魔法省大臣は人使いが荒い   作:しきり

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黙秘

 ──青年はこのようにも語っている。

『私たちは確かにジェーン・スミスによって命を救われました。ですが、私たちの命はなぜ救われたのでしょうか。相手は闇の帝王の右腕とも呼ばれた、最も残忍で残虐な死喰い人であるベラトリックス・レストレンジです。彼女がレストレンジに勝利したのも驚きですが、何らかの交渉の末に無傷で解放されたことに際しても、強い疑念を抱きます。ジェーン・スミスは真実、正義の人なのか。完全なる潔白だと言い切ることができるのか。私にとっては甚だ疑問です。あの凄惨な現場で顔色一つ変えずにいられること自体、私にしてみれば異常としか言いようがありません。いくら敵とはいえ、一人の人間を呪文や吸魂鬼の盾にして生き延びる……本当に恐ろしいものを目にしました。今でも毎夜夢に見ます。誰かがこの記憶を引き受けてくれると言うのなら、喜んで差し出しますよ──ああ、でも、勘違いしないでください。私は彼女には本当に感謝しているのです。ジェーン・スミスがどのような人物であれ、私は彼女にこの命を救われました。また彼女に会う機会があれば、もう一度感謝の気持ちを伝えたいと思います』

 ──ジェーン・スミスは大勢のマグル生まれの亡命を手引きすると同時に、決して自らの名前を口外しないよう口止めの呪いを施していたと筆者は推測するが、この青年ともう一人の女性を救出した日に限っては、どうやらその段取りを怠ったようだ。

 ──青年の言う通り、ジェーン・スミスは数十、数百という人数のマグル生まれの魔女と魔法使いの命を救っていた。この事実に嘘偽りはないと筆者は断言する。しかしながら、この勇敢な青年の言葉を信じるならば、ジェーン・スミスには何らかの後ろ暗い秘め事があるのではないかと疑わずにはいられない。なぜなら、ジェーン・スミスはウィゼンガモット法廷で真実を語ってはいないからだ。

 ──何ら後ろ暗いところがないのであれば、ジェーン・スミスは再びウィゼンガモット法廷に立ち、真実を語るべきであろう。死喰い人との間に何らかの密約や取り決めが交わされたのであれば、その詳細を明らかにするべきだ。ジェーン・スミスは、自らが国外に亡命させていた魔女や魔法使いが、マグル生まれだけであるという証明をしなければならない。さもなくば、現在逃亡中の死喰い人の残党を、マグル生まれの魔女や魔法使いと同様に、国外へ亡命させていると疑われても致し方ないと言わざるを得ないと考える。

 ──筆者は今後もこの問題に大きく踏み込み、真実を詳らかにするための努力を惜しまない。そして、必ずや読者の皆々様方に真実をお伝えするとお約束する。

 

 

「君はこの時、死喰い人と何らかの交渉を交わしたのか?」

 暫くの間黙りこくっていたキングズリー・シャックルボルトが、自らの下唇を親指の腹でゆっくりと撫でながら言った。その些か厳しい眼差しは真っ直ぐにジェーン・スミスを捉えていた。

「言えません」

「なぜ」

「言うと死んでしまうからです」平然とした面持ちで言うジェーンを見て、キングズリーの目が大きく開かれた。「大臣が私に死ねとおっしゃるのであれば、そのようにいたしますが」

「君が言うと冗談には聞こえないな」

「残念ながら冗談ではありませんので」

 だが、キングズリーは俄かには信じ難いという面持ちで、ジェーンのことを睨みつけている。この期に及んで嘘など吐いてどうするのだと思いながら、ジェーンは手元にある二冊のザ・クィブラーに目を落とした。

 キングズリーが持っていた先に刷られた方の雑誌には、件の青年の証言は含まれていない。魔法省大臣の目を欺くために故意に隠されたのでなければ、刊行を目前にして件の青年と何らかの形で出会い、急遽インタビュー記事を掲載することにしたのだろう。

