魔法省大臣は人使いが荒い   作:しきり

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査問会

 査問会と言えば聞こえは良い。それは組織に所属する者が不正や過誤を犯したか否かについて取り調べを行う場で、疑いがある者にも反論の余地はあるからだ。だが、あれはその体を成していない。なぜなら、取り調べなどはついぞ行われることがないからだ。罪状を読み上げ、責め立て、告発する。口を挟む隙も与えず、ただ、声高に正義を謳う。悪を断罪する。そういう場面を、ジェーン・スミスは何度も見せられてきた。いや、違う。これまではジェーンも誰かを断ずる側にいたのだ。あらゆる決定に不満を覚えながらも、決して反論することなく、冷ややかな思いで着席していた。

 

 我ながらぞっとするとジェーンは思う。しかしながら、これが因果応報というやつなのだろう。見て見ぬふりをしてきた者は、見て見ぬふりをされるのだ。弱者が強者に牙を剥いたところで致命傷を負わせることはできない。だが、猫に襲われた鼠が、時に小さな牙と爪で立ち向かうように、蛇に睨まれた蛙も、最後の悪足掻きをして見せる可能性は皆無ではない。

 失うものは何もない。既に多くのものを失くしているからだ。それならば、物言えぬ弱者たちの代表として、真っ向から反論してみせようではないか。正論を説く者には現実を突きつけ、真意を問おう。今ここに、自らの身を護れる者は、自分自身しかいないのだから。

 

 不思議と緊張をすることなく、査問会前日の夜はぐっすりと眠ることができた。慣れない立ち仕事が功を奏したのかもしれない。程良い疲労感が全身を包み込んで、心地良い眠りの世界へと誘ってくれた。

 午前七時、目覚まし時計の音で目を覚ます。いつものルーティンをこなし、朝食後はカフェの開店作業を手伝った。父親のユアンには、少し魔法省に顔を出してくるとだけ伝え、仕事着のローブに着替える。飾り気など一切ない、退屈な濃紺のローブだ。普段は気分転換がてら歩いて向かうのだが、リビングの暖炉が煙突飛行ネットワークに登録されているので、煙突飛行粉を使って魔法省に向かった。

 吐き出される先は魔法省の地下八階にあるアトリウムだ。ここには魔法省の出入り用にいくつもの暖炉が連なっている。朝夕の時間帯は大変に混雑するが、それ以外の時間帯はたいして人もおらず、比較的静かだ。アトリウムの中央を飾る泉には、陥落後に大層趣味の悪い巨像が建てられたが、今は以前の魔法族の和の泉に戻されていた。

 普段通りのアトリウムで普段と違っていたのは、いつもは守衛室でじっとしているだけの守衛が、ジェーンを待ち構えていたことくらいだろう。守衛はジェーンの姿を見つけるなりぶすっとした面持ちで近づいてくると、所持していた杖を取り上げ、査問会が行われる法廷へ連行すると言った。ジェーンは大人しく杖を差し出し、守衛の後に続いて歩き出す。

 思い出すのは、マグル生まれ登録委員会からの召喚に応じてやってきた、所謂マグル生まれと呼ばれる魔女や魔法使いの、恐怖に怯えた表情だった。

 アトリウムを通り抜けていく間中、方々からの視線を集めていたのは言うまでもないだろう。魔法省大臣室付きのジェーン・スミスが査問にかけられるという話は、どうやら広く知れ渡っているらしい。こそこそとこれ見よがしな視線を送りながら噂話に花を咲かせているのは、確か魔法運輸部の煙突飛行規制委員会に所属している魔女たちだ。ジェーンの無駄に良い記憶力は、ホグワーツ時代から微塵も衰えていない。

 守衛と並んでエレベーターの到着を待ち、全員が降りたそれに二人だけで乗り込む。アトリウムより更に下へ向かう者はいないようだ。それはそうだろう。この下には神秘部と古びた法廷しかない。長年魔法省に勤めている者でも、地下八階より下には行ったことがない者は多いはずだ。

