魔法省大臣は人使いが荒い   作:しきり

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二度あることは、三度ある

 シャワーを浴び終え、ホテルに備え付けられているローブを着てバスルームを出ていくと、先程までジェーンが座っていた椅子に、予想だにしなかった人物が腰を下ろしていた。

 なぜ魔法省大臣がここにいるのだ──いるはずのない人物が突如として目の前に現れ、ジェーン・スミスは柄にもなく混乱していた。

 濡れて細かくうねる赤毛から、ぽたり、ぽたり、と水の滴る音が静かな部屋の中に聞こえる。僅かにはだけていた胸元を急いで整えながら、眼鏡を掛けていないことを思い出し、すぐさまキングズリー・シャックルボルトから視線を逸らした。

「突然すまないな」キングズリーはジェーンが書いた手紙の文章を改めながら口を開いた。「ウィーズリーはどうしても外せない用事があるらしい。他の補佐官が言うには女性とのデートだそうだが。代わりに私がこれを受け取りに来た」

「そうですか」

「私のことはいないものと思ってくれ」

 キングズリーは書面に目を落としたまま、ジェーンに向かってひらりと手を振る。この男は一体何様のつもりなのだと思いはするものの、今口を利けば辛辣な言葉を吐き出してしまいそうな気がして、ジェーンは唇を真横に引き結んだ。

 とはいえ、ジェーンの眼鏡は、キングズリーが肘を乗せている机の上にある。何も見ないように薄目をし、机に向かって手を伸ばすと、手元に目を落としていたキングズリーが不意に顔を上げた。

「失礼しました」ジェーンは咄嗟に身を引き、すっと背筋を正す。「眼鏡を取りたいのですが」

「ああ、すまない」

 キングズリーが机に乗せていた肘を退かす。ジェーンは備え付けのメモ用紙の上に置いていた眼鏡を手に取り、すぐに掛けた。

「君の眼鏡には度が入っていないのだな」

「視力が悪いわけではありませんので」

 未来視の能力があることは、魔法省が陥落した際に記録から消したので、キングズリーは知らないのだろう。どこまでも迷惑な能力ではあるが、死喰い人に悪用されかねない能力でもあった。

 ジェーンはその場で軽く黙礼をし、踵を返す。

 荷物を受け取りに来るだけなら、他の補佐官を寄越せばいい。そうはせずに、自らのこのこやって来たということは、何らかの魂胆があってのことに違いない。

 常に何の先触れもなく現れるこの男に、もう驚かされることはないだろうと思っていたが、今回はさすがに度肝を抜かれた。仮にも女性が宿泊している部屋に勝手に入り、許可もなく居座って、自分のことはいないものと思ってくれなどと言う。常識的に考えて非常識だ。

「さっさと帰って……」

 ジェーンは洗面台の鏡の前にたち、杖先から出している温風で髪を乾かしながら、小さく呟いた。

 キングズリー・シャックルボルトが魔法省大臣になってからというもの、本当に碌な目に遭っていない。これならば、魔法省が闇の帝王の支配下にあった頃の方が、順風満帆だったのではないだろうか──そんなふうに思ってしまうほど、連日困難が続いている。

 ケンタウルス担当室にケンタウルスが訪れることはまずないだろうが、万が一ということもある。先日の出張に続き、自分はまた暫く留守にするので、もしものときは頼みますと挨拶に出向けば、魔法生物規制管理部の部長は心底呆れた様子でため息を吐いていた。今はただでさえ忙しいのだ、これ以上無駄な仕事を引き受けたくはなかったはずだが、部長は渋々頷き、留守を預かることを約束してくれた。

 部長のためにも早急に復帰するべきなのだろうが、件の問題は下火になるどころか火力を増す一方で、一向に落ち着く兆しを見せないらしい。外回りの途中、時折様子を見に来る魔法警察部隊の幼馴染の話では、魔法省大臣室には先の戦争で死亡したとされている、もしくは行方不明の家族、親族、友人知人のいる人々が詰めかけているようなのだ。