 あの日は到底平常心などではいられなかった。ジェーンにとっては想定外続きの厄日で、今思い出しても嫌な汗が噴き出してくる。

「君は破れぬ誓いを結んだのか?」

 伏せていた顔を上げ、しかし何も答えようとはしないジェーンを見据え、キングズリーは僅かに頭を傾けた。

 破れぬ誓い。それは、文字通り決して破ることのできない誓いだ。それ自体は悪い呪いの類ではないものの、危険性としては許されざる呪文に次ぐ、もしくは同等の魔法だと言っても過言ではない。

 若い魔法使いや魔女の中には、これを軽い気持ちで結んでしまう者が後を絶たなかった。ほんのささやかな出来心で、その場の小さな気の迷いで、甘い密約のような感覚で、簡単に誓いを立ててしまう者がいる。後悔先に立たず。どんなに悔やんでも、一生をその誓いに縛られて生きていかなければならない。これを反故にすることはできない。この誓いを破った者は皆、おしなべて死ぬのだ。

 破れば命を奪われることが分かっているのに、この誓いを結ぶ者は総じて愚か者だと、ジェーンは思っていた。

「もう一度聞く。君は破れぬ誓いを結んだのか?」

 ジェーンは何も言わなかった。ただ黙ったまま、肯定も否定もせずに、口元ににこりと笑みを湛える。

 キングズリーはジェーンのその顔を見て静かに顔を伏せた。目元を手の平で覆い隠し、大袈裟な程大きなため息を吐き出す。だがしかし、すぐに妙だと感じたようだ。指の隙間からこちらを睨みながら、ゆっくりと口を開いた。

「いや、それはおかしいな」

「何がでしょう」

「君が本当に破れぬ誓いを結んだというのなら、仲介人は誰だ?」

 キングズリーは顔から下ろした手で握り拳を作り、それを自らの膝に押し付ける。少なからず憤っているように見えるのは、ジェーンの気の所為ではないはずだ。

 例えば、破れぬ誓いを結んだことが真実だった場合、言えないと断言したことを強制的に言わせれば、ジェーンは確実に死ぬだろう。だが、この“破れぬ誓いを結んだ”というジェーンの言葉が偽りだったとしても、真実だと言い切る者に向かって無理強いをすることは、明らかな人権侵害になる。

「その青年の言葉とリータ・スキーターの記事が正しいことを前提に話すが──」キングズリーはジェーンの顔色を窺うように見やりながら先を続けた。「ベラトリックス・レストレンジは君が放った失神の呪文で気を失っていた。傍にいた死喰い人は一人だけだったという。この状況下で破れぬ誓いを結ぶことは不可能だ」

「ですから、私は何も言えないのです、大臣」

「それは、言えないのではなく、言いたくないだけなのではないのか?」

「お好きに解釈してくださって結構です」

「ミス・スミス」

「魔法省大臣」

 キングズリーの威圧的な声に対して、ジェーンの声はどこかゆったりと響く。相手よりも優位な立場に立つというのは、こんなにも優越感を覚えるものなのかと思いながら、ジェーンは小さく唸り声を上げているキングズリーを見つめた。

「本当のことを話してくれ」

「真実ならすべてこの雑誌に記されているではありませんか」

「君は概ね真実だと答えた。概ね、だ」

「大臣はどうしても私を殺したいようですね」

「では、質問を変えよう」キングズリーが握り締めた拳の関節が、白く浮き上がっていく。「君はロドルファス・レストレンジの逃亡に手を貸したのか?」

「お答えすることはできません」

 ジェーンがそのように答えた次の瞬間、キングズリーは自らの拳で膝を打ち、勢い良くその場に立ち上がった。ジェーンの聞き間違いでなければ、小さく悪態を吐く声もあったようだ。

 自らの心を鎮めようとしているのか、椅子の後ろをうろうろとしはじめたキングズリーを見やり、ジェーンは静かに息を吐き出した。

「君が本当のことを話してくれなければ、私は君を助けられない」

「私は本当のことを話せません。ですが、本当のことを話せば、私は命を失います。いずれにせよ、大臣が私を助けることはできないのでしょう」

 いつだって余裕綽々という様子だった魔法省大臣が、今や直属の部下でもない、たかがケンタウルス担当室室長の言葉に惑わされている様子を目の当たりにすると、なぜだか笑いが込み上げてくる。

