魔法省大臣は人使いが荒い   作:しきり

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「──そんな方法があってたまるか!」真っ二つにしたダミーの杖を床に叩きつけながら、ロドルファス・レストレンジは吐き捨てるようにして言った。「耳心地良い言葉でオレを謀って魔法省に突き出そうという魂胆なんだろうが、そうはいかない」

 ジェーン・スミス自身が自分以外の誰も信用していないのと同じように、ロドルファスも自分以外の誰も信用していないのが分かる。ナルシッサもロドルファスを信用してはいないのだろう、恐らくは杖と子供を取り上げて、自分の命令に従わせているのだ。

 裁判で死喰い人の残党狩りに協力すると約束をした今のマルフォイ家にしてみれば、ロドルファス・レストレンジは邪魔な存在でしかないはずだ。だが、レストレンジの妻ベラトリックスはナルシッサの姉であり、その子供は自身の甥か姪に当たる。

 どうにか助けてやりたいと思っているのか。はたまたこの邪悪な魔法使いをどこか遠くへやってしまいたいと思っているのか。

「幸い、ベラトリックス・レストレンジが出産した事実を魔法省は知りません。もう一度申し上げますが、子供だけなら無事に生き延びる手段はいくらでもあります」

「何度も同じことを言わせるな!」

「分かりました」

 赤ん坊だけなら戦争孤児として施設に預けることも、養子に出すことも、本人が望めばナルシッサ・マルフォイの子供として育てることもできただろう。本当に子供のためを思うなら、すべての秘密に蓋をし、口を噤んだまま、他の死喰い人の生き残りらと同様に、アズカバンに収容されるべきだ。死喰い人の子供として辛酸を舐める未来よりも、何も知らないまま平和に生きる方が、子供のためにも、この魔法界のためにも良い判断だと思う。

 だが、それを望まない者に強要する資格と権限を、ジェーンは持たない。

 悪人にも人権はあるというのが現魔法省大臣の考えのようだ。

 これがコーネリウス・ファッジの時代だったら、捕らえられた死喰い人やその陣営の咎人は、皆須く吸魂鬼の口付けによって魂を抜き取られていたに違いない。

 しかしながら、現魔法省大臣のキングズリー・シャックルボルトは、罪人たちを生きたまま捕らえ、厳正な裁判の後、アズカバン送りにしている。それと同時に、吸魂鬼をアズカバンの看守の任から解放し、ヒト族に管理させるための手筈を整えようと急いでいた。

「あなたと子供に魔法省の目が届かないようにする方法ですが──」ジェーンは後ろにいるナルシッサを警戒しながらも、目の前にいるロドルファスに向かって切り出した。「忠誠の術はご存知ですか?」

「知っている。お前らのような腰抜けた連中が最後の手段として悪足掻きに使う姑息な魔法だ」

「古の時代からある最も高度で強固な魔法の一つです」

「だが、所詮は他人任せの脆弱な魔法に過ぎない」

「あなたには自分の命を預けられるほど信頼のできる相手がいないのですね」

「では聞くが、お前にはそういう相手がいるのか?」

「いいえ」ジェーンは一拍の間も置かずに答えた。「おりません」

「当然だ。自分の命を守ることができるのは自分だけ。オレは死にたくないからな。だから、殺される前に殺す」

「私も死にたくはありませんので、自分の命は自分で守る必要があります。私は生きて帰りたいのです、ミスター・レストレンジ」

「帰ってどうする? 魔法省大臣にこのことを報告するか?」

「まずは熱いシャワーを浴びます」

 少しでも考える間を置いてはいけないことを、ジェーンは知っている。重要なのは会話のテンポだ。相手の会話のリズムに合わせてはいけない。こちらで上手くリズムを作り出すことができれば、相手はいずれ油断を見せる。何でもない会話で相手の気を良くさせることは、大臣室付き補佐官の処世術でもあるのだ。

 そして、もっとも大切なこと。

 それは、本当のことは言わなくても良いが、決して嘘を吐いてはいけない、ということだ。

「そのあとは、とっておきの赤ワインの栓を抜いて祝杯をあげます」

「生きて帰れた祝杯か」

「その通りです」ジェーンは、ふふ、と故意に笑う。「あとは何も考えずに眠ります」

「今日のことはどのように報告するつもりだ?」

「上に報告をするつもりはありません」

「……なんだって?」

「職務時間外に起こったことですから」

 ロドルファスは到底信じられないという顔をしてジェーンのことを睨んでいる。無理もないだろう。何かと都合の良い言葉を並べ立て、どうにかこの場を逃れようとしているようにしか見えないことは、ジェーン自身にも分かっている。

