、とジェーンは心の中で同意する。

 いつだって辞めることはできた。だがしかし、ジェーン自身の意志がそうさせてはくれなかった。

 そうすればよかったと思うことは度々ある。もうずっと前から辞めたいと思っていたのだ。それでも、心を無にして、苦痛を心の片隅に追いやって、何も感じていないふりをして、騙し騙し仕事を続けてきた。惰性のような使命感を抱いていたのだろう。我がことながら不可解だとジェーンは思うのだ。まるで、自らの意思で窮愁に落ち、自虐を楽しんでいるかのようだった。そう思わなければ、到底平常心など保ってはいられなかったのかもしれない。

「その気があれば、私から査問の話を持ち出されたときに申し出ていたはずだ」

「あのときは私が辞めると言ったところで――」

「もちろん、受け入れていたとも。ウィゼンガモットの中には度重なる召集に辟易している者も多かったからな。私の手間も省けたはずだ」

「……まさか、それを確かめるために事前に呼び出しを?」

 その問いかけを受け、シャックルボルトはすうっと目を細めた。相手を見定め、見透かそうとするかのような鋭い眼差しだ。

 ジェーンが僅かに身を強張らせると、シャックルボルトは目元を和らげ、口を開いた。

「君の目は光を失ってはいなかった。反骨精神が見て取れた。私が君を焚きつければ、必ず楯突いてくるだろうと思ったし、そう確信もしていた」

 ジェーンは唇を真横に引き結び、奥歯を強く噛みしめていた。なぜだか酷く侮辱されたような気持ちになる。良い気分はしなかった。

 この男は――この魔法省大臣は、最初から自分を試していたのだと、ジェーンは瞬時に理解した。こちらを挑発するような物言いも、いやにしおらしく思えた態度も、下手に出るかのような振る舞いも、すべてが計算の内だったのだ。自分の出方によって、相手がどのような姿勢を見せるのか、それを見極めたかったに違いない。なぜそれに気づけなかったのか、ジェーンは己の迂闊さを恥じた。

「だが、君があそこまでの拒絶反応を見せたのは想定外だった。査問会での様子を見るかぎりでは、君はもっと勇ましい人間だと思っていたからだ」

「それは皮肉ですか?」

「いいや」シャックルボルトは思いの外真摯な面持ちのまま首を横に振った。「君にも人並みの弱さがあると分かって、むしろ安堵した。あの劣悪な環境下で最後の最後まで持ち堪えていた者の精神が無傷であるとは到底思えないからな。だが、君があまりに毅然としていたので、私もごまかされてしまった。先日は配慮に欠けた提案をしてしまい、申し訳なく思っている」

 ジェーンはどのような顔をすればいいのか分からず、眉根を寄せた表情のままシャックルボルトを見ていた。

 こうして素直に謝られてしまっては、責めるのも野暮というものだ。しかしながら、それでは気がおさまらない。ジェーンは今すぐに怒り出したいような、恥ずかしいような複雑な感情にさいなまれ、妙に居た堪れない気持ちになった。

「大臣室付きに戻ってきてほしい気持ちに変わりはないが、無理強いをするつもりはない。君には休息が必要だと理解している」

 ジェーンは何も言うことができなかった。憤ろしい思いに駆られていることは確かだ。しかしながら、この程度の言葉でほだされる女であったなら、もっと楽な人生を送ることができていただろうとも思う。そもそも、この魔法省大臣が本心から語っているかどうかなど、ジェーンには分からないことだ。

 シャックルボルトのカップが空になっているのを見たジェーンは、ポットの中に残っていた紅茶を無言のまま注いだ。湯気を立ち上らせる液体はうっすらと黄色味がかり、ほのかに花のような香りを漂わせている。この香りが鼻孔をくすぐると、荒んだ心が少しずつ潤っていくような気持ちになるが、釈然としない感情は未だに居座り続けていた。

「……ここの前任者は実に優秀な男だった」

 ポットから滴る最後の一滴がカップに落ちる様を眺めながら、シャックルボルトが唐突に言った。そして、不可解そうな顔をしているジェーンに視線を移し、再び口を開く。

「ミリセント・バグノールドの采配は正しかったわけだ」

「……何の話をしているのです?」

「バグノールドはケンタウルス担当室を一種の避難所として利用した――と私は考えている」本人から聞いたわけではないからな、とシャックルボルトは続けた。「ここの前任者は元々は魔法警察特殊部隊に所属していた。ヴォルデモート卿の全盛期時代には、部隊を取り仕切る立場にあったが、ヴォルデモート卿が失脚すると同時に辞職を申し出た。大勢の部下を亡くし、それを自らの責任だと考え、すべての誇りを失ってしまった」

 きちんと塞がっていなかったポットの蓋が、かたん、と鳴った。ジェーンは両手で抱えるように持っていたポットを傍らに置くと、呼吸を整えた。周波数を急いで調整し、ラジオのチャンネルを合わせるように、自らの思考をシャックルボルトに近づけようとした。

「バグノールドは、私が君に感じたのと同じように、ここの前任者を手放すには惜しい人物だと考えたのだろう。だが、彼の傷ついた心を癒すためには相当の時間を有するだろうと予測し、考え得るかぎりで最良の決断を下した」