 いつものようにポーカーフェイスを貫こうとするものの、僅かに頬が緩んでしまったようだ。その表情を横目に見たキングズリーが、忙しなく行き来していた足を、ぴたりと止めた。

「何を笑っている?」

「大臣がそのように狼狽されるお姿をはじめてお見受けいたしましたので」ジェーンは口元に手を添え、小さく咳払いをした。「非礼をお詫びします」

「君はもう少し思慮深い魔女だと思っていたのだが」

「誠に遺憾ではありますが、私は大臣が思う以上に感情的で、浅慮な魔女なのです」

「君ほどの魔女ならば破れぬ誓いの隙を掻い潜って真実を伝えることなど造作もないはずだ」

「前々から思っておりましたが、大臣は私のことを随分と買い被っていらっしゃるようですね」

「……分かった」応接椅子の背もたれに両手をつき、全身の体重を預けるようにして項垂れながら、キングズリーは言った。「君が怒っていることは、よく分かった」

「私が、怒っている?」

「違うのか?」

 怒りよりも諦めが、諦めよりも困惑の方が強く、自らの感情を客観的に言い表すことができるほど落ち着き払ってもいない。しかしながら、もしこれが怒りという名の感情なのであれば、自分はそもそも怒りを覚えたことがないのかもしれないと、ジェーンは思った。父と亡くなった母は酷く穏やかな人たちで、怒りとは無縁の家庭で育ったことも原因の一つなのだろう。

 今の自分が置かれた状況を理不尽だとは思う。面倒なことになったとも思っている。もし可能ならすべてを投げ出して、どこか遠い場所へ行きたいとも願っている。

 そうだ、そうしても許されるはずだ。

 少なくとも、このほとぼりが冷めるまでは。

 

 

 

 あの日から数ヶ月が過ぎたある日のことだ。

 第二次魔法戦争の最後の戦い、後にホグワーツの戦いと呼ばれることになる決戦の夜から数日後、ジェーン・スミスは未だ大臣室付きの下級補佐官という立場にあった。魔法省大臣だったパイアス・シックネスはホグワーツの戦いで死亡。その後すぐ、暫定の魔法省大臣としてウィゼンガモット法廷から指名を受けたキングズリー・シャックルボルトが大臣室に現れ、補佐官たちにあれこれと指図をしながら、全体にもその手腕を振るっていた。

 魔法省は事後処理に追われていた。ジェーンにとっても目が回るような忙しさだった。何日も家に帰ることすらできず、満足に眠る暇もなく、食事もまともに取っていない。忙殺に次ぐ忙殺。自分の体が微かに饐えたような臭いを発し始めた頃になって漸く、一晩の自由を得ることができた。

 ふらふらとした足取りでエレベーターを降り、エントランスを抜ける。とにもかくにも早く熱いシャワーを浴びたいと思いながら、ずらりと並んだ暖炉の一つに足を向けようとした──その時だった。

 普段であればそのような不覚は取らなかっただろう。だがしかし、コンディションは最悪だった。判断力は鈍り、視界はぼやけ、注意力は散漫だった。そして、この一年近く感じることのなかった安堵感が、ジェーン・スミスを油断させたのだ。

 暖炉に足を踏み入れようかというその瞬間、ジェーンは何者かによって強く腕を引っ張られ、別の暖炉の中に引き摺り込まれた。反射的に振り払おうとするものの、その人物はジェーンの体を羽交締めにし、否応なしに暖炉の中に飛び込んだ。熱を帯びない緑の炎が立ち上り、脳髄を攪拌するかのようにぐらぐらと視界を揺らしながら、ジェーンの体は荒波に揉まれるようにして押し流されていく。