「私はもう何日も家に帰っていません。人使いの荒い魔法省大臣にはまるで奴隷のように扱き使われて、正直な話辟易としていました。私が仕える魔法省大臣はこれで四人目ですが、今度の魔法省大臣もこれまでの魔法省大臣と何ら大差のない──言わば無能な魔法使いです。またすぐに別の誰かに取って変わるのでしょう。私はそんな相手に媚を売るほど安い魔女ではありませんので」

「あの闇祓いには手を焼いた死喰い人も多いというのに、随分な言われようだな」

「闇祓いとしては有能でも、魔法省大臣としてはどうでしょう。ルーファス・スクリムジョールが良い例です。彼は闇の帝王とその陣営の者を恐れるあまり、疑わしければ無実の者でも捕え、すぐさま罰しました。あなた方がアズカバンから脱獄したときも、スクリムジョールはその事実を隠蔽したのです。あなた方にとっては願ってもないことだったと思いますが、弱き者たちにとっては生死に関わる重要な情報でした。私はスクリムジョールがあなた方に殺害されるのを目の前で見ていましたが、庇おうとすら思えなかった。その程度の男だったということです」

「今回の大臣も同じだと?」

「仕える人間は慎重に選ぶべきではありませんか?」

「ああ、それは確かにその通りだ」そう言って、ロドルファスは微かに笑う。「お前とは別の出会い方をしたかったものだな」

「私は一生お会いしないまま生きていたかったです」

「ははは、違いない」

 ロドルファスは一瞬面食らったような顔をしたが、次の瞬間には大声を上げて笑っている。その笑い声の凶悪さに思わず背筋が冷たくなるが、ジェーンは外交で鍛えた表情筋を大いに駆使し、一緒ににこりと笑って見せた。

「お前は使える女だとヤックスリーから度々聞かされてはいたが、恐らくはあの男がお前に使われていただけなのだろう」

 これは返答が欲しくて口にしている言葉ではないと瞬時に察したジェーンは、肯定も否定もせず、ただ黙って愉快そうに笑っているロドルファスの目を見据えていた。

「お前がヤックスリーの目を盗んでマグル生まれの連中を亡命させていたという話は、正直どうでもいいと思っている。マグルもマグル生まれの連中も、オレにとっては羽虫と同じだ。目障りで鬱陶しい存在には違いないが、あれはいくら始末しても後から後からわいてくる。目の前を横切れば殺しもするが、オレの邪魔をしなければ無視のできる存在だ」

「私には羽虫以上の価値があると良いのですが」

「このオレが羽虫と会話するような男だと思うか?」

「いいえ、ミスター・レストレンジ」

「ふむ」首を横に振るジェーンの姿を、上から下までとっくりと眺めてから、ロドルファスはこのように続けた。「お前にはある程度人質としての価値はありそうだ」

「……」

「悪いようにはしない。オレの邪魔をしなければ殺しもしない」

 今度はジェーンが面食らう番だったが、ロドルファスのように大声を上げて笑うような気分にはならなかった。これは物語が悪い方向へ進み始めていると感じながら、頭の中では幾つもの逃げ道を模索し続けていた。

「私を人質にしていかがなさるおつもりです?」

「もちろん、ただの話し相手というだけでは済まされないだろうな」そう言ってにやりと笑う表情を目の当たりにし、ジェーンは筆舌に尽くし難いほどの嫌悪感を覚えた。「多少やつれてはいるが、よく見ればそこそこの美人だ」

「お褒めに預かり光栄です」

「どうだ、オレに仕えるつもりはないか?」

「ありません」

 ジェーンの経験則では、返事を先送りにすると碌なことがない。外交でもそうだ。一度持ち帰らせてほしいと断りを入れた場合、その大半は先方の申し出を飲む羽目になる。多少は強気な態度に出てでも虚勢を張った方が、こちらの言葉を聞き入れてもらえることが多い。

 ロドルファス・レストレンジは元来頭の良い男なのだろう。だからこそ、この話し合いは成立する。

「私の主人は私自身です。私は私以外の誰かに仕えるつもりはありません、ミスター・レストレンジ」

「そうか」

「ですが、私をここから生きて帰し、命の保証をすると約束してくださるのなら、一つご提案があります」

 互いに相手を懐柔するには時間が足りない。完全な信頼を得ることは不可能だ。だがしかし、ここへ連れて来られた当初よりは、興味を抱かれているという自信はある。だからこそ、即答で断られることはないだろうと踏んで、一か八かの賭けに出た。

 ロドルファスはジェーンの頭越しに、後ろに立っているナルシッサに目配せを送っていた。しかし、ナルシッサは何も言わない。ほんの微かに空気が動く気配を感じたが、それだけだ。ジェーンの視界の外側で、何らかのやり取りが行われているのだろう。

 ジェーンは軽く目を伏せ、ロドルファスから視線を外した。足元に目を向けながら、体をやわらかく、リラックスすることを心掛ける。心臓の鼓動に合わせて荒くなりそうな呼吸を、意識してゆっくりと繰り返す。何の警戒もしていないし、自分はあなたの脅威にはなり得ないと、言葉ではなく雰囲気で伝える。

