魔法省大臣は人使いが荒い   作:しきり

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家族について

「お前が休暇をもらえるなんて久しぶりだなぁ」

 そう言って純粋に喜んでくれた父親に申し訳なさを覚えはしたものの、ジェーン・スミスは査問会までの残り数日間を、自分なりに楽しんでみようと考えた。だがしかし、ホグワーツを卒業して以来仕事漬けの毎日を過ごしていたせいか、突然の休みを与えられたところで、ジェーンは何をして時間を潰せばいいのかが分からない。

 思い返してみれば、ホグワーツでは勉強、勉強、勉強の日々だったので、ジェーンは休暇が訪れる度に時間を持て余していた。生活としては今と大差ないと言えるだろう。

 友達もなく、恋人もおらず、趣味もなければ、何の生き甲斐もない――さて、どうしてこうなってしまったのだろうと思いながら、ジェーンは寝床に横たわり、ぼんやりと天井を眺めている。

 

 以前住んでいた家は売り払ってしまった。幸い、どこぞの純血貴族が相場よりも高く買い取ってくれたので、今はロンドン市内の古いアパートメントを買い、自分たちの手でこつこつとリフォームをしながら、家族二人で細々と暮らしている。二階はリビング、三階には父親と二匹の猫が暮らし、ジェーンは四階のフロアを広々と使わせてもらっていた。

 一階は店舗として改装し、昔から料理が得意だった父親が、小さなカフェを営んでいる。常に穏やかで、誰に対しても物腰のやわらかな男なので、こうした商売には向いていたのかもしれない。客はマグルが多く、時々魔法族も訪れているようで、思いの外繁盛しているようだ。

 父親は、妻が生きていた頃は本の執筆をして収入を得ていたが、その死後は意欲や熱意といったものを失い、貯金を切り崩しながらの生活を送らざるを得なくなっていた。父親とジェーンだけならば、しばらくは働かずとも暮らしていけるだけの貯えはあったのだ。しかし、ホグワーツで勉強さえしていればよかったジェーンに対し、父親はたった一人で孤独に暮らす日々に耐えきれず、少しずつ心を病んでいった。

 だが、ジェーンがホグワーツを卒業して魔法省に勤めだしてからは、短い時間でも毎日一緒にいられるようになり、父親の精神は徐々に安定し、落ち着きを取り戻していった。それなのにもかかわらず、ちょうどその頃になって闇の帝王が復活を遂げ、魔法省は物の見事に陥落し、イギリスは暗い闇の中に落とされてしまった。

 けれど、今度の父親は一味違った。心を闇に飲まれることなく、勇敢にも立ち向かおうとしたのだ。その方法は間違っていたのかもしれないが、我が子のためならば何だってしてやるという父親の覚悟は間違いなく本物で、自分を護るように立ちはだかった背中はとても大きく、たくましく感じられたものだ。

 こうして、二人はこの数年間、互いに支え合いながら生きてきた。だからこそ、それ自体を見直すべきときが来ているのかもしれないとジェーンは思う。父親にもそれが分かっているからこそ、新しいことに挑戦しようとしているのだろう。

 

 謹慎初日、ジェーンは昼過ぎまで寝室のベッドでごろごろとして過ごした。二十代半ばの、同じ年頃の者たちが休日をどのように過ごしているのか、ジェーンにはさっぱり見当がつかなかったからだ。それに、ジェーンの身体はだらだらと過ごすことを望んでいるようにも感じられていた。身体がそれほどの疲労を抱え込んでいたということに違いない。

 しかしながら、午後三時を過ぎる頃には、そうした自堕落な時間の過ごし方にも限界を覚える。

 ジェーンは呻くような声と共にベッドから起き上がった。久しぶりの長時間睡眠は、ジェーンの頭と身体を重く、気怠くさせるだけだったようだ。

「……これは先が思いやられる」

 謹慎というからには、自宅で自らの行いを反省し、それらを回顧しろということなのだろうが、ジェーンには振り返るべき反省点に心当たりがない。

 職員はその時々の魔法省大臣の命令に従って働くだけだ。たとえ誰しもが悪と断じれる命令が下されたとしても、あえてそれに逆らおうとは思わない。黙って従ってさえいれば、少なくともその間だけは、命が脅かされることはないからだ。

 弱い者は強い者に付き従うことで生きていくことができる。それに抗ったところで結果は目に見えているではないか。太古の時代からそうであったはずだ。一体誰に生き永らえようと必死だった者を非難することができるだろう。

 誰もが選ばれし者のように、その友人たちのように、その崇拝者たちのように、勇敢なはずはない。他人の命のことなど考えている余裕はない。自分と家族の命を護るだけで精一杯だからだ。

 英雄は英雄として生まれ育つのかもしれないが、それ以外の者は何の前触れもなく、ただなす術もなく奈落の底に突き落とされた。一度突き落とされてしまえば、自力で這い上がる術はなかなか見つからない。それこそ、奇跡でも起こり、救世主でも現れないかぎりは。

 

 パジャマ姿にカーディガンを羽織った格好でリビングまで降りていくと、父親が可愛がっている二匹の猫が、ソファの上でくつろいでいた。フローリングの床には猫のおもちゃがあちらこちらに散乱している。いつも通りの光景だ。

 ジェーンはカーディガンのポケットに差していた杖を手に取り、それを一振りすると、散らかったおもちゃを箱の中に片付けた。既に一遊びを終え、満足げな表情で髭を泳がせている猫たちの頭を順番に撫でると、そのままキッチンに足を向けた。