 時間にすればほんの十数秒程度だったが、満身創痍のジェーンにとっては永遠とも思える体感時間だった。

 暖炉を吐き出された先の湿気た空気と黴臭さを前に、なけなしの矜持をも手放したジェーンは、じっとりと湿っている絨毯の上に体を折りたたむようにして倒れ込み、大きく嘔吐いて胃の中のものを吐き出した。出てくるものは胃酸しかない。喉が焼けるように痛む。嘔吐する自らの声にダメージを受けながら、ぐるぐると回る視界を閉ざし、ローブが汚れるのも厭わずにその場に身を横たえた。

 衣擦れの音すら大きく聞こえてくる静寂の中、かつん、こつん、とフローリングの床の上を歩いてくる、軽い足音が聞こえてくる。

「手荒な真似はしないようにと言ったはずよ」

「なぜオレがこんな魔女を丁重に扱わねばならんのだ」

 女の問いに吐き捨てるような返答をした男は、まるで道端に転がる石を蹴るかのように、ジェーンの背中を靴の先で蹴飛ばす。腹を蹴られてはたまらないと、ジェーンが内臓を守るように体を丸めると、男はそれが気に入らないとばかりに今度は少しばかり強く、ジェーンの背中を蹴り上げた。

「やめなさい」

「このオレに偉そうに命令するのは止せ、ナルシッサ」

「私たちはあなたを魔法省に突き出しても一向に構わないのよ、ロドルファス」

「私たち、ねぇ」ロドルファスと呼ばれた男は、ふん、と鼻で嘲笑う。「お前の旦那にその度胸があるとは思えんがな」

 ランプ一つ、杖明かり一つ点されていない室内では、割れた窓の外から差し込む月明かりを頼りに辺りを観察するしかない。だが、酷い眩暈と目の霞が邪魔をして、ジェーンの目では人影をぼんやりとしか捉えることができなかった。ただ時折、まるで幻聴か何かのように、どこからか赤ん坊の笑う声が聞こえてきていた。

「あなた」霞む視界の中、女がジェーンの目の前で身を屈め、そのように声を掛けてくる。「大丈夫ではなさそうね」

「……攫う相手をお間違えでは?」

「いいえ、私はロドルファスにあなたを攫ってくるようにとお願いをしました」ナルシッサと呼ばれた女性はそう言うと、手に持った杖の先で、ジェーンの顔に掛かった赤毛を払った。「ジェーン・スミス」

「魔法省にはジェーン・スミスが他に二人います」

「私がロドルファスに攫ってくるようお願いしたのは、魔法省大臣室付きの下級補佐官であり、ヘルガ・ハッフルパフの末裔でもあるジェーン・スミスです」

「……あなた方は、誰ですか?」

「私はナルシッサ・マルフォイ。あなたを攫ってきた男はロドルファス・レストレンジです」

「マルフォイ……レストレンジ……」

 純血の家系であることを主張し、純血主義者であり、闇の帝王を熱狂的に支持する死喰い人であったルシウス・マルフォイは、第一次魔法戦争の時同様、今回も何のお咎めも受けないことが、前日の裁判で決定したばかりだった。十四年前は服従の呪いで従わされていただけだという主張をし、それが罷り通ったそうだ。

 今回は妻のナルシッサが、ホグワーツの戦いの最中にハリー・ポッターの命を救い、同時に戦闘を放棄したこと。先だっての裁判では死喰い人らの残党狩りに協力すると同意したため、ポッター自身の口添えもあって、その温情を賜ることとなった。

 ロドルファス・レストレンジはベラトリックス・レストレンジの夫だ。妻はホグワーツの戦いで死亡したが、夫の行方は杳として知れなかった。この夫妻は闇の帝王の最も忠実な配下として知られ、第一次魔法戦争の終結後にはアズカバンに収容されたが、此度の大戦ではその闇の帝王の手引きで脱獄し、悪逆の限りを尽くした。

 魔法省は今でも死喰い人の残党狩りを率先して行なっているが、特に注視していたのが、このロドルファス・レストレンジの足取りだった。死体が出ていない以上は、生きていると仮定して捜索を続けていたものの、何一つ消息が掴めずにいた。