 そもそも、たかが一職員の査問会で裁判に使用される法廷を使うなど、どうかしているとしか言いようがない。本来であればその辺の空き部屋や会議室、ウィゼンガモットの事務所の一室で事足りることだ。それなのにもかかわらず、まるで自らの正しさをより強固なものとするため、悪をより悪たらしめるための舞台として、人目を引くよう派手さを演出する因子として、法廷を利用しているとしか思えなかった。

 闇の帝王が支配していたときと同じように、日刊預言者新聞やラジオ放送をプロパガンダとして駆使し、政権を取り戻した我々魔法省は、日々イギリス魔法界の再建のために尽力していると、そう訴えかけようとしている。

 

 自分はその小さな礎となるのか――ジェーンは人知れず嫌悪感をあらわにした。

 これまで、査問という名の裁判にかけられた者の中で、何の咎も受けず、無罪放免となった者はほとんどいない。ほぼ全員が何らかの罪に問われ、裁かれていると聞く。

 だが、ジェーンにとっては腹立たしいことに、それらは正しい罪なのだ。いかな上からの命令であれ、それを実行したのが他ならぬ自分自身ならば、それは否定をしようのない罪なのだ。今度ばかりは、許されざる呪文を言い訳にすることはできないだろう。もとより、ジェーンにそのつもりはない。

 この魔法省から離れることができるならば、もはや罪に問われても構わなかった。杖を取り上げられることになったとしても、さほどのショックは受けないだろう。ジェーンはもうずっと前から覚悟を決めていたからだ。魔法省が陥落し、全政権が奪われたときから、腹は据わっていた。自分は悪に手を染める。すべてを理解した上での決断だった。魔法省に忠誠を誓うということは、そういうことだと思った。それだけが、生き残る手段だった。

 絶対に媚びない、へつらわない、おもねらない。追従するなど以ての外だ。ジェーンは己の信念に従って行動をしてきた。命を護るためにやってきたことを、なぜ責められなければならないのか。弱者は弱者なりに戦った。戦わずして逃げ出した者たちに、それを裁く権利などあるのか。それが権力を保持した、魔法省の中枢を担っていた魔女や魔法使いなら尚のこと、自らの胸に手を当ててみてほしいと思う。

 

 さあ、時間だ――法廷の扉の前に立たされたジェーン・スミスは、大きく深呼吸をした。

 

「――では、これよりジェーン・スミスの査問会を執り行う」

 松明が燃える地下牢のような法廷で査問会は開始された。法廷の中央に置かれた椅子に腰を下ろし、肘掛けに両腕を乗せると、ぐるぐると蛇のような動きで鎖が巻き付いてくる。手首を僅かに持ち上げると鎖はより絞まったので、これは暴れれば暴れるほど罪人を強く締め付ける類の、呪いの鎖なのだろう。

 ジェーンは吸い込んだ息を静かに吐き出しながら辺りを見回した。ここはつい少し前まで、ドローレス・アンブリッジがマグル生まれの魔女や魔法使いを召喚し、裁判を行っていた法廷だ。たいした広さはない。だが、天井に向かって少しずつ迫り上がっていく座席には大勢の人間が腰を掛け、こちらを見下ろしているので、威圧的な圧迫感があった。

 人々は皆一様に赤紫色のローブを羽織っている。左胸にWの刺繍が施されたそのローブは、ウィゼンガモットに所属する者だけが袖を通すことを許されたものだ。だからといって、そのローブを羨んだことなどジェーンにはただの一度もない。

 議長席には魔法省大臣のキングズリー・シャックルボルトが腰を据えていた。その隣には書記役のパーシー・ウィーズリーが複雑そうな顔をして座っている。ジェーンがじっと睨むように見ると、手にしていたペンの羽の部分でシャックルボルトを指した。どうやら集中しろと言いたいようだ。

 これではまるで闇の魔法使いと同じ扱いではないか。それとも、自分はいつの間にか闇の魔法使いと決定づけられ、それ相応の処遇を受けることになるのか――ジェーンがそのように考えていると、議長席に座っていたシャックルボルトが傍らに置いていた杖を取る。それを一振りすると、ジェーンを拘束していた鎖がするりと解けていった。顔を上げてそちらを見やると、癖のように指先で杖を一回転させたシャックルボルトが口を開いた。