 だから、誰か一人を優遇するべきではないと言ったのだと、ジェーンは思った。噂は噂を呼び、次から次へと、その死を受け入れられていない人々がやって来ることは目に見えている。一人一人対応していては、時間がいくらあっても足りない。

 そのような状況下で補佐官のパーシー・ウィーズリーは女性とデート、魔法省大臣に至ってはこんなところで油を売っている。

 仕事をする以外に何の取り柄もなく、生き甲斐もなく、かと言って夢もない。そういう人間からみれば、彼らの無責任さは腹立たしくも思えるが、仕事に追われる魔法省の人間にもプライベートはあるわけで、それは尊重されて然るべきなのだとも思う。

 私生活よりも仕事を優先してきたジェーンには、何とも背中がむず痒く、理解し難い感覚ではあるものの、職務時間外に何をするかは個人の自由なのだ。自ら好んで残業をしても、誰かとデートを楽しんでも、どこかで油を売っても構わない──が、ここで油を売るくらいなら自分の家に帰ってくれと、ジェーンは心からそう思った。

 洗濯に出すはずだったマグルの洋服を魔法で綺麗にし、バスローブを脱いで再びそれに着替えると、まだどこか生乾きの赤毛を後ろで一つに結える。鏡に向き合って軽く化粧を施し、眼鏡を掛け直した。

 一体いつまで居座るつもりなのか、話があるのなら早くしてはくれないだろうかと思いながら、ジェーンは蓋を下ろした便器に腰を下ろした。シャワーカーテンの向こう側では、延々と水の滴る音が聞こえ続けている。壁に固定されたシャワーヘッドから水滴が落ち続けているのだ。蛇口を固く閉めてもそれは止まらない。どうやら壊れているらしい。

 ジェーンには時折、無性に大声で叫びたくなる衝動に駆られることがあった。魔法省が闇の帝王の支配下にあった頃には何度もあった。あの頃は過度なストレスが影響しているのだろうと考えていたが、どういうわけかこうしている今も、叫び出したくてたまらない衝動に駆られている。

「ああ、もう──」

 手元に枕があれば、そこに顔を埋め、声の限りに叫んでいたに違いない。そう思いながら、自らの両手で顔を覆ったそのとき、バスルームの外から大きな物音が聞こえてきた。思わずびくりと肩を震わせたジェーンはほんの一瞬、体が硬直するのを感じる。

「急げ、スミス!」

 何者かが乱暴に扉を開け放ち、そう大声を上げた。聞き覚えのある声だが、酷く狼狽しているようだ。

「おい、スミス! スミ、ス──って、大臣? 大臣がどうしてここに……?」

「声を落とせ、パーシー」

「はい、あ、いえ、あの」

「落ち着け」

 ジェーンが籠城しているバスルームの前で何者かの足音が止まる。ノックの音が続き、声が掛けられた。

「出てきてくれ」

 そう言うキングズリーの声は、普段とは比べ物にならないほど低く、深刻げな響きを帯びて聞こえた。

 ジェーンは便器から立ち上がると、魔法を使って鍵を開き、杖を構えたままドアを開けた。目の前に立っていたキングズリーの目と鼻の先に杖先を突きつけるが、当人はそれでも微動だにせず、真っ直ぐにジェーンの目を見つめている。

「良い判断だ、ミス・スミス」

 ジェーンはキングズリーを見据えたまま、扉の前で棒立ちになっているパーシー・ウィーズリーに声を掛けた。

「あなたが学生時代に飼っていたふくろうの名前は?」

「……は?」パーシーは酷く戸惑っているが、訝しげにしながらも続けた。「ヘルメスだ。監督生になったご褒美に両親が買ってくれた」

「そう」ジェーンは次いでキングズリーに問いかける。「私の父の部屋のハンガーに掛けられていたものを覚えていますか?」

「ハッフルパフのマフラー」

「その通りです」

 突然の質問に正しく答えられた二人をとりあえずは信じることにしたジェーンは、キングズリーの眉間に突きつけていた杖を下ろした。しかし警戒を解くことはせず、杖を握り締めたまま二人の顔を交互に見る。

