魔法省大臣は人使いが荒い   作:しきり

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嵐の前の何とやら

 身近で目の当たりにする魔法省大臣の仕事ぶりは感嘆に値するものだった。一見すると無駄があるようにも思えるが、自らで定めたルールがあるのか、いくつかの作業を並行して行うことで、むしろ効率が上がっているように感じられる。早急さを求められているものから順番に片付けていくジェーンには慣れない工程だが、万年人手不足が嘆かれている闇祓い局で働いていたのだ、いくつもの仕事を同時にこなすことには、何の苦も感じないのだろう。乱雑に見えた机周りも、当人には意味のある配置だったのかもしれない。

 余計なことをしたと反省しながら書類の精査を行っているジェーンの傍らでは、キングズリー・シャックルボルトが濃紺のインクにペン先を浸し、書類の一枚一枚に目を通すと、文末にサインを書き込んでいた。飾り気のない書体だが、誰の目から見ても誠実さを窺わせる、丁寧で、どこかやわらかい印象を与える字だ。

 その様子を何気なく眺めていると、先々代の魔法省大臣だったコーネリウス・ファッジが、酷く仰々しい飾り文字で署名していたことを、ジェーンは不意に思い出した。そうした者ほど自己顕示欲が強く、見栄を張りたがる人物であるということを、これまでの経験上良く知っている。

 その点、この魔法省大臣は分をわきまえているようだ。魔法省大臣という肩書の上に胡坐を掻いてはいない。サイン一つでその人物の人となりを理解した気になるわけではないが、ジェーンの目にはシャックルボルトのそれが、非常に好意的に映っていた。

 

「まさか、君がMACUSAの力を借りていたとはな」

 机に背を向け、本棚に収められている資料の中から必要なものを探していると、シャックルボルトが思い出したように口を開いた。羽ペンの先がかりかりと紙を引っ掻く音に耳を傾けていたジェーンは、肩越しに振り返り、その姿を一瞥する。シャックルボルトはジェーンに目を向けるでもなく、机に向かってペンを走らせ続けていた。

「他の国からも援助を得ているのなら、今すぐに白状してくれ。イギリスの魔法省大臣として礼状を送りたい」

「……各国の代表はそれを望んではいないでしょう」一冊のファイルを取り出しながら、ジェーンは言った。「すべては内々に行われたことです」

「だが、彼らが無償でそれを引き受けたとは思えない」

「では、お訊ねします」ジェーンは後ろを振り返り、机に向かって足を進めながら続けた。「もし海を挟んだ大陸で我が国のような未曾有の事態が起こったとして、その国から亡命者を受け入れてほしいと懇願されたら、あなたはそれを無視できるのですか?」

「個人的には助けたいと思うが、公式的な見解を述べるのなら、二つ返事で了承することはできないだろうな」

「当初は考える時間がほしいというお返事でした」

「……どうやって彼らを頷かせた?」

 それは、魔法省大臣の権力を行使したからだ――とは、口が裂けても言えない。

 あのときのジェーンにはそれが可能だった。名ばかりの魔法省大臣は服従の呪文でジェーンの支配下にあったからだ。ジェーンの働きに妙な信頼を寄せていたヤックスリーは、大臣室に足を運ぶことも少なくなっていたので、ある程度までなら勝手をすることができた。

 各国の要人たちは皆一様に、一補佐官の――それも、たいした権限も持たない下級補佐官の要請では、いくらなんでも応じられないと口を揃えた。当然だろう。数年来の付き合いを持つ相手からの頼みでも、ただの善意で危険を冒すことはできない。しかも、国から命を狙われている者を、その国の要請で亡命させてくれというのは、何とも奇妙な話だったはずだ。

「では、それが我が国の魔法省大臣からの要請でしたらいかがでしょう?」

 ジェーンがそう問うと、いくつかの国が断る理由は見当たらないという返答を寄越した。だが、それらの国々は分かっていたはずだ。イギリスの魔法省大臣に国民を亡命させる意思はない。しかしながら、察してもいたのだ。それをしなければならないほど逼迫した状態なのだと。

 ジェーンは当時の魔法省大臣に、服従の呪文を用いて、何枚もの亡命手続き書を認めさせた。その行為が大罪であることは理解していたが、他に方法がないのだから仕方ないと、自分に強く言い聞かせていた。

 だが、書類に魔法省大臣直筆の署名があれば、少なくとも要請を受けた国は当局に言い訳が立つ。たとえ問題提起されたとしても、自分は何も知らなかった、騙されただけだ、すべての責任はイギリスの魔法省にあると、そう言い逃れることができる。そうした保険があるのとないのとでは雲泥の差があるのだ。

 もし何もかもが露見し、すべてが明るみに出ていたとしても、それはそれで構わないとジェーンは考えていた。そもそも、ヴォルデモート卿が国外に逃亡したマグル生まれの者たちの捜索を、わざわざ命じるとは到底思えなかったのだ。