 濃い目に抽出した紅茶と父親が焼いたスコーン、カフェでも販売している自家製のクロテッドクリームとベリーのジャムをトレイに乗せ、窓辺にある二人掛けのテーブルまで移動する。

 窓から見下ろすことのできる午後三時過ぎのロンドンは、僅かな憂鬱さを漂わせていた。曇天の空がそう思わせるのかもしれない。往来する人々の表情は様々だが、その顔に笑みが見て取れると、心がふわっとするような安心感と共に、その感情とは相反する、背筋がすっと凍えるような心地をジェーンは覚えていた。

 

 食事もそこそこに窓の外をぼんやりと眺め続けていると、ジェーンは店のシャッターが閉まる音で我に返った。

 間もなくして階段を上がってくる足音が聞こえてくると、寸前までまどろんでいた猫たちがむっくりと起き上がり、体躯を伸ばして主人を迎える準備をはじめる。

 カフェは午前十時に開店し、午後五時に閉店する。もうそんな時間かと考えていると、残り物のマフィンを手に現れた父親は、未だパジャマ姿の娘を目に留め、僅かに目を丸くした。呆れられるかと思いきや、父親はにこりと微笑むと、足にじゃれつく猫を引き連れながらキッチンに向かって歩いていく。

「突然休みをもらってしまうと、喜びよりも困惑が勝ってしまうものだろう?」父親は、ふふ、と笑ってから続けた。「何をして過ごせばいいのかが分からなくなってしまうんだ」

「まさにその通りなの」

「とくにやりたいこともないのなら、そうして日がなぼうっとしているのもいい。君はただでさえ働きすぎなのだから、今は心と身体を休めてやることが最優先だ。気が向いたら散歩にでも出かけて、気分転換がてら辺りを散策してくるといいよ。ここに越してきてから、君は家と職場を往復するばかりで、ろくに見て回ってもいないのだろうからね」

「そうね、気が向いたら」ジェーンは残っていたスコーンを頬張り、それを冷え切った紅茶で流し込む。「お店はどう?」

「今のところは上々だよ。クロテッドクリームが特によく売れている。明日も早起きをして作らなくてはいけないな」

「お手伝いしましょうか?」

「いやいや、いいんだ。大丈夫だよ」

 父が作ってくれた夕食で腹を満たし、僅かなワインで気分がよくなったジェーンは、ふわふわとした心地のままアパートメントの屋上に上った。その手には赤ワインのボトルと空のワイングラスが握られている。

 アルコールなど何年ぶりに摂取したかも分からない。職場にはジェーンを酒の席に誘う者など誰もいなかったからだ。いや、それらの誘いをすべて断り続けていたがために、誰にも誘われなくなってしまったというのが、本当のところだろう。

 話していても何の面白味もない、骨の髄まで仕事人間と陰口を叩く者がいた。それの何が悪い。それで当たり前だ。仕事の最中に仕事以外の話をする方が間違っている。無駄口ばかりを叩き、仕事をする手が止まっているような者たちは、総じて減給してやればいいのにと、ジェーンは常々思っていた。

 日々相手にしているのは、他者と比較することでしか自らの価値を見い出すことのできない者たちだ。家柄、容姿、学歴、人間関係――そうしたもので他者を値踏みして自分自身と比較し、勝っている者には醜い嫉妬心を露にしたかと思えば、劣っている者には吐き気がするような同情心と安堵感を覚え、内心では嘲笑っている。

 屋上の柵に寄り掛かったジェーンは、空のグラスに並々と赤ワインを注ぎ入れた。それをぐびぐびと口に運びながら、ぶつぶつと毒を吐き続ける。

 

 何が謹慎だ。謹慎などクソくらえだ。魔法省大臣め、近い将来目にもの見せてやる。そうだ、呪ってしまおう。疫病か熱病か――ああ、いや、だが、仕事が滞るようでは困る。流行りの悪戯グッズを飲み物に混入させるくらいが丁度良いのかもしれない。そうでなければ、持続性のある頭痛や腰痛をお見舞いしてくれよう。耳鳴りもセットだ。ああ、でも、ノイローゼにはならない程度に。

 

 ジェーンはまとまりのない思考をぐるぐると巡らせながら、僅かに残っていたワインをグラスに注ごうとした。

 しかし、久しぶりのアルコールのせいだろう、手元が狂ってグラスを取り落としそうになる。慌てて掴み直そうとするが、指の腹がつるりと滑り、グラスはむしろ押し出されるようにして、柵の向こう側に落ちていってしまった。

「う、わ――」

 利き手は反射的にポケットへ伸びるが、残念なことに、杖はリビングのテーブルの上に置いたままだ。そうと気づいた数秒後、ぱりん、とグラスの割れる儚い音がアパートメントの下から聞こえてくる。

 ジェーンは柵の向こう側に身を乗り出すと、真下の歩道を覗き込んだ。すると、そこに立つ人影に気づき、思わず背筋をぞくっとさせる。グラスはその人物の足下で粉々に砕け散っていた。

「そこの人、ごめんなさい、大丈夫ですか?」

 Excuse me, Sir. I'm so sorry. Are you all right――? 身を乗り出した格好のままで片腕を振り上げ、早口でそうまくしたてる。その人物はこちらを振り仰いだようだが、街灯の灯りが届かず、その顔を見ることはできなかった。

「待って、今下に行きます」

 ああ、ああ、だからアルコールなど摂取するものではないのだ――ジェーンはそう思いながら、屋上から直接降りることのできる非常用の外階段に足を向けた。


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