「何があったのですか?」

「アズカバンで集団脱獄があった」

「またですか」

「そう、まただ」キングズリーは片頬を持ち上げて嫌味っぽく笑う。「ホグワーツの戦いで捕らえた死喰い人が軒並み脱獄した。吸魂鬼をアズカバンの看守から外すべきだと再三言っているのに、ウィゼンガモットのお歴々連中が頷かないんだ。だが、これで納得するだろう」

「皮肉なものですね」

「まったくだ」

「……何を落ち着いているんですか!」静かに会話を続けている二人を見て呆然としていたパーシーが、ハッとしてジェーンの肩に掴み掛かった。「ヤックスリーが君を殺してやると言って回っているんだぞ」

「へえ、そう」

「おい、寝惚けているのか?」

「いいえ。今し方シャワーを浴びたばかりだし、頭はすっきりしているけれど」

 ホグワーツの戦いでは、敵味方問わず大勢の命が犠牲になったが、敵味方問わず死闘の末に生き残った者もいる。コーバン・ヤックスリーは後者の中の一人だった。

 ヤックスリーは生きたまま捕らえられた。加えて、早期の段階で裁判が行われたが、ウィゼンガモットの大法廷には掛けられていない。あの頃はまだ、議員のほとんどがこのロンドンを出ていて、死喰い人の目が届かない安全な場所でのうのうと暮らしていたからだ。

 だが、それがジェーンにとっては非常に好都合だった。

 ヤックスリーはジェーンが犯してきた悪逆のすべてを知り尽くしている。それを大法廷で詳らかにされていたとしたら、今頃は彼らと同じように暗く冷たい場所で身を横たえていたことだろう。

 裁判記録には、ヤックスリーは酷く興奮し、錯乱していると記されている。証言は支離滅裂で、信憑性は薄いと判断された。

「そんなことより、デートはどうしたの?」

「デっ、デート?」なぜお前が知っているのだという顔で動揺してから、パーシーはそれを誤魔化すように咳払いをした。「き、君には関係な、ないことだろう!」

「もし私のせいで台無しにしてしまったのなら謝るよ」

「だっ、だから、関係ないと言っている!」

 狼狽えるパーシーを横目に見ながら、さてどうしたものかとジェーンは考える。

 死喰い人らにとって吸魂鬼が脅威ではない以上、いつかこうなるのではないかとは、前々から思っていたのだ。

 集団脱獄の一件は、パーシーの退勤後に急報が入ったのだろう。だが、どこかで脱獄の話と、ヤックスリーがジェーンを殺したがっているという話を聞きつけ、デートをそっちのけにして知らせに来てくれたのかもしれない。

 キングズリーがここに来たのも、恐らくは死喰い人の集団脱獄の件があったからだ。世間は飽きもせず、魔法省のジェーン・スミスが死喰い人を欺き、その鼻先で大勢のマグル生まれの魔女や魔法使いを救っていたという、ザ・クィブラーの話題を擦り続けている。

 相当に鬱憤を溜め込んでいるであろう死喰い人の残党は、闇の帝王や殺された死喰い人の弔いと称して、再び虐殺を繰り返す可能性がある。目立つ存在は尚更狙われやすい。

「ミス・スミス──」

 キングズリーは厳しい面持ちで何かを言いかけた。しかし、薄暗くなり掛けている室内に、窓の外から突如として白い光が舞い込んでくると、口を噤んでそちらに目を向けた。思わず身構えるジェーンに向かって、軽く手を挙げる。

「大丈夫だ」

 流れる筋のようだった光は、室内に入ってくると机の上で一つの塊になり、すぐさまイタチの姿を形作った。守護霊のようだ。可愛らしいイタチは近づいてきたキングズリーを見上げると、その外見とは相反する中年男性の声を発した。