 問題として取り上げるとしたら、実行犯であるジェーンの処遇と、責任ある自身の仕事を他者に丸投げしていた上に、目と鼻の先で勝手を許していたコーバン・ヤックスリーの処罰だけだったことだろう。ジェーンとしては、死喰い人の幹部を道連れにできるのなら、それ自体に価値があることだと思っていた。

「MACUSAの議長と個人的なやり取りを行うほど親しい間柄なのでしたら、あの方から直接お聞きになってはいかがです? なぜたかが下級補佐官の口車に乗せられたのか、と」

「彼は君をたかが下級補佐官などとは思ってはいないようだ」

「あの方も使い勝手の良い手駒をご所望なのでしょう」

「君のそれは自分自身を卑下しているのか、遠回しに私のことを非難しているのか、実に判断が難しい」

「その両方です」

 平然とした面持ちでそう言い放ち、ジェーンは手にしていたファイルをシャックルボルトに向かって差し出す。苦笑いを浮かべながらそれを受け取ったシャックルボルトは、手元の資料に目を落とすと、机の上を見もせずに目的の書類を手繰り寄せた。

「議長とは別段親しいわけではない。時々互いに必要な情報を交換しているだけだ。私の目にはむしろ、君の方がより親しい関係のように見えたがな」

「付き合いだけならば大臣よりもずっと長い相手ですので」

「議長からヘッドハントされているそうだが?」

「何度もお断りしているお話です」

「ほう、何度もか」

「……国に残っても大陸に渡っても、業務内容に大差はありません。わざわざ大海を渡って自分には合わない水を口にするくらいなら、住み慣れた土地でぬるま湯につかっていた方が、今のところは精神衛生上良いという判断をしました。議長にもそうお伝えしているのですが、存外諦めの悪いお方のようです」

「そうか」

 自分から振っておきながら、この話題に興味があるのかないのか分からない態度で相槌を打ち、シャックルボルトは書き損じの料紙に何事かを書き込んでいる。ジェーンもこれ以上踏み込んだ質問をされることは避けたかったので、口を噤んで目の前に山積している仕事を終わらせることに集中した。

 

 すべての仕事が片付いたのは真夜中の一時を過ぎた頃だった。感謝の言葉を述べた後、家まで送ると言ったシャックルボルトの申し出を丁重に断ったジェーンだったが、あろうことか、荷物を取りに戻ったケンタウルス担当室で力尽きてしまった。ほんの少し休むつもりで腰を下ろした椅子の上で、うっかり意識を手放してしまったのだ。次に目を開いたとき、壁にかけられた時計は、七時半を指し示していた。

 ジェーンは一瞬だけ混乱するものの、自らの失敗を察し、思わず苦笑を浮かべる。職場に泊まり込むなど、どれくらいぶりだろうか。魔法省がヴォルデモート卿の支配下にあった頃から解放されて間もなくは、家に帰る暇もなく働いていたが、ここしばらくは自宅で夕食を取ることができていた。父親が心配しているのではないかとも思うが、今や自宅と職場を往復するだけの生活をしている年頃の娘こそ心配するべきだと考えているような男なので、かえって喜ばしく思っているのかもしれない。

 だが、今となっては一人親に一人娘だ、一応は連絡を入れておくべきなのだろう。そう考えたジェーンは、窓の外を眺めて何分かぼんやりした後、椅子からのろのろと立ち上がる。部屋の奥にある簡易キッチンで顔を洗い、髪を梳き、申し訳程度の化粧を施して身だしなみを整えた。一ヶ月前よりも扱けたように感じられる頬を撫で、くすんだ鏡越しに自分の緑色の目を見つめる。忌まわしい目ではあるが、この色だけは何となく気に入っていた。

 意を決するように、ぱちん、と頬を叩いてから、ジェーンは顔に合わない大きな眼鏡をかけると、心なしかふらふらとした足取りでケンタウルス担当室を出た。やや目深にフードを被ることも忘れなかった。

 薄暗い廊下には道を塞ぐように所狭しと段ボールが積み上がり、何年前のものかも分からない資料が放置されている。何度か足を引っかけて転びそうになっているが、勝手に処分するわけにもいかず、今のところは部長の対処を待っている状態だった。とはいえ、もう十年以上もこのような有様らしいので、この先も片付けられることはなさそうだ。丁度朝の食事の時間帯なのか、害獣班が飼育しているブラッドハウンドの興奮した吠えが、埃っぽい廊下にまで響いていた。

 まだ忙しい時間帯ではない通信室から適当なふくろうを借り、ジェーンはその場で父親宛に簡単な手紙を書いた。

 昨夜は忙しかったので職場に泊った、今夜は夕食までには帰れると思うと記し、宛名、宛先を書いた封筒に入れると、それをふくろうに持たせる。ふくろうは地面すれすれをすうっと滑るように飛び、外と繋がっている専用の出入り口から出て行った。