 人間、言葉ではどうとでも言えるものだ。だが、口では簡単に嘘を吐くことができても、体で嘘を吐くためには、ある程度の訓練が必要になる。ジェーンは陥落した魔法省で、それと気付かない間に、その方法を自然と身につけていた。

 ロドルファスの視線が動く。鋭い眼差しが、ジェーンに注がれる。

「聞くだけ聞こう」

「ありがとうございます」

 ジェーンは自らの有用性を証明しろと自分自身に強く言い聞かせた。取引をするだけの価値があると思わせるのだ。

「では」ジェーンはそう言って、ロドルファスに向かって手の平を差し出す。「私があなたとお子さんの秘密の守人になるというのはいかがでしょうか」

「……お前が、オレたちの秘密の守人になる?」

「私が忠誠の術を使ってあなた方の秘密を守ります」

「お前は馬鹿なのか?」

「おこがましいことを言うようですが、私はその辺の魔女や魔法使いよりもずっと優秀です」

「どうしてお前を信じられる? お前は魔法省大臣の最も近くにいる魔女だ。忠誠の術を使って身を隠すことになったとしても、お前だけには任せられるわけがなかろう」

「あの複雑な魔法を使えるご友人がいるのですか?」

「オレも馬鹿ではない」はんっ、と嘲笑するようにロドルファスは笑う。「お前の言葉はその場しのぎにしか聞こえん。どうせ魔法省に戻ってすぐに秘密を打ち明けるに決まっている」

「私は自分の命が惜しいのです、ミスター・レストレンジ」

「そうだろうな」

「私は自分の命を生き長らえさせるためなら何でもしてきました。ヤックスリーに自分の目の前でマグル生まれを殺してみろと命じられたときも、躊躇いなく死の呪文を使いました。私は自分の命を守るためなら、どんなものでも捨てられる人間です」

「それならば、今度は一体何を捨てると言うんだ?」

「命を──」ジェーンはいとも平然と言ってのける。「自分の命を捨てましょう」

 いずれにせよ、ここで出せるカードはこれしかない。現状、ジェーン・スミスの命は羽虫の命よりも儚く脆い。この交渉に失敗すれば間違いなく殺されるのだろう。念の為にナルシッサの杖を取り上げはしたが、魔法を使わずとも人は殺せるのだ。たとえ万全な状態であったとしても、無傷で逃げ出せはしないはずだ。

「私はここでの出来事を決して口外しません。あなた方の秘密の守人にもなります。その代わりに私の命の保証をしてください。無論、この密約を反故にするつもりはありませんが、もし私があなた方の許しなく誰かに秘密を打ち明け、あなた方の居場所が他者に露見した場合は、どうぞ私を殺してください」

「お前を殺しに行く前に、オレが死ぬことになるかもな」

「そのようなことにはなりません」

「分からないだろう」

「怖いのですか?」

「……何?」

「私のような魔女に秘密を握られ、いつ誰が自分を殺しにくるか分からない状態で、これからの日々を過ごすことが」

 その言い様が相当に腹立たしかったのだろう、ロドルファスは気が緩みかけていた表情を途端に険しくさせ、威嚇するようにジェーンを睨む。

 大丈夫、これで良いのだと自分の心臓を宥めながら、ジェーンは静かに目を細めた。

「私もこの一年間、似たような日々を過ごしてきました。毎日今日死ぬかもしれないと思いながら生きていました。それでも、今となっては闇の帝王や死喰い人のことを憎いとも思わない。そもそも、私はあなた方の罪を糾弾できるような人間ではありません」

 ジェーンの善行の裏には常に悪行がある。

 死喰い人と取引をした。魔法省大臣に許されざる呪文を使った。罪もない人を殺した。

 それらの罪は、百八十九人以上のマグル生まれの魔女や魔法使いの命を救ったからといって、なかったことになるわけではない。

 闇の帝王を、死喰い人を、スナッチャーを心から憎んでいる者は大勢いる。それに追随した者を許すなと非難する者もいる。勝手に憎めばいいし、許す必要もない。だが、その思いを他者に強要することは看過できないと、ジェーンは思う。

「目の前でただただ殺されていく運命にあったマグル生まれの魔女や魔法使いを亡命させることと、魔法省に追われ、敗走を強いられているあなた方に救いの手を差し伸べることは、私にとっては大差ないことなのです」

 相手は誰もが認める極悪人だ。この男が死ねば大勢の人々の心が救われるのだろう。だが、この男を謗ることはできないと思った。

 不憫に思ったのでも、同情したのでも、共感したのでもない。

 ただ、寝覚が悪いから。

 それだけのことだ。

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