「失礼、こちらの不手際だ」

 何が不手際だと思いはするものの、ジェーンは黙したまま自分の手首をそっと撫でた。拘束されるのは初めてではなかったが、相変わらず良い気分はしない。

「此度の査問ではこの約一年間に渡る君の魔法省大臣室付き下級補佐官としての働きについて論ずることとする。通常、魔法省大臣との面談で済ませることではあるが、君の場合、法廷にかけられた数人の罪人からその名が挙げられ、また幾人かの告発者も出てきている。それを踏まえ、他数名同様に査問会を開く運びとなった」

 ジェーンを見下ろす者たちの中には、こちらを敵視する眼差しも含まれていた。そうした人々の多くはヴォルデモート卿やその仲間たちに、家族や親類、友人を奪われている可能性が高い。それ以外の者は自らが掲げる正義の下、ジェーンを敵視しているのだろう。

 そうしなければ気が済まないのだ。そうしなければ心が休まらない。そうしなければ、自らの正当性を証明することもできない、かわいそうな人たち。

「君はコーネリウス・オズワルド・ファッジ、ルーファス・スクリムジョール、パイアス・シックネス、この三代に渡って魔法省大臣に仕えてきた――相違ないか?」

「はい、大臣」

「内二名は死亡。唯一ご存命のファッジ元魔法省大臣から君の働きぶりについて聴取してきたが、彼は君を大変気に入っていた様子だ。間違いなく魔法省に忠実な魔女だと話してくれたよ。機転、融通が利き、まるでこちらの心が読めるのではないかと疑ってしまうほどの仕事の速さ。だが、同時に君を危ぶんでもいた」

 ああ、そうだ、あの男のせいで自分の人生は終わりに向かっていると、そうジェーンは思う。あの男がジェーンを下級補佐官になどしなければ、今頃はまったく違う運命を歩んでいたはずだ。過去を悔やんでばかりの人生だったが、父親を喜ばせたいという一心で引き受けてしまった過去の自分の選択を、ジェーンは最も悔いていた。

「ジェーン・スミスは魔法省に忠実すぎるあまり、その時々の魔法省大臣の采配によっては、その性質を反転させるだろう。例えば、コーネリウス・ファッジの支配下では温厚な猫であったとしても、ヴォルデモート卿を支持していたパイアス・シックネスのような大臣の下では、冷徹さを匂わせる吸魂鬼のようにさえなり得る、と」

「それが魔法省に忠誠を誓うということなのでは?」

「今は1920年代ではない」

「では、反逆を働いても構わないと?」

「君の思考には忠誠か反逆しか存在しないのかね?」

「闇の帝王が支配する魔法省ではそれらが同義だったのです、魔法省大臣」

「ほう」

 魔法省では魔法省大臣が法律だった。愚かしいことに、大臣は自分のしたいようにできるのだ。

 例えば、コーネリウス・ファッジはヴォルデモート卿の復活を隠蔽し続けた。ただ信じたくないという理由で、ハリー・ポッターやアルバス・ダンブルドアの言葉を妄言と断じた。その結果、コーネリウス・ファッジは大臣の座を退くことになった。

 次いでその椅子に座ることになった男は、闇祓いのルーファス・スクリムジョールだ。任命当初は補佐官たちの力を借りながら、魔法省大臣としての手腕を振るっていた。ジェーンの印象もそう悪くはなかった。少なくとも、純血主義の前任者よりは見込みのある大臣だと思っていた。

 しかし、それも長くは続かなかった。スクリムジョールはヴォルデモート卿にかかわるあらゆる情報の隠蔽をはじめた。疑わしき者はすべて捕え、拘束した。周りの声になど耳を傾けなくなっていた。何と進言しても聞く耳を持たなかった。

 だからだろうか、死喰い人が魔法省を襲撃し、大臣室に乗り込んできても、間に入ろうとする者は誰もいなかった。足がすくんで動かなかったというのもある。だが、この男のために――この魔法省大臣のために命を投げ出してもいいとは、ジェーンには到底思えなかった。

 だから、拷問され、殺されていく様を、黙って見ていたのだ。


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