「ハリーの無事は確認した。ハーマイオニーはまだ国外にいるから心配はいらない。ロンはハリーのところに行くと言ってきかないが、家にいるよう言い聞かせておいた。そちらはどうだ?」

 イタチはその言葉を伝えると、すうっと溶けるようにして消える。

 すると、キングズリーは無言のまま自らの杖を取り出した。杖先を軽く動かすと、やわらかい光が溢れ出して、それがヤマネコの形になる。

「こちらも問題ない。引き続きよろしく頼む」

 机の上に座っていたヤマネコはキングズリーの言葉を聞き終えると、光の筋となって窓を透過し、そのまま空へと飛んでいった。

 守護霊にはこのような使い方もあるのかと感心していると、光を見送っていたキングズリーがジェーンを振り返る。

「奴らは既に十人近くのマグルを殺害し、ロンドンのあちこちに闇の印を打ち上げている。箝口令は敷いていない。イギリスの魔法界全体に外出は控え、自分と家族の身を守るようにと伝達した」

「マグルの首相にはお知らせしたのですか?」

「ああ、すぐに」

「とはいえ、ロンドンに戻る者ばかりではないでしょうから、近隣の国々にも──」

 ジェーンは当然のように口を付いて出てしまった言葉を慌てて飲み込む。それはもう自分の仕事ではないのだ。

「──出過ぎたことを申しました」

「君が大臣室付きに戻りたいのならもちろん歓迎するが、今はそのような話をしている場合ではないそうだ」

 こつこつと、苛立たしげに革靴の爪先を鳴らしているパーシーを見て肩を竦めてから、キングズリーはジェーンに向かって右腕を差し出してきた。

「ここは奴らに嗅ぎ付けられる可能性がある」

 その差し出された腕を見て、ジェーンは迷った。

 本当にこの男の腕を掴んでも良いのだろうか。どこへ連れて行かれるのかも分からない。果たしてその場所は自分にとって本当に安全なのかも分からない。そもそも、この男が信頼に足る人物なのかどうかも分からないのだ。

 ジェーンは嘘を吐いてはいない。

 だが、本当のことを話してもいない。

 この魔法省大臣はジェーン・スミスのことを信用してはいないはずだ。何か大きな隠し事をしていることも察しているに違いない。もし自分と死喰い人との関係に疑念を抱いているとするならば、死喰い人と接触をする可能性がある以上、今この状況下では、自分の側に置いておきたいと考えることだろう。

「ミス・スミス」穏やかでありながらも、どこか威圧的にも聞こえる声が、ジェーンを呼ぶ。「私に君を信じさせてくれ」

 何度でも言うが、人間、言葉ではどうとでも言えるのだ。

 魔法省大臣という役職は、ジェーン・スミスの期待を裏切り続けてきた。この約一年間、イギリスの魔法省が組織として崩壊せずに済んだのは、自らの働きがあったからだと、ジェーンは自負している。極論、ジェーン・スミス自身が魔法省大臣になったとしても、何の問題もないということだ。

 自分よりも賢く、優秀で、杖に覚えのある魔女か魔法使いに出会ったことが、ジェーンにはほとんどない。そんな人間はホグワーツの教授くらいのものだろう。

 もとより、家族以外の人の信じ方など、とうに忘れてしまった。

「では」ジェーンは左腕を持ち上げ、キングズリーの右肘に手を掛ける。「あなたが信じるに値する魔法使いであることを私に証明してください」

「それにはかなりの時間が必要そうだ」

 キングズリーが、ふ、と吐息を漏らすようにして笑みを溢した次の瞬間、臍の裏側を引っ張られ、強く捻られるような感覚に襲われた。

 体が内側に、内側にと押し潰されるような窮屈さ──ぐわん、と頭の中を棒で掻き混ぜられるような不快感──胸が圧迫されて呼吸をすることもできない──だが、それはほんの一瞬の出来事だ。そして、突如として解放される。

「ようこそ、我が家へ」

 姿現し独特のバシッという鞭のような音のあと、背後で誰かがそのように言うのを聞いた。

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