 かつてヴォルデモート卿がその猛威を振るっていた時代があった。魔法省にも多くの犠牲が出た。誰かが責任を負わされたに違いない。魔法警察特殊部隊を指揮する立場にあったのなら尚のこと、方々から心にもない言葉で責め立てられたことだろう。

 当時と比べてしまえば、この一年間など酷く生易しいものだったはずだと、ジェーンは思う。

「魔法省を辞めたがっていた男を説得し、表面的には多くの責任を負わせる形で魔法警察特殊部隊の任を解くと、ケンタウルス担当室送りにした。当時、彼は数々の汚名を着せられたが、死んでいった仲間たちの無念を思えば些末なことだったと言っていたよ。彼は多くのものを背負い、背負わされ、それでも黙したまま、十年以上ものを時をこの担当室で過ごしていた」

「……それで、あなたは過去の魔法省大臣に倣い、私をケンタウルス担当室に送ったと?」シャックルボルトはジェーンの問いに答えなかったが、否定もしなかった。「いつからです?」

「何がだ?」

「いつから私をケンタウルス担当室に異動させようと画策していたのですか?」

 最初の質問がそれかと言うふうな呆れた表情を見せ、シャックルボルトは小さく肩をすくめる。僅かに身を乗り出し、机の上に置いてあるケースの中からマカロンを選びながら、口を開いた。

「査問会が行われる前だ。より厳密に言うと、君を大臣室に呼び出す前から決めていた」

「本当に?」

「なぜ疑う?」シャックルボルトは言いながら首を傾げた。「私は君を手放すには惜しい逸材だと考えていた。だが、裁判の最中に被疑者の口から度々その名が挙げられる人物を、ウィゼンガモットのお歴々連中が黙って見過ごすとは思えない。無駄に矜持ばかりが高い連中を黙らせるためには、その御心を愉悦で満たしてやるしかなかったわけだ」

「愉悦、ですか」

「連中にとっての悦びは解雇や免職などという苦痛ではなく、半永続的に続く辱めだ。だが、その感覚は長く持続しない。すぐに飽きるからな」

 ジェーンは一瞬、この男の本性を見たような気がした。根っからの優等生気質なのかと思いきや、それは表の顔で、実際のところは違っているのかもしれない。物事を真正面から捉えるのではなく、斜に構えた状態で傍観し、良いところを持ち逃げしていくタイプの人間だ。要領の良い生き方を心得ているからこそ、先の戦いでは生き残り、こうして魔法省大臣の椅子に座っている。

「もちろん、誤算はあった。君の善行には正直なところ驚かされたからな。だが、それは私にとって良い誤算だった。ただ忠実なだけの部下よりも、独自に判断し、決断を下せる者の方がずっと好ましい」

「私が上司の命令に従って人殺しを行っていたことには目を瞑るとでも?」

「より大きな善のためには必要なことだ――とは言わないが、すべてが終わったときに見えている世界がより良いものであるならば、多少のことには目を瞑ろうと思う」

「ここでグリンデルバルドの言葉を引用するのは悪趣味かと」

 軽蔑するような眼差しを受けたシャックルボルトは、目を伏せたまま少しだけ笑い、選び取ったマカロンを丸ごと口に放り込んだ。念入りに味わっている様子は満足げだ。ジェーンは大きくため息を吐くと、すっかりぬるくなってしまった紅茶を喉に流し込んだ。

「君の仕事ぶりに関して私から言うべきことはない。自らの身を護るために取った行動を責められるのなら、闇祓いとしての職務を放棄して逃亡した私の行動も責められて然るべきだ。こんな私に魔法省大臣が勤まるものかと思うが、白羽の矢が立ってしまったのだから仕方がない。せめてもの罪滅ぼしだと思って、イギリス魔法界の復興のために尽力するつもりだ」

「……それがあなたの素直なお気持ちですか」

「墓穴を掘った私とは違い、君は最後まで死喰い人相手に尻尾を見せなかった。ジェーン・スミスの不屈の精神こそ称えられるべき行いだ。現役の魔法省大臣として感謝の言葉を贈りたいが、君はそれを良しとしないだろう」

「私は魔法省大臣に称賛された程度では大臣室付きには戻りません」

「ああ、そうだろうとも」

 シャックルボルトはそう言うと、カップに残っていた紅茶を飲み干し、椅子から立ち上がった。

「君のおかげで良い休息になった。私は大臣室に戻って残りの仕事に取り掛かるとしよう」

「何かお話があってここにいらしたのでは?」

「話ならもう済んでいる」

 にやりと笑ったシャックルボルトは、先ほど目を通していた机の上にある書類をこつこつと指先で突き、ジェーンを見た。

「これは急ぎの仕事だ、今日中に上げてくれ」

「……分かりました」

 シャックルボルトはその魔で踵を返し、ローブの裾を翻して、ケンタウルス担当室を出て行った。

 遠ざかっていく足音を聞きながら前髪を掻き上げたジェーンは、ため息を一つ漏らしてから、魔法省大臣が興味を示した書類を手元に引き寄せる。数十枚と重ねられたその書類の一枚一枚には、それぞれに人物写真が貼り付けられ、大きく『死亡』のスタンプが押されていた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。