 その男が今、ジェーン・スミスの目と鼻の先にいる。

 それどころか、誰にも知られず、悟られず、いとも容易く魔法省に侵入してみせたのだ。それだけで、一筋縄では行かない厄介な闇の魔法使いだということが分かる。

「それで」ジェーンは何度か咳き込んでから、その先を続けた。「私に何のご用が?」

「話が早くて助かるな」

「お手伝いできることはあまり多くはないと思いますが」

「お前は私の妻とこいつの旦那の命を救ったのだろう?」

「互いに利がある取引をしただけです」

 ジェーンがその場にゆっくりと起きあがろうとすると、目の前にいるナルシッサが反射的に杖を構えた。ジェーンは敵意がないことを示すために片手を挙げ、ポケットから取り出した杖を床に放る。ころころと転がる杖の行先を、ナルシッサは注意深く目で追っていた。

 胡座をかいて座ったジェーンは、逆流してきた胃酸を唾液と一緒にその辺に吐き出し、汚れた口元をローブの裾で乱暴に拭った。

「あの時お腹にいた子は無事に産まれていたのですね」

「ええ、おかげさまで」

「それはおめでとうございます」

 ジェーンは、後ろに立っているロドルファスに向かって嫌味っぽく言ったつもりだったが、喜びの声が返ってくることはなかった。それどころか、ようやく暗闇に慣れてきた目で杖を構えたままのナルシッサを見上げると、どこか複雑そうな表情を浮かべているのが見て取れる。

「……まずはお話をお伺いします」

 ジェーンはこの時、さっさと解放されたいという思いと、このまま何事もなく解放されるわけがないという思いとで、心が二分されていた。もう影に隠れて画策する必要はないのだと肩の荷を下ろしていたというのに、最後に一番の大仕事が残っていたようだと、内心では酷くうんざりとしていた。

「夫の話では、あなたは魔法省に捕えられたマグル生まれの者たちを国外に亡命させていたそうですね」ナルシッサはそこまで言ってから、ああ、と思い出したように付け加えた。「これはあなたを咎めているのではありません。どのように亡命させていたのかをお尋ねしたいだけです」

「それは誰かを亡命させたいということですか?」

「お前は聞かれたことにだけ答えていればいいんだ」

「ロドルファス」ナルシッサは呆れたようにため息を吐き、相手にしていられないとでも言うふうに、小さく頭を振った。「ええ、その通りです」

「では、今の私ではお力になれないと思います」

「なぜだ」

「私は当時、魔法省大臣の権力を行使し、他国の魔法省や議会を通して、決められた手順に則ってマグル生まれの魔女と魔法使い、そしてその家族を国外に亡命させていました」

「ならば──」

「同じ方法を用いることはできません」ジェーンはロドルファスの言葉を遮り、目の前にいるナルシッサに向かって話を続けた。「あなた方はご存知でしょうが、当時の魔法省大臣──パイアス・シックネスは、魔法法執行部部長のコーバン・ヤックスリーの服従の呪文によって操られ、意のままに従わされていました。ただ、ヤックスリーは真面目な部長というわけではありませんでしたから、彼が私用で魔法省を離れている際は、私がシックネスに服従の呪文を使い、魔法省大臣としての職務を遂行させていたのです」

「あなたはその時に、マグル生まれの者たちを亡命させるための書類を整えていた、ということですか?」

「その通りです」

「では、同じ方法で亡命させることは不可能ということですね」

「はい」

 煙突飛行による酔いは僅かに和らいでいたが、睡眠不足による頭の鈍りは相変わらずで、今になって思い返してみても、正しい思考と公正な判断が出来るような状態ではなかった。

「困りましたね」

「あとは、誰を亡命させるかによると思います」

「どういうことです?」

「例えば、ロドルファス・レストレンジを亡命させることは不可能でも、産まれたばかりの子供を亡命させることは可能だと──」

「駄目だ!」

 今度はロドルファスがジェーンの言葉を大声で遮った。煙突飛行でぼさぼさになっていた赤毛を引っ掴み、自らの方に体ごと引き寄せると、凶悪な面持ちでジェーンの顔を覗き込んでくる。