「おい、今日発売のクィブラーはもう読んだか?」

 手紙を出し終えたジェーンが通信室を後にしようとすると、入れ替わりでやって来た職員が、挨拶よりも先に夜勤から上がろうとしている職員に向かって、興奮気味に声を掛けるのが聞こえてきた。

 ザ・クィブラーは、ゼノフィリウス・ラブグッドが編集し、発行している雑誌だ。内容はといえば、幻の魔法生物の存在の有無やその隠された生態、有力な目撃情報など、一貫して非常にマニアックな記事でまとめられている。一部には熱狂的な読者もいるようだが、基本的にはフィクションとして楽しむ読み物だ。

 しかしながら、過去に一度だけ、読者の度肝を抜くような特集を組んだことがあった。数年前、リータ・スキーターがヴォルデモート卿についてハリー・ポッターをインタビューしたものだ。以降発行部数を伸ばし、以前よりはメジャーな雑誌として知られるようにはなっていたが、実質ヴォルデモート卿がこの国の魔法界を支配するようになってからもハリー・ポッターを擁護するような記事を書き続けたことで、娘は死喰い人に誘拐され、ラブグッド自身はアズカバンに投獄されるという結果を招いた。

 尚、政権が復旧してすぐに、無実の罪で投獄されていた者たちは魔法省大臣の命令で、全員釈放されている。

「お前、まだそんな子供だましの雑誌なんか読んでたのか」

「リータ・スキーターが書いたポッターのインタビューは覚えているだろ? あんたは散々馬鹿にしていたが、結局は正しかったんだ。今回の特集だって――」

 アズカバンに投獄された者の中には、吸魂鬼の影響による後遺症で苦しめられる者も少なくないのだが、釈放されて早々に発刊できるくらいの元気があるのなら、ダメージは最小限で済んだのだろう。投獄期間も関係しているのかもしれない。

 そのようなことを考えながら通信室を後にしたジェーンだったが、不思議なことに、ザ・クィブラーの話はそれ以外の場所からも続々と聞こえてきた。魔法族は基本的に噂好きではあるが、たかが一雑誌の特集程度で、これほどまでに魔法省内が騒然となるのは珍しいことだ。

 だがしかし、部長ならば噂の内容を知っているはずだ、あとで仕事をもらいに行きがてら聞いてみようと思いながらジェーンがケンタウルス担当室に戻ろうとしていると、それは起こった。何の前触れもなく腕を掴まれたかと思うと、人気の少ない廊下に引きずり込まれ、何者かにほとんど覆い掛かられるような格好になる。

 ジェーンの身体は咄嗟に動いていた。身を屈めると同時に太ももを身体に引き寄せ、ローブの裾から覗くふくらはぎに装着しているホルダーから杖を引き抜く。小指側に伸びた杖先をナイフに見立て、それを相手の喉元に突き立てようとするのと同時に、杖腕の手首を抑えつけられた。

「おい、待て待て、ちょっと待て。俺だよ、俺!」

 無意識に動いていた身体が、それが聞き覚えのある声だと認識すると、途端に意識を取り戻した。目と鼻の先に迫る見知った顔は僅かに焦ったような表情を浮かべていたが、眼鏡がずれている上に、惚けた面持ちで自分を見上げているジェーンを見て、引きつっていた表情をやわらげさせる。

 魔法警察部隊に所属している幼馴染のその男は、ジェーンの身体から力が抜けたことを目視で確認すると、掴んでいた手首を解放し、ほっと安堵の息を吐き出した。そして、顔から落ちかかっている眼鏡を元の位置に戻してやってから、筒状に丸められた雑誌をジェーンの胸元に押し付けた。

「……これ、クィブラー?」

「ケンタウルス担当室には戻らない方がいい」

「なぜ?」

「とりあえず、身の安全が確保できる場所に移動する。話はそれからだ」男はそう言うと、脱げかけていたジェーンのフードを引っ張り、先ほどよりも深く被らせた。「ったく、あの魔法省大臣は一体何を考えてるんだ?」

「あ、ちょっと、待って――」

 一向に話が見えてこないジェーンは、自分の手を取って早足で歩き出した男の横顔を見上げ、困惑で表情を歪ませた。しかし、何となく見下ろしてみた手元の雑誌を一瞥して、今度はぎょっとした表情を浮かべざるを得なかった。

 雑誌の表紙はリータ・スキーターの似顔絵がでかでかと印刷され、時々ウィンクをするという酷く悪趣味なものだった。だが、ジェーンが注目したのはその部分ではない。その似顔絵の下の方に、きらきらと光る文字で記されていた文言に、とても嫌な予感を覚えていた。

 

≪次々に蘇る死者たち。知られざる真実のすべてを今、敏腕記者リータ・スキーターが暴く!≫


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