「お前はオレとあの赤ん坊を無事にこの国から亡命させるんだよ」

「闇の帝王の最も忠実な僕であったあなたを、一体どこの国が受け入れてくれるというのです?」 

「フランスは」

「今更本家が受け入れてくれるとお思いですか?」

「だったらエジプトでもロシアでもアフリカでもどこでもいい」

「そこまで亡命することをお望みなら、私を頼るよりも、裏世界の住人を頼りにした方が賢明でしょう」

「連中はもう既に魔法省の犬に成り下がっている。あのキングズリー・シャックルボルトのやつが汚ねぇ手を回してやがるんだ。オレの手配書をばら撒きやがって、見つけたやつには金貨千枚だとよ」

 裏世界の住人は来る者を拒まない。相手が善人であれ悪人であれ、金品を積めば大抵の願いは叶えてくれる。その中には国外への手引きも含まれるはずだ。

 レストレンジ家ほどの財力があれば、金貨千枚を超える金品を支払うことなど造作もないことだろうが、グリンゴッツ銀行にあるレストレンジ家の金庫は魔法省大臣の命令で凍結されている。マルフォイ家も同様に資産家ではあるが、この時期にグリンゴッツから多額の金貨を引き出せば、魔法省から監査が入ることは否めないだろう。

「この国の魔法省の目が、オレとあの赤ん坊に届かないようにできないってなら、話はこれで終いだな」

 ロドルファスはそう言い放ったかと思うと、ジェーンの体をナルシッサの方に向かって力一杯に蹴り飛ばした。ナルシッサは避ける間もなく全身でジェーンを受け止めてしまい、二人は汚れた床の上に折り重なるようにして倒れ込む。その間、ロドルファスは先程ジェーンが放り投げた杖に飛び付いたかと思うと、すぐさまそれを構え、二人に向かって突きつけた。

 下敷きになったナルシッサは不快そうに顔を顰め、ジェーンの体を押しやって杖を構えようとする。だがしかし、ぶつかった勢いで杖を手放してしまったのか、見失ってしまった自身の杖を探して床に手の平を這わせながら、ロドルファスのことを睨みつけていた。

「どういうつもりなの?」

「心配するな、お前のことは殺さないでおいてやる。お前のあの情けない旦那のこともな」だが、と言いながら、ロドルファスはギラついた目でジェーンを見やり、杖先でしっかりと心臓を捉えていた。「お前にはここで死んでもらう」

「亡命のお手伝いをすることはできません」

「ああ、そうだろうな」

「ですが、魔法省の目があなたとあなたの子供に届かないようにすることはできます」

「ああ、そうだろうとも──いや、なんだって?」

 ジェーンはナルシッサの杖が自分の足元に転がっているのを見つけた。ロドルファスの杖先が動揺で揺れ動いた一瞬の隙に、踵を使って自らの方に引き寄せ、それを構える。

「私はこれ以上人殺しの汚名を着せられたくはないのです」

 自分に向かって杖を構える姿を目の当たりにしたロドルファスが、反射的に杖を握る手に力を込めた。杖先が微かに沈み込み、呪文を放つ動作に入る──が、何も起こらない。

「クソがっ──」

 すぐにそれがダミーであることを察したのだろう、ロドルファスは激昂しながら、両手を使って偽物の杖を真っ二つに折ってしまった。

 ジェーンは手の平をくるりと回し、マグルが用いるマジックの要領でナルシッサの杖を消し去った。そして、何も持っていない両手を顔の横で掲げて見せる。

「是非とも対等な立場でお話をしましょう、ミスター・レストレンジ」

 息苦しいほどの動悸と、世界が回って見えるほどの眩暈で、膝から崩れ落ちてしまいそうだった。本当なら今にも卒倒し、気を失ってしまいそうなほどの緊張感に、恥ずかしくも体を震わせていた。

 自分でもなぜなのか分からない。抗うことに意味を見出せない。

 どうしていつも死に背を向け、生きることに執着してしまうのだろう。このまま死ねば楽になれると思うのに、こうしてまた性懲りもなく、生に縋り付いてしまうのだ。

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